2019年3月26日火曜日

新国立劇場オペラ「ウェルテル」

2019-03-26 @新国立劇場


指揮:ポール・ダニエル
演出:ニコラ・ジョエル
美術:エマニュエル・ファーヴル
衣裳:カティア・デュフロ
照明:ヴィニチオ・ケリ

合唱⇒新国立劇場合唱団
児童合唱⇒多摩ファミリーシンガーズ
管弦楽⇒東京交響楽団

ウェルテル⇒サイミール・ピルグ
シャルロット⇒藤村実穂子
アルベール⇒黒田博
ソフィー⇒幸田浩子
大法官⇒伊藤貴之
シュミット⇒糸賀修平
ジョアン⇒駒田敏章

ジュール・マスネ:オペラ「ウェルテル」
全4幕〈フランス語上演/字幕付〉
予定上演時間:約3時間10分
第Ⅰ幕45分
 --休憩25分--
第Ⅱ幕35分
 --休憩25分--
第Ⅲ・Ⅳ幕60分

メゾソプラノの藤村実穂子。日本が生んだ世界的なメゾソプラノと称されているが、コンサートではしばしばマーラー等を聴いていたが、単品歌曲では真価はなかなか分からない。
藤村美穂子の、歌劇での演技・歌唱は初めてだった。

そもそもこのオペラの原作はゲーテの「若きウェルテルの悩み」である。青春の通過儀礼として僕も若かりし頃読んだ。読むには読んだが、当時(十代?)でさえ、共感できなかったのだから、老いてはなおのこと気持ちが乗らない。

ナマ舞台は今回初だが、記録映像を2種類持っている。これまで積極的にそのディスクを見たことはなかったが、今回の予習のために早回しでざっと見たが、やはり到底共感できない。

音楽に関しては、一番有名なのが(コンサートで単独にも取り上げられることが多い)ウェルテルが歌うアリア「オシアンの歌」だと思うが、この曲はなかなか胸に沁みるものがある。

が、心動かすのはそれだけで、そもそも話の筋がつまらないので観ているのがあほらしくなるのだ。

青年の、美しく・甲斐甲斐しく・家庭的な女性に一目惚れすることは許そう。しかし、相手には婚約者があり、現に間も無く結婚するのだが、それが分かっていて、なおも身を焦がすというのは如何なものか。いや、焦がしても良い。良いが、その気持ちを彼女に執拗に訴えてどうなるものでもなかろう。彼女=シャーロットを困らせるだけだ。結婚後も大量の情熱的な手紙を送りつけるので、シャーロットも(彼女もアホーであるが)心動かされてしまうのだ。

2人とももっと大人になれよ!
と他人事ながら腹が立ってくる。
いや、そこまで、僕が気合いを入れることもないのだが、いずれほとぼりを冷ませばそれで良いのだけど、ウェルテルは恋が成就できぬと知った途端、ピストル自殺してしまうのだもの、もう、良い加減にしろい!と思うのであります。

そういうドラマをゲーテほどの知性のある人間がなぜ書き残したのか、といえば、一説には、自分の気持ちをこの小説を書くことによって鎮めたそうだ。この辺が教養人だな。
自分はスッキリしたろうが、この作品の悪影響を受けて青年たちの自殺がどっと増えたというから罪な話だ。

純粋、無垢、情熱、恋愛…そして死。なんたる甘美な罠だろうか。

青春の一時は染まっても良いが、なるべく早く覚醒し卒業しなくちゃいけない。

マスネもなんでこんな原作に惹かれたのだろう。
彼もまた、内なる情熱を作品に閉じ込めて放出することで、平衡感覚を保とうとしたのだろうか。

「ウェルテル」という物語はそんな筋書きなのだ。
到底共感できるものではないから、オペラの形をとっても先述のようになかなか共感できないでいたが、生の舞台ではどんなものだろうか。
途中で席を蹴って帰る!なんて純粋な情熱はもう残っていないので最後まで観るとしても、ウェルテルたちに共感できるだろうか、オペラ作品として楽しめるだろうか、かなり不安だった。

が、やはり生の持つ求心力は凄い。

Ⅰ、Ⅱ幕は平凡だがⅢ幕こそ見せ場、聴かせどころで、例の「オシアンの歌」の切々たる美旋律が胸を打つ。また、この旋律を組み合わせて綴られるこの幕の音楽の完結性も高い為、甘ったるい小児性を脱却できていないもののドラマもそれなりの説得力があるので、続く最終幕もさほどの違和感もなく大団円を受け入れてしまった。

ウェルテル役ピルグは、1年前に同じく新国立劇場の「愛の妙薬」を聴いたが、今回の方がずっと良い感じだった。
藤村もなるほど世界のメゾの実力を感じた。
メゾというよりソプラノでも通るような高域もトランペットのように歌って吃驚。幸田浩子も黒田博も健闘。

舞台装置もシックで豪華。

今回のピットは東響。…今日の出来はイマイチ。

♪2019-036/♪新国立劇場-03