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2018年11月4日日曜日

平成30年度(第73回)文化庁芸術祭協賛 明治150年記念 11月歌舞伎公演 通し狂言「名高大岡越前裁」

2018-11-04 @国立劇場


河竹黙阿弥=作
国立劇場文芸研究会=補綴
国立劇場美術係=美術
通し狂言「名高大岡越前裁」(なもたかしおおおかさばき)六幕九場

序   幕 第一場  紀州平沢村お三住居の場
            第二場  紀州加田の浦の場
二幕目              美濃長洞常楽院本堂の場
三幕目 第一場  大岡邸奥の間の場
            第二場  同       無常門の場
            第三場  小石川水戸家奥殿の場
四幕目              南町奉行屋敷内広書院の場
五幕目              大岡邸奥の間庭先の場
大 詰              大岡役宅奥殿の場

大岡越前守忠相⇒中村梅玉

大岡妻小沢⇒中村魁春
法沢後二天一坊⇒市川右團次
田口千助⇒中村松江
吉田三五郎⇒市川男女蔵
下男久助/池田大助⇒坂東彦三郎
大岡一子忠右衛門⇒市川右近
お三⇒中村歌女之丞
僧天忠/久保見杢四郎⇒嵐橘三郎
土屋六郎右衛門⇒大谷桂三
伊賀亮女房おさみ⇒市川齊入
平石治右衛門⇒坂東秀調
名主甚右衛門⇒市村家橘
山内伊賀亮⇒坂東彌十郎
徳川綱條⇒坂東楽善
下女お霜⇒中村梅丸
               ほか

昨日が初日で今日は日曜日。にもかかわらず客席は閑散としていた。
梅玉、魁春、右團次、彦三郎、彌十郎など渋い役者が渋い芸を見せてくれるのだけど華には不足するなあ。

越前守(梅玉)が天一坊(右團次)一味の騙りを鮮やかに裁くよくある話とは趣向を変えてあり、尻尾を掴ませない悪党たちの為に、越前守、その妻(魁春)、嫡男(右近)が切腹の危機に陥る。

この越前守の、奉行としてあくまでも自分の直感を信じて真実を見極めたいとする業のような真摯な人柄と、それによって思いもよらぬ窮地に落ち込むさまを通して、これまでの大岡裁きモノとは異質な、人間越前守を描こうとしているのだろう。

悪事の証拠を収集すべく遠国に派遣した家来たちが中々帰参せず、切腹の刻限が迫って来る。
屋敷で待ち受ける忠臣大介(彦三郎)は、気が気でならず、越前守に「今、暫くお待ちくだされ」と必死に頼みながら同士の帰りを今か今かと焦って待っている。
ここは、恰も「忠臣蔵」四段目の如し。

時事ネタ入れて笑える場面も。

悪党、天一坊を右團次が演じているが、この人がこんな大きな役を演じるのを観たのは初めて。梅玉との掛け合いで彼のセリフの出るのが遅い場面があって、これはヒヤッとしたが、全体としてはまずまずの出来かな。

若手役者ではいつもながら梅丸がよろしい。
まるで女性にしか見えない。

https://youtu.be/Do1quJB4pa8

♪2018-140/♪国立劇場-015

2018年8月26日日曜日

歌舞伎座百三十年 八月納涼歌舞伎第三部 通し狂言 「盟三五大切」

2018-08-26 @歌舞伎座


四世鶴屋南北 作
郡司正勝 補綴・演出
織田紘二 演出
通し狂言 「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」

序幕
 佃沖新地鼻の場
 深川大和町の場  
二幕目
 二軒茶屋の場
 五人切の場   
大詰
 四谷鬼横町の場
 愛染院門前の場

薩摩源五兵衛⇒幸四郎
芸者小万⇒七之助
家主くり廻しの弥助⇒中車
ごろつき五平⇒男女蔵
内びん虎蔵⇒廣太郎
芸者菊野⇒米吉
若党六七八右衛門⇒橋之助
お先の伊之助⇒吉之丞
里親おくろ⇒歌女之丞
了心⇒松之助
廻し男幸八⇒宗之助
富森助右衛門⇒錦吾
ごろつき勘九郎⇒片岡亀蔵
笹野屋三五郎⇒獅童

初めて観る芝居で、あらすじはざっと予習していたが、本番では、歌舞伎座が販売している「筋書き」(プログラム)を手元に開いてややこしい人間関係の理解に追われながら観ることになった。手元に置くと言っても、演出で館内も暗くなる場面が多くてそうなるともうお手上げなのだが。

この作品は、先行の「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」、「仮名手本忠臣蔵」、「東海道四谷怪談」が織り込まれているそうだ。後者2作はまずまず理解しているつもりなので、どういうふうに本作に取り込まれているかは、およそ分かる。
が、「五大力恋緘」を観たことがなく内容も予習の範囲でぼんやりとしか頭に入っていなかった。
今後のために改めてブリタニカ国際大百科から関係部分を引用しておこう。

『<五大力>とは、元来は<五大力菩薩>の略で、女からの恋文の封じ目に書く文字であり、また貞操の誓いとして簪(かんざし) 、小刀、三味線の裏皮などにこの字を書いた。』
『<五大力恋緘>〜は紛失した宝刀探しに明け暮れる源五兵衛と三五兵衛に、辰巳芸者小万との愛と義理立てをからませた筋で、隣で唄う上方唄<五大力>を聞きながら三味線の裏皮に<五大力>と書く趣向が受けた。ほかに文化3 (1806) 年並木五瓶作の『略三五大切 (かきなおしてさんごたいせつ) 』、文政8 (25) 年鶴屋南北作の『盟三五大切 (かみかけてさんごたいせつ) 』の書き換え狂言が有名。』とある。

つまり、「盟三五大切」は「五大力恋緘」を再構成し、その際?に「仮名手本忠臣蔵」と「東海道四谷怪談」(東海道〜は元来が忠臣蔵の外伝である。)を盛り込んで再構成したようだ。

本作では、笹野屋三五郎がその女房小万の腕に彫った「五大力」の入れ墨に、頭に「」を加え「」に偏として「」を加えて、「五大」に書き変える。これが終盤の悲劇の原因となる。

小万は三五郎の女房であることを隠して深川芸者として稼いでいる。それは三五郎の父に討ち入りの資金を提供することで、勘当を解いて欲しいからだ。つまり、三五郎も今は身分を隠して船頭をしているが、元は武家の出で、塩谷家(史実では浅野家)に縁の者だ。

一方、その小万にすっかり入れ込んだのが源五右衛門。彼は主人の切腹前に主家の御用金を盗まれて、その科で浪人となったが、なんとか盗まれた金を取り戻し、塩谷家に復縁したいと思っているが、今は、その素性を明らかにできない。また、そんな事情から芸者にうつつを抜かしているゆとりはないのだが、そこがだらしがないのがこの男の性なのだ。
ところが、親戚筋から、思わぬ大金百両を得ることになった。本来なら、主家に届けて復縁を願い出るべきところ、小万に未練があって逡巡している。
それを知った三五郎夫婦がその金を奪おうと計画する。三五郎も源五右衛門も本来は仲間同士なのだが、互いはその事情を知らないがゆえである。

源五右衛門は結局百両を奪われ、深夜、その恨み果たさんと三五郎の仲間が寝入っている家を襲い、5人を斬り殺す。

筋書きは、このあとも更に複雑に展開し、人殺しや腹切など凄惨な場面が続くが、最後は源五右衛門が晴れて塩冶浪士として高野家(史実では吉良家)討ち入りに向かう。

という訳で、この芝居も全体として「忠臣蔵外伝」なのだ。
幽霊の紹介は略したが、民谷伊右衛門(実は塩冶浪人)が女房のお岩を斬り殺した家が重要な舞台となり、お岩の幽霊が出る、という話が絡んでくる。

こういう筋書きの理解で、冒頭に書いた、「五大力恋緘」、「仮名手本忠臣蔵」、「東海道四谷怪談」の織り込みは納得できるが、おそらく、この作者はもっと巧緻な仕掛けを用意しているのかもしれない。

「予習」した際に、芝居の大詰で源五右衛門が三五郎の切腹を見て「こりゃかうなうては叶うまい」(こうでなくちゃおさまらなない)というセリフを言うことで、三五郎の切腹を早野勘平、塩冶判官の切腹に見立て、物語全体が「忠臣蔵」として「収まる」という見方を読んだが、今回の公演ではこのセリフ、確かに聞いたが、源五右衛門のセリフではなく、三五郎の父徳右衛門がつぶやいたように思った。なので、このセリフの意味が理解できない。浮いている感じだ。

巧緻な仕掛け、というのは、ここに引用した独自な見方が正しいかどうか判断できないが、そのような類の仕掛けが施してあるのではないか。登場人物を(源五右衛門⇒不破数右衛門だけでなく)忠臣蔵のいろんな人物に重ね合わせることができるのではないか、そんな気もしながら観ていたが、筋を追いかけるのが精一杯だった。

歌舞伎の常套手段で、登場人物の「A実はB」というびっくりぽんが多いこと。
参考までに以下に列挙しよう。これが、理解を難しくさせる原因の一つだ。

●薩摩源五兵衛⇒実は塩冶浪人(御用金を盗まれたため浪人となった)の不破数右衛門
●芸者妲妃の小万⇒実は民谷伊右衛門の召使いお六⇒実は大家の弥平の妹⇒実は三五郎の女房
●大家の弥助⇒実は民谷家中間土手平⇒実は小万の兄⇒実は塩冶家から御用金を盗み出した盗賊
●賤ケ谷伴右衛門⇒実はごろつき勘九郎
●笹野屋三五郎⇒実は塩冶家縁の徳右衛門(同心の了心)の息子千太郎

♪2018-101/♪歌舞伎座-04

2014年3月25日火曜日

平成26年3月歌舞伎公演 菅原伝授手習鑑/處女翫浮名横櫛

2014-03-25 @国立劇場大劇場


●竹田出雲・三好松洛・並木千柳=作
菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ) 一幕
-車引-       
吉田社頭車引の場


●河竹黙阿弥=作
国立劇場文芸研究会=補綴
處女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)
二幕六場
-切られお富-
序幕     第一場 藤ヶ谷天神境内の場   
    第二場 赤間妾宅の場
二幕目 第一場 薩埵峠一つ家の場
    第二場 赤間屋見世先の場
    第三場 同 奥座敷の場
    第四場 狐ヶ崎の場


中村時蔵/中村錦之助/市川男女蔵/中村萬太郎/中村隼人/嵐橘三郎/上村吉弥/坂東秀調/坂東彌十郎/ほか


◆「菅原伝授手習鑑」という演目(外題)はよく知っていたけど、どんな話か知らなかった。
要約すれば、「菅原道真が讒言により大宰府に左遷され、最後は天神になる」と言う話らしい。
元は人形浄瑠璃として作られ、それが後に歌舞伎に移し替えられたもので、こういう出自の作品を「義太夫狂言」といい、本作と「義経千本桜」、「仮名手本忠臣蔵」が義太夫狂言の3大名作と呼ばれる…と俄勉強。

人形浄瑠璃では全五段で語られるうちの三段目の冒頭部分が今日の「車引(くるまびき)」。
「菅原伝授手習鑑」は、歌舞伎では通しで演じられることが少なく、「車引」や「賀の祝」、「寺子屋」の場が単独で演じられるのがフツウだそうだ。

その「車引」は1幕1場。上演時間にして35分ほど。物語のホンの一部に過ぎず、これを観たからといって「群盲象を撫ず」。
なんで単独上演されるのか?という疑問があったが、事前に解説は読んでいたけどなるほど実際に鑑賞すると合点する。

短い芝居の中に全体のエッセンスが込められていることのほか、歌舞伎の様式美の中の「荒事」と呼ばれる所作の見せ所なのだ。
それぞれに様式の異なる隈取や衣装を身に着けた三つ子の兄弟が運命に引き裂かれ敵対する立場で偶然出会い、牛車を引き合う(という設定で実際には触れもしないけど)形を大見得の連続、飛び六方、立ち回りなどで見せる。これも歌舞伎ならではの魅力であった。



◆「切られお富」は河竹黙阿弥によって書かれる(というより正しくは脚色だと思うが。)前に黙阿弥自身の手になる「切られ与三」があり、その前にはライバル作家による「切られ与三(与話情浮名横櫛)」があり、その作品は第三者による講談「お富与三郎」の脚色であり、それは事実に基づいている、というややこしい系譜で誕生した。

なんでこんなことを書いておくのかというと、僕の遠い記憶の中に「切られ与三(郎)」の映画の存在があリ、春日八郎の「お富さん」という歌
♪粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の 洗い髪 死んだ筈だよ お富さん 生きていたとは お釈迦さまでも 知らぬ仏の お富さん エーサオー 玄冶店♪
を今でも覚えているので、メッタ斬りにされたのは与三郎の方ではなかったか?という引っ掛かりがずっとあったからだ。

で、あれこれ調べると、つまり、ライバルの作った「切られ与三」の大ヒットを受けて河竹黙阿弥がお富をメッタ斬りにされるように作りなおしたのが「處女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)全二幕六場」で、通称というのだろうか別名なのか「切られお富」とも呼ばれているということらしい。
尤も、本作は書替え作であるにもかかわらず原作を凌ぐという評価を得ているようだ。

今も耳に残っている印象的なセリフ、

与三郎:え、御新造(ごしんぞ)さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、
いやさ、これ、お富、久しぶりだなぁ。
お 富:そういうお前は。
与三郎:与三郎だ。
お 富:えぇっ。
与三郎:お主(のし)ゃぁ、おれを見忘れたか。
~(この後にも調子の良い啖呵が続く)

は、「切られ与三」のものであることも、今回知った。

では、このやりとりが「切られお富」では二人の立場が逆転して登場するかというとそうではない。

全体として、そんな名調子のやりとりはなかった(はず!)。

むしろ、若い男女の恋愛が運命に弄ばれ、お富が与三郎への恋情が故に情夫によって総身に疵を負いながらも、お金に困っている与三郎との偶然の再会によって、意を決して悪女になり元の主宅へ強請(ゆすり)に行くという、お富という女性の純情を宿した大胆な悪女の心情を細やかに表現した物語としての面白さが楽しめる。

切り刻まれたり、殺しあったりと、凄惨な場面もあって刺激的でもあるが、今回の公演は(プログラムによると)原典にない場面の追加や削除によりわかりやすくしたとあるが、与三郎とお富が「実は」(この実は~が歌舞伎には多い!)本当の兄妹だった、という設定も変えてあり(省かれている)、その分、現代人にも受け入れられやすいリアルな人情物語(世話物)になったのだろう。

五代目中村時蔵が家の芸とも言える「切られお富」に初めて挑んだという。



お食事処「向日葵」。 開演前に予約してあるので、食事休憩時には番号札を持ってゆくと案内される席には既に御膳が並べてある。



新メニュー「牛ステーキ重」。 肉が固くておいしくなかった。やっぱり「ちらし寿司」がいい。



♪2014-25/♪国立劇場-02