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2023年2月11日土曜日
未来へつなぐ国立劇場プロジェクト 初代国立劇場さよなら公演 近松名作集第Ⅲ部 女殺油地獄
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2022年12月16日金曜日
未来へつなぐ国立劇場プロジェクト 初代国立劇場さよなら公演 本朝廿四孝 (ほんちょうにじゅうしこう)
2022-12-16@国立劇場
●二段目
◎信玄館の段
薫太夫/清允
◎村上義清上使の段
南都太夫/團吾
◎勝頼切腹の段
織太夫/燕三
◎信玄物語の段
藤太夫/宗助
●四段目
◎景勝上使の段
碩太夫/友之助
◎鉄砲渡しの段
咲寿太夫/寛太郎
◎十種香の段
呂勢太夫/藤蔵
◎奥庭狐火の段
希太夫/清志郎
ツレ 燕二郎/琴:清方
アト 聖太夫/清方
◎道三最後の段
亘太夫/錦吾
人形役割
腰元濡衣⇒一輔
常磐井御前⇒文昇
村上義清⇒玉彦
勝頼実は板垣子息⇒紋臣
板垣兵部⇒亀次
蓑作実は勝頼⇒玉佳
武田信玄⇒文司
長尾謙信⇒玉勢
長尾景勝⇒紋秀
花守関兵衛実は斎藤道三⇒簑紫郎
八重垣姫⇒簑二郎
山本勘助⇒玉輝
18年5月に「本朝廿四孝」(全五段)のうち、三段目(桔梗原の段、景勝下駄の段、勘助住家の段)を観たが、なかなか複雑な話に付いてゆけなかった。
今回は、二段目(信玄館の段、村上義清上使の段、勝頼切腹の段、信玄物語の段)と四段目(景勝上使の段、鉄砲渡しの段、十種香[じゅしゅこう]の段、奥庭狐火の段、道三最後の段)だ。
これに最初に初段(大序<足利館大広間の段、足利館奥御殿の段>)と最後に五段目が加わって完成形…という訳でもなく四段目には今回省かれた[道行似合の女夫丸]と[和田別所化生屋敷の段]が<景勝上使の段>に先立つ。
なので、18年の公演と今回を合わせても、「全段」というには、抜けが多いのだけど、おそらく、二、三、四段目(のうちの<景勝上使の段>以降)を観れば、「本朝廿四孝」のほぼ全容が理解できる…らしい。
●感想…と言っても、とにかく、筋が頭の中で筋が繋がらない。特に今回は途中の三段目が抜けているので、解説など読みながら怪しい記憶と格闘したが難しい。
ただ、今回30年ぶりに上演されたという「道三最後の段」を観て、この複雑な戦国絵巻の争いの構図がぼんやりとではあるが、分かった。
ミステリー小説のように、重要な設定が最後までお客には隠されているのでアンフェアな感じもするが、それが明かされる大団円でなるほど、全てのエピソードがこうして繋がるのか、と合点した。
まる1日をかけて、あるいは、短い間隔で全段を観ることができたら、作者が仕掛けた壮大な物語を楽しむことができるだろう。
♪2022-194/♪国立劇場-132022年9月5日月曜日
未来へつなぐ国立劇場プロジェクト 初代国立劇場さよなら公演 第二部「寿柱立万歳」、「碁太平記白石噺」浅草雷門の段/新吉原揚屋の段
2022-09-05@国立劇場
第二部
●寿柱立万歳
太夫⇒竹本三輪太夫
才三⇒豊竹希太夫
ツ ⇒豊竹薫太夫
レ⇒竹本文字栄太夫
竹澤團七
鶴澤寛太郎
鶴澤燕二郎
鶴澤清方
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人形役割
太夫⇒ 吉田玉也
才三⇒ 吉田蓑一郎
●碁太平記白石噺 (ごたいへいきしらいしばなし)
浅草雷門の段
口 豊竹亘太夫/竹沢團吾
奥 豊竹咲太夫/鶴澤燕三
新吉原揚屋の段
切 豊竹呂太夫/鶴澤清介
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人形役割
豆蔵どじょう⇒ 吉田勘一
大黒屋惣六⇒ 桐竹勘壽
悪者観九郎⇒ 桐竹紋秀
妹おのぶ⇒ 吉田一輔
傾城宮城野⇒ 吉田和生
ただ、Ⅰ部は、真面目て働き者の農民に降りかかるこの上もない悲劇の連続が、後半の敵討ちの期待を盛り上げて面白いのだけど、Ⅱ部では、Ⅰ部の登場人物が1人しか登場せず、話が繋がっていることは分かっていても、感情移入ができない。
いよいよ敵討ちに出立する段になっても、時機を待てと止められては観客も納得できん。
こんなことなら、第Ⅲ部も通して決着の付く話に仕立てるべきではなかったか。
♪2022-125/♪国立劇場-082022年5月8日日曜日
豊竹咲太夫文化功労者顕彰記念 文楽座命名150年 文楽公演第Ⅲ部
2021年12月6日月曜日
国立劇場開場55周年記念 人形浄瑠璃文楽 令和3年12月公演
2021年9月5日日曜日
国立劇場開場55周年記念 人形浄瑠璃文楽 令和3年9月公演第Ⅲ部
2021年2月19日金曜日
鶴澤清治文化功労者顕彰記念 人形浄瑠璃文楽 令和3年2月公演第Ⅲ部
2021-02-19@国立劇場
●冥途の飛脚
淡路町の段
封印切の段
道行相合かご
小住太夫/清𠀋/織太夫/宗助/
千歳太夫/富助/
三輪太夫/芳穂太夫/亘太夫/碩太夫/團七/團吾/友之助/清允
紋臣/亀次/勘市/勘十郎/玉佳/文司/蓑一郎/勘彌/玉翔/玉誉〜
近松の心中もの。ちょうど4年前の2月公演でも上演されて観に行った。
遊女梅川に入れ込んだ飛脚問屋の跡継忠兵衛が、預り金に手を付けてまで身請けしたものの、それまでに築き上げてきた財産も信用もなくした上に法を犯して追われる身となり果てる。
かくなる上は二人して「生きられるだけ生きよう」と必死の道行。
霙の舞う中、一枚の羽織を「お前が」、「忠兵衛さんが」と互いに着せ合うのが美しくも哀しい。
自分で自分を冥土に運ぶ飛脚になってしまった忠兵衛は二十四歳。
梅川も二十歳前後だろう。
分別無くし、運命の糸に絡みとられて死出の旅。
♪2021-015/♪国立劇場-02
2020年2月19日水曜日
人形浄瑠璃文楽令和2年2月公演第Ⅱ部
2019年9月19日木曜日
人形浄瑠璃文楽令和元年09月公演 第1部 心中天網島
北新地河庄の段
三輪太夫/清志郎
呂勢太夫/清治
天満紙屋内の段
津国太夫/團吾
呂太夫/團七
大和屋の段
咲太夫/燕三
道行名残の橋づくし
芳穂太夫・希太夫・小住太夫・亘太夫・碩太夫/
宗助・清丈・寛太郎・錦吾・燕二郎
人形役割
紀伊国屋小春⇒和生
粉屋(こや)孫右衛門⇒玉男
紙屋治兵衛⇒勘十郎
女房おさん⇒勘彌
ほか
妻子有28歳紙屋治兵衛が曽根崎新地の19歳遊女小春に入れあげ、女房おさんは苦しみつつも亭主の顔を立て、小春もおさんと治兵衛の情の板挟みで身動き取れず。
恋・金・義理・人情が絡んでほぐれずどうにもならぬと落ちてゆくも哀れなり。
「道行名残の橋づくし」の義太夫に乗せて、難波の川端彷徨って遂には網島・大長寺で情死する。治兵衛と小春は身から出た錆とは言えるが、おさんがあまりに可哀想。4時間近い大曲だが救いのない話に悄然と劇場を出る。
♪2019-141/♪国立劇場-11
2018年12月9日日曜日
第50回文楽鑑賞教室「菅原伝授手習鑑」ほか
●団子売(だんごうり)
靖太夫<杵造>・咲寿太夫<お臼>・亘太夫・碩太夫/
團吾・友之助・清公・精允
人形▶玉翔<杵造>・紋吉<お臼>
●解説 文楽の魅力
希太夫/寛太郎
人形▶玉誉
●菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)
寺入りの段⇒小住太夫/寛太郎
寺子屋の段⇒前:千歳太夫/富助
後:睦太夫/清友
人形▶簑悠<菅秀才>・簑太郎<よだれくり>・文昇<戸波>・
豊松清十郎<千代>・和馬<小太郎>・玉峻<三助>・
玉也<武部源蔵>・玉輝<春藤玄蕃>・玉男<松王丸>・玉誉<御台所>・
その他大ぜい
「団子売」は歌舞伎では仁左衛門・孝太郎、猿之助・勘九郎のコンビで観たことがある。
歌舞伎では、このコンビの名前は「杵造」と「お福」だ。
お祝い事の舞踊劇で、筋書きらしいものはないけど、仲の良い夫婦が杵と臼で餅を搗くという所作だが、滑稽味もある。
文楽で観るのは今回初めてだったが、内容は同じだ。人形が踊ると人間が踊るより可愛げがある。
また、登場人物の名前が「杵造」は同じだが「お福」は「お臼」になっていた。「杵と臼」の役割どおりになっている。「杵と臼」が何を仮託しているかは見てのとおりだ。
五穀豊穣・子孫繁栄を祈る祝いの舞踊だというのが納得できる。文楽では「景事」(けいごと・けいじ)とも呼ばれているそうだが内容からは「閨事」でもあるような…。

文楽では昨年5月に「茶筅酒の段、喧嘩の段、訴訟の段、桜丸切腹の段、寺入りの段、寺子屋の段」を、6月にも「車曳の段、寺入りの段、寺子屋の段」を観た。
やはり、寺入りの前段、特に「車曳きの段」や「桜丸切腹の段」を知らないと、「寺子屋の段」の痛切な哀しみは理解できないと思うが、そうであったとしても、忠義のために我が子を殺す話は現代では徐々に共感が得難くなってきているのではないか。
モーツアルトのオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」など、実に古い価値観で作られているので現代人の共感を得るために演出家が苦労するのと同じで、儒教の八徳(仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌)などを思想の根底に据えた物語は、だんだん普遍性を失って、やがては成立しなくなるかもしれないな…と思った。
鑑賞教室の楽しみの一つ。
大夫のほか、普段は口を開くことのない三味線方や人形遣いもマイクを持ってそれぞれも分野を説明してくれる。
今回は、吉田玉誉の解説が存外傑作だった。
♪2018-165/♪国立劇場-17
2018年2月19日月曜日
人形浄瑠璃文楽平成30年2月公演 第3部「女殺油地獄」
近松門左衛門=作
女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)
●徳庵堤の段
豊竹靖太夫⇒与兵衛
豊竹希太夫⇒お吉(きち)/小菊
竹本小住太夫⇒七左衛門/森右衛門/大尽蠟九
豊竹亘太夫⇒小栗八弥/弥五郎
竹本碩太夫⇒お清/花車
●河内屋内の段
口 豊竹咲寿太夫
竹沢團吾
奥 竹本津駒太夫
鶴澤清友
●豊島屋油店の段(てしまやあぶらみせのだん)
豊竹呂太夫
鶴澤清介
●同 逮夜の段
豊竹呂勢太夫
竹澤宗助
◎人形
吉田和生*⇒豊島屋女房お吉
吉田簑之⇒豊島屋姉娘お清
桐竹勘昇⇒茶屋の亭主
吉田玉男⇒河内屋与兵衛
吉田簑太郎⇒小栗八弥
吉田玉輝⇒山本森右衛門
吉田玉志⇒豊島屋七左衛門
吉田玉也⇒河内屋徳兵衛
吉田勘彌⇒徳兵衛女房お沢
吉田幸助⇒河内屋太兵衛
吉田簑助*⇒与兵衛の妹おかち
吉田玉誉⇒綿屋小兵衛
ほか(*は人間国宝)
2月公演の第3部は、一番楽しみの「女殺油地獄」だ。
僕が初めてこの作品を観たのは歌舞伎版で40年近く昔の事、国立劇場だった。多分、当時の片岡孝夫、現・15代仁左衛門の与兵衛だったように微かに記憶しているが、何にも記録していないので勘違いかもしれない。とにかく、その時に受けたインパクトは大きくて「豊島屋油店の場(段)」というタイトルはとっくに忘れていたがあの油まみれで舞台を滑りながらの刃傷沙汰は忘れられない。
その後、歌舞伎でも見る機会がなかったが、ようやく文楽の形で再見が叶うことになったが、一体、人形であの殺しの場面をどう表現するのかというところが興味深い。
久しぶりに(と言っても文楽としては初見だが)この演目を観ると4つの段はそれぞれによくできている。面白い。それは、3段目に大きな山場があることが分かっているから、今の出来事、人間関係がどう絡み合って愁嘆場を迎えることになるのかという関心が人形や語りに集中させてくれるからだろう。
そして、主役の与兵衛のキャラクターがいい。番頭上がりで主人亡き後婿養子に入った継父の河内屋徳兵衛が元の主人の実子である与兵衛には厳しく処すことができず、いわば甘やかし放題の結果、放蕩息子になってしまっているのだが、近松のほかの世話物(例:心中物)などでも登場する男たちはだらしのない情けない男ばかりだが、彼らにはどこか憎めないところがある。しかし、この「女殺油地獄」の河内屋与兵衛はもう徹底的な悪党で寸毫も同情の余地はない。さりとて大きなことができるほどの器量もないただの出来損ないの小悪党だ。継父や実母や豊島屋の女房お吉などの思いやりはまるで素通りして親も打擲するわ、最後に借金返済のために人殺しをして平然としている。
このようなキャラクター設定が、他の近松作品や文楽作品にも登場するのかどうか浅学のため知らないが、おそらくユニークな人物だろう。そう言えば、歌舞伎「霊験亀山鉾」(鶴屋南北作)の藤田水右衛門が近いか。でもこちらは侍だ。与兵衛は本来なら義理や人情で思いやりを交わしながら暮らしを営む市井の人物なのだからやはり、とんだ精神的畸形といえる。
この性悪が悪さの限りを尽くすことで、観ている観客も一切何らの同情心も湧かず、突き放してみることができるところがある意味痛快でもある。
さて、件(くだん)の「豊島屋油店の段」での殺人だが、豊島屋の亭主の留守に女房お吉に金の無心。断られて持参していた脇差しをお吉に突き立て、斬り掛かり、断末魔のお吉が苦し紛れに店の油を与兵衛に投げつける。床は油とお吉の血だらけとなる…が、もちろん文楽の舞台は想像するだけだが。その床で与兵衛もツツーっと滑り、逃げるお吉もツツーっと滑り、なかなか身体が互いに思うに任せず。やがては動かなくなったお吉を「『南無阿弥陀仏』と引き寄せて右手(めて)より左手(ゆんで)の太腹へ、刺いては刳り抜いては切…息絶えたり」。
戸棚から金を盗んでその逃走中、脇差しを栴檀木橋から川へ捨てた…と太夫の語り。
まったくの余談だけど、かつての大阪勤務時代にこの粋な名前の橋は何度も渡った。北浜から中之島の図書館へ行くには土佐堀川に架かるこの橋を渡らなくてはならない。江戸時代初期に架けられた当時は橋の袂に栴檀の大木があったことから名づけられたそうだ。当然その頃は木橋だ。景勝地区にあって、橋もきれいだった。今ではもっと整備されて中之島公園と一体になっているのだろう。
今から400年ほど前の5月端午の節句の夜、河内屋与兵衛は血糊がべっとり付いた脇差しをこの橋から土佐堀川に捨てたのだ…と思うと、ロマンチックでなくなるな。
なお、実際にこのような事件があったらしい…とされている。
観応え、聴き応え十分な作品であった。
♪2018-022/♪国立劇場-04
2017年8月2日水曜日
夏休み文楽特別公演 第三部「夏祭浪花鑑」
並木千柳、三好松洛竹田小出雲合作:夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)
●︎住吉鳥居前(すみよしとりいまえ)の段
豊竹咲寿太夫/竹沢團吾
豊竹睦太夫/竹澤宗助
●釣船三婦内(つりふねさぶうち)の段
竹本小住太夫/鶴澤清公
竹本千歳太夫/豊澤富助
●長町裏(ながまちうら)の段
豊竹咲甫太夫・竹本津駒太夫/鶴澤寛治
◎人形
桐竹勘壽・吉田玉輝・吉田簑助・吉田玉也・桐竹勘十郎・吉田幸助
第2部は長尺だったが、こちらは3段構成約2時間。
江戸の侠客には馴染みが深いが、大阪も変わらないのが面白い。しかも姐さん方の筋の通し方が半端じゃない。引き受けたからには「一寸」も引かない。引けば「顔が立たない」。面目を無くせば生きているのは恥ずかしい。

そして、やむを得ず仕事を終えた団七が、血しぶきまみれの身体に水を浴びて気持ちを切り替え、祭りの喧騒の中にひっそり紛れて消える、この幕切れの粋なこと。
♪2017-134/♪国立文楽劇場-2