2017年9月28日木曜日

みなとみらいアフタヌーンコンサート2017前期 ≪10年目のショパン≫外山啓介 デビュー10周年 ピアノ・リサイタル

2017-09-28 @みなとみらいホール



外山啓介:ピアノ

<オール・ショパン・プログラム>
ワルツ第1番変ホ長調「華麗なる大円舞曲」
バラード第1番ト短調
ノクターン第20番嬰ハ短調(遺作)
幻想即興曲嬰ハ短調
ポロネーズ第7番変イ長調「幻想」
舟歌嬰ヘ長調 
ピアノ・ソナタ第3番ロ短調
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アンコール
ショパン:ワルツ第7番嬰ハ短調 作品64-2

このピアニストも初めて聴く人だ。プログラムの紹介では相当輝かしい経歴に彩られている。

凡庸な耳には、みなとみらいホールやミューザでリサイタルをすることができるクラスの演奏に、なんとなくの好き・嫌いは感じても音楽性とか技術力は判別つかない。

オール・ショパン・プログラムで、聴き馴染みの作品ばかりだったが、何を聴いても端正な音楽で、情緒的に流れることはなく、ケレン味がない。もっともメランコリックに、もっと悲しげに表情をつけることはいくらでもできるだろうけど、節度がある。そこが物足りないようでもあるけど、これが王道なのかなあとも感じた。

♪2017-157/♪みなとみらいホール-36

2017年9月25日月曜日

バイエルン国立歌劇場公演「タンホイザー」

2017-09-25 @NHKホール


バイエルン国立歌劇場 2017年日本公演 
ワーグナー作曲 「タンホイザー」(全3幕)

キリル・ペトレンコ:指揮

 ロメオ・カステルッチ:演出・美術・衣裳・照明
シンディー・ヴァン・アッカー:振付
バイエルン国立管弦楽団
バイエルン国立歌劇場合唱団

領主ヘルマン⇒ゲオルク・ツェッペンフェルト
タンホイザー⇒クラウス・フロリアン・フォークト
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ⇒マティアス・ゲルネ
ヴァルター・フォン・フォーゲルヴァイデ⇒ディーン・パワー
ビッテロルフ⇒ペーター・ロベルト
ハインリッヒ・デア・シュライバー⇒ウルリッヒ・レス
ラインマル・フォン・ツヴェーター⇒ラルフ・ルーカス
エリーザベト、領主の姪⇒アンネッテ・ダッシュ
ヴェーヌス⇒エレーナ・パンクラトヴァ
羊飼い(声)⇒エルザ・ベノワ
羊飼い(少年)⇒ティモシー・モーア
4人の小姓⇒テルツ少年合唱団

海外歌劇場の引越公演を観るのは初めて。それもバイエルン歌劇場といえば、世界でもトップクラス。音楽監督が次季ベルリン・フィルの首席指揮者に就任予定のキリル・ペトレンコというから、チケットはヒジョーに高かったが、一度、世界一流のオペラに接してみたいと思ってた。

結果的には、料金に見合うような出来だとは思えなかった。このチケット代なら新国立劇場のS席2枚買ってお釣りがくるので、そっちのほうが良かったかも。でも、一度は聴いてみないと比較もできないから仕方がない。

オーケストラの響は、時にハッとさせるような管と弦の美しいアンサンブルが聴こえてくるので流石にうまいものだと思ったし、身を乗り出して指揮するペトレンコのコントロールが行き渡っているようにも思った。

不満に思ったのは、演出・舞台美術だ。
 ロメオ・カステルッチという人が、今年5月にバイエルンで初演出したものを日本でもそのままやったらしい。
舞台装置は実に簡素で、専らカーテンが前後左右に重ねられる程度で、ほかに、舞台装置らしきものはない。
衣裳もギリシャ神話の世界のようで簡素。

主要等人物以外にも合唱やバレエダンサーらしき人が大ぜい登場して、本筋のドラマの背景を演ずる。ここがまさに演出の見せ所だが、これがやたら抽象的で分かり難い。いや、全然分からないと言ってもいい。どうやら、肉欲の愛と信仰に叶う愛との相克を表現しているらしいが、無意味な過剰説明にしか思えない。

ワーグナーの台本どおり、歌い、演ずるだけで、十分物語は理解できる単純なドラマなのに、わざわざひねりを加えて難解にしてしまったように思う。

歌手たちの歌いぶりも、METなどで聴くものとは異なって、物静かな歌いぶりだ。簡素・静謐なワーグナーを目指したか。どうも、物足りなかったな。

2017-156/♪NHKホール-08

2017年9月23日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第330回横浜定期演奏会

2017-09-23 @みなとみらいホール


小林研一郎:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
木嶋真優:バイオリン*

メンデルスゾーン:バイオリン協奏曲*
​ドボルザーク:スラヴ舞曲第1番、第10番
スメタナ:交響詩《モルダウ》
チャイコフスキー:荘厳序曲《1812年》
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アンコール
ドボルザーク:ユーモレスク(管弦楽版)

木嶋真優(きしま・まゆ)って初めて。かなり若そうに見えたが…。相当有望な若手らしく、Wikipediaによれば、『ドイツの有力紙 Frankfurter Allgemeine Zeitungは、「カラヤンがアンネ=ゾフィー・ムターを、マゼールがヒラリー・ハーンを世界的に注目させたように、ロストロポービッチは木嶋真優を世に出した」と評した。』とある。

彼女がソロを弾いたメンコンは、びっくりするほどの出来栄えではなかったと思うが、さりとてどこが不満ということもなく、気持ち良く聴いた。

休憩後の3曲はいずれも耳に馴染んだ、それも小規模な作品ばかりで、お気楽な名曲コンサートの感じ。
コバケンのお遊びが入るかと思えばそうでもなくて、正統的な演奏だった…と記憶している。

中では「1812年」がまさに荘厳で景気が良い。
一方、「モルダウ」はいつ聴いてもなかなか心に染みる。

♪2017-155/♪みなとみらいホール-35

2017年9月20日水曜日

みなとみらいクラシック・マチネ~伊藤亜美、佐野隆哉リサイタル

2017-09-20 @みなとみらいホール


伊藤亜美:バイオリン
佐野隆哉:ピアノ

サン=サーンス:ハバネラ Op83
ドビュッシー:12のエチュードから第7番~第12番
マスネ:タイスの瞑想曲
ラヴェル:ツィガーヌ<演奏会用狂詩曲>
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アンコール
ポンセ:エストレリータ

その日の内にメモしておけばよかったけど、随分時間が経過してしまったので、ほとんど思い出せない。ドビュッシーの作品だけがピアノの独奏でほかはデュエットだった。そのドビュッシーが初聴きだけど、シニカルな遊び心を感じたことは覚えている。

ろくな感想も書けないので、2人の略歴でも記しておこう。後々の参考になるだろう。

伊藤亜美:3歳でバイオリンを始める。6歳から2年間スイスに在住。帰国後、東京芸術大学附属高校、同大学にて学ぶ。安宅賞、同声会賞、アカンサス賞を受賞し卒業。ローザンヌ高等音楽院、イギリス王立北音楽院、グラーツ芸術大学にも留学。第78回日本音楽コンクール優勝、聴衆賞受賞。第2回マンチェスター国際ヴァイオリンコンクール優勝、委嘱作品最優秀演奏賞受賞。第12回カール・フレッシュ国際ヴァイオリンコンクール第2位。2016年5月CD「A」をリリース、レコード芸術誌特選盤に選ばれる。2016年よりアーティスト名を尾池亜美から伊藤亜美に変更。

佐野隆哉:1980年東京生まれ。都立芸術高校、東京芸術大学を経て、同大学院修士課程を修了。2005年に渡仏後、パリのスコラ・カントルム高等課程を最優秀で修了。その後、日本人男性として初めてパリ国立高等音楽院「第三課程研究科」(博士課程)からの入学を許可され、2008年に修了。在学中から、日本音楽コンクール第2位入賞(03年)を始め、世界各地の「国際ピアノコンクール」で多数入賞。ホセ・ロカ国際2位(スペイン・08年)。ロン=ティボー国際5位及び聴衆賞、特別賞(仏・09年)。ショパン国際ディプロマ(ポーランド・10年)等を受賞。
「室内楽」の分野においても、パリ国立高等音楽院室内楽科を審査員満場一致の最優秀で卒業。日本モーツァルト音楽コンクール声楽部門[共演者賞](03年)、国際サキソフォーンコンクール名誉ディプロマ(ポーランド・09年)を受賞するなど、国内外の幅広いジャンルのアーティストから厚い信頼を得ており、ソロ活動に留まらず多方面で活躍している。2010年冬に帰国。現在、演奏活動の傍ら、国立音楽大学、都立総合芸術高校にて後進の指導に当たっている。平成16年度青梅市芸術文化奨励賞受賞。第3回グラチア音楽賞受賞。2013年ファーストCD「DANZA」(LPDCD-010)をリリース。CD「クロイツァーの記憶(Memory of Kreutzer,NAT15431~2)」に参加、2016年7月リリース。

以上は、みなとみらいホールのHPから抄録転載。

♪2017-154/♪みなとみらいホール-34

2017年9月18日月曜日

読響第98回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2017-09-18 @みなとみらいホール


コルネリウス・マイスター:指揮
読売日本交響楽団

ダニール・トリフォノフ:ピアノ*

スッぺ:喜歌劇「詩人と農夫」序曲
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第2番ト短調 作品16*
ベートーベン:交響曲第6番ヘ長調 作品68「田園」
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アンコール
ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガからホ短調*

名前のよく似たダニエル・ハリトーノフという若手ピアニストのリサイタルを11月に聴くことになっている。名前が似ているだけではなく、両者ともチャイコフスキーコンクール入賞歴(トリフォノフは優勝、ハリトーノフは3位)があるので、同一人物かと思っていたが、今日のトリフォノフはチラシやプログラムに出ている写真では髭を生やしていないが、本番ではヒゲモジャだったので、あれ?と思って、よく読むと別人だった(下欄注)。

ま、それはともかく、本日の一番の楽しみは前座の「詩人と農夫」だ。これは吹奏楽経験者にはとても良く知られた作曲家であり、作品だ。中学・高校の吹奏楽部でこの作品を演奏しないところはないだろうな。言うまでもなく、元々管弦楽のための作品だから誰かが吹奏楽用に編曲したのだろう。とても変化に飛んだ音楽で主要な旋律はきれいで全編楽しい。元…吹奏楽部員としては耳に馴染んだ名曲だが、原曲の管弦楽版を聴いたことがなかったのでこれが聴きたかったのだ。

前半の吹奏楽版ではサックスのソロだが、オリジナルはチェロのソロなんだ。後日、Youtubeでこの曲を探していて近衛秀麿指揮新交響楽団(現N響)で、小澤征爾など多くの音楽家を育てたチェリストの齋藤秀雄がソロを弾いている1933年録音の「詩人と農夫」を発見した。齋藤はチェリストとしては独奏の録音を残さなかったのでこれは貴重な音源らしい。今、聴くととても下手くそだと思うが。

ま、ともかく。読響の優れた演奏でこれを聴くことができたのは非常に良かった。あらためて良い音楽だと思った。

プロコフィエフのピアノ協奏曲2番は、最近ではアンナ・ヴィニツカヤ+都響で聴いた。あまり好きな音楽ではない。
トリフォノフはピアノはFazioliを使った。どこのホールでもこのピアノは珍しいが、みなとみらいホールで聴くのは初めてだ(正確ではない。聴いていたかもしれないが、意識していなかったのかも。)。

ベートーベンの田園は、いつもどおりのオーソドックスな演奏だったと思う。
指揮のコルネリウス・マイスターは今年度から読響の首席客演指揮者に就任したが、ステージで実際にタクトを振るのは今回のプログラムが初めてだ(厳密には16日の芸術劇場)。読響デビューだ。
観客の反応もよく、とても好意的に迎えられたように思う。

♪2017-153/♪みなとみらいホール-33

(下欄注)
ダニール・トリフォノフ⇒1991-03-05生 
 2011-14回チャイコ1位
ダニエル・ハリトーノフ⇒1998-12-22生 
 2015-15回チャイコ3位

2017年9月17日日曜日

東京交響楽団 川崎定期演奏会 第62回

2017-09-17 @ミューザ川崎シンフォニーホール


アレクサンドル・ヴェデルニコフ:指揮
東京交響楽団
東響コーラス♪

ヒンデミット:バレエ組曲「気高い幻想」
ストラヴィンスキー:詩篇交響曲♪
シベリウス:交響曲第1番ホ短調 作品39

シベリウスが1865年生まれで、ついでストラヴィンスキー、ヒンデミットが一番遅く1895年というから3人の年齢は最大でも30歳の差だ。それに没年の間隔は14年しかないから、音楽家として活躍した時期はほとんど重なっているのだろう。
それにしては、それぞれの音楽はだいぶ違う。

シベリウスを別にすれば2人の2曲はこれまで聴いたことがなかったし、シベリウスとて1番は珍しい。
前2者は、現代音楽と言うほどでもないけど楽しめなかったのは、これまで馴染んでいなかったからだろう。
特に詩篇交響曲は馴染むと面白くなると思う。弦パートからバイオリン、ビオラが、木管パートからクラリネットが外され、その代わりに管楽器の強化とピアノ2台、それに混成四部合唱が加わるという変則な管弦楽編成の意図は分からないけど、きっとそのうち味が出る…という予感。

シベリウス第1番は、ナマで聴くのは初めてかと思っていたが、記録を調べたら、2015年以後で読響と神奈川フィルで聴いていた。全く記憶はアテにならない。
コンサートで取り上げられるシベリウスの交響曲は圧倒的に第2番だ。それ以外は…とついでに調べたら、1番の他に5番、7番なんてのも聴いていたな。でも1番も忘れていたくらいで、2番以外はどうも印象が薄い。どの曲も、確かにシベリウス印は溢れていて、ほかの誰かの作品だと間違えるようなことは絶対にないだろうけど、2番が出来過ぎなのかもしれない。

♪2017-152/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-26

2017年9月16日土曜日

N響第1864回 定期公演 Aプログラム

2017-09-16 @NHKホール



パーヴォ・ヤルヴィ:指揮
NHK交響楽団

ショスタコーヴィチ:交響曲第7番ハ長調 作品60「レニングラード」

生演奏は3年前にウルバンスキ+東響で聴いたのが初めてで、これが2回め。オケの定期は7コースも聴いていてもめったに演奏されない曲だ。声楽は入らないのに演奏時間が70分を超えるのが原因だろうか?でも、ブルックナーやマーラーの交響曲でももっと長い作品はいくつもあるが、それらを3年に1度しか聴けないということはまず無い。あまり人気がないのだろうか。

東響で聴いたときの編成は覚えていないけど、今日のN響はコントラバスが10本も並んだ。まるで学生オケの複数校合同演奏会みたいだ。金管も11本が並ぶ通常の配置のほかに打楽器群より後ろ、つまり最後方に金管10本の別働隊も加わって、豪気なものだ。

聴く機会が少ない割には第1楽章の、単純な旋律が耳に馴染んでいる。多分、これが「戦争の主題」と言われているモノだろう。音楽全体のテーマに比べるとひょうきんな行進曲として始まる。これがソ連軍の行進か、ドイツ軍の行進を表現しているかは説が分かれているようだ。最初はスネアドラムの刻む一定のリズムに木管が最弱音で始まった主題は何度も何度も執拗に繰り返され、だんだん重苦しくなってゆく。ラヴェルのボレロのようだ。これだけ繰り返されると耳にも馴染んできて他の場所の音楽は全然覚えていなくともこの主題だけは3年に1度でも、嗚呼、これこれ、覚えているよという感じだ。

まあ、CDではとても最後まで聴く気にはなれないけど、ナマの迫力と緊張感で退屈とは無縁。手に汗握るような70分余だった。

2017-151/♪NHKホール-07

ミューザ川崎ホリデーアフタヌーンコンサート2017後期 アンジェラ・ヒューイット ピアノ・リサイタル ≪気まぐれなブーレ≫

2017-09-16 @ミューザ川崎シンフォニーホール


アンジェラ・ヒューイット:ピアノ

J.S.バッハ:パルティータ 第4番ニ長調 BWV828
ベートーベン:ピアノ・ソナタ 第14番嬰ハ短調 op.27-2 「月光」
スカルラッティ:ソナタ ニ長調 K491
        ソナタ ニ長調 K492 
        ソナタ ロ短調 K377 
        ソナタ ホ長調 K380 
        ソナタ イ長調 K24 
ラヴェル:ソナチネ
シャブリエ:気まぐれなブーレ
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アンコール
ドビュッシー:「月の光」

アンジェラ・ヒューイットの演奏をナマで聴くのは2回めで、前回は2015年4月に日フィルと共演したブラームスの協奏曲第1番だったが、あまり良い印象は受けなかったが、FAZIOLIのピアノを持ち込んでいたのに驚いた記憶がある。
でも、その後、CDなどを聴くとこの人はほとんどFAZIOLIで録音しているようだ。

今回もピアノはFAZIOLIだった。前回のサントリーホールも今回のミューザもホール自前では備えていないだろうから本人が持ち込んだのか、FAZIOLIの日本支社が用意したのだろう。調律や整音など大変なことだなあ。

J.S.バッハがお得意のヒューイットだが、今回のリサイタルは組曲が1曲だけ。あとはベートーベンやスカルラッティなどバラエティ豊かなプログラムだった。

最後に弾いたシャブリエの「気まぐれなブーレ」が面白かった。
シャブリエと聞いても「スペイン狂詩曲」しか出てこない。
こういうユーモラスな小品もあるとはもちろん知らなかった。
リサイタルの副題にしているくらいだから、彼女のお気に入りであることは間違いない。そして、彼女の陽性の人柄にもピッタリあっていたように思った。バッハ弾きとは思えない明るさにあふれていた。

♪2017-150/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-25

2017年9月14日木曜日

人形浄瑠璃文楽平成29年9月公演 第二部「玉藻前曦袂」

2017-09-14 @国立劇場


●第二部
玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)
 清水寺の段
 道春館の段
 神泉苑の段
 廊下の段
 訴訟の段
 祈りの段
 化粧殺生石

(主な出演者)
竹本千歳太夫

豊澤富助
吉田和生
吉田玉男
豊竹咲寿太夫
豊竹咲甫太夫
鶴澤清助
桐竹勘十郎
吉田玉也
豊竹睦太夫
野澤喜一朗
竹本文字久太夫
竹澤宗助
吉田幸助
竹本小住太夫
豊竹亘太夫
 ほか

今回は、七段で構成されたが、本来の「段」なのか、「段」の中の「場」に相当するものも混じっているのかは分からない。少なくともこの七段の前に、序(初)段と二段があって、それぞれは天竺と唐の国が舞台だというから、スケールの大きな話だ。いずれも金毛九尾の妖狐がそれぞれの国で大暴れした後に日本にやってくるという話で、三段目以降日本を舞台にする。

そのオリジナルの三段目が今回の「清水寺の段」に当たるのだと思うが、はっきりしたことは分からなかった。

いずれにせよ、今回の公演は「清水寺の段」で始まり、「道春館の段」以下に続く。「道春館の段」までは妖狐は登場しないが、帝の兄・薄雲の皇子の謀反の企てや皇子に見染められてしまった亡き道春の2人の娘・桂姫、初花姫の悲劇として、見応えのある大曲だ。

続く「神泉苑の段」から「祈りの段」までが妖狐と安倍兄弟との戦(いくさ)話だが、「廊下の段」と「訴訟の段」の間には、本来は「段」だか「場」だかが置かれていたようだ。でなければ話がつながらない。で、「祈りの段」で両者の争いには一応の決着がつく。一応の…と言うのは、悪者である妖狐は都を逃げ出すものの成敗されたわけではなく、薄雲の皇子は流罪を申し付けられるものの従う気はなさそうで一体どうなるのか示されないから。

最終の「化粧殺生石」は「段」という扱いになっていないのは、ここでは妖狐が主人公…と言うか、妖狐しか登場せず、これが七変化を見せるという、スペクタクル・ショーとして、話の本筋と独立したものであるためではないか。宝塚歌劇の、本編ミュージカルの後のレビューみたいなものか。

このような構成なので、通し狂言というには、いささか構成感に不足する。

しかし、最後の「化粧殺生石」は見応え充分だ。人形劇とも思えない早変わり七変化のスペクタクルは舞台装置の仕掛けも色々と工夫されていて面白い。最後は桐竹勘十郎まで宙乗りに暗闇の空に消えた。

♪2017-149/♪国立劇場-14

2017年9月13日水曜日

平成27年度9月中席

2017-09-13@国立演芸場

落語 三遊亭ぐんま⇒まんじゅう怖い
落語 三遊亭ふう丈⇒ライザップ寿限無
落語 三遊亭丈二⇒119
音楽パフォーマンス のだゆき
落語  夢月亭清麿⇒時の過ぎゆくままに
落語  林家正雀⇒田能久
   ―仲入り― 
奇術    アサダ二世         
落語  柳家小ゑん⇒ミステリーな午後          
漫才 ホームラン
落語 三遊亭円丈⇒グリコ少年

今日の出来は珍しく水準が高かった。あんまりひどいというのがなくて、いずれも及第点。
夢月亭清麿の「時の過ぎゆくままに」は、これが落語とは思えないが、どうも聞き覚えがある話だと思ったら、ちょうど1年前の同じ9月中席で聴いていた。大した話ではないけど、横浜が舞台というのが個人的に好感の要素でもあるが、こんな話ばかりやっていたのでは芸が上達しないだろうな。

正雀の「田能久」は古典落語だけど初めて聴いた。例によって、何の飾り気もなく、ポツポツと喋る正雀節。話も面白くてこれも良かった。
小ゑんの新作?はまずまず。
トリの円丈は以前の新作「悲しみは埼玉に向けて」に比べると今回の方がよほどマシだったが、大した話でもないな。

何といっても、毎回当たり外れのないのが漫才の「ホームラン」だ。実に傑作。客席を巻き込んで当意即妙の運びには感心する。
ホームランをトリに据えて30分位聴いてみたいものだよ。

♪2017-148/♪国立演芸場-015

2017年9月11日月曜日

東京都交響楽団 第840回 定期演奏会Bシリーズ

2017-09-11 @サントリーホール


大野和士:指揮
ペーター・ダイクストラ:合唱指揮
東京都交響楽団
スウェーデン放送合唱団

ソプラノ:林正子
テノール:吉田浩之
バリトン:ディートリヒ・ヘンシェル

ハイドン:オラトリオ《天地創造》 Hob.XXI:2

今年1月の都響B定期以来、サントリーホールは改修工事中で、都響B定期もその間はオペラシティコンサートホールで引っ越し公演が続いたが、よくやく元の居場所に戻った。
ホールの改修は定期的な補修が中心で、構造的には1-2階の間にエレベータができたとか、トイレが広くなったとか書いてあるが、コンサートホールとしては本質的なことではない。
座席の布地の張替えとか舞台の張替えは見た目にも明らかだ。


それで音響にどういう影響が出るのかは分からない。第一、今期から席を変えてだいぶ前に出たので迫力はあるが、ホールトーンなのか、包まれるような残響は感じなかった。どちらがいいかは、音楽にもよるので難しいところだ。

さて、今日はハイドンの「天地創造」。
今年の都響の目玉だ。
去年の「熱狂の日」で聴いたのがたぶん初めてのナマ演奏(シンフォニア・ヴァルソヴィア+ローザンヌ声楽アンサンブル)だったはず。その時も、ハイドンにしては面白味に欠けると思ったが、今回も同様だった。やはり同じハイドンのオラトリオ「四季」に比べて愉しさが違うな。
旧約の創世記の物語に、まずは素直になれないのだから仕方がない。

とは言え、今回の合唱団は、一昨年10月の都響定期で、モーツァルトの「レクイエム」で見事な合唱を聴かせてくれたスウェーデン放送合唱団だ。
声楽に関してはまったくの素人だけど、彼らの精緻なアンサンブルを超える合唱を聴いたことがない。
あまり有名ではないと思うが、昨年の熱狂の日で聴いた女3男8のア・カペラグループ「アンサンブル・ジャック・モデルヌ」もすぐれものだったが、アンサンブルの規模がだいぶ違うので比較はできない。

そして都響は御大・大野和士が指揮を取った。

大野マエストロが初めてこの曲を聴いた時(中学生時代らしい)に、第2曲めの「光あれ!」でハ短調から転調してハ長調の和音がガーンと鳴るところで頭が真っ白になるほど感動したと言っていたが、注意深く聴いていたけど、どうもその大切な部分はうまく行ったようには思えなかった。
とは言え、声楽ソリストも合唱もオケも超大曲に挑んで高水準の出来ではなかったかと思う。

「天地創造」が面白さに欠けると思うのは専ら個人的趣味によるもので、演奏が悪かったとは全然思わない。また機会があれば聴いて、耳に馴染んでくると面白さが分かるようになるかもしれない。

♪2017-147/♪サントリーホール-02

2017年9月9日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第332回

2017-09-09 @みなとみらいホール


外山雄三:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

外山雄三:オーケストラのための“玄奥”
シューベルト:交響曲第7番ロ短調 D759「未完成」
プロコフィエフ:交響曲第5番変ロ長調 作品100

客演指揮の外山雄三は大昔に京響を聴いた事があるくらいで、ほぼ半世紀は縁がなかった。神奈川フィルの第2代音楽監督として92年から4年間、このオケを鍛えたそうだが、これも四半世紀前のことでその頃は神奈川フィルを聴くこともなかったのでやはり縁はなかった。むしろ、N響の正指揮者としてTVでよく顔を見た。N響正指揮者という立場は79年から今も継続しているが(終身職らしい)、N響では一度も聴いたことがない。

ま、こう言っちゃ何だが、ずいぶん古い人に随分久しぶりにお会いする事になった。

彼自身の作品「オーケストラのための”玄奥”」は2015年初演らしく、首都圏での演奏は今回はじめてらしい。
外山作品では「オーケストラのためのラプソディ」が超有名で、と言うか、そこれしか聴いたことがない。”玄奥”もその延長線上のもののようで、民謡をベースにしたもので親しみやすかった。

シューベルト、プロコフィエフは特に変わったこともなかった。正統といえばそういうことになるのだろうか。ただ、十分リハーサルが行き届いている風ではなかった。

♪2017-146/♪みなとみらいホール-32

2017年9月7日木曜日

秀山祭九月大歌舞伎 昼の部

2017-09-07 @歌舞伎座


一、彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち)
毛谷村(けやむら)
毛谷村六助⇒染五郎
お園⇒菊之助
杣斧右衛門⇒吉之丞
お幸⇒吉弥
微塵弾正実は京極内匠⇒又五郎

仮名手本忠臣蔵
二、道行旅路の嫁入(みちゆきたびじのよめいり)
戸無瀬⇒藤十郎
小浪⇒壱太郎
奴可内⇒隼人

三、極付 幡随長兵衛(きわめつき ばんずいちょうべえ)
「公平法問諍」
幡随院長兵衛⇒吉右衛門

水野十郎左衛門⇒染五郎
近藤登之助⇒錦之助
子分極楽十三⇒松江
同 雷重五郎⇒亀鶴
同 神田弥吉⇒歌昇
同 小仏小平⇒種之助
御台柏の前⇒米吉
伊予守頼義⇒児太郎
坂田金左衛門⇒吉之丞
慢容上人⇒橘三郎
渡辺綱九郎⇒錦吾
坂田公平/出尻清兵衛⇒又五郎
唐犬権兵衛⇒歌六
長兵衛女房お時⇒魁春

毛谷村も幡随長兵衛も、既に何度も観ているので、どうしても以前の公演との比較で観てしまいがちだ。
菊五郎ー時蔵、仁左衛門ー孝太郎と比べると、今回の染五郎ー菊の助は味わいが乏しい。前2者が人間国宝のベテランであったのに対し、今回はまだ中堅なので、先入観もあるだろうけど、ちょいと軽い気がした。
染五郎の方は、滑稽味もあってそれなりの六助になっているけど、菊之助が硬い。
臼を振り回したり、尺八と火吹き竹を間違うところなど、ここで笑いたいというところでなかなか笑えない。
男勝りからしおらしい世話女房への変化も、何か、型どおりやっていますという感じだったな。

幡随長兵衛は前回が昨年の芝翫襲名だった。
新・芝翫の長兵衛もスッキリとして気持ちよく観れたが、やはり、こちらも吉右衛門の貫禄にはかなわないか。ただ、いつも思うに、子分たちの芝居が平板なので、長兵衛の重い決断がどうも軽く見えてしまう。

吉右衛門は、さすがに序幕で客席から登壇するとにわかに舞台が引き締まる。
ただ、ちょいと年齢的にはキツイ。本物の長兵衛は35、6歳で殺されているらしい。倍以上の歳の長兵衛なら「人は一代、名は末代」などと威勢の良い啖呵を切って殺されにはゆかなかったのではないか。この向こう見ずな意地っ張りぶりに関しては、芝翫の長兵衛が似合っていた。


ところで、序幕で芝居の邪魔をする水野の手勢の相手をして奮闘するのが舞台番の新吉。この役を演じているのが中村吉兵衛という役者で、僕は多分初めて観たと思う。口跡はいいし、顔つきが吉右衛門に良く似ているので、彼の血統かと思って調べたら、門下ではあるけど、他人で、国立劇場の12期研修修了生だそうだ。もう43歳で若いとはいえないけど、ちょっと、見どころのある役者だな、と感じた次第。

染五郎が敵役の水野を演じたが、ここではやはり貫禄負け。

なんか、今年の秀山祭・昼の部はミスキャストが多いな。本人のせいではなくて、文字どおり「配役」で損をしている。

♪2017-145/♪歌舞伎座-05

2017年9月4日月曜日

東京都交響楽団 第838回 定期演奏会Aシリーズ

2017-09-04 @東京文化会館


大野和士:指揮
東京都交響楽団
ハオチェン・チャン:ピアノ*

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 op.30*
ラフマニノフ:交響曲第3番 イ短調 op.44
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アンコール
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番ハ長調 K.330から第2楽章*

6月の神奈川フィル定期でもラフマニノフのピアノ協奏曲と交響曲のカップリングだったが、その時はいずれも第2番だった。

ピアノ協奏曲でも交響曲でも圧倒的に第2番の演奏機会が多く、聴く機会が多い。とは言え、ピアノ協奏曲に関しては3番も結構聴く機会が多い。むしろ、1番や4番は記憶に定かでない。

が、交響曲に関しては3番はやはり聴く機会が少ない。また、1番など聴いた記憶もない。

で、今日のコンサートでは、メインの交響曲第3番を興味深く聴いた。ラフマニノフにとって最後から2番めの作品(1936年完成)だという。因みに最終作品は「交響的舞曲」で40年の作。亡くなったのが43年(69歳)。

ラフマニノフは44歳頃(1917年)、十月革命後にロシアを出国し、二度と帰国することはなかったそうだ。
晩年はアメリカで暮らしたそうだから、最後の交響曲である第3番、同時に最後から2番めの作品は、てっきりアメリカで、ドボルザークのように望郷の念にかられながら書いたのではないか、と思いこんでいたが、事実は、渡米前のスイスで作曲されたんだね。
これは帰宅後知ったことで、聴いている途中は、久しぶりに聴く第3番のメロディーの切れ端にロシアの匂いを嗅いでやろうと気合を入れて聴いていたが、驚くほどにロシア臭はしない。
冒頭部分が、ちょいとそれらしくもあるが、その後は、ほとんど、アメリカの南部に広がる草原とか、西部の高原とか、あるいは、イギリスの放牧地などのイメージばかりして、ロシアは出てこないのに驚いた。

ピアノ協奏曲は2番、3番はもちろんのこと、1番も4番もロシアのメランコリーを感ずるのだけど、ラフマニノフは、晩年に至って、最後の交響曲を作曲する際に、スイスであれ、故郷ロシアを離れて20年近く経過した異郷で何を考えながら作業を進めたのだろう、とそんなことばかり考えながら聴いていたら、終わってしまった。

ところで、ハオチェン・チャンのピアノは特にクセも感じず、とても好ましい演奏だったが、関心したのは、本番のピアノ協奏曲第2番より、アンコールで弾いたモーツァルトのピアノソナタの第2楽章が、実に丁寧で、隅々に気持ちが行き届いていて爽やかな音楽になっていたのが素晴らしかったな。

♪2017-144/♪東京文化会館-13

人形浄瑠璃文楽平成29年9月公演 第一部「生写朝顔話」

2017-09-04 @国立劇場


●生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)
 宇治川蛍狩りの段
 明石浦船別れの段
 浜松小屋の段
 嶋田宿笑い薬の段
 宿屋の段
 大井川の段

豊竹咲太夫
竹本津駒太夫
豊竹呂勢太夫
鶴澤寛治
鶴澤清治
吉田簑助
吉田和生
吉田玉男
桐竹勘壽
桐竹勘十郎
 ほか

オリジナルは全五段構成らしいが、今日演じられたのは全六段だ。尤もこの場合の「段」は「幕」とか「場」の意味も兼ねているらしい。なので、六段合わせてもオリジナルには不足の場があるようだが詳しいことは分からない。
今回はヒロインである「深雪(盲いて後に「朝顔」)」を中心に構成したと解説してあったが、初見にもかかわらず、そのお陰で実に分かりやすく、また、どの段も趣向は異なるがそれぞれに面白い。文楽を初めて観る人でも十分楽しめるだろう。

武家の娘、深雪は16~7歳。美しいだけでなく詩歌管弦の嗜みもある。
宇治川の船遊びで酔客に狼藉されかかった折、近くで蛍狩りをしていた若い武士阿曾次郎に助けられるが、そこで互いは惚れあってしまう。
中でも深雪のぞっこんぶりが武家の娘としては不自然なくらいはしたなくさえあるのだけど、このような強力なキャラクター設定こそが、その後の激変のドラマを引っ張るエネルギーになっていることにやがて納得できる。
納得できるということは既に観客が彼女に感情移入できているということであり、その健気さ、いじらしさに哀れを誘われ、時に胸に迫るものがある。

やむをえず、離ればなれに出立した阿曾次郎と深雪は、偶然互いに異なる船旅同士で再び出会うが、喜びもつかの間、嵐が2人を隔ててしまう。
それでも、深雪は阿曾次郎に会いたさ一途に大胆にも家出して1人で阿曾次郎を追うが、か細い若い娘のひとり旅の苦労と悲痛が深雪の視力を奪うことになる。

瞽女となった深雪は嶋田の宿で朝顔と名乗り、泊まり客の求めに応じて三味線や琴を聴かせて生業としていた。そこに偶然宿をとった阿曾次郎は、部屋の衝立に宇治川で別れる際に深雪に与えた扇に記した朝顔の歌が貼り付けてあるのを見てもしやと思い、宿の亭主・徳右衛門に質して「朝顔」と言う名の瞽女を座敷に呼び琴を所望した。
阿曾次郎は既に駒澤家の家督を継いで駒澤次郎左衛門と改名をしており、朝顔にはその名で紹介される。朝顔に探し求めていた次郎左衛門(阿曾次郎)の顔は見えない。

阿曾次郎は、やつれたとはいえ朝顔のその顔、声、音曲にこと寄せる一途な恋心から、朝顔こそ深雪に相違なしと思うが、同僚の岩代(しかも、お家転覆を狙う悪党)の手前もあって、深く尋ねることができずまたもその場で別れざるを得なかった。

一方、深雪の方も、かの人こそ阿曾次郎様ではないかとの胸騒ぎから、再び、宿を訪れるが、時既に遅し。阿曾次郎一行は出立した後だった。

深雪は、髪振り乱し、裾の乱れもなんのその大井川の渡しまで、やっとの思いでたどり着いたが、嵐のために阿曾次郎を追うための次の船が出ない。

こうして、なんどか、再会、名乗り合う機会がありながらもことごとく果たせない運命に、遂に深雪は死を決するが、ここにきてようやくかつての部下や事情を知った徳右衛門らによって助けられ、ようように、文字どおり明るい展望が開けるのだった。

若い娘の一途な恋物語である。すれ違いの悲恋物語である。
あり得ないような激しい恋の物語だが、最初に書いたように、その健気さには心打たれてしまう。

ところで、この話には、「嶋田宿笑い薬の段」という変わった名前のエピソードが挟まれる。
所謂「チャリ場」で、滑稽なシーンだ。
阿曾次郎を亡き者にしようと企んでいる岩代は仲間の藪医者、萩の祐仙と図って、お茶と称して痺れ薬を飲ませようとするが、徳右衛門の機転で祐仙自らが笑い薬を飲んでしまい、笑い転げて計画は破綻する。

この場面で祐仙の人形を遣うのが桐竹勘十郎だ。
祐仙が茶を点てる作法は多少は省略してあるようだが、ほとんどホンモノのお点前どおり。自分では阿曾次郎に飲ませる痺れ薬のつもりだが、本当は笑い薬を点てているとはつゆ知らず、生真面目に茶を点てる仕草のおかしいこと。この場をいかついマスクの桐竹勘十郎が演ずるから余計におかしい。

そして、毒味だと言って自らは痺れ薬用の解毒剤をこっそり飲んでから痺れ薬(実は笑い薬)を飲んだものだから、もう、笑いが止まらず、苦しくて、七転八倒のありさま。観客も大いに笑う。
この段の語りは太夫最高格の咲太夫だった。
もちろんうまい。
しかし、こういうおかしな場面ではむしろ、咲甫太夫とか千歳太夫で聴きたかったな。

どの場面もホンに面白い。
浜松小屋の段では、畏れ多くも人間国宝3人(鶴澤清治・吉田簑助・吉田和生)の共演を楽しむことができる。

実に充実した文楽鑑賞であった。

♪2017-143/♪国立劇場-13

2017年9月1日金曜日

平成29年度9月上席

2017-09-01@国立演芸場

落語 昔昔亭全太郎⇒子ほめ 
落語 昔昔亭喜太郎⇒動物園
落語 昔昔亭桃之助⇒強情灸
落語 春風亭愛橋⇒のっぺらぼう          
奇術 北見伸&スティファニー
落語 三遊亭笑遊⇒片棒
  ―仲入り― 
コント ザ・ニュースペーパー         
落語 春風亭柳好⇒宮戸川          
紙切り 林家花(踊り:長崎ぶらぶら節も)
落語 昔昔亭桃太郎⇒歌謡曲を斬る

今日の収穫は2人(組)。

北見伸らのグループのイリュージョンの見事さにはいつものことながら開いた口が塞がらない。全く不思議だ。仕掛けがなくちゃ死人続出といったショーだが、もちろん、誰も怪我一つしないで、窮地から生還するのが本当に凄い。

落語では、何といっても仲締めの三遊亭笑遊だ。
毎回おかしい。
このおかしさはなんだろう。
独特の芸だ。
コワイくらいの迫力があって、そのおかしな話を完全に自分のものにしているゆとりが感じられる。

それに引き換え、春風亭愛橋は全く勉強不足。いや、才能がない。いくら努力しても彼は大成すまい。
今日のトリは昔昔亭桃太郎だが、この人も落語を演るにはIQが相当不足している。
全く、落語を分かっていない。
こういう下手くそ、と言うより、頭の悪いのが、トリを務めるようでは寄席の世界も見通しが暗い。落語ブームだそうだが、きちんと頭のいいのを弟子にとって、しっかり勉強させなければ役立たずの看板倒ればかりになってしまいそうだ。

♪2017-142/♪国立演芸場-14