2018年1月31日水曜日

みなとみらいクラシック・マチネ~ピアノと管楽器のための五重奏曲〜

2018-01-31 @みなとみらいホール


川井綾子:ピアノ*
古山真里江:オーボエ
齋藤雄介:クラリネット
鈴木一成:ファゴット
豊田実加:ホルン

ベートーベン:ピアノ・ソナタ第8番ハ短調「悲愴」作品13*
ベートーベン:ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調 作品16
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アンコール
モーツァルト:ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調 K452から第3楽章

ベートーベンの「ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調」は初聴きだった。
面白いのは、ベートーベンはこれをモーツァルトが同じ歳の頃に作曲した作品(「ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調」)と同じ編成・調性・構成でなぞるように作ったということだ。
アンコールでモーツァルトの同作品3楽章を聴けたのは良かった。
両者とも27歳頃の作品で若々しく陽性。それに両作品ともよく似た感じだ。最初からこれはベートーベンの作品だ、と分かっていて聴くとところどころそれらしい部分を発見できるけど、ことわり無しに聴いたら、どっちがどっちか分からなかったかも。

♪2018-012/♪みなとみらいホール-05

2018年1月27日土曜日

N響第1878回 定期公演 Aプログラム

2018-01-27 @みなとみらいホール


ピーター・ウンジャン:指揮
NHK交響楽団
弦楽四重奏*:セント・ローレンス弦楽四重奏団
女性合唱**:新国立劇場合唱団

ベートーベン:「エグモント」序曲
ジョン・アダムズ:アブソリュート・ジェスト(2011)*[日本初演]
ホルスト:組曲「惑星」作品32**

管の第一声はショボかったが続く弦のTuttiが厚い「エグモント序曲」。
ジョン・アダムズの日本初演作品はSQを独奏群にした協奏曲風。ベートーベン交響曲の断片を集めて面白い。
白眉は「惑星」。華やかな管弦楽技法に彩られた英国民謡風の美しい旋律と重厚な迫力。ま、この音楽はどこのオケが演ってもそれなりに楽しめるが、特別な意味でこれまでに聴いた中で印象深いのは2013年10月に神奈川フィル@みなとみらいホールでの演奏だ。

第7曲(最終曲)「神秘の神、海王星」では女声合唱(ヴォカリーズ)が入る。そして誠に神秘的に全曲を終えるのだが、その合唱団が舞台両端の上層部(客席のない3RA、3LAに相当するバルコニー)に位置して歌った。それはもう本当に天上界から降りてくる音楽そのものだった。とても感動的だった。

しかるに、今日のN響の演奏では合唱団は舞台裏に配置されて、靄がかかったようなコーラスだった。そもそもホルスとは女声合唱を舞台外に置くように指定しているらしい。これまでもバルコニーや舞台袖などに置かれるのを聴いたが、舞台後ろは初めてで、やはり声の通りが悪い。せめてオルガンステージで配置できなかったろうか。今日の「惑星」のオルガンはコンソールを舞台においての演奏だったのでオルガンスペースは十分空いていた。あるいは、3階席の後ろの方は自由席なので、ここを使う手もあった。
高い場所から降りてくる女性コーラスをクリアな音で聴きたかった。

♪2018-011/♪NHKホール-01

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第336回

2018-01-27 @みなとみらいホール


園田隆一郎:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
福間洸太朗:ピアノ*

ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」作品9
リスト:ピアノ協奏曲第2番イ長調 S.125
ロッシーニ:歌劇「どろぼうかささぎ」序曲
ロッシーニ:歌劇「アルミーダ」から第2幕バレエ音楽
ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」から第1幕パ・ド・シス
ロッシーニ:歌劇「セミラーミデ」序曲
ヴェルディ:歌劇「アッティラ」から前奏曲
ヴェルディ:歌劇「マクベス」から第3幕バレエ音楽
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アンコール*
リスト:「リゴレット」による演奏会用パラフレーズ

園田隆一郎客演でコンセプトはイタリア&オペラ。
園田隆一郎の指揮で聴くのは記録にある限り、今日で5回目。
オペラが多く、コンサートの場合でもほとんどオペラの前奏曲とか序曲集だ。得意分野らしい。

こじ付け選曲もあったが、いずれも陽性で華々しい音楽ばかり。

4人の作曲家の8曲すべてにピッコロが使われていたがコレがイタリア風味の素か!

ベルディの2曲ではチンバッソが登場。これは珍しい。オペラの狭いピットの中では場所を取らないから重宝されているとも聴く。

♪2018-010/♪みなとみらいホール-04

2018年1月24日水曜日

オペラ「こうもり」

2018-01-24 @新国立劇場


指揮⇒アルフレート・エシュヴェ
演出⇒ハインツ・ツェドニク
美術・衣裳⇒オラフ・ツォンベック
振付⇒マリア・ルイーズ・ヤスカ
照明⇒立田雄士

合唱⇒新国立劇場合唱団
管弦楽⇒東京交響楽団

ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン⇒アドリアン・エレート
ロザリンデ⇒エリーザベト・フレヒル
フランク⇒ハンス・ペーター・カンマーラ
オルロフスキー公爵⇒ステファニー・アタナソフ
アルフレード⇒村上公太
ファルケ博士⇒クレメンス・ザンダー
アデーレ⇒ジェニファー・オローリン
ブリント博士⇒大久保光哉
フロッシュ⇒フランツ・スラーダ
イーダ⇒鵜木絵里

J.シュトラウスⅡ:全3幕〈ドイツ語上演/字幕付〉

昨秋、日生劇場で観た二期会の「こうもり」も楽しめたけど、あれやこれや演出や舞台美術の面で不満が残った。ナマの舞台としてはその時が初めてだったので、まあ、こんなものなのかもなあ…と飲み込んでおいたのだけど、今日は、なんたって新国立での公演だ。少なくとも二期会公演を上回ることを期待して臨んだが、いやはやその違いは大きかった。

歌唱力の違いはよく分からないが、舞台のセットや衣裳、美術全般がだいぶ違う。よくできている。

なにより違いを感じたのは演出の巧さだ。オペラはやっぱり演出の比重が高い。とりわけ、「こうもり」のような作品はセリフ劇の要素が強く、ストレート・プレイとしての喜劇に近いので、演ずる役者たちも歌が巧いだけでは務まらない。また、第3幕で重要な役割を果たす看守のフロッシュには歌が無い。この為に同役は歌手ではなく喜劇役者が演ずることが多い(本公演でもこの役は俳優が、二期会の公演ではイッセー尾形が、それぞれ演じた。)そうだ。

「喜歌劇」とか「オペレッタ」とも呼ばれる分野の作品がいずれも「こうもり」のような性格なのかどうかは知らないけど、少なくとも「こうもり」は<芝居>の要素が強い。それだけに演出の巧拙がオペラとしても出来栄えを左右するのだろう。

その芝居もコントのような部分が多く、第3幕は爆笑モノだった。この辺の芝居は二期会のものとはぜんぜん異なる。手持ちのウィーン歌劇場のビデオとも異なる。まさにどんな芝居にするかは演出次第なのだ。

喜劇としてもとても楽しめるが、やはり音楽がいい。
ロザリンデの元愛人アルフレードはテノール歌手という役どころなので、劇中「星は光ぬ」を歌ったりするのも面白い。
第1幕の中ほどのロザリンデ、アイゼンシュタイン、アデーレの三重唱は悲しげで美しいメロディーだ。3人共今夜のパーティに行くことは隠して心にもない嘆きを歌うが、段々と本音が出てきて陽気な音楽に変わってゆくところも傑作だ。

ともかく、オペラでこんなに笑ったことは初めて。
この演出、この歌手・役者でもう一度観たいものだ。

♪2018-009/♪新国立劇場-01

2018年1月21日日曜日

読響第100回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2018-01-21 @みなとみらいホール


シルヴァン・カンブルラン:指揮
読売日本交響楽団
イザベル・ファウスト:バイオリン*

ブラームス:バイオリン協奏曲ニ長調 作品77*
J.S.バッハ(マーラー編):管弦楽組曲から第2〜4曲
ベートーベン:交響曲第5番ハ短調 作品67「運命」
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クルターク:「サインズ、ゲームとメッセージ」から*

今日の読響横浜定期は100回目だ。だからといって、特別なことはなくプログラムでも特段触れていなかった。

無視されてしまった節目のコンサートだけど、プログラムが良かった。3作品ともドイツの3Bによるものだ。これが嬉しい。
また、ブラームスのバイオリン協奏曲のソリストはイザベル・ファウスト。
彼女の演奏はこれまでに都響とのメンコン、ジャン=ギアン・ケラス、アレクサンドル・メルニコフとのピアノ・トリオ演奏会を聴いていずれも好感を持っていたので、楽しみだった。

さて、ブラームスのコンチェルトはファウストのストラディヴァリウス”スリーピング・ビューティ”が良く鳴って細部の最弱音までしっかり聴こえた。まあ、席がかなり前の方だから当然とも言えるが、オーケストラ全体の調子は疑問だった。
オケの不調は3曲とも同じだった。てことは、僕の耳のせいではなかろう。アンサンブルの微妙なズレを感じてしまった。

曲作りとしてはカンブルランの彫琢が行き届いている感じがしたのだけど、その一方で弦と弦、あるいは弦と木管の間に不揃いな部分があったように思う。もっと後ろで聴けば感じなかったのかもしれないが、そうは言ってもこの席はもう何年も固定しているのだし、これまでにそういう不満は感じたことがなかったので、気になる。来季も同じ席で更新済みだし。

という不満が残ったドイツの3B大会だが、出来はともかく音楽は実に素晴らしい。今日のプログラムだと、一番はブラームスだ。実に美しい音楽だ。どの楽章もいいが、とりわけ第3楽章のハンガリー舞曲風のハイテンポの旋律は楽しい。ファウストもここではニコニコ笑いながら楽しんで弾いているのが聴いている者の気分を一層高めてくれた。
ところで、第1楽章のカデンツァは、普段よく聴くのはヨアヒムの作だそうな。ファウストはブゾーニの作ったものを好んで弾いているようで今日もそれだった。カデンツァの冒頭にティンパニーを伴うので区別が付くようだ。このバージョンは初聴きだったような気がする。

♪2018-008/♪みなとみらいホール-03

2018年1月19日金曜日

1月中席

2018-01-19@国立演芸場


落語 笑福亭希光⇒時うどん
漫談 新山真理
落語 三笑亭夢花⇒まんじゅうこわい
コント コントD51
講談 一龍斎貞水⇒安兵衛婿入り
   ~仲入り~
奇術 花島皆子
落語 桂米多朗⇒ちりとてちん
売り声 宮田章司
落語 三笑亭夢太朗⇒井戸の茶碗 

今年の初笑いだ。前座は飛ばして2ツ目から入った。
笑福亭希光(きこう)は鶴光の弟子で師匠と同じく、元は関西の芸人だ。そのせいで、東京落語じゃ「時そば」として有名な演目が「時うどん」になった。蕎麦とうどんではちょっと感じが違うんだけどな。そばみたいに啜れないからどうしてもズルズルっという擬音があまり旨そうではない。まあ、芸も学習途上というところで、まずまずの出来だったが、引っ込む際に時間超過だったのか、客席後方の時計を見て舌打ちして下がったのはいかん。観客は誰も気が付いていないのだ。いくら自分の話が終わっても、舞台の上で余計なことをしては観客の目には大いに不愉快。まったく修行が足らぬ。

新山真理の漫談は初聴きだったが、これもまずまず。

三笑亭夢花の「まんじゅうこわい」はかなりアレンジが効きすぎだ。特徴的な語り口なので、大成すれば面白い芸になるかもしれないが、今のところは聞き辛さが上回っている。

D51の漫才は話のレベルが低くその上くどいというか、臭いというか、洗練させておらず、加えてお客をいじりすぎるのは良くない。微笑ましい交流はいいが、乗れない観客も大勢いるのだ。そこの見極めはしながらやって入るのだろうけど。ま、タイプじゃないね。D51に特有のことではなく、下手な芸人ほどほかにも、お客をネタにするのが、こんな安易な方法で笑いを取ろうとしたって無駄だよ。スマートにやらないと不快感だけが残る。

講談師初の人間国宝一龍斎貞水の話は流石に惹きつけるのだけど、前フリが長くて愈々本筋に入ったところで時間不足という講談にありがちな(計画的確信犯?)展開に終わってしまい、欲求不満になってしまう。

桂米多朗のちりとてちん、宮田章司の売り声はまずまず。
トリの夢太郎の井戸の茶碗は好きな噺で、出来もとても良かった。心温まる良い話でシメたのはとても良かったね。

♪2018-007/♪国立演芸場-01

2018年1月18日木曜日

東京都交響楽団 第847回 定期演奏会Aシリーズ

2018-01-18 @東京文化会館


大野和士:指揮
東京都交響楽団
ヤン・ミヒールス:ピアノ*/**
原田節 :オンドマルトノ**

ミュライユ:告別の鐘と微笑み~オリヴィエ・メシアンの追憶に(1992)(ピアノ・ソロ)*
メシアン:トゥーランガリラ交響曲**


トゥーランガリラ交響曲。全10楽章75分。メディアで断片を聴いた事はあるが生は初めて。
オケは大編成で多彩な打楽器群。コンバスが10本も並ぶとは壮観だ(アマチュアの合同オケ演奏会ぐらいでしか見たことのない光景だ。)。ピアノが重要な役割をはたすので、協奏曲のように舞台の中央全面に据えられ、もう1台のソロ楽器ともいうべき「オンドマルトノ」がピアノと対峙する形で並んだ。こういう楽器があることは承知していたが、ナマで経験するのは初めて。演奏装置自体は、学校の教室のオルガンを少し大きくした程度だが、音を発するスピーカーに当たるものが大小様々周りに並んでいた。
電子オルガンのようなものかな。鍵盤もあるが、1本弦を操作して自由なポルタメントを演奏することができる。この点がオルガンとは決定的に異なる。

さて、初聴きの音楽は、誇大妄想狂の自己満足音楽かと諦観混じりで聴いていたけど結構面白い。
この日のプラグラムの解説から一部を抜粋すると、「すぐれた音楽理論家でもあったメシアンは〜主要な2つのリズム上の実験的技法と、循環する4つの主題を挙げてみずから解題している」そうで、その実験的手法とは「ペルシナージュ・リトミック」と「逆行不能のリズム」であり、循環する「4つの主題はメシアン自身によってそれぞれ「彫像の主題」、「花の主題」、「愛の主題」、「和音の主題」と名付けられている。」そうだ。

ま、はっきり言って作者自身の能書きなんぞ(研究者にとっては重要だろうが、素人好事家である聴き手にとっては)どうでもいい。大切なのはどう感ずるかだ。「能書き」を実感することはまったくできなかったが、全10楽章が無調のものや、調性拡大のものや、明らかな調性を感ずるものなど、音楽の性格自体が広範に及んでいて退屈せずに聴くことができた。大ぼら吹きの自己満足ではないか、という思いは払拭できないけど、壮大な軽音楽とも言える。映画音楽のバックに流れていても何の違和感も感じないだろう。

♪2018-006/♪東京文化会館-01

2018年1月16日火曜日

みなとみらいアフタヌーンコンサート2017後期 ≪超絶ピアニズム≫アレクサンダー・ガヴリリュク ピアノ・リサイタル

2018-01-16 @みなとみらいホール


アレクサンダー・ガヴリリュク:ピアノ

J.S.バッハ(ブゾーニ編曲):
 トッカータとフーガ ニ短調
ハイドン:
 ピアノ・ソナタ第47番 ロ短調 XVI:32
ショパン:練習曲op.10から
 第3番「別れの曲」、第8番、第9番、第10番、第11番、第12番「革命」
スクリャービン:
 ピアノ・ソナタ第5番
ラフマニノフ:
 前奏曲集 作品23から第1番、第5番、
 前奏曲集 作品32から第12番
ラフマニノフ:
 ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調 作品36(第2稿)
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シューマン:「子供の情景」から”見知らぬ国”

ガヴリリュクはちょうど3年前にN響定期でプロコフィエフのピアノ協奏曲3番を聴いたのが最初で、その時、なんだかすごいテクニシャンだという印象を持った。この曲、おそらく弾きこなすのは相当な力技を必要とする作品ではないか。

3年経過して(まだ33歳なのだけど)一層頭髪は少なくなり頭頂部までピカピカだった(チラシの写真とはだいぶ違うぞ!)。
ホロヴィッツコンクールで1位、2000年には浜松国際コンクールで優勝。この時の審査委員長中村紘子から「20世紀後半最高の16歳」と絶賛されたそうだ(変な褒め方だけど)。

今日は、前半にJ.S.バッハ、ハイドン、ショパンと馴染みの作品が多い作曲家の作品を並べた。とは言え、ハイドンのピアノ・ソナタ47番というのは初聴きだ。いや、47番だけではない。ハイドンのピアノ・ソナタ自体ほとんど聴くことがない(35番はソナチネアルバムにでているので、ちょいと練習した記憶がある。CDでは全曲を持っているが、買ってから一度も聴いたことがない。グールドが演奏した56、58〜62番が入っているCDも持っていて、これらについては何度か聴いているがナマでは聴いたことがない。)。演奏会で取り上げるには軽すぎるのか。それに50曲以上作曲しているというのも演奏家としては取り上げにくいだろうな。
ハイドンにしては珍しい短調の曲だった。聴けば、3楽章構成とはいえ、わずか8分足らずの可愛らしい曲だ。Youtubeにガヴリリュクが弾いているのを発見した。この動画でのガヴリリュクの頭髪はまだ健在だが。
https://youtu.be/xlWxQE7FAKk

休憩を挟んだ後半がスクリャービンとラフマニノフ。
前半が指鳴らし。まあ、これが今日のハイライトだろう。

気合の入り方が違っていたように思う。
スクリャービンのピアノ・ソナタは全10曲だそうで、この5番以降はすべて単一楽章らしい。5番も初聴きだし他の曲も知らない。ほとんど無調音楽で、あまり聴きたい音楽ではないけど、ナマで聴けば、今回のリサイタルのキャッチコピーのとおり「超絶ピアニズム」が味わえてまあ面白い。

ラフマニノフは前奏曲を3曲。事前に公表されていたのは作品23から第2番「鐘」で、これは24ある前奏曲中一番馴染んでいて好きな曲なのでぜひとも聴きたかったが、本番では作品32の12番に変更されていた。でもこれはこれできれいな音楽だった。ロシアの哀愁とでもいうか、ラフマニノフのピアノ協奏曲にも通ずるようなメランコリーを感じさせて良かった。

♪2018-005/♪みなとみらいホール-02

2018年1月13日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第334回横浜定期演奏会

2018-01-13 @みなとみらいホール


山田和樹:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
ピアノ:小曽根真*

バーンスタイン:《キャンディード》序曲
​バーンスタイン:《キャンディード》組曲
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
バーンスタイン:交響曲第2番《不安の時代》*
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アンコール
バーンスタイン:「On The Town」から”Some Other Time”*

今年はバーンスタインの生誕100年ということで、あちこちの演奏会でベーンスタインの作品が取り上げられるようだ。
それにしては、今日の演奏会は、バーンスタイン3本に何故かラヴェルが1本。これがどうバーンスタインと結びつくのかはプログラムにも書いてなくてサッパリ分からない。新年の演奏会であるから、ウィンナ・ワルツを1曲混ぜるというなら分からないでもないが、バーンスタインの小品かせめて小曽根が客演しているのだからラプソディインブルーでも組み合わせて欲しかったが「高雅で感傷的なワルツ」ではどうしても違和感がある。

山田和樹指揮のオケは上出来。「キャンディード」序曲冒頭のブラスの咆哮で気持ちを掴まれた。この序曲自体は時々演奏会で取り上げられるし、個人的にはミュージカルのディスクも持っているので馴染みがある。そして、この曲を聴きながら、近・現代の管弦楽の発達というのは、まこと管楽器・打楽器の発展だったなあと得心した。もちろん、弦楽器はここ数百年なんにも変わっていないのだから、こんなことはあたり前のことなのだけど、「キャンディード」序曲では、ほぼ全曲に渡って、管・打楽器が大活躍するのであって、弦楽器はお手伝い役にすぎないように思う。
そんな風に思いながら次の「キャンディード」組曲を聴いても、やはり、主体は管・打楽器のようだ。こちらは声楽に変わるものとして弦が旋律を受け持つ部分もあるが、そもそもが旋律というよりリズム主体の音楽なので、弦の役割は小さい。

さて、メインの「不安の時代」は、その名を知っていた程度であり、ナマで聴くのはもちろんCDなどでも聴いたことがなかったので「キャンディード」と違ってまったく馴染みがない。

全体は大きく二つの部分に分かれている、と解説に書いてあり、それは聴いていても明確に分かったが、その二部の各部はそれぞれが3部に分かれていて、前半の第二部の第2部と第3部がそれぞれに7つの変奏曲でできていると書いてあるのだが、そんなことは聴いていても分かるはずもない。正直なところ、7つの時代だの7つの段階だの無意識の領域だの分かるはずがない。
まあ、純粋なクラシックというより、ジャズっぽい部分もあって、聴いていて退屈するような音楽でもないけど、先日のツェムリンスキー:交響詩《人魚姫》のように、抵抗感は乏しいけども35分も聴かされてはたまらんという感じだったな。

♪2018-004/♪みなとみらいホール-01

2018年1月10日水曜日

都響定期B846回

2018-01-10 @サントリーホール


大野和士:指揮
東京都交響楽団

R.シュトラウス:組曲《町人貴族》 op.60
ツェムリンスキー:交響詩《人魚姫》

2曲とも初聴き。
R.シュトラウスというと、すぐに交響詩のような壮大な編成の華麗な管弦楽曲を思い浮かべるが、「町人貴族」は驚くほど小規模な編成だ。弦5部が合計20人。これはプログラムに記載の楽器編成のところにバイオリン6、ビオラ4、チェロ4、コントラバス2と具体的な数が記載されているところを見ると作曲家自身が指定したものだろう。管・打楽器も合わせて20人ほど。舞台の中央にピアノが指揮者を向いて据えられ、その左右に弦と管打が相対するという配置だった。
初めて聴いた音楽だが、全体として軽音楽のような親しみやすさだ。でも、こんな音楽を演奏会で聴くのかなあという疑問は残った。元は芝居のための劇伴音楽だ。それを組曲化したのだけど、あまりに軽い感じがして、立派なコンサートホールにはピッタリ来なかった。
それに、こういう編成のせいか、冒頭から弦のアンサンブルが美しくないのに驚いた。もう少し規模が多ければ、弦楽器はお互いが共鳴しあって響が豊かになるのだけど、バイオリンだけでは6人。第1、第2バイオリンと分けていたら、3人ずつか4人+2人ということになるから、いずれにせよ、互いが共鳴し合うようなレベルではない。そのせいかと思うが、えらくざわついた響だった。35分間も心地よく聴いておられる音楽ではなかった。

ツェムリンスキーも知らないし、交響詩《人魚姫》も知らない。
馴染んでなくとも面白い音楽というのはある。でも、これはどうも楽しめなかった。全体にメリハリがなくて構成感が掴めない。3楽章に分かれて入るけど、それぞれが明確に特徴的ではなく、ズルズルと引きずっている感じで、途中で《眠り姫》になってしまった。45分間という演奏時間も長過ぎたね。
また、聴く機会があれば、捲土重来を期そう。

♪2018-003/♪サントリーホール-01

初春歌舞伎公演「通し狂言 世界花小栗判官」4幕10場

2018-01-10 @国立劇場


近松徳三・奈河篤助=作『姫競双葉絵草紙』より
尾上菊五郎=監修
国立劇場文芸研究会=補綴
通し狂言 世界花小栗判官(せかいのはなおぐりはんがん) 四幕十場

発端   (京) 室町御所塀外の場
序幕<春>   (相模)鎌倉扇ヶ谷横山館奥御殿の場
              同  広間の場
                江の島沖の場
二幕目<夏> (近江)堅田浦浪七内の場
           同 湖水檀風の場
三幕目<秋> (美濃)青墓宿宝光院境内の場
              同 万屋湯殿の場
                  同 奥座敷の場
大  詰<冬> (紀伊)熊野那智山の場

尾上菊五郎⇒盗賊風間八郎
中村時蔵⇒執権細川政元/万屋後家お槙
尾上松緑⇒漁師浪七実は美戸小次郎/横山太郎秀国
尾上菊之助⇒小栗判官兼氏
坂東彦三郎⇒横山次郎秀春/細川家家臣桜井新吾
坂東亀蔵⇒膳所の四郎蔵/細川家家臣七里源内
中村梅枝⇒浪七女房小藤/万屋娘お駒/横山太郎妻浅香
中村萬太郎⇒奴三千助
市村竹松⇒風間の子分鳶の藤六
尾上右近⇒照手姫
市村橘太郎⇒瀬田の橋蔵
片岡亀蔵⇒鬼瓦の胴八
河原崎権十郎⇒万屋下男不寝兵衛
坂東秀調⇒局常陸
市村萬次郎⇒万屋女中頭お熊
市川團蔵⇒横山大膳久国
坂東楽善⇒小栗郡領兼重 ほか

初めての狂言だった。国立劇場のサイトでも下調べはしたし、いつものようにプログラムを買って開幕前にざっと目を通して臨んだ。開幕を告げる館内放送が「〜4幕10場」を「よまくとおば」とアナウンスした。そこで少し引っかかった。
歌舞伎や文楽などの幕や場の数え方で、4を「よ」と読むなら1、2、3を「ひーふーみー」と読むのか、と言えばそんな読み方は聴いたことがない。10を「とお」と読むなら、7、8、9を「ななやーここのつ」と読むのか、と言えばこれも聞いたことがない。
普通に読めば「よんまくじゅうば」ではないのかな?などと考えていたら芝居の始まりに乗り遅れてしまった。

「よまくとおば」はこの世界の慣習的な読み方なのかもしれないな。

事前にプログラムに目を通しておきながら大切なことに気づくのが遅くなった。「よんまく」であれ「よまく」であれ「4幕」なのだ。そして、それぞれの幕は「四季」の移ろいを表現している。もちろん、各「幕」に幾つかの「場」が分けてあって、それぞれに舞台美術が変化するので、意識してみていないと幕毎に四季が変わっていくことに気が付かないだろう。僕は最後の冬の幕でようやく「そうか全体は四季を表していたんだ」と気がついた始末。

尤も、四季の変化に気が付かなくとも筋書きは楽しめる。
しかし、最後の幕のハット息を呑むような雪世界と舞台の早替わりの仕掛けで突如現れる那智の滝の見事さは、各幕の舞台美術の変化の仕上げだと思うとそれなりに話がまとまるように思った。

今回は菊之助の大立ち回りも宙乗りも無いが「馬乗り!」がある。かなり危なっかしいが、それなりの見どころだ。大立ち回りは菊の助に代わり、今回はこの菊五郎劇団の常連(2016年は出演していなかったが)である松緑が長丁場の立ち回りを演じてこれも見ものではあった。

物語は…というと、これがあんまり面白くない。まあ、それでもよいのか。大勢のスター役者が揃い、派手な舞台を楽しむのが正月興行の楽しさでもあるからな。

坂東彦三郎・亀蔵兄弟は滑舌良く気持ちが良い。右近がなかなかきれいだ。尤も梅枝も良く似ているので時々白塗りの2人が分からなくなるが。

♪2018-002/♪国立劇場-001

2018年1月8日月曜日

ミューザ川崎ホリデーアフタヌーンコンサート2017後期 「情熱のチェロ」 宮田大 チェロ・リサイタル

2018-01-08 @ミューザ川崎シンフォニーホール


宮田大:チェロ
ジュリアン・ジュルネ:ピアノ

カサド:愛の言葉
ベートーベン:モーツァルト「魔笛」の「恋を知る男たちは」の主題による7つの変奏曲変ホ長調 WoO46
ファリャ:スペイン民謡組曲(M.マレシャルによるチェロとピアノ用編曲全6曲)
同   :バレエ音楽「恋は魔術師」(小林幸太郎によるチェロとピアノ用編曲全7曲)
ピアソラ:リベルタンゴ(伊賀拓郎によるチェロとピアノ用編曲)
カプースチン:チェロ・ソナタ第2番 作品84
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フォーレ:夢のあとに
久石譲:おくりびと
カプースチン:ブルレスク

今年最初のコンサートだ。宮田大も今年最初のコンサートだと言っていた。聴く方も演奏する方も、松の内が過ぎていよいよ本格始動だ。

日本人チェリストの中で、宮田大は各オケの定期でチェロ協奏曲のソリストとして聴く機会が多いので、そのチェロの音色の美しさをいつも楽しみながら聴いている。
今回は、リサイタル形式で、こういう形で聴くのは初めてだ。
しかも、ミューザのアフタヌーン・コンサートのシリーズでは室内楽などの小規模音楽を聴くには絶好の席を確保しているので一層期待が大きい。

今日のプログラムはベートーベンからカプースチンまで幅が広い。
時間的には19世紀から21世紀まで。
空間的には、ドイツ音楽から、カサド、ファリャ(スペイン人)、ピアソラ(アルゼンチン人)といったラテン系の音楽にカプースチンは今なお現役のウクライナの作曲家だ。
音楽形式では古典的な変奏曲、フラメンコ風な民謡やバレエ音楽、タンゴ、そしてクラシック音楽の形を借りたジャズ。
…と、実に多彩な構成だ。宮田も冒頭観客に向かって「チェロという楽器の魅力を十分に味わってほしい。」と言っていたが、まさにチェロ音楽小百科というべきか。

そしていずれも楽しめた。やはり音がいい。ホンの近くでチェロに正対する席なので、まるで自分のために弾いてくれているようなものだ。時にヤニが飛ぶようなギリギリ、ブルブルと低弦が震えるかと思うと、最弱音の高域のハーモニクスまでそれぞれに美しい。

しかも、一曲入魂。1曲弾き終える毎に袖に引っ込んだが、相当汗をかいていたから顔を拭ったり水分補給したりしていたのだろう。

今日は、ロビーに録画のカメラが入るという掲示があり、ホール内の1階上手最後列の後ろと舞台後方のオルガンの下手にビデオカメラが備えられていた。内容は分からないけど宮田大のドキュメンタリーを制作するらしい。そういうこともあったのだろうが、まさに全篇、全力投球という感じで、実に満腹感を味わえる2時間だった。
アンコールも3曲弾いてくれたが、中でもフォーレの「夢のあとに」は大好きで、大昔、自分でもチェロを弾いていた時、原調ハ短調では高くて(♭♭♭も苦手)、イ短調に移調して弾いたものだ。元は声楽で、器楽編曲ではバイオリンもあるが、やはりこれはチェロの哀愁を帯びた音色の方が似合っていると思う。

♪2018-001/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-01