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2018年7月14日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会 県民ホール名曲シリーズ 第1回

2018-07-14 @県民ホール


現田茂夫:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
神奈川フィル合唱団:Ch

久元祐子:Pf
礒絵里子:Vn
鷲尾麻衣:Sp
宮本益光:Br
上野由恵:Fl
山宮るり子:Harp

〜オール・モーツァルト・プログラム〜
歌劇「後宮からの逃走」K384 序曲
バイオリン協奏曲第5番イ長調K.219から第3楽章
フルートとハープのための協奏曲ハ長調K.299から第1楽章
ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467から第2楽章
ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466から第3楽章
歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527から「お手をどうぞ」Sp+Br
歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527から「シャンパンの歌」Br
歌劇「フィガロの結婚」K.492から「恋とは、どんなものかしら?」Sp
歌劇「魔笛」K.620から「パパパの二重奏」Sp+Br
レクイエムニ短調K.626より「ラクリモーサ」Ch
モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618Ch
交響曲第40番ト短調K.550から第1楽章 
交響曲第41番ハ長調K.551から第4楽章

ホール改修後、ようやく始まった今季第1回の県民ホール定期はモーツァルト尽くし。
序曲やアリアはともかく協奏曲や交響曲など多楽章で構成されているものも1楽章のみの演奏という隔靴掻痒の構成出、果たして楽しめるのかと懸念があったが、果たして存外に楽しめた。
司会・進行の女性が、各ソリストや指揮者から興味深い話を引き出して彼らの人間性・音楽観を通じてモーツァルト像の輪郭表現に成功。こういうアプローチもありか、と納得した。

ソリストたちの中で、声楽の鷲尾麻衣と宮本益光はこれまでのオペラ、「第九」、マーラー作品などで複数回聴いているが、そういう場面では彼らの人柄などは分からないし、もちろん分からない方がいいのだけど、今回のように自由なおしゃべりタイムによって明らかになった、素の?人柄に親しみを覚えた。
残る4人は初めての見る・聴く人達だったが、それぞれに好感が持てた。特に、ピアノの久元女史はモーツァルトの研究においてかなりの業績を残しておられる(国立音大教授)ようだ。また、彼女は日本で唯一人のベーゼンルドルファー・アーティストとして、ベーゼンドルファーで録音したモーツァルト作品集を残している。
あいにくと、この日はスタインウェイだったが、これは編成の大きなオーケストラと2,500人も入る大ホールだったための選択なのか、おそらく、県民ホールにベーゼンドルファーは常置していないだろうから協奏曲の1楽章のためにどこかから運んでくることができなかったのかもしれない。


余談:
指揮者の現田茂夫のコメントの中で、ジュピターの終楽章の冒頭のCDFEの音型(ジュピター音型)はブラームスやシューマンの交響曲の作曲にも影響を与え、それぞれの1番から4番までの調性は、
ブラームス⇒Cm、Dd、Fd、Em
シューマン⇒B♭、Cd、E♭、Dm(長2度上げるとCDFEとなる。)
で、ジュピター音型をなぞっている、と説明していたが、なるほど吃驚。しかし、考えてみれば、これは意図したものではなく、結果がそうだったということだろう。両者とも4番までしか書かないつもりではなかったはずだし、シューマンの曲番号は作曲順とは異なっているのだから。
ま、そうだとしてもこの偶然の一致には驚く。

♪2018-082/♪県民ホール-01

2017年12月17日日曜日

東京交響楽団 名曲全集第132回 「第九」演奏会

2017-12-17 @ミューザ川崎シンフォニーホール


モーツァルト:交響曲第30番ニ長調 K202
ベートーベン:交響曲第9番ニ長調 作品125「合唱付き」

飯森範親:指揮
東京交響楽団
合唱:東響コーラス

ソプラノ:鷲尾麻衣
メゾ・ソプラノ:池田香織
テノール:又吉秀樹
バス:ジョン・ハオ

今日から第九シーズンが始まった。ここ数年は毎年5〜6回聴いているが、今年も全6回(正確には7回!)聴くが、演奏の巧拙とは別にこうあって欲しいというスタイルを書き出せば、
①テンポは3楽章以外は速めに。
②合唱団は冒頭から登壇。
③独唱は3楽章までに着席。
④3楽章後は一呼吸で終楽章に雪崩れ込むべし。
④終楽章の低弦のレシタティーヴォは可能な限りインテンポで。

かつ、細部まで呼吸が整い、クリアな音質とパワフルな音圧で、そして何か新発見があるとなお嬉しいが。
さて、今年のトップバッター…と思っていたら、今年は5月にも「第九」を聴いていいたので、正確には2番手だが、まあ、年末恒例の、という意味では本日が初回だ。

指揮の飯森範親は、顔つきは一癖ありそうに見えるのだけど、意外や意外。いつ聴いても外連味のない誠に正統的な音楽で好ましい。が、長く印象に残ることもないのだが(異端も好きで、ジャナンドレア・ノセダや鈴木秀美、上岡敏之などはやはりもう一度聴きたい。)。

テンポは中庸。3楽章はもっと遅くとも良かった…と言うか、正味13分強だったと思うが、これはむしろ速い部類に入るだろう。トスカニーニ並だ。朝比奈隆など約20分もかけて演奏しているからなあ。全体でも66分くらいだった。3楽章をもう少しネチネチと聴かせてほしかったな。
終楽章のTuttiのあとの低弦のレシタティーヴォも何の違和感もない自然な流れだった。

合唱団は最初から登壇。すると、声楽独唱者はどのタイミングで舞台に上がるのか?3-4楽章の間に入られたんじゃ緊張感が台無しになる。できれば終楽章の入りは一呼吸で突入してほしい。そのためには1-2楽章の切れ目か2-3楽章の切れ目しか無い。
でも3楽章が始まっても声楽ソリストは入ってこない。やはり3-4楽章の前に長い休止を取って登壇させるのか、ならがっかりだな、と思っていたら、3楽章が終わり、ほんの一呼吸で4楽章が始まった。これはいい。そうあるべきだが、でも独唱は?と不安に思っていたら、オケによる歓喜のテーマの一巡後に(当然、音楽を中断すること無く)両袖から粛々登壇で安心した。こういう登場スタイルは初めて経験するよ。

弦も、書道で言えばトメ・ハネなどの形が揃ってシャキシャキと聴こえる。もっと透明感があればなお良かったが、まあ、良好な方だろう。ミューザの音響効果も手伝っているのかもしれない。管弦音量の調和に部分的にはどちらかが埋もれてしまうような場所があり残念だった。
声楽は独唱合唱共に良い。特に東響コーラスはアマチュアながらいつも良い仕事をする。

♪2017-205/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-35

2015年4月4日土曜日

気軽にオペラ!コジ・ファン・トゥッテ

2015-04-04 @みなとみらいホール


指揮・チェンバロ:田島亘祥
演出:今井伸昭
ピアノ:朴令鈴
ヘアメイク:星野安子

舞台監督:渡邊真二郎

フィオルディリージ:針生美智子(S)
ドラベラ:堀万里絵(Ms)
フェランド:大川信之(T)
グリエルモ:増原英也(Br)
デスピーナ:鷲尾麻衣(S)
ドン・アルフォンソ:鹿野由之(Bs)
合唱: コロ・ルナ

モーツァルト作曲 歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」
全2幕・原語(イタリア語)上演・日本語字幕付


昨年も同じ時期に「セヴィリアの理髪師」を気軽!に楽しんだが、毎年1回のこのシリーズ。今年はモーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」だった。

音楽はいい。とても印象的なアリア、というのは残念ながらないと思うけど、デュエットから6重唱までのアンサンブルが楽しい。
モーツァルトならではの陽気さに溢れている。

伴奏はピアノ1台と指揮者が自ら弾くハープシコード(レシタティーヴォ用)1台だけという簡素なものだし、舞台装置もしかり。
でも、音楽の面では何の不満も感じなかった。
歌手たちはみんな上手だった。
特に、デスピーナを演じた鷲尾麻衣さんは役柄にもピッタリで良かった。

みなとみらいホールは、時に残響が大きすぎるように思うけど、今回のような声楽には好都合だったようだ。


しかし、である。
オペラを生で聴く(観る)機会は少ないけど、「コジ・ファン・トゥッテ」は極めて稀なことに2回めだった。
だいぶ昔に日生劇場で観たが、その時も、そして、最近放映されたMETの録画を観た時も、そして今回の鑑賞でも、物語の意図については、やはり、よく分からない。

モーツァルトの意図、というより脚本を書いたダ・ポンテの意図というべきかもしれないが、モーツァルトも、この脚本に満足して作曲したのだろうから、半分くらいは彼にも責任があるだろう。


「コジ・ファン・トゥッテ」は「女はみんなこうしたもの」という意味だそうだ。
2人の青年が老哲学者にそそのかされて、他人に変装してそれぞれの相手の許嫁(姉妹)に求愛して口説き落とせるか、という賭けをする。青年たちは自分の許嫁の貞節を信じているが、友人の許嫁を相手にしては求愛にも熱が入ってくる。

果たして…という物語で、大変不道徳な、非倫理的な、はたまた女性に大変失礼な話である。

僕が分からないのは、よくぞこういう物語をオペラ化したものだというダ・ポンテやモーツァルトの本音だ。
18世紀のヨーロッパ貴族社会において、スワッピングは文学的モチーフとしては非常に好まれたと書いたものを読んだ記憶がある。
そういう事情を背景にした、これは、単なる悪ふざけ、軽口程度の話なのだろうか。
あるいは、深い精神性や智慧に発するものなのだろうか(最後の哲学者のアリアはそのような含みもないでもないが。)。

青年たちと姉妹はとうてい気持ちを整理できるとは思えないのだけど、かなり強引なハッピーエンド。

立派な古典の名作だ。その辺りの疑問を解き明かしてくれる解説はいくらでも表されているのだろうが、ネットで探す限り見当たらないでいる。





♪2015-26/♪みなとみらいホール-11