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2022年3月13日日曜日

ブラームス 室内楽マラソンコンサート第3部

2022-03-13 @東京オペラシティコンサートホール



諏訪内晶子、マーク・ゴトーニ、米元響子、小林美樹、小川響子(バイオリン)
鈴木康浩、田原綾子、村上淳一郎(ビオラ)
辻󠄀本玲、中木健二、上野通明(チェロ)
阪田知樹(ピアノ)
金子平(クラリネット)


弦楽五重奏曲:
第1番 ヘ長調 Op.88 (ゴトーニ/小林/田原/村上/上野)
第2番 ト長調 Op.111 (米元/小川/鈴木/村上/辻󠄀本)
クラリネット:
三重奏曲 イ短調 Op.114 (金子/中木/阪田)
五重奏曲 ロ短調 Op.115 (金子/諏訪内/ゴトーニ/鈴木/辻󠄀本)
-----アンコール-----------------
ブラームス:f.a.e.ソナタ第3楽章(諏訪内/坂田)




♪2022-035/♪東京オペラシティコンサートホール-2

ブラームス 室内楽マラソンコンサート第2部

2022-03-13 @東京オペラシティコンサートホール


諏訪内晶子、マーク・ゴトーニ、米元響子、小林美樹(バイオリン)
鈴木康浩、田原綾子、村上淳一郎(ビオラ)
辻󠄀本玲、中木健二、上野通明(チェロ)
阪田知樹、髙木竜馬(ピアノ)
葵トリオ<秋元孝介(ピアノ)、小川響子(バイオリン)、伊東裕(チェロ)>


弦楽六重奏曲:
第1番 変ロ長調 Op.18 (米元/小林/村上/田原/辻󠄀本/中木)
第2番 ト長調 Op.36 (ゴトーニ/諏訪内/鈴木/田原/上野/辻󠄀本)

ピアノ四重奏曲:
第1番 ト短調 Op.25 (鈴木/葵トリオ<秋元-小川-伊藤>)
第2番 イ長調 Op.26 (ゴトーニ/田原/中木/髙木)
第3番 ハ短調 Op.60 (米元/鈴木/辻󠄀本/阪田)

ピアノ五重奏曲 ヘ短調 Op.34 (米元/田原/葵トリオ<秋元-小川-伊藤>)


Ⅰ部はパスしたが、結果的には聴くべきだった。半日聴くのはツライかと思ったが、Ⅱ部&Ⅲ部を通しても案外、平気だった。

終演がEnc含め21:40頃。
13:30開始だから「ラインの黄金」と「神々の黄昏」をいちどきに鑑賞したみたいなものだ。

開演前にBGM代わりにPfの演奏があった。その音が重くて硬くて、近頃どのホールでも経験しているが、都内の大ホールの中では響きの良い武満Hでもこの音じゃ、かなわんな、と思ったが、不安的中、弦六が始まってもやはり硬い。

弦に潤いがないのが悲しい。

ところが、Pf四以降は響きがころっと変わって、明瞭で美しい。
なぜ?
Pfの音まで変わった理由は分からないが、弦については多分、配置が変わったから。
弦6本が半円状に並ぶとどうしても客席から離れてしまう。

Pf四ではPfの前にこじんまりと弦3人が並ぶので弦六の配置と比べて2m〜3m前方になった。さらに弦の後ろではPfの屋根が音を跳ね返す。これで、調子が出た。

前方一桁列のそれも前の方で聴いていたので配置の違いによる響きが如実だったが、遠くで聴いていたらあまり変化は感じなかったかも。

そんな訳でPf四以降は響きに何の不満もなく、全てを楽しんだ。
色々と発見もあった。CD等ではよく聴いているつもりでも、やはり聴き流していることが多い。生演奏が齎す緊張の中に身を置くと、新鮮なフレーズを発見したり、ブラームスが緻密に設計した内声の重音の美しさに気づいたり。

16人が入れ替わり立ち替わり登場した。殆どは何度も聴いているが、初めての人もいた。おそらく今回初顔合わせEnsが多い中で、唯一既成Ensの参加は葵Trioで、Vnの小川響子は以前に凄腕を聴いていたが、Trioとしては初めて(4重奏の中の面子として参加)聴いた。今後は注意しておこう。

♪2022-034/♪東京オペラシティコンサートホール-1

2015年9月21日月曜日

読売日本交響楽団第82回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2015-09-21 @みなとみらいホール


尾高忠明:指揮
諏訪内晶子:バイオリン*
読売日本交響楽団

リャードフ:魔法にかけられた湖 作品62
モーツァルト:バイオリン協奏曲 第5番 イ長調 K.219「トルコ風」*
チャイコフスキー:交響曲 第4番 ヘ短調 作品36
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アンコール
チャイコフスキー:弦楽のエレジー~イワン・サマーリンの想い出

たまたま重なったのだけど、18日から21日までの4日間で6つのコンサートを聴いた。うち2日間は音楽堂とミューザ川崎シンフォニーホール、音楽堂とみなとみらいホールのハシゴだった。
こんなに重なることはこれまでの観賞歴では無かったことで、いささかコンサート疲れをしていた、その最後のコンサート。

予習するゆとりが無く、何が演奏されるのかも確かめず、チケットだけ持って出かけた。
席に着いてから気がついたけど、今、かけているメガネは外出用じゃない!自宅で読書やパソコン作業をするためのメガネなので度が弱く手元が見やすい代わりに遠くは全然焦点が合っていない。

音楽を聴く上でメガネはどうでもいいか、というとそうではない。
音楽は聴くだけより演奏ぶりを見ることで多くの情報と感興が得られる。
特に、この日はソロ・バイオリニストが諏訪内晶子だ。
多分、日本のこの熟女年代のバイオリニストの中では一番美形ではないかな。その彼女の表情が全くボケてしまったのが残念!って話が違うか。


リャードフという作曲家の存在は知らなかった。
19世紀後半から20世紀初頭のロシアの作曲家・指揮者・教師でリムスキー・コルサコフの門下、プロコフィエフの教師筋に当たるらしい。
「魔法にかけられた湖」はプログラムには楽曲の形式について何も書いてなかったが、Wikipediaでも手元の参考書でも「交響詩」と記載されている。
バイオリンが終始細かい音形を刻んでいる。これが湖のさざなみなのだろう。そこに木管が断片的なメロディを繋いでゆくが、全体としてはぼんやりとした雰囲気で始まり、ぼんやりと終わる。ドビュッシーの(牧神の午後への前奏曲などの)先取りのような印象だ。

モーツァルトの最後のバイオリン協奏曲と目されている第5番(全部で7曲書いたとされていたが、今では6番と7番は偽・疑作とされている。)はCDや放送などで時々耳にするが、これもナマで聴くのは初めてだった。
終楽章はメヌエット(3拍子)だが、中間部の短調・2拍子の部分が「トルコ風」と言われれば、ナルホドそうだったのか、と納得。


チャイコフスキーの4番はホルンとファゴットによる耳タコの勇ましいファンファーレで始まり、このフレーズが全曲を通じて顔を出し、終楽章後半でも再現される。運命のファンファーレというらしい。
プログラムの解説では、「運命と逃避」というキーワードで全体を説明してあったがそんな聴き方はしたことがないので、よく分からなかった。最後は盛り上がって終曲するが、あれはどこかに逃避する逃げ足を表しているのだろうか。

ま、そんなことは考えなくとも哀愁や激情が聴き手の心を掴んで離さない語り口のうまさがチャイコの身上だろう。


♪2015-92/♪みなとみらいホール-27