ラベル 勘九郎 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 勘九郎 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年2月6日木曜日

2月大歌舞伎 夜の部

2020-02-06 @歌舞伎座


十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言
一、八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)
 湖水御座船の場
佐藤正清⇒我當
斑鳩平次⇒進之介
正木大介⇒萬太郎
鞠川玄蕃⇒松之助
轟軍次⇒片岡亀蔵
雛衣⇒魁春

二、羽衣(はごろも)
天女⇒玉三郎
伯竜⇒勘九郎

三遊亭円朝 口演
榎戸賢治 作
三、人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)
左官長兵衛⇒菊五郎
和泉屋清兵衛⇒左團次
女房お兼⇒雀右衛門
和泉屋手代文七⇒梅枝
娘お久⇒莟玉
小じょくお豆⇒寺嶋眞秀
家主甚八⇒片岡亀蔵
角海老手代藤助⇒團蔵
角海老女房お駒⇒時蔵
鳶頭伊兵衛⇒梅玉

十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言
四、道行故郷の初雪(みちゆきこきょうのはつゆき)
忠兵衛⇒梅玉
万才⇒松緑
梅川⇒秀太郎

夜の部は4本立。好みは人それぞれとは言え、僕は断然「文七元結」に期待。
というのも落語では志ん朝のが好きで何十回となく聴いているが、歌舞伎で観るのは初めて。
楽しみであると同時に、志ん朝のように上手に江戸っ子の心意気や人情が表現できるかと不安もあり。

落語のように時空を瞬間移動できない芝居ではある程度話を整理しなくてはならないので、面白い部分が一部カットされていたのはやむを得ないが、歌舞伎版も繰り返し上演されているようにこれはこれで実におかしくもあり、ジーンと胸を打つ。

左官の長兵衛⇒菊五郎、その女房⇒雀右衛門、娘お久⇒莟玉(前・梅丸。なんて可愛らしい!)、家主⇒片岡亀蔵。
ほかに梅玉、時蔵、左団次など達者が揃った。

落語も同様だが、悪人が1人も出ず、粋でほろっとさせる話は江戸前ならではだと思う。


♪2020-016/♪歌舞伎座-01

2017年8月16日水曜日

八月納涼歌舞伎 第一部

2017-08-16 @歌舞伎座


長谷川 伸 作
坂東玉三郎・石川耕士 演出
一刺青奇偶(いれずみちょうはん)二幕五場
半太郎⇒中車
お仲⇒七之助
赤っぱの猪太郎⇒亀鶴
従弟太郎吉⇒萬太郎
半太郎母おさく⇒梅花
半太郎父喜兵衛⇒錦吾
荒木田の熊介⇒猿弥
鮫の政五郎⇒染五郎

二 上 玉兎(たまうさぎ)
  下 団子売(だんごうり)
〈玉兎〉
玉兎⇒勘太郎
〈団子売〉
お福⇒猿之助
杵造⇒勘九郎

8月の歌舞伎座は1日に3部公演だ。それなら、もっと安くできないか、と思うが、役者をこき使って、狭い場所に大勢の観客を閉じ込めて、2部公演のときとさほど料金は変わらない。松竹の商魂がミエミエな感じで役者にはすまないけど、歌舞伎座での歌舞伎公演はなかなか好きになれない。国立でゆったりと大人の歌舞伎をリーズナブルな値段で観るのが好き。

とは言え、この月は国立の歌舞伎公演はないから、毎年納涼歌舞伎に行くことになる。3部構成の中で、一番興味を持ったのが第一部の「刺青奇偶」。泣かせてくれそうな江戸の粋な人情噺。これを玉三郎の共同演出、中車、七之助、染五郎の主演で演るというから楽しみだった。

博打さえしなければ良い男だが、ヤクザな稼業から足を洗えないでいる半太郎が、ふとした縁で川に身投げした酌婦のお仲を助けた。人生に疲れていたお仲は初めて男の真情に触れ、2人は相身互いの貧乏だが幸せな暮らしを送っていたが、無理が祟ってお仲は不治の病に。なんとか助けたいと思う半太郎は賭場に因縁つけてお金にありつこうとして半殺しで叩き出されるが、そこに土地の親分政五郎が半太郎の事情を聞き、その男気に惚れて子分にしてやろうというが、半太郎は断る。そこで政五郎、自分の有り金全部を賭けて丁半で勝負しようと持ちかけ、応じた半太郎が勝利する…のは偶然なのか政五郎の情けが通じたのか。
思ってもみなかった大金を手にした半太郎は、喜び勇んで臥せているお仲の元へと急ぎ足。…この先は描かれないが、愁嘆場が待っているのは想像に難くない。

隣のご婦人は途中からもうグズグズに崩れまくっていたが、それほどの噺かな。

いくつも不満を感じた。

まずは、舞台が暗い。客席も真っ暗だ。いくら夜の情景としても暗すぎる。その一幕の間に暗転が2回。大道具を作り変えるために仕方がないとは言え、三場とも暗くて役者の顔もよく見えない。すると不思議な事にセリフも聞き取りづらい。

第二幕で話は暗いままだが、舞台はようやく少し明るくなってこれで初めて生の舞台を見る中車の顔がはっきり見えた。
暗いのが長いと気鬱になる。

そもそも、これは歌舞伎なのか、という疑問も湧いてくる。三味線・浄瑠璃はなし。台詞回しも新劇のようで、つまりは前進座の芝居のような感じを受けたが、前進座も歌舞伎なのかも。少なくとも歌舞伎座で歌舞伎役者が演じたら歌舞伎なんだろうな。

一幕三場と二幕二場に、半太郎を探し訪ねて母親と甥、母親と父親がやってくるが、二度とも半太郎とは会えない。絡みがないのなら何のために登場させているのか分からない。
原作どおりなのだろうが、彼らの出番はカットしたほうがスッキリする。

な、次第で、期待は裏切られてしまった。

二つ目の演目、玉兎はホンのご愛嬌。
団子売りは、前に仁左衛門、孝太郎で観たが、今回の勘九郎、猿之助の方が陽気な感じで良かったかな。

♪2017-140/♪歌舞伎座-04

2017年2月16日木曜日

江戸歌舞伎三百九十年 猿若祭二月大歌舞伎

2017-02-16 @歌舞伎座


田中青滋 作
一、猿若江戸の初櫓(さるわかえどのはつやぐら)
猿若⇒勘九郎
出雲の阿国⇒七之助
若衆⇒宗之助
若衆⇒児太郎
若衆⇒橋之助
若衆⇒福之助
若衆⇒吉之丞
若衆⇒鶴松
福富屋女房ふく⇒萬次郎
奉行板倉勝重⇒彌十郎
福富屋万兵衛⇒鴈治郎
  
初代桜田治助 作
  戸部銀作 補綴
二、大商蛭子島(おおあきないひるがこじま)
「黒髪」長唄連中
正木幸左衛門実は源頼朝⇒松緑
地獄谷の清左衛門実は文覚上人/北条時政⇒勘九郎
おます実は政子の前⇒七之助
清滝⇒児太郎
熊谷直実⇒竹松
畠山重忠⇒廣太郎
佐々木高綱⇒男寅
三浦義澄⇒福之助
下男六助⇒亀寿
家主弥次兵衛⇒團蔵
女房おふじ実は辰姫⇒時蔵
  
河竹黙阿弥 作
三、四千両小判梅葉(しせんりょうこばんのうめのは)
四谷見附より牢内言渡しまで
野州無宿富蔵⇒菊五郎
女房おさよ⇒時蔵
伊丹屋徳太郎⇒錦之助
浅草無宿才次郎⇒松緑
寺島無宿長太郎⇒菊之助
黒川隼人⇒松江
頭⇒亀三郎
三番役⇒亀寿
下谷無宿九郎蔵⇒萬太郎
ぐでんの伝次⇒橘太郎
下金屋銀兵衛⇒松之助
穴の隠居⇒由次郎
数見役⇒権十郎
石出帯刀⇒秀調
生馬の眼八⇒團蔵
隅の隠居⇒歌六
うどん屋六兵衛⇒東蔵
浜田左内⇒彦三郎
牢名主松島奥五郎⇒左團次
藤岡藤十郎⇒梅玉
    
四、扇獅子(おうぎじし)
鳶頭⇒梅玉
芸者⇒雀右衛門

1★★★…いわば、江戸歌舞伎の発祥を祝う長唄に乗せた所作事(舞踊)中心。華やかでいい。

2★★…この幕は寝てよし。

3★★★…これは菊五郎と梅玉が双方いい味出すのだけど、世話物として物足りない。牢屋の仕組みを知らなかった当時の普通の生活者にとって、このリアルさに惹きこまれたのかもしれないけど。

4★★★…清元による所作事。鏡獅子ならぬ扇獅子。四季の移り変わりを愛でる舞踊。梅玉と雀右衛門。ここでの雀右衛門はいいと思った。

勘九郎、七之助はいい。優れたDNAを受け継いでいると思う。
菊之助、松緑は出番少なし。

♪2017-024/♪歌舞伎座-01

2016年3月22日火曜日

三月大歌舞伎 中村芝雀改め五代目中村雀右衛門襲名披露三月大歌舞伎<昼の部>

2016-03-22 @歌舞伎座


一 寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)
工藤祐経⇒橋之助
曽我五郎⇒松緑
曽我十郎⇒勘九郎
化粧坂少将⇒梅枝
近江小藤太⇒廣太郎
八幡三郎⇒廣松
喜瀬川亀鶴⇒児太郎
梶原平次景高⇒橘太郎
梶原平三景時⇒錦吾
大磯の虎⇒扇雀
小林朝比奈⇒鴈治郎
鬼王新左衛門⇒友右衛門

二 女戻駕(おんなもどりかご)/俄獅子(にわかじし)
〈女戻駕〉
吾妻屋おとき⇒時蔵
浪花屋おきく⇒菊之助
奴萬平⇒錦之助
〈俄獅子〉
鳶頭梅吉⇒梅玉
芸者お孝⇒孝太郎
芸者お春⇒魁春

三 鎌倉三代記(かまくらさんだいき)
絹川村閑居の場
時姫⇒芝雀改め雀右衛門
佐々木高綱⇒吉右衛門
おくる⇒東蔵
富田六郎⇒又五郎
母長門⇒秀太郎
三浦之助義村⇒菊五郎

四  団子売(だんごうり)
杵造⇒仁左衛門
お福⇒孝太郎


芝雀が雀右衛門を襲名する披露の公演だが、襲名の口上は夜の部で行われるので昼の部だとピンと来ないけど、仕方がない。
鴈治郎襲名公演の時は昼の部でも劇中襲名口上というのがあったが、今回はそれもなかった。

芝雀(=雀右衛門)と言えば、いつも女形なので、あまり印象に残っていないけど、去年の11月の「神霊矢口渡」の娘お舟の芝居は良かった。物語自体が面白いのだけど、演技力あってこそ集中できたのだと思う。

今回は「鎌倉三代記」の時姫が雀右衛門襲名披露の役だったが、歌舞伎の世界では三姫(鎌倉三代記の時姫、本朝廿四孝の八重垣姫、祇園祭礼信仰記の雪姫)の一つとして重要な役柄だそうだ。確かに、敵の武将に恋をしてその武将から実父を討てと迫られて引き受けてあの世で添い遂げましょうという話だからなかなか難しいのだろう。
甲斐甲斐しいお姫様ぶりは良しとして、父親を討つ覚悟に至る芯の強さのような気配はあまり感じられなかったのだけど、見逃したのかな。
この芝居で言えば、吉右衛門の存在感が大きかった。

ほかの芝居では、「壽曽我対面」での橋之助に貫禄が出たなあと思った。松緑はもっと本格的な芝居を見たかった。


女戻駕と俄獅子は前者が常磐津、後者が長唄による舞踊劇だ。踊りのことは分からないけど、音楽としては心地よい。特に、前者が終わって舞台暗転後に囃子連中?が大勢で舞台一面に並んで聴かせる長唄は華やかな舞台にピッタリでこれは面白かった。

団子売も竹本による舞踊劇。
団子の素になる餅つきから始まるが、その餅が柔らかそうで、あれは一体何で出来ているのだろう。最後はちぎって丸めて客席に投げ込んでくれたら面白いのに、そういう展開ではなかった。


♪2016-033/♪歌舞伎座-02

2015年8月12日水曜日

松竹創業120周年 八月納涼歌舞伎 第二部

2015-08-12 @歌舞伎座


一 ひらかな盛衰記(ひらかなせいすいき) 
   逆櫓 一幕
   第一場 福嶋船頭松右衛門内ノ場
   第二場 沖中逆艪の場
   第三場 浜辺物見の松の場

      銘作左小刀
二 京人形(きょうにんぎょう) 常磐津連中/長唄連中


一 ひらかな盛衰記(ひらかなせいすいき) 逆櫓
船頭松右衛門(実は樋口次郎兼光)⇒橋之助
畠山重忠⇒勘九郎
女房およし⇒児太郎
船頭日吉丸又六⇒国生
同 明神丸富蔵⇒宜生
同 灘芳九郎作⇒鶴松
漁師権四郎⇒彌十郎
お筆⇒扇雀

       銘作左小刀
二 京人形(きょうにんぎょう)
左甚五郎⇒勘九郎
女房おとく⇒新悟
娘おみつ(実は井筒姫)⇒鶴松
奴照平⇒隼人
京人形の精⇒七之助



2本とも初めての作品だった。

「ひらかな盛衰記」ってよく目にする耳にするタイトルだったが、歌舞伎の演目とは知らなかった。
「源平盛衰記」も存在を知るだけで読んだことはなかった。何となくこの両者がごっちゃになって記憶に残っていたようだ。

歌舞伎座の「筋書き」によれば、「ひらかな盛衰記」は「源平盛衰記」を平易に描いたという意味が込められているそうだ。
つまりは源氏と平家の争いの物語だ。

歌舞伎(元は人形浄瑠璃の翻案)独特のありえないような複雑な登場人物や状況設定で、予習をしておかないと戸惑ってしまったろう。しばらくしたら、はてどんな話だったっけ、ということになるのは必定なので、忘れないうちにあらすじだけ書いておこう。

頼朝に敗れ討ち死にした木曽義仲の家臣樋口次郎兼光(橋之助)は身分を隠して漁師権四郎(彌十郎)の娘およし(児太郎)の2度めの婿として松右衛門を名乗り、権四郎から学んだ逆艪(船を後退させる技術)の腕を磨きながら、義経に対して、主人のかたきを討つ機会を狙っていた。

…なんて、先月観た「義経千本桜-碇知盛」とそっくり!

ある日、ついにチャンス到来。源氏の武将梶原景時に呼び出され、義経の乗る船の船頭を任された。

一方、およしと前夫の子、槌松は先ごろ西国巡礼の宿での捕物さわぎに巻き込まれ、逃げ帰る途中に、背負っていた槌松が実は騒動の最中に取り違ってしまった他人の子供であったが、いずれは本物の槌松に再会できる望みを抱いて槌松と思い大事に育てていた。

松右衛門がチャンスを掴んだその同じ日に女性お筆(扇雀)が権四郎らの家を訪ねて来て、その子を返してほしいという。
取り違えられた子は木曽義仲の遺児駒若丸で、自分は義仲の家臣の娘だという。
では槌松を返してほしいと迫る権四郎に、お筆は、その子は駒若丸の身代わりに敵に殺されたと告げる。
収まらない権四郎とおよし。

およしの悲痛。それが我が事のように分かるお筆も辛い。

ここが哀切極まりないの場面だ。
権四郎は、ならば、駒若丸の首を討ってから返してやると、いきり立ち、奥の間から駒若丸を抱いて出てきた松右衛門に、その首を討てと促す。

松右衛門、実は樋口次郎兼光の心中は、すべて仇討ちのための準備が整ったのは天の采配だと狂喜しただろう。
主君の遺児に手をかけるはずもなく、駒若丸を抱いたまま権四郎に「頭が高い!」と一喝する。

水戸黄門みたいだが、混乱収拾には効果的。

ここで、素性を明らかにした松右衛門=兼光は権四郎らに言葉を尽くして忠義の道を立てさせてくれと頼み、ついには納得した2人は駒若丸を兼光、お筆に渡し、槌松の死を受け入れる。

この後の場面は、船頭たちの勇ましい争いを華麗に見せる芝居で、ちょっと物語としては閑話休題といったところ。

最終場面で源氏側に正体を見破られた兼光が多勢に無勢の中必死に戦うところも、碇知盛を思わせる。
いよいよ、追い詰められたところに権四郎の機転が奏功して源氏方武将畠山重忠(勘九郎)が登場するが、「勧進帳」で言えば富樫のように、事態をすべて丸く収め、兼光は安心して潔く縄を受ける。

なんだか、よくある話のてんこ盛りという感じだったな。
第二場も第三場も活劇が舞のようにきれいで、話とは別に見せ場として用意したような趣向だが、このごった煮も歌舞伎の面白さなのだろう。
能の間に狂言が混じっているようなものか。


傑作は、むしろ舞踊劇「京人形」だ。

彫工の名人左甚五郎の話だ。
京都の郭で見初めた小車太夫を忘れられない甚五郎(勘九郎)は太夫にそっくりな人形(七之助)を作る。
するとこの人形に魂が乗り移り、動き出すのだが、最初は甚五郎の魂が乗り移ったようで、きれいな女の人形なのに男の仕草をするのがおかしい。
そこで、手鏡を懐に差し入れると今度は実に艶かしく女の仕草を始める。
小車太夫になった人形を甚五郎が口説き始めると彼女のお懐からポロッと鏡が落ちて、その途端姿勢も仕草も男の様子だ。

七之助演ずる人形はもちろん表情を変えず、声を発せず、動きも男らしい、女らしいと言っても、やはり人形のぎこちない動きなのだ。パントマイムのようなものか。
このやりとりがとにかくおかしい。

後半、突飛にも左甚五郎の通名の謂われが描かれる。
何の伏線もなかったが、実は甚五郎は旧主の妹の井筒姫(鶴松)を預かっていたところ、彼女に執心する侍が姫を奪い去ろうとやって来るがこれはなんとか凌いだものの、姫の家来に左手を誤って傷つけられた甚五郎の元に、武家の差配か(はっきり描かれなかったが)大勢の大工が姫を差し出せと襲ってくるが、不自由な左手がつかえないまま、いろんな大工道具で応戦し蹴散らす。

つまりは無理に話をくっつけたのだけど、せめて、小車太夫の人形が後半にも登場して脈絡をつけたら良かったのに、そういう整合性はお構いなしなのだ。こういうところが、歌舞伎を今日的な目で観る時に判断に迷う。


♪2015-78/♪歌舞伎座-04

2014年8月6日水曜日

八月納涼歌舞伎

2014-08-06 @歌舞伎座



八月納涼歌舞伎 第二部

一 信州川中島合戦(しんしゅうかわなかじまがっせん)
輝虎配膳
   
長尾輝虎 橋之助
直江山城守 彌十郎
唐衣 児太郎
越路 萬次郎
お勝 扇 雀

二 たぬき
   
柏屋金兵衛 三津五郎
太鼓持蝶作 勘九郎
妾お染 七之助
門木屋新三郎 秀 調
松村屋才助 市 蔵
倅梅吉 波野七緒八
隠亡平助 巳之助
芸者お駒 萬次郎
狭山三五郎 獅 童
備後屋宗右衛門 彌十郎
女房おせき 扇 雀


「八月納涼歌舞伎」の全三部のどの作品も初めてのものなので、どれでも良かったのだけど、第二部の「たぬき」に歌舞伎らしからぬ面白さを期待して選んだ。

一 信州川中島合戦 輝虎配膳
近松門左衛門作の全五段の浄瑠璃の三段目を歌舞伎に移し替えたもの。

長尾輝虎(後の上杉謙信<橋之助>)は、宿敵武田信玄の名軍師黒田官兵衛を味方に引き入れたく、「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」とばかり、家老の直江山城守<彌十郎>とその妻唐衣(官兵衛の妹)に命じて、勘兵衛の母越路<萬次郎>と勘兵衛の妻お勝<扇雀>を屋敷に招き入れ、贈り物や料理のもてなしてで気を惹こうとするが、母越路は輝虎の本心を見抜いているので、息子の忠義の筋を通そうと、もてなしにあれこれ難癖をつける。
あまりの無礼に輝虎は我慢ならんと越路に刀を振りかざすが、お勝が母の非礼を詫び止めに入る。
輝虎は懸命なお勝に免じて2人を放逐することで許す。

全五段のうちの一部なので、物語としては登場人物の描き方が不十分なのはやむを得ないのだろう。
輝虎が悪意の人なのかどうか、は大きな関心事なのだけど、実はこの三段目を見るだけではよく分からない。

また、息子官兵衛(登場しない)がどういう考えであるかも分からないのだけど、配膳を足蹴にするまでの無礼を働く必要があるとも思えないので、越路の行動に説得力はなく、仮に輝虎が悪党だったとしてもそこまでされては武士の面目丸つぶれだ。斬り捨て御免でもやむをえないだろう。

しかし、そこは置くとして、それでも三段目単独上演が成立する面白さは、やはり、義太夫語りと役者のセリフや所作の絡みにあり、なるほど300年(ざっくりした言い方だけど)の鍛えられた伝統芸を感じた。

特に見せ場は、お勝が琴で輝虎の刀を受け止め、吃音であるために言いたいことがうまく言えず、その言葉代わりに琴を弾いて許しを請うところだ。
扇雀が本当に弾く琴と義太夫の三味線とが掛け合いをしながら橋之助の舞のような所作が全てうまく合わさって見事で、こういう芸はまことに一朝一夕では成らぬものだと感心した。


二 たぬき
大佛次郎の昭和28年初演作。
放蕩三昧の挙句、当時はやっていたコレラで急死した江戸の大店の主、柏屋金兵衛<三津五郎>の葬儀が終わり、参列者もみんな帰った後、焼かれるのを待っていた棺が転がり、中から金兵衛が現れる。生きていたのだ。それもピンピンしている。

金兵衛は考えた。このまま本宅に戻って元の生活をするより、愛妾お染<七之助>と一緒に暮らしたほうが面白い。
そこで勝手知ったるお染の家に上がり込んで待っていると、お染には実はかねてから情夫狭山三五郎<獅童>がおり、その晩も訪ねてきているのを知って愕然とする。

その後、金兵衛は神奈川で甲州屋長兵衛と名を変え新たに興した商いに成功していた。

生まれ変わって1年余。江戸で芝居見物をしていた際に、かつて贔屓にしていた太鼓持ちの蝶作<勘九郎>が長兵衛が金兵衛とそっくりなことに気づくが、まさか同一人物とも思えずうろたえるばかり。それを面白がって嫌味や皮肉でからかう金兵衛。蝶作は自分を裏切っていたお染の兄なのだ。

その蝶作を連れて、元の本宅のそばの寺まで行った金兵衛は、境内でハテ本宅に戻るべきか否か思案するが、そこに通りがかったお染は金兵衛を見て、よく似ているが違う人だと蝶作に告げて去ってゆく。
しかし、たまたま女中に連れられて通りがかった幼い息子の梅吉は、金兵衛を一目見て「ちゃんだ!」と叫ぶ。

と、かなり端折った筋書きはかくの如し。

前半は、死んだ人間のそっくりさんが登場して周囲がまごつく滑稽さ。特に太鼓持ちの勘九郎がおやじさんそっくりで(悲しいくらいに)おかしい。
後半は、商売に打ち込み人の情愛を失くしたかのような金兵衛が、やはり子供の無垢な心は騙せないと悟る人情物語。
ドラマとしてとても面白い。

最後に子供の正直さに化けの皮が剥がれる話は、高倉健主演の傑作映画「新幹線大爆破」の名ラストシーンを思い出した。

と、脱線してしまったが、あまり「歌舞伎」らしくない舞台ではある。
台詞回しもほとんど現代の言葉で、下座音楽はわずかに効果音程度しか使われていない。照明の使い方も含め、「新劇」を観ているようでもあった。
もちろん役者が見栄を切るような場面はない。大向うの掛け声も少なく拍手する場面も少なくて、観客としてはカタルシスに不足する。

しかし、一切のケレン味を排し、地味ではあるが、とても分かりやすい人間ドラマとして一興だ。

「新歌舞伎」、「大佛歌舞伎」というそうだ。


------------------------
「浄瑠璃」、「竹本」、「義太夫」の違いを平凡社世界大百科で調べるとおよそ以下のとおり。自分でもすぐ曖昧になるので記載しておこう。

●「浄瑠璃」⇒中世以来の諸音曲を総合した語り物
●「豊後(節)」⇒三味線音楽の一流派。宮古路豊後掾の浄瑠璃を〈豊後節〉といったが,広義にはその弟子系の創始した常磐津節、富本節、清元節、新内節、宮薗節などをも含めていう。
●「義太夫(節)」⇒「浄瑠璃」の中の「竹本義太夫」が創始した流派
●「清元(節)」⇒三味線音楽の一種目。豊後三流の一つ。江戸時代にできた浄瑠璃の中ではもっとも新しい。
●「常磐津節」⇒浄瑠璃の一流派。豊後系浄瑠璃(豊後節)のうち、いわゆる豊後三流の一。江戸の歌舞伎音楽(出語り)として発達した。
●「竹本」⇒「義太夫節」の別称、また歌舞伎専門の義太夫節演奏者の称。もともと人形のために作られた浄瑠璃は、そのままの曲節では人間の俳優の動きに適しない場合が多く、歌舞伎的に編曲したり、文章を加除したりするために専門の職種が生まれた。そこで文楽(人形浄瑠璃)の太夫、三味線と区別して竹本と呼び、文楽から竹本に転向した者は再び文楽には戻れぬという鉄則が現在も守られている。このため、かつては文楽より下位に置かれ、〈チョボ〉と呼ばれて蔑視された。その後、義太夫狂言は歌舞伎の重要な柱であり、これを支える竹本の存在が重視されて、人間国宝の指定を受ける者も出た。国立劇場による後継者養成も始まり、その地位は高まりつつある。なお、チョボの語源については諸説があって明らかでない。

♪2014-76/♪歌舞伎座-04