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2018年3月3日土曜日

三月歌舞伎公演「増補忠臣蔵」/「梅雨小袖昔八丈」

2018-03-03 @国立劇場

●『増補忠臣蔵』


桃井若狭之助⇒中村鴈治郎
三千歳姫⇒中村梅枝
井浪伴左衛門⇒市村橘太郎
加古川本蔵⇒片岡亀蔵
        ほか

●『梅雨小袖昔八丈』


髪結新三⇒尾上菊之助
下剃勝奴⇒中村萬太郎
白子屋手代忠七⇒中村梅枝
白子屋娘お熊⇒中村梅丸
白子屋後家お常⇒市村萬次郎
紙屋丁稚長松⇒寺嶋和史
家主女房お角⇒市村橘太郎
家主長兵衛⇒片岡亀蔵
加賀屋藤兵衛⇒河原崎権十郎
弥太五郎源七⇒市川團蔵
         ほか

明治150年記念

一、増補忠臣蔵(ぞうほちゅうしんぐら)一幕二場
 ―本蔵下屋敷―(ほんぞうしもやしき)
     国立劇場美術係=美術
  
  第一場 加古川家下屋敷茶の間の場
  第二場 同        奥書院の場

河竹黙阿弥=作
尾上菊五郎=監修
二、梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)三幕六場
 ―髪結新三―(かみゆいしんざ)
     国立劇場美術係=美術
  
  序幕  白子屋見世先の場
      永代橋川端の場
  二幕目 富吉町新三内の場
          家主長兵衛内の場
        元の新三内の場
  大詰    深川閻魔堂橋の場

国立の歌舞伎は通し狂言が多いが、昨年の秋に続いて今回は2本立てだった。
最初の「増補忠臣蔵」は僕には初モノだが、「仮名手本忠臣蔵」
の九段目(山科閑居)の前日譚だとは承知していたので楽しみだった。ここで主人公は加古川本蔵が仕える桃井若狭之助であるが、筋立てからは本蔵の方が重い役にも思える。「仮名手本〜」全体を通じても重要なキーパーソンであり、なかなか魅力的な人物だ。

「増補」と付いているのは、「仮名手本〜」の話の一部を膨らませたという意味だが、出来たのが明治の始め頃らしい。最初は人形浄瑠璃で、明治30年が歌舞伎版の初演。初代鴈治郎が桃井若狭之助を演じ、二代目も三代目(現・藤十郎)も得意とし、歴代鴈治郎が演じてきたが、当代の鴈治郎としては今回初役であり、先代までは東京では演じてこなかったので、東京での公演は65年ぶりなのだそうだ。

1幕2場で公演時間もちょうど1時間というこじんまりした作品だ。登場人物も少なく筋も簡単で分かりやすい。

ほとんど、若狭之助(鴈治郎)と本蔵(片岡亀蔵)の主従のやりとりで、若狭之助に見送られて虚無僧姿で出立するところでこの芝居は終わるが、忠臣蔵の物語としてはこの後に九段目が続くと思うと、なかなかその別れも味わい深いものがある。

今日は初日だったせいか、竹本と2人のセリフに少しズレというほどでもないけどぴったり感のない箇所があったような気がした。

また、これは本質的なことだけど、鴈治郎の芝居と亀蔵の芝居がそもそもタイプが違うというか、木に竹継いだようで、うまく噛み合っていなかったように思う。

2本めがいわゆる「髪結新三」だ。菊之助初役。
この人は美形過ぎてヤクザな新三には不似合いだと思っていたが、なかなかどうして、ほとんど違和感がなかった。
ただ、最初の方で忠七(梅枝)の髪を整えるところの仕草はちっとも髪結いには見えなかったな。誰だったか、現・芝翫だったか、松緑だったか思い出せないが、多分ふたりとも今日の菊之助より髪結いらしかったな。

まあ、こちらの腕も徐々に上がるだろう。
家主長兵衛とのやり取りなど、とてもおかしい。初役はひとまずは成功だと思う。

この長兵衛を片岡亀蔵が演じていて、ここではまことに嵌り役だ。この人は軽めの(こってりしない)芝居が合っているのではないか。

梅丸は既に何度か観て娘役として実にかわいらしいのでとても男が演じているとは思えない。

♪2018-026/♪国立劇場-005

2015年10月7日水曜日

松竹創業120周年 芸術祭十月大歌舞伎 壇浦兜軍記 阿古屋〜梅雨小袖昔八丈 髪結新三

2015-10-07 @歌舞伎座


一 壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)
 阿古屋

 遊君阿古屋⇒玉三郎
 岩永左衛門⇒亀三郎
 榛沢六郎⇒功一
 秩父庄司重忠⇒菊之助

 Ⅱ世尾上松緑二十七回忌追善狂言
二 梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)
 髪結新三

 序 幕 白子屋見世先の場 
     永代橋川端の場
 二幕目 富吉町新三内の場
     家主長兵衛内の場
     元の新三内の場
 大 詰 深川閻魔堂橋の場

 髪結新三⇒松緑
 白子屋手代忠七⇒時蔵
 下剃勝奴⇒亀寿
 お熊⇒梅枝
 丁稚長松⇒左近
 家主女房おかく⇒右之助
 車力善八⇒秀調
 弥太五郎源七⇒團蔵
 後家お常⇒秀太郎
 家主長兵衛⇒左團次
 加賀屋藤兵衛⇒仁左衛門
 肴売新吉⇒菊五郎


歌舞伎鑑賞は月1回と決めていたけど、今月は一昨日の国立劇場に続いて歌舞伎座の夜の部を観た。

なぜか、と言えば、玉三郎の舞台は過去に観たことがなかったし、それも「阿古屋」をやるという。この作品も初めてだけど、何が見どころか、ぐらいは本で読んで知っていたので、一度は観ておきたいと思ったのが一つ。

それと、髪結新三を松緑が演るというのに大いに惹かれた。
「髪結新三」は3月に国立劇場で橋之助の髪結新三を観たばかりだ。これはこれで悪くはなかったが、橋之助は品が良すぎて新三のワルぶりが僕にはピタッとこなかった。今回は、松緑が演るという。これはお似合いだと思う。是非観たい。


「阿古屋」
今も頼朝の命を狙う平家の武将平の悪七兵衛景清(あくしちひょうえかげきよ)の行方が分からない源氏方は、景清の愛人・傾城阿古屋(玉三郎)を堀川御所に引きたてその所在を問う。
取り調べに当たるのが秩父庄司重忠(菊之助)とその助役岩永左衛門致連(亀三郎。<致連⇒むねつら>)だが、彼女は知らないという。
そこで致連は阿古屋を厳しく拷問にかけて白状させようとするが、重忠はそれを制して理と情に訴えて諭す。
それでも本当に知らない阿古屋は私の言葉が信じられないならいっそ殺してくれという。
そこで、重忠も意を決してあらためて阿古屋を拷問にかけようと責め道具を準備させる。
その道具というのが、琴、三味線、胡弓である。

これじゃ、拷問にならないじゃないの…。

と、フツーは不審に思うはずだけど、事情を知ったる観客には、むしろ、「よ、待ってました」という感じだ。

物語の合理性には頓着しない。
面白ければ何でも取り込む。
こうやって、歌舞伎は発展してきたのだろう。西洋の合理主義では捉えきれない飛躍・跳躍の芸だと思う。

玉三郎が、相当重いと思われる鬘や衣装を身に纏い、3種類の楽器を順番に実際に弾いてみせる。
もっとも完全な独奏ではなく、三味線の伴奏・掛け合いも入るので、この呼吸を合わせるのも容易ではないだろう。

琴、三味線には下座音楽の三味線がある程度代わりができるが、胡弓の音楽は三味線では代用できないので、気が抜けない。いや、全部気を抜いたりしていないだろうが。
それだけでもう感心してしまうのだけど、終始、その姿形が美しい(楽器を操るにはかなり無理があるにもかかわらず。)。

演奏の合間には取り調べの重忠と阿古屋の間に問答があり、問われて景清との関係を阿古屋が音楽に託して説明する段取りだ。
彼女の演奏を聴き終えて重忠は景清の行方を知らないという阿古屋の言葉に偽りがないと判断する。

異を唱える致連に、重忠は、もし阿古屋の心に偽りがあれば、演奏に心の乱れが表れるはずだが、一糸の狂いもなかった、と応え、阿古屋を釈放する。

この芝居は圧倒的に阿古屋の芸を見せるためのものだ。それだけでもう十分とも言えるが、他にも観客を楽しませる仕掛けがある。
元は人形浄瑠璃であったことからその芸を取り込もうとしたのか、遊び心からなのかは知らないけど、致連役が人形振りで演じられる。劇中はもちろん代官の助役という役だが、彼だけは人形のカタチで演じられる。
人形であるので、セリフは浄瑠璃(竹本)が語るので演じている役者は言葉を発しない。
人形であるので黒子が2人付く(ここで黒子はフツーの黒子ではなく、黒子の<役>を演じているのだ。歌舞伎座の「筋書き」にも登場人物として扱われている。)。
黒子によって操縦される人形になりきるので、動きもそのようなぎこちなさをわざと見せる。
顔も手も真っ赤に塗られており(<赤っ面>というそうだ。)、眉は人形のように上下する。
重忠が白塗りであるので2人は好対照になっている。

この動きや無・表情がおかしい。致連の一人芸だけでも一幕が成り立ちそうだ。

亀三郎の芝居はだいぶ見ているけど大きな役としては国立劇場での「壺坂霊験記」の沢市くらいしか覚えていなかったが、致連のおかしさで、強くインプットされた。

菊之助の重忠も、声もよく通るし、これまでにない力強さを感じた。


で、竹田奴って何?
致連が阿古屋を責めさせようとして呼び出すが、重忠の「鎮まれ、鎮まれ!」の言葉で、キャッキャと言ってすぐ引き下がる。
文楽人形の端役を模しているらしいが、何でもありの歌舞伎だとはいえ、これは何を意味しているのかさっぱりわからない。
人間国宝玉三郎の重厚な演技とは全く溶け合わない演出だが、昔からの決まり事なのだろうけど出てこない方がいいのに。




髪結新三
主要な登場人物が全員悪党というのがおかしい。
中でも一番悪党は新三(松緑)からまんまと15両と滞納家賃2両をゆすり取り、さらに初鰹の半身まで貰い受けて帰る家主の長兵衛(左團次)かもしれないが、その長兵衛も盗人に入られて元も子もない。因果応報というか、これでお客もすっきりする。

やはり、松緑(の新三)は粋な小悪党がよく似あって面白かった。
初役だそうだが、すっかり新三が身についているという感じだ。

配役をよく見てゆかなかったので、肴売りという小さな役で大御所菊五郎が登場したのには驚いた。ファンサービスだ。鰹の捌きにしてもセリフ回しにしても板についてなかったが、これはご愛嬌だろう。


♪2015-98/♪歌舞伎座-01

2015年3月5日木曜日

3月歌舞伎公演 「梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)-髪結新三-」 「三人形(みつにんぎょう)」

2015-03-05 @国立劇場


中村橋之助 ⇒髪結新三(しんざ)
中村錦之助 ⇒弥太五郎源七/若衆
市川門之助 ⇒手代忠七(ちゅうしち)
中村松江  ⇒加賀屋藤兵衛
中村児太郎 ⇒白子屋(しろこや)お熊/傾城
中村国生  ⇒下剃勝奴/奴
坂東秀調  ⇒車力善八
市村萬次郎 ⇒家主女房お角(おかく)
市村團蔵  ⇒家主長兵衛 
市川荒五郎   ⇒按摩徳市
市川門松  ⇒合長屋権兵衛
中村芝喜松   ⇒白子屋後家お常
中村芝のぶ   ⇒白子屋下女お菊
中村橋吾      ⇒肴売新吉
坂東玉雪      ⇒大工勘六・夜そば売仁八

  ほか(/は「三つ人形」の役)


河竹黙阿弥=作
●梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)
三幕六場
            - 髪結新三 - 
            国立劇場美術係=美術      

序 幕 白子屋見世先の場
    永代橋川端の場

二幕目 冨吉町新三内の場
    家主長兵衛内の場
    元の新三内の場

大 詰 深川閻魔堂橋の場   


●三人形(みつにんぎょう) 常磐津連中  
国立劇場美術係=美術 


髪結新三(かみゆいしんざ)の名前はこれまでも耳にし、目にしてきたが、どういう話か全く知らなかった。

新三は出前床屋だ。
江戸時代にはそういう職業があったらしい。主に大店の帳場に出入りして店の番頭だの丁稚だのの髪を結うのを生業にしていたのだが、そういう仕事柄から、得意先ではあれやこれやの面白おかしい話を耳にすることがあり、この芝居で描かれる白子屋お熊の事件も、新三が出入りの材木問屋白子屋で娘の嫌がる婿養子の件を小耳に挟んだことから大事に発展してゆく。

元々は実話で、元禄から亨保に時代が変わった頃の江戸下町で起こった。
人形町の少し北側に昔は新材木町という町があった(今では堀留町になっている。)。その名のとおり材木問屋が軒を並べていたようだ。その中に、白子屋という老舗があったが、台所は火の車。
そこで、娘お熊に持参金付きの婿養子を取った。

ところが、お熊には末を約束していた手代の忠七(ちゅうしち)がいたため、結婚後も忠七と密通を重ね、親も黙認していたが、いよいよ欺瞞の結婚生活に我慢できず、亭主毒殺を謀って失敗。次に下女にカミソリで切りつけさせるもこれも失敗し、ついに事件は表沙汰に。

これを裁いたのが大岡忠相(享保の改革によって南町奉行に取り立てられた。大岡裁きの話のほぼ全てはほかの役人が担当したか、あるいはつくり話だそうで、唯一本当に忠相が担当したといわれているのがこの白子屋お熊の事件だそうな。)。
関係者は厳しく罰せられた。

主犯であるお熊は町中引廻しの上獄門となったが、その際お熊は、白無垢の襦袢と中着の上に当時非常に高価であった黄八丈の小袖を重ね、水晶の数珠を首に掛けた華やかな姿で野次馬たちの目を奪ったそうだ。


この実話を基にしているが、この芝居ではお熊の犯罪は全く描かれず、おそらく創作上の人物であろう髪結新三が、婿養子に難色を示すお熊と手代の忠七との仲を知って、一儲けしようという話になっている。

興味深いのは、主要な登場人物は悪党ばかり、という点だ。

忠七を騙し、お熊をかどわかしてこれを材料に白子屋をゆすろうとする新三はもちろん悪党。
その近辺の顔役で侠客を気取っている源七はお熊を助け出そうとしたが髪結風情にコケにされて面目をなくす。が元は悪党。
新三と巧みに交渉して身代金の大半を着服する家主の長兵衛もやはり悪党。

新三をめぐって2人の悪党がお熊を解放させようとするが、親分肌の源七が失敗し、年寄りの長兵衛がしてやったりなのは、新三には長兵衛の損得勘定の説得に屈したというより、同じワルの気配を感ずるものがあったからだろうと思う。

この2人は、悪党だがいずれも愛嬌があって憎めない。
江戸の町衆を束ねる価値観を彼らの生き様にみるような気がした。

粋、いなせ、きっぷ、といった(説明の難しい)人の生きざまは、ここで描かれるような町衆の中で育まれてきたんだろうなあ、と思った次第。

新三の悪巧みは長兵衛によって期待外れに終わってしまうが、思わぬ儲けを手にした長兵衛も以外な顛末が待ち受けていて、ここは大笑い。なるほど、「髪結新三」って歌舞伎だけでなく落語にもなっているんだ。

江戸町民の暮らしぶりを描く話(「世話物」)だけに、派手さはなく、見得を切る場面も殆ど無いので、大向うも出番が少ないのは寂しいけど、人間ドラマとしては良くできている。


橋之助は初役だそうだが、新三の憎めない小悪党ぶりが板についてとても良かった。

また、家主夫婦を萬次郎と團蔵が実に軽妙に演じて楽しかった。

源七を演じた錦之助も、これは非常に難しい役だと思うけど自然体でよかったと思う。

大道具などの美術も、江戸下町の物語なので、リアルで地味だが、唯一、初鰹の作り物には驚いた。このユーモアが歌舞伎の世界にもシラーっと顔を出すのがおかしい。


「三人形」は常磐津による舞踊劇だ。
長唄(とプログラムには書いてあったが、常磐津じゃないのだろうか?)の詞章(ししょう⇒語り物の文章)は耳では残念ながらほとんど聞き取れない。刷り物を読めば何が書いてあるかは分かるけど意味はいまいち。
ああ、昔の人はこれで理解できたのだろうなと思うと、自国の古典が理解できないのが情けない。

が、人形に見立てたきれいなお兄さんお姉さんが、桜満開の吉原を模した書割を背景に踊る姿は、いと美し。


♪2015-20/♪国立劇場-02