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2025年6月29日日曜日

読響 第278回 日曜マチネシリーズ

2025-06-29 @東京オペラシティコンサートホール



セバスティアン・ヴァイグレ:指揮
読売日本交響楽団
児玉隼人:トランペット*

ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」序曲
ヴァインベルク:トランペット協奏曲変ロ長調 作品94*
サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調 作品78「オルガン付き」
-----------------
シャルリエ:36の超絶技巧練習曲から第1番*





「序曲」の冒頭のVc5人の独奏がモヤモヤとはっきりせず、こりゃダメだ!と思った。
最初に躓くと、立て直しが容易ではない。中盤以降面白くはなったが、とても読響とは思えない。

2曲目。ちょうど1W前のM.ブルネロがプログラムの半分をヴァインベルクの作品に充てていたが、最近、ちょいちょいこの作曲家を聴く機会がある。
その初聴きのTp協が結構面白くて気分を取り直した。
作品の面白さと以上に、独奏した16歳の児玉隼人の妙技に唸らされた。
楽器と身体は一体になって、道具を操るというより、彼が歌ったままが楽器から出ているという感じで、これにはびっくり。

後半、サン=サーンスのガン付き。ま、どのオケが誰の指揮でやってもまずは楽しめる作品だけど、ここへきて読響は弦の透明感とブラスの凄まじさが相まって、上出来だった。

ただし、今日は、振替の右翼席で、目線の先はVaの最後列とCb群だ。旋律を弾くVn1は遥か下手で、時々リズムの刻みがずれているように聴こえた。

それで読響の力演にもかかわらず三半規管が故障しているような気分にさえなった。

♪2025-086/♪東京オペラシティコンサートホール-09

2024年1月16日火曜日

読響第634回定期演奏会

2024-01-16 @サントリーホール



セバスティアン・ヴァイグレ:指揮
読売日本交響楽団

ダニエル・ロザコヴィッチ:バイオリン




ワーグナー:歌劇「リエンツィ」序曲
ベートーベン:バイオリン協奏曲ニ長調 作品61
R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30
-------------------
J.S.バッハ:無伴奏バイオリン・ソナタ第1番第1楽章


振替席なので左翼から鑑賞。ビオラが遠い。
読響が特に精彩を欠いたという訳でもないが、斜めから聴くと音楽に没入できない…という病。

ロザコヴィッチ君もどこが良いのか分からなかった。
3日前に聴いた金川真弓の方が断然魅力あり。

♪2024-008/♪サントリーホール-01

2023年8月1日火曜日

フェスタサマーミューザKAWASAKI2023 読売日本交響楽団 サマーミューザ初登場!オペラの名匠ヴァイグレ×指環

2023-08-01 @ミューザ川崎シンフォニーホール



セバスティアン・ヴァイグレ:指揮
読売日本交響楽団

ベートーべン:交響曲第8番ヘ長調 Op.93
ワーグナー/フリーヘル編:楽劇「ニーベルングの指環」 
 -オーケストラル・アドベンチャー-




FSMuzaは今年は10本聴くが、中で1番の楽しみが今日の読響…というより、指環オケ版だ。

しかも、ヴァイグレも1年ぶりだが、コンマスがVn界の百済観音、日下紗矢子姫❤️だというのが誠に嬉しい。
スリムな長身で、コンマスならではのメリハリのあるボウイングが美しい。

さて、指環。
いろんな編曲ものがあり、生でもCDでもいろいろ聴いているが、中でも今日のフリーヘルによるものが一番成功している気がするし、好きだ。また、多くのオケが取り上げるのもこの版が多く、N響9月のCプロもこの版だ(楽しみ!)。

この編曲では、全4部の物語の順番に沿って音楽を選択している。
声楽部分は当然カットされているが、それを器楽で補うことをせず、ワーグナーが書いた管弦楽の美味しい部分をその楽譜のまま用いている。
フリーヘルが手を加えたのは、楽曲の接合部分だけで、これが実に自然で全く違和感がない。
全曲60分強にわたって一度も休止することなく、ワーグナーの描いた絵巻がオペラ本編をイメージしながら味わえるところがたまらない魅力だ。

で、どうだったか。
多分全曲中一番難しいのが第1曲だと思うが、最弱音から同一(分散)和音を執拗に繰り返す(5分超!)、もやもやの霧の中で世界が目覚めてゆくように管楽器が加わって増えてゆくが、ここがやや不本意な出来だった。
しかし、その後は、段々よく鳴る法華の太鼓で、一気に指環の世界を展開させた。

終曲のタクトはなかなか降りない。まあ、これだけの大曲だ、簡単には気持ちの整理がつかないのだろう。
感心したのは客席で、同じように呼吸を整えて、タクトが降りるのをずっと待った。野暮な飛び出しはなし。完全にヴァイグレのタクトが降りきって、初めて、どっとブラボーの嵐。

いつも愛想のないヴァイグレも繰り返しCCに応じ、だいぶご機嫌だったようだ。そういえば、FSMuzaは初めての登場だったな。相当良い印象を残したろう。また来年も来ておくれ。コンマスは日下紗矢子❤️で!

♪2023-136/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-16

2022年6月9日木曜日

読響第5回川崎マチネーシリーズ

2022-06-09 @ミューザ川崎シンフォニーホール



セバスティアン・ヴァイグレ:指揮
読売日本交響楽団
宮田大:チェロ*

●チャイコフスキー:バレエ組曲「くるみ割り人形」Op71-a
第1曲 小序曲
第2曲 行進曲
第3曲 こんぺべい糠の踊り
第4曲 トレパック
第5曲 アラビアの踊り
第6曲 中国の踊り
第7曲 あし笛の踊り
第8曲 花のワルツ

●チャイコフスキー:ロココ風の主題による変奏曲 作品33<フィッェンハーゲン版>*

●ムソルグスキー(ラヴェル編曲):組曲「展覧会の絵」
プロムナード
Ⅰ グノームス(こびと)-プロムナード
Ⅱ 古城-プロムナード
Ⅲ テュイルリー(遊びの後の子供たちの喧嘩)
Ⅳ ビドロ(牛車)-プロムナード
Ⅴ 殻をつけた雛鳥のバレエ
Ⅵ サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ(全持ちのユダヤ人と貧しいユダヤ人)
Ⅶ リモージュ(市場)
Ⅷ カタコンブ(古代ローマの地下墓地)-死せる言葉による死者への呼びかけ
Ⅸ 鶏の足の上の小屋(バーパ・ヤガー=民話上の妖婆)
Ⅹ キエフ(キーウ)の大門
----アンコール-------------
マーク・サマー:ジュリーオー*



今日の読響はロシア音楽尽くし。しかもチャイコが2曲とムソルグスキーの3本立て。
やはりクラシック音楽界でロシア音楽は一大勢力だ。

昨日の東フィルの最後がチャイコの「白鳥の湖」だったが、1曲目がまるで東フィルの後を継ぐかのようにチャイコの「くるみ割り人形」。
こちらは聴き慣れたフツーの版。こうでなくちゃ。

次の「ロココ〜」もフツーの版(正確には「フィッェンハーゲン版」でこれが”フツー”で、昨年末にN響+佐藤晴真が原典版を弾いたのがむしろ稀な事だらしい。)。
聴いているだけでは違いは分からないが。

相変わらず、宮田大のチェロの音色の豊かなこと。

メインが「展覧会の絵」。これがすこぶる上出来。

↑に紹介した年末のデスピノーサ+N響が「ロココ〜」と2本立てで演奏したのが「展覧会の絵」で、僕にとってはこれが同曲のここ数年の大傑作だったが、今日の読響はそれに十分肉薄していた。

16型の大編成の弦の厚みのあるサウンドとブラスの咆哮は、ミューザという良く鳴る場を得てまろやかに広がった。

昨日の東フィルも実力のあるオケだが、サントリーでは金管の音が硬く、それが昨日の終盤のザワザワ感を生んだと思うが、今日のミューザでは柔らかく暖かく豊かに響いて、これこそ「管・弦・楽」の愉しみだ。

余談:Mask着用率15%と極めて少数だったのも気分良し!

♪2022-082/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-20

2021年6月14日月曜日

読響第2回川崎マチネーシリーズ

 2021-06-14 @ミューザ川崎シンフォニーホール


セバスティアン・ヴァイグレ:指揮
読売日本交響楽団

アラベラ・美歩・シュタインバッハー:バイオリン*

ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲
メンデルスゾーン:バイオリン協奏曲ホ短調 作品64*
ブラームス:交響曲第1番ハ短調 作品68
----アンコール-------------
J.S.バッハ:無伴奏バイオリン・ソナタ第3番第3楽章*



僕にとっては「第九」以来の常任指揮者セバスティアン・ヴァイグレの登場。特に彼を待っていた訳でもないけどやはり座るべき人がその場所に座ることで周囲も落ち着いて力が出せるのではないか。


冒頭の「運命の力」からして力強く美しいアンサンブルだった。


アラベラ・美歩・シュタインバッハーのメンデルスゾーン:バイオリン協奏曲は、2015年NDR響との来日時の放映録画を事前に見ていたので、ドレスを含め既視感に囚われたが、電気増幅より格段に素晴らしいという当たり前のことを実感。

アンコールがJ.S.バッハの無伴奏”組曲”ではなく”ソナタ”からというのは珍しい。これも良かった。


休憩を挟んで、弦の編成を14型に戻してのブラームス交響曲第1番。


「運命の力」でも感じたが、読響吹奏楽団の強力な事。

そして弦楽部も負けていない。


冒頭のティンパニー+低域のリズムに乗って、ぬたうつような管・弦のうねりが渋いロマンの世界にぐいぐい惹き込んでくれる。


最近、ブラームス観が変化しつつある僕としては、とても新鮮に聴くことができた。


オケ演奏としても上出来!


さて、今日の読響は、前回同様、弦奏者も譜面台は隣奏者との距離をとって各人1本の配置だだったが、驚いたのは、演奏中は誰ひとりとしてマスクを付けていなかった事だ。


プロとしては感染対策・健康管理に万全を期して、演奏中は集中できるよう、マスクなんぞして欲しくない。


コロナ禍において、全員 No Mask は初めての快挙かもしれない。


♪2021-054/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-11

2020年12月26日土曜日

読売日本交響楽団第124回みなとみらいホリデー名曲シリーズ 「第九」❼

 2020-12-26@みなとみらいホール


セバスティアン・ヴァイグレ:指揮

読売日本交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団

ソプラノ:森谷真理
メゾ・ソプラノ:ターニャ=アリアーネ.バウムガルトナー
テノール:AJ.グルッカート
バリトン:大沼徹

ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」op.125


今年7回目の「第九」。
映画は最初の10分間が勝負だというが、音楽の場合は最初の2小節だと思う。ここで惹き込まれないとその後なかなかシンパシーを感じられない。

弦の編成は10型(Vn1⇒10、Vn2⇒8、Va⇒6、Vc⇒5、Cb⇒4)だが、迫力不足は編成が小さいせいではない。

管楽器にも力がない。

時に読響吹奏楽団かと思わせるようなブラスの咆哮はどこに?

全体としてパンチがない。
えらく穏やかな音楽になっている。

終楽章低弦のレシタティーヴォもVcはヤニを飛ばしてくれ!

3/2に拍子が変わり低弦とバストロンボーンのユニゾンに合唱が重なるところこそバストロの聴かせどころなのに品が良すぎる。
ホルンはとても良かったけど。

ま、ともかく、全体に弱々しい。

読響にとって今日は今月5回目の「第九」でその間に大阪公演も。
これじゃお疲れだろう。

帰りにスタッフに「みんな疲れてたね」と声を掛けたら「明日も所沢です」と。

毎年、N響と並んで期待の読響だが、今年は残念だった。

評点75点

♪2020-099/♪みなとみらいホール-31

備考:
弦の編成:10-8-6-5-4
合唱:女声24/男声16
演奏時間正味:68分14秒
3-4楽章は半呼吸

2019年9月14日土曜日

読売日本交響楽団第114回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2019-09-14 @みなとみらいホール


セバスティアン・ヴァイグレ:指揮
読売日本交響楽団

小林壱成:バイオリン*

モーツァルト:歌劇「魔笛」序曲
チャイコフスキー:バイオリン協奏曲*
メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」

東フィル定期の来季の席替え手続きの為に80分も電話をかけ続けたせいか、精神的のみならず生理的にも本当に気分が悪くなり、いったんソファに横になったらなかなか起き上がれない。
仕方なく前半はパスした。

休憩後の後半に間に合うように出掛けて、大好きなメンデルスゾーン交響曲「イタリア」を聴くも核心に入れず、この曲の思い出などが連想ゲームのようにあれこれ思い出されて音楽に集中できない。

残念なコンサートになってしまった。

♪2019-137/♪みなとみらいホール-39

2019年5月26日日曜日

読売日本交響楽団第111回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2019-05-26 @みなとみらいホール


セバスティアン・ヴァイグレ:指揮
読売日本交響楽団

ユリア・ハーゲン:チェロ*

ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲
シューマン:チェロ協奏曲イ短調 作品129*
ベートーベン:交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」
----------------
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番からサラバンド*

シューマン:チェロ協奏曲は音色は見事に美しいが、まるで野性味無し。教則本付属CDを聴いているようで(聴いたことはないが)味気無し。ハーゲン・カルテットとして、また単独でも活躍しているクレメンス・ハーゲンの娘さんだそうだ。クレメンスの方はいずれも音楽堂で2度聴いた。精緻で、かつ、野性味もある。
ユリアはまだまだパパから学ぶべきものが多いようだ。

ベートーベン「英雄」はヴァイグレが弄りすぎた。
テンポ・強弱・表情変化が大袈裟だ。12型のコンパクトな編成は何の為?こんな演奏なら16型倍管でやればいい!

同じ場所での昨日の日フィルが余りに上出来故に比較すると残念な出来という事になるが、オケのせいでは無い。むしろ弦楽アンサンブルは昨日の日フィル以上に厚く美しかった。

ヴァイグレは今季から常任指揮者に就任した。指揮者は余り急激に独自色を求めてはいけないね。時間をかけてオケを自分色に染めてください。受け入れられたら…だけど。

今日のコンマスは日下紗矢子と告知されていたので楽しみにしていたのに小森谷君に急遽変更。我が百済観音も次席に入っていたのに何故?

ヴァイグレのこねくり回したベートーベンなんて弾いてられないわ!というのが理由では…とこれは邪推だけど。

♪2019-070/♪みなとみらいホール-20

2017年7月30日日曜日

東京二期会 グラインドボーン音楽祭との提携公演 オペラ「ばらの騎士」

2017-07-30 @東京文化会館


セバスティアン・ヴァイグレ:指揮
リチャード・ジョーンズ:演出
ポール・スタインバーグ:装置
サラ・フェイ:演出補・振付
ニッキー・ギリブランド:衣裳
ミミ・ジョーダン・シェリン:照明

読売日本交響楽団


元帥夫人⇒森谷真理
オックス男爵⇒大塚博章
オクタヴィアン⇒澤村翔子
ファーニナル⇒清水勇磨
ゾフィー⇒山口清子
マリアンネ⇒岩下晶子
ヴァルツァッキ⇒升島唯博
アンニーナ⇒増田弥生
警部⇒清水那由太
元帥夫人家執事⇒土師雅人
ファーニナル家執事⇒新津耕平
公証人⇒松井永太郎
料理屋の主人⇒加茂下稔
テノール歌手⇒前川健生
3人の孤児⇒田崎美香/舟橋千尋/金澤桃子
帽子屋⇒斉藤園子
動物売り⇒加藤太朗

R.シュトラウス:オペラ「ばらの騎士」全3幕ドイツ語公演日本語字幕付き


「ばらの騎士」。予てから観たいと思って既に12月の新国立のチケットはとってある。それで、二期会には失礼だが、新国立での鑑賞の予行演習みたいな気分で出かけた。
「ばらの騎士」も初めてなら文化会館で(演奏会形式ではない本物の)オペラを観るのも初めてだった。

今日の興行は、グラインドボーン音楽祭(彼の地での劇場はキャパが1,300人らしい。)との提携公演だそうだ。
つまり、彼の地での公演と同じ演出、同じ舞台美術で、歌手やオケがメイド・イン・ジャパンという訳だ。その為に、客席数で言えば2倍近い文化会館の舞台にグラインドボーンで使った舞台セットをそのまま持ってきたのでは小さくなってしまう。現に、額縁の中に額縁を重ねることになり、せっかくの文化会館の大きな舞台空間を十分活かせず隔靴掻痒の感無きにしも非ず。

が、それも、まあ、違和感を感じたのは冒頭と第3幕で、その他は問題なく、に第2幕は奥行きをたっぷり使って狭さを微塵も感じさせなかった。

オペラは演出次第でずいぶん様子が異なる。
「ばらの騎士」のナマは初めてだったが、放送録画を数種類持っていてビデオによる鑑賞は何度も、何種類も経験済みだが、今日の演出には驚く部分があった。

何といっても、第1幕冒頭のシーンだ。舞台は元帥夫人の部屋で、昨夜から若いツバメであるオクタヴィアンと過ごした朝、舞台奥に作られたのは、特大水盤で水浴びする裸体の女性。古典派画家アングルの「泉」を思わせる。天井からは本当に水が流れている。あまり照明が当たっていないし、しばらくその裸体は動かなかったのでてっきり水浴びする銅像かと思ったが、やがて、その全裸が動き出した。もう本当に素っ裸なのだ。ここでは当然、手持ちのモノキュラーが活躍する。驚いた。乳首まではっきり見える。が、同時に、肌色の着包みであることも見えてしまったが。
それにしても大胆な演出で、惹き付けられた。

良い演出ばかりではなく疑問点もいっぱい。
第1幕の終盤、元帥夫人が時の流れには勝てないとしみじみ嘆く、第1幕最大の聴きどころ。ここでは普通、恋人の若い燕オクタヴィアンをキスもせずに帰してしまった元帥夫人が部屋に一人残って独白するはずなのに、部屋の隅には老人が一人椅子に座っていた。彼が一体何者なのか?こんな演出はかつて観たことがないので気になってしまった。件の老人は第3幕にも登場するが一言のセリフ(歌)もないので、なおさら、何者か分からない。分かった観客がいたろうか。

釈然としなかったので、終演後、二期会関係者を捕まえて質してみたら、その老人は元帥夫人の書記だという。18世紀ウィーンの貴族の屋敷には、夫人の独り言さえ記録する書記が居たのだろうか?そもそも、婚約者に「ばらの騎士」が銀のバラを贈る、という風習も作者が捏造したものなので、この書記の存在もあてにはならない。
ま、真偽はともかく、物語の進行において、まったく意味をなさない演出だ。

ほかにも、第2幕の上手と下手に置かれた椅子が他の調度と時代が全く異なるとか、第3幕では唐突に衣裳以外が現代になるのも不自然、というか、その理由が理解できない。第3幕の居酒屋が舞台を広く使わず、三角形の部屋(ドアも3か所、天井も三角形)で窮屈そうなのは、元帥夫人、オクタヴィアン、ゾフィーの三角関係を示唆しているのだろうが、せっかくの三重唱をスケールを小さくした印象が否めない。その三重唱が始まる第3幕中盤のゾフィーの洋服が可愛げない。それにメガネを掛けていたのではそれまでの可愛らしさが消えてしまったのも残念。

と、演出・装置などでは不満も残ったが、二期会歌手陣はいずれも素晴らしい。そして、読響の演奏も力強くて良かった。

♪2017-131/♪東京文化会館-12

2015年4月12日日曜日

N響第1805回 定期公演 Aプログラム

2015-04-12 @NHKホール


セバスティアン・ヴァイグレ:指揮
ヨン・グァンチョル:バス*
NHK交響楽団

ベートーベン:交響曲 第6番 ヘ長調 作品68「田園」
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」から
 ①前奏曲、②「それはほんとうか」*、③イゾルデの愛の死
ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から
 ① 「親方たちの入場」、②ポーグナーのことば「あすは聖ヨハネ祭」*、③(第1幕への)前奏曲


N響とベートーベンの組合わせでは、時にびっくりさせられることがある。ジャナンドレア・ノセダ指揮の「運命」やロジャー・ノリントンの交響曲第7番(ほかベートーベン作品集)などは、これまでに聴いたことがない実に刺激的な演奏だった。
かと思えば、ネヴィル・マリナー指揮、セルゲイ・ハチャトゥリアンが独奏したバイオリン協奏曲は少しも刺激的ではなくて、つまりは堂々たる正統の音楽として好印象を残した。

何か特別の感慨を与えてくれそうなN響のベートーベン。
そんな期待を持って「田園」を聴いた。

でも、驚くようなことは何にもなかった。
相変わらず、弦・管の混ざり具合のきれいなこと。この透明感はやっぱり一流の音だと思う。まずはピッチに狂いがないからだろうな。その音を聴いているだけでも十分満足だが、その見事な響きを以ってたゆたう音楽「田園」を聴く幸せ。

ところで、ベートーベンはどうしてこれを5楽章形式にしたのだろう。
そこがまず変則なのに、第3楽章以降は途切れずに続けて演奏される(第3、第4楽章の終わりは音楽的にも小休止すらしていないから次に続けざるを得ない)ので、聴衆の耳には3楽章形式に聴こえる。これも大いに変則だ。
なぜこのように構成したのだろう?
…などと考えるともなく思いながらも、何の違和感もなく終曲に至った。これはこれでやっぱり必然形なのだろうと得心した。


交響曲がメインディッシュじゃないプログラムは珍しいけど、ワーグナーの楽劇からの抜粋が後半に据えられた。

ここで2つの楽劇が取り上げられ、いずれも各3曲ずつ。そのうち1曲はバスのヨン・ガンチョルという人の歌唱入りだった。
歌に馴染みはなかったけども管弦楽曲はよく聴いているものばかり。その馴染みのなかった歌も実に豊かな声量に驚きながら楽しめた。

「トリスタンとイゾルデ」の「前奏曲」と「愛の死」は通常は一体のものとして演奏されることが多いが、今回は、その中間部に「それは本当か」という歌が入ったので、別々の独立した作品として演奏された。
若い頃はこの曲のどこがいいんだと思っていた。牛の涎のように終わりの見えない無限旋律についてゆけなかったけど、今となると心地良いのは、やはり慣れによるのだろうか。

できたら、楽劇はどちらか1本に絞ってアリアの出番も増やしてくれた方が楽しめたし良い勉強になったのにと思う。


♪2015-30/♪NHKホール-03