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2025年7月13日日曜日

読売日本交響楽団第143回横浜マチネー名曲シリーズ

2025-07-13 @みなとみらいホール



シルヴァン・カンブルラン:指揮
読売日本交響楽団
リーズ・ドゥ・ラ・サール:ピアノ*

バーンスタイン:「キャンディード」序曲
ガーシュウィン:ピアノ協奏曲ヘ長調*
バルトーク:ルーマニア民俗舞曲(弦楽合奏版)
ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」
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メシアン:おお、聖なる饗宴よ*



遅刻しそうになって、客席に入るともうオケが並んでいる。自席に座る時間的ゆとりはあったが、同じ列の人に迷惑だし、ちょうど最後列の通路側が空いていたので1曲はそこで聴くことにした。みなとみらいの最後列はもちろん初めて。
このホールも23列目?以降は2階席の床下なので響きが悪かろう…と思っていたが、案外そうでもなくて間接音もよく聴こえてきたのには驚く。でも、音圧は不足だけど。


読響のプログラムは、曲の解説はあっても、その日のプログラムのコンセプトに関しては何にも書いてない。だから、今日のようなごった煮に何か共通するものがあるのかどうか分からない。

後半の2曲は、いわば耳タコだけど、前半は複数回聴いているけど多くないので、旋律の切れ端にさえ耳覚えがない。

ガーシュウィンのPf協はそこここにガーシュウィン印が刻印されていた。Pf独奏もオケとよく合わせ、キラキラ輝く音色で良かったが、Encがつまらなかったな。単に和音をボンボンと連ねているだけの作品で面白みもなく、Pfの良さも感じられない。


後半のルーマニア民俗舞曲は大好物だが、やはり原曲のPf演奏又はPfとVnくらいの編成で聴きたい。弦楽合奏では品がありすぎて民俗舞曲とは思えない。また、テンポもゆっくりすぎた。

5月に日フィルはEncで演奏したが、この時はとても「臭くて」良かったのだけど。

展覧会の絵は、読響ブラスが咆哮してヨシ!


♪2025-096/♪みなとみらいホール-020

2019年3月9日土曜日

読売日本交響楽団第110回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2019-03-09 @みなとみらいホール


シルヴァン・カンブルラン:指揮
読売日本交響楽団
サラ・ルヴィオン:フルート*

イベール:寄港地
イベール:フルート協奏曲*
ドビュッシー(ツェンダー編):前奏曲集
ドビュッシー:交響詩「海」
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ドビュッシー:シランクス*

カンブルラン事実上横浜最後の舞台…のせいか、オケも良い緊張感に包まれて得意の仏音楽集で見事な演奏を聴かせて有終の美を飾った。
イベール「寄港地」は初聴きだったが、まるでドビュッシー。夢見心地でイタリアの港を周遊。Fl協はルヴィオンのハッタリ不足!

首席Flの感じで、独奏Flならもう少しメリハリつけても良かったのでは。
が、Encでパンの笛をやってくれたのは嬉しかった。長く聴いていなかった。
後半ドビュッシの前奏曲集はツェンダーによる管弦楽版。原曲も馴染みが薄いが、この作品は日本初演だった。どおりで聴いたことなかったよ。

シメはドビュッシー「海」。今日の読響の管・弦・鍵・打のアンサンブルの美しさがここにきて極まった。かくも精緻な演奏は滅多に聴けない。
盛大な拍手歓声はお世辞ではなかった。カンブルランも満足げで良かった。
僕はというと遠藤さんと2度目が合った…のでこれもちと嬉しい。

♪2019-027/♪みなとみらいホール-09

2018年9月21日金曜日

読売日本交響楽団 第615回 名曲シリーズ

2018-09-21 @サントリーホール


シルヴァン・カンブルラン:指揮
読売日本交響楽団

ピョートル・アンデルジェフスキ:ピアノ*

モーツァルト:歌劇「後宮からの誘拐」序曲
モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調 K491*
ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調 WAB104「ロマンティック」<188年稿/2004年刊コーストヴェット校訂版>
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アンコール
ベートーベン:6つのバガテル から第1番*

今日は横浜定期からの振替えなので自分で席を選ぶことはできず、お仕着せの席なのだが、それがずいぶん下手寄りだった為にバランスが非常に悪い。
何しろ、視線の先は第1バイオリンの舞台側最後方プルトだ。つまり、すべての奏者が僕の席より上手に座っていることになる。

ひどい席だ、と言いたいが、そういうバランスの悪い席はむしろスウィート・エリアよりも多い。そういう席に毎回座っている人が大勢いるのだから、あまり贅沢は言えない。
また、見た目のバランスは悪くとも、コンサートホールは反響・残響があるので、そんな席でもそれなりに聴こえるのだ。

しかし、いつも、指揮者の背中を見て音楽を聴いている身にとっては今日のポジションはかなり辛いものがあった。

アンサンブルのバランスの問題だけではない。斜め前方に鎮座するピアノも響き過ぎて音が抜けずに籠もったが、正面で聴くならそれほどでもなかったのではないか。
また、客席から見て左翼(下手)に位置するバイオリン群の音が偏重して聴こえ、高域は時折だがキンキンと軋むのも座席の位置の不都合が少なからず影響しているだろう。

まずもって音が楽しめなくては音楽ではない。
前半は集中が難しかった。

後半、本命のブルックナー交響曲第4番では編成が大きくなり耳慣れもあってアンバランス感はなんとか許容範囲になった(努めて現実を受け入れようとした。)。

さて、久しぶりの「ロマンティック」は、ブルックナーの全交響曲の中では多分一番親しみやすいように思う。昔は苦手だったが、近頃は十分楽しめる。聴く耳が備わってきたからではなく、何度も聴いているうちに馴染んで抵抗がなくなってきただけだが。以前は、くどいと思っていた主題の繰り返しもスルッと通り抜けていくのは、僕なりのブルックナー人間観が固まってきたのかな。

第1楽章。冒頭の立ち込める原始雲から夜明けを告げるような主題をホルンそして各種管楽器が続くが、この出だしのいわば<掴み>が一応の成功を見て長い航海(演奏時間70分)は小破綻もあったが全体として幸福な旅だった。

♪2018-115/♪サントリーホール-09

2018年4月14日土曜日

読響第103回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2018-04-14 @みなとみらいホール


シルヴァン・カンブルラン:指揮
読売日本交響楽団
ポール・メイエ:クラリネット*

チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」から
 行進曲、こんぺい糖の踊り、トレパック、花のワルツ
モーツァルト:クラリネット協奏曲イ長調 K622*
ドビュッシー:クラリネットと管弦楽のための第1狂詩曲*
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」

チャイコフスキー、モーツァルト、ドビュッシーにストラヴィンスキーというコンセプト不可解プログラムだったが、久しぶりに聴いたモーツァルトのクラリネット協奏曲は小編成で美しい弦の合奏に妙なるクラリネットの色音が別宇宙。

ポール・メイエを聴くのは2度めで、「N響夏2016」で今日と同じモーツァルトの協奏曲を演奏した。しかし、その時は楽器の不調(素人耳にも音が硬いのがよく分かったが、空調も原因していたかもしれない。)で、演奏を途中で中断して楽器を取り替えるというハプニングがあった。今回はそのようなこともなく、音色は柔らかく、艶かしく、低音は豊かに響き渡っていた。

春の祭典は特大編成でこれでもか!これでもか!と原始脳を刺激され、これまた別次元の音楽体験。読響上出来!

♪2018-039/♪みなとみらいホール-11

2018年1月21日日曜日

読響第100回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2018-01-21 @みなとみらいホール


シルヴァン・カンブルラン:指揮
読売日本交響楽団
イザベル・ファウスト:バイオリン*

ブラームス:バイオリン協奏曲ニ長調 作品77*
J.S.バッハ(マーラー編):管弦楽組曲から第2〜4曲
ベートーベン:交響曲第5番ハ短調 作品67「運命」
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クルターク:「サインズ、ゲームとメッセージ」から*

今日の読響横浜定期は100回目だ。だからといって、特別なことはなくプログラムでも特段触れていなかった。

無視されてしまった節目のコンサートだけど、プログラムが良かった。3作品ともドイツの3Bによるものだ。これが嬉しい。
また、ブラームスのバイオリン協奏曲のソリストはイザベル・ファウスト。
彼女の演奏はこれまでに都響とのメンコン、ジャン=ギアン・ケラス、アレクサンドル・メルニコフとのピアノ・トリオ演奏会を聴いていずれも好感を持っていたので、楽しみだった。

さて、ブラームスのコンチェルトはファウストのストラディヴァリウス”スリーピング・ビューティ”が良く鳴って細部の最弱音までしっかり聴こえた。まあ、席がかなり前の方だから当然とも言えるが、オーケストラ全体の調子は疑問だった。
オケの不調は3曲とも同じだった。てことは、僕の耳のせいではなかろう。アンサンブルの微妙なズレを感じてしまった。

曲作りとしてはカンブルランの彫琢が行き届いている感じがしたのだけど、その一方で弦と弦、あるいは弦と木管の間に不揃いな部分があったように思う。もっと後ろで聴けば感じなかったのかもしれないが、そうは言ってもこの席はもう何年も固定しているのだし、これまでにそういう不満は感じたことがなかったので、気になる。来季も同じ席で更新済みだし。

という不満が残ったドイツの3B大会だが、出来はともかく音楽は実に素晴らしい。今日のプログラムだと、一番はブラームスだ。実に美しい音楽だ。どの楽章もいいが、とりわけ第3楽章のハンガリー舞曲風のハイテンポの旋律は楽しい。ファウストもここではニコニコ笑いながら楽しんで弾いているのが聴いている者の気分を一層高めてくれた。
ところで、第1楽章のカデンツァは、普段よく聴くのはヨアヒムの作だそうな。ファウストはブゾーニの作ったものを好んで弾いているようで今日もそれだった。カデンツァの冒頭にティンパニーを伴うので区別が付くようだ。このバージョンは初聴きだったような気がする。

♪2018-008/♪みなとみらいホール-03

2016年10月10日月曜日

読響第91回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2016-10-10 @みなとみらいホール


シルヴァン・カンブルラン:指揮
マルティン・シュタットフェルト:ピアノ*
読売日本交響楽団

ラモー:「カストールとポリュックス」組曲から
    「序曲」・「ガヴォット」・「タンブラン」・「シャコンヌ」
モーツァルト:ピアノ協奏曲第15番*
シューベルト:交響曲第8番「グレイト」
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アンコール
ショパン:練習曲 作品25-1「エオリアン・ハープ」*

ラモーの作品は初聴き。初演が1737年。評判が悪かったので54年に改訂したとある。ハイドンが初演を聴いたとしたら5歳位。モーツァルトが生まれたのは改訂版の完成より後だ。ま、そんな時代の音楽なので、サロン音楽みたいに軽やかに耳に入って来るけど、やはり最初の曲って、どうもオケのエンジンは暖機運転みたいだ。

ピアノのマルティン・シュタットフェルトは初めて。04年にゴールドベルク変奏曲でCDデビューしたことからか、「グレン・グールドの再来」と評される、と解説に書いてあったが、まあ、見た目も似ているし、低いピアノ椅子に座って弾く姿勢もそんな感じはした。
本物ならどんな弾き方をするか知らないけど、シュタットフェルトのピアノはごく普通の?モーツァルトに聴こえた。
因みに、グレン・グールドのバッハやベートーベンなどは好きだけど、彼が弾くモーツァルトのピアノソナタ第11番(トルコ行進曲付き)を初めて聴いた時につんのめって、遊んでるのじゃないか、と腹立たしく思ったので、それ以来、グレン・グールドの弾くモーツァルトはCDを買わないことにしている(ほとんど出ていないけど。)。

で、このピアノ協奏曲第15番は、CDは全27曲セットがあるので過去に聴いたことがあったけど、20番台の作品のように、今日はこれを聴いてみたいと思わせるような魅力は感じたことがないので、多分、ナマで聴いたのは初めてだったと思うけど、やはり、印象が希薄なままスルーっと抜けていった。

ラモー、モーツァルト、シューベルトというプラグラムそのものがなんだかピンとこないので、聴く態度が定まらないという感じだ。
超大曲でもないし、超絶技巧曲でもなさそうだし、ピアニストには悪いが、消化試合というか、映画で言えば、その昔のプログラムピクチャーのような気がして、聴く側に緊張感が生まれないのは困ったものだ。

で、一番楽しみにしていたのがシューベルトの第8番だ。
「楽しみ」というより、強い「関心」かな。
というのも、昨日、ズービン・メータ指揮ウィーン・フィルで聴いたばかりだったから(同じ曲を翌日聴くことになるとはなんという巡り合わせだろう。)。
昨日の印象では、世界の一流オケの実力をナマで聴いた結果は日本の一流オケも十分世界に通用するのではないか、と思ったのだが、さて、読響はどうか。

かなり肉薄していたと思う。
どこが違うだろう、とずっと耳を澄ませていたのだけど、管と弦が強奏で重なる場所などで透明感に欠ける。あるいは、弦の高音域での透明感に欠ける。つまりは、ときどき管弦楽にざわつきが混じることがある。それも、いわば、敢えてアラ捜しをしながら聴いているので感ずる程度のものだ。
だから、今日の読響を聴きながら、やはり、うまいものだと感心した。
でも、ウィーン・フィルとの僅かな差(これはN響や都響でもいつも感じていることだけど)。これが容易なことでは埋められないのだろうと思う。
でも、この差を聴き分けたくてチケット代4倍も5倍も支払いたくはないな。

♪2016-138/♪みなとみらいホール-35

2016年2月14日日曜日

読売日本交響楽団第184回東京芸術劇場マチネーシリーズ

2016-02-14 @東京芸術劇場大ホール


シルヴァン・カンブルラン:指揮(常任指揮者)
読売日本交響楽団

モーツァルト:セレナード 第13番 ト長調 K.525
      「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
マーラー:交響曲 第7番 ホ短調 「夜の歌」


マーラーの交響曲第7番は馴染みが薄い。
各オケの定期演奏会でも滅多に取り上げられない。
内容の不可解さ(あるいは高度な精神性?どっちにしても素人にはハードルが高い。)ゆえの不人気もあるだろうし、オケも大規模で多種多彩な楽器と奏者を必要とする事情も無視できない。それに演奏時間が長い!

今日の読響のプログラム記載の予定時間は77分とあったが、実際の時間は83分を要した。

そんな訳もあって、ナマで聴くのは今回が初めてだった。

CDでは何度も聴いているし、放送録画ビデオも持っているが、これらではなかなかこの曲の面白さが伝わってこない。

しかし。

今日は読響の精緻でパワフルな演奏で初めて7番の妙味に近づいた気がした。
やはりCD100回よりナマ1回だ。

よくぞこんなにも複雑な構造物を作り上げたものだと、その執念に感服するが、穏やかさは束の間の夢の如し、全曲ほぼ激しくドラマチックなのでかなり気疲れする音楽ではある。

全体の構成感が心許ないのは馴染み不足もあるかもしれないが、やはり長すぎるのも一因だろう。
聴き手の覚悟や体調も問われる作品だけど、準備怠りなくがっぷり組み合ってこそ面白さが出てくるようだ。


先日のみなとみらい定期でも読響のハイレベルな実力を堪能したが、今日はさらに気合いが入って素晴らしかった。やはり我が国のトップ3には間違いなく入ると思う。
また、不思議な事に、前回芸術劇場で読響を聴いた際に(この回は演奏も不満が残ったが)、このホールの音響はイマイチだと思ったが、今日は違った。少し固めの澄んだ音が揺るぎなくガンガンと響いてきた。


♪20156-018/♪東京芸術劇場大ホール-1

2016年2月6日土曜日

読響第85回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2016-02-06 @みなとみらいホール


シルヴァン・カンブルラン:指揮
辻井伸行:ピアノ*
読売日本交響楽団

デュティユー:音色、空間、運動 
ベートーベン:ピアノ協奏曲第1番ハ長調作品15
ベートーベン:交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
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アンコール(ピアノソロ)*
ベートーベン:ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調第1楽章


全盲のピアニストは辻井くんのほかにも聴いた経験があるが、その度思うのは、彼らの心の中には何が見えているのだろう。
ひょっとして目明きには見ることが難しい「音楽」そのものが写っているのだろうか。

協奏曲も良かったが、アンコールは月光第1楽章。
これは辻井くん!反則じゃないの。
そうでなくとも全盲というハンデを持った若者で見かけも愛嬌があって、見事な演奏を終えると万雷の拍手に応えて腰を90度以上に曲げて三方、四方にお礼をする姿を見て、十分感動せざるを得ないところに、よりによって「月光」のアルペジオが始まったのでは、会場の観客も舞台のオケの団員もみんなやられてしまうが必然。

夜空と化したみなとみらいホールの天井には満月が出て、薄暗い客席を明るく照らし、しばし天国に誘われた如しであった。

ホンにコンテンツ(音楽)はストーリーを纏い、美しく膨らんだストーリーに人々は共感する。
音楽の本質とは離れたところに感動することがしばしばあるのは要注意だ。
辻井くんのような感動的ストーリーを身に纏った場合は、コンテンツが正しく見えなくなり易いかもしれない。

先日、東響の「田園」で今更ながらその良さを再発見した思いがしたが、読響はさすがの力量を見せつけて一段格上の仕上がり。

今日の読響定期は、常任指揮者のカンブルラン、久々登場の日下紗矢子コンマス、辻井くんと役者が揃ったことあって大いに盛り上がった至福の2時間だったが、おかげであらためてベートーベンの魅力を堪能した。


♪2016-014/♪みなとみらいホール-04

2015年4月5日日曜日

読売日本交響楽団第79回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2015-04-05 @みなとみらいホール


シルヴァン・カンブルラン:指揮
読売日本交響楽団

グルック:歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」から
 “序曲” “精霊の踊り” “復讐の女神たちの踊り” 
ハイドン:交響曲 第94番 ト長調 「驚愕」 
バルトーク:「管弦楽のための協奏曲」

3月はオーケストラによってはシーズンの切り替わり時期で、定期演奏会が通常月より少なかったし、それも月の前半に集中していたので、20日ぶりのオーケストラだった。
渇望?していたせいもあったのか、もう、冒頭の響で気持ちが吸い寄せられた。弦と木管のアンサンブルが非常にきれいだ。
ああ、これだ!管弦楽の魅力ってこの音だ!と思った。

ほかのオケと比べてどうこう言えるような立派な耳を持っているわけではないけど、N響と読響には総じて安心感を持っている。そして満足できる。

グルックの作品といえば、「精霊の踊り」しか知らないし、それも手持ちCDではバイオリン小品集のなかの1曲だったので、今日はじめて原曲を聴いて、オペラの間奏曲であり、管弦楽曲だということを知った。

歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」からは3曲演奏されたけど、耳に覚えのあるものはやはり「精霊の踊り」だけだったが、軽快な序曲に続くコントラストの妙もあってなんとも美しい。
グルックはハイドンより18歳年長なので、音楽史的には前古典派ないし古典派の走りだけど、まるで1世紀後のロマン派のような甘くて切ない旋律だ。


続くハイドン。
有名な「驚愕」だ。まあ、ハイドンの昔と違って、大編成のオーケストラに慣れているので、この程度のダイナミックレンジで驚いたりはしないのだけど、ハイドンのユーモラスな面が表れて楽しい曲だ。

クラッシックなのが2作品(4曲と数える?)続いた後は、バルトークの作品。
バルトークは19世紀末に生まれ20世に前半に活躍した、いわば現代の人だ。
調性の怪しくなった現代の作品は、時に面白いと思うものもあるけど、積極的に楽しみたいとは思わない。ロマン派以前に宝物はいくらでもあるのだから。


そんな次第で、バルトークの作品といえば、民族音楽の研究家でもあった彼がハンガリーやルーマニアなどの民謡を基にして作曲した小品を除けば積極的に聴くことはなかった。

ただ、「管弦楽のための協奏曲」は2月の東響の定期でも聴いたばかりだし、多少は記憶に残っていた。
そもそも、あまり小難しい音楽ではない。現代性も感ずるけど、ところどころにハンガリー?民謡ふうなメロディーも紛れ込んでいて興味深い。
管弦楽のための<協奏曲>という名前が示すように各パートに聴かせどころが用意してあって、大編成の管弦楽をじっくり楽しむことができた。

♪2015-27/♪みなとみらいホール-12

2014年11月29日土曜日

読売日本交響楽団第76回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2014-11-29 @みなとみらいホール



シルヴァン・カンブルラン:指揮
読売日本交響楽団

モーツァルト:歌劇「魔笛」序曲
シューマン:交響曲第3番 変ホ長調作品97「ライン」
ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調作品55「英雄」


「魔笛」序曲はともかく、「ライン」は思い出せないくらい久しぶりだし、「英雄」は2月に聴いたけどその折も感ずるものがあったのでとても楽しみな組合わせだった。

そして、新たな発見というか音楽体験をした。

2月に金聖響+神奈川フィルで聴いた際にも「英雄」という作品の凄さの片鱗を感じたのだけど、今回はそういう次元ではなかった。
音楽の神の啓示を聴いたような、と大げさだけど、そんな気がしたなあ。神なんて信じていないけど、音楽の神はいるのかもしれないな。

シューマンは好きだし、「ライン」はとても良い感じで聴いた。
その後に「英雄」だ。ずいぶんと聴き馴染んだ作品で、心地よく楽しめるに違いない。そう思ってリラックスして聴いていたが、音楽が進んでゆくに連れ、いつもは感じないものを感じ始めた。
この感覚はどう説明すればよいのか分からないのだが、次から次へと表れる曲想は、聴き飽きるほど聴いているのにもかかわらず、この日はいちいちがとても新鮮だ。
よく思いつくなあと思うくらい突飛で新鮮なメロディーが噴き出してくるのだけど、すべての曲想は必然的に一つの形に収まってゆくのが奇跡にも思える。
おお、これこそがベートーベンの真髄なのか。
僕はようやく今、その入口に立っているのか、と思った。

こんな経験は初めてのことだ。
アマオケ時代、第九の演奏中に、やはり説明し難い感興高まる経験をしたことがあったが、それとは違う。

演奏・解釈が素晴らしかったから…でもないと思う。
シューマンの後に続けて聴いたのがそういう効果を齎したのかもしれないけど、だからといって、家でCDを聴いていたんでは到底得られない感覚だ。

よく分からないけど、体調のせいもあったのかな。
次回聴くときには多分今回経験した感覚は味わえないだろうけど、しっかり、感覚を研ぎ澄ませて聴いてみようと思う。

ところで、この奇妙な体験とは別に、今回は面白い勉強ができた。

プログラムに実に興味深い解説が出ていたので、端折って紹介しよう。

「魔笛」、「ライン」、「英雄」(特に後2者)に共通する「3」の不思議。

「ライン」も「英雄」もシューマンとベートーベンの交響曲の第「3」番である。「魔笛」にも「3」が散りばめられているそうだが、煩雑なので省略。

3曲はいずれも調性は変ホ長調。つまり♭が「3」つだ。

そして、「ライン」と「英雄」はいずれも「3」拍子で始まる。
<プログラムから>

「ライン」と「英雄」はヘミオラ(3拍子が2拍子に聴こえる書法)が取り入れられている。
この3拍子とも2拍子とも聴き取れる不安定さが音楽をスリリングにしているが、宗教的あるいは文化史的に西洋人の「3」に対するこだわりが音楽に表現されているとも解説してあって、興味深いのだけど、ここいらも端折る。

「英雄」の第3楽章トリオ部分では、ホルンが3本使われているが、当時の標準編成は2本だったところ、わざわざ3本というのも意味があるのかも、と解説は示唆している。

余談ながら、この3曲の楽器編成も非常に似通っている。まあ、そういう時代だったということかもしれないのだけど。

魔笛 ⇒Fl2、Ob2、Cl2、Fg2、Tr2、Hr2、Tb2、Tp、弦楽5部
ライン ⇒Fl2、Ob2、Cl2、Fg2、Tr2、Hr4、Tb3、Tp、弦楽5部
英雄 ⇒Fl2、Ob2、Cl2、Fg2、Tr2、Hr3、 無、 Tp、弦楽5部


♪2014-110/♪みなとみらいホール大ホール-46