2016年10月27日木曜日

国立劇場開場50周年記念 通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら) 第一部 四幕九場

2016-10-27 @国立劇場


平成28年度(第71回)文化庁芸術祭主催
竹田出雲・三好松洛・並木千柳=作
通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)第一部四幕九場
国立劇場美術係=美術

大序   鶴ヶ岡社頭兜改めの場
二段目  桃井館力弥使者の場
       同 松切りの場
三段目   足利館門前の場
            同 松の間刃傷の場
            同 裏門の場
四段目   扇ヶ谷塩冶館花献上の場
            同 判官切腹の場
            同 表門城明渡しの場

(主な配役)⇒10/03のノート参照

初日に観たが、いよいよ第2部の公演も近づいて、復讐と予習を兼ねて千秋楽にも出かけた。

すっかり、頭に入っていたつもりだけど、見逃していた部分などもあって良い勉強になった。

やはり、4段目の判官切腹の場からの緊張感がいい。役者陣も1ヶ月近く演じてきただけに息が合ってきたのだろう。
観ている側の気持ちも、劇中にシンクロしてゆくようだった。
由良之助の幸四郎も、初日に感じたほどにはクセを感じなかった。
初日には足元がふらついた團蔵もシャキッと有終の美を飾った。

第2部が楽しみだ。
第2部も第3部も2回観ることにしている。
めったに観られない全段完全通しを全身全霊で味わいたいものだ。

♪2016-148/♪国立劇場-06

2016年10月25日火曜日

中村橋之助改め 八代目 中村芝翫 中村国生改め 四代目中村橋之助     中村宗生改め 三代目中村福之助 中村宜生改め 四代目中村歌之助 襲名披露      芸術祭十月大歌舞伎

2016-10-25 @歌舞伎座


山口晃 作
寛徳山人 作
一 初帆上成駒宝船(ほあげていおうたからぶね)
橋彦⇒国生改め橋之助
福彦⇒宗生改め福之助
歌彦⇒宜生改め歌之助

二 女暫(おんなしばらく)
巴御前⇒七之助
舞台番松吉⇒松緑
轟坊震斎⇒松也
手塚太郎⇒歌昇
紅梅姫⇒尾上右近
女鯰若菜⇒児太郎
局唐糸⇒芝喜松改め梅花
東条八郎⇒吉之丞
江田源三⇒亀寿
猪俣平六⇒亀三郎
成田五郎⇒男女蔵
清水冠者義高⇒権十郎
蒲冠者範頼⇒又五郎
     
三 お染 久松 浮塒鷗(うきねのともどり)
女猿曳⇒菊之助
お染⇒児太郎
久松⇒松也

河竹黙阿弥 作
四 極付 幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)
「公平法問諍」
幡随院長兵衛⇒橋之助改め芝翫
女房お時⇒雀右衛門
唐犬権兵衛⇒又五郎
伊予守源頼義⇒七之助
坂田公平⇒亀三郎
御台柏の前⇒児太郎
極楽十三⇒国生改め橋之助
雷重五郎⇒宗生改め福之助
神田弥吉⇒宜生改め歌之助
下女およし⇒芝喜松改め梅花
舞台番新吉⇒吉之丞
坂田金左衛門⇒男女蔵
出尻清兵衛⇒松緑
近藤登之助⇒東蔵
水野十郎左衛門⇒菊五郎


芝翫襲名を前にして不埒?な話題でマスコミを賑わしてしまったのがバッドタイミングだったが、「芸の肥やし」だと開き直れる時代ではないが、ひんしゅくを買ったことも含め、このことは「芸の肥やし」として生きてくるのだろう。

そういう事情もあって、一部にチケットの売れ行きが悪いとかいう説も流れていたが、なんのなんの。

「夜の部」は「襲名口上」のほか「熊谷陣屋」の直実を、一般的に行われている團十郎型ではなく先々代が工夫した「芝翫型」で演ずるという点でも評判が高く、玉三郎が「藤娘」を踊るということもあってか、「夜の部」の3階席のチケットが取れず、「昼の部」にした。

しかし、「昼の部」も襲名披露興行らしい演目が4つも並んでいずれも楽しめた。

一つ目と三つ目はいずれも踊りを味わうもので、まあ、こんなものか。
七之助が巴御前を演じた「女暫」が傑作で、この人はなかなかうまいと思うよ。悪党の首をゾロっとはねて一応幕が閉まるが、その後に松緑が演ずる舞台番の松吉(なんで舞台番がここで登場するのか分からなかったが。)が出てきて、花道の七三で芝翫親子の襲名を祝う巴御前に(この辺も筋はもう無茶苦茶だ。)、六方を踏んで下がるよう勧め、巴御前は女だてらに恥ずかしいとかなんとか遣取りがあって、結局松吉に教わった六方の型を少し、その型も恥ずかしさに崩して花道を下がるという段取りで、本来の芝居の部分に取って付けたような筋の通らない話だが、ま、ここは何でもありの歌舞伎ならではのサービスだ。

いよいよ、「幡随長兵衛」が新・芝翫の見せどころ。
男気を通して殺されるという、ちょっと馬鹿な話なのだけど、丁寧な話の作りで、長兵衛(芝翫)やその女房(雀右衛門)たちの心情の機微がよく伝わって、気持ちが芝居に入り込んだ。
6月国立劇場での「魚屋宗五郎」の橋之助は素晴らしかったが、こういう世話物というのか、町衆の心意気などを演ずるとまことにハマって巧いと思うよ。

今回は、芝翫、七之助、松緑が実に良かった。

♪2016-147/♪歌舞伎座-07

2016年10月23日日曜日

横浜交響楽団第674回定期演奏会

2016-10-23 @県立音楽堂


飛永悠佑輝:指揮
高品綾野:ソプラノ
宮里直樹:カウンターテナー
山本悠尋:バリトン
横響合唱団
横浜交響楽団

バルトーク:組曲「ハンガリーの風景」 BB 103/Sz.97
オルフ:カンタータ「カルミナ・ブラーナ」〜演奏会形式〜


もう随分前から、この日を楽しみにしていた。
「カルミナ・ブラーナ」を聴きたかったから。

去年の7月に神奈川フィルの演奏を聴いた。これがナマでは初めてだった。素晴らしい演奏で、時として「不甲斐なきN響」を上回るのではないかと思わせる熱演だった。

今回の横響にそれほどのものは期待できないけど、やはり音楽そのものが素晴らしいから、是非とも聴きたかった。

しかし、体調が絶不調だった。

前座のバルトーク「ハンガリーの風景」は初聴きだったが、バルトークとも思えない(実際は、こういう作品が原点なのかもしれないのだけど詳しいことは知らない。)なかなか親しみやすい音楽だ。
5音音階で作曲されたものが幾つか混じっているらしいが、そういえば東洋からアジアに通ずる懐かしさを感じさせる。全5曲続けて演奏され演奏時間はとても短く10分強だった。

ここで休憩となったが、もはや我が体調は1時間もの大曲を聴くに耐える状態ではなく、ここで残念ながらギブアップしてしまった。

次に「カルミナ・ブラーナ」をナマで聴く機会はやはり1年以上待たなくてはいけないだろうな。

♪2016-146/♪県立音楽堂-10

2016年10月19日水曜日

みなとみらいクラシック・マチネ~名手と楽しむヨコハマの午後~ 林正子(ソプラノ)

2016-10-19 @みなとみらいホール


林正子:ソプラノ
石野真穂:ピアノ

R.シュトラウス
 4つの最後の歌〜春/九月/眠りのときに/夕映えに
 音楽による会話劇「カプリッチョ」から〜ソネットと伯爵令嬢のモノローグ(最終場面)
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アンコール
3幕の快活なギリシャ神話「ダナエの愛」第3幕からダナエのモノローグ「あなたは私をやすらぎで包んでくれる」

声楽のことは分からない。積極的に聴くこともない。
今回はクラシック・マチネシリーズの一つとして、いわばお仕着せを聴いたのだけど、歌唱力には大いに驚いた。

「歌曲」の歌い方と「オペラ」の歌い方が違うのはなんとなく分かる。クラシック声楽の世界が両者に完全に区分されているのではないとしてもやはり、歌手によって「畑」の違いというのはあるようだ。
林正子の場合は、オペラ中心に活動しているようで、そういう人が
「歌曲とオペラシーンを一緒に歌うことは限りなく難しい一種の狂気の沙汰だ。」と今日のコンサートのプロデューサーが解説に書いている。

そのせいか、あるいは、R・シュトラウスの歌曲はこういうふうに歌うのが普通なのか、前半の歌曲もまるでオペラのアリアを聴いている風だった。何しろ、声量が半端ではない。

みなとみらいホール・小ホールはキャパ440人というこじんまりした会場だ。そこでオペラパレスの天井桟敷にも届こうかという強力な音圧が炸裂するのだから、いやはや人間拡声器かと思った。
もちろん、大きな声量だけではない。きれいなハリのあるソプラノがときには穏やかに、湿っぽく、軽やかに、と変幻自在だ。

ただ、R・シュトラウスの歌曲に元々馴染みがなかったので、できればワーグナーのアリア集でも聴きたかったな。

♪2016-145/♪みなとみらいホール-39

2016年10月17日月曜日

国立劇場開場50周年記念 平成28年度(第71回)文化庁芸術祭協賛 10月中席

2016-10-17 @国立演芸場


落語 林家あんこ⇒転失気
落語 古今亭始⇒色事根問
落語 桂やまと⇒目黒の秋刀魚
ジャグリング ストレート松浦
落語 桂扇生⇒天災
落語 柳家花緑⇒親子酒
―仲入り―
漫才 ニックス
落語 林家しん平⇒大山バスターズ
俗曲 柳家紫文
落語 古今亭志ん輔⇒品川心中

前座の林家あんこ(女性)は2回めだった。6月上席で聴いたのが「つる」で、何か、気持ちが乗れないような噺だったが、今回はちょっといい感じだった。あれで化粧すればきれいな人なんだろうな、とこれは下衆な楽しみ。

桂やまとの「目黒の秋刀魚」はなかなか口跡良く筋が分かっていても面白い。
ジャグリングも楽しめた。
漫才のニックス(姉妹)は姉の方がテンション低くてダメだよ。
俗曲の柳家紫文は結構おかしかった。また聴いてみたい。

トリの古今亭志ん輔、期待した程には巧くない。

それに引きかえ、花録の芸はすごい。
伊達に5代目小さんの孫じゃないよ。戦後最年少(22歳)での真打ち昇進、先輩31人抜きだったそうだが、なるほどと納得できる。
演題は「親子酒」。
ご本人は下戸だそうだが、酔っぱらいのマネ(フリ?)の巧いのには驚いた。
いくらおかしい噺でも、下手が演ずれば面白くもなんともなくなるが、花録が鮮やかに演ずるともうおかしくて笑いが止まらないという感じだったなあ。

DNAもあるだろうが、本人の精進も大変なものなのだろう。既に大家の芸とみえるが、これからどんどん上手くなるのだろうからこれは楽しみだ。

2016-144/♪国立演芸場-13

2016年10月16日日曜日

N響第1844回 定期公演 Aプログラム

2016-10-16 @NHKホール


アレクサンドル・ヴェデルニコフ:指揮
ヴァディム・グルーズマン:バイオリン*
NHK交響楽団

チャイコフスキー:スラヴ行進曲 作品31
グラズノフ:バイオリン協奏曲 イ短調 作品82*
ストラヴィンスキー:幻想曲「花火」作品4
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」
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アンコール
J.S.バッハ:無伴奏バイオリン組曲第2番ニ短調から「サラバンド」*

オール・ロシアプログラム。
アンコールも一工夫してロシアモノにしてくれたら良かったのに、なかなかバイオリン・ソロでロシアモノって見当たらないね。

全4曲ともナマで聴くのは初めてでそのうちの2曲はこういう作品があることさえ知らなかった。

バイオリン協奏曲(全1楽章20分強)は叙情性たっぷりで野性味のある分かりやすい音楽だ。ヴァディム・グルーズマンという人のバイオリンも多分初めて聴くが、もう少しガリガリと弾きまくるような遊び心があっても良かったのでは。

「花火」は良く分からない。楽しめない。最後にはシュルシュルと花火が打ち上がってティンパニーがドンとなったのでこれで打ち上がったのだろう。4分程度の小品。

「春の祭典」は、CDでやTV放送やビデオ録画で散々聴いているのでナマでも聴いていたような気がしたが古い記録はないので初めてじゃないかと思う…。

オーケストラの規模が非常に大きい。
マーラーの第3番、第8番などに比べると少ないようだが、それでもホルン8本など管打楽器が45人ほど(目視なのでいい加減)、コンバス8本など弦が65人位。

マーラーもそうだがどうしてこんな大規模な音楽を作ったのだろう、と時に疑問に思う。大規模であればあるほど聴いている分には迫力があって面白いけど、大規模競争していたらキリがない。
それに、先日アンサンブルdeヨコハマのわずか17人のオケでハイドンやモーツァルトの交響曲などをとても気持ちよく楽しんだので、こういう大規模にして人を脅かすような音楽ってどうなの?という疑問はなかなか整理できない。疑問を感ずる一方でそれらを楽しんでいるものだから答えに窮する。

ま、この曲もアクロバティックで面白いや。

さて、チャイコフスキーの「スラブ行進曲」だ。
これはどうしてこのメロディーが頭にこびりついているのか?おそらく中学校の音楽の時間に聴いたのかもしれない。ともかく、そんな若い頃からこのメロディは頭の中にこびりついている。
スラブ風の民謡らしいメロディー、特に増二度ってとても耳に引っかかる音程だけど、これを半音下げるといっぺんにつまらなくなるのが面白い。とはいえチャイコフスキーらしくない。ロシアの5人組なら何となく分かるのだけど。

2016-143/♪NHKホール-09

2016年10月15日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第323回

2016-10-15 @みなとみらいホール


オッコ・カム:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

シベリウス:交響詩「フィンランディア」Op.26
シベリウス:交響曲第7番ハ長調Op.105
シベリウス:交響曲第1番ホ短調Op.39
---------------
アンコール*
シベリウス:組曲「カレリア」から「行進曲風」

コンサートで取り上げられるシベリウスの交響曲は圧倒的に第2番。ほんの数回ずつ1番と5番を聴いたことがある。
また去年がシベリウスの生誕150年だったので、組曲や小品など色々聴いたが、今年はその反動でシベリウスが演奏されるのは稀だろうと思っていたが、今日はアンコールを含んでシベリウス尽くしだった。

全く知らなかったが、指揮のオッコ・カムがフィンランド人で、指揮者としての活動も客演は別とすればほとんどフィンランドのオーケストラだ。それもブロムシュテットやマリス・ヤンソンス、アンドレ・プレヴィンなどとならんでオスロ・フィルの音楽監督にも就任しているのだから、僕が知らなかっただけでかなりの大物なのか。
そういえば、終演後のボラボーの歓声や拍手の大きさは、観客の中にはよく知っている人がいたんだろうな。

ま、そんな訳で、いわば正統派のシベリウスを聴かせてもらった訳だ。

交響曲第1番はナマでも聴いたことがあるものの7番は初めてだったので両方とも何度かCDで耳を馴染ませておいたが、その効果はあまりなかったようだ。
ところどころにシベリウス印を聴き取れるが、あまり迫ってくるものは感じなかったは、シベリウスのせいでもオッコ・カムのせいでもなく、僕の準備不足だったのだろう。

神奈川フィルはなかなかの熱演で不満がなかった。

♪2016-142/♪みなとみらいホール-38

2016年10月14日金曜日

みなとみらいアフタヌーンコンサート2016後期 ≪ウィーンの薫り≫ ヘーデンボルク・直樹 チェロ・リサイタル

2016-10-14 @みなとみらいホール


ヘーデンボルク・直樹:チェロ
佐藤朋子:ピアノ

ベートーベン:魔笛「恋を知る男たちは」の主題による7つの変奏曲 WoO.46
同:チェロ・ソナタ第2番 ト短調 Op.5-2
ドビュッシー:美しき夕暮れ
フォーレ:エレジー Op.24
エンリケ・グラナドス:「12のスペイン舞曲」から「アンダルーサ」
ラヴェル:ハバネラ形式の小品
ファリャ:「恋は魔術師」から「火祭の踊り」
黛敏郎:文楽(無伴奏)
チャイコフスキー:感傷的なワルツ
シューベルト:即興曲D899から第3曲
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アンコール
サン=サーンス:白鳥

「みなとみらいアフタヌーンコンサート」シリーズとしてまとめてチケットを買ったので、この人の演奏を聴きたくて選んだ訳じゃないけど、数日前にこのシリーズのパンフレットを見たら、ウィーン・フィルのチェリストだと書いてある。
改めて、9日にミューザで聴いたウィーン・フィルコンサートのプログラムを調べると、チェロのメンバー表の中にBernhard Hedenborg の名前を発見した。
本人はザルツブルクの出身だが、お母さんが日本人なので、正式にはNaokiも含まれるのだろうけど、長すぎて日本での活動ではヘーデンボルク・直樹、国際的にはBernhard Hedenborgと表記しているようだ。

昨日の、「アンサンブル de ヨコハマ演奏会」では、藤原真理さんのほかにウィーン・フィル首席ファゴット奏者のシュテパン・トゥルノフスキーが客演したが、この人の名前もウィーン・フィルのメンバー表にはちゃんと出ていた。

すると、9日のミューザでは2人共並んでいたのだな、記憶はないけど。

こんな風に、オケの来日に合わせて、各メンバーもあちこちのコンサートに招聘されているようだ。さすがはウィーン・フィルの看板を背負っているだけはある。いや、それに実力もなかなかのものだ。

さて、初めて聴いたヘーデンボルク・直樹のチェロは、まず、音の美しさに惹かれた。優しい音だ。藤原真理さんの音と甲乙告げ難いが、敢えて付けるとなると、これは好みだが、真理さんの甘い音色がいいかな。

直樹氏のチェロはとにかく優しい。
音色だけでなく弾き方も実に繊細だ。
今回はベートーベンの2曲を除けばいわゆるアンコールピースのような小品の名曲ばかりだったので、彼の音色・弾き方がぴったり来るものが多かった。特にチャイコフスキーの「感傷的なワルツ」やアンコールで弾いた「白鳥」など実に美しく仕上がっている。

しかし、ラテン系のグラナドスやファリャではもう少しガリガリと弾いて脂が飛ぶくらいの激しさを聴かせてほしかった。

♪2016-141/♪みなとみらいホール-37

2016年10月13日木曜日

アンサンブル de ヨコハマ 設立30周年記念演奏会 ~藤原真理(チェロ)&シュテパン・トゥルノフスキーを迎えて~”

2016-10-13 @みなとみらいホール


アンサンブル de ヨコハマ♭
コンサートマスター:松原勝也
 第1バイオリン:塗矢 真弥/小澤 郁子/坪田 亮子
 第2バイオリン:水村 浩司/廣島 美香/濱田 協子
 ビオラ:斉藤 和久/成瀬かおり/中小路淳美
 チェロ:間瀬 利雄/寺井 庸裕
 コントラバス:加藤 正幸
 オーボエ:I杉浦 直基/II中山 達也
 ホルン:I山岸 博/II山岸 リオ

藤原真理:チェロ*
シュテパン・トゥルノフスキー:ファゴット(ウィーン・フィル首席奏者)#

ハイドン
 交響曲第1番二長調HobⅠ-1♭
 チェロ協奏曲第2番ニ長調HobⅦb-2*♭
モーツァルト
 ファゴット協奏曲変ロ長調KV191#♭
 交響曲第29番イ長調 KV201♭
------------
アンコール
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番から前奏曲*
J.W.ガングルベルガー(1876-1939):僕のテディベア#♭

室内管弦楽団「アンサンブル de ヨコハマ」(以下、勝手に「EdY」と略す。)の存在は知っていたけど聴いたことがなかった。客演に藤原真理が出演すると言うので、むしろ目当ては彼女の方だ。
目当てにしていなかったけど、ゲストがもう一人。
シュテパン・トゥルノフスキーはウィーン・フィルの首席ファゴット奏者だ。

EdYはコンマス含め総勢17名。指揮者なし。
今日は弦が13人に管が4人(オーボエ2、ホルン2)だった。
この小編成でハイドンとモーツァルトなどを聴いたが、おそらく夫々の作品が作曲された時代のオーケストラはせいぜいこんなものだったのだろう。
人数は少ないけど、なかなかな乙張のはっきりした演奏だ。各声部も聴き分けられて面白い。透明感という点ではやや物足りなさもあったが、古典派の(ロマンは以降のように深刻ぶったりしない陽性の)絶対音楽の楽しさに溢れている。

藤原真理さんはほぼ1年前に音楽堂で聴いたが、あの時の素晴らしい音色はみなとみらいホールの小ホールでも健在だった。
まずもって音がいい。チェロの音そのものの良さを感ずることができるのことに何よりも幸福感がある。

藤原さんはとても小柄なのでチェロがえらく大きく見える。ハンデがあるなあ。でも、それをモノともせずに全日本音楽コンクール1位やチャイコフスキーコンクール2位などの栄光を掴んだのだからその努力は半端じゃないだろう。
ニコッとして登場する姿は、今や(若い頃を知らないので)近所のおばちゃんのようだ。今回も格別派手なステージ衣装ではなく、そのままスーパーに買物にでも行けそうな感じ。それでいて演奏が始まるとビシっと決めてくれる。
彼女の演奏には円満(そう)な人格がそのままにじみ出ているように思う。特に、今日のようなハイドンの作品では陽気で楽観的で幸福感に溢れている。音楽を聴く喜びをとても素直に感ずることができる。

モーツァルトのファゴット協奏曲も軽快・諧謔で良かったが、アンコールに用意されていた管弦楽付きの「僕のテディベア」が傑作だった。音楽聴きながらつい笑ってしまった。
この曲も、作曲家も知らなかったので、もう一度聴きたいと思ってNETであれこれ調べてみるが、ヒットしない。

ともあれ、久しぶりに、気の置けない楽しいコンサートであった。

余談になるが、明日、同じみなとみらいホールでヘーデンボルク・直樹のチェロ・リサイタルを聴くことにしているが、彼もウィーン・フィルのメンバーだ。
9日にウィーン・フィル本体を聴いたばかりだが、メンバー各位も今回の来日を機にそれぞれ忙しそうだ。

♪2016-140/♪みなとみらいホール-36

2016年10月11日火曜日

横浜18区ショートフィルム&コンサート 〜清水和音ピアノ・リサイタル

2016-10-11 @かなっくホール


清水和音:ピアノ#
大江馨:バイオリン*

◆ショートフィルム上映作品◆
ピアノ・エチュード(原題:Etude,Solo)
監督:Dae-eol Yoo 製作国:韓国

◆コンサート◆
ショパン:ノクターン第9番変ロ長調作品32-1#
スクリャービン:8つのエチュードより第5曲 嬰ハ短調 作品42-5#
クライスラー:美しきロスマリン/愛の悲しみ/愛の喜び#*
J.S.バッハ:無伴奏バイオリンパルティータ第2番から「シャコンヌ」*

ベートーベン:ピアノソナタ 第21番 ハ長調 作品53「ワルトシュタイン」#
ショパン:バラード第4番#
-------------
アンコール
エルガー:愛のあいさつ#*

別所哲也って聞いた名前だけど何者?と思って調べたら、役者であり、みなとみらいにあるショートフィルムシアターの経営者?だそうな。

で、彼がクラシック・コンサートのプロデュースをしている理由はよく分からないけど、コンサートの前に短編映画が上映されるので、それが彼の肝煎なのかもしれない。
映画はあまり面白いとも思えなかったが、家の近所のコンサートホールでクラシックコンサートを聴けるのはありがたい。

横浜市は全部で18区から成る。
今回の企画は、その各区でショートフィルムの上映と清水和音のピアノリサイタルを何人かのゲストを迎えて巡回しようというものらしい。そこで、18区とショパンの夜想曲全18曲を無理やりつなげて、各区毎に1曲ずつ弾いて全区で全曲という構想が出来上がったのだろう。
しかし、ショパンの夜想曲は、手持ちのCDではぜんぶで21曲あるので18曲ってどういう計算なのか?
確かに18番までがショパン生存中に発表されたもので、遺作を除けば全18曲ということになるので、まあ、それなりの理屈になっているが、無理筋だなあ。
全18回のコンサートを通して聴く人もいないだろうから、それより、各回ごとのプログラムとして構成力を持たせるべきだったと思う。

全18回を通じてメインの出演者は清水和音氏。これに数人のゲストが加わるが今回のゲストはバイオリニストの大江馨くん。
この人のコンクール歴はすごい。前にも協奏曲を聴いたことがあるが、相当高度なレベルだと思う。

清水和音は何度も聴いているけど、いずれもオーケストラとの協奏曲ばかりでソロあるいはバイオリンとのデュエットは初めてだった。

小さなホールだし、響がいい。
むしろ良すぎるくらいで、最初のピアノソロの2曲は鳴り過ぎの感じもしたが、バイオリンにはとてもこの響具合が好ましくて、演奏している方も気持ち良く弾けたのではないかと思う。
バイオリン独奏のJ.S.バッハのシャコンヌなど、まるで拡声装置でも付けたのかと思うくらいに豊かな音色が響いた。

バイオリンとピアノのデュオは、小品ばかりだったが、その後に清水御大がピアノ独奏で再登場し、かなりの重量級を2曲演奏した。
「ワルトシュタイン」は想定よりもゆったりとした出だしだったが、徐々にテンポが早まり、第1楽章の終盤と終楽章は早業を聴いている感じだった。
予定番組最後のバラードもピアノの音色の美しさがよく響いていた。

珍しいところで、スクリャービンのエチュードが(これは冒頭に上映された短編映画の中でも取り上げあられたものだ)、多分初聴きだけど、もっと小難しいのかと危惧していたけど、とてもロマン派ぽくて興味を深めた。

ところで、このコンサートは「横浜音祭り2016」のイベントの一環だ。
このイベントは主催者側は「日本最大規模の音楽フェスティバル」と謳っているが、それにしては全然盛り上がっていない。
最近出かけたコンサートでも確かに「横音2016」に協賛しているものはいくつかあったけど、独自企画の目玉コンサートをやらなくちゃアピールできないな。


♪2016-139/♪かなっくホール-03

2016年10月10日月曜日

読響第91回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2016-10-10 @みなとみらいホール


シルヴァン・カンブルラン:指揮
マルティン・シュタットフェルト:ピアノ*
読売日本交響楽団

ラモー:「カストールとポリュックス」組曲から
    「序曲」・「ガヴォット」・「タンブラン」・「シャコンヌ」
モーツァルト:ピアノ協奏曲第15番*
シューベルト:交響曲第8番「グレイト」
---------------
アンコール
ショパン:練習曲 作品25-1「エオリアン・ハープ」*

ラモーの作品は初聴き。初演が1737年。評判が悪かったので54年に改訂したとある。ハイドンが初演を聴いたとしたら5歳位。モーツァルトが生まれたのは改訂版の完成より後だ。ま、そんな時代の音楽なので、サロン音楽みたいに軽やかに耳に入って来るけど、やはり最初の曲って、どうもオケのエンジンは暖機運転みたいだ。

ピアノのマルティン・シュタットフェルトは初めて。04年にゴールドベルク変奏曲でCDデビューしたことからか、「グレン・グールドの再来」と評される、と解説に書いてあったが、まあ、見た目も似ているし、低いピアノ椅子に座って弾く姿勢もそんな感じはした。
本物ならどんな弾き方をするか知らないけど、シュタットフェルトのピアノはごく普通の?モーツァルトに聴こえた。
因みに、グレン・グールドのバッハやベートーベンなどは好きだけど、彼が弾くモーツァルトのピアノソナタ第11番(トルコ行進曲付き)を初めて聴いた時につんのめって、遊んでるのじゃないか、と腹立たしく思ったので、それ以来、グレン・グールドの弾くモーツァルトはCDを買わないことにしている(ほとんど出ていないけど。)。

で、このピアノ協奏曲第15番は、CDは全27曲セットがあるので過去に聴いたことがあったけど、20番台の作品のように、今日はこれを聴いてみたいと思わせるような魅力は感じたことがないので、多分、ナマで聴いたのは初めてだったと思うけど、やはり、印象が希薄なままスルーっと抜けていった。

ラモー、モーツァルト、シューベルトというプラグラムそのものがなんだかピンとこないので、聴く態度が定まらないという感じだ。
超大曲でもないし、超絶技巧曲でもなさそうだし、ピアニストには悪いが、消化試合というか、映画で言えば、その昔のプログラムピクチャーのような気がして、聴く側に緊張感が生まれないのは困ったものだ。

で、一番楽しみにしていたのがシューベルトの第8番だ。
「楽しみ」というより、強い「関心」かな。
というのも、昨日、ズービン・メータ指揮ウィーン・フィルで聴いたばかりだったから(同じ曲を翌日聴くことになるとはなんという巡り合わせだろう。)。
昨日の印象では、世界の一流オケの実力をナマで聴いた結果は日本の一流オケも十分世界に通用するのではないか、と思ったのだが、さて、読響はどうか。

かなり肉薄していたと思う。
どこが違うだろう、とずっと耳を澄ませていたのだけど、管と弦が強奏で重なる場所などで透明感に欠ける。あるいは、弦の高音域での透明感に欠ける。つまりは、ときどき管弦楽にざわつきが混じることがある。それも、いわば、敢えてアラ捜しをしながら聴いているので感ずる程度のものだ。
だから、今日の読響を聴きながら、やはり、うまいものだと感心した。
でも、ウィーン・フィルとの僅かな差(これはN響や都響でもいつも感じていることだけど)。これが容易なことでは埋められないのだろうと思う。
でも、この差を聴き分けたくてチケット代4倍も5倍も支払いたくはないな。

♪2016-138/♪みなとみらいホール-35

2016年10月9日日曜日

ウィーン・フィルコンサート

2016-10-09 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ズービン・メータ:指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲 K527
ドビュッシー:交響詩「海」-3つの交響的スケッチ
シューベルト:交響曲第8番ハ長調 D944「グレート」
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アンコール
ドボルザーク:スラブ舞曲作品46-8

ウィーフィルなんてナマで聴くの初めて!
えらく高いチケットだったけど、一度は聴いておきたいと思って特等席を買った。ミューザ川崎シンフォニーホール2CBのセンター最前列。絶好のポジションだ。

1曲めのモーツァルトは、なんだかざわついて聴こえてこれがウィーン・フィル?という感じ。
2曲目になって、オケの規模が特大になり(コンバス8本、チェロ10本)、そのせいか、あるいは音がホールに馴染んでくるということがあるのかもしれないが、弦は厚みを増したがまだまだこんなものじゃないはずという期待感と失望感がないまぜ状態。

いよいよメインのシューベルト。
ここではオケの規模はやや小さくなった。
そして驚いたことにフルート、オーボエ、ファゴット、クラリネットの各2本ずつの木管8人が、なんと指揮者の回りに半円形に並んだ。
通常は、木管楽器は弦楽器(多くの場合チェロかビオラ)の後ろに並ぶものだが、オケの最前列に出てきたのは初めて見る形だった。これまでにもウィーン・フィルの演奏を放送・ビデオで何度も何度も見ているけどこういう楽器配置は記憶に無い。
ただ、考えてみると、木管楽器は通常幾重もの弦楽器奏者や譜面台の影に隠れて演奏するのが常だから、彼らを最前列に引き出すのは音量のバランスさえ失わなければ合理的だ(特にオーボエやクラリネットは朝顔が床に向いているから音が遠くまで届きにくい。それでマーラーは時に楽器を水平に持って吹くように指示している)。

ただ、コンマスがフルートの首席の後ろになってしまうので他のメンバーとのアイ・コンタクトが取りにくいだろうけど。

また、僕の席からは良い塩梅に聴こえたけど、ステージそばの聴衆には木管八重奏団+管弦楽に聴こえたかもしれない。

それはともかく、マーラーの交響曲のように管楽器が大活躍する作品はなかったので優れた腕前に感嘆する場面はなかったが、図らずもの木管八重奏団はみんな達者だった。
問題は弦のアンサンブルだ。
最初の軽い失望は徐々に癒やされて、やはりシューべルトのような根っからウィーンの作品ともなると自家薬籠中のものか、繊細さを残しつつ重厚な響だった。

アンコールがドボルザークと、なんだかまとまりのない品揃えだったが、観客の拍手は長く続き、楽団員が舞台から全員引き上げた後も鳴り止まない拍手に応えて、メータ御大は一人で舞台に出て四方八方の観客に愛想を振りまいた。

さて、さて、さて。
これが世界の最高レベルとなると、我が日本楽壇は大いに安心してよいのではないかと思った。

演奏される曲にもよるし、どこ(ホール・席)で聴くかも問題だけど、これまでに聴いた海外オケの中で、一番感動を与えてくれたのは昨年NHKホールで聴いたhr交響楽団だ(ゲヴァントハウス管弦楽団は「マタイ受難曲」だったので、ちょいと比較が難しい。)。
海外オケの中で、というより、国内オケも含めて一番オーケストラの精緻なアンサンブルをhr交響楽団に聴いたように思う。

今年、11月にはドイツ・カンマーフィルとサンフランシスコ交響楽団を聴くことになっているので、いずれも楽しみにしているが、世界の3本指に入ると言われているウィーン・フィルがこの程度であるなら、N響も都響も読響も東響も日フィルも結構肉薄しているのではないかと思ったよ。
そういえば、早速明日の読響定期は、今日のウィーン・フィルと同じくシューベルトの交響曲第8番がメインだ。
どんな演奏を聴かせてくれるのだろう。

♪2016-138/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-24

2016年10月8日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第321回横浜定期演奏会

2016-10-08 @みなとみらいホール


小林研一郎:指揮[桂冠名誉指揮者]
三浦文彰:バイオリン
日本フィルハーモニー交響楽団

ベートーベン:バイオリン協奏曲
ベートーベン:交響曲第6番《田園》

今日は指揮が炎のコバケンこと小林研一郎御大だ。
素人がどうこう言うのも口はばったいが、おそらく、優れた才能の持ち主なのだろうけど、旺盛なサービス精神が目障り・耳障りとなる例が少なくない。
極端なrit.にa tempo、超高速プレスト、劇的なクレッシェンドやppとffの異様に大きな落差などはまあ面白いとも言えるし、一度きりのナマ演奏故の遊びもあるのだろうが、これが観客に受けたりするものだから、いまさら止める訳にもゆかないということだろうか。本気になれば、きちんとした本流の音楽を聴かせる力があるのに、残念な気持ちで会場を後にすることが多かった。

ところがどっこい。
今日は、ベートーベンだ。
さすがこれでは遊べないはず。

いやあ、2曲とも本格的ドイツ音楽の真髄を聴かせてくれたと思う。
コバケン節は全然垣間見せもしなかった。
丁寧な音作り、音楽作りという気がした。

ベートーベンを演奏するにしてが弦楽器セクションが多すぎるのではないか(コンバスは2曲とも7本)とも思うが、現代風のベートーベンとはこういうものなのだろう。
厚みのあるサウンドが心地よし。

♪2016-136/♪みなとみらいホール-34

2016年10月6日木曜日

N響90周年&サントリーホール30周年特別公演|マーラー《交響曲第3番》

2016-10-06 @サントリーホール


パーヴォ・ヤルヴィ:指揮
ミシェル・デ・ヤング:アルト
女声合唱:東京音楽大学
児童合唱:NHK東京児童合唱団
NHK交響楽団

マーラー:交響曲第3番ニ短調

マーラーにはなかなか素直になれないのだけど、特大オケに合唱団付きの大規模編成が繰り出す強力サウンドに圧倒される。

ほぼ1年前の9月に東響(ミューザ川崎シンフォニーホール)で聴いたのが第3番のナマの初聴きだった。その時もすごいと思ったが、初めての超大作にどちらかといえば気持ちが引きずられっぱなしという感があったが、今回はいろいろ細かいことに気がつくゆとりがあった。この間の1年で、CDやビデオ録画でこの第3番を何度聴いたことだろう(N響デュトワ指揮1824定期もいいが、パリ・オペラ座のバレエ全曲盤も非常に珍しく、また面白い。)。ようやくきちんと聴ける態勢が準備できていたのかも。

マーラーの交響曲の楽器編成に通じている訳ではないけど、何番を聴いても管・打楽器が大活躍するように思うが、少なくともこの第3番に限っては、これはもうブラスバンドに弦楽器がちょこちょこ協力しているという感じだ。
弦楽器はほとんど主旋律を与えられていないように思う。管楽器の演奏する主題を和音で支えたり、対旋律を弾く程度だ。
せいぜいチェロが活躍の場をそれも少々与えられているが(この時にコンバスも同一旋律を弾いていたかどうか、席からは確認できなかった。)、ほかにはビオラも少々。
バイオリンはコンマスに短いソロ(第4楽章声楽アルトのソロにかぶる)があるほか、ほとんど縁の下の力持ちだ。それも第2バイオリンの方が出番が多いのではないか。

これまで幾度となくマーラーの交響曲をナマで(演奏を見ながら!)聴いていたが、こんなにも弦楽器が粗略にされていたとは大発見だ。

N響ブラスバンド演奏会に弦楽部も賛助出演しました、の感じだ。

ま、それはともかく。
冒頭のホルン8本で演奏されるテーマ(その後も何度も繰り返される。)のテンポが良かった。この出だしはとても大切だが、これまでに聴き慣れている演奏よりも心持ち早かった(手持ちのインバル、マゼール、デュトワ、サイモン・ヒューウェット指揮パリ・オペラ座管版のいずれよりもパーヴォのテンポは僅かに早いように思える。パーヴォの指揮は他のマーラーでもベートーベンでもやや早めのテンポが音楽を一層引き締めているのではないかと思っている。)。

この主題にはドイツの学生歌(元は民謡かその類かも)が用いられているようだ。ブラームスの交響曲第1番の終楽章に既に登場するメロディとそっくりのようでいて微妙に音を外して盗作呼ばわりを避けているように思えてならないのだけど、偶々、柴田南雄「グスタフ・マーラー」を読み返したら、「ブラームスを聴き過ぎの向きには、このマーラーの旋律はブラームスのデフォルメないしはパロディに聞こえることであろう。」とほとんどバカにしたような書き方がしてあり、続いてこの主題の精密な分析が続くので、やはり素人の思いつきなど浅はかなものだとその時は思ったが、実は釈然としないでいる。

長い。
けど、これだけ勇ましい音楽、かと思うと、懐かしさを感ずるような素朴な音楽が頃良い塩梅で連続するのでちっとも飽きない。
長くて心配なのは自分の体調が維持できるかということだ。
そのうち、生演奏は諦めなくてはならなくなる時が来るだろうな。

声楽アルトの独唱が第4楽章になって初めて登場し、児童合唱(女声合唱も)が入るのが第5楽章だ(全6楽章構成)。つまり合唱団諸君は冒頭から着席し、1時間20分前後待たされてようやく出番が来て4分前後立ち上がって歌い、その後は30分前後の長大な終楽章が続くが出番はない。

今回は珍しくも児童合唱団員にとって不幸な出来事があった。
合唱団はサントリーホールP席に陣取った。児童合唱団は最前列と第2列に、女声合唱団は第3列から第5列までにそれぞれ着席して出番を待っていた。
ところがいよいよ第5楽章が始まる直前に全員が起立した…と思ったがセンター付近の女の子が一人席にうずくまっている。合唱が始まっても立たない。いや、どうも立てそうもない。体調が悪いようだ。
P席最前列センターの女の子が一人立てないでうずくまっているのはその周囲の数人を除けば合唱団にもオーケストラ団員にも分からなかったろうが、指揮者と観客にははっきりと見える。

おお可哀想そうに、と思うが、誰も救出に行けないのだ。
腹痛か、立ちくらみか分からないけど、立てない。歌えない。
これまで随分と練習をしてきて、ようやく晴れの舞台で、今日はゲネプロもこなしたはずだが、急変だったのだろう。いよいよの本番で、長い時間待たされた出番で立てない。歌えない。
その彼女の心中如何許かと思うととても可愛そうで見てられないけど目がすぐそこに行ってしまう。
あの状態ではそのままにするしかなかったろう。
とても傷ついたことだろう。このハプニングを引きずってトラウマにならなければよいがと祈るばかりだ。本当に気の毒なことだった。
マーラーも罪な音楽を書いたものだ。

ま、しかし、演奏は見事なものだった。
管楽器のミスが全く無かった訳ではない(弦楽器のミスは誰も気づかない。)。最終楽章の中盤にやや緊張が弛緩したように思ったが、そういう音楽なのかもしれない。しかし、ラストの2組のティンパニーによる強打の連続を聴きながら、ようやく終わるのか、というホッとした気持ちとまだ終わらないでくれという未練がせめぎ合った。

パーヴォの棒がとまって暫時無音。それをすぐ打ち破るブラボーの発声を合図に館内は割れんばかりの拍手・喝采に包まれた。

長いカーテンコールだった。
その間に、舞台後方脇で目立たないように待機していた案内嬢2名が腰をかがめて少女救出に向かった。
自分の足で階段を登っていったから大事には至らなかったようだ。

2016-135/♪サントリーホール-08

国立劇場開場50周年記念 平成28年度(第71回)文化庁芸術祭協賛 10月上席

2016-10-06 @国立演芸場


落語 春風亭金かん⇒道灌
落語 春風亭昇羊⇒寿限無
漫談 新山真理⇒(かっぽれ)
落語 三遊亭遊馬⇒試し酒
売り声 宮田章司
落語 三遊亭金遊⇒真田小僧
―仲入り―
コント コント青年団
落語 三遊亭春馬⇒茶の湯
奇術 松旭斎小天華
落語 三遊亭圓輔⇒火焔太鼓






自分の体調も影響してかほとんどの演者・演目で気分が乗れなかった。こんなことは初めてだな。

中で笑わせてくれたのは「コント青年団」。年齢は「中年団」というべきだが。
お客いじりと言うか、観客の年齢層はいうまでもなく日中に寄席を観に来ているのだからほとんどリタイヤ組だが、そういうことをネタにするのはあまり感心しない。
これが漫才にはありがちだが、彼らのお客への<接遇態度>は良かった。無駄なやり取りがなく、スピーディで、一つのドラマに仕上がっているのがいい。「コント」の所以だろう。

肝心の落語はもう全滅かと危惧していたが、やはりトリの三遊亭圓輔師匠がうまい。枯れた芸というのか、特段、お客の気を惹こうとか笑わせようとかしている風でもないのだけどそこはかとなくおかしさが伝わってきて良い塩梅だった。

「売り声」という芸があることは知っていたが、ナマで接したのは初めてだったが、何しろ、金魚屋も青竹売も薬売りも、今では本物がいないので、「芸」が肉薄しているのかどうなのかよく分からない。口上は売り物によって異なるが、何を売っても同じように聴こえたのはこちらの経験不足か。


2016-134/♪国立演芸場-12

2016年10月5日水曜日

楽劇「ニーベルングの指環」第一日〜ワルキューレ〜

2016-10-05 @新国立劇場


指揮:飯守泰次郎

演出:ゲッツ・フリードリヒ
東京フィルハーモニー交響楽団

ジークムント⇒ステファン・グールド
フンディング⇒アルベルト・ペーゼンドルファー
ヴォータン⇒グリア・グリムスレイ
ジークリンデ⇒ジョゼフィーネ・ウェーバー
ブリュンヒルデ⇒イレーネ・テオリン
フリッカ⇒エレナ・ツィトコーワ

ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」第1日~ワルキューレ~

「ニーベルングの指環」全4部作の<前夜祭>に当たる「ラインの黄金」が同じ新国立劇場、同じスタッフで公演されたのが昨年の10月だったから、ちょうど1年を経て第2部とも言うべき「ワルキューレ」が始まった。正しくは「~指環」の<第1日目>で、いよいよ本格的なドラマが始まる。待っている1年が長かったよ。
歌手は「~黄金」とは異なっているが、今回も主要な役は全員海外からの招聘だ。この世界のことはよく知らないけど、いずれも国際的に活躍している一流歌手だそうだ。それは素人の耳にももう一聴瞭然だ。
広くて天井の高い劇場空間に声が朗々と響き渡るのが、ナマとは思えない音圧を伴っている。
飯守泰次郎御大の率いる東京フィルハーモニー交響楽団の圧倒的なサウンドもピットの中に入っているとも思えない迫力だ。
ワクワクさせる音楽の素晴らしさは言うまでもないが、「~黄金」ではややもの足りなかった舞台装置が今回はとてもいい。
広い舞台と高さを活かした仕掛けがシンプルな中に深遠なドラマを表現していた。また、照明もよく考えられていて見事だった。
終幕のブリュンヒルデを深い眠りに落としその回りを炎が取り囲むとともに天界から降りてくる緑のレーザー光線が彼女の悲劇性を高めている。

「~黄金」は神々や巨人や小人族の間の権力争いで、ここでは愛を犠牲にすることで権力を得ようとする男たちの物語だが、「ワルキューレ」では権力よりも愛に生きようとする男女、それも神々の長ヴォータンが人間女性との不倫によって産ませた兄(ジークムンデ)と妹(ジークリンデ)の近親相姦の愛の物語だ。
ヴォータンは正妻(婚姻の女神フリッカ)以外の女神たちとも不倫をして9人のワルキューレたち(死んだ雄者を運ぶ女性たち)を産ませる。中でも知恵の神エルダとの間に生まれたワルキューレ姉妹たちの長姉ブリュンヒルデをヴォータンは一番信頼し、愛していた(これも近親相姦ぽい)。
ヴォータンはジークムンデを自分の大いなる野望の実現のために利用するつもりだったが、正妻フリッカの糾弾にあってやむを得ず殺さざるをえないことになる。ブリュンヒルデはヴォータンの命を受けてジークムンデを撃つ算段で出かけたが、ジークムンデとジークリンデの純粋な愛に心打たれ、父ヴォータンを裏切ろうとした。このことによって彼女はヴォータンによって神性を奪われ、岩山で眠りにつかされるのだが、ジークリンデはジークムンデの子種を体内に宿していた。やがて、生み落とされた子供こそ「~指環」の第2日「ジークフリート」のタイトルロールとなってブリュンヒルデと結ばれるという壮大な話が続くのだが、その公演は来年6月まで待たなければならない。

この神話のような物語は、愛と権力の対立という構造を持ち、実は、今を生きる我々の心の中に、愛や生きるということの意味を問いかけるものでもある。
開幕から終演まで正味5時間20分(休憩が第1幕の後に40分、第2幕のあとに35分あった。)という長丁場だったが、(休憩を除いて)片時も途切れないワーグナー印濃厚な劇的な音楽に全身・全霊を包み込まれ、圧倒されっぱなしだった。

♪2016-133/♪新国立劇場-2


2016年10月3日月曜日

国立劇場開場50周年記念 通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら) 第一部 四幕九場

2016-10-03 @国立劇場



平成28年度(第71回)文化庁芸術祭主催
竹田出雲・三好松洛・並木千柳=作
通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)第一部四幕九場
国立劇場美術係=美術

大序   鶴ヶ岡社頭兜改めの場
二段目  桃井館力弥使者の場
      同 松切りの場
三段目   足利館門前の場
            同 松の間刃傷の場
            同 裏門の場
四段目   扇ヶ谷塩冶館花献上の場
            同 判官切腹の場
            同 表門城明渡しの場

(主な配役)
【大序】
塩冶判官⇒中村梅玉
顔世御前⇒片岡秀太郎
足利直義⇒中村松江
桃井若狭之助⇒中村錦之助
高師直⇒市川左團次

【二段目】
桃井若狭之助⇒中村錦之助
本蔵妻戸無瀬⇒市村萬次郎
大星力弥⇒中村隼人
本蔵娘小浪⇒中村米吉
加古川本蔵⇒市川團蔵

【三段目】
塩冶判官⇒中村梅玉
早野勘平⇒中村扇雀
桃井若狭之助⇒中村錦之助
鷺坂伴内⇒市村橘太郎
腰元おかる⇒市川高麗蔵
加古川本蔵⇒市川團蔵
高師直⇒市川左團次

【四段目】
大星由良之助⇒松本幸四郎
石堂右馬之丞⇒市川左團次
薬師寺次郎左衛門⇒坂東彦三郎
大鷲文吾⇒坂東秀調
赤垣源蔵⇒大谷桂三
織部安兵衛⇒澤村宗之助
千崎弥五郎⇒市村竹松
大星力弥⇒中村隼人
佐藤与茂七⇒市川男寅
矢間重太郎⇒嵐橘三郎
斧九太夫⇒松本錦吾
竹森喜多八⇒澤村由次郎
原郷右衛門⇒大谷友右衛門
顔世御前⇒片岡秀太郎
塩冶判官⇒中村梅玉
ほか


今年は国立劇場会場50周年ということで記念の大型企画が各分野で並んだが、中でも、「仮名手本忠臣蔵」の3ヶ月連続公演による全段完全通し上演というのが画期的らしい。

全段通し上演と称した公演は度々行われているようだが、国立劇場が昭和61年に開場20周年記念で今回と同じく10月~12月の3回に分けて上演したものは本物の「完全通し上演」だそうだが、他の「全段通し」は実際にはいくつかの場面が省略されているらしい。

50周年記念の今回も、上演可能な場面はすべて網羅するという「完全通し上演」だと言うから、今回を逃したら次の機会に生きている保障はないかも…と思って、「あぜくら会」会員向けの3公演セット券を迷わず買った。歌舞伎鑑賞はたいてい3階席だが、今回は特別席と1等A席しかセット販売されないので1等Aを選んだ。

人形浄瑠璃からの移行作品の全段完全通しなので、一段目は「大序」と呼ばれるそうだが、この「大序」の前には定式幕の前に文楽人形が出てきて配役を紹介する。これを「口上人形」という。滑稽な表情とセリフがおかしく、かしこまった作品かと思っていたが楽しく出鼻をくじかれた。

口上が終わって幕が開くと鶴岡八幡宮の場面だが、ここでも役者たちは目を伏せうなだれたまま微動だにしない。そしてどこからか役者の名前を告げる声がしてそれに応じて一人ずつ精気を得たように「人形」から「人間」に生まれ変わる。

こういう演出はいずれも、原典の人形浄瑠璃に敬意を表するものだそうだ。

物語は、映画やテレビドラマなどでよく知っている「忠臣蔵」とはかなり異なるので驚きの連続。
しかし、省かれた場面がないので物語の連続性は分かりやすい。
なるほど、これが本物の「仮名手本忠臣蔵」なのか。

人形浄瑠璃として1748年に初演され、同年末には早くも歌舞伎に移行されて以来、270年近い歴史の中で、上演すれば必ずそれなりのヒットが見込まれたそうで、もはや日本人のDNAに刷り込まれているのかもしれない。

塩冶判官を演ずる梅玉はいつもながら渋い。
4段目になってようやく登場する由良之助の幸四郎は、やや、芝居が大仰ではないかと思うけど如何にもの幸四郎節で、やはり舞台の求心力は大きい。
左団次が演ずる加古川本蔵という登場人物のことは知らなかった。これまで映画やTVドラマなどではこの人に相当する人物は出てこなかったように思う。そもそも本蔵が仕える桃井若狭之介(錦之助)という殿様の存在も知らなかったが、どうやら、本蔵の存在が全段の物語の中で大きな役割を占めることになりそうだ。

「大序」も伝統に則った珍しい演出だったが、4段目切腹の場も古来「通さん場」と呼ばれ、お客の出入りを禁じたそうで、国立劇場でも踏襲された。

こんなところにも、格調を感じさせる大芝居だ。
この壮大な物語があと2回も続くというのはとてもワクワクする。


♪2016-132/♪国立劇場-05