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2019年6月20日木曜日

令和元年6月 第95回歌舞伎鑑賞教室「神霊矢口渡」

2019-06-20 @国立劇場


福内鬼外=作
神霊矢口渡 (しんれいやぐちのわたし) 一幕
    国立劇場美術係=美術
       頓兵衛住家の場

(主な配役)
渡し守頓兵衛⇒中村鴈治郎
娘お舟⇒      中村壱太郎
船頭八助⇒     中村寿治郎
傾城うてな⇒ 上村吉太朗
新田義峰⇒     中村虎之介
下男六蔵⇒     中村亀鶴
        ほか

2回目なので「歌舞伎のみかた」は省略して本篇から参入…というか、本当は緊張感なく、寝坊して間に合わなかっただけ。


注目は終盤の壱太郎の「人形振り」だ。
前回、この演出に唸ったが「振り」は改善の余地ありと見て10日間の精進ぶりを観察。
ま、それなりの進歩あり。
最後の櫓の場面では人形から人間に戻るが、狭い所で黒衣と3人では無理なのだろう。

「人形振り」では当然目玉を開けたまま動かさない。観ながら僕も瞬きを我慢してみたがとても続かない。何気ない処でも訓練・精進だなあ。

人形を遣う黒衣役の演技に不満が残ったがこれはやむを得ないか。

それにしても、今回の芝居で壱太郎は歌舞伎役者として確実に一ステージ高みに登ったと思う。鑑賞教室、侮るべからず。


♪2019-085/♪国立劇場-09

2019年6月10日月曜日

令和元年6月 第95回歌舞伎鑑賞教室「神霊矢口渡」

2019-06-10 @国立劇場


解説 歌舞伎のみかた  中村虎之介

福内鬼外=作
神霊矢口渡 (しんれいやぐちのわたし) 一幕
    国立劇場美術係=美術
       頓兵衛住家の場

(主な配役)
渡し守頓兵衛⇒中村鴈治郎
娘お舟⇒     中村壱太郎
船頭八助⇒    中村寿治郎
傾城うてな⇒ 上村吉太朗
新田義峰⇒    中村虎之介
下男六蔵⇒    中村亀鶴
        ほか

通し狂言としても観たことがあるが、全幕中で一番の見所が大詰「頓兵衛住家の場」だろう。今回は鑑賞教室ということもあってこの幕だけが上演された。

前回は頓兵衛を歌六、お船を雀右衛門(当時:芝雀)が演じて素晴らしく印象に深く残っていたが、今回は鴈治郎に壱太郎という実の親子の共演だ。

近年成長著しい壱太郎がどこまで一途な<お船>の純情と命がけの想いを見せてくれるのかが楽しみだった。

が、終盤の見せ場〜
お船が一目惚れした新田義峰を追っ手から逃してやるために、義峰の身代わりとなって、欲深かな実の親・頓兵衛に刺され、打擲され、ボロボロになっても這いつくばって櫓に上がり、鐘を突いて追っ手の囲みを解こうとする〜
を「人形振り」で見せるという演出に本当にびっくり。

人形になりきった壱太郎には2人の黒衣(くろご)が付き、当然表情を変えない。着物の袖からほんの少し顔を出す白塗りの揃えた手指は本物の人形のように可愛らしい…

のだが、不思議なことにむしろ観ている側の感情は激しく揺さぶられた。

この人形振りにはまだ、研究の余地があるとは見たが、雀右衛門のお船とは別趣の悲劇性が高められ、思わず見入ったものである。
楽日は予定があってゆけないが、少し手前にもう一度観にゆくべくチケットを買った。あと10日余りでどれほど腕を上げているか、楽しみだ。

♪2019-078/♪国立劇場-08

2015年11月6日金曜日

11月歌舞伎公演「通し狂言 神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」

2015-11-06 @国立劇場


平成27年度(第70回)文化庁芸術祭協賛
福内鬼外=作
通し狂言 神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)
  四幕       
  国立劇場美術係=美術
        
 序  幕  東海道焼餅坂の場
 二幕目  由良兵庫之助新邸の場
 三幕目  生麦村道念庵室の場
 大  詰  頓兵衛住家の場

 中村吉右衛門⇒由良兵庫之助信忠
 中村歌六⇒江田判官景連/渡守頓兵衛
 中村又五郎⇒南瀬六郎宗澄
 中村歌昇
 中村種之助
 中村米吉
 嵐橘三郎
 大谷桂三
 中村錦之助⇒竹澤監物秀時/新田義興の霊
 中村芝雀⇒新田の御台所筑波御前/頓兵衛娘お舟
 中村東蔵⇒兵庫之助妻湊
         ほか


こういう演目が歌舞伎にあるとは全く知らなかったが、作者は福内鬼外(ふくうちきがい)というふざけたようなペンネームを名乗った本邦のダ・ヴィンチとも言えるか?平賀源内だそうだ。

まことに才能溢れているというか、器用というか、驚くほど多方面に業績を残しているとは聞いていたが、人形浄瑠璃の作家でもあったとは驚き。

他にも8作が伝わっているというが、実際に今も上演されるのは「神霊矢口渡」だけらしい。

本作も最初は人形浄瑠璃で、そのほぼ四半世紀後に歌舞伎に移された。今回の国立劇場の通し狂言版では(解説に両者の異同については触れてなかったが)、多分、人形浄瑠璃の構成をほとんどそのままに再構成したのではないか。

歌舞伎での初演時は今回の幕でいえば二幕目(由良兵庫之助新邸の場)が中心で、大詰め(頓兵衛住家の場)は上演されなかったが、今日ではもっぱら頓兵衛住家の場が上演されるのみで、今回の二幕目の上演はなんと100年ぶりだというし、序幕は109年ぶり、三幕目は119年ぶりだという。

さすがに国立劇場ではある。
内容はともかく、温故知新も大切な仕事だ。


当然に初めて鑑賞する演目だ。
主役である?由良兵庫之助(吉右衛門)が登場するのは二幕目だけで、その後は名前すら出てこない。この幕で完全に自己完結している。

三幕目は閑話休題といったところで、大詰めの「頓兵衛住家の場」で一挙にドラマチックな展開と終幕になる。
ここでは主役は極悪非道の頓兵衛(歌六)とその娘お舟(芝雀)だ。由良之助の影も形もない。

この二幕目と四幕目を同時に演じ、観るというのは役者にもお客にもかなりエネルギーが必要だ。それでどちらかを中心に据え片方は除け者にされた。どちらがいいか、は演じた役者の持ち味にもよるだろうし、時代によって物語の好みが変わっていったとも言えるのではないか。

とはいえ、新田家の再興という筋を底辺に、一応、全幕話は繋がっているので、観ていて混乱もないし、それぞれの場がそれぞれに面白い。


初代吉右衛門以来100年ぶりに当代吉右衛門が演じた由良之助は悲愴な計画を胸に秘め、忠臣を殺し、我が子の首を刎ね、妻(東蔵)に詰られながらの高笑いがやがて慟哭に変わる芝居の迫力は胸に迫るものがあった。

もう一組の主役、歌六と芝雀の親子の悲劇も実に興味深い物語だ。両人とも入魂の芝居だったと思うが、特に芝雀が、恋してしまった父の敵方でもある若武者を無事に逃そうとして瀕死の身体で太鼓を打とうとして(打てば追手仲間に対する<若武者を捕まえた>という合図になり、深追いを食い止められるから。)、なかなか打てない緊迫感には手に汗握ってしまった。

悲劇だけではなく、喜劇的要素も随所に織り込まれ、笑いもあり、どの幕も楽しめる盛り沢山な芝居だった。

200年余の伝統に注文付けてもしかたがないけど、由良之助が大詰めにも顔を出すような脚色をすればまとまりが良かったのにと思うが、歌舞伎の筋立てって、筋が通らないのが多いものな。


♪2015-109/♪国立劇場-05