2017年8月25日金曜日

読響サマーフェスティバル2017 ≪ルイージ特別演奏会≫

2017-08-25 @みなとみらいホール


ファビオ・ルイージ:指揮
読売日本交響楽団

R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
ハイドン:交響曲第82番「熊」
R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」(第1稿)

8月はどこのオケも定期演奏会はお休みだが、代わりに「夏祭り」の類の演奏会が結構多い。なかなか休ませてはくれないようだ。

読響の場合は、「読響サマーフェスティバル2017」と題して東京・横浜で3種類のプログラムで4日間の演奏会があった。
うち、2回は、夏休みの子供もターゲットにしたのか、いわゆる「名曲コンサート」だったが、一味違うのが、東響と横浜で開かれた≪ルイージ特別演奏会≫だった。
R.シュトラウスの「ドン・ファン」と「英雄の生涯」に間にハイドンを挟んでいるが、それも82番の「熊」だ。大抵の人は知らないのじゃないだろうか。かくいう僕もCDは持っているので、事前に聴いてはおいたが、生演奏は初めてだった。

メインに据えられたR.シュトラウスだって、さほどポピュラーとはいえない。つまり、「通好み」の選曲だ。ま、そこが良かったから、聴きに行こうと思ったのだけど。

ルイージは4月にN響で聴いて、複雑な思いをしたところだ。マーラーの1番を見事に俗っぽくケレン味たっぷりに振ったので、大いに驚いたのだが、しかし、あれこそ、マーラーのあるべき解釈かも、と後日になって思い始めたりしているが。
その時の演奏はNHKクラシック音楽館で放送したものを録画してあるので、落ち着いたときにじっくり聴き直したいと思っているが、なかなかその隙がない。

さて、今日のR.シュトラウスは、全く、文句のつけようのない素晴らしい演奏だった。リハーサルの時間は決して十分とはいえなかったろうと思うが、ハイドンも含め、ルイージの音楽が細部に至るまで、毛細血管が指の先まで血液を巡らせるように行き渡っているのを感じた。指揮とオケの呼吸の一体感も聴き手に伝わってくる。

もとより、R.シュトラウスのオーケストレーションは凝りに凝っていて、「英雄の生涯」のように超特大編成(4管編成で弦は16型?)から繰り出される重量級の厚みのある弦の響やブラスの咆哮は聴き手にアドレナリンを大量放出させる。
一方で、繊細なバイオリンソロや終曲の僅かに聴き取れるチェロのピチカート(CDでは聴こえないと思う。)に至るまで、静謐な中にも力は漲っていた。

久しぶりに、素晴らしい”管弦楽”の愉しさを、みなとみらいホールという名機で堪能するまで味わうことができた。

ますます、ルイージのマーラーを聴き直さねばならないな。

♪2017-141/♪みなとみらいホール-31

2017年8月16日水曜日

八月納涼歌舞伎 第一部

2017-08-16 @歌舞伎座


長谷川 伸 作
坂東玉三郎・石川耕士 演出
一刺青奇偶(いれずみちょうはん)二幕五場
半太郎⇒中車
お仲⇒七之助
赤っぱの猪太郎⇒亀鶴
従弟太郎吉⇒萬太郎
半太郎母おさく⇒梅花
半太郎父喜兵衛⇒錦吾
荒木田の熊介⇒猿弥
鮫の政五郎⇒染五郎

二 上 玉兎(たまうさぎ)
  下 団子売(だんごうり)
〈玉兎〉
玉兎⇒勘太郎
〈団子売〉
お福⇒猿之助
杵造⇒勘九郎

8月の歌舞伎座は1日に3部公演だ。それなら、もっと安くできないか、と思うが、役者をこき使って、狭い場所に大勢の観客を閉じ込めて、2部公演のときとさほど料金は変わらない。松竹の商魂がミエミエな感じで役者にはすまないけど、歌舞伎座での歌舞伎公演はなかなか好きになれない。国立でゆったりと大人の歌舞伎をリーズナブルな値段で観るのが好き。

とは言え、この月は国立の歌舞伎公演はないから、毎年納涼歌舞伎に行くことになる。3部構成の中で、一番興味を持ったのが第一部の「刺青奇偶」。泣かせてくれそうな江戸の粋な人情噺。これを玉三郎の共同演出、中車、七之助、染五郎の主演で演るというから楽しみだった。

博打さえしなければ良い男だが、ヤクザな稼業から足を洗えないでいる半太郎が、ふとした縁で川に身投げした酌婦のお仲を助けた。人生に疲れていたお仲は初めて男の真情に触れ、2人は相身互いの貧乏だが幸せな暮らしを送っていたが、無理が祟ってお仲は不治の病に。なんとか助けたいと思う半太郎は賭場に因縁つけてお金にありつこうとして半殺しで叩き出されるが、そこに土地の親分政五郎が半太郎の事情を聞き、その男気に惚れて子分にしてやろうというが、半太郎は断る。そこで政五郎、自分の有り金全部を賭けて丁半で勝負しようと持ちかけ、応じた半太郎が勝利する…のは偶然なのか政五郎の情けが通じたのか。
思ってもみなかった大金を手にした半太郎は、喜び勇んで臥せているお仲の元へと急ぎ足。…この先は描かれないが、愁嘆場が待っているのは想像に難くない。

隣のご婦人は途中からもうグズグズに崩れまくっていたが、それほどの噺かな。

いくつも不満を感じた。

まずは、舞台が暗い。客席も真っ暗だ。いくら夜の情景としても暗すぎる。その一幕の間に暗転が2回。大道具を作り変えるために仕方がないとは言え、三場とも暗くて役者の顔もよく見えない。すると不思議な事にセリフも聞き取りづらい。

第二幕で話は暗いままだが、舞台はようやく少し明るくなってこれで初めて生の舞台を見る中車の顔がはっきり見えた。
暗いのが長いと気鬱になる。

そもそも、これは歌舞伎なのか、という疑問も湧いてくる。三味線・浄瑠璃はなし。台詞回しも新劇のようで、つまりは前進座の芝居のような感じを受けたが、前進座も歌舞伎なのかも。少なくとも歌舞伎座で歌舞伎役者が演じたら歌舞伎なんだろうな。

一幕三場と二幕二場に、半太郎を探し訪ねて母親と甥、母親と父親がやってくるが、二度とも半太郎とは会えない。絡みがないのなら何のために登場させているのか分からない。
原作どおりなのだろうが、彼らの出番はカットしたほうがスッキリする。

な、次第で、期待は裏切られてしまった。

二つ目の演目、玉兎はホンのご愛嬌。
団子売りは、前に仁左衛門、孝太郎で観たが、今回の勘九郎、猿之助の方が陽気な感じで良かったかな。

♪2017-140/♪歌舞伎座-04

2017年8月11日金曜日

フェスタサマーミューザ2017 東京交響楽団フィナーレコンサート ≪ドラマティック、ラフマニノフ!≫

2017-08-11 @ミューザ川崎シンフォニーホール


秋山和慶:指揮
反田恭平:ピアノ*
東京交響楽団

≪オール・ラフマニノフ・プログラム≫
ピアノ協奏曲第3番ニ短調 作品30*
交響曲第2番ホ短調 作品27
-------------
アンコール
モーツァルト:ピアノソナタ第11番イ長調 K331から第3楽章「トルコ行進曲」*


7月22日から始まったフェスタサマーミューザ2017の、今日が最終日。
ミューザをホームとする東京交響楽団がそのオープニングとフィナーレを飾るのが通例だ。
なぜか、ステージ周りと最上層の席を売らなかったアンサンブル金沢と昭和音大以外(僕が参加した全11回で)は多少の差はあったが、どの演奏会でもほぼ満席に近い状態だったが、今日は舞台後方席、ぐるぐる巻きの最上層部を含め客席は鈴なりだった。

フィナーレという事もあろうが、たぶん、ピアノ独奏に反田恭平が登場するのが満席の第一の要素だろう。クラシック音楽番組では時々目にし、耳にするが、彼のコンサートはチケットが発売と同時に完売するとも聞く。まさしく、今日の館内ポスターには「チケット完売」とあった。
今が旬の、最も人気のあるピアニストだろうな。

かくいう僕も、今日初めて反田恭平の生演奏に接した。
ドイツやオーストリアではなくロシアで研鑽を積んだせいか、肉体派ピアニストのようだ。元気がいい。迫力があるが、一方でえらく繊細でもある。

超絶技巧を要すると言われるラフマニノフの3番を(演奏会で)弾くのは今日が3回目だそうだ。僕もラフマニノフのピアノ協奏曲は2番なら耳タコだけど、3番となると(ナマでは)3回目かも知れない。そんな訳で馴染んでいるのは第1楽章だけで、これはいかにもラフマニノフらしい叙情性に溢れているが、第2楽章以降は演奏時間が長い(40分超)こともあり、面白さが分からないままに終曲してやれやれというのが本音だ。

反田恭平も弾き終えて息が上がって興奮状態のようだった。やはり、大仕事なのだろうな。
カーテンコールが繰り返されるうちに一息入れたようで、アンコールは意外にもモーツアルトの「トルコ行進曲」だったが、これが超高速で始まったので、ユジャ・ワンがアンコールピースにしているナントカ氏によるトンデモ編曲版かと思ったくらいだけど、そうではなくて、モーツアルトの原曲だったが、いやはや、猛烈なスピードだ。これで、ラフマニノフでみせたものとは別種のスーパーテクニシャンぶりを聴かせてくれた。

今日はオール・ラフマニノフ・プログラムということで、メインは交響曲第2番だった。こちらはピアノ協奏曲第3番と違ってラフマニノフの交響曲の中では演奏会で取り上げられる機会が多分一番多いだろう。僕も過去何度も聴いているし、アマオケ時代に自分でも演奏に参加しているのだからよほどか馴染みが強い。しかし、正直になとこいくら聴いても妙味が伝わってこないのだから困ったものだ。
第3楽章はとてもいい。ピアノ協奏曲第3番の第1楽章と同じくラフマニノフらしさを味わうことができるが、全体としては、やはり長過ぎる(60分超)。

まことに個人的な好みにすぎないかも知れないが、東京交響楽団が担当するミューザ夏祭りのオープニングとフィナーレの選曲が、毎年、「お祭り」らしくない。
僕は、ラフマニノフではカタルシスは得られない。最後くらい派手なオーケストレーションで華々しくブラスが咆哮するのを聴いてもお祭りを終えたいね。

♪2017-139/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-24

2017年8月10日木曜日

フェスタサマーミューザ2017 昭和音楽大学 ≪灼熱のスペイン≫

2017-08-10 @ミューザ川崎シンフォニーホール


園田隆一郎:指揮
郡司菜月:バイオリン*
昭和音楽大学管弦楽団

シャブリエ:狂詩曲「スペイン」
ラロ:スペイン交響曲
ラヴェル:スペイン狂詩曲
ラヴェル:ボレロ

昭和大学のオケはなかなか上手だ。それにプログラムが僕の好みを直撃しており、フェスタサマーミューザ2017の全11回のコンサートの中でどのプロオケよりも楽しめそうという点で期待度が1番だった。
「灼熱のスペイン」という副題どおり、オール・スペイン音楽だが、いずれもスペイン人作曲家によるものに非ず、すべてフランス人作曲家によるものばかり。

スペイン人が作曲するより他国民が作曲した方が、あこがれも含んでスペインらしさが濃厚になるような気がする。

このプログラム構成に記憶があるなあと、これは帰宅後確認したら、昨年の同じフェスタサマーミューザで上岡敏之+新日本フィルで聴いたのとほぼそっくり。この時は「スペイン交響曲」の代わりにビゼーの「アルルの女」第1組曲とリムスキー=コルサコフ「スペイン奇想曲」が演奏されたが、他の3曲は同じで演奏順も同じ。リムスキー=コルサコフは言うまでもなくロシア人なので、この時も全曲が非スペイン人によるスペイン音楽だった。

そんな訳で、本日は2番煎じではあるものの4曲とも耳に馴染んだ名曲揃い。
中でも前回は聴けなかった大曲「スペイン交響曲」こそ、その本日の白眉となるはず…だったが。
バイオリン独奏の郡司菜月嬢。昭和音大の2年生という。全国学生音楽コンクールの入賞歴も、オケとの共演歴もあり上手だ。
でも、同じ場所で前日に小林美樹+日フィルを聴いていただけに、プロとアマの差は歴然とした。
演奏技術という点では、やや音圧が不足することを除けば不満はないのだけど、何より「官能とメランコリー」が不足する。真っ赤なドレスもそれを補うことはできなかった。

終楽章に至って、ようやく「スペイン」らしさを味わったが、えらく端正で教科書を開いているような音楽だったのが残念だ。まだ20歳ではやむを得ないのかもしれない。

そこで前半が終わり、休憩を挟んでラヴェルが2曲。
「スペイン狂詩曲」が始まると、もう、前2者とは管弦楽技法に明らかな相違を感じた。ラヴェルはシャブリエやラロとはほぼ30歳から50歳若い。その時代の差もあるのだろうが、やはり、感性の違いなのか。
第1バイオリンのパートを2分割したり3分割したりして、弦だけでも微妙な味わいを引き出している。他のパートでもやっていたかどうかは分からなかったが、一事が万事で「管弦楽」の表現世界を格段に煌びやかにしている。
昨年、新日本フィルで同じプログラムを聴いた際にそんな感慨は持たなかったのは直前が派手な「スペイン奇想曲」だったせいで気づかなかったのかもしれないが、僕の聴く耳も進歩しているのかも知れない。

最後は「ボレロ」。
この作品は聴く機会が多いが、昨夏の上岡敏之+新日本フィルがマイ・ベストだ。その後も今回までに既に他のオケで3回聴いてすべてそれなりに楽しんだが上岡ボレロを超えるものはなかった。
しかし、4回目に当たる園田+昭和音大ボレロはかなり肉薄したのに驚いた。

演奏時間16~7分だが、最弱音から始まって最強音で終わるまで、同じリズム、同じメロディがクレッシェンドしながら続くので、冒頭のスネアドラムの刻むリズムが絶対に大きすぎてはいけない。客席が息を潜め耳を澄まさなければ聴こえないくらいの最弱音が期待される。最初のメロディを奏でるフルートも思い切り小さな音でなければ終盤に向かっての長大なクレッシェンドの緊張感を維持することができない。

上岡ボレロはそこを徹底したところが素晴らしかったが、昭和音大の始まりのスネアの音も見事に小さい。あんなに弱音で正確なリズムを刻むことは難しいはずだが、上手に刻んだ。続くフルートはどうか。これもうんと小さな音で始まった。次のクラリネットも。かくして、弱小にスタートした音楽は2小節毎繰り返されるリズムに乗って、原始脳を刺激する官能的な音楽を繰り返しながら成長を続け遂に終盤の大クライマックスを迎えた。

誰が演ってもハズレなしの名曲とはいえ、アマオケとは思えない技量を聴かせ、大満足をしたものである。

♪2017-138/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-23

シャブリエ(1841-1894)
ラロ(1823-1892)
ラヴェル(1875-1937)

平成29年度8月上席

2017-08-10 @国立演芸場


落語 柳亭市坊⇒子ほめ
落語 柳亭市楽⇒芝居の喧嘩
落語 柳家さん助⇒二十四孝
音曲バラエティ 東京ガールズ
落語 五明樓玉の輔⇒マキシムド呑兵衛
落語 柳家小のぶ⇒厩火事
―仲入り―
パントマイム カンジヤマ・マイム
落語 古今亭菊太楼⇒家見舞
奇術 ダーク広一
落語 柳亭市馬⇒寝床

今日のメンバーじゃ気乗りはしなかったけど、チケットは既に買ってあるので、だいぶ遅刻して出かけた。当然、前座、二つ目は終わっており、次の柳家さん助も既に始まっていたので待合のTVでぼんやり聴いて、東京ガールズから入場した。

2人組の元気の良い三味線の弾き語りというのかな。よく通る声なのだけど、時に三味線が邪魔をして聴き取れないことがある。それが惜しい。

柳家小のぶは、間も無く80歳という老大家だが、初めて聴いたどころか存在さえ知らなかった。えらく真面目な語り口でしかも訥々としている。すごく味のある噺家か、と期待しながら聴いていたけど、結局のところそうでもなかった。この歳まで落語一筋ならもっと巧くていいのではないか。話が行ったり来たりして危ないところもあった。

菊太郎も初聴きだが、これはまだまだ先が長そう。

やはり、トリを務めた市馬が光る。
演目は有名な「寝床」だ。演者によってマクラもエピソードも変わるけど、骨格は一緒だから、結末を含めてよく知っている話だけど、上手が演ればおかしい。
特に最近は文楽を通じて義太夫節の知識が増えてきたので、可笑しみが深くなってきたようで嬉しい。江戸の話を味わうには歌舞伎・文楽はある意味必須の教養だな。
このクラスとなると客席の共感を確認しながら進めて行けるからとても運びが自然で、噺家の作り上げる世界でお客も一緒に楽しむことができる。
とはいえ、少し言い損ないもあったのが残念。

2017-137/♪国立演芸場-13

2017年8月9日水曜日

フェスタサマーミューザ2017 日本フィルハーモニー交響楽団 ≪コバケンの幻奏 - 夢・情熱≫

2017-08-09 @ミューザ川崎シンフォニーホール


小林研一郎:指揮
小林美樹:バイオリン*
日本フィルハーモニー交響楽団

ドビュッシー:
 小組曲〜1小舟にて、2行列、3メヌエット、4バレエ
サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ*
マスネ:タイスの瞑想曲*
ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14
-------------
アンコール
クライスラー:レシタティーヴォとスケルツォから"スケルツォ"*
マスカーニ:「カヴァレリア・ルスティカーナ」から間奏曲

オールフランスものだった(アンコールを除く。)。
冒頭はオーケストラのみによるドビュッシーの「小組曲」。
元々はピアノ連弾曲を友人のビュッセルが管弦楽に編曲した。
これは原曲も今日と同じ管弦楽版も聴いたことがあったが、全4曲の第3曲目を聴くまで思い出せなかった。20歳代の作品なので、「牧神の午後への前奏曲」を機能和声を使って作曲したような音楽で、フランス音楽というよりドイツ音楽ぽく感じたが、ところどころに5音音階らしきフレーズも出てきて、その後のドビュッシーの作品を彷彿とさせる。

続いて、小林美樹と管弦楽によるサン=サーンスとマスネの有名曲。
バイオリン独奏者を迎えても協奏曲ではなくバイオリンが主体の管弦楽小品を聴かせるというのは、過去にもコバケン+日フィルで経験しているので、これはマエストロの好みなのかも。
2曲とも非常に美しいメロディーでこれはこれで楽しめた。

小林美樹を初めて聴いたのは2014年の3月、若手ソリストと指揮者による神奈川フィルとの共演だったが、あれから3年半で、容貌がすっかり大人びて美人になった。腕前の方は、上達しているのだろうけど、元々ヴィエニアフスキーコンクール2位という実力者だ。素人耳では分かるはずもなかろう。とてもメリハリのついた安定感のある音楽だった。

メインが「幻想交響曲」。100人近い特大オーケストラ。
何度もナマを聴いているが、その都度、聴きどころならぬ見どころを忘れてしまっているので、聴く度というか舞台を見る度に発見があって新鮮とも言えるが、ティムパニー2組を4人で演奏する箇所があったんだ。バスドラムも2台同時に、バスチューバも2本同時に演奏するし、なるほど迫力がある訳だ。オーボエのバンダがあることも今日始めて気が付いたが、次回聴く時には忘れてしまっているだろうな。

今日の日フィル、管も弦も高水準で、とりわけ低弦のアンサンブルがぞくぞくするほど綺麗だった。音に色気がある。
いつでも、どのオケでも「幻想交響曲」はハズレがないが、今日の演奏も満足度大だった。時々音楽で遊びが出るマエストロも、今日のプログラムでは遊ぶようなところもなく、正統的解釈を徹底していたように思う。

長崎に原爆が投下された8月9日ということで、アンコールにマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲が演奏されたが、これが心に染み込んだよ。

♪2017-136/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-22

2017年8月6日日曜日

フェスタサマーミューザ2017 神奈川フィルハーモニー管弦楽団 ≪シンフォニーで、ヨーロッパ旅行≫

2017-08-06 @ミューザ川崎シンフォニーホール


鈴木秀美:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」
メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」
ハイドン:交響曲第104番「ロンドン」
-------------
アンコール
J.S.バッハ:カンタータ「汝、何を悲しまんとするや」BWV107から第7曲コラール「主よ、あなたの栄光を与えてください」

メンデルスゾーンが2曲とメインにハイドンの最後の交響曲というプログラム。
何でこういう組み合わせなのか、については鈴木秀美がプログラムに書いていたが、全然説得力が無い。ようするに、両方とも好きな作曲家という事のようだ。ならば、僕も全く同意できる。

鈴木秀美の「指揮」を初めて聴いたのは3年前の、今日と同じ神奈川フィルによるベートーベン「運命」ほかで、彼の疾走する「運命」に驚くと共に大いに感動して、それ以来ファンだ(もちろんチェリストとしても彼の演奏は愛聴している。)。今年の年末の神奈川フィルの「第九」の指揮は鈴木秀美なので、また新しい「第九」を聴けるのではないかと期待している。

今日のハイドンについては指揮ぶりの見当がつくがメンデルスゾーンはどんな音楽になるのだろうと興味津々だったが、これは案外フツーで、特徴らしいものを敢えて挙げれば、全体にややテンポが速い、特に終楽章のプレストに彼の日の「運命」を思い起こした。

「イタリア」を生で聴くのもずいぶん久しぶり。2014年に始めた鑑賞記録には出てこないから少なくとも2013年以前だ。
この曲は二十歳前後に初めて全曲をFMで聴いて、いっぺんに好きになった作品で、メンデルスゾーン開眼の作品だ。全4楽章のどれを取ってもワクワクさせる。まさにイタリアの陽光全開でその中にちょっぴりメランコリー(第2楽章)も含んで魅力的だ。

オケのアンサンブルに若干の不満(第1楽章始めの部分など)はあったが、この名曲をミューザの特等席(2階最前列。僕のお気に入りという意味)で聴くことができたのでまずは満足だ。

メインがハイドンの最後の交響曲104番「ロンドン」。
ハイドンにとって最後の交響曲だけど、僕にとってはハイドンの交響曲の中で初めて全曲を聴いた作品だ。これも20歳代に、初めて買った「ステレオセット」にオマケでついていたのが「ロンドン」と「V字」(だったかな?)をカップリングしたLPで、これがLPコレクションの最初の一枚となった。LPはとっくの昔にCDに置き換わったが、我がクラシック音楽鑑賞史にとって記念すべき音楽だ。

とはいえ、最近聴くこともなく(ハイドンの全作品CD150枚組聴破計画は交響曲の中程で頓挫している。)、随分久し振りの「ロンドン」は、もちろんそこここが聴き覚えのあるメロディーに溢れているものの、ああ、こういう音楽だったのか、と思う事頻りであった。

聴きながら、ベートーベンの初期の交響曲の第1番や2番とどこに性格的な違いがあるのだろうと考えていたが、達した結論は、ハイドンはとことん陽性であるという事だ。ユーモアがある。そこがハイドンの魅力でもある。

演奏時間にさほど変わりがないのに「イタリア」ではなく、オケの規模を同じにして「ロンドン」をメインに据えたのは鈴木秀美がハイドンに力を入れているからだろう。神奈川フィルのアンサンブルも「ロンドン」の出来の方が良かった。
ハイドンが初演した頃のオケの規模はずっと小さかったに違いない。今日も、「イタリア」の編成ではなく、もう少し小規模にすれば各パートの絡み合いももっと明瞭になったのではないかと思った。

♪2017-135/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-21

2CA1列38番

2017年8月2日水曜日

夏休み文楽特別公演 第三部「夏祭浪花鑑」

2017-08-02 @国立文楽劇場


並木千柳、三好松洛竹田小出雲合作:夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)

●︎住吉鳥居前(すみよしとりいまえ)の段
 豊竹咲寿太夫/竹沢團吾
 豊竹睦太夫/竹澤宗助
●釣船三婦内(つりふねさぶうち)の段
 竹本小住太夫/鶴澤清公
 竹本千歳太夫/豊澤富助
●長町裏(ながまちうら)の段
 豊竹咲甫太夫・竹本津駒太夫/鶴澤寛治

◎人形
 桐竹勘壽・吉田玉輝・吉田簑助・吉田玉也・桐竹勘十郎・吉田幸助

第2部は長尺だったが、こちらは3段構成約2時間。

江戸の侠客には馴染みが深いが、大阪も変わらないのが面白い。しかも姐さん方の筋の通し方が半端じゃない。引き受けたからには「一寸」も引かない。引けば「顔が立たない」。面目を無くせば生きているのは恥ずかしい。

最後「長町裏の段」は陰惨な場面。その終盤、三味線も義太夫もピタリと止まって、かすかな祭り囃子の笛が聞こえる中、歌舞伎でいうだんまり状態での殺し合いが不気味だ。
そして、やむを得ず仕事を終えた団七が、血しぶきまみれの身体に水を浴びて気持ちを切り替え、祭りの喧騒の中にひっそり紛れて消える、この幕切れの粋なこと。

♪2017-134/♪国立文楽劇場-2

夏休み文楽特別公演 第二部「源平布引滝」

2017-08-02 @国立文楽劇場


並木千柳、三好松洛合作:源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)

●義賢館の段
 豊竹靖太夫/野澤錦糸
 豊竹咲甫太夫/鶴澤清友
●矢橋(やばせ)の段
 豊竹亘太夫/野澤錦吾
●竹生島遊覧(ちくぶしまゆうらん)の段
 竹本津國太夫・竹本南都太夫・竹本文字栄太夫・竹本希太夫ほか/鶴澤清馗
●九郎助住家(くろすけすみか)の段
 豊竹希太夫/鶴澤寛太郎
 竹本文字久太夫/竹澤團七
 豊竹咲太夫/鶴澤燕三
 豊竹呂勢太夫/鶴澤清治

◎人形
 豊松清十郎・桐竹勘次郎・吉田簑太郎・吉田玉男・吉田文昇・吉田和生ほか

初めての国立文楽劇場。文楽を観たくてこのためだけにわざわざ大阪に出かけた訳ではないけど、最大の楽しみはこれ。

11年ぶりの大阪だし、特に日本橋方面は40年以上行ったことがない。迷っても困ると思って早めに出かけたら開幕までに1時間以上あったので、劇場内の資料展示室などを見て回った。国立劇場は開場時間にならないと中には入れないが、文楽劇場は劇場部分は2階にあり、そこには会場時刻を待ってモギリを通過しなければならないが、1階部分は出入り自由で、涼んだり、食事にだけ来る人もいるのではないか。「国立」と言っても、いかめしさはなくて親しみやすい。
資料展示室も開放的な上にボランティアのガイドが3、4人常駐しているようで、とっくにリタイアしたおじさん・おばさんが親切にいろいろ教えてくれる。文楽が好きで好きでしようがないという人たちの文楽愛を感じられたのも収穫の一つ。
半蔵門の「国立」とは随分様子が異なるのに驚いたが、気楽な感じにとても好感した。

さて、肝心の「源平布引滝」。文楽ではもちろん、歌舞伎でも観たことがない初モノ。もちろん概要は頭に入れておいたのだけど、登場人物も多く、話が複雑で、長い(正味3時間22分+休憩30分)。
早起きや新幹線移動の疲れも出て前半(義賢館の段)は睡魔との闘いだった。「八橋の段」から、覚醒し、そのあとは展開についてゆけたので良かった。

源氏再興の苦心談だ。そのために、主要登場人物の多くが出自・立場を偽っており、それ故の悲劇が繰り返される。
「平家物語」、「源平盛衰記」、これらに材を取った謡曲「実盛」など周辺に知識があればより楽しめたろう。

♪2017-133/♪国立文楽劇場-1

2017年8月1日火曜日

フェスタサマーミューザ2017 読売日本交響楽団 ≪爽やかな風、シネマ&ポップス≫

2017-08-01 @ミューザ川崎シンフォニーホール


渡辺俊幸:指揮
森山良子*
読売日本交響楽団

「サウンド・オブ・ミュージック」〜メインテーマ
映画「ひまわり」〜メインテーマ
「シェルブールの雨傘」〜メインテーマ
「ティファニーで朝食を」〜ムーンリバー
「ニュー・シネマ・パラダイス」〜メドレー
もしも「バック・トゥー・ザ・フューチャー」のタイムマシンが中世のイタリアへ行ったら
「スター・ウォーズ」~メインテーマ 

<森山良子の世界>
天井からスピーカーが

この広い野原いっぱい
家族写真
涙そうそう
子犬のワルツ(作詞:山川啓介)
さとうきび畑(ギター弾き語り)
あなたが好きで

NHK連続テレビ小説「おひさま」〜メインテーマ
NHK大河ドラマ「利家とまつ」〜メインテーマ
-------------
アンコール
星に願いを(訳詞:山川啓介)*

渡辺俊幸について知っていることは、昔、さだまさしの音楽の名アレンジャーとして元々派手なつくりの音楽を一層シンフォニックに飾り立てていた事ぐらいで、すごい才能だなあ、と感心していたものの他の分野での活躍はまるで知らなかった。
今日のプログラムは、映画音楽やTVドラマの音楽など(この「など」が結果的には主役だったが。)が主体で、本編最後の2曲は彼自身が作曲した作品だそうだ。ほかにも名アレンジャーぶりを発揮した作品もあった。そして、読響を指揮する、というのだから、軽音楽からクラシックまで、作・編曲、指揮まで広い分野で長きにわたって活躍している訳だ。

さて、前半の映画音楽。よく知っている名曲ばかりだが、読響の響がざわついてあまり美しいとは思えない。一昨日、文化会館のピットから聴こえていた音の方が引き締まっていたような気がした。

休憩後は歌姫登場だが、それを挟んで再び読響だけで演奏した2曲(渡辺俊幸作・編曲)は、楽器が馴染んできたのか、音楽を知り尽くしている渡辺の指示がオケの毛細血管までに行き届いたか、弦の響きがとてもきれいになった。

個人的にはTVドラマは朝ドラであろうと大河であろうと見ないので、これらの音楽もまったく馴染みがなかったが、シンフォニックで壮大で聴き応えのある作品だった。

さて、後半(の前半)は森山良子が登場した。プログラムには5曲歌唱と書いてあったが、実際には6曲。そして、読響のドラマ音楽2曲(後半の後半)でコンサート全体が終演した後にカーテンコールで再度登場して(アンコール1曲のために衣裳が真っ赤に変わった。)もう1曲。

読響が、彼女が19歳でデビューした時に歌った「この広い野原いっぱい」のイントロを演奏し始めると舞台下手から白いドレス姿でマイク片手に登場し、歌い始めたその声にびっくり。実に透明でそれでいて豊かな声量。声の美しさはデビュー当時から喧伝されていて、僕もTV放送などでは知っていたが、ナマで聴くのは初めてだったので、これ程までとは思っていなかった。
あのすき透る声質と声量であれば、マイクを使う必要もないのではないか。ミューザの音響効果ならきっとナマの声を最上層まで届けるのではないか。是非ともナマで聴きたかった。

コミカルなお喋りも楽しくて、2千人の耳目と心を完全に掌握するエンターティナーぶりにも大いに感心。
もちろん、歌にこそ彼女の真価がある。
「涙そうそう」では涙腺を刺激されて困った。
「さとうきび畑」はギター1本で歌ったが、これも放送などで聴くのとは次元が違う音楽になっている。

ポップスなんて、とバカに…はしていないけど、軽く見ているのは事実(社会でも軽音楽という扱いだし…)だが、森山良子恐るべし。19歳でデビューして昨年50周年のコンサートを100回も開催したそうだ。てことは、御歳69歳か70歳。この道一筋の大ベテランが、成る程の実力を見せてくれて感動を与えてくれたのは、想定外。
かような事情で、今日は、読響コンサートというより、森山良子ショーの体であった。

♪2017-132/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-20