2018年1月13日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第334回横浜定期演奏会

2018-01-13 @みなとみらいホール


山田和樹:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
ピアノ:小曽根真*

バーンスタイン:《キャンディード》序曲
​バーンスタイン:《キャンディード》組曲
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
バーンスタイン:交響曲第2番《不安の時代》*
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アンコール
バーンスタイン:「On The Town」から”Some Other Time”*

今年はバーンスタインの生誕100年ということで、あちこちの演奏会でベーンスタインの作品が取り上げられるようだ。
それにしては、今日の演奏会は、バーンスタイン3本に何故かラヴェルが1本。これがどうバーンスタインと結びつくのかはプログラムにも書いてなくてサッパリ分からない。新年の演奏会であるから、ウィンナ・ワルツを1曲混ぜるというなら分からないでもないが、バーンスタインの小品かせめて小曽根が客演しているのだからラプソディインブルーでも組み合わせて欲しかったが「高雅で感傷的なワルツ」ではどうしても違和感がある。

山田和樹指揮のオケは上出来。「キャンディード」序曲冒頭のブラスの咆哮で気持ちを掴まれた。この序曲自体は時々演奏会で取り上げられるし、個人的にはミュージカルのディスクも持っているので馴染みがある。そして、この曲を聴きながら、近・現代の管弦楽の発達というのは、まこと管楽器・打楽器の発展だったなあと得心した。もちろん、弦楽器はここ数百年なんにも変わっていないのだから、こんなことはあたり前のことなのだけど、「キャンディード」序曲では、ほぼ全曲に渡って、管・打楽器が大活躍するのであって、弦楽器はお手伝い役にすぎないように思う。
そんな風に思いながら次の「キャンディード」組曲を聴いても、やはり、主体は管・打楽器のようだ。こちらは声楽に変わるものとして弦が旋律を受け持つ部分もあるが、そもそもが旋律というよりリズム主体の音楽なので、弦の役割は小さい。

さて、メインの「不安の時代」は、その名を知っていた程度であり、ナマで聴くのはもちろんCDなどでも聴いたことがなかったので「キャンディード」と違ってまったく馴染みがない。

全体は大きく二つの部分に分かれている、と解説に書いてあり、それは聴いていても明確に分かったが、その二部の各部はそれぞれが3部に分かれていて、前半の第二部の第2部と第3部がそれぞれに7つの変奏曲でできていると書いてあるのだが、そんなことは聴いていても分かるはずもない。正直なところ、7つの時代だの7つの段階だの無意識の領域だの分かるはずがない。
まあ、純粋なクラシックというより、ジャズっぽい部分もあって、聴いていて退屈するような音楽でもないけど、先日のツェムリンスキー:交響詩《人魚姫》のように、抵抗感は乏しいけども35分も聴かされてはたまらんという感じだったな。

♪2018-004/♪みなとみらいホール-01