2015年3月13日金曜日

東京交響楽団 川崎定期演奏会 第49回

2015-03-13 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ジョナサン・ノット:指揮
アレックス・ペンダ:クンドリ(ソプラノ)
クリスティアン・エルスナー:パルジファル(テノール)

ベルク:「抒情組曲」より 3つの小品
ワーグナー:舞台神聖祝典劇「パルジファル」抜粋


聴いたことがない曲でも馴染みの少ない曲でも、そしてそれがコムツカシイ曲でさえ、ナマの音楽はふしぎにそれなりの音楽の楽しさを感じさせてくれるものだ。

でも、さすがに今日のプログラムはダメだったな。
日頃の不摂生がたたっての体調不十分に加え、今日のプログラムはコムツカシイものばかりだった。

ベルク(1885-1935)は無調音楽や12音技法の作曲家だ。12音技法の中に調性を織り込んだものも作ったらしいが、どんな曲なのかしらない。
これまでも積極的に聴いたことがないけど、否応なく耳に入ってきたものはちんぷんかんぷんな音楽ばかり。
彼はユダヤ人ではないけど、ナチスからは「退廃音楽家」と言われドイツでの演奏が禁止されたそうだが、ヒットラーでなくとも禁止したくなるような音楽だ(相当非文明的な問題発言だな!)。

「抒情組曲」はベルク40歳頃の作品。
彼の不倫が作曲の端緒になったらしいが、それなら少しはロマンチックな香りを嗅がせて欲しいが、僕の耳にも鼻にも伝わってくるのはメロディもなくリズムもなく、もちろん調性のない、だらだらとした牛の涎のような音楽だった。

どんな音楽でも馴染んでくればまあ楽しめるものだけど、ルネサンスから後期ロマン派に民族楽派などの音楽さえあれば僕としては十分なので、ベルクやシェーンベルグなどのややこしい音楽とは無理をしてまで付き合わなくともいいと思っている。



ワーグナーも古典的な音楽の骨格に楔を打って近現代の音楽を先取りしたところがあって、僕には面白さ半分、退屈半分だ。
クラシック音楽界の巨人というべき位置に立つと思うが、僕の思いは非常に屈折している。

ワーグナーの作品で我々が聴くことができるのはほとんど歌劇・楽劇(の音楽)で、例外は「ジークフリート牧歌」くらいか。
他に、管弦楽曲や室内楽も作曲しているようだけど、CDも発売されていないし、コンサートでも取り上げられない。
つまるところ、彼の楽劇を楽しめるかどうかがワーグナーを楽しめるかどうかど同義だ。


楽劇「指環」4部作など大好きで、非常に面白い。
トリスタンとイゾルデの音楽も許容範囲だ。
でも、「パルジファル」はこれまでにいくらでも聴く機会があったのにスルーしている。METを始め3種類もビデオディスクを持っているけどいずれも最後まで視聴したことがない。
最初の取っ付きが悪かったのだろう。食わず嫌いかもしれないが。


今日は、生でその音楽を聴けるのが、一歩お近づきになれる良い機会だろうと思っていた。
パルジファル役のテノールとクンドリ役のソプラノが登場して演奏会形式で、オリジナル全3幕4時間強から第2幕を中心に60分で聴かせる趣向だ。
歌には字幕が表示されるのだけど、そもそも全篇の物語の流れを承知していなければなかなか抜粋を楽しむことはできないものだということがよく分かった。

音楽自体も決して分かりやすいものではない上に、抜粋の字幕だけでは物語を追うことができなかった。

また、実際問題として困ったのはどのタイミングで拍手をするか、ということだ。
ワグナーは全幕の拍手を禁じ、今でも第1幕のあとはカーテンコールはしない習慣が権威筋では残っているそうだ。加えて演奏会形式の抜粋ではアリア毎に拍手すべきかどうか迷う。この点はほかの観客も同様で、最初の方のパラパラの拍手はそのうち鳴り止んでしまった。

プログラムに、もう少し丁寧な解説と鑑賞のあり方を書いてくれていたら良かったが、この点、配慮に欠けた。

♪2015-23/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-05