2014年8月6日水曜日

八月納涼歌舞伎

2014-08-06 @歌舞伎座



八月納涼歌舞伎 第二部

一 信州川中島合戦(しんしゅうかわなかじまがっせん)
輝虎配膳
   
長尾輝虎 橋之助
直江山城守 彌十郎
唐衣 児太郎
越路 萬次郎
お勝 扇 雀

二 たぬき
   
柏屋金兵衛 三津五郎
太鼓持蝶作 勘九郎
妾お染 七之助
門木屋新三郎 秀 調
松村屋才助 市 蔵
倅梅吉 波野七緒八
隠亡平助 巳之助
芸者お駒 萬次郎
狭山三五郎 獅 童
備後屋宗右衛門 彌十郎
女房おせき 扇 雀


「八月納涼歌舞伎」の全三部のどの作品も初めてのものなので、どれでも良かったのだけど、第二部の「たぬき」に歌舞伎らしからぬ面白さを期待して選んだ。

一 信州川中島合戦 輝虎配膳
近松門左衛門作の全五段の浄瑠璃の三段目を歌舞伎に移し替えたもの。

長尾輝虎(後の上杉謙信<橋之助>)は、宿敵武田信玄の名軍師黒田官兵衛を味方に引き入れたく、「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」とばかり、家老の直江山城守<彌十郎>とその妻唐衣(官兵衛の妹)に命じて、勘兵衛の母越路<萬次郎>と勘兵衛の妻お勝<扇雀>を屋敷に招き入れ、贈り物や料理のもてなしてで気を惹こうとするが、母越路は輝虎の本心を見抜いているので、息子の忠義の筋を通そうと、もてなしにあれこれ難癖をつける。
あまりの無礼に輝虎は我慢ならんと越路に刀を振りかざすが、お勝が母の非礼を詫び止めに入る。
輝虎は懸命なお勝に免じて2人を放逐することで許す。

全五段のうちの一部なので、物語としては登場人物の描き方が不十分なのはやむを得ないのだろう。
輝虎が悪意の人なのかどうか、は大きな関心事なのだけど、実はこの三段目を見るだけではよく分からない。

また、息子官兵衛(登場しない)がどういう考えであるかも分からないのだけど、配膳を足蹴にするまでの無礼を働く必要があるとも思えないので、越路の行動に説得力はなく、仮に輝虎が悪党だったとしてもそこまでされては武士の面目丸つぶれだ。斬り捨て御免でもやむをえないだろう。

しかし、そこは置くとして、それでも三段目単独上演が成立する面白さは、やはり、義太夫語りと役者のセリフや所作の絡みにあり、なるほど300年(ざっくりした言い方だけど)の鍛えられた伝統芸を感じた。

特に見せ場は、お勝が琴で輝虎の刀を受け止め、吃音であるために言いたいことがうまく言えず、その言葉代わりに琴を弾いて許しを請うところだ。
扇雀が本当に弾く琴と義太夫の三味線とが掛け合いをしながら橋之助の舞のような所作が全てうまく合わさって見事で、こういう芸はまことに一朝一夕では成らぬものだと感心した。


二 たぬき
大佛次郎の昭和28年初演作。
放蕩三昧の挙句、当時はやっていたコレラで急死した江戸の大店の主、柏屋金兵衛<三津五郎>の葬儀が終わり、参列者もみんな帰った後、焼かれるのを待っていた棺が転がり、中から金兵衛が現れる。生きていたのだ。それもピンピンしている。

金兵衛は考えた。このまま本宅に戻って元の生活をするより、愛妾お染<七之助>と一緒に暮らしたほうが面白い。
そこで勝手知ったるお染の家に上がり込んで待っていると、お染には実はかねてから情夫狭山三五郎<獅童>がおり、その晩も訪ねてきているのを知って愕然とする。

その後、金兵衛は神奈川で甲州屋長兵衛と名を変え新たに興した商いに成功していた。

生まれ変わって1年余。江戸で芝居見物をしていた際に、かつて贔屓にしていた太鼓持ちの蝶作<勘九郎>が長兵衛が金兵衛とそっくりなことに気づくが、まさか同一人物とも思えずうろたえるばかり。それを面白がって嫌味や皮肉でからかう金兵衛。蝶作は自分を裏切っていたお染の兄なのだ。

その蝶作を連れて、元の本宅のそばの寺まで行った金兵衛は、境内でハテ本宅に戻るべきか否か思案するが、そこに通りがかったお染は金兵衛を見て、よく似ているが違う人だと蝶作に告げて去ってゆく。
しかし、たまたま女中に連れられて通りがかった幼い息子の梅吉は、金兵衛を一目見て「ちゃんだ!」と叫ぶ。

と、かなり端折った筋書きはかくの如し。

前半は、死んだ人間のそっくりさんが登場して周囲がまごつく滑稽さ。特に太鼓持ちの勘九郎がおやじさんそっくりで(悲しいくらいに)おかしい。
後半は、商売に打ち込み人の情愛を失くしたかのような金兵衛が、やはり子供の無垢な心は騙せないと悟る人情物語。
ドラマとしてとても面白い。

最後に子供の正直さに化けの皮が剥がれる話は、高倉健主演の傑作映画「新幹線大爆破」の名ラストシーンを思い出した。

と、脱線してしまったが、あまり「歌舞伎」らしくない舞台ではある。
台詞回しもほとんど現代の言葉で、下座音楽はわずかに効果音程度しか使われていない。照明の使い方も含め、「新劇」を観ているようでもあった。
もちろん役者が見栄を切るような場面はない。大向うの掛け声も少なく拍手する場面も少なくて、観客としてはカタルシスに不足する。

しかし、一切のケレン味を排し、地味ではあるが、とても分かりやすい人間ドラマとして一興だ。

「新歌舞伎」、「大佛歌舞伎」というそうだ。


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「浄瑠璃」、「竹本」、「義太夫」の違いを平凡社世界大百科で調べるとおよそ以下のとおり。自分でもすぐ曖昧になるので記載しておこう。

●「浄瑠璃」⇒中世以来の諸音曲を総合した語り物
●「豊後(節)」⇒三味線音楽の一流派。宮古路豊後掾の浄瑠璃を〈豊後節〉といったが,広義にはその弟子系の創始した常磐津節、富本節、清元節、新内節、宮薗節などをも含めていう。
●「義太夫(節)」⇒「浄瑠璃」の中の「竹本義太夫」が創始した流派
●「清元(節)」⇒三味線音楽の一種目。豊後三流の一つ。江戸時代にできた浄瑠璃の中ではもっとも新しい。
●「常磐津節」⇒浄瑠璃の一流派。豊後系浄瑠璃(豊後節)のうち、いわゆる豊後三流の一。江戸の歌舞伎音楽(出語り)として発達した。
●「竹本」⇒「義太夫節」の別称、また歌舞伎専門の義太夫節演奏者の称。もともと人形のために作られた浄瑠璃は、そのままの曲節では人間の俳優の動きに適しない場合が多く、歌舞伎的に編曲したり、文章を加除したりするために専門の職種が生まれた。そこで文楽(人形浄瑠璃)の太夫、三味線と区別して竹本と呼び、文楽から竹本に転向した者は再び文楽には戻れぬという鉄則が現在も守られている。このため、かつては文楽より下位に置かれ、〈チョボ〉と呼ばれて蔑視された。その後、義太夫狂言は歌舞伎の重要な柱であり、これを支える竹本の存在が重視されて、人間国宝の指定を受ける者も出た。国立劇場による後継者養成も始まり、その地位は高まりつつある。なお、チョボの語源については諸説があって明らかでない。

♪2014-76/♪歌舞伎座-04