2018年12月28日金曜日

特別演奏会「第九と四季」2018 ---「第九」❼

2018-12-28 @サントリーホール


秋山和慶:指揮(&チェンバロ*)
東京交響楽団
東響コーラス:合唱

辻彩奈:バイオリン*
中村恵理:ソプラノ
藤村実穂子:メゾ・ソプラノ
西村悟:テノール
妻屋秀和:バス

ビバルディ:協奏曲集「四季」~春・冬*
ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」作品125

弦の編成は14型(第1バイオリン⇒14人、第2バイオリン⇒12人)だが低弦はチェロ10人(14型の場合の標準は8人)、コントラバス8人(同じく6人)と増強。これで全般に力強くなった。

合唱団はオケの後ろだが舞台両翼に広がりSTBA(下手からソプラノ〜テノール〜バス〜アルト)配置が時に立体効果⁉︎

何と言っても東響伝統の<秋山第九>。全曲、歌える処は全て歌わせゆったりと進む。オケも慣れたもので秋山翁の呼吸にはヒタと寄り添う。

低弦のレシタティーヴォはテンポも遅いがぎりぎりまで引っ張って歌う。レシタ〜というよりアリアのよう。
妻屋バス最初の独唱も朗々と延ばす。読響でも彼を聴いたがここは秋山節。

早めの演奏が多い昨今、懐かしさも覚える第九だ。全体で69分も今季最長。
自分の好みとは別に満足100点。

前座に置かれた<秋山第九>定番の「四季」〜春冬〜も上出来で、辻彩奈のバイオリンが明瞭で雄弁なのには驚いた。

「第九」終曲後もお約束のお楽しみ。客席も巻き込んでペンライト付き大合唱「蛍の光」は少女趣味だが心震えたり…。

来年から「四季」抱合せはなくなるが<秋山第九>は形を変えてミューザでやるみたい。これは朗報

♪2018-180/♪サントリーホール-17

2018年12月27日木曜日

N響スペシャル「第九」 ---「第九」❻

2018-12-27 @サントリーホール


マレク・ヤノフスキ:指揮
NHK交響楽団
東京オペラシンガーズ:合唱

勝山雅世:オルガン*
藤谷佳奈枝:ソプラノ
加納悦子:メゾ・ソプラノ
ロバート・ディーン・スミス:テノール
アルベルト・ドーメン:バリトン

ブクステフーデ:前奏曲 ニ長調*
J.S.バッハ:パストラーレ ヘ長調 BWV590 ― 第1楽章*
ギルマン:オルガン・ソナタ 第1番 ニ短調 作品42 ― 第3楽章*
ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」作品125

ヤノフスキ+N響は過去3回聴いてすべて好感したので期待大。

だが、彼がプログラムの解説で第3楽章こそ最重要と書いているのは説明不足で余計なことだった。確かに第3楽章は極めて美しい緩徐楽章に違いないが、この記述だけだと偉大なる終楽章の位置付けはどうなるのか、などと不安が生ずる。
「第九」は第1楽章、第2楽章、終楽章がアレグロ、ヴィバーチェ、プレストなど超速テンポなので、そこに挟まれたアダージョが荒れ野に咲く花のように高潔な美しさを誇っているが、さりとて、他楽章がなければ第3楽章の美しさも際立つことはなかった。
さあ、これから「第九」を聴くぞ、と心待ちしている観客を混乱させるだけだから書かない方が良かった。

オケの規模は昨日の都響と同じ弦16型(全員で60人)の大規模編成。
合唱団は91人と比較的小規模だが、舞台後方席(P席)を全部潰して並んだ。今季「第九」は6回目だが、うち舞台後方席がない県民ホールでの神奈川フィルを除けば過去4回中4回とも合唱団は舞台のオケの後ろに並んだ。
オルガンの前の観客席を潰して合唱団を並べたのはN響が初めてだ。これは効果的で、オケもゆったり舞台を占拠できる。何より、P席は舞台よりずっと高い位置にあるので、客席からは見上げる事になる。すると、合唱は高いところからストレートに観客席に向かってくる…ような視覚効果があって、それが迫力を高める。

第1楽章冒頭、原始の雲を切り裂くようにバイオリンがきらめいたのは読響だ。N響の場合はバイオリンは曙光が射すように穏やかに登場して、これはまた新しいドラマが始まることを予感させた。

N響の弦の響きは重厚だ。
それでいて細部まで機敏。
メリハリがあってさすが格違いのアンサンブル。

2楽章は反復省略なしで今季聴いた6本の「第九」中演奏時間は最長(13分33秒)。因みに最速記録は都響の10分7秒(繰り返しの省略のためでもある。)。
<最重要>な割に第3楽章はキビキビして13分強で、逆に今季最速。因みに最長は都響の14分55秒。
終楽章もアップテンポで22分33秒。
全体として正味62分はコンパクトな方だ。

楽章毎の時間配分はザネッティ指揮の読響によく似ている。

いくつかのフレージングにヤノフスキが独自色を発揮した。
第3楽章の管と弦の掛け合い。
後述する終楽章のレシタティーヴォ。そのあとのバリトン独唱の出だしなど。

その最たるものが、終楽章低弦のレシタティーヴォ。
チェロとコントラバスの呼吸がヤノフスキと一致していない。今季既に5回目の第九なのにまだピシッと合わないのはヤノフスキの呼吸が独自すぎだからだ。また都響同様10人もの多人数で息を合わせるのも難しいだろう。

やや不満も残ったが合奏力は群を抜いているので、読響に90点をつけたからにはN響は95点!
でも、もう一度聴いてみたいのはどちらかと言われれば、ザネッティ+読響だなあ。

♪2018-179/♪サントリーホール-16

2018年12月26日水曜日

都響スペシャル「第九」 ---「第九」❺

2018-12-26 @サントリーホール


小泉和裕:指揮
東京都交響楽団
二期会合唱団:合唱

安井陽子:ソプラノ
富岡明子:メゾソプラノ
福井敬:テノール
甲斐栄次郎:バリトン

ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」作品125

今季「第九」は5回目だが、弦の編成が16型は初めて。
数にものを言わせる都響らしい。合唱の二期会も音圧高く、何もかも強力で爆音コンサートのよう。
尤も、その割には纏まり良く、いつも不満が残る第1バイオリンの高域もほとんど不快な音が混じることがなかった。

第2楽章はえらく短かった。テンポが早目であったこともあるが、どこか(提示部・展開部・再現部)で反復を省略したようだが、どの部分かは気がつかなかった。

終楽章の、歓喜の物語を誘う低弦のレシタティーヴォは鋭さが不足した。そもそもチェロ10本、コントラバス8本という編成は多過ぎないか。そのせいかどうか分からないが、エッジが効いておらず、ぼんやりとしてモタモタ感があった。

全曲は正味62分(第2楽章の短縮効果)と短いが、決して<疾走する「第九」>という訳ではない。小泉和弘の指揮はどんな曲を聴いても正攻法で、外連味がないのがいいと思っている。

第3楽章から第4楽章の入りは間髪入れず、というほどではないが、ほんの2呼吸空けた程度で突入したのは良かった。
ここは、ゆっくり休止をとるのが好きという人もいるが、ベートーベンが本来(古典的形式)なら緩徐楽章である第2楽章とスケルツォであるべき第3楽章を入れ替えて配置し、第2楽章を急速なスケルツォ、第3楽章をアダージョとしたからには、楽譜上の指示はないが、第3楽章が終わり次第、一呼吸で終楽章の激しい世界に雪崩れ込むのが効果的だと思う。

全体としては、最近都響にがっかりすることが多かったが、今日はまずまず楽しめた。
16型(弦楽器60人)にせずとも他のオケのように14型(同50人)で演奏した方がもう少し引き締まった響きになったのではないかとは思うが。
80点。

♪2018-178/♪サントリーホール-15

2018年12月24日月曜日

読売日本交響楽団第108回みなとみらいホリデー名曲シリーズ ---「第九」❹

2018-12-24 @みなとみらいホール


マッシモ・ザネッティ:指揮
読売日本交響楽団
新国立劇場合唱団

アガ・ミコライ:ソプラノ
清水華澄:メゾ・ソプラノ
トム・ランドル:テノール
妻屋秀和:バス

ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」作品125

まず以って、コンサートマスターがバイオリン界の「百済観音」日下紗矢子であることが嬉しい。
指揮は読響を初めて振るマッシモ・ザネッティ。

冒頭、原始の雲間を切り裂くように空虚5度が響いた。
この時点で、ただならぬ「第九」の展開が予想できた。
案の定、第2楽章が遅めのほかは他楽章はいずれもテンポが速い!

2015年末の上岡敏之指揮の読響「第九」を彷彿とさせる、疾走する「第九」だ。
楽章間の休止を除き正味61分、とこれまでの最速。
細部までザネッティの彫琢が施された独自な世界を日下が長い右腕をしならせてリードしエッジの効いた弦のアンサンブルを展開する。

尤も、中でも驚速22分の終楽章の采配には疑問も残った。

終楽章も冒頭からアップテンポだが、低弦のレシタティーヴォから主題提示までの「間」の取り方に自然な呼吸を感じなかったし、チェロ(+コントラバス)から順に引き渡される歓喜の主題がビオラまではえらく抑えられ主旋律より副旋律の方が目立った。
バイオリンに渡ってようやく痞(つか)えが下りる印象。
…と、終楽章の一部に不満も残ったが…。

全体として、テンション高い楽想に聴き手も心地良く引き摺り回された感じだ。特に弦楽がシャキシャキして美しくも力強い。日下がGood Jop。
独唱陣はオケの後方に位置したが、四声ともクリアで絡みも美しかった。新国立の合唱は
風圧を感じたが、ちと雑っぽさも。

やはり「第九」は読響か…90点。

♪2018-177/♪みなとみらいホール-42

2018年12月22日土曜日

第26回フェリス女学院メサイア演奏会

2018-12-22 @フェリスホール


星野聡:指揮
フェリス室内管弦楽団
フェリス女学院大学音楽学部合唱団:合唱

長久真実子:チェンバロ
宇内千晴:オルガン
秦貴美子、小出真琴(ディプロマ生)、黒川青葉(大学院音楽研究科2年):ソプラノ
栗林朋子、佐藤ゆい(大学院音楽研究科2年):アルト:
蔵田雅之:バリトン
土屋広次郎:テノール

G.F.ヘンデル:オラトリオ《メサイア》Ferris version
(第1部全曲、第2部及び第3部は一部省略)

年末恒例の演奏会は「第九」だけではない。もう一つの楽しみがヘンデルの「メサイア」だ。
しかし、12月は毎年「第九」を中心にコンサートやオペラ、歌舞伎、文楽などが集中するので、ここ2年間は日程が合わずに行けなかった。今年も無理かと思っていたら、ちょうど予定のないエアポケットのようなタイミングにフェリス女学院が「メサイア」をやると知って申し込んだ。

オーケストラは学生たちによるフェリス室内管弦楽団24人。これに通奏低音(チェンバロ、オルガン)が2人加わった。
合唱は女学院の合唱団60人位に賛助出演の男声が20人。
独唱はプロが4声部4人に学生選抜が3人、部分的に参加した。

出来栄え如何?

お世辞にも巧いとは言えない。
プロを含めてあまり良い出来ではなかったが、心打たれるものがあった。
何と言ってもヘンデルの音楽の力だろう。
ありきたりの言い方になるが、「ハレルヤコーラス」の素晴らしさには胸が踊る。ものすごく元気付けられた。
ウツで悩む人にはこれを聴かせるのが一番療養効果があるのではないかと思う。
悪い憑き物が落ちて前向きになって人生は楽しいぞ、という気持ちにさせてくれる。そして、最後のアーメン・コーラスが、いやが上にも気持ちを盛り立てて大団円を締めくくった。

ところで、「メサイア」のロンドン初演(1743年)の際、「ハレルヤコーラス」があまりに見事なのに感動した国王ジョージ2世が思わず起立し、周りも総立ちしたという故事(作り話らしいが)に倣い、その後「ハレルヤコーラス」では観客が起立するという現象が彼の地を中心に広まり、日本でもこの場面での観客の起立が<中途半端>に慣習として残っている。

今回は、クリスチャンの学校での「メサイア」であるからには、この保守的な慣習は一層堅固に維持されているのではないかと心配をしたのだが、これは全くの杞憂だった。

誰も立たたなかった!
視界に入る限り誰一人立たなかった。
ロビーに「お立ちになりませぬよう」という張り紙もなかったのに、これは驚いた。

うっかり起立すれば頭が変!と思われたのかも知れない。

2016、17年の2年間は聴く機会がなかったが、ひょっとしてその間に、「メサイア」愛好協会が「起立しないようにしましょう」などとお触れを出したのだろうか(Just Joke!)。

いやはや、かくして、是非はともかく、確実に日本にも存在していた「ハレルヤコーラス」での起立は消滅してしまったのか?

https://youtu.be/bx8CC56NN3k

https://youtu.be/1NRm8awZgl4

↑古い動画だけどこれらでは非常に多くの観客が起立している。

一方、客席は立たないけど、ステージ上では本来出番のないソリストもここでは合唱団と一緒に立ち上がって歌うという慣習は生きていた。2階バルコニーに配置していた、これも本来は出番ではない合唱団の別働隊もここぞ!と言わんばかりにすくっと立ち上がって合唱に混じった。

客席の起立がだんだん廃れてきたのは良いことだ。
100人くらいの小ホールでの内輪の集まりなら一斉に起立するのもいいだろうが、数百人〜2千人規模のホールでは起立は徹底できない以上、全員起立せずに、その代わり敬虔な気持ちで圧倒的なコーラスに胸震わせながら拝聴するのがいいのではないか。

♪2018-175/♪フェリスホール-01

2018年12月21日金曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会 県民ホール名曲シリーズ 第2回 ---「第九」❸

2018-12-21 @県民ホール


広上淳一:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
神奈川フィル合唱団

髙橋絵理:ソプラア
平山莉奈:メゾソプラノ
宮里直樹:テノール
浅井隆仁:バリトン

ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」作品125

客席も舞台も広い県民ホールで聴く「第九」は一層の祝祭性を帯びて気分高揚。
残響が少ない為、弦はシャリシャリ感が残るがこれこそナマならではのリアルな感触。
その弦が高い透明感を保って心地良い味わい。

広上節は全体にテンポ鷹揚。特に第4楽章は外連味利かせテンポの変化が頻繁で歌わせすぎではないか。声楽独唱はそれこそ「歌え」ば良いのだけど、オケはできるだけ無表情にテンポを保って欲しい…というのが、僕の好み。

終楽章の低弦のレシタティーヴォは特に朗々と歌わせたが、こここそは限りなくイン・テンポで聴きたい。

演奏時間は楽章間休止含め71分位。

声楽陣と打楽器3人は第2楽章の後登壇した。
ならば、第3楽章から第4楽章への乗り換えは一呼吸で入れたのに、広上センセイ、フツーに休止時間をとったので肩透かし。Apple Watchで計測していたが、22秒間もお休みあそばした。これではテンションが下がってしまう。

神奈川フィルの出来は上々だった。先日の日フィルと良い勝負だ。また、合唱団は中高年中心で110名くらいだが、迫力あった。東京音大合唱団(日フィルの「第九」)にも負けていなかったな。
そして、声楽ソロも(テノールは急遽の代演だったが)みんな良く通る声で聴き応えがあった。
テノールは訂正済み

今季3回目の「第九」だが、声楽ソリストが舞台の前方(指揮者を挟む形)に立ったのは今回初めて(他の2回はオケの後ろ。)。やはり、前方に立つと声がよく通り、4声部の絡みもはっきり聴き取れて気持ちがいい。

事ほど左様に、オケも声楽陣もとても良い出来だったが、指揮者の演出が好みではなかったので80点としよう。

♪2018-175/♪県民ホール-05

2018年12月19日水曜日

東京都交響楽団 第870回 定期演奏会Aシリーズ

2018-12-19 @東京文化会館


アラン・ギルバート:指揮
東京都交響楽団

ターニャ・テツラフ:チェロ*
鈴木学:ビオラ*

R.シュトラウス:交響詩《ドン・キホーテ》op.35*
ビゼー:『カルメン』組曲から(アラン・ギルバート・セレクション)
リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲 op.34

都響の第1バイオリン群にはこのところずーっと不満を感じている。高域がよろしくない。時にキンキン、ゴロゴロするのは、ピッチのズレではないのだろうか。でもプロのピッチが甘いとも考えにくい。N響でも感ずることがあるので、原因は別なのかもしれない。曲によって症状が出たり出なかったりする。もちろん、高域が含まれないような音楽だとなんの問題もないが、作曲家が第1バイオリンに広域を歌わせないはずがない。

曲とホールと聴き手の体調などが重なって、高域が耳につくようになるのかもしれない。ただ、海外の一流オケでは感じたことがないのも確かで、原因は不明。

都響に特に感ずることが多いのも確かだ。

しかし、今日はどういう訳か高域の不快音も気にならずまずまずの出来だった。

また、スペインに材を取ったポピュラーな3曲だったせいか、気楽に楽しむことができた。

尤も、「ドン・キホーテ」では独奏チェロの音質も音量も物足りなかった。文化会館という、残響の少ない硬質なホールなので、朗々と響かないのは仕方がないけど、もう少し存在感が欲しかった。

都響は、年内にもう1回「第九」演奏会をサントリーで聴く。また第1バイオリンを傾聴してみよう。

♪2018-174/♪東京文化会館-07

2018年12月17日月曜日

国立演芸場12月中席

2018-12-17@国立演芸場


落語    入舟辰乃助⇒たらちね
落語            入船亭扇蔵⇒元犬
音曲バラエティ    東京ガールズ
落語            柳家さん八⇒短命
落語            古今亭志ん橋⇒岸柳島
     ―仲入り―
紙切り        林家楽一
落語           橘屋文蔵⇒道灌
曲芸           翁家社中
落語         入船亭扇辰⇒雪とん

今日も噺家がマクラで取り上げていたが、日本に落語家が800人(「前座」以上)いて、江戸時代以降で過去最大。空前の落語ブームだという。うち、東京に550人ほどが集中している。
彼らを階級制度(上方にはない。)によって区分すると、数字を丸めると「真打」350人、「二ツ目」120人、「前座」80人ということになる。

つまり、東京の落語界は完全に逆ピラミッドで、少子高齢化が甚だしい。「前座」から「真打」になれるまで、およそ15年。その前に見習いという期間もある。
中には「志ん朝・小朝・家禄」のように才能があって、「二ツ目」修行を4年前後で昇進した傑物もいるが、彼らは例外的存在だし、本当に力があるから問題ない。

しかし、年功だけで「真打」になった噺家こそ厄介な存在だ。
一度「真打」になると、「定年」がないから、死ぬまで現役だ。そして、近頃はなかなか死なない!

噺家希望者、入門者が増えると能力にかかわらず「真打」が増えることになる。「真打」の粗製乱造だ。

そこに反旗を翻した噺家たちがいて、主流派「落語協会」、準主流派「落語芸術協会」を飛び出し、現在のように「圓楽一門会」や「落語立川流」が生まれているが、東京の寄席(鈴本・浅草・末廣・池袋・国立演芸場)には「落語協会」か「落語芸術協会」のいずれかに属していなければ出られない。余談だが、なぜか「落語芸術協会」は鈴本には出ない。出られないのかもしれない。複雑な世界だ。
なお、立川流などはホール落語会などに活路を求めている。

ともかく、「真打」が粗製乱造されていることは今も昔も変わらない。結果、「落語」だけでは食ってゆけない噺家の方が多いというのが現実らしい。
噺家の暮らしぶりはともかく、落語ファンにとっても、お金を払って、前座、二ツ目の下手な芸を<噺家を育てるという寛容な気持ちで>聴いた後も次々と下手くそな「真打」の噺を聴かなければならないというのは悲しい。

今日など、まさにその図で、満足できたのは「紙切り」と「曲芸」だというのが情けない。


♪2018-173/♪国立演芸場-20

2018年12月16日日曜日

東京工業大学管弦楽団第159回定期演奏会

2018-12-16 @みなとみらいホール


末永隆一:指揮
東京工業大学管弦楽団
村本麻里子:オルガン*

ドボルザーク:序曲「謝肉祭」
シベリウス:交響曲第6番ニ短調 作品104
サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調 作品78「オルガン付き」*
---アンコール---
プーランク:組曲「牝鹿」から「フィナーレ」

東京工業大学管弦楽団がサン=サーンスの交響曲第3番、所謂「オルガン付き」をやるというので、昼のミューザ東響に続いてのハシゴ。

大学オケは一般に市民オケより大抵レベルが高い…という経験則から来た期待を裏切らずかなり巧い。
弦も透明感がある。特に第1バイオリン群は昼のプロオケより耳障りがな音が少ない。
さりとて、やはりプロの持つレベルとはちと違う。
なにやら、音の線が細過ぎて全体として湧き上がってくる熱量に不足していた。

また、アマチュアだからやむを得ないか、年に2度の晴れ舞台で、緊張しているのだろう、いずれも表情が硬く、音楽を楽しんでいる風ではない。も少し愛嬌も振り撒いてくれたら良かったけどなあ。ま、これは指揮者の責任でもあるけど。


♪2018-172/♪みなとみらいホール-41

名曲全集第143回 ノットの英雄の生涯

2018-12-16 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ジョナサン・ノット :指揮
東京交響楽団

甲藤さち:フルート(東京交響楽団首席奏者)*

ヴァレーズ:密度21.5 (無伴奏フルートのための)*
ヴァレーズ:アメリカ (1927年改訂版)
R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」 作品40

昨日のサントリーでの東響定期でも同じ曲を取り上げて、それが絶好のゲネプロになったはずで、その上で今日の名曲全集に臨んだつもりだろう。

ミューザでは収録用のマイクが天井に6本、舞台上には20本近く据えられていたが、メインの「英雄の生涯」の演奏は残念な出来栄えで、ノットも団員も終演後の表情が大曲を演り終えたという晴れやかさがまるでない。

管楽器の少々のミスは許容範囲だが、第一バイオリンが受け持つ高域がキンキンゴロゴロと唸りを上げて悲しい。

弦は16型の対向配置(Vn1とVn2が両翼に向かい合う。)。これは音楽の立体感を狙ったのだろうか。
管打もホルンは8本を始め賑やかなものだ。

しかし、肝心の第1バイオリンが水谷コンマスの奮闘にも関わらず美しくないので、オケ全体が締まらない。

おそらくサントリーでも録音したのだろう。4月のブルックナー9番のCD化は、サントリーとミューザの両方の録音で合成しているから今回ももしCD化するならそういう形をとるのかもしれないが、休止箇所がほとんどないから、ツギハギは難しいな。

2015年、P・ヤルヴィ+N響、2017年、F・ルイージ+読響(いずれも@みなとみらいホール)の熱演に遠く及ばず。

♪2018-171/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-23

2018年12月15日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第343回横浜定期演奏会 ---「第九」❷

2018-12-15 @みなとみらいホール


井上道義:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
合唱:東京音楽大学

菅英三子:ソプラノ
福原寿美枝:アルト
錦織健:テノール
青山貴:バリトン

ベートーベン:序曲「コリオラン」作品62
ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」作品125

腕慣らし?の「コリオラン」が刮目の絶品。弦は変形12型対向配置。この小規模なオケならではの明確でクリアで力強い音楽は先日の独カンマーフィルと並ぶのではないか。

そのあとの休憩後に設けられたプレトークで、井上道義が<黄昏の「第九」>にはしないと言っていたが、正に<日の出の「第九」>だった。

弦は14型。対向配置から通常配置にもどった。コントラバスは7本並んだ。管楽器は雛段二段。その後方に独唱4人と150人前後の大合唱団が四段の雛段で配置。これなら視覚的にもどの楽器がどこに何人ずつ配置されているかが分かって気分良い。やはりプレトークの際に井上が「音楽は眼から聴く」とも言っていたが、これは我が意を得たりだ。

弦の透明度高く、気持ちの良いアンサンブルだ。
指揮者のコントロールが細部まで届いている感じ。
テンポは中庸。所々に溜めを利かせるような井上節があったが、やり過ぎ感は無い。演奏時間は計測ミスしたが、楽章間休止を除いた正味で70分弱か。

演奏における井上流の独自色は、終楽章の6/8マーチから、ピッコロ、トライアングル、シンバル、大太鼓の4人を舞台下手に登場させてたことだ。奇を衒っているとも言えるが、おかげでピッコロ・パートの終盤の活躍も良く分かった。

第2楽章の後に声楽陣が入場したので、ここの長い休止がやや緊張を損ねたのが惜しかったが、第3楽章から第4楽章の入りは間髪入れず。そうでなくちゃいけない。ここで、ぼんやり休んでいたのでは、ベートーベンが第2楽章と第3楽章の形式を反対に配置した意味が失われると思う。

オケは文句のない出来栄え。
東京音大の大合唱団もピッチが綺麗に揃い、透明感と大人数ならではの迫力の合唱を聴かせた。

大いなる満足で85点。これを超えるのはどこ?

♪2018-170/♪みなとみらいホール-40

2018年12月14日金曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団「第九」特別演奏会2018 ---「第九」❶

2018-12-14 @サントリーホール


アントニ・ヴィット:指揮
栗山文昭:合唱指揮

新日本フィルハーモニー交響楽団
栗友会合唱団:合唱

室住素子:オルガン*
---------------------
盛田麻央:ソプラノ
中島郁子:アルト
大槻孝志:テノール
萩原潤:バリトン

J.S.バッハ:トッカータとフーガ ニ短調*
ピエトロ・アレッサンドロ・ヨン:ユモレスク*
---------------------
ベートーベン:交響曲第9番短調「合唱付き」作品125

アントニ・ヴィットという指揮者は初めて。せっかくの新日フィルなら上岡敏之で聴きたかった。何年か前に読響で「第九」を振った演奏はスリリングでテンション高く、もう一度聴いてみたい演奏の一つだ。
ヴィットの指揮ぶりに関していえば、テンポは中庸だった。特段速くもなく、遅くもない。プログラム記載の予定時間は75分と書いてあったのでかなりゆっくり振るのかと思っていたが、そうではなく、実際にも各楽章の演奏時間を積み上げたら66分弱だった。楽章間のポーズはほとんどないに等しかったからそれを含めたところで66分±10秒くらいか。

また、演奏の色付けにもテンポの変化にもこれといったクセはなく、嫌味もなく、個性がにじみ出やすい第4楽章低弦のレシタティーヴォもごく素直でひっかかりのない音楽で、要するに外連味を抑えた真っ当な指揮ぶりだった。こういう点は大いに好感を持った。
それでいて、第3楽章から第4楽章への繋ぎはほんの一呼吸の間を置くや否やの突撃で、この辺りも心憎い。

変わった点といえば、オーケストラや合唱の配置だ。

合唱団は舞台の後方、オケの後ろに並んだ。オルガン前のP席を潰した訳ではない。これはよくあること、というより、舞台後方席(P席)のないホールではそうならざるを得ないし、P席があってもこれを潰さずに客席として使い、合唱団は舞台に並ぶ場合も珍しくない。
しかし、合唱団が、声部毎の縦横集団で並ぶのではなく、横に並んだ。つまり最前列は多分ソプラノが横一線に並び、その次の列はアルトが一列に、その後ろはテノール、最後列がバリトンなのだろう。栗友会では常にこういう形なのかもしれないが、僕には初めて見る形だった。なかには、男女・声部混在で並ぶ例も見たことがあるからそれに比べると分かりやすいが、果たして、声楽的にどういう効果があるのだろう。声部毎にまとまった集団配置の方が立体感が出るのではないかと思うが、よく分からない。

ともかく、舞台後方に合唱団が並び、合唱団は4段になるようなひな壇が用意されていた。
その前方にオケが並ぶが、普段はひな壇の上に並ぶ管楽器・打楽器が今日の新日フィルでは弦と同じ平場に置かれた。
これがよく分からない。管打を高く配置した方が客席に対する音の抜けがいいはず。また、そうすることも(合唱団を一層高く配置することで)不可能ではなかったはずなのに。

弦は14型(第1バイオリン14人。この場合の弦5部の標準は総計50人になるが、今日の新日フィルはまさしくこの人数だった。)。「第九」といえば、16型が多いように思うが、14型だってちっともおかしくない。むしろ、すっきりしていいと思う。そして舞台に並びきれない数ではない。この50人を平場に置いて管打楽器を2〜3段のひな壇に置き、さらに合唱をその上に2〜3段積むことはできなかったのだろうか。

これまでサントリーで何度もいろんなオケの「第九」を聴いてきたが、合唱団やオケのこの配置の点で疑問に思ったことは一度もなかったが、これまで聴いたきたのは一体どういう配置だったのだろう。少なくとも昨年のN響「第九」では合唱団はP席に配置されていたから、オケもゆとりを持ってひな壇付きだったはずだ。

さて、えらくこだわるようだが、弦と管打共に平場に置かれたために、一階席からは弦に隠れて管・打楽器が見えない。見えないということは音の通りもよくないということだ。
事実、管楽器は弦楽器に埋もれてしまっていた。特にホルンなど、もやもやとしてメリハリがつかない。

このオケの実力なのか、こういう配置のせいなのか、ホールの欠陥なのか、それらの複合なのか、全体に音の響きに透明感が乏しく、キンキン鳴るかと思えば、ぼんやりともやがかかったような響きに終始した。

さて、合唱団はオケの前に入場した。
独唱は第2楽章の後に入場する例が多いが、今回はそこでは入場しなかった。ということは、第3楽章の後に入場のためのポーズを置かなくてはいけないことになる…てことは、第3楽章から終楽章へ間髪入れず雪崩れ込む、という快感が得られないではないか、と思っていたが、どっこい、先述したように第3楽章の最後はほとんどアタッカのように終楽章に入ったのだ。
では独唱者たちは合唱団に紛れて隠れていた?な訳はない。

なんと、終楽章が始まって約7分後、バリトンのソロが始まろうとしていたその時に声楽独唱者4人が下手袖から静かに入場した。下手には4人分のひな壇が設けてあり、そこにバリトン以外の3人が着座するや否や(バリトンは着座する間も無く)例の「おお友よ〜」を歌い出したのにはびっくりした。
こういう声楽ソロの入り方は初めての経験だが、無駄がなくていい。音楽の緊張感を損なわないでとても良かった。

しかし、演奏全体をみれば、何やらザワつきが消えず透明感乏しく60点といったところか。

今年は12月中に8回も「第九」を聴くので、点数評価をすることにした。
まずは、60点から始まったが、これを基準として、さて、100点満点は出るだろうか?


♪2018-169/♪サントリーホール-14

2018年12月12日水曜日

新国立劇場オペラ「ファルスタッフ」

2018-12-12 @新国立劇場


指揮:カルロ・リッツィ
演出:ジョナサン・ミラー
美術・衣裳:イザベラ・バイウォーター
照明:ペーター・ペッチニック
再演演出:澤田康子
舞台監督:髙橋尚史

合唱指揮⇒三澤洋史
合唱⇒新国立劇場合唱団
管弦楽⇒東京フィルハーモニー交響楽団

ファルスタッフ⇒ロベルト・デ・カンディア
フォード⇒マッティア・オリヴィエーリ
フェントン⇒村上公太
医師カイウス⇒青地英幸
バルドルフォ⇒糸賀修平
ピストーラ⇒妻屋秀和
フォード夫人アリーチェ⇒エヴァ・メイ
ナンネッタ⇒幸田浩子
クイックリー夫人⇒エンケレイダ・シュコーザ
ページ夫人メグ⇒鳥木弥生

ヴェルディ:「ファルスタッフ」全3幕
〈イタリア語上演/字幕付〉

予定上演時間:約2時間35分
第Ⅰ幕、第Ⅱ幕80分
 --休憩25分--
第Ⅲ幕50分

喜劇≒悲劇という見方があるが、「ファルスタッフ」こそ喜劇と見るには腑に落ちない。「ファルスタッフ」も喜劇風オペラに有り勝ちな、終盤の力技による大団円で「人生は全て冗談」と笑い飛ばして終わるが、真面目に物語を考えた場合、むしろ悲劇ではないか。

ファルスタッフにも十分な非があるとはいえ、テームズ川に放り込まれ、とことんバカにされるのはあんまりではないか。
それをお人好しにも仲直りして笑って済ませるのは情けない。もう一人、なんの罪もないのに槍玉に会う男もいるが、彼の名誉など、物語は全く考慮しない。

原作はシェークスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」だそうだ。これを読んでいないので、なんとも言えないが、シェークスピアがこんな手抜きの物語を書いたとは思えないから、オペラの台本にするときに換骨奪胎したのではないだろうか。

79歳になった大オペラ作家ヴェルディには、最後の力を振り絞るに当たって何か感ずるところがあったのだろうな。

音楽的には、拍子違いの九重唱、最後は十人+合唱によるフーガも登場させて音楽的にやり尽くした感のあるヴェルディ最後の歌劇は、口ずさめるような名調子のアリアもなく、同年生まれで既に世を去さっていたワーグナーのオペラのように、セリフのような歌を連続させて、次代の歌劇の魁となった事は音楽を聴きながら成る程と思った。

ナンネッタを演じた幸田浩子が、大柄な他の歌手たちの中にあって、ひときわ小さくて可愛らしかった。身体は小さいながらもよく通るソプラノは埋没することなく光っていた。

♪2018-168/♪新国立劇場-13

2018年12月10日月曜日

東京都交響楽団 第868回 定期演奏会Bシリーズ

2018-12-10 @サントリーホール


アラン・ギルバート:指揮
東京都交響楽団

メンデルスゾーン:序曲《フィンガルの洞窟》op.26
シューマン:交響曲第1番 変ロ長調 op.38《春》
ストラヴィンスキー:バレエ音楽《春の祭典》

アラン・ギルバートという指揮者はこれで3回目(今月もう1回聴く。)だが、ほとんど癖を感じたことがない。とても正統的な指揮者ではないかと思っている。オケと息が合っているかといえば、それもあまり感じないが、バラバラな感じは全然しない。

そんな次第で、「春」をテーマに選曲された3曲のうち、前半の2曲は、可もなく不可もなく、程よい出来上がりといったところ。

休憩を挟んでメインの「春の祭典」は弦は16型に拡張して特大規模。管打も多様なものが投入される。

演奏家は大勢なのに、あんな人間の生理に反するシンコペーションが連続する超複雑なリズムをよく合わせられるものだと感心する。

喧しいくらいの音楽で、迫力はあるのだが、弦の旋律線が弱く、本来はもっと聴き取りやすい美しいところもあるはずなのに、爆音に掻き消されたみたいだった。
都響の演奏は、数に物言わせた力技が多い。それが残念。

♪2018-167/♪サントリーホール-13