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2022年9月5日月曜日

未来へつなぐ国立劇場プロジェクト 初代国立劇場さよなら公演 第二部「寿柱立万歳」、「碁太平記白石噺」浅草雷門の段/新吉原揚屋の段

2022-09-05@国立劇場


第二部
●寿柱立万歳
 
太夫⇒竹本三輪太夫
 才三⇒豊竹希太夫
 ツ ⇒豊竹薫太夫
  レ⇒竹本文字栄太夫
    竹澤團七
    鶴澤寛太郎
    鶴澤燕二郎
    鶴澤清方
************************

人形役割
太夫⇒     吉田玉也
才三⇒       吉田蓑一郎

●碁太平記白石噺 (ごたいへいきしらいしばなし)
浅草雷門の段
口 豊竹亘太夫/竹沢團吾
奥 豊竹咲太夫/鶴澤燕三

新吉原揚屋の段
切 豊竹呂太夫/鶴澤清介

************************

人形役割
豆蔵どじょう⇒ 吉田勘一
大黒屋惣六⇒      桐竹勘壽
悪者観九郎⇒  桐竹紋秀
妹おのぶ⇒   吉田一輔
傾城宮城野⇒  吉田和生


Ⅰ部公演では原作の4、5段が、Ⅱ部では6、7段目が上演された。5段目などは51年ぶりの上演だそうで、道理で初めてのはずだ。

ただ、Ⅰ部は、真面目て働き者の農民に降りかかるこの上もない悲劇の連続が、後半の敵討ちの期待を盛り上げて面白いのだけど、Ⅱ部では、Ⅰ部の登場人物が1人しか登場せず、話が繋がっていることは分かっていても、感情移入ができない。

いよいよ敵討ちに出立する段になっても、時機を待てと止められては観客も納得できん。

こんなことなら、第Ⅲ部も通して決着の付く話に仕立てるべきではなかったか。

♪2022-125/♪国立劇場-08

2019年2月15日金曜日

人形浄瑠璃文楽平成31年02月公演 第1部

2019-02-15 @国立劇場


第一部
桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)
 石部宿屋の段
     芳穂太夫・亘太夫/
     野澤勝平・野澤錦吾
 六角堂の段
     希太夫・咲寿太夫・
     文字栄太夫/竹澤團吾
 帯屋の段
     前⇒呂勢太夫/鶴澤清治
     切⇒咲太夫/鶴澤燕三
 道行朧の桂川
     織太夫・睦太夫・小住太夫・
     亘太夫・碩太夫/竹澤宗助・
     鶴澤清馗・鶴澤清公・鶴澤燕二郎・
     鶴澤清允

  人形▶豊松清十郎・桐竹紋吉・吉田文昇・
     吉田玉男・吉田勘彌・吉田勘壽・
     吉田玉輝

「桂川連理柵」は「帯屋の段」が有名で、歌舞伎でもここだけ取り出したのを観ているが、今回はその前後も合わせて全4段。

話せば長い物語を端折りまくって記せば…。

帯屋の主人長右衛門(38歳)養子である。帯屋隠居の後妻のおとせ(とその連れ子儀兵衛)は、儀兵衛に店の跡を継がせようという魂胆から長右衛門に何かと辛く当たる。

一方、帯屋の丁稚長吉は隣家の信濃屋の娘お半(14歳)に夢中。お半は長吉など眼中になく、帯屋の跡取り、長右衛門を恋い慕っている。

儀兵衛はお半が長右衛門に宛てた恋文を入手したを幸いに、また、長右衛門が女房お絹の実弟のために密かに用立てた百両が店の金庫から消えていることを発見し、加えて自分たちがくすねた五十両も長右衛門の窃取だと言い長右衛門を責め立てる。
さらに、長右衛門が旅先で、長吉に言い寄られて困っているお半を我が寝所に入れた為に犯した一夜の過ちの結果、お半が妊娠してしまったことや、長吉の悪巧みでお客から預かった宝剣が見当たらなくなったことなどが重なり合い、長右衛門は八方塞がりになる。

そうこうしている間に、お半も、不義の子を宿した以上生きてはゆけないと長右衛門に書き置きを残し桂川に向かう。
もう、死を覚悟していた長右衛門だったが、お半が桂川で入水するということを知って、彼は昔の情死事件を思い起こさずにはおられなかった。
15年前に当時惚れ合った芸妓と桂川で心中しようと誓ったものの自分1人生き残ってしまった長右衛門は、これこそ天の啓示とばかり今度こそ情死を全うせんとお半の後を追うのだった。

…と長いあらすじを書いてしまった。これ以上短くすると、自分で思い出すときに役に立たないだろう。それにせっかく書いたから消さないでおこう。
実際の話はもっと入り組んでいる。

人生のほんのちょっとしたゆき違いが、運悪く重なり繋がることで、人の運命を転がし、それが雪だるまのように膨れ上がってしまうと、もう誰にも止めることはできなくなる。

現在進行形の柵(しがらみ)が、長右衛門にとってコントロール不能にまでがんじがらめに心を縛り尽くした時、ふと蘇る15年前の同じ桂川での心中未遂事件!

長右衛門にとっては、お半と桂川で心中することは、むしろ暗闇の中で見えた曙光なのかもしれない。
また、<14歳のお半>、<15年前の事件>と並べると、お半は芸妓の生まれ変わりか、あるいは芸妓が生んだ長右衛門の子供であったのかもしれない…と観客に余韻を残して幕を閉じるこの哀しい物語にはぐったりと胸を打たれる。

余談ながら、備忘録代わりに書いておこう。
人形を3人で操る場合の主遣い(おもづかい)は黒衣衣装ではなく顔を見せて演ずるのが普通だが、今回「石部宿屋の段」と「六角堂の段」では主遣いも、左遣い、足遣い同様、黒衣衣装だった(今回の公演第2部の「大経師昔暦」の「大経師内の段」も)。
不思議に思って、国立劇場に尋ねたら、極力人形に集中してもらうための演出で、昔から行われているるのだそうだ。黒頭巾をとったら弟子だった、ということはないそうだ。ま、そうでしょ。

余談その2
上方落語「どうらんの幸助」は、大阪の義太夫稽古処で「桂川連理の柵」ー「帯屋の段」のうち、後妻のおとせが長右衛門の嫁をいじめている部分を外から漏れ聞いたどうらんの幸助(喧嘩仲裁を楽しみとしている老人)が、本当の話だと勘違いして、これはほっておけないと、京都柳の馬場・押小路の帯屋に喧嘩納めにゆく、というとんでもない話でヒジョーにおかしい。

♪2019-016/♪国立劇場-03

2018年6月29日金曜日

国立劇場第6回文楽既成者研修発表会 文楽若手会

2018-06-29 @国立劇場


●万才
 竹本小住太夫・豊竹咲寿太夫・竹本碩太夫
 鶴澤清公・鶴澤清允・鶴澤燕二郎
 人形:吉田玉彦・桐竹勘次郎

●絵本太功記
  夕顔棚の段…豊竹亘太夫/野澤錦吾
  尼ヶ崎の段…前:豊竹希太夫/鶴澤友之助
        後:豊竹靖太夫/鶴澤寛太郎
 人形:桐竹紋臣・吉田簑紫郎・吉田玉誉・吉田簑太郎
            吉田玉勢・吉田玉翔・吉田和馬

●傾城恋飛脚
  新口村の段…口:竹本碩太夫/鶴澤燕二郎
       …前:豊竹咲寿太夫/鶴澤清丈
       …後:豊竹芳穂太夫/鶴澤清馗
 人形:吉田玉路・吉田玉峻・桐竹紋吉・桐竹紋秀・
    吉田玉征・豊松清之助・吉田玉延・吉田和登・
    吉田蓑悠・吉田文哉・吉田箕之

平たく言うと若手の勉強会なのだろうが、若手も混じっているが、中堅も含まれている。だから興行としても成り立つのだろう。
名前を知らない人も居たが、多くは本興行に出演している人達だ。

本格的に人形浄瑠璃・文楽を鑑賞し始めたのが2016年の12月だからまだ経験は1年半に過ぎない。でも既に20公演を鑑賞しているので、最近は少し観る目、聴く耳が出来てきたような気もしている。生意気にもそんな気持ちで鑑賞していると、「あ、ここはもう少し張り上げて」とか「長く伸ばして」語った方がいいのではないかとか、三味線の音の外れが気になったり、人形の姿勢も気になったりもしてくるが、それが正しいのかどうかは分からない。
やはり、名人・上手の公演を度重ねていかないと、真髄には近づけないのだろう。

「絵本太功記」は初めての作品だった。「太功記」というからには「太閤記」の改作だろうと漠然と思っていたが、それはそのとおりで、信長を討った光秀の母・妻・子や秀吉などが登場して、主従の裏切りに葛藤するドラマとなっている。ちょっと不思議に思ったのは、原作が「絵本太閤記」であるが、本作は「絵本太功記」と表現が変わっているのは「太閤」に遠慮したためだろうか。

全13段(6月1日から13日まで各日1段という構成に発端と大詰が付いて実質15段!)のうち、今回は「夕顔棚の段」と「尼崎の段」が演じられたが、では、これらはオリジナル全13段のうち、何段目に相当するのか、が気になって調べてみた。というのも「尼崎の段」がかなり有名でここを「太十」(たいじゅう⇒太功記の10段目の意味)と呼ばれることは、かつて読んだことがあり知っていた。すると、その前の「夕顔棚の段」は9段目か、と言うとどうもそうでもないらしい。「尼崎の段」は6月10日の出来事なので10段目に置かれているが、「夕顔棚の段」も同日の出来事なのだ。
すると、両方共10段目なのか。
なら、どうして別の名前なのか。

どうやら、これは一つの段を「口」・「中」(前・奥という言い方もありその違いは分からない。)・「切」と分けた場合に、「切」以外の部分を総称して「端場」(はば)というが「夕顔棚の段」は本来は一つの独立した「段」ではなく、「太十」(⇒「尼崎の段」)の「端場」に当たるもので、今回の仕切りでは「尼崎の段」の「口」に相当するのではないか。それが、いつの間にか、「夕顔棚の段」という呼称が定着したのではないだろうか。

…と、本筋とは関係がないけど、どうも気になったので、調べてみた。いずれ、国立文楽劇場に問い合わせてみようと思う。

「傾城恋飛脚」は基になった「冥途の飛脚」も含めるとこれで4回目だ。
梅川・忠兵衛の悲しい末路だが、あいにく、共感するには至らなかった。芸の問題というより、この「段」だけでは、なかなか気持ちが盛り上がるまでに至らないからだと…思うのだが。

♪2018-074/♪国立劇場-10

2017年12月7日木曜日

人形浄瑠璃文楽平成29年12月公演「ひらかな盛衰記」

2017-12-07 @国立劇場


ひらかな盛衰記(ひらがなせいすいき)

●義仲館の段
 豊竹始太夫、竹本南都太夫、豊竹希太夫、豊竹亘太夫、竹沢團吾
●大津宿屋の段
 豊竹靖太夫、野沢錦糸、鶴澤燕二郎
●笹引の段
 豊竹咲甫太夫、鶴澤清友
●松右衛門内の段
 豊竹芳穂太夫、野澤喜一朗、豊竹呂太夫、鶴澤清介
●逆櫓の段
 豊竹睦太夫、鶴澤清志郎

◎人形
 吉田簑二郎、吉田清五郎、吉田玉彦、吉田玉佳、吉田一輔、吉田玉也、吉田分昇、吉田玉勢、吉田玉志、吉田玉輝ほか

「ひらかな盛衰記」に<ひらがなせいすいき>とルビが振ってある。これまで、ずっと<ひらかなせいすいき>と読むものとばかり思っていた。もっと正確にいうと、元になった「源平盛衰記」も<げんぺいじょうすいき>と読むのが正しく、これをうんと易しくしたという意味で「ひらかな」が付いたけど、「盛衰記」の方は<せいすいき>に変化したのはどうしてだろう。


また、<ひらがなせいすいき>の<が>は鼻濁音が正しいのだそうだ。そう言えば、小学校か中学校の音楽の時間に<が行>は鼻濁音で発音せよと教えられたものだったが、すると「加賀見山旧錦絵」<かがみやまこきょうのにしきえ>や「源平布引滝」<げんぺいぬのびきのたき>など<が行>が含まれているとやはり鼻濁音で読むのだろうか?
本筋と関係のない話だけど、気になった。

今日の構成は、全段通しという訳ではないようだが、話はよく通って分かりやすかった。特に「松右衛門内の段」と「逆櫓の段」は歌舞伎でも観ているので話の内容はしっかり覚えていたが、そこに至るまでの前3段もおよその筋は知っていたので、嗚呼、なるほどかくして「逆櫓」に至るのかと納得。
特に「笹引の段」には大いに心動かされた。

太夫は好みの咲甫太夫。
旅先で命を落としてしまった山吹御前の亡骸を腰元お筆が竹を1本伐採してその葉に巻きつけ、引きずってゆくのだが、重いから容易ではない。その芸がとてもリアルだし、浄瑠璃と相まって哀切極まりない。
そこに捕り手が襲いかかるが、剣の達人でもあるお筆は捕り手の顔を梨割りに切り裂くのがおかしくもある。

お筆が船頭権四郎を尋ねてくる「松右衛門内の段」も悲痛な話だが、何と言ってもクライマックスは「逆櫓の段」。

娘婿である松右衛門(実は樋口次郎兼光)を裏切って敵方(畠山重忠)に訴人してまでも<彼の血の通った子ではないからと>自分の孫(実は木曽義仲の遺児)だけは助けてほしいと訴える権四郎の深慮遠謀に松右衛門も主家の末裔の命を守ってくれようとする心根を知り潔く縄につくのだ。敵方の将畠山重忠が、松右衛門の義理の関係とは言え父と子に最後の対面を許すのは、それが実は最後の主従の対面であることを知っての武士の情けである。

かくして、義理と人情が交錯して各人の熱い思いが湧き上がる中に「涙に咽ぶ腰折れ松、余所の千年は知らねども、我が身に辛き有為無常、老いは留まり若きは行く、世は逆様の逆櫓の松と、朽ちぬその名を福島に枝葉を今に残しける」と名調子で大団円を迎える。

♪2017-197/♪国立劇場-18

2017年6月30日金曜日

国立文楽劇場文楽既成者研修発表会 第5回(17回) 文楽若手会

2017-06-30 @国立劇場


●寿柱立万歳 (ことぶきはしらだてまんざい)
 豊竹睦太夫・豊竹靖太夫・竹本小住太夫
 鶴澤寛太郎・野澤錦吾・鶴澤燕二郎・鶴澤清允
 (人形役割)
 太夫⇒吉田簑太郎
 才三⇒桐竹紋臣 

●菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)
◎車曳の段
 竹本小住太夫・豊竹咲寿太夫・豊竹睦太夫・
 豊竹亘太夫・豊竹靖太夫/鶴澤清丈
◎寺入りの段
 豊竹亘太夫/鶴澤清公
◎寺子屋の段
 豊竹芳穂太夫・豊竹希太夫/鶴澤清馗・豊澤龍爾
 (人形役割)
 梅王丸⇒吉田簑太郎
 桜丸⇒吉田玉誉
 杉王丸⇒吉田簑之
 松王丸⇒吉田玉翔
 左大臣時平⇒吉田文哉
 よだれくり⇒吉田玉路
 菅秀才⇒桐竹勘昇
 女房戸浪⇒桐竹紋吉
 女房千代⇒吉田簑紫郎
 武部源蔵⇒桐竹紋秀
 春藤玄蕃⇒吉田玉彦
      ほか

「文楽若手会」って初めて存在を知ったが、東京では今年が第5回目で、本場大阪では17回目だそうだ。
「若手」の定義がどこにも書いてない。公演チラシには副題で「文楽既成者研修発表会」とある。これもよく分からない。
太夫の中で最高の格にある豊竹咲太夫のイケメン弟子で例示すると、咲甫太夫は非若手、咲寿大夫は若手に名を連ねているのでこの辺が区切りらしい。

出演者の顔ぶれを見ると、太夫、三味線、人形遣いとも、本公演でも見かける顔が並んでいるので、研修発表会と言いながら結構本格的なものだ。特に文楽に関しては昨年12月に初めて舞台を経験したド素人の僕からはみんな大した技量を備えているように思える。

内容は、5月文楽公演と基本的に同じで、「茶筅酒の段」、「喧嘩の段」、「訴訟の段」、「桜丸切腹の段」が省略され、冒頭に「車曳の段」が加わっていた。
好みで言えば、「車曳の段」はカットしてもいいが「桜丸切腹の段」がなかったのは残念だ。これが演じられることで、「寺子屋の段」、とくに終盤の松王丸夫妻の嘆きが広がりを見せるのだと思っている。

5月の本公演での呂太夫の襲名披露「寺入りの段」や唯一人<キリ>を務める、咲太夫の「寺子屋の段」を思い浮かべると、多分、まだまだ大きな違いがあるのだろうが、僕の鑑賞眼では十分に面白く楽しめた。

♪2017-110/♪国立劇場-11