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2022年12月28日水曜日

「第九」2022-⓬ 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団「第九」特別演奏会2022

2022-12-28 @東京文化会館



飯守泰次郎:指揮
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
東京シティ・フィル・コーア

ソプラノ:田崎尚美
メゾ・ソプラノ:金子美香
テノール:与儀巧
バリトン:加耒徹

ベートーべン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」作品125



例年は12月27日のN響@サントリーで聴き納めするけど、今年は1日延ばした。
飯守泰次郎の「第九」を聴きたかったから。
果たして、なんと幸福感に満ちた演奏会。
N響にはガッカリだったが、これを最後に入れておいて大正解だった。
会場が文化会館というのも良かった。

オケは弦14型!驚く事に今年12回目にして初めてこの編成で聴く。
因みにこれまで聴いた編成は10型-1、16型-2、12型-8。
そして今日の14型だ。

この編成はベートーベンが「第九」を初演した時の編成だと聞く。
この位でちょうどいいのだと思うよ。

さらに嬉しいことに、独唱者が舞台の前方に陣取った。これがコロナ前の標準形だ。

よくぞやった飯守「第九」!
このスタイルを、東京で一番好きな文化会館で聴けるとは!
なんだか、古き良き時代を思い起こさせる。

テンポはどの楽章もゆっくり目。4楽章の入りは4秒しか置かなかった。
それでも全曲72分37秒と昨日最長を更新した井上+N響を更新して12オケ中の最長だった。

しかし、モタモタしていた訳ではないのだ。
すべて自然に流れて、全く外連のない、妙な独自性も発揮しない、もう枯れて出来上がって、寸分変わらない鉄壁の「第九」だった。もちろん暗譜で。

オケもよく期待に応えて、スムーズに流れた。リスクポイントも難なく(完璧!とは言わないが)クリア。

独唱も、舞台前方に立っているのでP席や舞台最後部から聴こえてくるものとは異なって生々しい!

アマ合唱団はMaskで歌ったので発音不明瞭な部分もあったが、行進曲前のソプラノの絶叫も許容範囲。

心配は、飯守御大の足腰がだいぶ弱ってこられたことだ。入退場は戸澤氏ほかが腕を支えた。
2楽章途中からは座ったきりだった。

そういう姿を見て、N響とブロムシュテット翁の印象が重なった。
師弟愛というか、指揮者とオケの間は信頼と敬愛で結ばれている。
きっとそれが、良い演奏をもたらし、心温まる演奏会にしたのだろう。久しぶりに至福の時を過ごした。

演奏好感度★98点

♪2022-207/♪東京文化会館-15

2021年6月27日日曜日

東京交響楽団川崎定期演奏会 第80回

 2021-06-27 @ミューザ川崎シンフォニーホール



飯守泰次郎:指揮
東京交響楽団
吉野直子:ハープ*

ライネッケ:ハープ協奏曲 ホ短調 op.182*
ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調<ノヴァーク版(1954年版)>
-------------
アッセルマン:泉*

1曲目のハープ協奏曲。…といえば、他の楽器との二重協奏曲やアランフェスのハープ版などしか聴いた経験がなかったし、ライネッケという作曲家も初めてだが、ロマン派らしい曲想で楽しめた。

オケも弦10型でこじんまりとサポートしたのが良かった。


メインはブルックナー交響曲第7番。

最近は大規模編成もポツポツ聴けるようになった。ホルン4、ワーグナーチューバ4、コントラバス・チューバ等金管が多い分、弦も16型に近い大編成(14-14-12-9-8)。


ブルックナーの交響曲は冗長ではないか?という疑問は今も払拭できないが、今日は構成感が良かったか、1時間超を抵抗なく聴き終えた。


が、これで弦にもっと透明感があればどんなに素晴らしいだろうとずっと思っていたよ。


その飯守御大の健康を気遣って、珍しく指揮台に椅子が置いてあった。ほとんど座る事もなかったが、3楽章の途中だったか?楽章の切れ目だったか、短時間腰掛けていた。

あと3月で81歳。

この人には元気で現役を続けてほしいよ。


♪2021-063/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-13

2019年12月1日日曜日

第10回 音楽大学オーケストラ・フェスティバル2019[洗足音大/東京音大/武蔵野音大]

2019-12-01 @ミューザ川崎シンフォニーホール


東京音楽大学(指揮:石﨑真弥奈)
武蔵野音楽大学(指揮:飯守泰次郎)
洗足学園音楽大学(指揮:秋山和慶)

東京/バルトーク:管弦楽のための協奏曲
武蔵野/ベートーベン:荘厳ミサ曲ニ長調 作品123から
洗足/チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調 作品36

3日間開催された在京8音大オケの演奏会のうち、最後の今日(東京・武蔵野・洗足)だけ参加できた。

指揮は飯守・秋山両大家に石﨑真弥奈。
3校とも40分超の大曲で計3時間半の長尺演奏会。
いずれも大いに楽しめた。

東京音大は、OG石﨑の指揮でバルトークの管弦協は多彩な音の競演が見事。

武蔵野音大は、飯守御大の指揮で荘厳ミサは抜粋だがこれまで生で聴く機会がなかったから良い経験。
キリエの斉唱はハッとさせたが荒削りなところも。
それにしても大合唱団にオルガンも入ってまさに荘厳!

洗足学園音大は、秋山御大でチャイコフスキーの交響曲第4番。
肝心の金管に不揃いもあったが熱量は大きく大迫力。

それにしてもコンマスは全校女性!

♪2019-191/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-26

2019年5月25日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第347回横浜定期演奏会

2019-05-25 @みなとみらいホール


飯守泰次郎:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団

上原彩子:ピアノ*

ベートーベン:《レオノーレ》序曲第3番 op.72b
シューマン:ピアノ協奏曲イ短調 op.54*
ベートーベン:交響曲第5番ハ短調 op.67《運命》
-----アンコール-----
シューマン:「ウィーンの謝肉祭」から第4曲「間奏曲」*
シューベルト:「ロザムンデ」間奏曲

直前に英国ロイヤル・オペラ・シネマ「運命の力」(ヒロインはレオノーラ)を観た後に「レオノーレ3番」とは妙な暗合だ。

今日の楽しみは上原彩子のシューマンのピアノ協奏曲。
この曲は、冒頭に"返し"のついた針に食いついた魚が釣り上げられるようなマゾ的快感から始まる。彼女の演奏はいつも熱い。隅々まで気合が入っていて、ピアノとオケが絡み合う協奏曲を聴く悦びが堪能できる。

後半。
おまけのつもりでいた「運命」が只者ではなかった。
今日の日フィルの弦は硬質だが、シャキッと揃って小気味良い。泰次郎師匠の彫琢は隅々までゆきとどき、楽章が進むにつれ音楽が大きくなってゆく。
明瞭な輪郭がヴィヴィッドな音楽を形作って忘れられない名演になった。耳タコの「運命」だが、やはりこれはすごい名曲だなと改めて畏れ入った。

ところで、第1楽章268小節目、オーボエのソロが後半聴きなれないメロディだったように思ったが、気のせいだったのかな。

♪2019-069/♪みなとみらいホール-19

2018年5月24日木曜日

新国立劇場オペラ 開場20周年記念特別公演「フィデリオ」

2018-05-24 @新国立劇場


指揮⇒飯守泰次郎
演出⇒カタリーナ・ワーグナー
ドラマツルグ⇒ダニエル・ウェーバー
美術⇒ユリウス・ゼンメルマン
衣裳トーマス・カイザー
照明⇒クリスティアン・ケメトミュラー

合唱⇒新国立劇場合唱団
管弦楽⇒東京交響楽団

ドン・フェルナンド⇒黒田博
ドン・ピツァロ⇒ミヒャエル・クプファー=ラデツキー
フロレスタン⇒ステファン・グールド
レオノーレ⇒リカルダ・メルベート
ロッコ⇒妻屋秀和
マルツェリーネ⇒石橋栄実
ジャキーノ⇒鈴木准
囚人1⇒片寄純也
囚人2⇒大沼徹

ベートーベン:全2幕〈ドイツ語上演/字幕付〉予定上演時間:約2時間40分
第Ⅰ幕70分
 --休憩30分--
第Ⅱ幕60分

「フィデリオ」の生舞台は初めてだけど、ビデオディスクは持っているので、まるきり初めてという訳ではなかった。
そのディスクは2003年4月のザルツブル・イースター音楽祭でサイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルの演奏。演出はニコラウス・レーンホフのものだ。
時代設定はあえて不詳にしてあり、舞台装置も単純で抽象的なものだが、筋書きは台本どおりだと思う。

詳しく勉強した訳ではないが、他に参考資料を見ても、今回の新国立劇場でのプログラムに書いてある「あらすじ」を読んでも、だいたい似たり寄ったりの筋が書いてあるところから、ビデオ版の「フィデリオ」もベートーベンが拠にした台本に沿った演出だと思う。

であるので、これは、男装しフィデリオと名乗って政治犯牢獄で働きながら夫フロレスタンを救出する妻レオノーレの物語だと安心しきっていた。さらに言えば、フロレスタン個人が救済されるというより、政治犯が解放され思想信条の自由が勝利するという物語であるはず。

前から2列めという字幕を読むには不利な席だけど音楽にはどっぷり浸れる。音楽は文句なしにベートーベンらしさに溢れて、歌手には相当困難らしいが、聴いている分にはその良さを堪能できる。
なので、あまり字幕を熱心に追わず、音楽に集中していた。話がどう進み、どういう結末を迎えるか分かっているのだから。

ところがどっこい。
話が違う。
第2幕第2場から様子が変で、ラストはもうまるきり台本から逸脱した。いや、「逸脱」という言葉では不足するくらいのとんでもない最後だった。ベートーベンが生きていたらこの演出家を銃殺したのではないか。

新国立劇場だけでなく、これまでどこの劇場でも終演後にブーイングを聞いたのは初めての経験だ。いや確かに怒りたくなる。

演出家はカタリーナ・ワーグナー。
あのワーグナーのひ孫だそうな。
極東の歴史の浅い(この作品は会場20周年記念特別公演と位置付けられている。)オペラハウスで、好きにやってくれ、と言われて、思い切り遊んでみたか。

2月の二期会「ローエングリン」も深作健太の新演出が自己満足の為に奇を衒ったようで面白くなかったが、今回のカタリーナ・ワーグナーの新演出は、<読み替え>の限度を超えて「フィデリオ」を冒涜したような思いがする。

新国立劇場の音楽監督である飯守泰次郎が最後に自ら指揮をする作品であったのにその有終の美を穢したとは言いすぎかな。

歌手陣はいつもながら素晴らしかった。
レオノーレを演じたリカルダ・メルベートは「ジークフリート」、「ばらの騎士」についで3度めだったが、迫力ある美声だ。
フロレスタン役のステファン・グールドは「リング」4部作についで5度目で、彼も見事なものだ。
他に、ロッコの妻屋秀和やマルツェリーネの石橋栄実など日本人歌手も引けを取らない歌唱だった。

ピットは東響で、これがなかなか良い。ミューザやサントリーで聴くときより響が良いのは、ピット効果なのか、新国立効果なのか分からないけど、音楽を聴く喜びを感じさせてくれる。

指揮者はじめ、演奏陣は力を尽くしているのに、この演出ではさっぱりだ。気の毒に思うよ。カーテンコールも盛り上がりに欠けた。

帰宅後、プログラムをよく読めば、ドラマトゥルク(定義がよくわからないし、プロダクション毎に役割も異なるようだ。)であるダニエル・ウェーバーなる人物がプロダクションノートを記していて、そこに今回の演出の解釈のヒントが出ていたが、仮に事前に読んでいたとしても、舞台で繰り広げられたとんでもない結末を誰が予想したろう。

舞台美術は全幕基本的に変化しない。何しろ全ては政治犯牢獄で始まり終わるのだから。全体に暗いのもやむを得ないだろう。
しかし、最大4階分(上下する)まで作ってあり、そこで芝居が行われるので、1階席からは終始見上げていなくてはいけないし、4階席からは舞台の上部は見えなかったのではないか。こういう点も美術や演出において考えてくれなくては困るな。

いやはや、音楽だけが救いだった。

バックステージツァーで舞台から客席を見る
♪2018-060/♪新国立劇場-06

2018年2月25日日曜日

名曲全集第134回 飯守による、珠玉のベートーベン&ワーグナー

2018-02-25 @ミューザ川崎シンフォニーホール


飯守泰次郎:指揮
東京交響楽団
津田裕也:ピアノ*

ベートーベン:歌劇「フィデリオ」序曲 作品72
ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 作品73「皇帝」*
ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」から
      夜明けとジークフリートのラインへの旅
      ジークフリートの葬送行進曲
      ブリュンヒルデの自己犠牲

ミューザの名曲全集は東響の定期のようなものだけど主催がホールなので、不都合が生じた際に定期演奏会なら他日への席替えが可能だが、名曲全集ではそれができない。なので、16年度を最後に年会員になるのは止めて、日程の都合がよく聴きたい曲がある場合に一回券を買うようにしている。

今日の目的はもちろん飯守御大のワーグナーだ。
昨秋完結した新国立劇場での「指環」4部作を全作飯守泰次郎の指揮で聞くことができたのは幸運なことだった。
最後の「神々の黄昏」でピットに入ったのは読響だった。

その時の「葬送行進曲」など、ティンパニーのドン!ドン!が鳴る度に心が震えるような思いがした。

今日は、その興奮を追体験したいと思って臨んだ。


が、しかし、僕の耳がおかしかったのだろうか。
ピアノ協奏曲ではあまり感じなかったが、「神々の黄昏」では期待したほどの響に厚みがない。
一つにはオケの規模がやや小ぶりだった。80名そこそこしか並んでいなかったように思う。数えやすい今橋は7本、チェロも10本だったと思う。
この曲にはワーグナーが弦五部の人数を指定していて、合計が64人となっている。これに管・打・ハープなどを加えて総勢は100人を上回る超特大オケになるはずなのだけど、今日の東響はそこまで強力ではなかった。そのせいもあったかもしれな。

また、規模の問題ではなく、弦の高音部がシャリシャリとしてあまり美しくない。東響がいつもそうだというのではない。

1回券なので、いつも座っている1階後方ではなく、2階中段(2CB)の最前列(ここも文句のない良い場所だ。)を選んだ。むしろ1階席より響は柔らかい。なのにオケの響に満足できなかった。
おそらく、飯守泰次郎も納得の出来ではなかったように思う。

とはいえ、やはり音楽そのものは素晴らしいが。

♪2018-024/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-02

2017年10月11日水曜日

楽劇「ニーベルングの指環」第三日〜神々の黄昏〜

2017-10-11 @新国立劇場


ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」第3日〜神々の黄昏〜

指揮:飯守泰次郎
演出:ゲッツ・フリードリヒ
美術・衣裳:ゴットフリート・ピルツ
照明:キンモ・ルスケラ

読売日本交響楽団
新国立劇場合唱団
二期会合唱団


ジークフリート⇒ステファン・グールド
ブリュンヒルデ⇒ペトラ・ラング
アルベリヒ⇒島村武男
グンター⇒アントン・ケレミチェフ
ハーゲン⇒アルベルト・ペーゼンドルファー
グートルーネ⇒安藤赴美子
ヴァルトラウテ⇒ヴァルトラウト・マイヤー
ヴォークリンデ⇒増田のり子
ヴェルグンデ⇒加納悦子
フロスヒルデ⇒田村由貴絵
第一のノルン⇒竹本節子
第二のノルン⇒池田香織
第三のノルン⇒橋爪ゆか

1989年の11月にサヴァリッシュがバイエルン国立歌劇場で「指環」全曲を演奏した際に、NHKが世界で初めてハイビジョン収録した。それを当時のBS2で放映したのが翌年だったと思う。その時に、当時としては最先端技術の録画規格Hi8+PCM録音で録画した。そのSONYのビデオデッキは市販品としては最高額で、清水の舞台から飛び降りる決意で購入したのも、ハイビジョン収録の「指環」を全曲録画したかったからだ。

その後、何年か経過してその高価なデッキが壊れ、PCM録音を再生できるデッキが無くなってしまったが、こういうこともあろうかと壊れる前にVHSにダビングしておいたのが残った。その後、ビデオテープ再生環境も無くなってしまったが、その前に今度はDVD-Rにダビングしておいたので、これは今も残っている。ダビングを繰り返したので映像も音声も放送時の状態とは比べ物にならないくらい酷いが、今では貴重な宝物だ。

今では、METやラノスカラ座、バイロイト祝祭劇場その他での公演のビデオをブルーレイやDVDで何組も持っているけど、同一の演出、指揮、歌手、オケで全4部作を通したものはこの1989年サヴァリッシュ版だけだ。

このサヴァリッシュ版による「指環」体験が、その後ワーグナーのオペラへの関心を惹起させ、さらにオペラ全体への興味を高めさせた。
いろんな演出・指揮等による数種類の「指環」を楽しんできたが、2015年10月までは一度もナマの舞台を観たことがなかった。4部作を順を追ってナマ舞台で公演するという機会は極めて少なかったように思う。

2015年10月から、新国立劇場で始まったシリーズでようやく初めて「指環」と対峙できるようになった。新国立では過去2回公演しているが、いずれも4部作を聴き通せる環境になかったので、リタイアを機に長年の希望が叶った次第だ。

「ラインの黄金」は2015年10月。
「ワルキューレ」は2016年10月。
「ジークフリート」は2017年6月。
そして、2017年10月の「神々の黄昏」で3年がかりの「指環」が完結する*
指揮者は全作ともワグナーならこの人!飯守泰次郎だ。
オケは東フィルが2回、東響、そして読響と変わった。

4部作を観終えて、圧倒されたのはやはりワーグナーの精緻で巨大な音楽だ。物語は不完全な脚本のせいか、壮大な哲学の深淵に当方が届かないせいか、何とおりもの解釈が成り立つ。だからこそ、演出によって全体の雰囲気が微妙に異なってくる。
いつも疑問に思うのは最後にブリュンヒルデが火の中に身を投じた後、その火はヴォータンのヴァルハラ城をも燃やし尽くす…はずだが、どちらにせよこうして既に「黄昏れていた神々」の世界がなくなった後に、他の世界(人間界、ヴェルズング族、ニーベルング族、ラインの乙女たち)には平和が訪れるのだろうか?ブリュンヒルデの自己犠牲はイエス・キリストのように他の世界の人々の愛による救済になったのだろうか?

これまでいろんな演出の「指環」を観てきたが、どれもはっきりしない。初体験であったサヴァリッシュ版(ニコラウス・レーンホフ演出)では何もかも終わってしまうような演出だったが、これではブリュンヒルデの死が虚しい。
今回の演出でも、すべては火と水に飲み込まれてしまうようでもある。ただ、身を投げてうずくまったブリュンヒルデは舞台と一体化するように大きな布を全身で被っていたが、それが彼女の死を意味すると思っていたところ、最後には彼女がその布を両手で持ち上げ、上半身を起こすのだ。これは、命は失ったが、代わりに世界は救済されたという暗示ではないだろうか。ともかく、無駄死にではないということが示された終幕であった。それを観て、長い時間の緊張状態が解けて、ほっと安堵したものだ。

それにしても、「指環」は奥が深い、とあらためて思い知らされる。音楽は、決して歌えるような音楽ではないのに素晴らしい。

ベートーベンの「第九」と同じく、ワーグナーが「指環」を書き遺してくれたことに感謝だ。

*今年は、「指環」の当たり年で、4月にはマレク・ヤノフスキ+N響の演奏会形式での「神々の黄昏」を、5月にはピエタリ・インキネン+日フィルの演奏会形式での「ラインの黄金」を、同月に新国立で「ジークフリート」のハイライト版を、6月には新国立での今回の「指環」シリーズの第3作目である「ジークフリート」を鑑賞した。いずれも素晴らしく、我が内なる「指環」熱をいやが上にも高揚させてくれた。

♪2017-162/♪新国立劇場-07

2017年6月14日水曜日

楽劇「ニーベルングの指環」第二日〜ジークフリート〜

2017-06-14 @新国立劇場


ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」第2日〜ジークフリート〜

指揮:飯守泰次郎
演出:ゲッツ・フリードリヒ


東京交響楽団

ジークフリート⇒ステファン・グールド
ミーメ⇒アンドレアス・コンラッド
さすらい人⇒グリア・グリムスレイ
アルベリ⇒ヒトーマス・ガゼリ
ファフナー⇒クリスティアン・ヒュープナー
エルダ⇒クリスタ・マイヤー
ブリュンヒルデ⇒リカルダ・メルベート




一昨年の秋に始まったシリーズも愈々「ジークフリート」を迎えた。手持ちのビデオを観たり、CD全曲盤を聴いたり、解説本を読んだりと、随分事前の勉強をし、加えて、新国立劇場が公演したハイライト版も鑑賞して、もう頭の中はパンパン状態。

「ジークフリート」はハイライト版を別にすれば演奏会形式を含め生舞台は初めてだったが、猛勉強のお陰でプロットはこれまでになくよく消化できて没入度が高かった。
ただ、2幕2〜3場の短時間の小鳥の声を除けば終盤まで女声は登場しない。それまでは専ら男たちの会話劇に終始する。ひたすら延々3時間小難しい対話が続き、音楽も暗いのであまり面白いとはいえない。
劇的な期待は(人にもよるが)もっぱら3幕後半、ブリュンヒルデとジークフリートが初めて会う瞬間までおあずけだ。

「恐れを知らぬ」ジークフリートが、火の山で眠り続けるブリュンヒルデを覚醒させ、初めて女性にまみえて「恐れ」を知る。神性を失ったブリュンヒルデもここで初めて自分の女性としてのアイデンティティーに目覚め、両者の熱狂愛のほとばしり。

ここにきてドラマが頂点を貫く。2人は伯母と甥という近親関係。「ワルキューレ」で描かれたようにジークフリートの両親も兄妹かつ不倫愛という刺激的関係の中で結ばれるのだが、その子もまた人倫の道を踏み外すように運命付けられている。

「指環」は恐ろしく壮大で複雑で不可解な点の多い物語だが、ほぼ鳴り止まない音楽も同様に壮大でかつ緻密に作られていて、否応なしにこの世界に取り込まれてしまう。
それにしてもタイトルロールを歌う歌手は全幕通じて出番が多いので体力勝負。ジークフリート役のステファン・グールドなど、最後まで声も枯らさず歌い切った。それだけでもう凄いものだと感心する。今回出番が少なかったブリュンヒルデ役のリカルダ・メルベートは、「神々の黄昏」に出演しないのが残念だが、新国立劇場の来季の「ばらの騎士」、「フィデリオ」を楽しみにしておこう。

♪2017-102/♪新国立劇場-06

2017年3月9日木曜日

東京都交響楽団 第826回 定期演奏会Cシリーズ

2017-03-09 @東京芸術劇場大ホール


飯守泰次郎:指揮
東京都交響楽団

ベートーベン:序曲「レオーレ」第3番 op.72b
ベートーベン:交響曲第8番ヘ長調 op.93
ワーグナー:歌劇「さまよえるオランダ人」序曲
ワーグナー:歌劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲
ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲
----------
アンコール
ワーグナー:歌劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲

今日の芸術劇場の都響はあれこれ不満があって、全てが都響のせいではないが、イマイチだった。

第1曲目のレオノーレの出だしが飯守御大の呼吸と合っていない。その後もどうも木管とバイオリンが合わず、バイオリンの方が少し遅れて、揃うまでに少し時間がかかった。

アンサンブルの達人みたいな都響にしてはどうも様子がおかしい。
テンポのズレはすぐ修正されたが、どうにも修正できないのが音響だ。
レオノーレにしてもベートーベンの第8番にしても管弦楽がドカーンと大きな音を発して始まるのだけど、その響が固く締まっていない。ボワーンと緩い。

芸術劇場の音響については前からどうも変だと思っていたが、それは席が音源から遠いためかもしれないと留保していた。
それが前回は2階最前列で聴いたが、やはり、スッキリせず、ひょっとしてステージ上の音はステージ上で空回りして客席に飛んでくる割合が低いのではないかと思った。
今回は1階席の10列目の中央という縦横のど真ん中で聴いたが、その疑いはますます濃厚にというか、もはや確信に近いものとなった。

ベートーベンの8番のメヌエットの中程(トリオ)ではホルン、木管、バイオリンと数を増してアンサンブルが厚く変化しながら主題を奏で、これにチェロが3連音符で伴奏をつけるのだけど、今日の飯守御大はこの部分をチェロ首席が1人で弾くように指示した(のだろう。現に汗をかいていたのは独りだけだったから。)。ところが、ここでチェロは完全にメロディー楽器の攻勢に埋もれてしまい、3連符が部分的にしか聴こえてこない。
いくら独りでもかなり奮闘ぶりが見えたからわざわざ聴こえないような小さな音で弾いているはずがない。飯守御大には聴こえている音が10列目に届かないのだ。音は虚空に吸い込まれてゆくが如しであった。

休憩を挟んで、ワーグナー・アワーだ。
こちらは都響も調子が出てきたのか、あるいは御大の得意分野で指示が行き届いていたのか、壮大なワーグナー・ワールドを楽しめた。アンコールは、やっぱり、というべきか。昨夏のミューザ川崎シンフォニーホールでの東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団とのワーグナー中心のコンサートでもアンコールに演奏してくれた華々しい「ローエングリーン」第3幕への前奏曲で盛り上がった。

ただ、やはり、いつもの飯守御大の笑顔が少なかったのはやはり、演奏に悔いが残ったか、あるいは、オケの響がイマイチ抜けていないという不満があったからだろうか。でもホールのことなら何度もここで指揮をしているだろうからやはり演奏に燃焼できなかったのかもしれない。
僕にとっても、これまでで一番がっかりした都響だった。

帰宅後、Youtubeでベト8メヌエットの演奏動画を幾つか確認したが、第一プルト(首席と次席の2人)のみで弾いている動画を1つ発見したが、ほかに確認できたものはいずれもチェロパート全体でこの3連音符を弾いていた。
楽譜を見てもトリオのチェロパートを1人で弾くという指示は見当たらない。すると、もともと、飯守御大のアイデアに無理があったのか。

しかし、先月、飯守+神奈川フィルで同じベト8を聴いたのだけど、その時もメヌエットのトリオ部分を首席1人に弾かせていたはず。それでもアンサンブルの響に何の違和感もないばかりか素晴らしい演奏だった。

この演奏を前提に、都響でも首席独りに弾かせたのかもしれない。
しかし、音響効果の優れたみなとみらいホールと異なって芸術劇場はステージそのものがデッドスポット!なのでうまく響かなかった…のではないかな。

♪2017-036/♪東京芸術劇場大ホール-01

2017年2月18日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第327回

2017-02-18 @みなとみらいホール


飯守泰次郎:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

ベートーベン:交響曲第8番ヘ長調Op.93
シューベルト:交響曲第8(9)番ハ長調D944「ザ・グレート」

敬愛するマエストロ、飯守泰次郎の指揮でベートーベンの交響曲第8番とシューベルトの第8(9)番というダブル8のダブルAサイドという豪華なプログラムだ。
尤もシューベルトの第8番はかつて(1978年前)は「未完成」に付けられていた番号で、したがって、本日のハ長調の通称「ザ・グレート」は「第9番」と言われていた。今でも表記が徹底されていないので第8(9)番などと表記されることが多い。そういえばドボルザークの交響曲「新世界から」は現在では第9番でほぼ定着しているけど、その昔は第5番と言われていたっけ。

ベートーベンの第8番は第1、第2、第4番と並んで演奏会で取り上げられる機会が少ないが、これが非常に面白い作品だ。
切迫感に満ちた佳編で特に第一楽章後半の運命の動機のような(ここでは3拍子だけど)繰り返しがもたらす高揚感がいい。

シューベルトの第8番はベートーベンの第8番に比べて演奏時間が倍ほど長い。この作品が「ザ・グレート」と呼ばれるようになったのは、第6番が同じハ長調なので、長大な第8番の方を「ザ・グレート」と呼んだのが始まりらしいが、この壮大な音楽は単に演奏時間が長いというだけではなく、誠に「ザ・グレート(偉大な!)」がふさわしい内容を持っている。
全篇にシューベルトの詩情が溢れているが特に第2楽章がいい。シューマンが「天国的な長さ」と評した楽章の美しいこと。
スケルツォ(第3楽章)もリズムの疾走というだけでなくメロディーも歌詞を付けたらおもしろい曲になるのではないか。…いや、この全4楽章すべてに独唱と合唱を加えたら壮大なオラトリオになるので華だろうか。それほど、歌心に満ちていて心地よい。

今日の神奈川フィルは、飯守御大の入念な指導(今日のゲネプロのほかに3日もリハーサルを繰り返したそうだ。)の甲斐あってか、2曲ともシャキシャキと引き締まって、軽快な中にも歌心に溢れた好感度の高い演奏だった。

神奈川フィルの最良の演奏は、N響の時に凡庸な演奏に勝る。

♪2017-025/♪みなとみらいホール-08

2016年11月12日土曜日

ミューザ モーツァルト・マチネ 第27回

2016-11-12 @ミューザ川崎シンフォニーホール


飯守泰次郎:指揮
森麻季:ソプラノ
東京交響楽団

≪オール・モーツァルト・プログラム≫
交響曲第1番 変ホ長調 K.16
モテット『踊れ、喜べ、幸いなる魂よ』(エクスルターテ・ユビラーテ)ヘ長調 K.165(158a)
交響曲第29番 イ長調 K.201(186a)


モーツァルトは早逝だから一番最後の作品(未完に終わった「レクイエム」)でさえ35歳のときの作品だから、ほかの何を聴いてもたいていは随分と若い時代に作曲されたものだ。

特に今日演奏された3曲は、交響曲第1番がなんと8歳頃、モテット「踊れ〜」が17歳、交響曲第29番が18歳だ。
こんな若造、というより8歳じゃ小学生じゃないか。
子供の遊びのような作品をありがたがって聴くのも癪だな、と思いつつも、明朗快活で分かり易い純粋な音楽(絶対音楽)の魅力が溢れている。

モテットは聴いたことがなかったが、交響曲第1番は(CDでは何度か聴いているが)どこかのオケで聴いたことがあったように思う。冒頭の主題がとても特徴的だから印象に強く残る。
むしろ、29番が新鮮だった。

CDは交響曲全集全41曲と番外の7曲のセットを持っているが、なかなか聴く機会がなく、演奏会で取り上げられるのを機会にその前後に聴いてみるくらいで、どうやら29番はCDでも聴いたことがなく、今回が初聴きだったのかもしれない。

今回東響(こじんまりとした編成)で両方聴いてみて、そしてCDでも復習の為に聴いてみたが、8歳児の作品の方が面白い。

飯守泰次郎といえば、ワーグナーを聴く機会が多いが、なんだってできるのだ。あの好々爺然とした風貌とにこやかな表情で観客の気持ちもオケの気持ちもスーッと掴んでしまう。
ソプラノの森麻季は1曲だけの出番だったが、せっかくだから交響曲は1曲だけにしてモーツァルトの声楽作品をあと数曲聴きたかった。

♪2016-154/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-25

2016年10月5日水曜日

楽劇「ニーベルングの指環」第一日〜ワルキューレ〜

2016-10-05 @新国立劇場


指揮:飯守泰次郎

演出:ゲッツ・フリードリヒ
東京フィルハーモニー交響楽団

ジークムント⇒ステファン・グールド
フンディング⇒アルベルト・ペーゼンドルファー
ヴォータン⇒グリア・グリムスレイ
ジークリンデ⇒ジョゼフィーネ・ウェーバー
ブリュンヒルデ⇒イレーネ・テオリン
フリッカ⇒エレナ・ツィトコーワ

ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」第1日~ワルキューレ~

「ニーベルングの指環」全4部作の<前夜祭>に当たる「ラインの黄金」が同じ新国立劇場、同じスタッフで公演されたのが昨年の10月だったから、ちょうど1年を経て第2部とも言うべき「ワルキューレ」が始まった。正しくは「~指環」の<第1日目>で、いよいよ本格的なドラマが始まる。待っている1年が長かったよ。
歌手は「~黄金」とは異なっているが、今回も主要な役は全員海外からの招聘だ。この世界のことはよく知らないけど、いずれも国際的に活躍している一流歌手だそうだ。それは素人の耳にももう一聴瞭然だ。
広くて天井の高い劇場空間に声が朗々と響き渡るのが、ナマとは思えない音圧を伴っている。
飯守泰次郎御大の率いる東京フィルハーモニー交響楽団の圧倒的なサウンドもピットの中に入っているとも思えない迫力だ。
ワクワクさせる音楽の素晴らしさは言うまでもないが、「~黄金」ではややもの足りなかった舞台装置が今回はとてもいい。
広い舞台と高さを活かした仕掛けがシンプルな中に深遠なドラマを表現していた。また、照明もよく考えられていて見事だった。
終幕のブリュンヒルデを深い眠りに落としその回りを炎が取り囲むとともに天界から降りてくる緑のレーザー光線が彼女の悲劇性を高めている。

「~黄金」は神々や巨人や小人族の間の権力争いで、ここでは愛を犠牲にすることで権力を得ようとする男たちの物語だが、「ワルキューレ」では権力よりも愛に生きようとする男女、それも神々の長ヴォータンが人間女性との不倫によって産ませた兄(ジークムンデ)と妹(ジークリンデ)の近親相姦の愛の物語だ。
ヴォータンは正妻(婚姻の女神フリッカ)以外の女神たちとも不倫をして9人のワルキューレたち(死んだ雄者を運ぶ女性たち)を産ませる。中でも知恵の神エルダとの間に生まれたワルキューレ姉妹たちの長姉ブリュンヒルデをヴォータンは一番信頼し、愛していた(これも近親相姦ぽい)。
ヴォータンはジークムンデを自分の大いなる野望の実現のために利用するつもりだったが、正妻フリッカの糾弾にあってやむを得ず殺さざるをえないことになる。ブリュンヒルデはヴォータンの命を受けてジークムンデを撃つ算段で出かけたが、ジークムンデとジークリンデの純粋な愛に心打たれ、父ヴォータンを裏切ろうとした。このことによって彼女はヴォータンによって神性を奪われ、岩山で眠りにつかされるのだが、ジークリンデはジークムンデの子種を体内に宿していた。やがて、生み落とされた子供こそ「~指環」の第2日「ジークフリート」のタイトルロールとなってブリュンヒルデと結ばれるという壮大な話が続くのだが、その公演は来年6月まで待たなければならない。

この神話のような物語は、愛と権力の対立という構造を持ち、実は、今を生きる我々の心の中に、愛や生きるということの意味を問いかけるものでもある。
開幕から終演まで正味5時間20分(休憩が第1幕の後に40分、第2幕のあとに35分あった。)という長丁場だったが、(休憩を除いて)片時も途切れないワーグナー印濃厚な劇的な音楽に全身・全霊を包み込まれ、圧倒されっぱなしだった。

♪2016-133/♪新国立劇場-2


2016年8月10日水曜日

フェスタサマーミューザ2016 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 ドイツ音楽の神髄! 飯守泰次郎のワーグナー

2016-08-10 @ミューザ川崎シンフォニーホール


飯守泰次郎:指揮
ペーター・シュミードル:クラリネット
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

ワーグナー:歌劇「ローエングリン」から第1幕への前奏曲
モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調 K622
ワーグナー:楽劇「タンホイザー」序曲
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」から『前奏曲と愛の死』
ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」から『ワルキューレの騎行』、『魔の炎の音楽』
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アンコール
ワーグナー:歌劇「ローエングリン」から第3幕への前奏曲


オケにも独奏者にも多少の不満はあったけど、大御所飯守泰次郎のワーグナーをミューザの特等席で聴く喜びがすべてを補って余りあり。
この夏のミューザフェスタ(今日で8ステージ目)で、最高の拍手喝采歓呼の嵐だった。
オケや独奏者に拍手というより(もちろんそれもあるが)、なんといってもマエストロ飯森への共感や敬愛がほとばしっているのだ。館内にその熱い思いが爆発している。

何度も何度もカーテンコールに呼び出されたが、その内、ひょいと指揮台に飛び乗って棒を振り下ろしたら、なんとアンコール演奏で「ローエングリン」から第3幕への前奏曲と実に華々しい音楽。
これで、館内はまた一層狂喜した。うまい演出だ。

ミューザのHPから

ワーグナーの中に挟まれたモーツァルトのクラリネット協奏曲はなくとも良かった。ワグナーばかりやって欲しかったよ。
まあ、それは別としても、この曲、よほど独奏者に過酷な技術を強いるのだろうか?先月のN響定期でも楽器故障のハプニングがあったが、今日も同様で、第2楽章あたりから、どうも無理やり吹いているような音になったりでおかしいなと思っていたが、第3楽章では遂に音が出ない箇所が何度か。こうなると、祖父・父についで親子三代にわたるウィーン・フィルの首席奏者(2010年まで)だったという世界的な名人が気の毒になってきたが、楽器の手入れも芸の一つだよ…なんて世界の巨匠を叱ってみる…^^; 


♪2016-112/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-22

2015年10月14日水曜日

楽劇「ニーベルングの指環」序夜〜ラインの黄金〜

2015-10-14 @新国立劇場


指揮:飯守泰次郎
演出:ゲッツ・フリードリヒ

【ヴォータン】 ユッカ・ラジライネン
【ドンナー】 黒田博
【フロー】 片寄純也
【ローゲ】 ステファン・グールド
【ファーゾルト】 妻屋秀和
【ファフナー】 クリスティアン・ヒュープナー
【アルベリヒ】 トーマス・ガゼリ
【ミーメ】 アンドレアス・コンラッド
【フリッカ】 シモーネ・シュレーダー
【フライア】 安藤赴美子
【エルダ】 クリスタ・マイヤー
【ヴォークリンデ】 増田のり子
【ヴェルグンデ】 池田香織
【フロスヒルデ】 清水華澄

東京フィルハーモニー交響楽団

ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」序夜~ラインの黄金~


もう、一体何年ぶりかわからないくらい久しぶりの本格的なオペラ鑑賞。
オペラを観にゆくより、そのお金と時間をコンサートに回すべし、が僕のクラシック鑑賞ルールで、オペラはもっぱらホームシアターで楽しんでいるが、やはり、「指環」は一度は観ておきたい作品だ。

新国立劇場では2001年から4年がかりで全作品を上演したそうだが、その時はどういう訳か第1作(ラインの黄金)の公演情報を見逃し、結局一作品も観なかった。
今回2度めの上演は、再び「ラインの黄金」から3年がかりで全4作を上演するというので、機会ヨシ、とばかり観に行った。

久しぶりのオペラ(本作は「歌劇」に非ず「楽劇」と呼ばれている)の生舞台。
新国立劇場自体初めての経験だったが、少なくとも2階席中央ブロックは舞台は見やすいし音響面でも申し分なかった。

「指環」のビデオは4セット持っているくらい好きで、僕にとっては(多分、よほどワーグナー嫌いでもなければ全オペラファンにとっても)特別な作品だ。
今回は、事前にMETの「ラインの黄金」をじっくり観直して臨んだ。
全篇が聴き馴染んだ音楽ばかりで楽しいやらうれしいやら。
ビデオ鑑賞は特等席でゆっくりできるが、やはり(というか、残念ながらというか)、ナマのオーケストラと歌声にはかなわない。

飯守泰次郎御大は御年75歳だ。
これまでオーケストラ・コンサートで何度か指揮を聴いているがいつも満足できる。このクラスとなるとその音楽性は及びもつかないので分からないが、人間的魅力が指揮ぶりにも表れていて好感するのだろうと自分を納得させている。

その高齢にもかかわらず、「ラインの黄金」は4場が連続して休憩無しの160分、音楽が途切れることがないという長大作。
100名を超えるオーケストラ団員も、歌手たちも(出番のない場面では)、1,800人の観客も当然、その長時間を座わって過ごすのだけど、唯一、指揮者だけは立ち通しだ。まあ、背もたれくらいあったのかもしれないけど、もう、それだけでも敬服してしまうが、何より、この長いだけではない複雑なドラマを孕んだ超大作を完全理解していてこそ全篇にわたる緊張感を漲らせた音楽を再現できるのだから、これを指揮することが大変な力量を必要とされるだろうことは凡才にも想像ができる。

東京フィルも良く鳴って迫力十分だ。
これは新国立劇場が最初からオーケストラピットでの演奏を前提としてホールの音響効果が設計されているからではないかとも思うが、そもそもオケとしての実力がなければどんなホールだってうまくは響かない。

演出(というか、むしろ舞台装置)について言えば、METのロベール・ルパージュ演出版(2010年~)のシンプルながら舞台の全空間を活かした構造に魅了されている身としては、今回の舞台装置はちょっとチープ感が漂っていたが、これはMETと比較するからで、そこは知らなかったことにすれば十分満足できる。

ワーグナー恐るべし。
飯守泰次郎恐るべし。
東京フィルも見直した。


♪2015-102/♪新国立劇場-1