2015年8月29日土曜日

小山実稚恵の世界 デビュー30周年記念ピアノ・リサイタル

2015-08-29 @みなとみらいホール


小山実稚恵:ピアノ

●シューベルト:
 即興曲 変ト長調 op.90-3
 ヘ短調 op.142-1
 変イ長調 op.90-4
 変ホ長調 op.90-2
●J.S.バッハ(ブゾーニ編):シャコンヌ
●リスト:愛の夢 第3番
 「エステ荘の噴水」(巡礼の年第3年より第4曲)
●ショパン:ノクターン 変ホ長調 op.9-2
 ポロネーズ第6番「英雄」 変イ長調 
 アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズop.53
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アンコール
●グラナドス:「スペイン風舞曲」より第5番「アンダルーサ」
●アルベニス:入江のざわめき/パヴァーヌ・カプリッオ



小山実稚恵は現在活躍中の日本人ピアニストの中では、個人的には一番親しみやすい、好感度ナンバーワンのピアニストだ。

生演奏ではオーケストラとの共演で協奏曲を聴くことが多く、ピアノ単独のリサイタルは初めてだった。

2千人以上入るみなとみらいホールの大ホールでのリサイタルは、会場が大きすぎるのではないか、と危惧していたが、はりこんだS席の場所もベストで、最初のシューベルトの即興曲のピアニシモ?が揺らめくように始まった途端、気持ちは吸い込まれてしまった。こういう経験はめったにない。

彼女の指先(センターよりやや左で白鍵が見える席を選んだ。)がまるで音符に生命を吹き込んでいるように思えた。
即興曲では作品90の4曲のうち1番だけが演奏されず、代わりというわけではないだろうけど作品142の1番が演奏された。個人的には90-1が特に好きなのでこれを聴きたかったけどなあ。

バッハのシャコンヌはいろんな楽器にアレンジされているが、どんなアレンジを聴いても、やはり、原曲(無伴奏バイオリン)には敵わないと思っていたが、このピアノ編曲はよく出来ているというのか、全然違和感がないばかりか、これもオリジナルかのような錯覚に陥った。

エステ荘の噴水も過去いろんな人の演奏を聴いているけど、今回、初めて冒頭の水のきらめきを実感できた。リストの才能を深く感じたよ。

ショパンの2曲も言うことなし。


また、アンコールが良かった。
独墺、東欧と続いて、アンコールはスペイン音楽だ。
それぞれのピアノ音楽の粋を垣間見せてくれた。

小山実稚恵という人は表現力の確かな人だと思う。
時々音が外れることもあるが、大した問題では無いね。
ますますファンになった。


♪2015-81/♪みなとみらいホール-23

2015年8月26日水曜日

みなとみらいクラシック・クルーズ Vol.70 読響メンバーによる室内楽

2015-08-26 @みなとみらいホール


瀧村依里:バイオリン
渡邉千春:ビオラ
唐沢安岐奈:チェロ
瀬泰幸:コントラバス
倉田優:フルート*
浦丈彦:オーボエ*
柴欽也:クラリネット*
武井俊樹:ファゴット*
山岸博:ホルン*

J.S.バッハ:コラール「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ」*
L.シュポア:九重奏曲 ヘ長調 作品31
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J.シュトラウスⅠ(野本洋介編):ラデツキー行進曲


バッハのコラールで1番有名なのは「主よ、人の望みの喜びよ」だろう。ついで有名なのが「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ」だろう。

今日は、これを珍しい木管五重奏で聴いた。
ホルンは金管楽器だけど、慣習的に木管五重奏と言われている。

曲名の意味は、聖書からテキストを採ったものなのでなんとなく分かったつもりでいたけど、解説を読んで想像とはだいぶ違うことが分かっておかしかった。

マタイ伝第25章10人の花嫁の譬えから引用されているそうだ。
10人の花嫁が花婿の到着を待っていたが、うち思慮深い5人は油を用意していた。花婿の到着が遅れてみんな寝込んでしまった。
夜中になって「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ」たので花婿の到着を知って10人は対面の準備をしたが、油を用意していなかった5人は慌てて買いに出たが、戻ってきた時には門が閉められていた。だから、いつもちゃんと用意をしていなさいという教えなのだけど、こんなに即物的で具体的な意味があるとは知らなかった。

さて、メインはシュポアの九重奏曲(ノネット)だ。木管五重奏に弦四部が加わる。ここで弦は、弦楽四重奏で一般的な編成ではなく、第2バイオリンの代わりにコントラバスが入る。まあ、木管五重奏と一緒なので、チェロだけでは低音部が弱いからだろう。
室内楽としては最大限度の編成であり、オーケストラとしては最小限度の編成だ。いずれにせよ、こういう編成は演奏する方としては楽しくてしようがないだろうな。みんなSOLOなんだもの。


ところでルイ・シュポアって誰?
生年はベートーベンとシューベルトの間。ドイツ人でウィーンで活躍。手持ちの「クラシック作曲家大全」では古典派の一番最後に取り上げられている。当時最も名高い音楽家の1人だったそうだ。
どうでもいいような話だが、バイオリンの顎当てを発明し、最初に指揮棒を使った人でもあるそうだ。
多作だけど今日ではほとんど演奏されない。そういう人って、音楽家だけでなくいくらでもいるんだね。才能はあっても運が悪く歴史に埋もれてしまう人。いや、そういう人の方が圧倒的に多いんだが。

で、その音楽だけど、やはり、その時代のドイツ音楽…というよりウィーン風なのかな。屈託のない明るさだ。ヘ長調だが、途中で短調に変わる部分があるかと思ったが、気が付かなかったなあ。徹頭徹尾長調に終始した気がする。
そんな訳で、いかにもサロン音楽という感じ。楽しいけど軽い、かな。


♪2015-80/♪みなとみらいホール-22

2015年8月21日金曜日

N響 Special Concert

2015-08-21 @サントリーホール


ヨーン・ストルゴーズ:指揮
アリス=紗良・オット:ピアノ*
NHK交響楽団

ベートーベン:「エグモント」序曲
ベートーベン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調 作品37*
ベートーベン:交響曲第5番ハ短調 作品67「運命」
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アンコール
シューマン:3つのロマンス 作品28から第2曲 嬰ヘ長調*
シベリウス:アンダンテ・フェスティーヴォ(弦楽合奏とティンパニーのための)



N響夏の特別演奏会の一つ。
最近のN響の演奏会が2回連続してイマイチ乗れなかったので、期待と不安が混じった思いで出かけたが、そういうマイナーな感情を一掃してくれた。

音楽はもちろんいずれも傑作揃い。
ピアノソリストのアリス=紗良・オットもナマは初めてで、期待していたが期待どおり。
アンコールにシューマンのロマンス第2番を弾くなんて渋いなあ。

エグモント序曲というのは、ティンパニー以外の全楽器がフォルテの付点全音符から始まるので出鼻の失敗率が極めて低い。アマチュアが演奏してもそれなりに聴こえる曲だ。
しかし、さすがに日本を代表するオーケストラだ。
管と弦が交じり合った最初の響からして実に美しい。

これはどうしたことか。

サントリーホールだから?
まあ、席もこれ以上はないという個人的には理想的なロケーションではあったけど、いやいや、これほどまでにホールや席の位置で音響が変わるはずがない。
多分、全2回のがっくり感が尾を引いていてその落差が今回の響を際立たせたのだろう。

あるいは、N響が渾身の力を出した?いつも手を抜く?
そんなこともあるまい。手を抜くって、むしろ難しいものなあ。

この会場では東響、読響、日フィルの定期演奏会をたまに(普段は横浜みなとみらいホール、ミューザ川崎シンフォニーホールで)聴いているけど、この日のN響管弦の混ざり合ったシンフォニックサウンドほど美しいと思ったことはなかったなあ。


とにかく事情はよく分からなかったけど、一皮むけたような音がつくりだす音楽の美しさは特筆モノだった。
一度こういう経験をするとこれが物差しになってしまうので、困ったことになるのではあるのだけどなあ。


♪2015-79/♪サントリーホール-04

2015年8月12日水曜日

松竹創業120周年 八月納涼歌舞伎 第二部

2015-08-12 @歌舞伎座


一 ひらかな盛衰記(ひらかなせいすいき) 
   逆櫓 一幕
   第一場 福嶋船頭松右衛門内ノ場
   第二場 沖中逆艪の場
   第三場 浜辺物見の松の場

      銘作左小刀
二 京人形(きょうにんぎょう) 常磐津連中/長唄連中


一 ひらかな盛衰記(ひらかなせいすいき) 逆櫓
船頭松右衛門(実は樋口次郎兼光)⇒橋之助
畠山重忠⇒勘九郎
女房およし⇒児太郎
船頭日吉丸又六⇒国生
同 明神丸富蔵⇒宜生
同 灘芳九郎作⇒鶴松
漁師権四郎⇒彌十郎
お筆⇒扇雀

       銘作左小刀
二 京人形(きょうにんぎょう)
左甚五郎⇒勘九郎
女房おとく⇒新悟
娘おみつ(実は井筒姫)⇒鶴松
奴照平⇒隼人
京人形の精⇒七之助



2本とも初めての作品だった。

「ひらかな盛衰記」ってよく目にする耳にするタイトルだったが、歌舞伎の演目とは知らなかった。
「源平盛衰記」も存在を知るだけで読んだことはなかった。何となくこの両者がごっちゃになって記憶に残っていたようだ。

歌舞伎座の「筋書き」によれば、「ひらかな盛衰記」は「源平盛衰記」を平易に描いたという意味が込められているそうだ。
つまりは源氏と平家の争いの物語だ。

歌舞伎(元は人形浄瑠璃の翻案)独特のありえないような複雑な登場人物や状況設定で、予習をしておかないと戸惑ってしまったろう。しばらくしたら、はてどんな話だったっけ、ということになるのは必定なので、忘れないうちにあらすじだけ書いておこう。

頼朝に敗れ討ち死にした木曽義仲の家臣樋口次郎兼光(橋之助)は身分を隠して漁師権四郎(彌十郎)の娘およし(児太郎)の2度めの婿として松右衛門を名乗り、権四郎から学んだ逆艪(船を後退させる技術)の腕を磨きながら、義経に対して、主人のかたきを討つ機会を狙っていた。

…なんて、先月観た「義経千本桜-碇知盛」とそっくり!

ある日、ついにチャンス到来。源氏の武将梶原景時に呼び出され、義経の乗る船の船頭を任された。

一方、およしと前夫の子、槌松は先ごろ西国巡礼の宿での捕物さわぎに巻き込まれ、逃げ帰る途中に、背負っていた槌松が実は騒動の最中に取り違ってしまった他人の子供であったが、いずれは本物の槌松に再会できる望みを抱いて槌松と思い大事に育てていた。

松右衛門がチャンスを掴んだその同じ日に女性お筆(扇雀)が権四郎らの家を訪ねて来て、その子を返してほしいという。
取り違えられた子は木曽義仲の遺児駒若丸で、自分は義仲の家臣の娘だという。
では槌松を返してほしいと迫る権四郎に、お筆は、その子は駒若丸の身代わりに敵に殺されたと告げる。
収まらない権四郎とおよし。

およしの悲痛。それが我が事のように分かるお筆も辛い。

ここが哀切極まりないの場面だ。
権四郎は、ならば、駒若丸の首を討ってから返してやると、いきり立ち、奥の間から駒若丸を抱いて出てきた松右衛門に、その首を討てと促す。

松右衛門、実は樋口次郎兼光の心中は、すべて仇討ちのための準備が整ったのは天の采配だと狂喜しただろう。
主君の遺児に手をかけるはずもなく、駒若丸を抱いたまま権四郎に「頭が高い!」と一喝する。

水戸黄門みたいだが、混乱収拾には効果的。

ここで、素性を明らかにした松右衛門=兼光は権四郎らに言葉を尽くして忠義の道を立てさせてくれと頼み、ついには納得した2人は駒若丸を兼光、お筆に渡し、槌松の死を受け入れる。

この後の場面は、船頭たちの勇ましい争いを華麗に見せる芝居で、ちょっと物語としては閑話休題といったところ。

最終場面で源氏側に正体を見破られた兼光が多勢に無勢の中必死に戦うところも、碇知盛を思わせる。
いよいよ、追い詰められたところに権四郎の機転が奏功して源氏方武将畠山重忠(勘九郎)が登場するが、「勧進帳」で言えば富樫のように、事態をすべて丸く収め、兼光は安心して潔く縄を受ける。

なんだか、よくある話のてんこ盛りという感じだったな。
第二場も第三場も活劇が舞のようにきれいで、話とは別に見せ場として用意したような趣向だが、このごった煮も歌舞伎の面白さなのだろう。
能の間に狂言が混じっているようなものか。


傑作は、むしろ舞踊劇「京人形」だ。

彫工の名人左甚五郎の話だ。
京都の郭で見初めた小車太夫を忘れられない甚五郎(勘九郎)は太夫にそっくりな人形(七之助)を作る。
するとこの人形に魂が乗り移り、動き出すのだが、最初は甚五郎の魂が乗り移ったようで、きれいな女の人形なのに男の仕草をするのがおかしい。
そこで、手鏡を懐に差し入れると今度は実に艶かしく女の仕草を始める。
小車太夫になった人形を甚五郎が口説き始めると彼女のお懐からポロッと鏡が落ちて、その途端姿勢も仕草も男の様子だ。

七之助演ずる人形はもちろん表情を変えず、声を発せず、動きも男らしい、女らしいと言っても、やはり人形のぎこちない動きなのだ。パントマイムのようなものか。
このやりとりがとにかくおかしい。

後半、突飛にも左甚五郎の通名の謂われが描かれる。
何の伏線もなかったが、実は甚五郎は旧主の妹の井筒姫(鶴松)を預かっていたところ、彼女に執心する侍が姫を奪い去ろうとやって来るがこれはなんとか凌いだものの、姫の家来に左手を誤って傷つけられた甚五郎の元に、武家の差配か(はっきり描かれなかったが)大勢の大工が姫を差し出せと襲ってくるが、不自由な左手がつかえないまま、いろんな大工道具で応戦し蹴散らす。

つまりは無理に話をくっつけたのだけど、せめて、小車太夫の人形が後半にも登場して脈絡をつけたら良かったのに、そういう整合性はお構いなしなのだ。こういうところが、歌舞伎を今日的な目で観る時に判断に迷う。


♪2015-78/♪歌舞伎座-04

2015年8月9日日曜日

フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2015 東京交響楽団フィナーレコンサート 戦後70年、未来への祈り

2015-08-09 @ミューザ川崎シンフォニーホール


秋山和慶:指揮
天羽明恵:ソプラノ
竹本節子:メゾ・ソプラノ
合唱:東響コーラス
東京交響楽団

マーラー:交響曲第2番「復活」


若い頃は、マーラーやブルックナーのような長大交響曲は、作品が長時間というだけではなく、その内容にどうもついて行けないので、わざわざ機会を作って聴くということがなかった。
ベートーベンやブラームスがあるのにあえてこの軽薄長大!を聴いて心身を悩ませることはない、と思っていた。これはもちろん傲慢なのだけど、若いからこそ至る境地でもある。

いや、実は十分若くなくなった今でもその疑念は残っている。
そしてその疑念を追求することは音楽とは何かを追求することでもあるな、と思っている。

ああ、そんな面倒なことを考えたくない。

一方で、ド派手な長大交響曲を楽しみにしているところがある。

CDやTV放映では味わえないナマのオーケストラならではの醍醐味が凝縮されているのは事実だもの。

初っ端から刺激的だ。
意地悪く見れば滑稽なくらい漫画チックだ。
いや、全編そうなのだ。
情緒的でドラマチックでやたら官能を刺激する。
最弱音と最強音がめまぐるしく交代する。
こういうプリミティヴな感性を攻撃するタイプの音楽であるからこそ、いくらでも、手を変え品を変え長大にすることができるのだろう。おもちゃをかき集めるように多種多様な楽器をかき鳴らすのも効果的だ。
目にも耳にも重厚長大(80分前後)だけど、やはりその音楽的内容は軽薄長大ではないか。
最終的にはイエス・キリストの復活を暗示しているのか、死んだ後の蘇りを華々しく謳いあげるのだけど、マーラーにそんな信仰や思想性があったのだろうか。



しかし、あれこれ批判しても、ナマで聴くと抗しがたい魅力があるのは事実だ。
これ以上はない、といった感じの大規模管弦楽…これは後の第8番(千人の交響曲)と大差ないと思う。

舞台上のオーケストラだけではなく、バンダ(別働隊)が2組、声楽ソリスト2名に合唱団(今日は150名位)は舞台には乗れず舞台後方(P席)と袖の上のバルコニーに陣取った。これにパイプオルガンが加わる。

言ってみれば、目でも楽しむ一大スペクタクルショーだ。

音楽が始まれば、時の経つのを忘れてしまう。
第3楽章から切れ目なし。
第4楽章で初めてメゾ・ソプラノのソロが入る。
第5楽章とともに、合唱団が一斉に起立して、いよいよ始まるな!とゾクゾクしてくる。

まあ、そのあとは興奮の坩堝だ。

そんな訳で、こういう音楽はつべこべ言わずに楽しむに限るな。

このテの音楽には、うっかり嵌ってしまう危険がある。そういう誘惑に満ちている。
それに抵抗する自分がある。そう言いながら、N響10月のAプログラムはパーヴォ・ヤルヴィ首席指揮者就任記念で「復活」が組まれていて、非常に楽しみにしている。

ああ、この屈折したマーラー観を死ぬまで持ち続けるのだろうなあ。


ところで、秋山御大は手勢東響を率いての「復活」は今回が初めてだったそうだ。当然、そんな風には微塵も思わせないのだけど、各パート、鳴りすぎるほど良く鳴って華やかなことこの上なし。

バンダの配置が舞台袖だったが、できれば客席の五層あたりに置いて欲しかったけど、近辺のお客さまにとっては迷惑なことだろうし、やむを得ないのかな。


♪2015-77/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-16

2015年8月8日土曜日

フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2015 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 真夏はベートーヴェンの第九で乗り切ろう!

2015-08-08 @ミューザ川崎シンフォニーホール


高関健:指揮
市原愛:ソプラノ
林美智子:メゾ・ソプラノ
錦織健:テノール
堀内康雄:バリトン
合唱:東京シティ・フィル・コーア
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

ベートーベン:序曲「レオノーレ」第3番
ベートーベン:交響曲第9番「合唱つき」


真夏の「第九」だ。
こう、猛暑が続くとむしろ「第九」は暑気払いになるかもと期待して出かけた。

同じミューザの、席もほとんど同じ場所で、3日前に都響の大規模編成のショスタコーヴィチの5番を聴いたばかりなので、それに比べるとオーケストラ編成は当然小ぶりだった。
もちろん、合唱団も並んでいるのだけど、多種多様な管・打楽器を駆使した20世紀の大管弦楽団に比べると、ベートーベンの時代の編成は単純なもので、どうしても管・打楽器パートが見た目に物足りない。それでもベートーベンが初演した時代のオケにくらべるとかなり大規模なのではないかと思うけど。

音のダイナミックレンジとか物理的なことは別にしても、野性味というか、パッションというか、そういう人の心をかき乱すものが乏しいように思ったなあ。どうも端正といえば聞こえがいいが、ケレン味はないといえばこれも聞こえがいいけど、要はこじんまりまとまった音楽のような気がした。

「おお友よ!こんな旋律ではない、もっと喜びあふれる音楽を!」

と心の中で思いながら聴いていたよ。



大いに疑問に思ったのは第3楽章から第4楽章への連結だ。
第2楽章が終わったあと第3楽章の前の休止時間に声楽ソリストが登壇するのが一般的だ。
それはなぜか、と言えば、第3楽章が終わると普通、第4楽章へは間髪入れず入る演奏が多い。それにすっかり慣れているし、緊張が持続できるから、音楽的にもそのほうが効果的だと思う。

しかるに、今日の演奏では、第2楽章が終わってもソリストは登場しない。それでもう大いなる失望のまま第3楽章が始まった。
第3楽章が終わると、4人のソリストが登場する。この機会を逸すればもう出番はないものね。彼らの登場で観客としては拍手で迎えるのが礼儀だろう(けど、僕は残念感が上回って拍手する気にならない。ここは拍手する場面じゃないだろ!と思っている。彼らが悪い訳ではないのだけど。)。


しかし、ソリスト登壇のための長い休止によって音楽は完全に中断した。第4楽章から再び気分を入れ替えて自らを盛り立てなくてはならない。

帰宅後、手持ちのCDやビデオディスクでいろんな指揮者の第3楽章から第4楽章までの休止時間を調べてみた。
CDでは各楽章はトラックに分かれているけど、そのトラック間の無音時間はどこも同じという訳ではなく、やはり音楽の流れに応じて長短がある。

CD:
◎デイヴィッド・ジンマン+トーン・ハレ管⇒2.9秒(1→2楽章、2→3楽章はいずれも10秒近い)
◎トスカニーニ+NBC交⇒1.3秒(1→2楽章23秒、2→3楽章5秒)
●小澤征爾+NYフィル⇒10.2(他楽章も10秒前後)
◎朝比奈隆+新日本フィル⇒0.8秒(他楽章はいずれも10秒前後)

ビデオ(放送録画):
●クシュシュトフ・ペンデレッキ+N響⇒15秒
◎マリス・ヤンソンス+バイエルン放交⇒3秒
▲デニス・ラッセル・デイヴィス+読響⇒6秒

以上の7つのケースのうち、
第3→第4楽章を他の楽章の切れ目とは明らかに区別して◎間髪入れないのが4ケース。
他楽章と同じように扱っているのが●小澤とペンデレッキ。
▲デイヴィスは心持ち短めだ。

一番爽快なのは朝比奈やトスカニーニの1秒前後でフィナーレ突入だ。この潔さ!この勢いの良さ!こうでなくちゃと思うよ。
第3楽章が終わってのんびり休んでいたんじゃ、もう別次元の音楽になってしまう。

時々こういう残念な演奏にぶち当たる。
去年「第九」は5回聴いて1回(日フィル定期)がこの残念なケースだった。
今年は初めて「第九」でさっそく残念ケースに当たってしまった。
定期演奏会の場合はしかたがないけど、今回のような単発の演奏会の場合は「間髪入れない」と事前に分かっておればチケット買わないんだけどなあ。



まあ、そんな訳で残念な演奏ではあったけど、しかし。
やっぱり音楽として「第九」は偉大だなあ。
あらゆる交響曲の中で一つ選ぶなら躊躇なく「第九」だ。
この崇高な音楽に比べちゃ、マーラーなんかマンガみたいだよ。ま、面白いのだけど。


♪2015-76/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-15

2015年8月5日水曜日

フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2015 東京都交響楽団 激動の時代に書かれた傑作

2015-08-05 @ミューザ川崎シンフォニーホール


大野和士:指揮
東京都交響楽団

プロコフィエフ:バレエ音楽「シンデレラ」組曲第1番 作品107
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調作品47「革命」 

ずいぶん久しぶりの都響だった。
昔はきちんと記録していないので何年ぶりか分からない。
だが、最近、NHKのクラシック音楽館で大野和士&都響を聴いて(放送ながら)うまいんだなあ、と思ったので、今回が楽しみだった。

で、本当にうまい。
管・打も実に見事な安定感だが、弦が格別にいい。
大編成ということもあるし、曲目にもよるのだろうけど、弦楽合奏の厚みを堪能できた。特にショスタコの第1、2楽章の強力な弦の響は久しぶりに聴いた感じがする。

プロコフィエフの「シンデレラ」はナマで初めて聴いたが、事前に調べてみたら、プロコフィエフ自身に同名の作品が数多くあることを知ってびっくりした。
本家がバレエ組曲「シンデレラ」作品87。
これを元にして演奏会用組曲(管弦楽版)にした作品が、「シンデレラ」組曲で第1番から第3番まで(作品107-109)ある。
さらに「シンデレラ」の中のワルツのほか他の自作品からのワルツを加えたワルツ組曲 作品110。
ほかにもピアノ用に組曲化した、バレエ「シンデレラ」からの3つの小品(作品95)、同10の小品(作品97)、同6つの小品(作品102)があり、加えてチェロとピアノのための「アダージョ」(作品97bis)というのもある。
一つの素材からたくさんの副産物を生み出しているのは、よほど愛着があったのだろうか。

本日演奏された組曲第1番は全8曲から構成され、いずれも短く程よく派手で分かり易く、いかにもバレエ音楽といった感じでその舞台を彷彿とさせるものがあった。同じプロコフィエフのバレエ音楽でも「ロメオとジュリエット」よりだいぶ親しみやすい感じだ。


ショスタコーヴィチの交響曲第5番、いわゆる 「革命」はショスタコの全作品の中で一番人気だろう。コンサートで聴くショスタコの作品中ダントツに多い。
しかし、どこのオケで聴いてもたいてい満足できる。
交響曲、管弦楽の魅力が詰まっているのだ。

今回オケの楽器配置がよく見える場所(=音響的にもとても好ましいと信じている。)で聴いていると、改めて弦楽器を魅力的に使っているのがよく分かった。
第1、2楽章では弦が力強く歌い始め、第3楽章では繊細に音楽を始める。その第3楽章はバイオリンは3パートに、ビオラ、チェロはいずれも2パートに分かれている。通常3パートであるところを7つのパートに分けて微妙な音色を聴かせる。金管が使われず木管のみだ。この静けさが、第4楽章の他に類を見ないような激しいアレグロを一段と引き立てている。

パーヴォ・ヤルヴィの解釈では、反骨・反逆の音楽ということらしい。最終楽章の華やかなクライマックスも強制された歓喜だそうだが、そういう見方もできるだろうけど、そんなストーリーを考えなくとも純粋に音楽として楽しんでもいいのではないかと思う。

上述のように都響の演奏は素晴らしかった。
大野和士の指揮も生では初めての経験だったが、後ろ姿にもカリスマが漂っている。

ショスタコが終わるや否や、館内からはどっと歓声と拍手が巻き起こったが、これがいつもの儀礼的なものではなく、シンから良い音楽を体験できたという共感あふれたブラボーの表現だった。

都響、恐るべし!


♪2015-75/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-14

2015年8月4日火曜日

フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2015 神奈川フィルハーモニー管弦楽団 世界音楽紀行②フランス&アメリカ

2015-08-04 @ミューザ川崎シンフォニーホール


川瀬賢太郎:指揮
小川典子:ピアノ*
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

コープランド:市民のためのファンファーレ
ビゼー:カルメン第1組曲
アンダーソン:ピアノ協奏曲*
ビゼー:カルメン第2組曲
ラヴェル:ボレロ
-------------
アンコール

J.ウィリアムズ:スター・ウォーズⅠから「アナキンのテーマ」


今日は、フェスタ サマーミューザ「世界音楽紀行」の2回目でフランスとアメリカの音楽だった。前回の読響がドイツとイタリアだった。
このシリーズはもう1回北欧編が予定されているけど、ほとんど意味のないテーマ設定だ。後付けのエクスキューズのような気がする。

さて、フェスタサマーシリーズでは、ミューザのホールの響を堪能したくて、プチ贅沢をして全5回ともS席をそれもいろいろ場所を変えて購入した。
前回の読響は2階席の中央最前列、今日は3階席の中央やや右寄り最前列。
と言っても、ミューザの場合は1階席が狭く11列しかなく(席数273)、2階と言っても舞台からは12列目、3階と言っても18列目だし、2階や3階が階下の上にせり出している訳でもなく、いわば大きな段差があるだけだ。他のホールでは1階席中央に相当する。

せり出しについては、周囲のバルコニーや3階では一部に上層のせり出しがあるけど、ほとんど気にならない構造だ。見上げれば高い天井があるだけ、と言っていい。
この特殊な構造がどこで聴いてもさほど響に変わりがない理由ではないかと思う。

そんな訳で、3階(階というより層と言ったほうが正確かも。)でも2階席で聴いた響と変わらなかった。まあ、厳密には違うのだろうけど、それより、オーケストラが出す音の響の差の方が大きいだろう。

実は、この日、最近緊張感をなくしている僕は午睡が長引いて遅刻し、前半を聴き損なった。
アンダーソンのピアノ協奏曲には間に合うタイミングだったが、曲間の入場では自席には座れず、立ち聴き席で聴かなくちゃいけないので、案内を断ってホワイエでモニター鑑賞した。

せっかく良い席を確保したのに残念なことだった。

ラヴェルの「ボレロ」は6月にN響で聴いているが、やはり敵わない。金管に難がある。今日だけではなく、いつも金管には不安がつきまとう。
神奈川フィルの残念なところだ。

常任指揮者、川瀬賢太郎氏。
情熱的だ。それでいて端正な曲作りでいつも好感できる。



♪2015-74/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-13

2015年8月2日日曜日

夏休み特別公演 N響ほっとコンサート ~オーケストラからの贈りもの~

2015-08-02 @NHKホール


山下一史:指揮
May J.:ボーカル*
NHK交響楽団
平井理央:司会

・「バック・トゥ・ザ・フューチャー」-メイン・テーマ
・「シンフォニック!『メリー・ポピンズ』」
・「スター・ウォーズ組曲」-「メイン・タイトル」、「ダース・ベイダーのテーマ」、「王座の間とエンド・タイトル」
----------------
・「アナと雪の女王」-Let it go(レット・イット・ゴー)*
・「レ・ミゼラブル」-I dreamed a dream(アイ・ドリームド・ア・ドリーム)*
・「タイタニック」-My heart will go on(マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン)*
・「ゴッドファーザー3」-マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲
・「ダイ・ハード2」-シベリウス:交響詩「フィンランディア」
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アンコール
「E.T.」-フライング・テーマ 


去年まではこの催しはミューザの「フェスタサマーミューザ2015」の一環としてミューザで聴いていたけど、今年はNHKホールのプログラムはミューザでのプログラムに、歌手のMay J.による映画主題歌の演奏が追加されたので、こちらを選ぶことにした。

この日は、併せて、子供たちを中心とした楽器体験が行われたこと、子供向けの格安料金設定が行われたこと、それに「アナ雪」効果もあるだろう。大勢のちびっ子、親子連れでNHKホールのロビーもホール内も埋め尽くされた。

演奏された作品はその音楽が使われた映画も大好きなものばかりで、一部客席を潰して拡張された大舞台に大規模なオーケストラが並び、今日は、舞台に飾り物も作ってあって、音楽に応じて色とりどりの照明を受けてきれいだった。

May J.の歌は、アナ雪の「Let it go」を放送などでかなり聴く機会があったがナマで聴くのは初めて。
NHK交響楽団との共演は今回初めてと言っていたが、堂々たる歌唱ぶりだった。
3曲止まりだったのが惜しいな。

終盤、やはり映画で用いられたクラシック音楽として「ゴッドファーザー3」から「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲。これは、映画の終盤、オペラ座内外での惨劇の後、コルレオーニの慟哭と死の悲痛をいやが上にも高める効果を発揮する。残酷なシーンとは対極の美しい音楽だ。

そして「ダイ・ハード2」から交響詩「フィンランディア」。
これも終盤、悪党の乗ったジャンボを爆破させたことで滑走路に灯りができ、ブルース・ウィリスの妻が乗った飛行機が着陸してくるほっとするシーンに重なって大団円を盛り上げる。

演奏はいずれもまずまずだが、やっぱりN響が巧さを発揮したのは「フィンランディア」だったと思う。

映画音楽の中では、アンコールに演奏した「E.T.フライング・テーマ」が、とてもシンフォニックな響きを聴かせて、改めてジョン・ウィリアムスのオーケストレーションの素晴らしさを感じた。

司会が大舞台に慣れていないのか、自信がないのか、3500人の観客を引きつけるには人間的魅力に乏しくアナウンサーとしても力不足で原稿棒読みのようだったのは大いに残念。
昨年の司会者小林麻耶もプロの仕事ぶりじゃなかった。
以前はNHKの高橋美鈴さんなどが司会をしていたけど、どうしてNHKのアナウンサーを使わないのだろう。彼女たちなら間違いない仕事をしてくれるのに。
個人的には井上あさひさんなんかにやって欲しいね。



♪2015-73/♪NHKホール-07