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2025年1月14日火曜日

東京都交響楽団 第1014回 定期演奏会Bシリーズ

2025-01-14 @サントリーホール



レナード・スラットキン:指揮
東京都交響楽団
金川真弓:バイオリン*

シンディ・マクティー:弦楽のためのアダージョ(2002)
ウォルトン:バイオリン協奏曲*
ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調 op.27




金川真弓を初めて聴いたのは21年2月の都響との共演だった。鮮烈な印象を受けた。以来、4年間で12回。平均1年に3回も聴くなんてソリストでは最高頻度かも。しかも、うち6回は都響だ。実際の共演はもっと多いかもしれない。

呼吸の合ったコンビだとしても個人的にはウォルトンのVn協は初聴きで、あまり楽しめる音楽ではなかった。
それにサントリーは独奏楽器がイマイチ響いてこない。

しかし、相変わらず、Vn界の弥勒菩薩は佇まいが美しい。

Encを聴きたかった。何度もCCで出入りしたが、遂にやらずじまいだったのは、後に長尺が控えていたからだろうな。

冒頭のシンディ・マクティー「弦楽のためのアダージョ」も初聴きで、穏やかな弦楽Ensだ。さあ、ゆっくり寝てください、と言わんばかりで、そのうち本当に寝てしまったが、不思議なことに終曲の拍手で目が覚めるということは一度も経験していない。必ずその手前で覚醒するのは不思議だが、赤ちゃんは寝ていても音は聴いているようで、大人も同様なのだろう。

そのマクティー夫人も登壇して拍手喝采を受けたが、後で知ったが、この人、ストラッキンの奥さんだとはびっくりした。2人ともずいぶん高齢で結婚したんだ。

マクティーの作品は22年5月のやはり都響AとB(同一プログラム)で聴いているのだけど、その時もVn独奏者として金川真弓が登場しているのは、不思議な偶然。


メインがラフマ交響曲第2番。
3つの交響曲の中でダントツに聴く機会が多い。毎年1回以上聴いている勘定だ。その割になかなか共感できる演奏は少ない。でも今日の演奏は良い方だった。
都響の16型の印象は頗る悪く、うるさい、やかましい、バラバラと感ずることが多いが、スラットキンはこの曲を得意としているとか…。これまでN響としか聴いたことがなかったが、かなり、彫琢を施したか、あまり乱れもなく好首尾だったと思う。

いつも疑問に思い、いまも解けないでいるのは、一番美しい第3楽章の主題の美旋律。あれは、どこか他の曲でそっくりなのを聴いているような気がするが、思い出せない。

♪2025-005/♪サントリーホール-01

2022年5月22日日曜日

東京交響楽団川崎定期演奏会 第86回

2022-05-22 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ジョナサン・ノット:指揮
東京交響楽団
東響コーラス

ペーター・ヤブロンスキー:ピアノ*
トランペット:澤田真人(東京交響楽団首席奏者)**
バリトン:ジェームズ・アトキンソン

R.シュトラウス:ドン・ファン op.20
ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番ハ短調* **
ウォルトン:ベルシャザールの饗宴
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ショパン:マズルカ 第47番 (遺作) Op68-2*




豪華3本立てで、しかもいずれも上出来で素晴らしかった。

先ず「ドン・ファン」冒頭の弦4部がゴニョゴニョと上昇し管と合流する僅かな間に惹き込まれてしまった。

弦は16型。ざわざわしそうなものだが、音楽自体が強烈なので大編成の利点は十分効果的だった。

次のショスタコーヴィチピアノ協奏曲第1番は初聴き。
独奏ピアノ以外はトランペット1本のほか12型の弦5部のみというコンパクト編成。4楽章休止なし20分。

ピアノの響きが久しぶりに美しい。舞台周辺の客席を封鎖していたせいかも。
トランペット独奏も上手。

ショスタコ27歳の作だそうだが、若者が全編軽く遊んでいる感じ。

ウォルトン「ベルシャザールの饗宴」も初聴き。

これはたまげた。

オケは、弦16型にオルガン含む鍵打管盛りだくさん+7人のバンダが2組。東響コーラス130名が舞台周りに並び視覚的にも壮観。これにBr独唱も加わる。

なんと言っても感心したのは合唱。全曲35分とはいえほぼ出ずっぱり。それを暗譜で通した。

ホールの鳴りも良かったが、オケも合唱も独唱も力演。いつも気になる高域弦の金切り声も今日はかき消された如くまったく気がつかなかった。

派手な音楽を力で弾き切った感じもするけど、全体的にどこと言って瑕疵が見当たらないばかりか、圧倒するような音楽であり、演奏だった。

オルガンは移動コンソールではなく、本来の席で弾いて欲しかったよ。

♪2022-075/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-18

2019年4月16日火曜日

東京フィル第125回東京オペラシティ定期シリーズ

2019-04-16@東京オペラシティコンサートホール


アンドレア・バッティストーニ:指揮
東京フィルハーモニー交響楽団
小山実稚恵:ピアノ*

番外:フランス国家
W.ウォルトン:戴冠式行進曲『王冠』
モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番ニ長調 K537『戴冠式』*
チャイコフスキー:交響曲第4番へ短調 作品36
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アンコール
E.エルガー:行進曲「威風堂々」第1番

東京フィルはわざわざチケットを買って聴きにゆく機会は少なかったが、オペラではピットに入っているオケのおそらく半分以上は東フィルではないかと思うので、演奏はそこそこ聴いていたものの、定期会員になったのは今季からが初めて。
都内で3定期公演しているようだが、中で一番音響の良いオペラシティ コンサートホール(タケミツメモリアル)の会員になった。

今日はそのオープニング。3定期の中でも一番最初だったので東フィルとしても今季のオープニング・コンサートだった。

冒頭、バッティストーニが(僕のヒアリング能力では)聴き取れない英語で、パリがどうとか言って始めた演奏が、フランス国歌だった。なぜ、予定外のフランス国歌を演奏したのか、分からなかったが、終演後東フィル職員に尋ねたら、この日ニュースとして飛び込んできたノートルダム大聖堂が火事で尖塔を失うなどの不幸な出来事に想いを寄せてのことだったそうだ。ほとんど練習もできなかったろうし、楽譜を用意するのも容易ではなかったろうけど。

こういう国際センスのによる対応は、極東で平和に暮らしている日本人にはなかなか発想できない感覚ではないかと思った。

そもそも、今回「戴冠式」関連の2曲が取り上げられたのも、平成から令和への代替わりへの祝意の現れだそうだ。今回の代替わりは、これに対応するには事前に準備可能だったが、他のオケでは4月ないし5月の定期で格別祝意を込めたプログラムは準備していない。
こういうところも感性の違いかな。

ウォルトンの作品は、以前に交響曲第1番を聴いたが、戴冠式行進曲『王冠』は初めて…のはずだけど、なんか耳馴染みがあったのは、吹奏楽版を聴いたことがあるのかもしれない。
勇ましくて親しみやすい祝典ムードに溢れた音楽だった。

次の「戴冠式」はどうかな。小山実稚恵のコンディションはベストではなかったように思ったが。果たして、彼女はこの曲を今回初めて演奏したのだそうだ。

チャイコの4番は、勇壮でかつ物悲しい管楽器のファンファーレがたまらなくいい。東フィルの演奏は、実に素晴らしい出だしだったが、トランペットが入るところで、少し乱れたのが残念。
とはいえ、全曲を通じて度々繰り返されるトランペットの咆哮が気分を高揚させてくれる。弦楽器がピチカートに終始する風変わりな第3楽章が消えるように終わって、アタッカのようにほんの一呼吸で始まる終楽章はハナから劇的だ。特に終盤は全曲冒頭のファンファーレが嵐のように畳み掛けて実に爽快だ。

席は必ずしも希望の席ではない。好みよりだいぶ前方だ。それだけに、こういう音楽では強烈な音圧に塗れて、音楽鑑賞というより音楽体験だ。幸せな体験ではあるが。
もっとも、どんな音楽にも、この席が合うとも思えないのがこの先の不安材料だ。

♪2019-048/♪東京オペラシティコンサートホール-01

2016年3月5日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第317回

2016-03-05@みなとみらいホール


尾高忠明:指揮
宮田大:チェロ*
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

E.エルガー:チェロ協奏曲 ホ短調 作品85*
W.ウォルトン:交響曲第1番 変ロ短調
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アンコール
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番から「ブーレ」*
E.エルガー:エニグマ変奏曲作品36から第9曲「ニムロッド」

指揮の尾高忠明は英国音楽に造詣が深いそうだ。それでエルガーとウィリアム・ウォルトンの作品が取り上げられたのだろう。結果的にはアンコール(管弦楽)もエルガーだったので、宮田大のアンコールがJ.S.バッハではなく、ブリテンの無伴奏組曲をやってくれたら完璧だったのに惜しい。

エルガーのチェロ協奏曲は、出だしがチェロの独奏で、まるでバッハの無伴奏曲のように始まるが、そのチェロの音がただものではない。楽器はストラディヴァリウスだそうだが、そうと知っているから余計にきれいに聴こえたのかもしれないけど実に惚れ惚れする魅力的な音だ。また、聴いてみたい。

独奏チェロだけではなく、この日の神奈川フィルは弦の音がきれいなのに驚いた。


さて、ウォルトンという作曲家の名前は初めてだった。
その音楽については、放送や映画で彼の音楽を聴いているのかもしれないのだけど、意識して聴いたのは今回初めてだ。

1983年まで生きていた人だから現代作曲家だが、今回の交響曲第1番を聴く限りでは、調性のある音楽で、ところどころ刺激的な不協和音が使われるけど、全体として馴染みやすい。というより、まるで映画音楽のようだった。

1935年に完成したそうだから、第2次世界大戦前夜だ。
そういう時代の雰囲気を表わそうとしたのか、全体に非常に劇的で重苦しい。とくに第1楽章では、僕は「ベン・ハー」の海戦シーンを思い出した。

第2楽章と第3楽章は古典の形式に照らせば入れ替わっている。

第2楽章はテンポの速いスケルツォだが「邪気を以って」という発想記号が付いているそうだ。確かに不気味な曲調だ。
第3楽章がアンダンテだがこれにも「憂鬱なアンダンテ」と記されているという。テンポはゆっくりだけど、曲調はやはり暗く、時に激しい。

終楽章は前全3楽章の重苦しさを吹き飛ばしそうな予感を与えて始まる。
ティンパニーは2セット並んでいるが、2つ目の出番はようやく終楽章の中盤以降だ。銅羅も同じくここに来てようやく使われる。
緊張感は益々高まりいよいよクライマックスか…と思わせて、なかなかたどり着かない。終曲をうんと引き延ばした感じのジリジリさせる打撃音が何回か続いて、遂にダウンする。

やはり、全曲、劇的緊張感が漲っていて気の休まる部分はなく、翻弄され続けて、終曲してようやく気分が解放されるという意味ではカタルシスだが同時にドッと疲れが襲ってくる。

しかし、館内の大きな拍手歓声は、かつて神奈川フィルの演奏会で聞いたことがないものだった。
確かに、この日の神奈川フィルは弦の音が澄んで弱音もきれいだった。ホルンがいつになく見事なハーモニーを聴かせてくれた。
一曲入魂というか、高い集中力を維持してこの激しい大曲を演奏しきった。

演奏する音楽によっても演奏の出来は異なって聴こえるが、指揮者の力量もあったのかもしれない。

演奏後、尾高氏が客席に向かって話しかけ、神奈川フィルを初めて指揮したのは10年前だが、今日、こんなにも成長した、といった趣旨だったと思う。

これほどの重厚長大曲を演奏した後にまさかアンコールを演奏するとは思わなかったので尾高氏が再び指揮台に立ったのには驚いた。
その曲がエルガーのエニグマ変奏曲からその第9変奏「ニムロッド」で、これがなんとも美しく、会場はしばし幸福感に包まれた。


神奈川フィルにとっては歴史に残る演奏会となったろう。
僕にとってもこれは記憶に刻み込まれたと思う。


♪2016-025/♪みなとみらいホール-08