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2025年4月27日日曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 広上淳一&日本フィル オペラの旅Vol.1 「仮面舞踏会」

2025-04-54 @サントリーホール



指揮:広上淳一
演出:高島勲
振付:広崎うらん
衣裳:桜井久美(アトリエヒノデ)
照明:岩品武顕
舞台監督:幸泉浩司

日本フィルハーモニー交響楽団
合唱:東京音楽大学

アメーリア⇒中村恵理
リッカルド⇒宮里直樹
レナート⇒池内響
ウルリカ⇒福原寿美枝
オスカル⇒盛田麻央
シルヴァーノ⇒高橋宏典
サムエル⇒田中大揮
トム⇒杉尾真吾

ヴェルディ:オペラ《仮面舞踏会》
(セミ・ステージ形式/全3幕/字幕つき)
<台本>アントーニオ・ソンマ
<作曲>ジュゼッペ・ヴェルディ





今年は東フィルのチョンさんのオペラがなくなったこともあり、東フィル定期は止めにしたが、代わりに日フィルが広上センセと組んでセミ・ステージでオペラを演るとは嬉しい。

実に面白かった。
いやはや不思議なことに、サントリーの響については文句ばかり言っているが、オペラとなると全く問題がなく良く鳴るのは今日だけではない。どういうことなんだろう?

とにかく、日フィルは聴かせてくれたし、歌手陣も素晴らしい。今をときめく最高のキャスト!とは言えないまでも、人気者を集めてよく通る・響くこと。特に僕は7列目という、オペラ聴くなら理想的?な席だったので、迫力のあること。

セミ・ステージだから演出が良かった、というほどに演出の出番はないのだけど、物語を分かり易く伝えるという意味では成功していたと思う。


アメーリアの恋の動機は不明なのだけど、彼女に加えてリッカルドとレナートの3角関係の厳しさはひしひしと伝わって、普段なら覚めて眺めることが多い、この種の確執劇に我ながら驚くほど感情移入していて、おかしい。

欲を言えば、サントリーのホールオペラ®️のように、もう少し踏み込んだ舞台作りができなかったか。
同じくピットのないミューザや芸術劇場で公演したミッキー最後の「ラ・ボエーム」のような舞台作りができなかったのかなと思うが、これも作品次第で、そこまで手間をかけても成功するとは限らないし、まあ、正装で譜面台の前で立って歌う演奏会形式に比べれば、ずっとドラマティックで良かった。いや、大成功だろうな。大満足したよ。


♪2025-054/♪サントリーホール-04

2025年3月4日火曜日

新国立劇場オペラ「カルメン」

2025-03-04 @新国立劇場



指揮:ガエタノ・デスピノーサ
演出:アレックス・オリエ
美術:アルフォンス・フローレス
衣裳:リュック・カステーイス
照明:マルコ・フィリベック

【合唱指揮】三澤洋史
【合唱】新国立劇場合唱団
【児童合唱】TOKYO FM 少年合唱団
【管弦楽】東京交響楽団

【カルメン】サマンサ・ハンキー
【ドン・ホセ】アタラ・アヤン
【エスカミーリョ】ルーカス・ゴリンスキー
【ミカエラ】伊藤晴
【スニガ】田中大揮
【モラレス】森口賢二
【ダンカイロ】成田博之
【レメンダード】糸賀修平
【フラスキータ】冨平安希子
【メルセデス】十合翔子

ジョルジュ・ビゼー「カルメン」
全3幕〈フランス語上演/日本語及び英語字幕付〉

予定上演時間:約3時間10分
 第1・2幕       95分
  休憩         30分
 第3幕1場/2場 65分





演出がAオリエになってからの新国・カルメンは全然楽しくない。無茶な読替え演出が全く意味をなしていないので、こんな設定で芝居をやらされる方は気の毒だと思う。

カルメン役のSハンキーの声が細くて迫力に欠けた。
前回のSドゥストラックの場合も同様だったが、第一声の「ハバネラ」が舞台奥から歌うので、余計に心許ない。

歌手陣は、ミカエラ(伊藤晴)を筆頭に日本人の出来が良かったな。

それはそれとして、やはり音楽の素晴らしいこと(Gデスピノーサ指揮東響)。ビゼーの音楽の、旋律の曲がり角みたいな繋ぎ部分まで魅力を感じた。


♪2025-030/♪新国立劇場-04

2018年7月3日火曜日

日生劇場会場55周年記念公演 NISSAY OPERA 2018 モーツァルトシリーズ『ドン・ジョヴァンニ』

2018-07-03 @日生劇場


指揮:ジュゼッペ・サッバティーニ
演出:岩田達宗 
管弦楽:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
合唱:藤原歌劇団合唱部

ドン・ジョヴァンニ:ニコラ・ウリヴィエーリ
ドンナ・アンナ:坂口裕子
ドンナ・エルヴィーラ:佐藤康子
ドン・オッターヴィオ:中井亮一
騎士長:東原貞彦
レポレッロ:田中大揮
ツェルリーナ:梅津貴子(配役表には「ゼルリーナ」と表記)
マゼット:大塚雄太

モーツァルト作曲 オペラ『. 魔笛』全2幕
(ドイツ語歌唱・日本語台詞・日本語字幕付)

予定上演時間:約3時間15分
第Ⅰ幕 90分
 --休憩20分--
第Ⅱ幕 85分

今年のNISSAY OPERAはモーツァルトを4本やるというので、セット券を早割で買った。その、もう第2弾だ。

モーツァルトのオペラは、すべてを承知している訳ではないけど、大抵は、人気があり、有名なものだから、上演機会も多く、この相乗効果のおかげで結果的に耳馴染みなものが多い。

しかし、世間で人気があるほど面白いのか、といえば、そこは疑問で、どうもドラマとして観る時にスッキリとカタルシスが得られない。それでも、上述のように耳に馴染んだ音楽の力がある。
ほぼ、何の抵抗もなく、耳に入ってくるし、むしろ心地良い。

それがモーツァルトのオペラを味わう秘訣だと心得ることにしている。

ドン・ジョヴァンニは稀代の女たらしだ。その目的を達する過程で、人殺しまでやってしまう。
ついにはバチが当たって、地獄へ落ちるという話だが、そんな軽〜い話でいいのか、と思ってしまう。

ドン・ジョヴァンニはさも、悪党のようでもあるけど、モノにした2,000人を超える女性(スペインだけで1,003人と歌われる。)の全員がどんな気持ちで口説かれたのかは分からないけど、少なくとも全2幕の芝居で登場する女性3人(ドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィーラ、ツェルリーナ)は、満更でもない様子だ。

すると、ドン・ジョヴァンニの<地獄堕ち>の後に、ノーテンキに「悪は滅びる」という6重唱を明るく歌っていいものか。尤も、モーツァルトは<地獄落ち>で一旦は完結させたが、その後手を入れてこのお説教めいた幕切れにしたそうだ。

深遠な哲学が貫かれているのか、軽佻浮薄なだけなのか、音楽自体の素晴らしさ・楽しさを別にして、物語としての「ドン・ジョヴァンニ」は分かりにくい。

♪2018-079/♪日生劇場-02

2017年4月7日金曜日

小ホール・オペラシリーズ 気軽にオペラ!「ラ・ボエーム」(全4幕・イタリア語上演日本語字幕付き)

2017-04-07 @みなとみらいホール


プッチーニ作曲オペラ「ラ・ボエーム」(全4幕・イタリア語上演日本語字幕付き)

指揮:田島亘祥
演出:今井伸昭
ピアノ:朴令鈴

ミミ:新垣有希子(ソプラノ)
ロドルフォ:大川信之(テノール)
ムゼッタ:鈴木玲奈(ソプラノ)
マルチェロ:門間信樹(バリトン)
ショナール: 泉良平(バリトン)
コッリーネ:田中大揮(バス)
ベノア・アルチンドロ:志村文彦(バス)

今年はたまたまだけど、「ラ・ボエーム」を2回観ることになった。6月の日生劇場公演は劇場も好きだし、ミミ役が砂川涼子だというのも楽しみ(N響カルメンでミカエラを好演した。)。

今日のみなとみらいホール恒例の「気軽にオペラ!」シリーズも「ラ・ボエーム」で、日生劇場版の予習としてもこういうタイミングで上演されるのは嬉しい。

METなどの録画ディスクを何種類か持っているが、今回改めて早送りしながら観直した。というのも演出によって、ミミの性格がだいぶ変わる。

MET版<ミミ役アンジェラ・ゲオルギウ>では、初めてロドルフォの部屋を訪ねた際に、ミミが部屋の鍵を失くしたのは故意ではなさそうだが、ろうそくは自分で吹き消している。
映画版<アンナ・ネトレプコ>と藤原歌劇団<砂川涼子>公演では、鍵は脱力状態で落としてしまった。ろうそくも風で自然に消えたらしい。
つまり、お針子ミミの娼婦性を隠そうとしないのがMET版で、その他は隠してある。
この違いは物語全体を考える時に無視できない要素だと思うが、では、「気軽にオペラ!」ではどう演出し演じられたかというポイントをすっかり外してしまった。

♪2017-53/♪みなとみらいホール-14

2014年12月14日日曜日

昭和音楽大学第39回メサイア

2014-12-14 @みなとみらいホール



山舘冬樹:指揮
内田智子:ソプラノ 
長澤美希:アルト
中島健太:テノール
田中大揮:バス
床島愛:チェンバロ

昭和音楽大学管弦楽団
昭和音楽大学合唱団

ヘンデル:オラトリオ「メサイア」HWV56


年末恒例は「第九」のみにあらず。
やはり、「メサイア」も聴かなくては年越しできない。

今年も昭和音大の「メサイア」を聴いた。

今年は神奈川フィルの「メサイア公演」もこの日に重なった。どうしようかと迷ったが、ここ2年聴いてきた昭和音大版を選んだ。重ならなかったら両方とも聴きたかったが残念。


オーケストラも合唱団も学生(オケの中には教員も混じっている。)とはいえ音大生だ。普通のアマオケとは一線を画す。巧い。
編成が小さい分、各パートの音がよく聴き取れて音楽の動きが分かりやすい。また、繊細な弦の響がきれいだった。
まこと至福の3時間(休憩込み)。

長大曲だし、「第九」やバッハの「クリスマス・オラトリオ」と同じように季節ものという扱いになっているようで、年末にならないと取り上げられない。クリスマスシーズンに似合う作品だからだろう。
一年に一度、この時期だけのお楽しみだ。

何度聴いてもこの音楽は素晴らしい。
平明この上なく、心地よい。
おそらく、「メサイア」を聴くのは初めてだという人にとっても、抵抗なく楽しめるだろう。
長時間の拘束も、マーラーやストラヴィンスキーを初めて聴かされるのは拷問になるかもしれないけど、ヘンデルに限って、ましてや「メサイア」に限っては、まったく何の抵抗も感じずに楽しめると思う。

宗教音楽ではある。
テキストは旧約・新約聖書から採られている。
メサイア(救世主)到来の予言の成就(第1部)、イエスの受難(第2部)、復活と救い(第3部)が描かれるので、受難曲の性格も持っている。
しかし、J.S.バッハのマタイ受難曲やヨハネ受難曲(これら受難曲も音楽形式はオラトリオであって、受難劇に特化しているだけだと理解している。)を聴くのとは少し様子が違う。

もちろん、バッハの受難曲やミサ曲はすばらしい。
荘重、厳粛な音楽はクリスチャンでなくとも敬虔な世界に惹き込まれる。
ヘンデルの場合は、そんな感じもなくもないけど少ない。
もっと俗っぽいというか、親しみやすい。
バッハで言えば同じジャンルの「クリスマス・オラトリオ」が近いのかもしれない。あるいは、ハイドンのオラトリオ「四季」の感じに近いか(こちらは宗教色ゼロ)。

全53曲(どこで区切るかによって曲数は異なるので50曲と書いてあるものもあり。)のどれも必然の音楽だからそれぞれに魅力的だけど、冒頭の「シンフォニー」は胸ときめかせてくれるし、第2部の最後を飾る「ハレルヤ・コーラス」や全曲を締めくくる「アーメン」では、ゾクゾクする高揚感に包まれて終わってほしくないという感動が湧き上がる。

「メサイア」の平明さがどこから来るのか知らないけど、バッハと同年齢だがバッハがドイツから一歩も出なかったのに対してヘンデルはドイツ生まれだがイタリアなどヨーロッパをあちこち回って27歳ころ渡英し、その後帰化して終生(享年74歳)を英国で過ごした。
そういう国際経験に加え、音楽が既にビジネスの対象となっていた音楽産業先進国英国で競争社会を生きたことと関係があるのかもしれない。

「ハレルヤ・コーラス」では、やっぱり起立する人がパラパラだがいた。以前は、知ったかぶりの嫌味を感じていたけど、今年は違った。人それぞれの思いで聴けばいいんだ、とえらく素直で丸くなった自分を発見した。来年あたりは、立ってみるか…それはないな。


♪2014-116/♪みなとみらいホール大ホール-50