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2021年3月11日木曜日

R.ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」第1日 『ワルキューレ』全3幕

 2021-03-12 @新国立劇場


R.ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」第1日
『ワルキューレ』全3幕〈ドイツ語上演/日本語及び英語字幕付〉

予定上演時間:約5時間10分
第Ⅰ幕 65分
 休憩 40分
第Ⅱ幕 95分
 休憩 35分
第Ⅲ幕 75分

指揮:大野和士
演出:ゲッツ・フリードリヒ
美術・衣裳:ゴットフリート・ピルツ
照明:キンモ・ルスケラ

管弦楽:東京交響楽団
(アルフォンス・アッバスによる管弦楽縮小版

ジークムント⇒村上敏明(1幕)/秋谷直之(2幕)
フンディング⇒長谷川顯
ヴォータン⇒ミヒャエル・クプファー=ラデツキー
ジークリンデ⇒小林厚子
ブリュンヒルデ⇒池田香織
フリッカ⇒藤村実穂子
ゲルヒルデ⇒佐藤路子
オルトリンデ⇒増田のり子
ヴァルトラウテ⇒増田弥生
シュヴェルトライテ⇒中島郁子
ヘルムヴィーゲ⇒平井香織
ジークルーネ⇒小泉詠子
グリムゲルデ⇒金子美香
ロスヴァイセ⇒田村由貴絵

コロナのせいで主要歌手の多くに加え、指揮の飯守御大(体調不良)までもが降板・交代した。

ギリギリで決まったジークムント役は2人で1-2幕を分担し、オケは縮小版と、もう満身創痍の「ワルキューレ」だったが、蓋を開けたら見事な初日で、観客は最後は満場総立ちで歌手達の健闘を讃えた。

前半の最重要歌手・ジークリンデ役の小林厚子という人は初めてだったが、もう1幕冒頭の第一声と佇まいでこれはヨシッ!と思った。経歴から見て、今回は大抜擢なのかも…としても見事な歌と演技だった。






後半の最重要歌手・ブリュンヒルデは琵琶湖リングで経験済みの池田香織で安定感。
最初は色気不足を感じたが、色気は「ジークフリート」で発揮してくれたらいいや。

それより、ラストのヴォータンとの別れ。父と娘(この関係は怪しいぞ)が抱き合い、父はブリュンヒルデから神性を奪い長い眠りにつかせるところで、僕は「リング」史上初めて落涙しそうになった。





問題のオケは管弦とも本数では約6割。

大野監督がYouTubeで解説しているが、管の不足は持ち替えでカバーしているそうで確かに不満は感じなかった。

しかし、弦が本来型より23本少ないので部分的に響の薄さを感じたが、これも最初からアッバス版と知って聴くのでそう思ったのかもしれない。

まずもって東響は善戦した。

ともかく、不安要素の多い幕開けだったが、なんてことはない。堂々たる「ワルキューレ」を心底楽しんだ。

あと4公演あるので、もう一度、今度は安い席で観ようかとチェックしたらいずれの公演日もS席が僅かしか残っていなかったので諦めたが、オペラファンとしては喜ばしい限りだ!

♪2021-023/♪新国立劇場-03

2018年5月24日木曜日

新国立劇場オペラ 開場20周年記念特別公演「フィデリオ」

2018-05-24 @新国立劇場


指揮⇒飯守泰次郎
演出⇒カタリーナ・ワーグナー
ドラマツルグ⇒ダニエル・ウェーバー
美術⇒ユリウス・ゼンメルマン
衣裳トーマス・カイザー
照明⇒クリスティアン・ケメトミュラー

合唱⇒新国立劇場合唱団
管弦楽⇒東京交響楽団

ドン・フェルナンド⇒黒田博
ドン・ピツァロ⇒ミヒャエル・クプファー=ラデツキー
フロレスタン⇒ステファン・グールド
レオノーレ⇒リカルダ・メルベート
ロッコ⇒妻屋秀和
マルツェリーネ⇒石橋栄実
ジャキーノ⇒鈴木准
囚人1⇒片寄純也
囚人2⇒大沼徹

ベートーベン:全2幕〈ドイツ語上演/字幕付〉予定上演時間:約2時間40分
第Ⅰ幕70分
 --休憩30分--
第Ⅱ幕60分

「フィデリオ」の生舞台は初めてだけど、ビデオディスクは持っているので、まるきり初めてという訳ではなかった。
そのディスクは2003年4月のザルツブル・イースター音楽祭でサイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルの演奏。演出はニコラウス・レーンホフのものだ。
時代設定はあえて不詳にしてあり、舞台装置も単純で抽象的なものだが、筋書きは台本どおりだと思う。

詳しく勉強した訳ではないが、他に参考資料を見ても、今回の新国立劇場でのプログラムに書いてある「あらすじ」を読んでも、だいたい似たり寄ったりの筋が書いてあるところから、ビデオ版の「フィデリオ」もベートーベンが拠にした台本に沿った演出だと思う。

であるので、これは、男装しフィデリオと名乗って政治犯牢獄で働きながら夫フロレスタンを救出する妻レオノーレの物語だと安心しきっていた。さらに言えば、フロレスタン個人が救済されるというより、政治犯が解放され思想信条の自由が勝利するという物語であるはず。

前から2列めという字幕を読むには不利な席だけど音楽にはどっぷり浸れる。音楽は文句なしにベートーベンらしさに溢れて、歌手には相当困難らしいが、聴いている分にはその良さを堪能できる。
なので、あまり字幕を熱心に追わず、音楽に集中していた。話がどう進み、どういう結末を迎えるか分かっているのだから。

ところがどっこい。
話が違う。
第2幕第2場から様子が変で、ラストはもうまるきり台本から逸脱した。いや、「逸脱」という言葉では不足するくらいのとんでもない最後だった。ベートーベンが生きていたらこの演出家を銃殺したのではないか。

新国立劇場だけでなく、これまでどこの劇場でも終演後にブーイングを聞いたのは初めての経験だ。いや確かに怒りたくなる。

演出家はカタリーナ・ワーグナー。
あのワーグナーのひ孫だそうな。
極東の歴史の浅い(この作品は会場20周年記念特別公演と位置付けられている。)オペラハウスで、好きにやってくれ、と言われて、思い切り遊んでみたか。

2月の二期会「ローエングリン」も深作健太の新演出が自己満足の為に奇を衒ったようで面白くなかったが、今回のカタリーナ・ワーグナーの新演出は、<読み替え>の限度を超えて「フィデリオ」を冒涜したような思いがする。

新国立劇場の音楽監督である飯守泰次郎が最後に自ら指揮をする作品であったのにその有終の美を穢したとは言いすぎかな。

歌手陣はいつもながら素晴らしかった。
レオノーレを演じたリカルダ・メルベートは「ジークフリート」、「ばらの騎士」についで3度めだったが、迫力ある美声だ。
フロレスタン役のステファン・グールドは「リング」4部作についで5度目で、彼も見事なものだ。
他に、ロッコの妻屋秀和やマルツェリーネの石橋栄実など日本人歌手も引けを取らない歌唱だった。

ピットは東響で、これがなかなか良い。ミューザやサントリーで聴くときより響が良いのは、ピット効果なのか、新国立効果なのか分からないけど、音楽を聴く喜びを感じさせてくれる。

指揮者はじめ、演奏陣は力を尽くしているのに、この演出ではさっぱりだ。気の毒に思うよ。カーテンコールも盛り上がりに欠けた。

帰宅後、プログラムをよく読めば、ドラマトゥルク(定義がよくわからないし、プロダクション毎に役割も異なるようだ。)であるダニエル・ウェーバーなる人物がプロダクションノートを記していて、そこに今回の演出の解釈のヒントが出ていたが、仮に事前に読んでいたとしても、舞台で繰り広げられたとんでもない結末を誰が予想したろう。

舞台美術は全幕基本的に変化しない。何しろ全ては政治犯牢獄で始まり終わるのだから。全体に暗いのもやむを得ないだろう。
しかし、最大4階分(上下する)まで作ってあり、そこで芝居が行われるので、1階席からは終始見上げていなくてはいけないし、4階席からは舞台の上部は見えなかったのではないか。こういう点も美術や演出において考えてくれなくては困るな。

いやはや、音楽だけが救いだった。

バックステージツァーで舞台から客席を見る
♪2018-060/♪新国立劇場-06