2026-07-04 @フィリアホール
ハーゲン・クァルテット
Vn1:ルーカス・ハーゲン
Vn2:ライナー・シュミット
Va:ヴェロニカ・ハーゲン
Vc:クレメンス・ハーゲン
モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番ト長調 K.387「春」
シューマン:弦楽四重奏曲第3番イ長調 Op.41-3
シューベルト:弦楽四重奏曲第13番イ短調 D804「ロザムンデ」
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ハイドン:弦楽四重奏曲ト長調 0p.54-1 Hob.Ⅲ:58から第2楽章アレグレット
単独のリサイタルなどを別にすれば、String Quartetとしては17年の夏以来2回目だが、その時と比べて、刮目すべき変化を感じた。曲目の違いもあるけど、そういう次元ではないな。
素人がいい加減なことを言うのだけど、ちょうど、ベートーベンの後期のピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲が、聴き手の気持ちなどに頓着せず独自孤高の世界に入ったように思えるのだけど、それと同じように、このカルテットは独自の深みに入ったのかもしれないなと思いながら聴いた。
今日、会場にゆくまで知らなかったが、彼らは今年で解散するのだそうだ。
もう、SQとしては行き着くところまで到達したと考えたのだろうか?
聴いていると、そんな気さえした。
ほぼ2週間前に、同じフィリアで気鋭の若手クァルテット・インテグラのベートーベンを聴いたが、まるで違った。
いや、彼らは、これまで聴いてきたSQと同じ地平に立っているように思うが、今日のハーゲンSQは、まるで異なるジャンルの音楽のように思ってしまった。
3曲とも、極めて弱音でVn1の旋律を他の3人が支えるように始まる、その音が蚊の鳴くような…ではなく、蚊の赤ちゃんが鳴くような、これ以上小さくては聴き取れないような超弱音で始まる。もちろん、ダイナミックレンジは広くて激しい部分もあるが、全体として静謐な音楽で、4人は耳を澄ませてそのかすかな音を捉えながら緻密で緊密なアンサンブルを構築してゆく。なんと言う緊張感。スリル。
遊びの部分など全くない。ニコリともしない。まるで求道者のような表情で、彼らの世界を構築してゆく。
当初予定したプログラムはモーツァルト・シューマン・シューベルトのいずれも最後の作品集から1曲ずつという構成だった。
解散を念頭に置いた選曲だったのだろうか?
ところが、急遽モーツァルトは21番K.575から14番K.387に変更された。これで、ストーリーは壊れてしまったが、個人的には大歓迎だった。
この14番「春」は、若い頃の僕に初めてSQという世界の面白さを教えてくれた記念碑的作品で、なのに、なかなか生で聴く機会がなかった。僕に蒙を啓いたのは作品の良さだけではなく、その良さを数倍にも拡張して聴かせてくれた大昔のジュリアードSQの演奏だ(今も同名のSQはあるけど似て非なるもののような気がするが…)。メリハリの効いた音楽で、アレグロ楽章など全体が sempre in tempo で疾走するが如しで、実に小気味良い音楽だ。
ところがどっこい。
今日のハーゲンSQの「春」はひたすら、アンサンブルの完成を目指している風で、これがモーツァルトかいな?と思うほど神秘的でさえあった。
もちろん、このモーツァルトも良かったし、トリのシューベルトの大曲も時間を忘れさせる気魄があった。
つまりは、整理しきれないような、付いてゆけないような音楽の高みをチラ見してしまって、呆然としている…のかもしれない。
♪2026-075/♪フィリアホール-05