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2019年2月9日土曜日

N響第1906回 定期公演 Aプログラム

2019-02-09 @NHKホール


パーヴォ・ヤルヴィ:指揮
NHK交響楽団
アリョーナ・バーエワ:バイオリン*

R.シュトラウス:バイオリン協奏曲ニ短調 作品8
ハンス・ロット:交響曲第1番ホ長調*
-----アンコール-----
イザイ:無伴奏バイオリン・ソナ第5番ト長調 作品27-5から第1楽章「曙光」*

神奈川フィルでハンス・ロットを聴いた同じ日に、N響で同じ曲を聴くと、N響の次元の違う巧さに感心する。

ハンス・ロットのゴテゴテした音の厚塗りも透明感を得て管弦楽の妙となる。同日さほど時を置かずに2回目を聴いたせいもあるが、全体の骨格も見通しが良くなった。

とはいえほぼ全曲にわたって全奏・強奏が鳴り響く音楽は、スペクタクル巨編の映画音楽かゲーム音楽のようで、訴え方がモロに原始脳を刺激するので品が無く、聴いてい大いに疲れる。

多くの人は、コンテンツではなくこの音楽が纏う悲劇性というコンテキストに気持ちを奪われた結果心を寄せるのではないか、と思っているが、かくいう僕もブラームスが「美しい部分もあるが、残りは平凡で無意味」と手厳しく看破したというエピソードに囚われているのかもしれない。

R.シュトラウスのバイオリン協奏曲はCDで多少馴染んでいるけど、ナマは初聴きだった。適度にロマンチック。適度な叙情性。これがなんと17歳の作品とはとても思えない。
ハンス・ロットの交響曲が22歳の作品だが、これに比べてもとても老成した感がある。栴檀は双葉より芳しか。

バイオリン独奏は、こちらも初聴きアリョーナ・バーエワ嬢。アンネ・ゾフィー・ムターの若い頃に感じがよく似ている。妖艶で見た目も楽しませる。ステージから袖に引っ込む時に深く割れたドレスの襞が開いて長い美脚がチラと見えたぞ。

♪2019-014/♪NHKホール-01

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第347回

2019-02-09 @みなとみらいホール


川瀬賢太郎:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
藤村実穂子:メゾソプラノ*

マーラー:リュッケルトによる5つの歌*
 美しさゆえに愛するなら
 私の歌を見ないで
 私は優しい香りを吸い込んだ
 私はこの世から姿を消した
 真夜中に
ハンス・ロット:交響曲第1番ホ長調

「リュッケルトによる5つの歌」は前にN響定期でケイト・ロイヤルのソプラノで聴いた。バリトンが歌っている例もあるし、今回はメゾ・ソプラノだ。その都度オケの伴奏楽譜は移調するのだろうか?
いずれにせよ、馴染めない音楽だ。

藤村実穂子は3度め。世界的な実力者との評判だが、悲しいかな、その実力のほどはいつも実感できないでいる。オペラを1本聴けば感情移入できるようになるかもしれない。フツーに巧いとは思うのだけど。

さて、巷で噂のハンス・ロット交響曲1番。マーラーとはウィーン音楽院で学友だったそうだ。しかし、彼は作品が評価されず、精神を病んで25歳で夭逝し、マーラーとは対極の人生を送った。

その交響曲第1番は、その第1楽章を音楽院の卒業コンクールに提出したが師のブルックナー以外の誰からも評価されず、マーラーの作品が優勝した。
その後全曲を完成させ、ブラームスに見せたところ、「美しい部分もあるが、残りは平凡で無意味」と酷評されたそうだ。そのことも彼が精神を病むこととなった原因の一つらしい。

そのような悲劇的な人生を送った青年の音楽というコンテキストを纏った作品が、それにふさわしいコンテンツを擁するのかが聴きものである。

冒頭のトランペットの音が美しくなく、木管とのアンサンブルもモタついた出発で印象を損ねたが、その後は持ち直し、神奈川フィルは醜女の厚塗りのような音楽をとても熱演した。

しかし、やはり、若作りの音楽で、やりたいことをこの1曲で全部やってしまったようで、油絵の具を幾重にも塗り重ねたような派手で執拗すぎる音楽には共感できなかった。ブラームスの見立ては正しいと思う。

尤もマーラー程長生きしたら俗なりに大成したかも。

♪2019-013/♪みなとみらいホール-03