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2015年5月4日月曜日

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2015 No.346 恋する作曲家たち~シューマンの愛妻へ捧げる協奏曲

2015-05-04 @東京国際フォーラムC

アジス・ショハキモフ:指揮
エカテリーナ・デルジャヴィナ:ピアノ*
デュッセルドルフ交響楽団

シューベルト:「ロザムンデ」序曲 D644
シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 op.54*


「熱狂の日」の僕の最後のプログラムは、初日冒頭のプログラム「ゴールドベルク変奏曲」を弾いたエカテリーナ・デルジャヴィナで幕を閉じることになった。

オーケストラも初日にブラームスのピアノ協奏曲第1番を聴いたデュッセルドルフ交響楽団だ。

因みにこのオケはドイツで2番めに古いそうでメンデルスゾーンやシューマンが音楽総監督を勤めていたという。そんなオケで「熱狂の日」最後にシューマンを聴くのはなんだか嬉しい。

初日は3ステージ共に完全燃焼できなかったが、この日は違った。
シューベルトもシューマンもとても満足できた。
ひとつは、会場のせいもあるだろう。
初日にデュッセルドルフ交響楽団を聴いたのはキャパ5000人超のホールAなので、後日の古楽アンサンブルでは元々シンフォニックではない為か特に不満は感じなかったけど近代的中規模オーケストラの場合は、音が綺麗に交響するというより何処かへ拡散して希薄化するような印象を受けた。
その点、ホールCは1500人と、オーケストラを聴くにはちょうどいいサイズだ。


その期待どおりにオケの響もピアノの鳴り具合も申し分なく、「ロザムンデ」はシューベルトのロマンチックな情感を十分聴かせてくれたし、エカテリーナのシューマンも「ゴールドベルク」での違和感を帳消しにしてくれた。
そもそも、このクラスに上手も下手もないだろうし、素人に分かるようなミスはしない。要するに、自分の中に持っているシューマンのイメージをオーケストラとの調和の中で再現してくれたら、僕のレベルでは十分、という訳なのだけど。

「熱狂の日」3日間の有終の美を飾ってくれるステージだった。

♪2015-44/♪東京国際フォーラム-08

2015年5月2日土曜日

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2015 No.113 恋する作曲家たち~ブラームスの秘めた激情


2015-05-02 @東京国際フォーラムA


アジス・ショハキモフ:指揮
アブデル・ラーマン・エル=バシャ:ピアノ
デュッセルドルフ交響楽団

ブラームス:ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 op.15


よみうりホールで不完全「熱狂」の次はそのキャパシティが約5倍というマンモスホールだ。これだけ広いとある程度前の方の席を確保しなければ欲求不満に陥るおそれがある。

今年の「熱狂の日」は全9公演すべてS席というプチ贅沢をしたが、このホールAは収容人員5千人超というマンモスホールなので、Sだからと言っても良い席とは限らない。

このコンサートではやや上手寄りだったが、この広大な空間としてはかなり前の方が取れた。
まあ、上等な位置だろう。

このステージに立った演奏家たちを全く知らなかった。
デュッセルドルフ交響楽団の名前は聴いたことがあるけど演奏はどうかなあ。

ブラームスのピアノ協奏曲第1番はお気に入りの曲だ。
ティンパニーロールから弦が不気味に迫ってくる。
これをCDで聴いているととても迫力があっていい音楽なのだけど、この日もちょっと疑問が湧いた。


先月末にサントリーホールで日フィル(ピエタリ・インキネン:指揮、アンジェラ・ヒューイット:ピアノ)の演奏を聴いた時に感じた不満を今回も感じたのは、僕の体調のせいでもなかろう。

天才ブラームスの作品にケチをつけるのはとんでもないことだが、この冒頭はやはり非常に大切な部分で、全体の印象を決定づける。ところが、ティンパニーの強烈な地響きのようなロールに対して、弦の入りの音楽は音程が低いためにティンパニーにかき消され気味で、音の厚みに欠けるように思う。そこが物足りないのだ、とこの日改めて思った。CDではおそらくバランスよく録音してあるから強奏部分の音抜けはないのではないか。
さりとて、この協奏曲をナマで聴くのは昨日今日に始まったことではないが、以前は感じなかったことを感ずるようになったのは、少しは感性が磨かれたのか、逆に雑念が入るようになったのか、どうなのだろう。

いずれ再び聴く機会は近く訪れるだろう。
その時、この第一楽章冒頭をやはり空疎な響と感ずるのだろうか。

♪2015-37/♪東京国際フォーラム-01