2018年9月30日日曜日

フレッシュ・アーティスツ from ヨコスカ シリーズ52 千葉百香 ピアノ・リサイタル

2018-09-30 @横須賀芸術劇場


千葉百香:ピアノ

シューベルト:即興曲 作品142 D.935から
 第3番 変ロ長調
 第4番 へ短調
ベートーベン:ピアノ・ソナタ第21番ハ長調 作品53 「ワルトシュタイン」
シューマン:幻想小曲集 作品12 全8曲
リスト:メフィスト・ワルツ第1番「村の居酒屋での踊り」 S.514
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アンコール
プロコフィエフ:10の小品 作品12から第7番前奏曲「ハープ」

彼女が小学5年時に全国学生音楽コンクール全国大会で横浜市民賞を受賞し(中学で全国1位)、その直後に横浜交響楽団とモーツァルトのピアノ協奏曲第23番での共演やリサイタルを聴いて驚いた。
技術的な面も小さい手指でありながらそのハンデをモノともしないことも驚きだが、それより、子供ながら自分の音楽を表現しようとしていたその姿勢に驚かされた。

そして今、桐朋高1年。
5年ぶりに聴く音楽の長足の進歩に再度喫驚。

まずはピアノの音が実に美しい。
小ホールの見た目は立派とは言えないが、音の粒立ちがよくカーンと抜けてゆく。その音響の良さにも助けられた、というか、彼女の素のままの音楽表現が染み渡った。

そのせいで、最弱音から最強音まで、遅いテンポでも速いフレーズでもすべての音に神経が行き届いているのがよく分かった。

シューベルト即興曲3番で始めたのが個人的には好感。
直ぐに彼女の世界、否シューベルトの世界に惹き込まれた。
ワルトシュタインも部分的には新鮮なフレージングに刮目した。シューマンもリストも全てに共鳴できた。

これは将来有望で楽しみな15歳だ。

♪2018-120/♪横須賀芸術劇場-01

2018年9月28日金曜日

横浜みなとみらいホール会館20周年記念 サー・サイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団演奏会

2018-09-28 @みなとみらいホール


サー・サイモン・ラトル:指揮
ロンドン交響楽団

ヘレン・グライム:織りなされた空間(日本初演)
マーラー:交響曲第9番ニ長調

開演時刻を5分強過ぎて団員がぞろぞろ入ってきた。まあ、こういう始まり方は日本のオケでも普通だ。
面白いと思ったのは、プレーヤーとは別に、黒尽くめのステージマネージャーと思われる男性が2人、舞台に登場して、プレーヤーがちゃんと着席する様子を見ている。これは初めての経験だ。海外オケも色々聴いているがこういう例はなかった。

コンマス以外が揃ったところで、普通はコンマスの登場を待ち、彼の合図でチューニングが始まるのだけど、今回、ロンドン響は違った。コンマス登場の前に次席(フォアシュピラー)が立ちあがってチューニングを開始した。一旦静まり返ってからコンマス登場だ。彼は舞台袖でチューニングしたのだろうな。

さらに、ややあって白髪頭のサイモン・ラトルが登場した。

休憩後の後半の始まりはコンマスもさっさと席に付きその場でチューニングを始めたから、最初のやり方は一種の格式張ったセレモニーだったのだろう。

1曲めは1981年生まれ(37歳)の女流作曲家の作品で、3楽章構成。第1楽章は昨年ロンドン響のために作曲されたと書いてあったが、第2、第3楽章の作曲経緯や、作曲年は解説に書いてなかった。いずれにせよ、ここ数年のものだろう。言うまでもなく、超現代音楽で、弦楽器さえ打楽器のような扱いで、面白くも何ともない。管弦打のアンサンブルの美しさなどを追求している作品とは思えない。ひたすら意表を突くことを狙っているようにしか思えない。これでも聴き慣れたら別の味わいが出るかもしれないが、聴き慣れたくもない。

メインはマーラーの作品中、ナマでは最も聴く機会の少ない交響曲第9番。避けている訳ではないけど、オーケストラの方でも中々取り上げないから、僕が前回聴いたのは4年4ヶ月も前のことになる(ジョナサン・ノット指揮東響@サントリー)。

CDでは何十回となく聴いているけど、聴いても聴いても頭に入ってこない不思議な迷曲だ。

今日の演奏は85分。無駄に長い。

演奏は昨年のラトル+ベルリン・フィルの方が一枚上手かな。アンサンブルの力強さ、音楽のメリハリは良かった。

弦楽器は16型の編成で、両翼に配置したバイオリン群の効果か、スケール感は出てた。

しかし、個々の奏者の演奏技術などでは特に感心するものはなし。
高域弦ではキンキン音が混ざり透明感に不足。

1週間前に同じホールの左隣席で聴いた日フィル定期での弦楽の響の美しさには及ばず。

このレベルだと、日本のトップ・オケを3回聴いた方が良い音楽体験ができるはず(N響第九の2倍、定期演奏会の3倍の価格。いずれもS席比較で。)。


♪2018-119/♪みなとみらいホール-27

2018年9月25日火曜日

神奈川フィルの名手による室内楽シリーズ《名曲の午後》第11回 「室内楽によるブルックナーの『交響曲第7番』」

2018-09-25 @フィリアホール



石田泰尚:第1バイオリン/神奈川フィル首席ソロ・コンサートマスター
直江智沙子:第2バイオリン
大島亮:ビオラ
門脇大樹:チェロ
米長幸一:コントラバス
齋藤雄介:クラリネット
豊田実加:ホルン
中桐望:ピアノ
北村朋幹:ピアノ
西沢央子:ハルモニウム

ヒンデミット:朝7時に村の湯治場で素人の楽団が初見で演奏をする「さまよえるオランダ人」序曲
ブルックナー(E.シュタイン、H.アイスラー、K.ランクル編曲):交響曲第7番ホ長調WAB107(混合九重奏版)

ブルックナーの交響曲はマーラーほどではないが、毎年どこかのオケが取り上げるので、記録を残している2014年以降、僕は1年に4本弱平均で聴いている。とはいえ、全10曲もあるから、中には第1番のように生では聴いたことがない作品もあり、第2、6、8、9番は1度ずつしか聴いていない。多いのは第5番で、それに第4番と第7番が続く。
というわけで第7番は比較的聴く機会が多い。にもかかわらず、馴染みが少なく、あまり良い印象を持っていなかった。

今回、神奈川フィルの首席クラスで、室内楽としてブルックナーの第7番をやるというのでずいぶん楽しみだった。

「神奈川フィルの名手による室内楽シリーズ《名曲の午後》」の前回はシューベルトのロザムンデ(原曲は弦楽四重奏曲)を弦楽十二重奏で演奏したのが面白かったが、今回は、弦5部各1人ずつにピアノ連弾、ホルン、クラリネット、ハルモニウムという非常に変わった編成の10人による九重奏だ。

こういう小編成でやると、各声部の動きがよく分かるので、その点では面白く聴いた。が、当然ながらオケのようなアンサンブルに厚みがないし、せめてティンパニーでも入っておれば迫力も出たろうけど、えらくおとなしい音楽になってしまった。

かの大作を、手軽に演奏してみる、という楽しみのために編曲されたのではないか。聴手より、むしろ演奏家たちの楽しみのための作品だ。

ロザムンデと異なって、この音楽は、やはり大規模なオーケストラで味わいたいな。

♪2018-118/♪フィリアホール-03

2018年9月23日日曜日

東京交響楽団 川崎定期演奏会 第67回

2018-09-23 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ユベール・スダーン:指揮
東京交響楽団

堀米ゆず子:バイオリン*

ハイドン:交響曲第100番ト長調Hob.Ⅰ:100「軍隊」
モーツァルト:バイオリン協奏曲第4番ニ長調 K218*
ベートーベン:交響曲第6番ヘ長調 作品68「田園」

H.スダーンは東響の前音楽監督(現桂冠指揮者)ということもあり、聴く機会が多い。帥が登場するミューザでは「お帰りなさい」といったアト・ホームな雰囲気が漂うのがいい。ハイドンもモーツァルトも軽やかで良かった。

「軍隊」では「ルーテ」という珍しい打楽器が使われた。竹の棒を束ねたように見えたが、色んな種類があるらしい。大太鼓の奏者が右手に太鼓の撥を、左手に「ルーテ」を持ってそれを大太鼓の周囲に打ち付けて鳴らしていた。マーラーの第6番でも登場するらしいが全然記憶にない。


奏者は舞台下手後方で鳴らすのだけど、その音が、不思議なことに自席の右後ろから聴こえるのだ。最初はお客が手拍子を打っているのかと思ったが、まさかそんなはずがない。よく聴くと反響しているのだ。自席後方には2CAの壁があるのでそこに跳ね返った反射音が舞台上の原音よりはっきり聴こえるのだ。こういうこともあるというか、ホール残響の仕組みはこういう状況が間断なく繰り返されている訳だ。弦楽器の音も同様なのだろうけど、「ルーテ」のように瞬間的な打撃音ではないので、原音と反射音との区別は聴き分けられないだけだろう。

さて、オケの規模を拡大した「田園」は、ミューザの乾質の響の中で説得力が有った。近年聴いた「田園」の中ではかなり上等の部類に入る。

が、後半になって気がついたが、P席中程の黒尽くめのお客が挙動不審。
周りのお客は可能な限り順次避難を始めた。
終始身体を動かし、全身を掻き、頭を掻き、落ち着かない。我が席からは指揮者越しに正面なので、おかげで集中を欠いたのが残念。

♪2018-117/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-18

2018年9月22日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第340回横浜定期演奏会

2018-09-22 @みなとみらいホール


小林研一郎:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団

清水和音:ピアノ*

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調 op.23*
ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲《展覧会の絵》
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アンコール
ショパン:英雄ポロネーズ*
マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」から間奏曲

まずは清水和音の独奏でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。
冒頭のホルン、管弦強奏の何と美しいこと。ピアノも粒立ち良くカーンと抜けてゆく。ああ、管弦楽とはこの響だ。昨日の読響・サントリーホールの響とは天地の差がある。まずもってこの響でなければ音楽が始まらぬ。

されど昨日が酷かったのは読響のせいではない。
サントリーホールのスウィートエリアが狭く、お仕着せ席がそこから遠く離れていたのでバランスが悪いだけでなくオケの響もピアノの音も聴くに耐えなかった。音楽以前と言ってもいい。
それに比べると今日の日フィルの響は至福だ。ホールと席が違うと別次元の音楽体験となる。

音の分解能が悪いサントリーホールでは席を選ばなくてはいかんということを痛感。幸いここで定期演奏会を聴いている都響B定期の席は何年もかけたどり着いた席だけに不満はないし、一回券を買って聴く場合もスウィートエリアしか買わないから、サントリーホールの響が席によってはとても悪いということに長く気づかなかったのだ。

ピアノ協奏曲は清水和音の細かい処はともかくも快音に好感。指揮もゆったり目で存分に名曲を味あわせてくれた。

展覧会の絵では、管楽器の名手たちが存分に妙技を聴かせ(Tubaはめったに聴けない美音)、弦はよく揃って共鳴し豊かに響いた。管+弦は柔らかく調和した。
何より、コバケンの指揮がオケの隅々に行き渡って、全員が呼吸を揃えていた。管弦楽を聴く楽しみここに極まれり。

♪2018-116/♪みなとみらいホール-26

2018年9月21日金曜日

読売日本交響楽団 第615回 名曲シリーズ

2018-09-21 @サントリーホール


シルヴァン・カンブルラン:指揮
読売日本交響楽団

ピョートル・アンデルジェフスキ:ピアノ*

モーツァルト:歌劇「後宮からの誘拐」序曲
モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調 K491*
ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調 WAB104「ロマンティック」<188年稿/2004年刊コーストヴェット校訂版>
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アンコール
ベートーベン:6つのバガテル から第1番*

今日は横浜定期からの振替えなので自分で席を選ぶことはできず、お仕着せの席なのだが、それがずいぶん下手寄りだった為にバランスが非常に悪い。
何しろ、視線の先は第1バイオリンの舞台側最後方プルトだ。つまり、すべての奏者が僕の席より上手に座っていることになる。

ひどい席だ、と言いたいが、そういうバランスの悪い席はむしろスウィート・エリアよりも多い。そういう席に毎回座っている人が大勢いるのだから、あまり贅沢は言えない。
また、見た目のバランスは悪くとも、コンサートホールは反響・残響があるので、そんな席でもそれなりに聴こえるのだ。

しかし、いつも、指揮者の背中を見て音楽を聴いている身にとっては今日のポジションはかなり辛いものがあった。

アンサンブルのバランスの問題だけではない。斜め前方に鎮座するピアノも響き過ぎて音が抜けずに籠もったが、正面で聴くならそれほどでもなかったのではないか。
また、客席から見て左翼(下手)に位置するバイオリン群の音が偏重して聴こえ、高域は時折だがキンキンと軋むのも座席の位置の不都合が少なからず影響しているだろう。

まずもって音が楽しめなくては音楽ではない。
前半は集中が難しかった。

後半、本命のブルックナー交響曲第4番では編成が大きくなり耳慣れもあってアンバランス感はなんとか許容範囲になった(努めて現実を受け入れようとした。)。

さて、久しぶりの「ロマンティック」は、ブルックナーの全交響曲の中では多分一番親しみやすいように思う。昔は苦手だったが、近頃は十分楽しめる。聴く耳が備わってきたからではなく、何度も聴いているうちに馴染んで抵抗がなくなってきただけだが。以前は、くどいと思っていた主題の繰り返しもスルッと通り抜けていくのは、僕なりのブルックナー人間観が固まってきたのかな。

第1楽章。冒頭の立ち込める原始雲から夜明けを告げるような主題をホルンそして各種管楽器が続くが、この出だしのいわば<掴み>が一応の成功を見て長い航海(演奏時間70分)は小破綻もあったが全体として幸福な旅だった。

♪2018-115/♪サントリーホール-09

2018年9月17日月曜日

華麗なるコンチェルト・シリーズ第8回 長谷川陽子〜超絶のチェロ、郷愁のチェロ!〜

2018-09-17 @みなとみらいホール


永峰大輔:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

長谷川陽子:チェロ

モーツァルト:歌劇「皇帝ティートの慈悲」序曲 K621<管弦楽のみ>
パガニーニ:モーゼ幻想曲
ブルッフ:コル・二ドライ 作品47
ポッパー(M・シュレーゲル編):ハンガリー狂詩曲 作品68
ドボルザーク:チェロ協奏曲ロ短調 作品104
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アンコール
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番から前奏曲

前半は神奈川フィルをバックにチェロ名曲集などのCDでよく見かけるチェロ定番の小品3曲。
とはいえ、ポッパーのハンガリー狂詩曲は昨年のみなとみらいホールでの30周年リサイタルで陽子さん本人の演奏を聴いているけど、他の2曲は生で聴くのは初めてだった。

独奏チェロの音色の美しいこと。何度もこのホールで彼女の演奏を聴いているけど、今回は特に良く鳴っていた。

CDでこれらの曲を聴く時は、どれほど難しいのかということは何にも感じないで聴いているが、ナマで聴くとその超絶技巧ぶりがよく分かる。
モーゼ幻想曲の倍音奏法が難しそうだった。
つまり、部分的にだけど、御本人も満足できる出来ではなかったと思う。

後半のドボルザークの協奏曲ではオケが時に陽子さんの音に覆いかぶさったりオケと独奏がちぐはぐな部分もあって、協奏曲演奏の難しさを感じたが、それにしても久しぶり(2年2ヵ月ぶり)のドボコンの(構成は巧いと思わないし長すぎるが、)ホンに郷愁を誘うメランコリーな民謡風の美しいメロディーが山のように盛り込まれていることを改めて感じた。

今日のコンサートのサブタイトルが≪超絶のチェロ、郷愁のチェロ!≫だが、なるほど納得のコピーだ。

♪2018-114/♪みなとみらいホール-25

2018年9月16日日曜日

世界若手オペラ歌手ガラ・コンサートLE PROMESSE 2018

2018-07-18 @新国立劇場


ダグラス・ボストック(飯守泰次郎から変更):指揮
藝大フィルハーモニア管弦楽団

[出演]新国立劇場オペラ研修所 第19.20.21期生
[賛助出演]安藤赴美子(S3期)、清水華澄(Ms4期)、城宏憲(T10期)、桝貴志(Br5期)
[海外研修所の研修生]マイケル・モフィディアン(B-Br)、パトリック・テリー(Ct)、サラ・ロッシーニ(S)、アンナ・ドリス・カピテッリ(Ms)、チャン・ロン(T)、セレーネ・ザネッティ(S)

●R.ワーグナー『タンホイザー』より「この聖なる殿堂には」⇒新国立合唱団、二期会合唱団、藤原歌劇団合唱部、新国立劇場オペラ研修所現役研修生
●G.ヴェルディ『シモン・ボッカネグラ』より「このほの暗い夜明けに」⇒サラ・ロッシーニ(ミラノ・スカラ座アカデミー)
●G.ドニゼッティ『ルチア』より「我が祖先の墓よ~やがてこの世に別れを告げよう」⇒城宏憲(第10期修了)
●S.ラフマニノフ 『アレコ』より「みんな寝ている」⇒マイケル・モフィディアン(ロンドン・JPYAP)
●G.プッチーニ『ラ・ボエーム』より「冷たき手を」⇒张龙(チャン・ロン)(ミュンヘン・バイエルン州立歌劇場オペラ研修所)
●G.プッチーニ『ラ・ボエーム』より「私の名はミミ」⇒セレーネ・ザネッティ(ミュンヘン・バイエルン州立歌劇場オペラ研修所)
●F. チレア『アドリアーナ・ルクヴルール』より「苦しみの快楽」⇒清水華澄(第4期修了)
●V.ベッリーニ『ノルマ』より「ご覧ください、ノルマ様」⇒サラ・ロッシーニ、アンナ・ドリス・カピテッリ(ミラノ・スカラ座アカデミー)
●A.ドヴォルザーク『ルサルカ』より「月に寄せる歌」⇒安藤赴美子(第3期修了)
●G.プッチーニ『トスカ』より「テ・デウム」⇒桝貴志(第5期修了)、新国立劇場オペラ研修所研修生、新国立劇場合唱団
●G.ヘンデル『リナルド』より「風よ、竜巻よ」⇒パトリック・テリー(ロンドン・JPYAP)
●G.ビゼー『カルメン』より「一仕事思いついたんだ」⇒清水華澄(第4期修了)、新国立劇場オペラ研修所研修生
●C.F. グノー『ファウスト』より「清らかな住家」⇒张龙(チャン・ロン)(ミュンヘン・バイエルン州立歌劇場オペラ研修所)
●G.ロッシーニ『チェネレントラ』より「悲しみと涙に生まれ育ち」⇒アンナ・ドリス・カピテッリ(ミラノ・スカラ座アカデミー)、新国立劇場オペラ研修所研修生、新国立劇場合唱団
●G.ヴェルディ『ドン・カルロ』より「友情の二重唱」⇒城宏憲(第10期修了)、桝貴志(第5期修了)、新国立劇場オペラ研修所研修生、新国立劇場合唱団
●C.M.v.ウェーバー『魔弾の射手』より「すぐに眠れたものなのに」⇒セレーネ・ザネッティ(ミュンヘン・バイエルン州立歌劇場オペラ研修所)
●W.A.モーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』より「厚かましい娘ね」⇒マイケル・モフィディアン(ロンドン・JPYAP)、安藤赴美子(第3期修了)、新国立劇場オペラ研修所研修生
●G.ヴェルディ『ファルスタッフ』より「世の中すべて冗談だ」⇒出演者全員

新国立劇場オペラ研修所の20周年を記念して開催された。
主体は目下研修中の第19.20.21期の各5名ずつだが、これに賛助出演として(賛助というより、こちらが主体のような感じだったが)3.4.5.10期の修了生。さらに海外はスカラ座アカデミー、バイエルン州立歌劇場オペラ研修所、ジュッテ・パーカー・ヤング・アーティストプログラムから各2名ずつが参加した。
また、彼らをサポートするのが新国立劇場合唱団、二期会合唱団、藤原歌劇合唱部、といわば、日本オペラ界が総力で若手を支援するという大掛かりなプロジェクトだった。

主役は、気鋭の歌手たちのアリア、二重唱〜六重唱に合唱だ。

しかし、冒頭、美しく飾られた舞台にオーケストラが陣取っているので少し驚いた。てっきり、オケはいつものオペラのときのようにピットに入っているものだとばかり思い込んでいたので。

その藝大オケ(藝大にはたくさんのオケがあるようだが、これは学生オケではなく、日本で最初の本格的オケで、構成員は教官・非常勤講師からなるプロオケだそうな。)が、まずはタンホイザーからの1曲を奏し途中から各合唱団と現役研修生による合奏が加わった。

まず、この段階で、大いなる感銘を受けた。
それはオペラパレスの音響の素晴らしさだ。それはいつもオペラで感じてはいた。オーケストラの音響についてはピットから立ち上がり、天井の反射板で跳ね返って放射してくる天上の音も好きだけど、今回はじめてステージ上のオケを聴いて、そこから飛んでくる乾いた艶ぽい弦の何と素晴らしいことか。

できれば、この舞台でベートーベンの「第九」やミサ曲・受難曲、レクイエム、マーラーの合唱付きの交響曲などを聴いてみたいものだ。

まずは、オケの素晴らしい音に心強く惹かれた。
これはもっぱら、新国立劇場の音響の良さであって、藝大のオケも巧いけど、他のプロオケより一頭地抜きん出て巧いというのではないと思う。この響の良さ・アンサンブルの美しさはホールの音響効果に助けられたのではないか。

本題の精鋭の歌手たちの独唱、重唱、合唱もみんな只者ではない。日本の賛助出演の歌手たちは既にタイトルロールか準主役で既にデビューしている人たちだ。海外招聘組もデビューが間もない人たち。
みんな巧い。
好みで言えば、カウンターテナーはそういう声質が嫌いだ。どんなに上手なカウンターテナーでもどこかに無理をしているのが分かる。その分、繊細な表現に欠ける。
なので、カウンターテナーだけは感心できなかった。が、しかし、他の人達のもう既に出来上がった声はいずれも素晴らしい。

特に、バイエルン歌劇場から来た中国人の张龙(チャン・ロン)はよく通るテノールで声量も半端ではない。ソロは2曲歌ったが、中でも有名な「ラ・ボエーム」の「冷たき手を」の素晴らしさが特に印象に残った。観客席からのブラボーもひときわこの人に大きかったように思う。

最後は総勢総出演で「ファルスタッフ」から。これも楽しかった。

♪2018-085/♪新国立劇場-09

2018年9月15日土曜日

N響第1891回 定期公演 Aプログラム

2018-09-15 @NHKホール


パーヴォ・ヤルヴィ:指揮
NHK交響楽団

アンナ・ルチア・リヒター:ソプラノ*

ヨハン・シュトラウスII世:
 喜歌劇「こうもり」序曲
 ワルツ「南国のばら」作品388
 ポルカ「クラップフェンの森で」作品336
 皇帝円舞曲 作品437
ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「うわごと」作品212
マーラー:交響曲第4番ト長調*

J.シュトラウスのワルツ等5本にマーラー交響曲第4番というハテナな組合せだった。プログラムによる強いての説明は同時代のウィーンを代表する音楽の組合せとあるが、牽強付会というべきか。

前半はパーヴォ・ヤルヴィの彫琢が隅々に行き届いているのを感じさせる出来栄え。さすがはN響のアンサンブルはきれいだ。
尤も、結局のところどの曲もかっちりした音楽になっていてあまり軽やかではない。ウィーン風ってこんなんじゃないだろ、と腑に落ちぬまま聴いた。

マーラーは、出だし快調だが、第2、第3楽章がモタつく感があった。もともと、ぼんやりした音楽なのでそのように感じたのかもしれない。とにかく、第3楽章が長すぎる。全体で1時間ほどだが第3楽章だけで20分を超える。

第4楽章はソプラノ独唱が登場して、あたかも天上から降りてくるような美声で大いに気分を盛り返した。

さて、終曲後、ヤルヴィは腕を降ろさず固まったように微動だにせず、その時間、30秒どころではなかった。1分位も動かなかったろうか。もちろん、観客もじっと息をこらしているだけ。

あまりに長かったので、ようやく終わったことが観客にも分かった際には、普段のような大喝采は起こらなかった。

今日は、FM放送では中継放送しているはずだから、ディレクターからもっと時間を延ばせとサインが送られたのか…というのは冗談だが、とにかく、異常な長さだった。

ヤルヴィは今の演奏に納得できなかったが、なんとか納得しようと葛藤していたのだろうか。
それとも存外よく出来たので上気してしまい気持ちを鎮めるのに長い時間が必要だったのか。
いずれ、クラシック音楽館で放送されるときにはヤルヴィの表情が分かるはず。それが楽しみだな。


♪2018-112/♪NHKホール-08

2018年9月12日水曜日

国立演芸場9月中席

2018-09-12@国立演芸場

落語          三遊亭めぐろ⇒コトブキ
落語          三遊亭彩大⇒島の学校
ものまね    江戸家小猫
落語          春風亭百栄⇒寿司屋水滸伝
落語          林家正雀⇒小間物屋政談〜踊り:深川
     ―仲入り―
漫才         ロケット団
落語       柳家小ゑん⇒ほっとけない娘 
奇術           ダーク広和
落語 三遊亭円丈⇒悲しみは埼玉に向けて

今月は上席が最悪だったし、中席も顔ぶれを見ると落語はあまり期待できそうにないが、一縷の望みを色物(落語・講談以外の出し物⇒漫才、曲芸、奇術など)に託して出かけた。

期待していなかった落語の三遊亭彩大は初顔だが、前半つまらなくどうなることかと思っていたら、後半面白くなった。新作らしい。島の学校に生徒が1人という設定。いつも成績は1番だったが、転校生がひとり入ってきて一気にビリに転落。その他、なるほどだがおかしな話が続く。設定の妙なり。

春風亭百栄は初顔だと思っていたが、調べたら3年半前に同じ噺を聞いている。3年半も同じ噺をやっているにしては下手くそだ。

林家正雀は独特の語り口。聞かせる芸だがこれが面白くない。元々笑えるような噺ではないが、人の情の細やかで暖かみのあるところを語ってほしいが、この人にかかると朗読の時間みたいになってしまう。

柳家小ゑんと三遊亭圓丈はいずれも前に聞いたことのある噺だった。そしていずれも面白くない。

落語家に定年がないのも良し悪しだ。名人は歳をとっても永く高座に上がってほしいが、ヘタッピーは早く引退してほしい。桃太郎や円丈は老害だよ。

今回一番感心したのは、江戸家小猫の動物ものまねだ。ものまね自体の巧さより話芸の巧さが光った。やはり、曽祖父から代々続く家の芸をDNAとして受け継いでいる。下手な落語家は大いに学ぶべし。
漫才のロケット団はいつも面白い。実に面白い。

♪2018-111/♪国立演芸場-14

2018年9月10日月曜日

人形浄瑠璃文楽平成30年9月公演 第1部「良弁杉由来」、「増補忠臣蔵」

2018-09-10 @国立劇場


<明治150年記念>
南都二月堂
●良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)
 志賀の里の段
  睦太夫・小住太夫/鶴澤清友
 桜の宮物狂いの段
  津駒太夫・津國太夫・芳穂太夫・咲寿太夫/鶴澤藤蔵・ 
  清馗・寛太郎・清公・清允
 東大寺の段
  靖太夫・野澤錦糸
 二月堂の段
  千歳太夫・豊澤富助
◎人形⇒吉田和生・桐竹紋臣・吉田玉男

●増補忠臣蔵(ぞうほちゅうしんぐら)
 本蔵下屋敷の段
  呂太夫・咲太夫/竹澤團七・鶴澤燕三・燕二郎
◎人形⇒吉田玉佳・吉田玉志・吉田玉助・吉田一輔

1日で第1部と第2部を通して観た。歌舞伎座で昼の部と夜の部を通して見るようなものだ。11時から20時34分まで。もちろん数回の休憩と入れ替えの時間があるが、それらを含めて9時間34分も小劇場の椅子に座っていたことになる。

2部の「夏祭浪花鑑」については興行が別なので感想も別に書いたが、これは消化不良だった。

それに対比して、第1部の2本*はいずれも初見だったにもかかわらず、ほぼ完全消化できた。そしていずれも大いに楽しめた。

●「良弁杉由来」は、幼い子どもを鷲に攫われた渚の方が悲しみのあまり狂女となって30年。乗り合わせた船の中で東大寺の良弁上人が幼い頃鷲にさらわれたという噂を聞き、訪ねた二月堂で親子念願の再会を果たす。
「志賀の里の段」での大鷲の仕掛け、「桜の宮物狂いの段」では桜の花盛りの中、シャボン玉も登場して笑いを誘う。その華やかさの一方でやつれ果てた狂女のが川面に写った自分の姿を見て30年間失っていた正気を取り戻す。
「二月堂の段」では書割とはいえ、二月堂の威容が見事だ。感動的な名乗り合いと再会の前に、良弁の登場の先触れに登場する奴たちが長い槍を放り投げては受け取るというアクロバティックな見どころも用意されていて心憎い。
この段では千歳太夫の渾身の語りが観る者、聴く者の心を揺り動かした。

●「増補忠臣蔵」は「仮名手本忠臣蔵」の外伝の一つで、有名な九段目「山科閑居の場」の前日譚だ。
本篇(仮名手本〜)では家老加古川本蔵の主人、桃井若狭之助は短慮で直情径行な若殿という扱いになっているが、この増補版では本蔵の心情を良く理解し、本蔵の決死の覚悟を知って見送る英邁な若殿様に成長している。
後日にできた前日譚だろうが、この話を知ることで、本篇九段目に本蔵が虚無僧姿で山科の由良助の閑居を訪れること、高師直の屋敷の図面を持っていることなどが、ピシャリと嵌ってなるほどと思う訳だ。

主従の絆や親子の情愛がとても分り易く表現されて面白い。
この演目で、「前」の太夫は呂太夫(三味線は團七)、「切」は唯一の切場語りである咲太夫(〃燕三)という豪華版でしっとりと聞かせてくれた。

*第1部は「明治150年記念」という冠がついているが、2本とも明治期に初演された演目だ。

♪2018-109/♪国立劇場-12

2018年9月9日日曜日

人形浄瑠璃文楽平成30年9月公演 第2部「夏祭浪花鑑」

2018-09-10 @国立劇場


●夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)
 住吉鳥居前(すみよしとりいまえ)の段
  咲太夫・睦太夫/鶴澤友之助・野澤勝平
 内本町道具屋(うちほんまちどうぐや)の段
  亘太夫・三輪太夫/鶴澤清公・竹澤宗介 
 道行妹背の走書(みちゆきいもせのはしりがき)
  織太夫・芳穂太夫・文字栄太夫・南都太夫/
  竹澤團吾・鶴澤清丈・野澤錦吾・鶴澤燕二郎
 釣船三婦内(つりぶねさぶうち)の段
  小住太夫・呂勢太夫/鶴澤寛太郎・鶴澤清治
 長町裏(ながまちうら)の段
  織太夫・三輪太夫/清志郎
 田島町団七内(たじまちょうだんしちうち)の段
  文字久太夫・希太夫/清介・清丈

◎人形⇒桐竹勘十郎・吉田玉男・吉田文昇・吉田玉也・豊松清十郎・吉田勘彌・吉田文司・吉田清五郎・桐竹勘壽・吉田玉也・吉田簑助

昨夏、大坂の国立文楽劇場で観たのでおよそのところは頭に入っているつもりだったけど、今回は本格的な全6段*構成だから、大阪で観たものよりずっと長い。
大坂では「︎住吉鳥居前の段」、「釣船三婦内の段」、「長町裏の段」で構成されていたから今回のほぼ半分だ。どおりで、頭に入っているつもりというのが実は怪しいのも筋書きが端折られていたから…というのは言い訳で、今回、全6段を通して観ても、やはりややこしくて細かい点ではその場での理解は困難だった。

登場人物が多く筋も複雑だ。
誰が主人公か。
やくざ者の団七九郎兵衛を中心に据えていると思うが、彼の義兄弟の一寸徳兵衛、彼らを助ける老侠客の釣船三婦も重要な役回り。さらにそれぞれの女房たちもただの飾り物ではない。
この一団をきりきり舞いにさせるのが厄介な若殿様に彼を取り巻く女たち。
彼らの外縁には悪党どもが取り巻いている。

今回、鑑賞後に、解説本などを読み直してようやく全体像がつかめたが、やはり、では、どこが観どころか、と考えるに、ぼんやりしてしまう。

昨夏は「長町裏の段」で終わっていた。
語りも三味線も沈黙しただんまりの世界で、団七がやむを得ず舅を殺す。褌一丁になり井戸の水を汲んで全身の倶利伽羅紋紋に浴びた返り血を流し、着物を羽織って、夏祭りの喧騒の中に消えてゆく。
なるほど、こういう終わり方も粋だなあとそれなりの得心をしたが、今回は「田島町団七内の段」が続くので、少し話の性格が方向を変えたように思う。

まだまだ、理解不足だ。筋を追っているようでは鑑賞とは言えない。今後の楽しみとしよう。

*原作は全9段だそうだ。
今回の6段構成でも公演時間は4時間34分(計50分の休憩含む)だから、全9段では6時間位かかるのかもしれない。もっともそういう形での上演がありうるのかどうか知らないが。

♪2018-110/♪国立劇場-13

名曲全集第140回 ストラヴィンスキー三大バレエ音楽

2018-09-09 @ミューザ川崎シンフォニーホール


飯森範親:指揮
東京交響楽団

高橋優介:ピアノ*

ストラヴィンスキー
 組曲「火の鳥」(1945年版)
 ペトルーシカ(1947年版)*
 春の祭典

飯森範親の指揮でストラヴィンスキーのバレエ音楽、組曲「火の鳥」、「ペトルーシカ」、「春の祭典」の豪華三本立。
特に「春の祭典」は弦16型に4管**編成(Hr8本)の大迫力。

この曲は、変拍子の連続だがこの大編成オケは一糸乱れず…いや、少々乱れても聴き分けられないだろうが。
というのも、この作品では、弦楽器も多くの箇所で旋律を奏でるより、打楽器のようにリズムを刻む(これが不規則なリズムだから容易ではないだろう。)ので、旋律楽器としての聴かせどころは少ない。したがって、弦のアンサンブルの乱れなど、あったとしても感じている間が無いだろう。

管楽器(スコア表記)は、木管は12種、金管は7種と多彩で、ホルン8本(うち2本はワグナーチューバ持ち替え)、トランペット5本、トロンボーン3本に大小チューバ2本と、めくるめくような編成だ。
これらが一斉に咆哮し、16型大編成の弦楽5部と混ざって襲いかかってくる響具合も非常に心地よく、贅沢な音の洪水に浸ると共に東響の巧さも実感した。

作曲者本人も「春の祭典」はまともにタクトを振ることが出来なかったというくらい拍子を取るのが難しい作品だが、「春の祭典」のみならず3曲とも暗譜で振った飯森範親は凄い!

♪2018-024/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-02

**「4管編成」というのは、東響の職員に終演後確かめたものだが、僕の席(1階後方中央)からは楽団員が折り重なって見えるのではっきりしないが、5管ではなかったかという気もしている。というのも、昨年夏にやはり東響@ミューザで聴いた折は5管だったと記録しているし、今日も同じだったように思うけど、自信がない。また、3曲の中で「春の祭典」のみ、プログラムに版の年が書いてないが、多く用いられているらしい67年版では5管編成らしい、という事情も、本当は5管編成だったのではないか、という気にさせる。

2018年9月8日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第342回

2018-09-08 @みなとみらいホール


小泉和裕:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

ブラームス:交響曲第3番ヘ長調 Op.90
R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」Op.20
R.シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」Op.28

小泉和裕指揮でブラームス:交響曲第3番、R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」と交響詩「ティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」。

普通は、作品の格や演奏時間の長さからも交響曲を休憩後のメインに据えるものだけど、今回は、この順番で演奏された。
交響詩の方が編成が大きく音楽が派手で、エンディングも明るく締めくくられるのでカタルシスが得られやすいからかな。

ブラームスの第1楽章冒頭は高域弦がキンキンと歪んで悲痛。第2楽章からはピッチが揃ってきて良く鳴り始め、第3楽章はかの美旋律が中低域で始まることもあり見事に悩ましい。


サガンの「ブラームスはお好き」を映画化した「さよならをもう一度」ではこの第3楽章の甘美な主旋律が繰り返えされる。それで、この音楽を聴くとパブロフの犬のように、いつもコンサート会場でのイングリット・バーグマンとアンソニー・パーキンスの姿を思い起こしてしまう。

休憩後のR.シュトラウスの交響詩2本は、管・打の活躍でこれぞ<ザ・管弦楽>。
特に「ドン・ファン」の冒頭の強奏が見事でゾクゾクさせた。

2曲ともホルンが大活躍する。以前、ホルンパートは神奈川フィルのアキレス腱だったが近頃はほれぼれとする音を出してくれるので、安心して聴いておられるのが嬉しい。

♪2018-107/♪みなとみらいホール-24