2025年6月29日日曜日
読響 第278回 日曜マチネシリーズ
2024年1月16日火曜日
読響第634回定期演奏会
2023年8月1日火曜日
フェスタサマーミューザKAWASAKI2023 読売日本交響楽団 サマーミューザ初登場!オペラの名匠ヴァイグレ×指環
2022年6月9日木曜日
読響第5回川崎マチネーシリーズ
2021年6月14日月曜日
読響第2回川崎マチネーシリーズ
2021-06-14 @ミューザ川崎シンフォニーホール
セバスティアン・ヴァイグレ:指揮
読売日本交響楽団
アラベラ・美歩・シュタインバッハー:バイオリン*
ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲
メンデルスゾーン:バイオリン協奏曲ホ短調 作品64*
ブラームス:交響曲第1番ハ短調 作品68
----アンコール-------------
J.S.バッハ:無伴奏バイオリン・ソナタ第3番第3楽章*
冒頭の「運命の力」からして力強く美しいアンサンブルだった。
アラベラ・美歩・シュタインバッハーのメンデルスゾーン:バイオリン協奏曲は、2015年NDR響との来日時の放映録画を事前に見ていたので、ドレスを含め既視感に囚われたが、電気増幅より格段に素晴らしいという当たり前のことを実感。
アンコールがJ.S.バッハの無伴奏”組曲”ではなく”ソナタ”からというのは珍しい。これも良かった。
休憩を挟んで、弦の編成を14型に戻してのブラームス交響曲第1番。
「運命の力」でも感じたが、読響吹奏楽団の強力な事。
そして弦楽部も負けていない。
冒頭のティンパニー+低域のリズムに乗って、ぬたうつような管・弦のうねりが渋いロマンの世界にぐいぐい惹き込んでくれる。
最近、ブラームス観が変化しつつある僕としては、とても新鮮に聴くことができた。
オケ演奏としても上出来!
さて、今日の読響は、前回同様、弦奏者も譜面台は隣奏者との距離をとって各人1本の配置だだったが、驚いたのは、演奏中は誰ひとりとしてマスクを付けていなかった事だ。
プロとしては感染対策・健康管理に万全を期して、演奏中は集中できるよう、マスクなんぞして欲しくない。
コロナ禍において、全員 No Mask は初めての快挙かもしれない。
♪2021-054/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-11
2020年12月26日土曜日
読売日本交響楽団第124回みなとみらいホリデー名曲シリーズ 「第九」❼
2020-12-26@みなとみらいホール
セバスティアン・ヴァイグレ:指揮
読売日本交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団
ソプラノ:森谷真理
メゾ・ソプラノ:ターニャ=アリアーネ.バウムガルトナー
テノール:AJ.グルッカート
バリトン:大沼徹
ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」op.125
映画は最初の10分間が勝負だというが、音楽の場合は最初の2小節だと思う。ここで惹き込まれないとその後なかなかシンパシーを感じられない。
弦の編成は10型(Vn1⇒10、Vn2⇒8、Va⇒6、Vc⇒5、Cb⇒4)だが、迫力不足は編成が小さいせいではない。
管楽器にも力がない。
時に読響吹奏楽団かと思わせるようなブラスの咆哮はどこに?
全体としてパンチがない。
えらく穏やかな音楽になっている。
終楽章低弦のレシタティーヴォもVcはヤニを飛ばしてくれ!
3/2に拍子が変わり低弦とバストロンボーンのユニゾンに合唱が重なるところこそバストロの聴かせどころなのに品が良すぎる。
ホルンはとても良かったけど。
ま、ともかく、全体に弱々しい。
読響にとって今日は今月5回目の「第九」でその間に大阪公演も。
これじゃお疲れだろう。
帰りにスタッフに「みんな疲れてたね」と声を掛けたら「明日も所沢です」と。
毎年、N響と並んで期待の読響だが、今年は残念だった。
評点75点
♪2020-099/♪みなとみらいホール-31備考:
弦の編成:10-8-6-5-4
合唱:女声24/男声16
演奏時間正味:68分14秒
3-4楽章は半呼吸
2019年9月14日土曜日
読売日本交響楽団第114回みなとみらいホリデー名曲シリーズ
読売日本交響楽団
小林壱成:バイオリン*
モーツァルト:歌劇「魔笛」序曲
チャイコフスキー:バイオリン協奏曲*
メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」
東フィル定期の来季の席替え手続きの為に80分も電話をかけ続けたせいか、精神的のみならず生理的にも本当に気分が悪くなり、いったんソファに横になったらなかなか起き上がれない。
仕方なく前半はパスした。
休憩後の後半に間に合うように出掛けて、大好きなメンデルスゾーン交響曲「イタリア」を聴くも核心に入れず、この曲の思い出などが連想ゲームのようにあれこれ思い出されて音楽に集中できない。
残念なコンサートになってしまった。
♪2019-137/♪みなとみらいホール-39
2019年5月26日日曜日
読売日本交響楽団第111回みなとみらいホリデー名曲シリーズ
セバスティアン・ヴァイグレ:指揮
読売日本交響楽団
ユリア・ハーゲン:チェロ*
ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲
シューマン:チェロ協奏曲イ短調 作品129*
ベートーベン:交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」
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J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番からサラバンド*
シューマン:チェロ協奏曲は音色は見事に美しいが、まるで野性味無し。教則本付属CDを聴いているようで(聴いたことはないが)味気無し。ハーゲン・カルテットとして、また単独でも活躍しているクレメンス・ハーゲンの娘さんだそうだ。クレメンスの方はいずれも音楽堂で2度聴いた。精緻で、かつ、野性味もある。
ユリアはまだまだパパから学ぶべきものが多いようだ。
ベートーベン「英雄」はヴァイグレが弄りすぎた。
テンポ・強弱・表情変化が大袈裟だ。12型のコンパクトな編成は何の為?こんな演奏なら16型倍管でやればいい!
同じ場所での昨日の日フィルが余りに上出来故に比較すると残念な出来という事になるが、オケのせいでは無い。むしろ弦楽アンサンブルは昨日の日フィル以上に厚く美しかった。
ヴァイグレは今季から常任指揮者に就任した。指揮者は余り急激に独自色を求めてはいけないね。時間をかけてオケを自分色に染めてください。受け入れられたら…だけど。
今日のコンマスは日下紗矢子と告知されていたので楽しみにしていたのに小森谷君に急遽変更。我が百済観音も次席に入っていたのに何故?
ヴァイグレのこねくり回したベートーベンなんて弾いてられないわ!というのが理由では…とこれは邪推だけど。
♪2019-070/♪みなとみらいホール-20
2017年7月30日日曜日
東京二期会 グラインドボーン音楽祭との提携公演 オペラ「ばらの騎士」
セバスティアン・ヴァイグレ:指揮
リチャード・ジョーンズ:演出
ポール・スタインバーグ:装置
サラ・フェイ:演出補・振付
ニッキー・ギリブランド:衣裳
ミミ・ジョーダン・シェリン:照明
読売日本交響楽団
元帥夫人⇒森谷真理
オックス男爵⇒大塚博章
オクタヴィアン⇒澤村翔子
ファーニナル⇒清水勇磨
ゾフィー⇒山口清子
マリアンネ⇒岩下晶子
ヴァルツァッキ⇒升島唯博
アンニーナ⇒増田弥生
警部⇒清水那由太
元帥夫人家執事⇒土師雅人
ファーニナル家執事⇒新津耕平
公証人⇒松井永太郎
料理屋の主人⇒加茂下稔
テノール歌手⇒前川健生
3人の孤児⇒田崎美香/舟橋千尋/金澤桃子
帽子屋⇒斉藤園子
動物売り⇒加藤太朗
R.シュトラウス:オペラ「ばらの騎士」全3幕ドイツ語公演日本語字幕付き
「ばらの騎士」。予てから観たいと思って既に12月の新国立のチケットはとってある。それで、二期会には失礼だが、新国立での鑑賞の予行演習みたいな気分で出かけた。
「ばらの騎士」も初めてなら文化会館で(演奏会形式ではない本物の)オペラを観るのも初めてだった。
今日の興行は、グラインドボーン音楽祭(彼の地での劇場はキャパが1,300人らしい。)との提携公演だそうだ。
つまり、彼の地での公演と同じ演出、同じ舞台美術で、歌手やオケがメイド・イン・ジャパンという訳だ。その為に、客席数で言えば2倍近い文化会館の舞台にグラインドボーンで使った舞台セットをそのまま持ってきたのでは小さくなってしまう。現に、額縁の中に額縁を重ねることになり、せっかくの文化会館の大きな舞台空間を十分活かせず隔靴掻痒の感無きにしも非ず。
が、それも、まあ、違和感を感じたのは冒頭と第3幕で、その他は問題なく、に第2幕は奥行きをたっぷり使って狭さを微塵も感じさせなかった。
オペラは演出次第でずいぶん様子が異なる。
「ばらの騎士」のナマは初めてだったが、放送録画を数種類持っていてビデオによる鑑賞は何度も、何種類も経験済みだが、今日の演出には驚く部分があった。
何といっても、第1幕冒頭のシーンだ。舞台は元帥夫人の部屋で、昨夜から若いツバメであるオクタヴィアンと過ごした朝、舞台奥に作られたのは、特大水盤で水浴びする裸体の女性。古典派画家アングルの「泉」を思わせる。天井からは本当に水が流れている。あまり照明が当たっていないし、しばらくその裸体は動かなかったのでてっきり水浴びする銅像かと思ったが、やがて、その全裸が動き出した。もう本当に素っ裸なのだ。ここでは当然、手持ちのモノキュラーが活躍する。驚いた。乳首まではっきり見える。が、同時に、肌色の着包みであることも見えてしまったが。
それにしても大胆な演出で、惹き付けられた。
良い演出ばかりではなく疑問点もいっぱい。
第1幕の終盤、元帥夫人が時の流れには勝てないとしみじみ嘆く、第1幕最大の聴きどころ。ここでは普通、恋人の若い燕オクタヴィアンをキスもせずに帰してしまった元帥夫人が部屋に一人残って独白するはずなのに、部屋の隅には老人が一人椅子に座っていた。彼が一体何者なのか?こんな演出はかつて観たことがないので気になってしまった。件の老人は第3幕にも登場するが一言のセリフ(歌)もないので、なおさら、何者か分からない。分かった観客がいたろうか。
釈然としなかったので、終演後、二期会関係者を捕まえて質してみたら、その老人は元帥夫人の書記だという。18世紀ウィーンの貴族の屋敷には、夫人の独り言さえ記録する書記が居たのだろうか?そもそも、婚約者に「ばらの騎士」が銀のバラを贈る、という風習も作者が捏造したものなので、この書記の存在もあてにはならない。
ま、真偽はともかく、物語の進行において、まったく意味をなさない演出だ。
ほかにも、第2幕の上手と下手に置かれた椅子が他の調度と時代が全く異なるとか、第3幕では唐突に衣裳以外が現代になるのも不自然、というか、その理由が理解できない。第3幕の居酒屋が舞台を広く使わず、三角形の部屋(ドアも3か所、天井も三角形)で窮屈そうなのは、元帥夫人、オクタヴィアン、ゾフィーの三角関係を示唆しているのだろうが、せっかくの三重唱をスケールを小さくした印象が否めない。その三重唱が始まる第3幕中盤のゾフィーの洋服が可愛げない。それにメガネを掛けていたのではそれまでの可愛らしさが消えてしまったのも残念。
と、演出・装置などでは不満も残ったが、二期会歌手陣はいずれも素晴らしい。そして、読響の演奏も力強くて良かった。
♪2017-131/♪東京文化会館-12