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2019年7月13日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第350回

2019-07-13 @みなとみらいホール


鈴木優人:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
合唱:バッハ・コレギウム・ジャパン

澤江衣里:ソプラノ(天使ガブリエル&イヴ)
櫻田亮:テナー(天使ウリエル)
ドミニク・ヴェルナー:バリトン(天使ラファエル&アダム)

ハイドン:オラトリオ「天地創造」Hob.XXI-2

みなとみらい定期350回記念ということで、大作ハイドンのオラトリオ「天地創造」。指揮はバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)を率いる鈴木優人。3人の独唱に混声合唱が加わる。演奏時間約100分という長尺*で、なかなか聴く機会がない。記録を調べたら2017年の都響9月定期演奏会以来だ。

というわけで、気合の入ったプログラムだった。同じハイドンのオラトリオでも「四季」に比べると単調で面白さに欠けるとはいえ、親しみやすい音楽ばかりで、また、旧約聖書「創世記」でお馴染みの筋書きでもあり、テキストをにらめっこしながらあれこれ考える必要もないので、心地よく音楽に浸っていられる。

演奏も良い出来だったと思う。神奈川フィルは小ぶり編成で音楽の見通しが良かった。弦の弱音もかなり気を使いながら丁寧に弾いていた。
独唱陣はBCJの常連(所属?)で、指揮・合唱団共々和気藹々慣れたものだった。

優れた歌唱を聴いていると、よく訓練された人間の身体こそ最強の楽器だなと思う。特に表現力という面では如何なる楽器も人間の歌唱力には敵わないだろう。

ところで、モダン楽器ばかりで中途半端な古楽アプローチだったがこれはこれで今風の楽しみ方だ。むしろ、いっそ力負けするチェンバロをやめてピアノを使うというのは幾ら何でも大胆すぎるかな。というのもチェンバロは(指揮の鈴木優人が演奏も兼ねた。)重要な役割を果たすが、2千人ホールでは遠くまで音が届いていないだろう。特にオケが重なると比較的前の方の僕の席でも埋没していたもの。

♪2019-099/♪みなとみらいホール-31

*プログラムには演奏時間100分と書いてあり、実際にもそれくらいだった。
しかし、僕の手持ちのCDは2枚組で計142分だ。幾ら何でも42分もの差があるのはおかしい。
今日の神奈川フィルはベーレンライター新版というのを使ったと書いてある。
17年の都響のプログラムを読み返すと110分でオックスフォード版を使っている。
その前というと16年にシンフォニア・ヴァルソヴィアとローザンヌ声楽アンサンブルで聴いたが、この時のプログラムが残っていない(ホンにどこへやったのだろう。捨てるはずがないのに。)ので、版も演奏時間も分からない。

ともかく、100分から142分までの違いは主として使った版の違いによるのだと思う。同じ楽譜を使ってこんな大きな差が生まれることはないだろう。

2019年4月19日金曜日

バッハ・コレギウム・ジャパン第132回定期演奏会

2019-04-19@東京オペラシティコンサートホール


鈴木雅明:指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)
ソプラノ:キャロリン・サンプソン
ソプラノ:松井亜希
アルト:ダミアン・ギヨン
アルト:クリント・ファン・デア・リンデ
エヴァンゲリスト(福音史家)/テノール:櫻田亮
テノール:ザッカリー・ワイルダー
イエス/バス:クリスティアン・イムラー
バス:加耒徹

J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV244

2015年春以来のBCJの「マタイ」だった。
その間に聴いた聖トーマス教会合唱団+ゲヴァントハウス管弦楽団による至高の「マタイ」が一種の物差しになっているのは不幸な事かもしれない。

とはいえ、前回のBCJと比べてとても好感した。
テンポは早めでアッサリと小気味良い。
全曲中一番有名な「神よ憐れみたまえ」も泣かせたりしない。福音史家役が大活躍をするが、この肝心のテノールに人を得た。素晴らしくよく通る美声だった。

不満といえば、どうしてアルトにカウンターテナーを使うのか。やはり、女声で聴きたい。
「マタイ」に限らずこれまでにカウンターテナーで満足したことがないのは僕の経験不足だろうが、そもそも不自然ではないか。
児童合唱でなく女声合唱を使うのならソロも女声で良かろう。

また、席がイマイチだった。センターを取ったが、BCJを聴くには席が遠かった。
前方1/3で聴くべきだった。
チケットが取れず後方1/3で聴いた。

オケを聴く席として悪くはないが、この編成(管弦楽30人足らず。声楽25人くらい?)には遠かった。
前方1/3なら良い「音楽体験」ができたろうが、後方1/3では澄まして「音楽鑑賞」だった。やはり没入度が違う。

それにしても武満ホールはとても自然な響だ。縦長シューボックスが良い効果を齎しているようだ。

♪2019-050/♪東京オペラシティコンサートホール-02

2017年11月25日土曜日

モンテヴェルディ生誕450年記念特別公演 歌劇「ポッペアの戴冠」

2017-11-25 @県立音楽堂


鈴木優人:指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン

森麻季⇒ポッペア 

レイチェル・ニコルズ⇒ネローネ 
クリント・ファン・デア・リンデ⇒オットーネ
波多野睦美⇒オッターヴィア
森谷真理⇒フォルトゥナ/ドゥルジッラ
澤江衣里⇒ヴィルトゥ
小林沙羅⇒アモーレ
藤木大地⇒アルナルタ/乳母
櫻田亮⇒ルカーノ
ディングル・ヤンデル⇒セネカ
加耒徹⇒メルクーリオ
松井亜希⇒ダミジェッラ
清水梢⇒パッラーデ
谷口洋介⇒兵士Ⅱ

モンテヴェルディ:歌劇「ポッペアの戴冠」全3幕
(演奏会形式・日本語字幕付)

モンテヴェルディ開眼は40年以上昔だ。FMの音楽番組で聴いた「聖母マリアの夕べの祈り」にいささか衝撃を受けてさっそくLPを買って繰り返し聴いた。当初はラテン語のテキストも読みながら聴いていたので、まあ、大筋は覚えていたけど、今ではCDケースに収まった小さな解説を読む気にもなれないからそんな熱心な聴き方はせず、もっぱらBGMのようにして聴いているが、これがなんとも幸せな感じになるのだから嬉しい。

他の作品のCD(マドリガーレ集など)も僅かに持っていてこれも時々ヒーリング音楽として聴く。聖から俗まで守備範囲の広い作曲だとは知っていたが、どうしても「聖母マリアの夕べの祈り」のイメージが強くて、敬虔な信仰者との印象が出来上がっている。

ところが、今年はモンテヴェルディ生誕450年ということで、同じ音楽堂で、6月にコンチェルト・イタリアーノによる「聖母マリアの夕べの祈り」があり、同じ企画の一環で、歌劇「ポッペアの戴冠」も演奏されることになった。これは観ない訳にはゆかぬ。

さて、一体どんな物語なのか。
NET情報では17世に半ばに初演されたオペラとは思えない相当大胆な筋書きのようである。
そこで、ノルウェー国立歌劇場によるBDを見つけて購入し、観たが、これは大いにびっくりだ。放尿、性交、殺人、命じられた自殺、不倫など、もうハチャメチャな内容だ。舞台で一体何人が死んでいったろう?
音楽堂での演奏では、演奏会形式とはいえこれを一体どう演ずるのか、と心配になったものだ。

しかし、物語の筋書きは変わらないとは言え、演出が異なるとこうも別世界の物語になるのか、と驚くほど下品さ、醜悪さは取り除かれて、許容範囲の物語になっていたが、一方で毒を抜いた事による刺激不足の感は否めない。元々ノルウェー国立歌劇場版は世界のオペラ界で良いものと評価されているのだろうか?これは特殊な異端演出なのか、それとも原作に忠実なのだろうか?それが分からないので、比較において今回の舞台の良し悪しはなんとも言えない。

音楽は、聴き慣れたマドリガーレの世界だ。
しばし、ピリオド楽器によるルネサンス〜バロック初期の調べを楽しんだ。

♪2017-188/♪神奈川県立音楽堂-06

2015年5月2日土曜日

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2015 No.144 受難曲の傑作~バッハ究極の「マタイ」


2015-05-02 @東京国際フォーラムC


鈴木優人:指揮
ドロテー・ミールズ:ソプラノ
澤江衣里:ソプラノⅡ
青木洋也:アルト(カウンターテナー)
藤木大地 :アルトⅡ/証人Ⅰ(カウンターテナー)
ハンス・イェルク・マンメル:テノール
谷口洋介:(テノールⅡ/証人Ⅱ)
ドミニク・ヴェルナー:バス
藤井大輔:バスⅡ

バッハ・コレギウム・ジャパン

J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV244


こういう大曲は数年に一度しか聴く機会がない。普通、オーケストラ定期では取り上げないから。

「熱狂の日」3日間を通じて、J.S.バッハの受難曲2曲の他に、カンタータ、コラール、ミサ曲、マニフィカトなどを聴いたが、2日めのアンサンブル金沢だけはピリオド楽器(いわゆる古楽器)は使っていなかったように思うけど、バッハ・コレギウム・ジャパンはもとより、ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルもリチェルカール・コンソートもピリオド楽器を含んだ編成だった。

遠目にもはっきりと区別が付く楽器もあるし、木管のように音で判断できるものもあるが、バイオリンやビオラなどはモダンなのかピリオドなのか分からなかった。
また、演奏団体によっては明らかに両者が混ざっていたり、曲によって使い分けをしていたり、と様々だった。
こういうピリオ楽器(を含む)演奏スタイルにどんなルールがあるのかさっぱり分からない。おそらく、こうでなくてはいけないというかっちりした決まりはないのだろう。

バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)といえば、古楽(の定義も難しいけど、大雑把には一部バロックを含むルネサンス、中世の音楽。)、就中バッハ作品を中心に取り上げる演奏団体としては我が国ではトップクラスだと聞いている。

これまで、TV放送などでは何度か聴く機会があり、ちょうどこの演奏会の数日前にNHKBSのクラシック倶楽部がBCJの第100回定期演奏会の様子を放映し、録画で視聴したばかりだった。

ナマで聴くのが初めてかどうかは古い記録が無いので分からないけど、聴いていたとしても思い出せないくらい昔のことだろう。
いずれにせよ、バッハをその名に冠する一流の演奏団体による「マタイ受難曲」を聴けるのは大いに楽しみだった。

が、しかし数日前のテレビで見たBCJとは様子が違う。指揮者が鈴木雅明でないことは事前に承知していたが、チェロも楽しみにしていた鈴木秀美ではない。コンマスも違ったかも。
それで(あれ、二軍編成か?と)少々残念な思いがよぎった。
もっとも、誰が出ようとこのクラスの団体となればきちんと最高水準を維持できるのだと思うが。


歌詞の字幕サービスが無かった。これは迂闊だった。
普通コンサートホールでは電光板かプロジェクタ投影で歌詞の字幕が写されるのだけど。

早く会場に入ったために気が付かなかったが、入口付近で歌詞のプリントを販売していたらしく、周囲の人の多くがそのページをめくりながら聴いていた。
まあ、受難曲はまさに福音書による「キリストの受難」を歌っているので(A・L・ウェバーの「ジーザス・クライスト・スーパースター」も同様)、筋はほとんど頭に入っているから、訳詞がなくともおよその見当はつくが、登場人物のやりとりを逐一記憶している訳ではないので、万全に楽しむことはできなかった。
せめてCDのブックレットを持参すれば良かった。


もう一つはカウンターテナーの必要性に大いに疑問を感じた。と言ってみても始まらないのだけど。世界のクラシック界(特に教会音楽の世界)では古くから、女声のアルトではなく、男声のファルセットによるアルトが使われることになっているらしい。
元々、教会が女性が舞台に上がること、歌うことを禁じたためにその代用として特に訓練をした男性がファルセットで歌うスタイルが出来上がった。

今では、女性でも立派な体格で声量のある歌手がいるのだから何も男性が裏声出して歌うことはなかろうと思ってしまう。やはり、高音部は無理があるように思う。

因みに僕が愛聴しているショルティ指揮のCDは管弦楽も現代楽器(シカゴ交響楽団)でアルトも女性が担当している。
超有名なアルトのアリア「憐れみたまえ、我が神よ」は古楽演奏の常道に反するかも知れないが本物のアルトで聴きたかった。

以前、オペラシティコンサートホールで「マタイ」を聴いた時も、当然管弦楽はモダン楽器を使う東京交響楽団で、声楽ソリストも混成だったように記憶している。
まあ、慣れの問題なのだけど、こういうスタイルでマタイを聴き慣れているので、やっぱり、現代スタイルがいい。
…と言う思いは、この翌日更に強くすることになったが。

なんやかんやで、欲求不満のうちに終わって、大いなるカタルシスは得られなくて残念。

♪2015-38/♪東京国際フォーラム-02