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2018年9月25日火曜日

神奈川フィルの名手による室内楽シリーズ《名曲の午後》第11回 「室内楽によるブルックナーの『交響曲第7番』」

2018-09-25 @フィリアホール



石田泰尚:第1バイオリン/神奈川フィル首席ソロ・コンサートマスター
直江智沙子:第2バイオリン
大島亮:ビオラ
門脇大樹:チェロ
米長幸一:コントラバス
齋藤雄介:クラリネット
豊田実加:ホルン
中桐望:ピアノ
北村朋幹:ピアノ
西沢央子:ハルモニウム

ヒンデミット:朝7時に村の湯治場で素人の楽団が初見で演奏をする「さまよえるオランダ人」序曲
ブルックナー(E.シュタイン、H.アイスラー、K.ランクル編曲):交響曲第7番ホ長調WAB107(混合九重奏版)

ブルックナーの交響曲はマーラーほどではないが、毎年どこかのオケが取り上げるので、記録を残している2014年以降、僕は1年に4本弱平均で聴いている。とはいえ、全10曲もあるから、中には第1番のように生では聴いたことがない作品もあり、第2、6、8、9番は1度ずつしか聴いていない。多いのは第5番で、それに第4番と第7番が続く。
というわけで第7番は比較的聴く機会が多い。にもかかわらず、馴染みが少なく、あまり良い印象を持っていなかった。

今回、神奈川フィルの首席クラスで、室内楽としてブルックナーの第7番をやるというのでずいぶん楽しみだった。

「神奈川フィルの名手による室内楽シリーズ《名曲の午後》」の前回はシューベルトのロザムンデ(原曲は弦楽四重奏曲)を弦楽十二重奏で演奏したのが面白かったが、今回は、弦5部各1人ずつにピアノ連弾、ホルン、クラリネット、ハルモニウムという非常に変わった編成の10人による九重奏だ。

こういう小編成でやると、各声部の動きがよく分かるので、その点では面白く聴いた。が、当然ながらオケのようなアンサンブルに厚みがないし、せめてティンパニーでも入っておれば迫力も出たろうけど、えらくおとなしい音楽になってしまった。

かの大作を、手軽に演奏してみる、という楽しみのために編曲されたのではないか。聴手より、むしろ演奏家たちの楽しみのための作品だ。

ロザムンデと異なって、この音楽は、やはり大規模なオーケストラで味わいたいな。

♪2018-118/♪フィリアホール-03

2018年1月31日水曜日

みなとみらいクラシック・マチネ~ピアノと管楽器のための五重奏曲〜

2018-01-31 @みなとみらいホール


川井綾子:ピアノ*
古山真里江:オーボエ
齋藤雄介:クラリネット
鈴木一成:ファゴット
豊田実加:ホルン

ベートーベン:ピアノ・ソナタ第8番ハ短調「悲愴」作品13*
ベートーベン:ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調 作品16
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アンコール
モーツァルト:ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調 K452から第3楽章

ベートーベンの「ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調」は初聴きだった。
面白いのは、ベートーベンはこれをモーツァルトが同じ歳の頃に作曲した作品(「ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調」)と同じ編成・調性・構成でなぞるように作ったということだ。
アンコールでモーツァルトの同作品3楽章を聴けたのは良かった。
両者とも27歳頃の作品で若々しく陽性。それに両作品ともよく似た感じだ。最初からこれはベートーベンの作品だ、と分かっていて聴くとところどころそれらしい部分を発見できるけど、ことわり無しに聴いたら、どっちがどっちか分からなかったかも。

♪2018-012/♪みなとみらいホール-05

2015年4月11日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団音楽堂シリーズ第4回定期演奏会

2015-04-11 @県立音楽堂


川瀬賢太郎:常任指揮者
豊田実加:首席ホルン奏者
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

モーツァルト:ホルン協奏曲第3番  変ホ長調 K447
ハイドン:交響曲45番 嬰ヘ短調 Hob.I45「告別」
シューマン:交響曲第3番 変ホ長調作品97 「ライン」
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アンコール
ピアソラ(大橋晃一編):アヴェ・マリア(ホルンと管弦楽)


実は、ホルン協奏曲には若干の不安があった。
けど、出だし快調。始め良ければ終わり良し。
これといって破綻もなく、多分、初めて聴く?作品を楽しめた。

ハイドンの「告別」は、音楽は多少の馴染みもあり、演奏上どういう仕掛けがあるか知っていたが、生の演奏を聴く・観るのは始めてで、なるほどおかしかった。

「告別」と聞くと「葬儀」をイメージするけど、ここでは言葉の本来の意味どおり「いとまごい」といった意味だ。

ハイドンたち宮廷楽団員の雇い主(エステルハージ公爵)が夏の別荘で思わぬ長居をすることになり、楽団員たちの単身赴任期間が延長されそうになって一計を案じたハイドンが、新しい交響曲で、もう家に帰らせてください!というシグナルを送り、公爵もその意味に気づいて滞在を切り上げたのだそうだ。

元々はオーケストラと言っても当時はとても小規模だったし、特にこの曲は13人だったらしい。避暑地の演奏形態としてポータブルにしていたのかも。

今回の神奈川フィルの編成はさすがにそんなに小さくはなくて、20人前後はいたように思ったけど、まあ、いつもの編成に比べると格段に小さい。

ハイドンには珍しい短調(交響曲全108曲のうち短調は11曲。)で、これは何事か!というただならぬ気配で始まる。
第2楽章は倦怠感たっぷり。
第3楽章は、型どおりのメヌエットを配置しました、という感じ。
そして問題の第4楽章。
後半アダージョに変調してから残り4分位からかな。楽団員が一人、また一人と舞台からいなくなってしまう。
照明もだんだん落ちていった。
ハイドンの初演時は消えてゆく楽団員はそれぞれろうそくを消して退場していったらしいからそれに倣った演出なのだろう。

やがて小規模弦楽合奏になり、そこから、チェロが去り、ビオラが去り、バイオリンを2人残して指揮者もいなくなる。
最後の最後はコンサートマスターがラストの音を弾き終えて彼も舞台を去る。

こういうハイドンらしいユーモアに満ちた仕掛けで、公爵も重い腰を上げざるを得なかったようだ。

コンサートは誰もいなくなった舞台に明かりがついて、休憩に入った。


この後、シューマンの「ライン」で、音楽的にはこれが一番の楽しみだったが、どうもいまいちピンと来なかった。

古典派の音楽は、オケも小編成なので、各パートの音もクリアに聴こえる、残響の短い音楽堂ならではのソリッドなサウンドがピッタリあっているように思うけど、ロマン派の場合、音があまりにクリアカットだと音楽としてはどうも情感に乏しい。
ましてやシューマンだ。芳醇な響きがほしい。
どうも、ハイドンの続きのような乾いたシューマンだったのは、音楽堂のせいもあるだろうけど、オケの規模が小さすぎたのかもしれない。

それはそれとして、前に、読響でモーツァルト「魔笛」序曲、シューマン交響曲第3番「ライン」、ベートーべン交響曲第3番「英雄」のプログラムを聴いた時の解説に、すべてに共通する「3」という数字に秘められた意味が書いてあったが、今回の神奈川フィルのプログラムにも同旨のことが書いてあった。

その表面的な部分だけ抜き出せば、ホルン協奏曲も「ライン」も第「3」番。
このいずれも変ホ長調で♭が「3」つ。
「告別」も嬰ヘ短調で♯が「3」つ。
「ライン」の冒頭は3拍子が2拍子に聴こえる作曲手法「ヘミオラ」を多重に用いて、本来の4分の3拍子と2分の3拍子の「ヘミオラ」に1分の3拍子の「二重ヘミオラ」の「3」つの3拍子を組み合わせている。
で、だから何だ、ということだが、キリスト教社会にあって、「3」は「三位一体」を表している。
教会音楽では長く頑なに3拍子が守られ、2拍子の導入は宗教上の大問題だったらしい。

たまたまのことなのか、作曲家がそんなこだわりを以って作曲したのか、僕は分からない。

♪2015-29/♪県立音楽堂-03