2017-06-21 @紀伊國屋サザンシアター
「熊楠の家」
作=小幡欣治 演出=丹野郁弓
出演
南方熊楠(植物学者)千葉茂則
松枝(熊楠の妻)中地美佐子
熊弥(熊楠の長男)大中耀洋
文枝(熊楠の長女)八木橋里紗
喜多幅武三郎(熊楠の友人。眼科医)横島 亘
佐武友吉(石屋)吉田正朗
金崎宇吉(洋服屋)平松敬綱
毛利清雅(牟婁新報社主)安田正利
小畔四郎(熊楠の弟子)齊藤尊史
文吉(熊楠の助手)平野 尚
油岩(生花の師匠)齊藤恵太
久米吉(床屋)梶野 稔
相原(役場の吏員)天津民生
馬場(牟婁新報の社員)本廣真吾
汐田政吉(熊楠の従兄弟)境 賢一
那屋(田辺町長)山本哲也
江川(宿屋の主人)大野裕生
奥村(町の有力者)天津民生
大内(町の有力者)梶野 稔
お品(手伝いの老婆)別府康子
つるえ(南方家の女中)望月香奈
看守相良英作
女行商人大黒谷まい
人夫1保坂剛大
人夫2大野裕生
久し振りの民藝で「熊楠の家」。でも、どんな演目を観ても「民藝」ぽいのは当然といえば当然だけど、三越劇場はもちろん、サザンシアターでさえ観客はほぼ老人会の如し。ちょっとは冒険しないと客層が拡がらないのでは、といつも思う。
南方熊楠の生誕150年に当たることもあってか、彼の学者としての半生を描いたものだ(22年ぶりの再演)。
明治時代の生物学者、程度の知識しかなかったが、観劇を機に調べると、生物・博物・民俗学など広範囲に活躍した人らしい。
この先生、相当奇人だったようだが、この芝居では、それほどエキセントリックには描かれず、精神を病んだ息子を抱えて悩む普通の良き家庭人のようだ。
まさしく表題のとおり「熊楠の家」を舞台にしたホームドラマと言うべきか。
プロットは分かりやすい。
見落とした、と思った点もないのし消化不良もなかったと思うが、あまり気持ちが乗れなかった。
全2幕でそれぞれが5場。ということは全10場もあると目まぐるしく各場毎の挿話が深まらないのも原因かも。
英米で学び、語学も堪能で近代思想を学んだ学者にしては神社合祀令への抵抗もあっさり描かれ、昭和天皇へのご進講もすんなり受け入れてホームドラマの枠を出ない。
知の巨人と言われた人物の途方もない大きさを感じさせてほしかった。
♪2017-107/♪紀伊國屋サザンシアター-01
2017年6月21日水曜日
2015年12月17日木曜日
劇団民藝:根岸庵律女
2015-12-17 @三越劇場
作⇒小幡欣治
演出⇒丹野郁弓
劇団民藝
正岡律(子規の妹・のちに裁縫教師)⇒中地美佐子
正岡八重(律の母)⇒奈良岡朋子
正岡子規(律の兄・俳人)⇒齊藤尊史
衣川登代(子規の弟子)⇒桜井明美
中堀貞五郎(律の前夫)⇒横島亘
お源(魚屋の内儀)⇒大越弥生
里枝(裁縫塾の生徒)⇒大黒谷まい
ほか
「根岸庵律女」
正岡子規が母・八重と妹・律を伴って上京し、根岸に居を構えて4年(だったかな?)。俳人としての名前も広まり、多くの門人を抱えて根岸派ともてはやされ始めた頃、子規は病を得る。
物語はその時期から始まる。
律は、兄・子規からは強情だの向こう気甚だ強しだのと悪しざまに言われ、母・八重からは裁縫の腕も頼りなく言われていたが、すでに2度の結婚に失敗しており、前夫からの再婚の申し出も断って、もっぱら、子規の世話に献身した。
子規の死後は、得意ではなかった針仕事も、生活のために、裁縫の学校に通い、若い女性たちに教授するまでになった。
八重ともども子規の功績を守り、伝承することに傾注し、正岡の家計が途絶えるのを嫌って親戚から養子を迎えた。
しかし、この養母・律は養子には俳句を禁ずるなどしたためか、必ずしも折り合いは良くなく、養子は大学進学先を東京ではなく、京都に求めて旅立つ。
残された律の悄然とした姿。
八重は庭のヘチマに群れるホタルを恰も子規の霊のように見ながら「ノボさん、あんたが悪いのよ」とつぶやく。
暗転して、子規の辞世の句など5句を大書した垂れ幕がどんと降りてきて、律の声かな?朗読されて幕が降りる。
…とまあ、こんな筋書きだ。
タイトルからも、物語の主人公が子規でも、八重でもなく、律であることは分かる。
すると、俳句の神様と呼ばれた兄の世話をしてその才能を活かそうと努力し、兄の死後はその功績を正しく守るということに人生を捧げた女性の生き様を描くことがこの芝居の眼目だということも分かる。
しかし、それが成功していたかどうか、心もとない。
僕の観方も浅いと思うが、登場人物が結構な数なので、肝心の律の葛藤が浮かび上がらない。
律と子規との掛け合いも、どこにでもいそうな兄妹ぐらいにしか見えない。
天才だが精神も肉体も病んでいる兄とそれを支える妹の関係は病人と看護婦のようなものではなくて、もっと激しく強い愛憎が横たわっているのではないかと思うのだけど、どうもその点の表現が通俗的だ。
養母と養子の葛藤も省略されているので、養子が仙台の高等学校を卒業したら一緒に東京で暮らせると思っていた律や八重の落胆が十分に伝わらず、その結果、これは家庭崩壊の話としても説得力不足だ。
加えて、八重の存在が大きすぎるのではないか。
冒頭、緞帳が上がると舞台中央には縫い物を手にした八重が座っている。しかも、それが奈良岡朋子であれば、観客の関心はギュッと彼女に集中してしまう。
子規のように前半で没してしまう役ではなく、全篇通じて登場するのだから、いくら軽く演じてもその存在感は重い。
初演は1998年(17年前)で、八重は北林谷栄、律は奈良岡朋子…のあて書きだったそうだ。すると、すでに枯れていた北林に貫禄充分な奈良岡ならば、八重と律のバランスはちょうど良かったのかもしれないが。
演技のこともよく分からないが、少なくとも主要登場人物4人(律⇒中地美佐子、八重⇒奈良岡朋子、登代⇒桜井明美、子規⇒齊藤尊史)はとても好演していると思う。特に齊藤尊史は熱演。
そして御大奈良岡朋子はとても控えめに、軽ろやかに演じていると思った。芝居の演技だけど芝居がかっていない。
にも関わらず、律のシンパシーを感じられなかったのは、僕の観方の問題もあるだろうけど、演出の問題でもなく、原作があて書きだったというところにも一因しているような気がしてならない。
余談:
彼の詠んだ俳句で知っていたのは2つだけ。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」
「鷄頭の十四五本もありぬべし」
そこで今頃気がついた。
舞台の子規の病床の庭に鉢植えにされていた花は鶏頭だったのだ。
また庭には糸瓜の棚が作ってあったが、糸瓜から出る水は痰を和らげる漢方薬になるからだ。
もっとも、このことは事前に知らなかったし、芝居の中でも説明がなかったように思う(聞き逃したかも?)。
それで、ピンとこなかったのだが、絶筆となった辞世の3句。
* …痰が多すぎてヘチマ水がいくらあっても間に合わない。
「絲瓜咲て痰のつまりし佛かな」
* …ヘチマが咲いたが痰が喉仏に絡んで死にそ!
「をととひのへちまの水も取らざりき」
* …一昨日のヘチマ水が薬効があったと聞くが取りそこねたよ。
まさに鳴いて血を吐く「ホトトギス」(の漢字表記⇒子規。)の最後が壮烈だ。
* 句の意味は、俄勉強した結果だいたいこんなところだろうという無責任訳。
♪2015-127/♪三越劇場-01