2014-12-14 @みなとみらいホール
山舘冬樹:指揮
内田智子:ソプラノ
長澤美希:アルト
中島健太:テノール
田中大揮:バス
床島愛:チェンバロ
昭和音楽大学管弦楽団
昭和音楽大学合唱団
ヘンデル:オラトリオ「メサイア」HWV56
年末恒例は「第九」のみにあらず。
やはり、「メサイア」も聴かなくては年越しできない。
今年も昭和音大の「メサイア」を聴いた。
今年は神奈川フィルの「メサイア公演」もこの日に重なった。どうしようかと迷ったが、ここ2年聴いてきた昭和音大版を選んだ。重ならなかったら両方とも聴きたかったが残念。
オーケストラも合唱団も学生(オケの中には教員も混じっている。)とはいえ音大生だ。普通のアマオケとは一線を画す。巧い。
編成が小さい分、各パートの音がよく聴き取れて音楽の動きが分かりやすい。また、繊細な弦の響がきれいだった。
まこと至福の3時間(休憩込み)。
長大曲だし、「第九」やバッハの「クリスマス・オラトリオ」と同じように季節ものという扱いになっているようで、年末にならないと取り上げられない。クリスマスシーズンに似合う作品だからだろう。
一年に一度、この時期だけのお楽しみだ。
何度聴いてもこの音楽は素晴らしい。
平明この上なく、心地よい。
おそらく、「メサイア」を聴くのは初めてだという人にとっても、抵抗なく楽しめるだろう。
長時間の拘束も、マーラーやストラヴィンスキーを初めて聴かされるのは拷問になるかもしれないけど、ヘンデルに限って、ましてや「メサイア」に限っては、まったく何の抵抗も感じずに楽しめると思う。
宗教音楽ではある。
テキストは旧約・新約聖書から採られている。
メサイア(救世主)到来の予言の成就(第1部)、イエスの受難(第2部)、復活と救い(第3部)が描かれるので、受難曲の性格も持っている。
しかし、J.S.バッハのマタイ受難曲やヨハネ受難曲(これら受難曲も音楽形式はオラトリオであって、受難劇に特化しているだけだと理解している。)を聴くのとは少し様子が違う。
もちろん、バッハの受難曲やミサ曲はすばらしい。
荘重、厳粛な音楽はクリスチャンでなくとも敬虔な世界に惹き込まれる。
ヘンデルの場合は、そんな感じもなくもないけど少ない。
もっと俗っぽいというか、親しみやすい。
バッハで言えば同じジャンルの「クリスマス・オラトリオ」が近いのかもしれない。あるいは、ハイドンのオラトリオ「四季」の感じに近いか(こちらは宗教色ゼロ)。
全53曲(どこで区切るかによって曲数は異なるので50曲と書いてあるものもあり。)のどれも必然の音楽だからそれぞれに魅力的だけど、冒頭の「シンフォニー」は胸ときめかせてくれるし、第2部の最後を飾る「ハレルヤ・コーラス」や全曲を締めくくる「アーメン」では、ゾクゾクする高揚感に包まれて終わってほしくないという感動が湧き上がる。
「メサイア」の平明さがどこから来るのか知らないけど、バッハと同年齢だがバッハがドイツから一歩も出なかったのに対してヘンデルはドイツ生まれだがイタリアなどヨーロッパをあちこち回って27歳ころ渡英し、その後帰化して終生(享年74歳)を英国で過ごした。
そういう国際経験に加え、音楽が既にビジネスの対象となっていた音楽産業先進国英国で競争社会を生きたことと関係があるのかもしれない。
「ハレルヤ・コーラス」では、やっぱり起立する人がパラパラだがいた。以前は、知ったかぶりの嫌味を感じていたけど、今年は違った。人それぞれの思いで聴けばいいんだ、とえらく素直で丸くなった自分を発見した。来年あたりは、立ってみるか…それはないな。
♪2014-116/♪みなとみらいホール大ホール-50