2015年3月15日日曜日

横浜交響楽団第656回定期演奏会

2015-03-15 @県立音楽堂


飛永悠佑輝:指揮
伊藤七生:チェロ
横浜交響楽団

【協奏曲と交響曲の名曲①)】
1 ドボルザーク:チェロ協奏曲ロ短調
2 チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調
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アンコール
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲から第6番第6曲ジーグ
ドボルザーク:スラブ舞曲作品72 第2番 マズルカ ホ短調


横響の演奏会は、昨年末の県民ホールでの「第九」以来だ。
その前後の演奏会も他のオケとバッティングしたりして参加できなかったので、横響の本拠地音楽堂での演奏会は去年の7月以来ということで、なんだか新鮮だった。

女性団員は色とりどりのドレスで華やかなこと。
そういえば、昨年の神奈川フィルのニューイヤーコンサートでも女性陣はカラフルなドレスで登場したが、やはり黒ずくめよりいい。毎月だったら衣裳の準備が大変だろうけど。今日なんか、友達の結婚式以来のドレスに袖を通したという人もいたろうな。

ドボルザークのチェロ協奏曲はあまりにも有名だけど、これが案外生で聴く機会が少なく何年ぶりか分からないほど久しぶりだ。
一方で、チャイコフスキーの交響曲第5番は今月だけで3回目という偏向ぶり。

さて、久しぶりの横響。いい響きだったなあ。
チャイコの第2楽章は某楽器の聴かせどころだけど、これがなかなか難しいようで、プロでも失敗するのを今月2回とも聴いているが、果たして、やはりちょいと残念だった。でも、そこを除けば、2曲ともほとんど破綻なくて良い出来だった。
もちろん、細かいニュアンスの表現においてはゆき届いていないけど、そこまでできたらプロがかわいそう。

音楽堂は残響の極めて短いホールなので、ごまかしが効かず演奏家泣かせだと思うが、ここでこれだけ整った(澄んだとまでは言い難いが)響きを聴かせるなんて、大したものだ。



チェロ独奏の伊藤七生さん。
「ななお」と読むのかと思い、てっきり男性だと思っていたら「ななみ」さんでまだ若い女性だった。これじゃ、単眼鏡を持ってゆけば良かった。
横浜出身、目下売り出し中だ。

よく鳴って音量の不満もない。演奏に破綻も感じなかった。欲を言えば、これは僕の好みだけど、もう少し、ガリガリと脂が飛び散るような無骨な音を、特に第3楽章のチェロの出だしなど聴きたかったな。

アンコールに、バッハ無伴奏チェロ組曲のなかの1曲を弾いてくれたのだけど、これが手強かったなあ。チェロ1本で聴かせる作品なので、演奏者の音楽の呼吸まで聴き取れてしまうのだけど、ここに僅かな破綻が生じた。音程の甘い部分があったのは残念だ。協奏曲では全く不安を感じさせなかったけど、やはり、バッハ恐るべし。今後の精進を期待しますよ。


♪2015-25/♪県立音楽堂-02

2015年3月14日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第305回横浜定期演奏会

2015-03-14 @みなとみらいホール


アレクサンドル・ラザレフ:首席指揮者
日本フィルハーモニー交響楽団

チャイコフスキー:バレエ音楽《眠れる森の美女》(ラザレフ版)
ムソルグスキー(ラヴェル編曲):組曲《展覧会の絵》
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アンコール
E.エルガー:「子どもと魔法の杖」からⅦ野生のくま


昨日のコンサートは難解で眠りたくなったが、今日は耳に優しい曲ばかりでむしろ心地よくて眠りそうになった。

「眠れる森の美女」はバレエ音楽《眠れる森の美女》から指揮者のラザレフが8曲を選んで組曲化したもの。

初めて聴くような曲もあったが「ワルツ」のように超有名曲も混じっており、全体にチャイコフスキーの名調子で溢れている。

このバレエ音楽の組曲化について蘊蓄を傾けると、チャイコフスキーの3大バレー(「白鳥の湖」、「くるみ割り人形」、「眠れる森の美女」)のうち、チャイコフスキー自身がバレエ音楽から演奏会用に組曲化したものは組曲「くるみ割り人形」だけで、「白鳥の湖」と「眠れる森の美女」の組曲化はその都度いろんな指揮者が適宜選んで編成しているようだ。
ほとんど、組曲と称しているが要するに抜粋版であり、カラヤン版もムーティ版もレヴァイン版も5曲で構成されているが、中にはオーマンディー版のように26曲も含まれているものもある。

ラザレフの選んだ8曲は以下のとおり。
①序奏とリラの精
②パ・ドゥ・カトル(宝石の精たちの踊り)
③長靴をはいた猫と白い猫
④パ・ドゥ・カトル(4人の踊り)
⑤グラン・パ・ド・ドゥ…アダージョ
⑥パノラマ
⑦ワルツ
⑧アダージョ…パ・ダクシオン


続いて「展覧会の絵」。
これはいろんな編曲版があるが、今日は最もオーソドックスなラベルのオーケストレーションだ。
全10曲に5曲のプロムナードが付いている。

最初のプロムナードはトランペットソロから始まる金管ファンファーレで、これが上手だった。いや、プロだから当然だけど、実に気持ちのよい音がストレートに届いてくる。
この曲はオーケストレーションの見本というかデパートというか、多彩な楽器を使いこなして管弦楽の楽しさを満喫できる。
ほぼ完璧な出来で印象に残る演奏だった。

指揮のラザレフはいつもそうだけど、演奏が終わると大はしゃぎで可愛らしいところがある。オーケストラ団員を一生懸命に持ち上げ、観客に感謝を表し、最後は楽譜を持ち上げてこの音楽に感謝と言っているのだろうか。
オーケストラの団員も観客もついつい微笑ましくて拍手喝采だ。こういう観客サービスは感じがいい。


♪2015-24/♪みなとみらいホール-10

2015年3月13日金曜日

東京交響楽団 川崎定期演奏会 第49回

2015-03-13 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ジョナサン・ノット:指揮
アレックス・ペンダ:クンドリ(ソプラノ)
クリスティアン・エルスナー:パルジファル(テノール)

ベルク:「抒情組曲」より 3つの小品
ワーグナー:舞台神聖祝典劇「パルジファル」抜粋


聴いたことがない曲でも馴染みの少ない曲でも、そしてそれがコムツカシイ曲でさえ、ナマの音楽はふしぎにそれなりの音楽の楽しさを感じさせてくれるものだ。

でも、さすがに今日のプログラムはダメだったな。
日頃の不摂生がたたっての体調不十分に加え、今日のプログラムはコムツカシイものばかりだった。

ベルク(1885-1935)は無調音楽や12音技法の作曲家だ。12音技法の中に調性を織り込んだものも作ったらしいが、どんな曲なのかしらない。
これまでも積極的に聴いたことがないけど、否応なく耳に入ってきたものはちんぷんかんぷんな音楽ばかり。
彼はユダヤ人ではないけど、ナチスからは「退廃音楽家」と言われドイツでの演奏が禁止されたそうだが、ヒットラーでなくとも禁止したくなるような音楽だ(相当非文明的な問題発言だな!)。

「抒情組曲」はベルク40歳頃の作品。
彼の不倫が作曲の端緒になったらしいが、それなら少しはロマンチックな香りを嗅がせて欲しいが、僕の耳にも鼻にも伝わってくるのはメロディもなくリズムもなく、もちろん調性のない、だらだらとした牛の涎のような音楽だった。

どんな音楽でも馴染んでくればまあ楽しめるものだけど、ルネサンスから後期ロマン派に民族楽派などの音楽さえあれば僕としては十分なので、ベルクやシェーンベルグなどのややこしい音楽とは無理をしてまで付き合わなくともいいと思っている。



ワーグナーも古典的な音楽の骨格に楔を打って近現代の音楽を先取りしたところがあって、僕には面白さ半分、退屈半分だ。
クラシック音楽界の巨人というべき位置に立つと思うが、僕の思いは非常に屈折している。

ワーグナーの作品で我々が聴くことができるのはほとんど歌劇・楽劇(の音楽)で、例外は「ジークフリート牧歌」くらいか。
他に、管弦楽曲や室内楽も作曲しているようだけど、CDも発売されていないし、コンサートでも取り上げられない。
つまるところ、彼の楽劇を楽しめるかどうかがワーグナーを楽しめるかどうかど同義だ。


楽劇「指環」4部作など大好きで、非常に面白い。
トリスタンとイゾルデの音楽も許容範囲だ。
でも、「パルジファル」はこれまでにいくらでも聴く機会があったのにスルーしている。METを始め3種類もビデオディスクを持っているけどいずれも最後まで視聴したことがない。
最初の取っ付きが悪かったのだろう。食わず嫌いかもしれないが。


今日は、生でその音楽を聴けるのが、一歩お近づきになれる良い機会だろうと思っていた。
パルジファル役のテノールとクンドリ役のソプラノが登場して演奏会形式で、オリジナル全3幕4時間強から第2幕を中心に60分で聴かせる趣向だ。
歌には字幕が表示されるのだけど、そもそも全篇の物語の流れを承知していなければなかなか抜粋を楽しむことはできないものだということがよく分かった。

音楽自体も決して分かりやすいものではない上に、抜粋の字幕だけでは物語を追うことができなかった。

また、実際問題として困ったのはどのタイミングで拍手をするか、ということだ。
ワグナーは全幕の拍手を禁じ、今でも第1幕のあとはカーテンコールはしない習慣が権威筋では残っているそうだ。加えて演奏会形式の抜粋ではアリア毎に拍手すべきかどうか迷う。この点はほかの観客も同様で、最初の方のパラパラの拍手はそのうち鳴り止んでしまった。

プログラムに、もう少し丁寧な解説と鑑賞のあり方を書いてくれていたら良かったが、この点、配慮に欠けた。

♪2015-23/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-05

2015年3月11日水曜日

みなとみらいクラシック・クルーズ Vol.65 横浜シティオペラ メンバーによるオペラハイライト

015-03-11 @みなとみらいホール


横浜シティオペラ メンバー
服部容子(Pf)

マスカーニ:歌劇 『カヴァレリア・ルスティカーナ』 (イタリア語)ハイライト

サントゥッツァ⇒松井美路子(Sop)
トゥリッドゥ⇒ 倉石真(Ten)
ルチア⇒    川口美和(Mez)
アルフィオ⇒  竹村淳(Bar)
ローラ⇒    小田切一恵(Sop)

ナレーション⇒ 柳澤涼子


クラシッククルーズ2014下半期ラストステージはオペラハイライト。
演奏会形式ではなく、一応簡素な舞台(能舞台のようなものだ)が作ってあって、一本のオペラの聴きどころを抜粋し、ナレーションで補うという形で40分でまとめてしまおうという大胆な試みだ。伴奏もピアノ1台。

「カヴァレリア・ルスティカーナ」は名前はよく聴いて、間奏曲と主人公(テノール)のアリア「母さん、このぶどう酒は強いね」は有名で、知っていたが、ほかの曲は聴き覚えがなかった。
正規のオペラもビデオで持っているので、一度くらいは視聴しているはずだけどいい加減なものだ。

今日の簡素版は歌手が5人、ピアノが1人、ナレーションが1人で、二重唱を含むアリア計7曲とつなぎのレシタティーヴォ?で物語が構成された。
突っ立って歌うだけではなく、それなりの衣装を着て演技も付いているので、まあ、まさしく、簡素なオペラを楽しむことができた。
正規のオペラを聴く前にこういうダイジェスト版を経験しておくのは理解が深まっていい。
もっとも、この「カヴァレリア・ルスティカーナ」は全篇でも1時間強の作品だから、今日のダイジェスト版でもほぼ物語の進行に違和感はなかったのだけど。


若気の至りの恋が原因で青年が命を落としてしまう悲恋物語。
クライマックスでは迫真の演技に思わず気持ちが高まった。
字幕がついておればなお良かったけど、イタリア語上演。
まあ、梗概を読んでいたので、大体は理解できたけど。


♪2015-22/♪みなとみらいホール-09

2015年3月7日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団第307回定期演奏会

2015-03-07 @みなとみらいホール


広上淳一:指揮
小林美樹:バイオリン
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

ラーション:田園組曲 Op19
ステンハンマル:2つの感傷的なロマンス Op28
シベリウス:(バイオリンと弦楽のための)組曲ニ短調  Op117
シベリウス:交響詩「タピオラ」 Op112
グリーグ:「ペール・ギュント」第1、第2組曲
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アンコール
菅野祐悟:「天才官兵衛」(軍師官兵衛から)


3月に入って最初の1週間で、神奈川フィルの定期演奏会が2回。定期外演奏会が1回と、神奈フィルウィークだ。

さて、今日は北欧特集だった。
と言っても、シベリウス(フィンランド。今年生誕150年)、グリーグ(ノルウェー)は知っているけど、ラーションとステンハンマルなんて名前も音楽も聞いたことないぞ!

そのラーション(ラーシュ=エリク・ラーション)は1908年にスウェーデンで生まれ、亡くなったのは1986年だからまさに20世紀の人だ。
ベルクに師事し12音技法を学んだと解説にあるから相当難しい音楽かなと思っていたが、「田園組曲」に限っては、後期ロマン派を思わせる分かりやすく(調性もある)、軽妙な音楽だった。3つの部分「序曲」、「ロマンス」、「スケルツォ」でできているが、古典的な意味での「組曲」は舞曲の集まりだから、これはむしろ交響詩のような感じか。

次のステンハンマル(ヴィルヘルム・ステンハンマル)は同じくスウェーデン人で1871年生まれ。ラーションより一世代前だ。でも活躍したのは20世紀。
どんな音楽だろうかと思っていたら、「2つの感傷的なロマンス」もやはり後期ロマン派でも通るような作風だ。
独奏バイオリンと管弦楽によるバイオリン協奏曲風だ。タイトルどおりにセンチメンタルなメロディーをバイオリンが咽び泣くように奏でる。


独奏バイオリンの小林美樹は前回のヴィエニャフスキ国際コンクール(5年に1回)で2位になった人だ。この1年で3回目になるが、舞台度胸も貫禄が出てきたように思う。

次は同じ小林美樹の独奏でシベリウスのバイオリンと弦楽のための組曲。
3つの小品からできていて、いずれも親しみやすい。作品番号から、たぶん最後の作品だが、交響曲や交響詩に見られるようなフィンランドのどんよりした冷気などとは無縁で明るい。
なかなか聴けない曲だと思うので、ようやく見つけたYoutubeのリンクを張っておこう。

タピオラも良い演奏だった。


しかし、一番はやはり本日のメインイベント「ペール・ギュント組曲」だった。

若い時分からこれが好きで、ボロボロに成ったピアノ用スコアを今も持っているが、発行年月日が記載されていないけど、日本楽譜出版社発行で値段は50円。因みに同じ会社の同じスコアは現在540円だ。ああ、いったい何年前の楽譜だろう。


第1、第2組曲計8曲がどれも魅力的だ。
中でも「オーゼの死」や「ソルベーグの歌」は胸かきむしられる甘美で哀愁に満ちている。特に「ソルベーグの歌」は物語を知っているだけに胸に迫るものがあったな。

今日の神奈川フィル。
全く破綻を感じさせなかった。
響がよく統率されているし、管楽器で目立つような部分もなく、久しぶりに大いなる満足を味わった。

日本一忙しい指揮者らしい広上淳一の力量がオケの団員にも乗り移ったか。
シーズンの掉尾(ちょうび)を飾るにふさわしい良い出来栄えだった。

♪2015-21/♪みなとみらいホール-08

2015年3月5日木曜日

3月歌舞伎公演 「梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)-髪結新三-」 「三人形(みつにんぎょう)」

2015-03-05 @国立劇場


中村橋之助 ⇒髪結新三(しんざ)
中村錦之助 ⇒弥太五郎源七/若衆
市川門之助 ⇒手代忠七(ちゅうしち)
中村松江  ⇒加賀屋藤兵衛
中村児太郎 ⇒白子屋(しろこや)お熊/傾城
中村国生  ⇒下剃勝奴/奴
坂東秀調  ⇒車力善八
市村萬次郎 ⇒家主女房お角(おかく)
市村團蔵  ⇒家主長兵衛 
市川荒五郎   ⇒按摩徳市
市川門松  ⇒合長屋権兵衛
中村芝喜松   ⇒白子屋後家お常
中村芝のぶ   ⇒白子屋下女お菊
中村橋吾      ⇒肴売新吉
坂東玉雪      ⇒大工勘六・夜そば売仁八

  ほか(/は「三つ人形」の役)


河竹黙阿弥=作
●梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)
三幕六場
            - 髪結新三 - 
            国立劇場美術係=美術      

序 幕 白子屋見世先の場
    永代橋川端の場

二幕目 冨吉町新三内の場
    家主長兵衛内の場
    元の新三内の場

大 詰 深川閻魔堂橋の場   


●三人形(みつにんぎょう) 常磐津連中  
国立劇場美術係=美術 


髪結新三(かみゆいしんざ)の名前はこれまでも耳にし、目にしてきたが、どういう話か全く知らなかった。

新三は出前床屋だ。
江戸時代にはそういう職業があったらしい。主に大店の帳場に出入りして店の番頭だの丁稚だのの髪を結うのを生業にしていたのだが、そういう仕事柄から、得意先ではあれやこれやの面白おかしい話を耳にすることがあり、この芝居で描かれる白子屋お熊の事件も、新三が出入りの材木問屋白子屋で娘の嫌がる婿養子の件を小耳に挟んだことから大事に発展してゆく。

元々は実話で、元禄から亨保に時代が変わった頃の江戸下町で起こった。
人形町の少し北側に昔は新材木町という町があった(今では堀留町になっている。)。その名のとおり材木問屋が軒を並べていたようだ。その中に、白子屋という老舗があったが、台所は火の車。
そこで、娘お熊に持参金付きの婿養子を取った。

ところが、お熊には末を約束していた手代の忠七(ちゅうしち)がいたため、結婚後も忠七と密通を重ね、親も黙認していたが、いよいよ欺瞞の結婚生活に我慢できず、亭主毒殺を謀って失敗。次に下女にカミソリで切りつけさせるもこれも失敗し、ついに事件は表沙汰に。

これを裁いたのが大岡忠相(享保の改革によって南町奉行に取り立てられた。大岡裁きの話のほぼ全てはほかの役人が担当したか、あるいはつくり話だそうで、唯一本当に忠相が担当したといわれているのがこの白子屋お熊の事件だそうな。)。
関係者は厳しく罰せられた。

主犯であるお熊は町中引廻しの上獄門となったが、その際お熊は、白無垢の襦袢と中着の上に当時非常に高価であった黄八丈の小袖を重ね、水晶の数珠を首に掛けた華やかな姿で野次馬たちの目を奪ったそうだ。


この実話を基にしているが、この芝居ではお熊の犯罪は全く描かれず、おそらく創作上の人物であろう髪結新三が、婿養子に難色を示すお熊と手代の忠七との仲を知って、一儲けしようという話になっている。

興味深いのは、主要な登場人物は悪党ばかり、という点だ。

忠七を騙し、お熊をかどわかしてこれを材料に白子屋をゆすろうとする新三はもちろん悪党。
その近辺の顔役で侠客を気取っている源七はお熊を助け出そうとしたが髪結風情にコケにされて面目をなくす。が元は悪党。
新三と巧みに交渉して身代金の大半を着服する家主の長兵衛もやはり悪党。

新三をめぐって2人の悪党がお熊を解放させようとするが、親分肌の源七が失敗し、年寄りの長兵衛がしてやったりなのは、新三には長兵衛の損得勘定の説得に屈したというより、同じワルの気配を感ずるものがあったからだろうと思う。

この2人は、悪党だがいずれも愛嬌があって憎めない。
江戸の町衆を束ねる価値観を彼らの生き様にみるような気がした。

粋、いなせ、きっぷ、といった(説明の難しい)人の生きざまは、ここで描かれるような町衆の中で育まれてきたんだろうなあ、と思った次第。

新三の悪巧みは長兵衛によって期待外れに終わってしまうが、思わぬ儲けを手にした長兵衛も以外な顛末が待ち受けていて、ここは大笑い。なるほど、「髪結新三」って歌舞伎だけでなく落語にもなっているんだ。

江戸町民の暮らしぶりを描く話(「世話物」)だけに、派手さはなく、見得を切る場面も殆ど無いので、大向うも出番が少ないのは寂しいけど、人間ドラマとしては良くできている。


橋之助は初役だそうだが、新三の憎めない小悪党ぶりが板についてとても良かった。

また、家主夫婦を萬次郎と團蔵が実に軽妙に演じて楽しかった。

源七を演じた錦之助も、これは非常に難しい役だと思うけど自然体でよかったと思う。

大道具などの美術も、江戸下町の物語なので、リアルで地味だが、唯一、初鰹の作り物には驚いた。このユーモアが歌舞伎の世界にもシラーっと顔を出すのがおかしい。


「三人形」は常磐津による舞踊劇だ。
長唄(とプログラムには書いてあったが、常磐津じゃないのだろうか?)の詞章(ししょう⇒語り物の文章)は耳では残念ながらほとんど聞き取れない。刷り物を読めば何が書いてあるかは分かるけど意味はいまいち。
ああ、昔の人はこれで理解できたのだろうなと思うと、自国の古典が理解できないのが情けない。

が、人形に見立てたきれいなお兄さんお姉さんが、桜満開の吉原を模した書割を背景に踊る姿は、いと美し。


♪2015-20/♪国立劇場-02