2024年12月18日水曜日
NHK交響楽団「第九」演奏会 「第九」⑤
2024年4月3日水曜日
東京都交響楽団 第996回 定期演奏会Bシリーズ
2024年3月29日金曜日
新国立劇場オペラ「トリスタンとイゾルデ」
2023年3月15日水曜日
東京都交響楽団 第970回 定期演奏会Aシリーズ
2022年12月27日火曜日
「第九」2022-⓫ かんぽ⽣命 presents N響「第九」Special Concert
2022年12月3日土曜日
NHK交響楽団1971回A定期 12月公演
2021年10月21日木曜日
東京都交響楽団 第937回 定期演奏会Bシリーズ
2021-10-21 @サントリーホール
大野和士:指揮
東京都交響楽団
藤村実穂子:メゾソプラノ*
すぎやまこういち:交響組曲「ドラゴンクエストⅡ」からレクイエム(氏の急逝を追悼して急遽追加)
R.シュトラウス:交響詩《死と変容》 op.24
ツェムリンスキー:メーテルリンクの詩による6つの歌 op.13*
R.シュトラウス:交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》op.30
「死と変容」…半分は睡魔と格闘。
「6つの歌」…不思議なもので、全曲歌の切れ目を覚えているのに夢心地。
休憩を挟んで一番聴きたかった「ツァラトゥストラ」は16型大編成で寝ているどころじゃない。
「2001年宇宙の旅」冒頭のファンファーレ!
ここでのオルガンや大太鼓、ティンパニー、コントラファゴット等の重低音は、その昔、再生テスト《LP》にも使われていた。当時の我が家のHiFi装置ではゴロゴロ鳴って失格だったが。
さて、この曲は19年4月N響Aを遅刻して聴き逃す痛恨のミスを犯したので、ナマは本当に久しぶり。
こういうド派手な音楽をやると、都響の失対事業のような大型編成が生きてくる。
弦もがんばるが、なんといってもバスドラムを軸に打楽器と金管が耳をつん裂く大音量で嬉しい。
静かな部分もあるが、ずっと緊張が張り詰めて最後のクライマックスを迎える。
哲学者枝雀が「落語は緊張と緩和の芸」と言っていたが、時間芸術とは押し並べてそういうものだろう。
最後に頂点に達した緊張は解き放たれ、穏やかな終曲を迎える…かに見せてどっこい、忘れ物をしたような不安を残す。
都響の力技がとても良かった。
♪2021-114/♪サントリーホール-14
2021年2月22日月曜日
東京都交響楽団 都響スペシャル2021
2021-02-22 @東京文化会館
大野和士:指揮
東京都交響楽団
男声合唱:新国立劇場合唱団*
ソプラノ:中村恵理**
メゾソプラノ:藤村実穂子*
武満徹:夢の時(1981)
ブラームス:アルト・ラプソディ( ゲーテ「冬のハルツの旅」による)op.53*
マーラー:交響曲第4番ト長調**
やはり都響は文化会館が似合う。
指揮は大野和士。中村恵理と藤村美穂子を迎えてブラームス「アルト・ラプソディ」、マーラー4番ほか。
なんて贅沢な!
腕鳴らし?の武満もきれいなアンサンブルで、始め良ければ終わり…の予感。
メゾSp(アルト)・ラプソディの出来が良かったかどうか、やや疑問が残ったのは、期待が大きすぎたせいだろう。
1番の楽しみはマーラー4番。
マーラーを聴くのも弦16型を聴くのも多分ほぼ1年ぶり。
マーラーファンでは無いとはいえ、この大袈裟な管弦の狂宴に対する渇望は高まっていたよ。
隠れた実力を隠したままで終わることもままある😛都響が、
ホームで、
音楽監督の下、
大編成で臨んだマーラーに期待は高まる。
そして、その期待に違わず、都響が本気を出した!重厚な響きをのめり込んで楽しんだ。
中村恵理もとても良かった。
♪2021-017/♪東京文化会館-01
2020年1月11日土曜日
N響第1930回 定期公演 Aプログラム
クリストフ・エッシェンバッハ:指揮
NHK交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団
ソプラノ:マリソル・モンタルヴォ
メゾ・ソプラノ:藤村実穂子
マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
クリストフ・エッシェンバッハの指揮はあまり聴いていないが、2017年のN響「第九」を外連味たっぷりに捏ねくり回した罪人という印象を持っていたが、今回はマーラー自体が外連味の塊なので性に合っていたのだろう。あまり違和感は感じなかった。
N響らしくなくアンサンブルとしては不安な部分もあったが、数の力と音圧でねじ伏せた感じ。
途中から睡魔と戦う羽目に。
2-3楽章は耳に入っていたというだけだが、我が気力は4楽章から「復活」した。
メゾがしっかりよく通る声だったがソプラノの声質が線が細く両者の絡みはぼんやりしていた。
少しフライング気味の拍手や熱烈に続く拍手と長いカーテンコールに、それ程でもなかろうと1人孤独に醒めていた。
2020-003/♪NHKホール-02
2019年3月26日火曜日
新国立劇場オペラ「ウェルテル」
指揮:ポール・ダニエル
演出:ニコラ・ジョエル
美術:エマニュエル・ファーヴル
衣裳:カティア・デュフロ
照明:ヴィニチオ・ケリ
合唱⇒新国立劇場合唱団
児童合唱⇒多摩ファミリーシンガーズ
管弦楽⇒東京交響楽団
ウェルテル⇒サイミール・ピルグ
シャルロット⇒藤村実穂子
アルベール⇒黒田博
ソフィー⇒幸田浩子
大法官⇒伊藤貴之
シュミット⇒糸賀修平
ジョアン⇒駒田敏章
ジュール・マスネ:オペラ「ウェルテル」
全4幕〈フランス語上演/字幕付〉
予定上演時間:約3時間10分
第Ⅰ幕45分
--休憩25分--
第Ⅱ幕35分
--休憩25分--
第Ⅲ・Ⅳ幕60分
メゾソプラノの藤村実穂子。日本が生んだ世界的なメゾソプラノと称されているが、コンサートではしばしばマーラー等を聴いていたが、単品歌曲では真価はなかなか分からない。
藤村美穂子の、歌劇での演技・歌唱は初めてだった。
そもそもこのオペラの原作はゲーテの「若きウェルテルの悩み」である。青春の通過儀礼として僕も若かりし頃読んだ。読むには読んだが、当時(十代?)でさえ、共感できなかったのだから、老いてはなおのこと気持ちが乗らない。
ナマ舞台は今回初だが、記録映像を2種類持っている。これまで積極的にそのディスクを見たことはなかったが、今回の予習のために早回しでざっと見たが、やはり到底共感できない。
音楽に関しては、一番有名なのが(コンサートで単独にも取り上げられることが多い)ウェルテルが歌うアリア「オシアンの歌」だと思うが、この曲はなかなか胸に沁みるものがある。
が、心動かすのはそれだけで、そもそも話の筋がつまらないので観ているのがあほらしくなるのだ。
青年の、美しく・甲斐甲斐しく・家庭的な女性に一目惚れすることは許そう。しかし、相手には婚約者があり、現に間も無く結婚するのだが、それが分かっていて、なおも身を焦がすというのは如何なものか。いや、焦がしても良い。良いが、その気持ちを彼女に執拗に訴えてどうなるものでもなかろう。彼女=シャーロットを困らせるだけだ。結婚後も大量の情熱的な手紙を送りつけるので、シャーロットも(彼女もアホーであるが)心動かされてしまうのだ。
2人とももっと大人になれよ!
と他人事ながら腹が立ってくる。
いや、そこまで、僕が気合いを入れることもないのだが、いずれほとぼりを冷ませばそれで良いのだけど、ウェルテルは恋が成就できぬと知った途端、ピストル自殺してしまうのだもの、もう、良い加減にしろい!と思うのであります。
そういうドラマをゲーテほどの知性のある人間がなぜ書き残したのか、といえば、一説には、自分の気持ちをこの小説を書くことによって鎮めたそうだ。この辺が教養人だな。
自分はスッキリしたろうが、この作品の悪影響を受けて青年たちの自殺がどっと増えたというから罪な話だ。
純粋、無垢、情熱、恋愛…そして死。なんたる甘美な罠だろうか。
青春の一時は染まっても良いが、なるべく早く覚醒し卒業しなくちゃいけない。
マスネもなんでこんな原作に惹かれたのだろう。
彼もまた、内なる情熱を作品に閉じ込めて放出することで、平衡感覚を保とうとしたのだろうか。
「ウェルテル」という物語はそんな筋書きなのだ。
到底共感できるものではないから、オペラの形をとっても先述のようになかなか共感できないでいたが、生の舞台ではどんなものだろうか。
途中で席を蹴って帰る!なんて純粋な情熱はもう残っていないので最後まで観るとしても、ウェルテルたちに共感できるだろうか、オペラ作品として楽しめるだろうか、かなり不安だった。
が、やはり生の持つ求心力は凄い。
Ⅰ、Ⅱ幕は平凡だがⅢ幕こそ見せ場、聴かせどころで、例の「オシアンの歌」の切々たる美旋律が胸を打つ。また、この旋律を組み合わせて綴られるこの幕の音楽の完結性も高い為、甘ったるい小児性を脱却できていないもののドラマもそれなりの説得力があるので、続く最終幕もさほどの違和感もなく大団円を受け入れてしまった。
ウェルテル役ピルグは、1年前に同じく新国立劇場の「愛の妙薬」を聴いたが、今回の方がずっと良い感じだった。
藤村もなるほど世界のメゾの実力を感じた。
メゾというよりソプラノでも通るような高域もトランペットのように歌って吃驚。幸田浩子も黒田博も健闘。
舞台装置もシックで豪華。
今回のピットは東響。…今日の出来はイマイチ。
♪2019-036/♪新国立劇場-03
2019年2月9日土曜日
神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第347回
川瀬賢太郎:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
藤村実穂子:メゾソプラノ*
マーラー:リュッケルトによる5つの歌*
美しさゆえに愛するなら
私の歌を見ないで
私は優しい香りを吸い込んだ
私はこの世から姿を消した
真夜中に
ハンス・ロット:交響曲第1番ホ長調
「リュッケルトによる5つの歌」は前にN響定期でケイト・ロイヤルのソプラノで聴いた。バリトンが歌っている例もあるし、今回はメゾ・ソプラノだ。その都度オケの伴奏楽譜は移調するのだろうか?
いずれにせよ、馴染めない音楽だ。
藤村実穂子は3度め。世界的な実力者との評判だが、悲しいかな、その実力のほどはいつも実感できないでいる。オペラを1本聴けば感情移入できるようになるかもしれない。フツーに巧いとは思うのだけど。
さて、巷で噂のハンス・ロット交響曲1番。マーラーとはウィーン音楽院で学友だったそうだ。しかし、彼は作品が評価されず、精神を病んで25歳で夭逝し、マーラーとは対極の人生を送った。
その交響曲第1番は、その第1楽章を音楽院の卒業コンクールに提出したが師のブルックナー以外の誰からも評価されず、マーラーの作品が優勝した。
その後全曲を完成させ、ブラームスに見せたところ、「美しい部分もあるが、残りは平凡で無意味」と酷評されたそうだ。そのことも彼が精神を病むこととなった原因の一つらしい。
そのような悲劇的な人生を送った青年の音楽というコンテキストを纏った作品が、それにふさわしいコンテンツを擁するのかが聴きものである。
冒頭のトランペットの音が美しくなく、木管とのアンサンブルもモタついた出発で印象を損ねたが、その後は持ち直し、神奈川フィルは醜女の厚塗りのような音楽をとても熱演した。
しかし、やはり、若作りの音楽で、やりたいことをこの1曲で全部やってしまったようで、油絵の具を幾重にも塗り重ねたような派手で執拗すぎる音楽には共感できなかった。ブラームスの見立ては正しいと思う。
尤もマーラー程長生きしたら俗なりに大成したかも。
♪2019-013/♪みなとみらいホール-03
2018年12月28日金曜日
特別演奏会「第九と四季」2018 ---「第九」❼
秋山和慶:指揮(&チェンバロ*)
東京交響楽団
東響コーラス:合唱
辻彩奈:バイオリン*
中村恵理:ソプラノ
藤村実穂子:メゾ・ソプラノ
西村悟:テノール
妻屋秀和:バス
ビバルディ:協奏曲集「四季」~春・冬*
ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」作品125
弦の編成は14型(第1バイオリン⇒14人、第2バイオリン⇒12人)だが低弦はチェロ10人(14型の場合の標準は8人)、コントラバス8人(同じく6人)と増強。これで全般に力強くなった。
合唱団はオケの後ろだが舞台両翼に広がりSTBA(下手からソプラノ〜テノール〜バス〜アルト)配置が時に立体効果⁉︎
何と言っても東響伝統の<秋山第九>。全曲、歌える処は全て歌わせゆったりと進む。オケも慣れたもので秋山翁の呼吸にはヒタと寄り添う。
低弦のレシタティーヴォはテンポも遅いがぎりぎりまで引っ張って歌う。レシタ〜というよりアリアのよう。
妻屋バス最初の独唱も朗々と延ばす。読響でも彼を聴いたがここは秋山節。
早めの演奏が多い昨今、懐かしさも覚える第九だ。全体で69分も今季最長。
自分の好みとは別に満足100点。
前座に置かれた<秋山第九>定番の「四季」〜春冬〜も上出来で、辻彩奈のバイオリンが明瞭で雄弁なのには驚いた。
「第九」終曲後もお約束のお楽しみ。客席も巻き込んでペンライト付き大合唱「蛍の光」は少女趣味だが心震えたり…。
来年から「四季」抱合せはなくなるが<秋山第九>は形を変えてミューザでやるみたい。これは朗報
♪2018-180/♪サントリーホール-17
2017年7月16日日曜日
東京交響楽団 川崎定期演奏会 第61回
東京交響楽団
東響コーラス♪
藤村実穂子:メゾ・ソプラノ*
天羽明恵:ソプラノ+
細川俊夫:「嘆き」〜メゾ・ソプラノとオーケストラのための*
マーラー:交響曲第2番 ハ短調「復活」(シュタルク=フォイト&キャプランによる新校訂版)*+♪
細川俊夫の「嘆き」は副題のとおりの編成だが、初演時(2013年)の女声はソプラノだったが、2年後に今日のソロを歌った藤村実穂子のためにメゾ・ソプラノに改訂されたそうだ。当然音程を変えたんだろうな。てことは、オケの方もズルっと下げたのだろうか。
よく理解できない音楽だった。
ほとんどかけらも記憶に残っていない。
マーラーの第2番「復活」は最新研究の成果が生かされた新校訂版だが、ほとんど音楽上の追加・削除はなく、小節数も変わっていないという。であるから、素人の耳にはこれまで聴いてきた音楽と変わりはないといえるのだろう。
変わりがなければいつものようにこの大げさな音楽を楽しめるはずだったが、珍しくも、今日の「復活」にはピンと来るものがなかった。東響には悪いけど、決して演奏が悪かったというのじゃないけど、まあ、こんな日もある。
♪2017-123/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-13