2016-10-06 @サントリーホール
パーヴォ・ヤルヴィ:指揮
ミシェル・デ・ヤング:アルト
女声合唱:東京音楽大学
児童合唱:NHK東京児童合唱団
NHK交響楽団
マーラー:交響曲第3番ニ短調
マーラーにはなかなか素直になれないのだけど、特大オケに合唱団付きの大規模編成が繰り出す強力サウンドに圧倒される。
ほぼ1年前の9月に東響(ミューザ川崎シンフォニーホール)で聴いたのが第3番のナマの初聴きだった。その時もすごいと思ったが、初めての超大作にどちらかといえば気持ちが引きずられっぱなしという感があったが、今回はいろいろ細かいことに気がつくゆとりがあった。この間の1年で、CDやビデオ録画でこの第3番を何度聴いたことだろう(N響デュトワ指揮1824定期もいいが、パリ・オペラ座のバレエ全曲盤も非常に珍しく、また面白い。)。ようやくきちんと聴ける態勢が準備できていたのかも。
マーラーの交響曲の楽器編成に通じている訳ではないけど、何番を聴いても管・打楽器が大活躍するように思うが、少なくともこの第3番に限っては、これはもうブラスバンドに弦楽器がちょこちょこ協力しているという感じだ。
弦楽器はほとんど主旋律を与えられていないように思う。管楽器の演奏する主題を和音で支えたり、対旋律を弾く程度だ。
せいぜいチェロが活躍の場をそれも少々与えられているが(この時にコンバスも同一旋律を弾いていたかどうか、席からは確認できなかった。)、ほかにはビオラも少々。
バイオリンはコンマスに短いソロ(第4楽章声楽アルトのソロにかぶる)があるほか、ほとんど縁の下の力持ちだ。それも第2バイオリンの方が出番が多いのではないか。
これまで幾度となくマーラーの交響曲をナマで(演奏を見ながら!)聴いていたが、こんなにも弦楽器が粗略にされていたとは大発見だ。
N響ブラスバンド演奏会に弦楽部も賛助出演しました、の感じだ。
ま、それはともかく。
冒頭のホルン8本で演奏されるテーマ(その後も何度も繰り返される。)のテンポが良かった。この出だしはとても大切だが、これまでに聴き慣れている演奏よりも心持ち早かった(手持ちのインバル、マゼール、デュトワ、サイモン・ヒューウェット指揮パリ・オペラ座管版のいずれよりもパーヴォのテンポは僅かに早いように思える。パーヴォの指揮は他のマーラーでもベートーベンでもやや早めのテンポが音楽を一層引き締めているのではないかと思っている。)。
この主題にはドイツの学生歌(元は民謡かその類かも)が用いられているようだ。ブラームスの交響曲第1番の終楽章に既に登場するメロディとそっくりのようでいて微妙に音を外して盗作呼ばわりを避けているように思えてならないのだけど、偶々、柴田南雄「グスタフ・マーラー」を読み返したら、「ブラームスを聴き過ぎの向きには、このマーラーの旋律はブラームスのデフォルメないしはパロディに聞こえることであろう。」とほとんどバカにしたような書き方がしてあり、続いてこの主題の精密な分析が続くので、やはり素人の思いつきなど浅はかなものだとその時は思ったが、実は釈然としないでいる。
長い。
けど、これだけ勇ましい音楽、かと思うと、懐かしさを感ずるような素朴な音楽が頃良い塩梅で連続するのでちっとも飽きない。
長くて心配なのは自分の体調が維持できるかということだ。
そのうち、生演奏は諦めなくてはならなくなる時が来るだろうな。
声楽アルトの独唱が第4楽章になって初めて登場し、児童合唱(女声合唱も)が入るのが第5楽章だ(全6楽章構成)。つまり合唱団諸君は冒頭から着席し、1時間20分前後待たされてようやく出番が来て4分前後立ち上がって歌い、その後は30分前後の長大な終楽章が続くが出番はない。
今回は珍しくも児童合唱団員にとって不幸な出来事があった。
合唱団はサントリーホールP席に陣取った。児童合唱団は最前列と第2列に、女声合唱団は第3列から第5列までにそれぞれ着席して出番を待っていた。
ところがいよいよ第5楽章が始まる直前に全員が起立した…と思ったがセンター付近の女の子が一人席にうずくまっている。合唱が始まっても立たない。いや、どうも立てそうもない。体調が悪いようだ。
P席最前列センターの女の子が一人立てないでうずくまっているのはその周囲の数人を除けば合唱団にもオーケストラ団員にも分からなかったろうが、指揮者と観客にははっきりと見える。
おお可哀想そうに、と思うが、誰も救出に行けないのだ。
腹痛か、立ちくらみか分からないけど、立てない。歌えない。
これまで随分と練習をしてきて、ようやく晴れの舞台で、今日はゲネプロもこなしたはずだが、急変だったのだろう。いよいよの本番で、長い時間待たされた出番で立てない。歌えない。
その彼女の心中如何許かと思うととても可愛そうで見てられないけど目がすぐそこに行ってしまう。
あの状態ではそのままにするしかなかったろう。
とても傷ついたことだろう。このハプニングを引きずってトラウマにならなければよいがと祈るばかりだ。本当に気の毒なことだった。
マーラーも罪な音楽を書いたものだ。
ま、しかし、演奏は見事なものだった。
管楽器のミスが全く無かった訳ではない(弦楽器のミスは誰も気づかない。)。最終楽章の中盤にやや緊張が弛緩したように思ったが、そういう音楽なのかもしれない。しかし、ラストの2組のティンパニーによる強打の連続を聴きながら、ようやく終わるのか、というホッとした気持ちとまだ終わらないでくれという未練がせめぎ合った。
パーヴォの棒がとまって暫時無音。それをすぐ打ち破るブラボーの発声を合図に館内は割れんばかりの拍手・喝采に包まれた。
長いカーテンコールだった。
その間に、舞台後方脇で目立たないように待機していた案内嬢2名が腰をかがめて少女救出に向かった。
自分の足で階段を登っていったから大事には至らなかったようだ。
2016-135/♪サントリーホール-08
パーヴォ・ヤルヴィ:指揮
ミシェル・デ・ヤング:アルト
女声合唱:東京音楽大学
児童合唱:NHK東京児童合唱団
NHK交響楽団
マーラー:交響曲第3番ニ短調
マーラーにはなかなか素直になれないのだけど、特大オケに合唱団付きの大規模編成が繰り出す強力サウンドに圧倒される。
ほぼ1年前の9月に東響(ミューザ川崎シンフォニーホール)で聴いたのが第3番のナマの初聴きだった。その時もすごいと思ったが、初めての超大作にどちらかといえば気持ちが引きずられっぱなしという感があったが、今回はいろいろ細かいことに気がつくゆとりがあった。この間の1年で、CDやビデオ録画でこの第3番を何度聴いたことだろう(N響デュトワ指揮1824定期もいいが、パリ・オペラ座のバレエ全曲盤も非常に珍しく、また面白い。)。ようやくきちんと聴ける態勢が準備できていたのかも。
マーラーの交響曲の楽器編成に通じている訳ではないけど、何番を聴いても管・打楽器が大活躍するように思うが、少なくともこの第3番に限っては、これはもうブラスバンドに弦楽器がちょこちょこ協力しているという感じだ。
弦楽器はほとんど主旋律を与えられていないように思う。管楽器の演奏する主題を和音で支えたり、対旋律を弾く程度だ。
せいぜいチェロが活躍の場をそれも少々与えられているが(この時にコンバスも同一旋律を弾いていたかどうか、席からは確認できなかった。)、ほかにはビオラも少々。
バイオリンはコンマスに短いソロ(第4楽章声楽アルトのソロにかぶる)があるほか、ほとんど縁の下の力持ちだ。それも第2バイオリンの方が出番が多いのではないか。
これまで幾度となくマーラーの交響曲をナマで(演奏を見ながら!)聴いていたが、こんなにも弦楽器が粗略にされていたとは大発見だ。
N響ブラスバンド演奏会に弦楽部も賛助出演しました、の感じだ。
ま、それはともかく。
冒頭のホルン8本で演奏されるテーマ(その後も何度も繰り返される。)のテンポが良かった。この出だしはとても大切だが、これまでに聴き慣れている演奏よりも心持ち早かった(手持ちのインバル、マゼール、デュトワ、サイモン・ヒューウェット指揮パリ・オペラ座管版のいずれよりもパーヴォのテンポは僅かに早いように思える。パーヴォの指揮は他のマーラーでもベートーベンでもやや早めのテンポが音楽を一層引き締めているのではないかと思っている。)。
この主題にはドイツの学生歌(元は民謡かその類かも)が用いられているようだ。ブラームスの交響曲第1番の終楽章に既に登場するメロディとそっくりのようでいて微妙に音を外して盗作呼ばわりを避けているように思えてならないのだけど、偶々、柴田南雄「グスタフ・マーラー」を読み返したら、「ブラームスを聴き過ぎの向きには、このマーラーの旋律はブラームスのデフォルメないしはパロディに聞こえることであろう。」とほとんどバカにしたような書き方がしてあり、続いてこの主題の精密な分析が続くので、やはり素人の思いつきなど浅はかなものだとその時は思ったが、実は釈然としないでいる。
長い。
けど、これだけ勇ましい音楽、かと思うと、懐かしさを感ずるような素朴な音楽が頃良い塩梅で連続するのでちっとも飽きない。
長くて心配なのは自分の体調が維持できるかということだ。
そのうち、生演奏は諦めなくてはならなくなる時が来るだろうな。
声楽アルトの独唱が第4楽章になって初めて登場し、児童合唱(女声合唱も)が入るのが第5楽章だ(全6楽章構成)。つまり合唱団諸君は冒頭から着席し、1時間20分前後待たされてようやく出番が来て4分前後立ち上がって歌い、その後は30分前後の長大な終楽章が続くが出番はない。
今回は珍しくも児童合唱団員にとって不幸な出来事があった。
合唱団はサントリーホールP席に陣取った。児童合唱団は最前列と第2列に、女声合唱団は第3列から第5列までにそれぞれ着席して出番を待っていた。
ところがいよいよ第5楽章が始まる直前に全員が起立した…と思ったがセンター付近の女の子が一人席にうずくまっている。合唱が始まっても立たない。いや、どうも立てそうもない。体調が悪いようだ。
P席最前列センターの女の子が一人立てないでうずくまっているのはその周囲の数人を除けば合唱団にもオーケストラ団員にも分からなかったろうが、指揮者と観客にははっきりと見える。
おお可哀想そうに、と思うが、誰も救出に行けないのだ。
腹痛か、立ちくらみか分からないけど、立てない。歌えない。
これまで随分と練習をしてきて、ようやく晴れの舞台で、今日はゲネプロもこなしたはずだが、急変だったのだろう。いよいよの本番で、長い時間待たされた出番で立てない。歌えない。
その彼女の心中如何許かと思うととても可愛そうで見てられないけど目がすぐそこに行ってしまう。
あの状態ではそのままにするしかなかったろう。
とても傷ついたことだろう。このハプニングを引きずってトラウマにならなければよいがと祈るばかりだ。本当に気の毒なことだった。
マーラーも罪な音楽を書いたものだ。
ま、しかし、演奏は見事なものだった。
管楽器のミスが全く無かった訳ではない(弦楽器のミスは誰も気づかない。)。最終楽章の中盤にやや緊張が弛緩したように思ったが、そういう音楽なのかもしれない。しかし、ラストの2組のティンパニーによる強打の連続を聴きながら、ようやく終わるのか、というホッとした気持ちとまだ終わらないでくれという未練がせめぎ合った。
パーヴォの棒がとまって暫時無音。それをすぐ打ち破るブラボーの発声を合図に館内は割れんばかりの拍手・喝采に包まれた。
長いカーテンコールだった。
その間に、舞台後方脇で目立たないように待機していた案内嬢2名が腰をかがめて少女救出に向かった。
自分の足で階段を登っていったから大事には至らなかったようだ。
2016-135/♪サントリーホール-08