2024年2月6日火曜日
令和6年2月文楽公演第1部
2023年2月8日水曜日
未来へつなぐ国立劇場プロジェクト 初代国立劇場さよなら公演 近松名作集第Ⅰ部 心中天網島



2022年9月5日月曜日
未来へつなぐ国立劇場プロジェクト 初代国立劇場さよなら公演 第二部「寿柱立万歳」、「碁太平記白石噺」浅草雷門の段/新吉原揚屋の段
2022-09-05@国立劇場
第二部
●寿柱立万歳
太夫⇒竹本三輪太夫
才三⇒豊竹希太夫
ツ ⇒豊竹薫太夫
レ⇒竹本文字栄太夫
竹澤團七
鶴澤寛太郎
鶴澤燕二郎
鶴澤清方
************************
人形役割
太夫⇒ 吉田玉也
才三⇒ 吉田蓑一郎
●碁太平記白石噺 (ごたいへいきしらいしばなし)
浅草雷門の段
口 豊竹亘太夫/竹沢團吾
奥 豊竹咲太夫/鶴澤燕三
新吉原揚屋の段
切 豊竹呂太夫/鶴澤清介
************************
人形役割
豆蔵どじょう⇒ 吉田勘一
大黒屋惣六⇒ 桐竹勘壽
悪者観九郎⇒ 桐竹紋秀
妹おのぶ⇒ 吉田一輔
傾城宮城野⇒ 吉田和生
ただ、Ⅰ部は、真面目て働き者の農民に降りかかるこの上もない悲劇の連続が、後半の敵討ちの期待を盛り上げて面白いのだけど、Ⅱ部では、Ⅰ部の登場人物が1人しか登場せず、話が繋がっていることは分かっていても、感情移入ができない。
いよいよ敵討ちに出立する段になっても、時機を待てと止められては観客も納得できん。
こんなことなら、第Ⅲ部も通して決着の付く話に仕立てるべきではなかったか。
♪2022-125/♪国立劇場-082021年9月5日日曜日
国立劇場開場55周年記念 人形浄瑠璃文楽 令和3年9月公演第Ⅱ部
2021年2月19日金曜日
鶴澤清治文化功労者顕彰記念 人形浄瑠璃文楽 令和3年2月公演第Ⅲ部
2021-02-19@国立劇場
●冥途の飛脚
淡路町の段
封印切の段
道行相合かご
小住太夫/清𠀋/織太夫/宗助/
千歳太夫/富助/
三輪太夫/芳穂太夫/亘太夫/碩太夫/團七/團吾/友之助/清允
紋臣/亀次/勘市/勘十郎/玉佳/文司/蓑一郎/勘彌/玉翔/玉誉〜
近松の心中もの。ちょうど4年前の2月公演でも上演されて観に行った。
遊女梅川に入れ込んだ飛脚問屋の跡継忠兵衛が、預り金に手を付けてまで身請けしたものの、それまでに築き上げてきた財産も信用もなくした上に法を犯して追われる身となり果てる。
かくなる上は二人して「生きられるだけ生きよう」と必死の道行。
霙の舞う中、一枚の羽織を「お前が」、「忠兵衛さんが」と互いに着せ合うのが美しくも哀しい。
自分で自分を冥土に運ぶ飛脚になってしまった忠兵衛は二十四歳。
梅川も二十歳前後だろう。
分別無くし、運命の糸に絡みとられて死出の旅。
♪2021-015/♪国立劇場-02
2020年9月22日火曜日
人形浄瑠璃文楽令和2年9月公演第Ⅱ部
2020-09-22 @国立劇場
鑓の権三重帷子 (やりのごんざかさねかたびら)
浜の宮馬場の段
藤太夫/團七
浅香市之進留守宅の段
織太夫/藤蔵・清允(琴)
数寄屋の段
切 咲太夫/燕三
伏見京橋妻敵討の段
三輪太夫・芳穂太夫・小住太夫・
亘太夫・碩太夫/清友・團吾・友之助・清公
人形役割
笹野権三⇒玉男
川側伴之氶⇒文司
岩木忠太兵衛⇒玉輝
女房おさゐ⇒和生
浅香市之進⇒玉佳
ほか
2月以来7月ぶりの再開文楽公演は1日4部公演に。第4部は鑑賞教室なので実質は3公演と、まあこれまでも無かった訳ではないが、各部間の待ち時間が1時間以上に延びて、本篇は1時間半〜2時間弱とえらく短くなった。料金は少し安くなったが、時間単価は高くなりぬ。
第2部は「鑓の権三重帷子」で初見。東京では11年ぶりの上演。
近松三大姦通ものの一つだそうな。これは実に面白かった。
そんなつもりは毛頭なけれどちょっとした偶然が重なって、権三と茶道師匠の女房おさゐは姦通を疑われ、疑いを晴らすことなく師匠による妻敵討ちにあう途を選択する。
その喧騒を背景に江戸から帰ったおさゐの夫の手にかかり2人は彼らなりの本望を遂げ、何もなかったかのように祭りは続く。
粋な終わり方にだ。
2人は姦通などしなかった。
が、その後の道行きで両者は深い仲になったのではないか。
それらしき行動も台詞も一切ないが、それを感じさせるところが艶かしい。そうでなくちゃ言い訳もせずに、心中もせずに、おさゐの夫の名誉の為に、妻(め)敵討ち(妻を奪った男を成敗する)を待つなんてたまらないからなあ…と思うのは下衆な感性かな。
♪2020-054/♪国立劇場-05
2019年11月20日水曜日
国立文楽劇場開場35周年記念11月文楽公演 第1部「心中天網島」
心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)
北新地河庄の段
織太夫/清介
呂勢太夫/清治
天満紙屋内の段
希太夫/清馗
呂太夫/團七
大和屋の段
咲太夫/燕三
道行名残の橋づくし
三輪太夫・睦太夫・靖太夫・小住太夫・
文字栄太夫/
清友・團吾・友之助・清公・清允
人形役割
紀伊国屋小春⇒簑二郎
粉屋(こや)孫右衛門⇒玉助
紙屋治兵衛⇒勘十郎
女房おさん⇒清十郎
ほか
「心中天網島」は9月に東京で観たばかりだが、せっかく大阪に行くのだからこちらも鑑賞。
演者が少し変わった。
東京では小春を和生が遣ったが大阪では河庄の前後半で簑二郎・簑助が勤めた。
太夫・三味線も変わったが河庄奥の呂勢太夫・清治、天満紙屋奥の呂太夫・団七、大和屋切の咲太夫・燕三といった重要な場面は同じ配役だった。
唯一人の切り場語り咲太夫は何度も聴いているけど、この秋、人間国宝に指定されてからは初めてということになる。ますます、ありがたみが増したような…。
甲斐性なしの紙屋治兵衛28歳。
惚れてしまった遊女小春18歳。
いずれも数えだから現代風ではもうちょっと幼い。
巻き込まれた女房おさんこそ大迷惑。
治兵衛らに同情はできないが、その心中場面。
先に殺めた小春から抜き取った真っ赤な帯揚げ?で首を括る治兵衛。
この絵の美しさが哀れを引き立たせる。
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咲太夫 |
2019年9月19日木曜日
人形浄瑠璃文楽令和元年09月公演 第1部 心中天網島
北新地河庄の段
三輪太夫/清志郎
呂勢太夫/清治
天満紙屋内の段
津国太夫/團吾
呂太夫/團七
大和屋の段
咲太夫/燕三
道行名残の橋づくし
芳穂太夫・希太夫・小住太夫・亘太夫・碩太夫/
宗助・清丈・寛太郎・錦吾・燕二郎
人形役割
紀伊国屋小春⇒和生
粉屋(こや)孫右衛門⇒玉男
紙屋治兵衛⇒勘十郎
女房おさん⇒勘彌
ほか
妻子有28歳紙屋治兵衛が曽根崎新地の19歳遊女小春に入れあげ、女房おさんは苦しみつつも亭主の顔を立て、小春もおさんと治兵衛の情の板挟みで身動き取れず。
恋・金・義理・人情が絡んでほぐれずどうにもならぬと落ちてゆくも哀れなり。
「道行名残の橋づくし」の義太夫に乗せて、難波の川端彷徨って遂には網島・大長寺で情死する。治兵衛と小春は身から出た錆とは言えるが、おさんがあまりに可哀想。4時間近い大曲だが救いのない話に悄然と劇場を出る。
♪2019-141/♪国立劇場-11
2019年5月16日木曜日
国立文楽劇場開場35周年記念 人形浄瑠璃文楽05月公演 通し狂言「妹背山婦女庭訓」第2部
通し狂言「妹背山婦女庭訓」
(いもせやまおんなていきん)
●第二部(午後3時45分開演〜午後9時終演予定)
三段目
妹山背山の段
背山:千歳太夫・藤太夫<文字久太夫改>/藤蔵・富助
妹山:呂勢太夫・織太夫/清助・清治*・清公
四段目
杉酒屋の段
津駒太夫/宗助
道行恋苧環(みちゆきこいのおだまき)
芳穂太夫・靖太夫・希太夫・咲寿太夫・
碩太夫/勝平・清丈・寛太郎・錦吾・燕二郎
鱶七上使の段
藤太夫/清馗
姫戻りの段
小住太夫/友之助
金殿の段
呂太夫/團七
人形▶簑紫郎・簑助*・玉助・玉男・和生*・一輔・
清十郎・勘十郎・分司・玉志・ほか
*人間国宝
さて、第1部の開幕前に客席に入るとすぐ気がついたことは、太夫・三味線が座る「床」が、今回の公演では2カ所にあるということだ。通常は舞台上手側の客席に張り出している。今回は、下手にも全く同様の「床」が誂えてあった。左右対照に向かい合っているのだ。こんな形を見るのは初めてなので、どういう風に使うのだろうと、疑問に思っていたが、第1部では結局使われなかった。
第2部冒頭の「妹山背山の段」ではその両方の床に太夫と三味線が位置した。舞台上は中央に吉野川が舞台奥から客席側に向かって流れている。川を挟んで下手が妹山側で、こちらに雛鳥が住む太宰の館があり、上手は背山側で、大判事の館には久我之助が住んでいる。互いに顔は見合わすことができるが、川を渡ることは禁じられている。
この2人に、それぞれの家の立場の確執が元で悲劇が生ずる。
それを、左右の床で語り分け、掛け合うのが素晴らしい。
この段の三味線も義太夫も人形も、悲劇的な筋書きも相まって鳥肌ものの緊張が続く。この段だけで休憩なしの約2時間という長丁場。いやはや興奮の連続だ。
ここでは、千歳太夫、藤太夫、呂勢太夫、織太夫の義太夫も人間国宝・鶴澤清治ほかの三味線も迫力満点でゾクゾクしてくる。
人形の方も、吉田簑助・吉田和生と人間国宝が登場し、文楽界の3人しかいない人間国宝が全員、この段に投入されているのだ。この贅沢感は目眩がするほどの興奮をもたらしてくれる。
が、この段が終わると、物語はまた木に竹継いだような運びになる。
藤原鎌足の息子・藤原淡海(求馬)を巡る、彼の政敵・蘇我入鹿の妹・橘姫と酒屋の娘・お三輪の三角関係の話が続き、その過程で女性の守るべき教え=「婦女庭訓」のエピソードがほんの少し登場してタイトルの辻褄を合わせる。
橘姫を追って入鹿の屋敷に入った求馬をお三輪も追いかけたが、彼女にはその屋敷の中で思いもよらぬ運命が待っていた。
全体としてはかなり無理のある継ぎ接ぎだらけの話なのだけど、最終的には藤原勢が入鹿を追い詰めるということで、大化の改新の大筋は保っている。また、継ぎ接ぎを構成するそれぞれの話が、各個独立して面白いので、全体の整合性はともかく、大いに楽しめる。いやはやびっくりするほど楽しめる。
♪2019-065/♪国立劇場-07
2019年2月15日金曜日
人形浄瑠璃文楽平成31年02月公演 第2部
近松門左衛門=作
大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)
大経師内の段
中⇒希太夫/鶴澤清丈
奥⇒文字久太夫/鶴澤藤蔵
岡崎村梅龍内の段
中⇒睦太夫/鶴澤友之助
奥⇒呂太夫/竹澤團七
奥丹波隠れ家の段
三輪太夫・南都太夫・咲寿太夫/鶴澤清友
人形▶吉田和生・吉田簑紫郎・吉田勘一・吉田玉勢・
吉田簑一郎・吉田玉志・吉田玉也
近松門左衛門の<世話物>の中でも、「大経師昔暦」は「冥途の飛脚」、「曾根崎心中」、「女殺油地獄」、「心中天網島」などと並んで、非常に有名な作品だが、あいにくこれまで文楽でも歌舞伎でも観たことはなかった。
この話も、おさん・茂兵衛にとって、ほんのちょっとしたはずみの事故のような出来事が、悪い方へ悪い方へと転がり、糸がもつれもつれて絡み合い、もう、どうにもならずに最悪の逃避行へと転落する。
茂兵衛への恋心から茂兵衛に味方した下女のお玉は京に近い岡崎村の伯父・梅龍の元に預けられ、おさん・茂兵衛は逃避行の傍、そこを尋ね、その後奥丹波に隠れ住むが、それも長くは続かず、ついに追っ手の手にかかる。
そこに梅龍が、お玉の首を持参し、全ての罪はお玉にあるので成敗した。おさん・茂兵衛に罪はない、と役人に申し立てるが、2人の不義は濡れ衣だと証明できる唯一の証人を殺してしまったと梅龍の早計を惜しみ、梅龍は地団駄踏んで悔しがる。
このラストチャンスまで、むしろ善意が3人の人生を踏み潰してしまうという悲劇に慄然とする。
それでも、おさん・茂兵衛はお互いに真実の愛を知らぬまま今日に至り、思いがけない地獄への道行きの中で、純愛に準ずることができたのがせめてもの幸いか。
今回は、ここまでの上演だったが、近松の原作ではその後2人は助命されるそうだ。にもかかわらず、実話の方は両者磔、お玉は獄門晒し首になるそうで、劇中、それを予告するかのように、おさん・茂兵衛の影が磔の姿に、お玉は窓から顔を出したその影が獄門首に見えるように演出されていて、これはかなり気味が悪い。
余談:
この話も「桂川連理の柵」同様、実話が基になっている。
それを最初に浮世草子として発表したのが井原西鶴(「好色五人女」の中の「暦屋物語」)で、その33年後に近松門左衛門が同じ題材で浄瑠璃「大経師昔暦」を発表した。
両者の話の細部は知らないので相違も知らなかったが、これらを原作にした溝口健二監督の名作映画「近松物語」は何度も観てよく知っているので、近松の浄瑠璃「大経師昔暦」もおよそ、この映画のストーリーに近いものだと思い込んでいたが、実際に観てみると少し様子が異なる。
後からの俄か勉強だが、そもそも西鶴の描いた物語と近松の物語とではおさん・茂兵衛の関係がだいぶ違うようだ。加えて、溝口が映画化した際は、その両者を合体させてシナリオを作ったという。
映画の方は合理的な筋の展開で無理がなく共感するものが多いが、文楽「大経師昔暦」ではおさんと茂兵衛が不義の仲になる設定に無理がある。
大経師の女房おさんと下女お玉が寝所を交代する目的は、おさんがお玉のふりをして亭主・以春のお玉への夜這いの現場を押さえ、懲らしめる事にあった。
一方、茂兵衛は昼間自分を助けようとしてくれたお玉に礼を言おうと寝所に忍び込む。暗闇で顔が分からないとしても、茂兵衛が言葉は発しないとしても、おさんには忍び込んで来た男が自分の亭主でないことくらい素ぶりで分かるはず。にも関わらず、抵抗もせず、情を通じてしまうのも不可解。
だからこそ、溝口はここを改めて、すぐお互いが意中の人ではないと気がつくが、何しろ深夜の寝所に2人でいるところを見られたことで不義が疑われるという筋に変えている。
床本(シナリオ)を読む限り、2人はお互いの顔を確認した上で、互いに予期する相手ではなかったが、それでも結ばれるという筋立てに変更する演出は可能だし、そうすればその後の逃避行もよく分かるのだが、「伝統芸能」の世界では、新劇のような自由な解釈は許されないのだろうな。
♪2019-017/♪国立劇場-04
2018年9月10日月曜日
人形浄瑠璃文楽平成30年9月公演 第1部「良弁杉由来」、「増補忠臣蔵」
<明治150年記念>
南都二月堂
●良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)
志賀の里の段
睦太夫・小住太夫/鶴澤清友
桜の宮物狂いの段
津駒太夫・津國太夫・芳穂太夫・咲寿太夫/鶴澤藤蔵・
清馗・寛太郎・清公・清允
東大寺の段
靖太夫・野澤錦糸
二月堂の段
千歳太夫・豊澤富助
◎人形⇒吉田和生・桐竹紋臣・吉田玉男
●増補忠臣蔵(ぞうほちゅうしんぐら)
本蔵下屋敷の段
呂太夫・咲太夫/竹澤團七・鶴澤燕三・燕二郎
◎人形⇒吉田玉佳・吉田玉志・吉田玉助・吉田一輔
1日で第1部と第2部を通して観た。歌舞伎座で昼の部と夜の部を通して見るようなものだ。11時から20時34分まで。もちろん数回の休憩と入れ替えの時間があるが、それらを含めて9時間34分も小劇場の椅子に座っていたことになる。
2部の「夏祭浪花鑑」については興行が別なので感想も別に書いたが、これは消化不良だった。
それに対比して、第1部の2本*はいずれも初見だったにもかかわらず、ほぼ完全消化できた。そしていずれも大いに楽しめた。
●「良弁杉由来」は、幼い子どもを鷲に攫われた渚の方が悲しみのあまり狂女となって30年。乗り合わせた船の中で東大寺の良弁上人が幼い頃鷲にさらわれたという噂を聞き、訪ねた二月堂で親子念願の再会を果たす。
「志賀の里の段」での大鷲の仕掛け、「桜の宮物狂いの段」では桜の花盛りの中、シャボン玉も登場して笑いを誘う。その華やかさの一方でやつれ果てた狂女のが川面に写った自分の姿を見て30年間失っていた正気を取り戻す。
「二月堂の段」では書割とはいえ、二月堂の威容が見事だ。感動的な名乗り合いと再会の前に、良弁の登場の先触れに登場する奴たちが長い槍を放り投げては受け取るというアクロバティックな見どころも用意されていて心憎い。
この段では千歳太夫の渾身の語りが観る者、聴く者の心を揺り動かした。
●「増補忠臣蔵」は「仮名手本忠臣蔵」の外伝の一つで、有名な九段目「山科閑居の場」の前日譚だ。
本篇(仮名手本〜)では家老加古川本蔵の主人、桃井若狭之助は短慮で直情径行な若殿という扱いになっているが、この増補版では本蔵の心情を良く理解し、本蔵の決死の覚悟を知って見送る英邁な若殿様に成長している。
後日にできた前日譚だろうが、この話を知ることで、本篇九段目に本蔵が虚無僧姿で山科の由良助の閑居を訪れること、高師直の屋敷の図面を持っていることなどが、ピシャリと嵌ってなるほどと思う訳だ。
主従の絆や親子の情愛がとても分り易く表現されて面白い。
この演目で、「前」の太夫は呂太夫(三味線は團七)、「切」は唯一の切場語りである咲太夫(〃燕三)という豪華版でしっとりと聞かせてくれた。
*第1部は「明治150年記念」という冠がついているが、2本とも明治期に初演された演目だ。
♪2018-109/♪国立劇場-12
2018年2月14日水曜日
人形浄瑠璃文楽平成30年2月公演 第1部「心中宵庚申」
近松門左衛門=作
心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)
上田村の段
竹本文字久太夫
鶴澤藤蔵
◎人形
豊松清十郎⇒姉おかる
桐竹勘十郎⇒女房お千代
吉田玉也⇒島田平右衛門
吉田玉男⇒八百屋半兵衛 ほか
八百屋の段
竹本千歳太夫
豊澤富助
◎人形
吉田分司⇒伊右衛門女房
吉田玉男⇒八百屋半兵衛
吉田簑一郎⇒八百屋伊右衛門
桐竹勘十郎⇒女房お千代 ほか
道行思ひの短夜(みじかよ)
竹本三輪太夫⇒お千代
豊竹芳穂太夫⇒半兵衛
豊竹希太夫

竹澤團七
鶴澤清志郎
鶴澤友之助
鶴澤錦吾
鶴澤清允
◎人形
吉田玉翔⇒庚申参り
吉田簑太郎⇒庚申参り
吉田玉男⇒八百屋半兵衛
桐竹勘十郎⇒女房お千代
近松の心中物と言えば、大抵は女は遊女、男は手代とか婿養子といういずれも弱い立場の組み合わせが多いようだが、「心中宵庚申」は好きあって連れ添い腹に子を宿した女房とその亭主の心中だ。
そこで思い出したのは、先日新国立劇場で観た「近松心中物語」(秋元松代作)だ。「冥途の飛脚」を軸に「卯月の紅葉」とその続編「卯月の潤色(うづきのいろあげ)」を合わせて作劇してあるが「卯月〜」こそ夫婦の心中ものだった。尤も「〜紅葉」では男は死に損ない、「〜潤色」で後追い自殺するのだから厳密には心中とはいえない。ついでに「冥途の飛脚」も「近松心中物語」では2人で心中するが、原作の方は追手から逃げてゆくところで終わっているのでこれも心中物ではない。
すると、厳密な夫婦心中物はひょっとして「心中宵庚申」だけかもしれないな。
実家に戻った日に訳を知らない半兵衛が旅の帰りにその実家を訪ねてことの仔細を知り、大阪に連れ帰ったが、義母の手前、家に入れることはできず従兄弟の家に隠し、時々の逢瀬を楽しんでいた。しかし、それも義母の知るところとなり、半兵衛はお千代との離縁を強く求められる。
義母への恩もあり、義理と愛情との板挟みで苦しんだ挙句、お千代を正式に離縁した。その夜は宵庚申だった。半兵衛とお千代は今度こそ一生連れ添おうと、庚申参りの賑わいに紛れて生玉神社へゆき夜明けを待って心中をした。
なんとも哀れなお千代だ。
半兵衛も元は武士であるのに、何という気の弱さ。

義太夫、三味線、人形遣いの巧拙はよく分からないが、この三者の織りなす世界は不思議な魅力に満ちている。
例えば、お千代の哀しさは、人間が演ずるより人形の方が心に染み入るようだ。お千代の役だけではなく、人形が演ずる(遣っているのは人間だが)ことで、観ている方の感情の振幅が素直に増大されるような気がする。もちろん、語りと三味線が息を合わせているからこそだが。
今回の公演は3部あり、今日はまず第1部を観た。次は第2部が今回の要の公演で八代目竹本綱太夫の五十回忌追善と豊竹咲甫大夫改め六代目竹本織太夫襲名披露公演「摂州合邦辻」、第3部が「女殺油地獄」でいずれも楽しみだ。
♪2018-018/♪国立劇場-02