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2019年5月16日木曜日

国立文楽劇場開場35周年記念 人形浄瑠璃文楽05月公演 通し狂言「妹背山婦女庭訓」第2部

2019-05-16 @国立劇場


通し狂言「妹背山婦女庭訓」
(いもせやまおんなていきん)

●第二部(午後3時45分開演〜午後9時終演予定)
 三段目
  妹山背山の段
   背山:千歳太夫・藤太夫<文字久太夫改>/藤蔵・富助
      妹山:呂勢太夫・織太夫/清助・清治*・清公

 四段目
  杉酒屋の段
   津駒太夫/宗助
      道行恋苧環(みちゆきこいのおだまき)
   芳穂太夫・靖太夫・希太夫・咲寿太夫・
   碩太夫/勝平・清丈・寛太郎・錦吾・燕二郎
      鱶七上使の段
   藤太夫/清馗
      姫戻りの段
   小住太夫/友之助
      金殿の段
   呂太夫/團七
     
人形▶簑紫郎・簑助*・玉助・玉男・和生*・一輔・
   清十郎・勘十郎・分司・玉志・ほか

*人間国宝


第2部は「妹山背山の段」から始まる。話は、序盤で出会った若い久我之助と雛鳥の、両家(の親)が争っているが故に恋を成就できない悲劇の物語だ。どこが「大化の改新」と繋がるのか、これは相当無理がある。しかし、ここでは、そんなことはどうでも良い。最終的にはそれなりに繋がるのだから。

さて、第1部の開幕前に客席に入るとすぐ気がついたことは、太夫・三味線が座る「床」が、今回の公演では2カ所にあるということだ。通常は舞台上手側の客席に張り出している。今回は、下手にも全く同様の「床」が誂えてあった。左右対照に向かい合っているのだ。こんな形を見るのは初めてなので、どういう風に使うのだろうと、疑問に思っていたが、第1部では結局使われなかった。

第2部冒頭の「妹山背山の段」ではその両方の床に太夫と三味線が位置した。舞台上は中央に吉野川が舞台奥から客席側に向かって流れている。川を挟んで下手が妹山側で、こちらに雛鳥が住む太宰の館があり、上手は背山側で、大判事の館には久我之助が住んでいる。互いに顔は見合わすことができるが、川を渡ることは禁じられている。
この2人に、それぞれの家の立場の確執が元で悲劇が生ずる。
それを、左右の床で語り分け、掛け合うのが素晴らしい。
この段の三味線も義太夫も人形も、悲劇的な筋書きも相まって鳥肌ものの緊張が続く。この段だけで休憩なしの約2時間という長丁場。いやはや興奮の連続だ。

ここでは、千歳太夫、藤太夫、呂勢太夫、織太夫の義太夫も人間国宝・鶴澤清治ほかの三味線も迫力満点でゾクゾクしてくる。
人形の方も、吉田簑助・吉田和生と人間国宝が登場し、文楽界の3人しかいない人間国宝が全員、この段に投入されているのだ。この贅沢感は目眩がするほどの興奮をもたらしてくれる。

が、この段が終わると、物語はまた木に竹継いだような運びになる。

藤原鎌足の息子・藤原淡海(求馬)を巡る、彼の政敵・蘇我入鹿の妹・橘姫と酒屋の娘・お三輪の三角関係の話が続き、その過程で女性の守るべき教え=「婦女庭訓」のエピソードがほんの少し登場してタイトルの辻褄を合わせる。
橘姫を追って入鹿の屋敷に入った求馬をお三輪も追いかけたが、彼女にはその屋敷の中で思いもよらぬ運命が待っていた。

全体としてはかなり無理のある継ぎ接ぎだらけの話なのだけど、最終的には藤原勢が入鹿を追い詰めるということで、大化の改新の大筋は保っている。また、継ぎ接ぎを構成するそれぞれの話が、各個独立して面白いので、全体の整合性はともかく、大いに楽しめる。いやはやびっくりするほど楽しめる。

♪2019-065/♪国立劇場-07

2019年2月2日土曜日

人形浄瑠璃文楽平成31年02月公演 第3部

2019-02-02 @国立劇場


第三部
鶊山姫捨松(ひばりやまひめすてのまつ)
 中将姫雪責の段
     前⇒  靖太夫/錦糸
     奥⇒  千歳太夫/富助
     胡弓⇒    錦吾

  人形▶紋臣・一輔・二郎・文哉・紋秀・清五郎・簑助・玉也

壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)
 阿古屋琴責の段
     阿古屋⇒ 津駒太夫
     重忠⇒  織太夫
     岩永⇒       津國太夫
     榛沢⇒       小住太夫
     水奴⇒       碩太夫
          清助
     ツレ⇒       清志郎
     三曲⇒       寛太郎

  人形▶玉助・文司・玉翔・勘十郎・勘助・玉路・和馬・簑之

Ⅰ部、Ⅱ部は後日に回して。
Ⅲ部は「鶊山(ひばりやま)姫捨松」中将姫雪責の段と「壇浦兜軍記」阿古屋琴責の段。
2本とも若い女性が責められまくる話って、ちょっと興奮させる?
後者は歌舞伎の玉三郎で観たが人形では初めて。前者は歌舞伎も知らない。

「鶊山姫捨松」では、権力闘争の煽りを食って、無実の中将姫が雪の舞う庭で、継母岩根御前による殺害目的の折檻を受ける場面=雪責めがメインだ。

打掛を剥がされ竹刀でさんざの打擲に苦しむ姿を、豊澤富助の三味線に乗せ竹本千歳太夫が振り絞るように語り、人間国宝吉田簑助が人形に命を吹き込む。

「壇浦兜軍記」は傾城阿古屋が、源氏方代官重忠と岩永から、彼女が馴染みだった平家の重臣・景清の行方を聞き出そうと拷問を受ける一幕だ。
逸(はや)る岩永を制して冷静な重忠は阿古屋に琴・三味線・胡弓を弾かせその調子で阿古屋の本心を探ろうとする。
歌舞伎では一人の役者が3種を操る処が見どころ。

文楽でも同様だが、ここでは人に操られる人形が演奏するフリをするという屈折した面白さがある。
楽器の実演は三味線方(鶴澤寛太郎の見事な演奏)が担うが、それに合わせて、さも演奏しているかのようにピタッと合わせて阿古屋を遣うのが桐竹勘十郎の名人芸。見事でありおかしくもある。

観客は、寛太郎の演奏を横目で見ながら勘十郎が遣う人形のフリを同時に見るので、撥・弓・指遣いの微妙な仕草までシンクロするのがよく分かって只管感心するが、舞台上の憎まれ役岩永も阿古屋の名演につい惹き込まれる様子も傑作で、場内は笑い声が広がる。津駒太夫・織太夫らも名調子。

阿古屋琴責めでは中将姫雪責めと違って、三味線方も太夫も大勢で人形を演じ分け、責めるといってもこちらは優雅なもので傾城の見事な衣装も楽しめるし、賑やかで、おかしくてホンに楽しい一幕ではあった。

♪2019-010/♪国立劇場-02

2017年9月14日木曜日

人形浄瑠璃文楽平成29年9月公演 第二部「玉藻前曦袂」

2017-09-14 @国立劇場


●第二部
玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)
 清水寺の段
 道春館の段
 神泉苑の段
 廊下の段
 訴訟の段
 祈りの段
 化粧殺生石

(主な出演者)
竹本千歳太夫

豊澤富助
吉田和生
吉田玉男
豊竹咲寿太夫
豊竹咲甫太夫
鶴澤清助
桐竹勘十郎
吉田玉也
豊竹睦太夫
野澤喜一朗
竹本文字久太夫
竹澤宗助
吉田幸助
竹本小住太夫
豊竹亘太夫
 ほか

今回は、七段で構成されたが、本来の「段」なのか、「段」の中の「場」に相当するものも混じっているのかは分からない。少なくともこの七段の前に、序(初)段と二段があって、それぞれは天竺と唐の国が舞台だというから、スケールの大きな話だ。いずれも金毛九尾の妖狐がそれぞれの国で大暴れした後に日本にやってくるという話で、三段目以降日本を舞台にする。

そのオリジナルの三段目が今回の「清水寺の段」に当たるのだと思うが、はっきりしたことは分からなかった。

いずれにせよ、今回の公演は「清水寺の段」で始まり、「道春館の段」以下に続く。「道春館の段」までは妖狐は登場しないが、帝の兄・薄雲の皇子の謀反の企てや皇子に見染められてしまった亡き道春の2人の娘・桂姫、初花姫の悲劇として、見応えのある大曲だ。

続く「神泉苑の段」から「祈りの段」までが妖狐と安倍兄弟との戦(いくさ)話だが、「廊下の段」と「訴訟の段」の間には、本来は「段」だか「場」だかが置かれていたようだ。でなければ話がつながらない。で、「祈りの段」で両者の争いには一応の決着がつく。一応の…と言うのは、悪者である妖狐は都を逃げ出すものの成敗されたわけではなく、薄雲の皇子は流罪を申し付けられるものの従う気はなさそうで一体どうなるのか示されないから。

最終の「化粧殺生石」は「段」という扱いになっていないのは、ここでは妖狐が主人公…と言うか、妖狐しか登場せず、これが七変化を見せるという、スペクタクル・ショーとして、話の本筋と独立したものであるためではないか。宝塚歌劇の、本編ミュージカルの後のレビューみたいなものか。

このような構成なので、通し狂言というには、いささか構成感に不足する。

しかし、最後の「化粧殺生石」は見応え充分だ。人形劇とも思えない早変わり七変化のスペクタクルは舞台装置の仕掛けも色々と工夫されていて面白い。最後は桐竹勘十郎まで宙乗りに暗闇の空に消えた。

♪2017-149/♪国立劇場-14