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2022年9月5日月曜日

未来へつなぐ国立劇場プロジェクト 初代国立劇場さよなら公演 第一部「碁太平記白石噺」田植の段/逆井村の段

2022-09-05@国立劇場


第一部
●碁太平記白石噺 (ごたいへいきしらいしばなし)
 
田植の段
口 豊竹咲寿太夫/鶴澤友之助
奥 豊竹藤太夫/鶴澤清友

逆井村の段
中 豊竹靖太夫/野澤勝平
切 竹本千歳太夫/豊澤富助

************************
人形役割
庄屋七郎兵衛⇒ 吉田玉也
志賀台七⇒       吉田玉勢
百姓与茂作⇒  吉田玉輝
娘おのぶ⇒   吉田一輔
宇治兵部助⇒  吉田玉志
女房おさよ⇒  吉田簑二郎
金江谷五郎⇒  豊松清十郎


前から告知されていたことだけど、いよいよ9月公演から「初代国立劇場さよなら公演」という冠が付いた。と言っても今月で終わるのではなく来年10月末まで「さよなら公演」が続く。その後建て替えが始まり、再開は2029年の秋だ。なんて長いんだ。7年の空白はツライ。

あちこちの劇場で手分けして公演を続けるらしいが、歌舞伎や文楽にふさわしい舞台構造を持った劇場は首都圏にないはずだから、やると言っても色々制約の多い演出・演目になるのだろう。
第一、7年後僕は健脚・健聴・健眼を維持しているだろうか心配だよ。

「さよなら〜」ということもあって、コロナ禍でできなかった通し上演が(完全ではないが)復活した。コロナの収束宣言は出ないけど、それを待っていたら、第2代国立劇場ができてしまうかも。
今回はⅠ部とⅡ部に分けて「碁太平記白石噺」が通して上演される。
と言っても全11段中4段だけだが。

♪2022-125/♪国立劇場-07

2022年5月8日日曜日

豊竹咲太夫文化功労者顕彰記念 文楽座命名150年 文楽公演第Ⅲ部

2022-05-08@国立劇場


●桂川連理柵 (かつらがわれんりのしがらみ)
 石部宿屋の段
  竹本三輪太夫・ツレ:豊竹咲寿太夫
 /野澤勝平・鶴澤清允

 六角堂の段
  豊竹希太夫/竹澤團吾

 帯屋の段
前 豊竹呂勢太夫/鶴澤清治
切 豊竹呂太夫/鶴澤清介

 道行朧の桂川
お半       豊竹睦太夫
長右衛門 豊竹芳穂太夫
ツレ       竹本津國太夫・竹本碩太夫・豊竹薫大夫
/竹澤團七・鶴澤友之助・野澤錦吾・鶴澤清方

************************
人形役割
娘お半⇒    豊松清十郎
丁稚長吉⇒      吉田玉佳
帯屋長右衛門⇒吉田玉也
出刃屋九右衛門⇒桐竹亀次
女房お絹⇒  吉田勘彌
弟儀兵衛⇒  吉田玉志
母おとせ⇒  桐竹勘壽
親繁斎⇒   吉田清五郎


「桂川連理柵」(かつらがわれんりのしがらみ)は文楽でも歌舞伎でも数回観ている。これは面白い!

立派な妻・お絹がいるのに、女性にだらしない帯屋の主人・長右衛門(38歳。以下、数え年だと思う)。

旅先で、彼女にしつこく言い寄るのが隣家信濃屋の丁稚の長吉。彼から逃れて長右衛門の部屋にきたのが信濃屋の娘・お半(14歳)。子供ゆえに寝間に入れてやる。それが間違いの元。

長右衛門は帯屋の跡取り養子。帯屋の隠居・繁斎の妻は後妻で連れ子が儀兵衛。繁斎はできた男だが、後妻と儀兵衛は性悪で長右衛門を追い出しにかかっている。

旅先での出来事を盗み見した丁稚長吉も、長右衛門からお半を奪わんとする悪党。

長右衛門は前後左右から濡れ衣を着せられ、悪い事にお半は妊娠。

懸命なお絹の働きにも拘らず八方塞がりの中、先に死を決したお半の後を追って、長右衛門も桂川に。

四段構成だが、これが実に効果的に組み立てられている。
一番面白いのが「帯屋の段」で1時間超だが、長さを感じさせない。前半の儀兵衛と長吉の遣り取りが傑作だ。呂勢大夫の語りが素晴らしい。

この浄瑠璃が作られた当時(1776年初演)、上方では大流行して、「帯屋」の段は「お半長」とも呼ばれて子供でも知っている話となった、と上方落語「胴乱の幸助」に取り入れられていて、こちらも大傑作だ(枝雀が素晴らしい)。

追記:
4月から呂太夫/錣大夫/千歳太夫が切語りに昇格した。同慶也。

♪2022-065/♪国立劇場-04

2021年12月6日月曜日

国立劇場開場55周年記念 人形浄瑠璃文楽 令和3年12月公演

2021-12-06@国立劇場




国立劇場開場55周年記念
仮名手本忠臣蔵 (かなでほんちゅうしんぐら)
 桃井館本蔵松切の段
 下馬先進物の段
 殿中刃傷の段
 塩谷判官切腹の段
 城明渡しの段
 道行旅路の嫁入


桃井館本葳松切の段
 竹本小住太夫/鶴澤清丈
下馬先進物の段
 竹本南都太夫/竹澤團吾
殿中刃傷の段
 豊竹靖太夫/野澤錦糸
塩谷判官切腹の段
 竹本織太夫/鶴澤燕三
城明渡しの段
 竹本碩太夫/鶴澤清允
道行旅路の嫁入
 小浪:豊竹呂勢太夫/鶴澤清志郎
 戸無瀬:豊竹咲寿太夫/鶴澤清公
 豊竹亘太夫/野澤錦吾
 竹本聖太夫/鶴澤燕二郎
 豊竹薫太夫/鶴澤清方

*****************************
人形役割
桃井若狭助⇒ 吉田玉佳
加古川本蔵⇒ 吉田勘市
妻戸無瀬⇒    豊松清十郎
娘小浪⇒ 吉田簑紫郎
高師直⇒ 吉田玉助
鷺坂伴內⇒    桐竹紋秀
塩谷判官⇒  吉田簑二郎
早野勘平⇒  吉田玉路
茶道珍才⇒  吉田蓑悠
原郷右衛門⇒ 桐竹亀次
石堂右馬丞⇒ 吉田玉輝
薬師寺次郎左衛門⇒吉田文哉
大星カ弥⇒  吉田簑太郎
大星由良助⇒ 吉田玉志
顔世卿前⇒  桐竹紋吉
その他 大ぜい

今から5年前の2016年。国立劇場では開場50年記念に、歌舞伎は3部(1か月公演X3回)、文楽の方は2部(昼夜公演)構成で全段通し「仮名手本忠臣蔵」をやった。
それが僕の文楽の初見で以後病みつきになった。

2019年には大阪の国立文楽劇場の開場35年で春・夏・秋に3部に分けて全段通しをやった。これも観に行った。

そして、今年は国立劇場開場55年記念の年だ。

そこで、記念の公演という訳だが、今回は、二、三、四、八段目からの抜粋だ。これは寂しい。

四段目のほかにも面白い七段目、九段目がない。これでは見どころは切腹の段のみというのも辛い。

それにどういう訳か、今回は太夫・三味線・人形ともに重鎮が出ていない。普通なら人間国宝級全員とは言わずとも出演するものだ。ましてや記念の公演なのに。
ま、今日の出演者の中では、個人的には織太夫とか呂勢太夫は好きだけど。
どれにしては寂しい公演だった。

同時に別興行で観賞教室をやっているがこっちの方が面白かった!


♪2021-146/♪国立劇場-11

2021年9月5日日曜日

国立劇場開場55周年記念 人形浄瑠璃文楽 令和3年9月公演第Ⅱ部

2021-09-05@国立劇場



●卅三間堂棟由来 (さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)
 平太郎住家より木遣音頭の段
中 睦太夫/清志郎
切 咲太夫/燕三
奥 呂勢太夫/清治
人形 吉田和生・桐竹紋臣・吉田簑一郎・
   吉田簑二郎・吉田玉助・桐竹勘次郎

●日高川入相花王 (ひだかがわいりあいざくら)
 渡し場の段
三輪太夫・咲寿太夫/
碩太夫・聖太夫・團七・清𠀋・錦吾_清允・青方
人形 吉田清五郎・吉田勘市


機会の少ない文楽の前回公演を、コロナ拡大中につき弱気にも断念したので、2月公演以来の久しぶりの文楽観賞だった。
客席に座った時に、その場限りにせよ、日常が戻ったなあと嬉しくなった。

「卅三間堂棟由来」は文楽では始めての観賞だが、歌舞伎では数回観ている。

異類婚姻譚の一種。
柳の精・お柳は、平太郎と縁あって結ばれ、子(緑丸)を成す。
平和な暮らしも長くは続かず、ある日、白河法皇の病気平癒のため建てる三十三間堂の棟木に使う柳の大木が切り倒されることに。
その柳の木こそお柳その者なのだ。

切り倒されて都に運ばれる柳の大木は夫と緑丸が見送る場面で動かなくなる。

夫が歌う木遣音頭に合わせて緑丸が綱を曳くと、びくとも動かなかった柳が動き出す。
夫婦・母子の無念の別れが涙を誘う。

豊竹咲太夫・鶴澤清治・吉田和生の人間国宝トリオが結集して、何やらありがたい舞台ではあった。

♪2021-089/♪国立劇場-06

2019年12月13日金曜日

人形浄瑠璃文楽令和元年12月公演「一谷嫰軍記」

2019-12-13 @国立劇場


一谷嫰軍記(いちのたにふたばぐんき)
 陣門の段
  小次郎⇒咲寿太夫
  平山⇒小住太夫
  熊谷⇒亘太夫
  軍兵⇒碩太夫
  宗助
 須磨浦の段
  希太夫/勝平
 組討の段
  睦太夫/清友
 熊谷桜の段
  芳穂太夫/藤蔵
 熊谷陣屋の段
  前:織太夫/燕三
  後:靖太夫/錦糸

人形役割
 小次郎直家(敦盛)⇒一輔
 平山武者所⇒玉翔
 次郎直実⇒玉助
 玉織姫⇒簑紫郎
 遠見の敦盛⇒簑之
 遠見の熊谷⇒和馬
 妻相模⇒勘彌
 堤軍次⇒玉誉
 藤の局⇒簑二郎
 梶原平次景高⇒紋吉
 石屋弥陀六実は弥平兵衛宗清⇒文司
 源義経⇒玉佳
     ほか

今回の上演は全段ではなくかなり切り詰められているようだ。歌舞伎と駒之助の素浄瑠璃を経験しているがいずれも「熊谷陣屋」しか演らなかったので今回初めて全体の輪郭を理解できた。そして自分の勉強不足に呆れるが、かくも壮大なトリックが仕掛けられているとは!

歌舞伎・文楽の時代物では我が子を犠牲にする話が珍しくはない。菅原伝授手習鑑や伽羅先代萩など。一谷嫰軍記も同様な話だが「熊谷陣屋」だけを観ても、首の入れ替えは既になされているので、違和感が無いのだが、前段の陣門・須磨の浦・組討の段から順に見ていると見事に騙されていたのが分かる。

いや、騙されるのは無理はない。いくらなんでも話に無理がある。
「熊谷陣屋」だけが際立って上演機会が多いのは全段中一番面白いから、という理由だけではなさそうな気がした。
初演は約270年前だそうだが、そんな昔に…よくぞかくも大胆な筋立てを考えたものだ。

Aクリスティの「アクロイド殺人事件」は「一谷嫰軍記」にヒントを得たのでは…いや、さすがにそれはないな。

一方で、これまで「熊谷陣屋」をいかにボーッと観ていたか、恥ずかしくなった。
手元に当代芝翫襲名の際の「熊谷陣屋」のビデオがあるので、年末年始にじっくり観直してみよう。

♪2019-204/♪国立劇場-17

2019年2月15日金曜日

人形浄瑠璃文楽平成31年02月公演 第2部

2019-02-15 @国立劇場


近松門左衛門=作
大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)
 大経師内の段
     中⇒希太夫/鶴澤清丈
     奥⇒文字久太夫/鶴澤藤蔵

 岡崎村梅龍内の段
     中⇒睦太夫/鶴澤友之助
     奥⇒呂太夫/竹澤團七

 奥丹波隠れ家の段
     三輪太夫・南都太夫・咲寿太夫/鶴澤清友
     
  人形▶吉田和生・吉田簑紫郎・吉田勘一・吉田玉勢・
               吉田簑一郎・吉田玉志・吉田玉也

近松門左衛門の<世話物>の中でも、「大経師昔暦」は「冥途の飛脚」、「曾根崎心中」、「女殺油地獄」、「心中天網島」などと並んで、非常に有名な作品だが、あいにくこれまで文楽でも歌舞伎でも観たことはなかった。

この話も、おさん・茂兵衛にとって、ほんのちょっとしたはずみの事故のような出来事が、悪い方へ悪い方へと転がり、糸がもつれもつれて絡み合い、もう、どうにもならずに最悪の逃避行へと転落する。

茂兵衛への恋心から茂兵衛に味方した下女のお玉は京に近い岡崎村の伯父・梅龍の元に預けられ、おさん・茂兵衛は逃避行の傍、そこを尋ね、その後奥丹波に隠れ住むが、それも長くは続かず、ついに追っ手の手にかかる。
そこに梅龍が、お玉の首を持参し、全ての罪はお玉にあるので成敗した。おさん・茂兵衛に罪はない、と役人に申し立てるが、2人の不義は濡れ衣だと証明できる唯一の証人を殺してしまったと梅龍の早計を惜しみ、梅龍は地団駄踏んで悔しがる。

このラストチャンスまで、むしろ善意が3人の人生を踏み潰してしまうという悲劇に慄然とする。

それでも、おさん・茂兵衛はお互いに真実の愛を知らぬまま今日に至り、思いがけない地獄への道行きの中で、純愛に準ずることができたのがせめてもの幸いか。

今回は、ここまでの上演だったが、近松の原作ではその後2人は助命されるそうだ。にもかかわらず、実話の方は両者磔、お玉は獄門晒し首になるそうで、劇中、それを予告するかのように、おさん・茂兵衛の影が磔の姿に、お玉は窓から顔を出したその影が獄門首に見えるように演出されていて、これはかなり気味が悪い。

余談:
この話も「桂川連理の柵」同様、実話が基になっている。
それを最初に浮世草子として発表したのが井原西鶴(「好色五人女」の中の「暦屋物語」)で、その33年後に近松門左衛門が同じ題材で浄瑠璃「大経師昔暦」を発表した。
両者の話の細部は知らないので相違も知らなかったが、これらを原作にした溝口健二監督の名作映画「近松物語」は何度も観てよく知っているので、近松の浄瑠璃「大経師昔暦」もおよそ、この映画のストーリーに近いものだと思い込んでいたが、実際に観てみると少し様子が異なる。

後からの俄か勉強だが、そもそも西鶴の描いた物語と近松の物語とではおさん・茂兵衛の関係がだいぶ違うようだ。加えて、溝口が映画化した際は、その両者を合体させてシナリオを作ったという。

映画の方は合理的な筋の展開で無理がなく共感するものが多いが、文楽「大経師昔暦」ではおさんと茂兵衛が不義の仲になる設定に無理がある。

大経師の女房おさんと下女お玉が寝所を交代する目的は、おさんがお玉のふりをして亭主・以春のお玉への夜這いの現場を押さえ、懲らしめる事にあった。
一方、茂兵衛は昼間自分を助けようとしてくれたお玉に礼を言おうと寝所に忍び込む。暗闇で顔が分からないとしても、茂兵衛が言葉は発しないとしても、おさんには忍び込んで来た男が自分の亭主でないことくらい素ぶりで分かるはず。にも関わらず、抵抗もせず、情を通じてしまうのも不可解。
だからこそ、溝口はここを改めて、すぐお互いが意中の人ではないと気がつくが、何しろ深夜の寝所に2人でいるところを見られたことで不義が疑われるという筋に変えている。

床本(シナリオ)を読む限り、2人はお互いの顔を確認した上で、互いに予期する相手ではなかったが、それでも結ばれるという筋立てに変更する演出は可能だし、そうすればその後の逃避行もよく分かるのだが、「伝統芸能」の世界では、新劇のような自由な解釈は許されないのだろうな。

♪2019-017/♪国立劇場-04

人形浄瑠璃文楽平成31年02月公演 第1部

2019-02-15 @国立劇場


第一部
桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)
 石部宿屋の段
     芳穂太夫・亘太夫/
     野澤勝平・野澤錦吾
 六角堂の段
     希太夫・咲寿太夫・
     文字栄太夫/竹澤團吾
 帯屋の段
     前⇒呂勢太夫/鶴澤清治
     切⇒咲太夫/鶴澤燕三
 道行朧の桂川
     織太夫・睦太夫・小住太夫・
     亘太夫・碩太夫/竹澤宗助・
     鶴澤清馗・鶴澤清公・鶴澤燕二郎・
     鶴澤清允

  人形▶豊松清十郎・桐竹紋吉・吉田文昇・
     吉田玉男・吉田勘彌・吉田勘壽・
     吉田玉輝

「桂川連理柵」は「帯屋の段」が有名で、歌舞伎でもここだけ取り出したのを観ているが、今回はその前後も合わせて全4段。

話せば長い物語を端折りまくって記せば…。

帯屋の主人長右衛門(38歳)養子である。帯屋隠居の後妻のおとせ(とその連れ子儀兵衛)は、儀兵衛に店の跡を継がせようという魂胆から長右衛門に何かと辛く当たる。

一方、帯屋の丁稚長吉は隣家の信濃屋の娘お半(14歳)に夢中。お半は長吉など眼中になく、帯屋の跡取り、長右衛門を恋い慕っている。

儀兵衛はお半が長右衛門に宛てた恋文を入手したを幸いに、また、長右衛門が女房お絹の実弟のために密かに用立てた百両が店の金庫から消えていることを発見し、加えて自分たちがくすねた五十両も長右衛門の窃取だと言い長右衛門を責め立てる。
さらに、長右衛門が旅先で、長吉に言い寄られて困っているお半を我が寝所に入れた為に犯した一夜の過ちの結果、お半が妊娠してしまったことや、長吉の悪巧みでお客から預かった宝剣が見当たらなくなったことなどが重なり合い、長右衛門は八方塞がりになる。

そうこうしている間に、お半も、不義の子を宿した以上生きてはゆけないと長右衛門に書き置きを残し桂川に向かう。
もう、死を覚悟していた長右衛門だったが、お半が桂川で入水するということを知って、彼は昔の情死事件を思い起こさずにはおられなかった。
15年前に当時惚れ合った芸妓と桂川で心中しようと誓ったものの自分1人生き残ってしまった長右衛門は、これこそ天の啓示とばかり今度こそ情死を全うせんとお半の後を追うのだった。

…と長いあらすじを書いてしまった。これ以上短くすると、自分で思い出すときに役に立たないだろう。それにせっかく書いたから消さないでおこう。
実際の話はもっと入り組んでいる。

人生のほんのちょっとしたゆき違いが、運悪く重なり繋がることで、人の運命を転がし、それが雪だるまのように膨れ上がってしまうと、もう誰にも止めることはできなくなる。

現在進行形の柵(しがらみ)が、長右衛門にとってコントロール不能にまでがんじがらめに心を縛り尽くした時、ふと蘇る15年前の同じ桂川での心中未遂事件!

長右衛門にとっては、お半と桂川で心中することは、むしろ暗闇の中で見えた曙光なのかもしれない。
また、<14歳のお半>、<15年前の事件>と並べると、お半は芸妓の生まれ変わりか、あるいは芸妓が生んだ長右衛門の子供であったのかもしれない…と観客に余韻を残して幕を閉じるこの哀しい物語にはぐったりと胸を打たれる。

余談ながら、備忘録代わりに書いておこう。
人形を3人で操る場合の主遣い(おもづかい)は黒衣衣装ではなく顔を見せて演ずるのが普通だが、今回「石部宿屋の段」と「六角堂の段」では主遣いも、左遣い、足遣い同様、黒衣衣装だった(今回の公演第2部の「大経師昔暦」の「大経師内の段」も)。
不思議に思って、国立劇場に尋ねたら、極力人形に集中してもらうための演出で、昔から行われているるのだそうだ。黒頭巾をとったら弟子だった、ということはないそうだ。ま、そうでしょ。

余談その2
上方落語「どうらんの幸助」は、大阪の義太夫稽古処で「桂川連理の柵」ー「帯屋の段」のうち、後妻のおとせが長右衛門の嫁をいじめている部分を外から漏れ聞いたどうらんの幸助(喧嘩仲裁を楽しみとしている老人)が、本当の話だと勘違いして、これはほっておけないと、京都柳の馬場・押小路の帯屋に喧嘩納めにゆく、というとんでもない話でヒジョーにおかしい。

♪2019-016/♪国立劇場-03

2018年12月9日日曜日

第50回文楽鑑賞教室「菅原伝授手習鑑」ほか

2018-12-09 @国立劇場


●団子売(だんごうり)
  靖太夫<杵造>・咲寿太夫<お臼>・亘太夫・碩太夫/
  團吾・友之助・清公・精允
  人形▶玉翔<杵造>・紋吉<お臼>

●解説 文楽の魅力
  希太夫/寛太郎
  人形▶玉誉

●菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)
  寺入りの段⇒小住太夫/寛太郎
  寺子屋の段⇒前:千歳太夫/富助
        後:睦太夫/清友
  人形▶簑悠<菅秀才>・簑太郎<よだれくり>・文昇<戸波>・
       豊松清十郎<千代>・和馬<小太郎>・玉峻<三助>・
     玉也<武部源蔵>・玉輝<春藤玄蕃>・玉男<松王丸>・玉誉<御台所>・
     その他大ぜい

「団子売」は歌舞伎では仁左衛門・孝太郎、猿之助・勘九郎のコンビで観たことがある。
歌舞伎では、このコンビの名前は「杵造」と「お福」だ。

お祝い事の舞踊劇で、筋書きらしいものはないけど、仲の良い夫婦が杵と臼で餅を搗くという所作だが、滑稽味もある。

文楽で観るのは今回初めてだったが、内容は同じだ。人形が踊ると人間が踊るより可愛げがある。

また、登場人物の名前が「杵造」は同じだが「お福」は「お臼」になっていた。「杵と臼」の役割どおりになっている。「杵と臼」が何を仮託しているかは見てのとおりだ。

五穀豊穣・子孫繁栄を祈る祝いの舞踊だというのが納得できる。文楽では「景事」(けいごと・けいじ)とも呼ばれているそうだが内容からは「閨事」でもあるような…。

今回の「〜手習鑑」は「寺入りの段、寺子屋の段」。
文楽では昨年5月に「茶筅酒の段、喧嘩の段、訴訟の段、桜丸切腹の段、寺入りの段、寺子屋の段」を、6月にも「車曳の段、寺入りの段、寺子屋の段」を観た。

やはり、寺入りの前段、特に「車曳きの段」や「桜丸切腹の段」を知らないと、「寺子屋の段」の痛切な哀しみは理解できないと思うが、そうであったとしても、忠義のために我が子を殺す話は現代では徐々に共感が得難くなってきているのではないか。

モーツアルトのオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」など、実に古い価値観で作られているので現代人の共感を得るために演出家が苦労するのと同じで、儒教の八徳(仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌)などを思想の根底に据えた物語は、だんだん普遍性を失って、やがては成立しなくなるかもしれないな…と思った。

鑑賞教室の楽しみの一つ。
大夫のほか、普段は口を開くことのない三味線方や人形遣いもマイクを持ってそれぞれも分野を説明してくれる。

今回は、吉田玉誉の解説が存外傑作だった。

♪2018-165/♪国立劇場-17

2018年9月10日月曜日

人形浄瑠璃文楽平成30年9月公演 第1部「良弁杉由来」、「増補忠臣蔵」

2018-09-10 @国立劇場


<明治150年記念>
南都二月堂
●良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)
 志賀の里の段
  睦太夫・小住太夫/鶴澤清友
 桜の宮物狂いの段
  津駒太夫・津國太夫・芳穂太夫・咲寿太夫/鶴澤藤蔵・ 
  清馗・寛太郎・清公・清允
 東大寺の段
  靖太夫・野澤錦糸
 二月堂の段
  千歳太夫・豊澤富助
◎人形⇒吉田和生・桐竹紋臣・吉田玉男

●増補忠臣蔵(ぞうほちゅうしんぐら)
 本蔵下屋敷の段
  呂太夫・咲太夫/竹澤團七・鶴澤燕三・燕二郎
◎人形⇒吉田玉佳・吉田玉志・吉田玉助・吉田一輔

1日で第1部と第2部を通して観た。歌舞伎座で昼の部と夜の部を通して見るようなものだ。11時から20時34分まで。もちろん数回の休憩と入れ替えの時間があるが、それらを含めて9時間34分も小劇場の椅子に座っていたことになる。

2部の「夏祭浪花鑑」については興行が別なので感想も別に書いたが、これは消化不良だった。

それに対比して、第1部の2本*はいずれも初見だったにもかかわらず、ほぼ完全消化できた。そしていずれも大いに楽しめた。

●「良弁杉由来」は、幼い子どもを鷲に攫われた渚の方が悲しみのあまり狂女となって30年。乗り合わせた船の中で東大寺の良弁上人が幼い頃鷲にさらわれたという噂を聞き、訪ねた二月堂で親子念願の再会を果たす。
「志賀の里の段」での大鷲の仕掛け、「桜の宮物狂いの段」では桜の花盛りの中、シャボン玉も登場して笑いを誘う。その華やかさの一方でやつれ果てた狂女のが川面に写った自分の姿を見て30年間失っていた正気を取り戻す。
「二月堂の段」では書割とはいえ、二月堂の威容が見事だ。感動的な名乗り合いと再会の前に、良弁の登場の先触れに登場する奴たちが長い槍を放り投げては受け取るというアクロバティックな見どころも用意されていて心憎い。
この段では千歳太夫の渾身の語りが観る者、聴く者の心を揺り動かした。

●「増補忠臣蔵」は「仮名手本忠臣蔵」の外伝の一つで、有名な九段目「山科閑居の場」の前日譚だ。
本篇(仮名手本〜)では家老加古川本蔵の主人、桃井若狭之助は短慮で直情径行な若殿という扱いになっているが、この増補版では本蔵の心情を良く理解し、本蔵の決死の覚悟を知って見送る英邁な若殿様に成長している。
後日にできた前日譚だろうが、この話を知ることで、本篇九段目に本蔵が虚無僧姿で山科の由良助の閑居を訪れること、高師直の屋敷の図面を持っていることなどが、ピシャリと嵌ってなるほどと思う訳だ。

主従の絆や親子の情愛がとても分り易く表現されて面白い。
この演目で、「前」の太夫は呂太夫(三味線は團七)、「切」は唯一の切場語りである咲太夫(〃燕三)という豪華版でしっとりと聞かせてくれた。

*第1部は「明治150年記念」という冠がついているが、2本とも明治期に初演された演目だ。

♪2018-109/♪国立劇場-12

2018年6月29日金曜日

国立劇場第6回文楽既成者研修発表会 文楽若手会

2018-06-29 @国立劇場


●万才
 竹本小住太夫・豊竹咲寿太夫・竹本碩太夫
 鶴澤清公・鶴澤清允・鶴澤燕二郎
 人形:吉田玉彦・桐竹勘次郎

●絵本太功記
  夕顔棚の段…豊竹亘太夫/野澤錦吾
  尼ヶ崎の段…前:豊竹希太夫/鶴澤友之助
        後:豊竹靖太夫/鶴澤寛太郎
 人形:桐竹紋臣・吉田簑紫郎・吉田玉誉・吉田簑太郎
            吉田玉勢・吉田玉翔・吉田和馬

●傾城恋飛脚
  新口村の段…口:竹本碩太夫/鶴澤燕二郎
       …前:豊竹咲寿太夫/鶴澤清丈
       …後:豊竹芳穂太夫/鶴澤清馗
 人形:吉田玉路・吉田玉峻・桐竹紋吉・桐竹紋秀・
    吉田玉征・豊松清之助・吉田玉延・吉田和登・
    吉田蓑悠・吉田文哉・吉田箕之

平たく言うと若手の勉強会なのだろうが、若手も混じっているが、中堅も含まれている。だから興行としても成り立つのだろう。
名前を知らない人も居たが、多くは本興行に出演している人達だ。

本格的に人形浄瑠璃・文楽を鑑賞し始めたのが2016年の12月だからまだ経験は1年半に過ぎない。でも既に20公演を鑑賞しているので、最近は少し観る目、聴く耳が出来てきたような気もしている。生意気にもそんな気持ちで鑑賞していると、「あ、ここはもう少し張り上げて」とか「長く伸ばして」語った方がいいのではないかとか、三味線の音の外れが気になったり、人形の姿勢も気になったりもしてくるが、それが正しいのかどうかは分からない。
やはり、名人・上手の公演を度重ねていかないと、真髄には近づけないのだろう。

「絵本太功記」は初めての作品だった。「太功記」というからには「太閤記」の改作だろうと漠然と思っていたが、それはそのとおりで、信長を討った光秀の母・妻・子や秀吉などが登場して、主従の裏切りに葛藤するドラマとなっている。ちょっと不思議に思ったのは、原作が「絵本太閤記」であるが、本作は「絵本太功記」と表現が変わっているのは「太閤」に遠慮したためだろうか。

全13段(6月1日から13日まで各日1段という構成に発端と大詰が付いて実質15段!)のうち、今回は「夕顔棚の段」と「尼崎の段」が演じられたが、では、これらはオリジナル全13段のうち、何段目に相当するのか、が気になって調べてみた。というのも「尼崎の段」がかなり有名でここを「太十」(たいじゅう⇒太功記の10段目の意味)と呼ばれることは、かつて読んだことがあり知っていた。すると、その前の「夕顔棚の段」は9段目か、と言うとどうもそうでもないらしい。「尼崎の段」は6月10日の出来事なので10段目に置かれているが、「夕顔棚の段」も同日の出来事なのだ。
すると、両方共10段目なのか。
なら、どうして別の名前なのか。

どうやら、これは一つの段を「口」・「中」(前・奥という言い方もありその違いは分からない。)・「切」と分けた場合に、「切」以外の部分を総称して「端場」(はば)というが「夕顔棚の段」は本来は一つの独立した「段」ではなく、「太十」(⇒「尼崎の段」)の「端場」に当たるもので、今回の仕切りでは「尼崎の段」の「口」に相当するのではないか。それが、いつの間にか、「夕顔棚の段」という呼称が定着したのではないだろうか。

…と、本筋とは関係がないけど、どうも気になったので、調べてみた。いずれ、国立文楽劇場に問い合わせてみようと思う。

「傾城恋飛脚」は基になった「冥途の飛脚」も含めるとこれで4回目だ。
梅川・忠兵衛の悲しい末路だが、あいにく、共感するには至らなかった。芸の問題というより、この「段」だけでは、なかなか気持ちが盛り上がるまでに至らないからだと…思うのだが。

♪2018-074/♪国立劇場-10

2018年5月17日木曜日

人形浄瑠璃文楽平成30年5月公演 第2部「彦山権現誓助剣」

2018-05-17 @国立劇場


彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)
●須磨浦の段
  お菊⇒竹本三輪太夫
  内匠⇒豊竹始太夫
  友平⇒竹本小住太夫
  弥三松⇒豊竹咲寿太夫/鶴澤清友
 
●瓢簞棚の段 
 中 豊竹希太夫/鶴澤寛太郎
 奥 竹本津駒太夫/鶴澤藤蔵・鶴澤清公 

●杉坂墓所の段
 口 豊竹亘太夫/野澤錦吾
 奥 豊竹靖太夫/野沢錦糸
 
●毛谷村六助住家の段
 中 豊竹睦太夫/野沢勝平
 奥 竹本千歳太夫/豊澤富助

人形役割
  娘お菊⇒吉田勘彌
  弥三松⇒吉田簑太郎
  友平 ⇒吉田文昇
  内匠 ⇒吉田玉志
  佐五平⇒吉田玉勢
  お園 ⇒吉田和生
  伝五右衛門⇒吉田玉佳
  六助 ⇒吉田玉男
  母お幸⇒桐竹勘壽
 ほか

一昨日、鑑賞したばかりだが、頭に入っていない部分があって、気になってもう一度観ることにした。

「毛谷村」の段で、お園は父の決めた許婚六助に出会い、急に女らしく振る舞うようになるのだが、夕飯の支度をする時にかまどに火吹き竹で息を送る際に、あまりに慌てていて尺八を口にするシーンが歌舞伎にはある。

最初の鑑賞の際、ボーッとしていて、それに気づかなかった。果たして尺八の場面はあったのかなかったのか、それが気になってならない。それで、第1部の鑑賞日に第2部のチケットがあるかどうか調べたら幸いなことに良い席が残っていたので即GETした。

ところが、朝から第1部4時間超を観た後に、続いて第2部を観るというのはなかなかしんどいものがある。
いよいよというところまで来てまたもや注意散漫になってしまった。
「彦山権現誓助剣」は休憩込みで4時間37分もあるので、最後の毛谷村迄行きつく頃は相当疲れが溜まっていたのだ。

結局、火吹き竹の場面は確認できずじまいだった。
六助がお園や姑の見送りを受け、梅の枝と椿の枝を背中に挿してもらって仇討ちに出かけるところは観ていたのだけど。どうも、その瞬間、エアポケットに落ち込んだみたいだ。

ま、2回観たので、全体像ははっきりしてきたので良かったけど。

しかし、朝から通せば9時間37分だ。
休憩が合計90分。第1部と第2部の間の切り替えの時間が38分あったとはいえ、1日で2部とも観るというのはかなりの体力勝負だ。

♪2018-056/♪国立劇場-08

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2018年5月15日火曜日

人形浄瑠璃文楽平成30年5月公演 第2部「彦山権現誓助剣」

2018-05-15 @国立劇場


彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)
●須磨浦の段
 お菊⇒竹本三輪太夫
 内匠⇒豊竹始太夫
 友平⇒竹本小住太夫
 弥三松⇒豊竹咲寿太夫
 /鶴澤清友
 
●瓢簞棚の段 
 中 豊竹希太夫/鶴澤寛太郎
 奥 竹本津駒太夫/鶴澤藤蔵・鶴澤清公 

●杉坂墓所の段
 口 豊竹亘太夫/野澤錦吾
 奥 豊竹靖太夫/野沢錦糸
 
●毛谷村六助住家の段
 中 豊竹睦太夫/野沢勝平
 奥 竹本千歳太夫/豊澤富助

人形役割
  娘お菊⇒吉田勘彌
  弥三松⇒吉田簑太郎
  友平 ⇒吉田文昇
  内匠 ⇒吉田玉志
  佐五平⇒吉田玉勢
  お園 ⇒吉田和生
  伝五右衛門⇒吉田玉佳
  六助 ⇒吉田玉男
  母お幸⇒桐竹勘壽
  ほか

今月の文楽公演は第1部が吉田玉助襲名披露公演で出演陣もなかなか豪華だ。ま、そちらはあとの楽しみにして、まずは第2部から出かけた。
演目は「彦山権現誓助剣」。本来十一段構成から六段目から九段目までの半通し上演だ。
このうち、九段目に当たる「毛谷村六助住家の段」は、歌舞伎では何度か観ている。歌舞伎では、大抵「毛谷村」としてこの段だけが単独で上演され、稀にその前段の「杉坂墓所の段」も置かれる場合があるが、今回の文楽公演のように四段・半通しは多分ないのだろう。

「須磨浦の段」と「瓢箪棚の段」を前置することで話がわかりやすくなったかと言えば、どうもそうでもなかった。むしろ、複雑になって全体像を掴みにくかったように思うが、それは、これら前二段を観るのが初めてだったからかもしれない。

物語性はともかく、「瓢箪棚の段」は、単独でもなかなか見どころがある。全体を通したヒロインであるお園が初めてここで登場し、仇役との対決場面だ。

お園は武術指南の娘として生まれたので武術全般に通じているだけでなく、180cmという偉丈夫(偉丈婦?)で怪力の持ち主でもある。鎖鎌まで使う剣戟、棚から遣い手もろとも人形が飛び降りる演出など、これはなかなかの見どころだ。

その彼女が「毛谷村六助住家の段」で、親が決めた彼女の許嫁でめっぽう剣術の巧い六助に出会い、その途端、しおらしくなり何くれとなく世話を焼くが、つい怪力の地が出てしまうところは、歌舞伎でも滑稽シーンが連続する楽しいところだ。

この「毛谷村」の「奥」を語ったのが千歳太夫。
人形は六助を吉田玉男、お園を吉田和生が遣った。
うまい下手は判断付けかねるが、みんな熱演で良かった。

♪2018-054/♪国立劇場-06

2018年2月19日月曜日

人形浄瑠璃文楽平成30年2月公演 第3部「女殺油地獄」

2018-02-19 @国立劇場



近松門左衛門=作
女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)
 ●徳庵堤の段
  豊竹靖太夫⇒与兵衛
  豊竹希太夫⇒お吉(きち)/小菊
  竹本小住太夫⇒七左衛門/森右衛門/大尽蠟九
  豊竹亘太夫⇒小栗八弥/弥五郎
  竹本碩太夫⇒お清/花車 
 ●河内屋内の段
口 豊竹咲寿太夫
  竹沢團吾
奥 竹本津駒太夫
  鶴澤清友
 ●豊島屋油店の段(てしまやあぶらみせのだん)
  豊竹呂太夫
  鶴澤清介
 ●同 逮夜の段
  豊竹呂勢太夫
  竹澤宗助
  
 ◎人形
  吉田和生*⇒豊島屋女房お吉
  吉田簑之⇒豊島屋姉娘お清
  桐竹勘昇⇒茶屋の亭主
  吉田玉男⇒河内屋与兵衛
  吉田簑太郎⇒小栗八弥
  吉田玉輝⇒山本森右衛門
  吉田玉志⇒豊島屋七左衛門
  吉田玉也⇒河内屋徳兵衛
  吉田勘彌⇒徳兵衛女房お沢
  吉田幸助⇒河内屋太兵衛
  吉田簑助*⇒与兵衛の妹おかち
  吉田玉誉⇒綿屋小兵衛
          ほか(*は人間国宝)

2月公演の第3部は、一番楽しみの「女殺油地獄」だ。
僕が初めてこの作品を観たのは歌舞伎版で40年近く昔の事、国立劇場だった。多分、当時の片岡孝夫、現・15代仁左衛門の与兵衛だったように微かに記憶しているが、何にも記録していないので勘違いかもしれない。とにかく、その時に受けたインパクトは大きくて「豊島屋油店の場(段)」というタイトルはとっくに忘れていたがあの油まみれで舞台を滑りながらの刃傷沙汰は忘れられない。

その後、歌舞伎でも見る機会がなかったが、ようやく文楽の形で再見が叶うことになったが、一体、人形であの殺しの場面をどう表現するのかというところが興味深い。

久しぶりに(と言っても文楽としては初見だが)この演目を観ると4つの段はそれぞれによくできている。面白い。それは、3段目に大きな山場があることが分かっているから、今の出来事、人間関係がどう絡み合って愁嘆場を迎えることになるのかという関心が人形や語りに集中させてくれるからだろう。
そして、主役の与兵衛のキャラクターがいい。番頭上がりで主人亡き後婿養子に入った継父の河内屋徳兵衛が元の主人の実子である与兵衛には厳しく処すことができず、いわば甘やかし放題の結果、放蕩息子になってしまっているのだが、近松のほかの世話物(例:心中物)などでも登場する男たちはだらしのない情けない男ばかりだが、彼らにはどこか憎めないところがある。しかし、この「女殺油地獄」の河内屋与兵衛はもう徹底的な悪党で寸毫も同情の余地はない。さりとて大きなことができるほどの器量もないただの出来損ないの小悪党だ。継父や実母や豊島屋の女房お吉などの思いやりはまるで素通りして親も打擲するわ、最後に借金返済のために人殺しをして平然としている。
このようなキャラクター設定が、他の近松作品や文楽作品にも登場するのかどうか浅学のため知らないが、おそらくユニークな人物だろう。そう言えば、歌舞伎「霊験亀山鉾」(鶴屋南北作)の藤田水右衛門が近いか。でもこちらは侍だ。与兵衛は本来なら義理や人情で思いやりを交わしながら暮らしを営む市井の人物なのだからやはり、とんだ精神的畸形といえる。

この性悪が悪さの限りを尽くすことで、観ている観客も一切何らの同情心も湧かず、突き放してみることができるところがある意味痛快でもある。

さて、件(くだん)の「豊島屋油店の段」での殺人だが、豊島屋の亭主の留守に女房お吉に金の無心。断られて持参していた脇差しをお吉に突き立て、斬り掛かり、断末魔のお吉が苦し紛れに店の油を与兵衛に投げつける。床は油とお吉の血だらけとなる…が、もちろん文楽の舞台は想像するだけだが。その床で与兵衛もツツーっと滑り、逃げるお吉もツツーっと滑り、なかなか身体が互いに思うに任せず。やがては動かなくなったお吉を「『南無阿弥陀仏』と引き寄せて右手(めて)より左手(ゆんで)の太腹へ、刺いては刳り抜いては切…息絶えたり」。
戸棚から金を盗んでその逃走中、脇差しを栴檀木橋から川へ捨てた…と太夫の語り。

まったくの余談だけど、かつての大阪勤務時代にこの粋な名前の橋は何度も渡った。北浜から中之島の図書館へ行くには土佐堀川に架かるこの橋を渡らなくてはならない。江戸時代初期に架けられた当時は橋の袂に栴檀の大木があったことから名づけられたそうだ。当然その頃は木橋だ。景勝地区にあって、橋もきれいだった。今ではもっと整備されて中之島公園と一体になっているのだろう。

今から400年ほど前の5月端午の節句の夜、河内屋与兵衛は血糊がべっとり付いた脇差しをこの橋から土佐堀川に捨てたのだ…と思うと、ロマンチックでなくなるな。
なお、実際にこのような事件があったらしい…とされている。

観応え、聴き応え十分な作品であった。

♪2018-022/♪国立劇場-04

2017年12月13日水曜日

12月文楽鑑賞教室「日高川入相花王」ほか

2017-12-13 @国立劇場


●日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)
     渡し場の段


豊竹芳穂太夫
豊竹靖太夫
豊竹咲寿太夫
豊竹亘太夫
竹本碩太夫

鶴澤清丈
鶴澤友之助
鶴澤清公
野澤錦吾
鶴澤清允

<人形>
吉田簑紫郎
吉田文哉

●解説 文楽の魅力

豊竹希太夫
鶴澤寛太郎
吉田玉誉

●傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)
     新口村の段

口 竹本小住太夫
  鶴澤清公
前 豊竹呂勢太夫
  鶴澤燕三

後 竹本千歳太夫
  豊澤富助

<人形>
吉田勘一
桐竹勘次郎
吉田勘彌
豊松清十郎
吉田玉男 ほか


文楽の「鑑賞教室」は初めてだった。
文楽鑑賞歴は短いものの熱心に足を運び、家でもビデオ鑑賞したりしてだいぶ勉強が行き届いてきたので、学生向けの解説は既に承知のことばかり…と思いきや色々と学ぶところは多かった。

文楽は、三味線・義太夫・人形遣いの3つの分野で成り立っているが、それぞれの分野から解説者が立った。歌舞伎の鑑賞教室だと歌舞伎役者の若手が説明に立つが、彼らは大舞台で喋るのが商売だからうまくて当たり前。それに比べると文楽の場合は太夫は声を使う仕事とは言え、喋るというより語るのだからだいぶ違う。ましてや三味線も人形遣いも一言も発さないのが本来であるから、舞台に立って解説をするというのは慣れない仕事だろう。それにしてはいずれもなかなか上手な説明だった。

配ってくれた解説のパンフレットも簡潔にまとめてあってこれからも重宝しそうだ。


「日高川入相花王〜渡し場の段」は安珍・清姫の物語だ。清姫が愛しい安珍とその婚約者を追って日高川の渡し場まで来るが、船頭は先に渡した安珍からお金をもらって清姫が来ても船に乗せないでくれと言われているので必死に頼む清姫の願いを拒絶する。

嫉妬に狂った清姫はついに大蛇になり日高川を泳いで安珍の後を追う…という場面だが、ここで、有名な「角出しのガブ」という頭が使われる。知識として走っていたが、ホンモノを見たのは初めてだ。きれいな娘の顔が一瞬にして口が裂け、目が充血して角膜が黄金色に変わり、頭からは角が出る。よくできているが、コワイ。


「傾城恋飛脚」は近松の「冥途の飛脚」を後年菅専助、若竹笛躬が改作したもので、2月に観た「冥途の飛脚」の最終段は「道行き相合かご」で、かごを帰した梅川と忠兵衛がこれから忠兵衛の故郷<新口村>の親に逢いにゆこうとするところで終わるが、「傾城恋飛脚」では、この段を「新口村の段」に改作して、雨の場を雪に変え、忠兵衛は父親に会えるのだが追手が近づいてきたということで終わる。この趣向がとても良いというので、「冥途の飛脚」の公演でも「新口村の段」を取り入れているものもあると聞くが観たことはない。

鑑賞教室ということで、2本とも1段(場)のみだったが、気軽な文楽鑑賞を楽しむことができた。

♪2017-201/♪国立劇場-20