2016年1月31日日曜日

ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団名曲全集 第114回

2016-01-31 @ミューザ川崎シンフォニーホール


飯森範親:指揮
東京交響楽団

ベートーベン:交響曲 第4番 変ロ長調 作品60
      :交響曲 第5番 ハ短調 作品67 「運命」
      :交響曲 第6番 ヘ長調 作品68 「田園」


痛恨の寝坊で遅刻して、間に合ったのは休憩後の「6番」だけだった。(TдT);

せっかくのオールベートーベン交響曲プログラムだ。
4番はともかく、5番「運命」はどんなテンポで演奏されたのだろう。とても関心のあるところで、一昨年の鈴木秀美+神奈川フィルや昨年聴いたジャナンドレア・ノセダ+N響の演奏のようにアップテンポでコンパクトな演奏だったのか、逆に粘着質のスローテンポな演奏だったのか、はたまた新解釈の5番だったのか。
それを是非とも確かめたかったのだけど、残念無念。

ともかく、気を取り直して『一曲入魂』で聴いた。

6番「田園」は全9曲の中ではとても異質だ。
それについてあれこれ考え出すときりがない。
ベートーベン自身が、この音楽は自然の描写ではなく、感情の描写だと言っていることから、この曲も「絶対音楽」であると識者は考えているそうだ。
でも、この描写音楽と絶対音楽の違いは区別する意味があるのか、あるとすればその意義は奈辺に存するや。
どうしてベートーベンは5楽章で書いたのか。
3楽章以降はアタッカで連結され全体として1つの楽章のように演奏することになっているが、5番「運命」の第3楽章と第4楽章のつながりはそうすることで終楽章の盛り上がりを演出しているのだから効果テキメンだが6番のように5楽章形式にしておいて3つもの楽章を全部連結するなんて(5番同様、楽章の切れ目に休止を置いては音楽にならないように作曲されているから演奏上の連結は必然だけど、作曲の際にも)、必然だったのだろうか…。

など、思いを巡らす要素が色々ある。

でも、考えない。
乏しい知識と至らぬ感性であれこれ考えてもしようがないや。
そんな細かい点はどうであれ、この音楽はとても良く出来ていてそのままで素直に楽しめるのだから。

そんな次第で、6番はベートーベンの交響曲の中では異質だ。

異質であれ、第1楽章が始まった時点で「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」(ベートーベンが記した第1楽章の標題)がまことに心に染みいる。
途中、嵐もあるけど、最後は「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」に素直に共感できて気持ち良い。

ホルンが大活躍するが、東響のホルン陣はいつもうまい。
今日はスキンヘッドの外人首席(ジョナサン・ハミル)らが高らかに歌っていた。

久しぶりに田園を聴いて、あゝ、こんな名曲だったんだと思いを新たにした。


♪2016-012/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-03

2016年1月30日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会 県民ホールシリーズ 第7回

2016-01-30 @県民ホール


大井剛史:指揮
萩原麻未:ピアノ*
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

ショパン:ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調作品21*
プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」 作品64全曲(52曲)版から20曲抜粋
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アンコール*
ショパン:ワルツ第6番作品64-1「子犬のワルツ」


神奈川フィルのソロ・コンサートマスターは石田泰尚氏だ。コワモテのあんちゃんぽい風貌だけど、シャキッとしていかにもコンマスらしい。指揮者にも一目置かれているらしいのがコンサートの様子でも分かる。
室内楽などの独自活動もしているせいか、最近は、「ソロ」の付かない若いコンマスが登場する場合が多く、石田御大の出番は少なかったが、本日は久々の登場だった。この人のファンも多いようだ。確かに、このコンマスが登場すると楽団全体が引き締まるような気もする。
この日の演奏は、全体としてなかなか良かったが、コンマスのせいだろうか。

ショパンのピアノ協奏曲は2番だけど作曲順は1番。
有名な1番よりえらく抑制的だけどピアノはとても難しそう。
萩原麻未はジュネーヴ国際音楽コンクールで日本人として初優勝した人だ(2010年)。テクニックは一流なのだろう。それでも音を外した箇所があったが、生演奏の勢いの良さがあるから気にならない。
とてもエネルギッシュな手振り身振りで紡ぎだす、あるいは叩き出す音楽はおよそ聴き慣れたショパンのものなので、まあ、正統的な解釈に沿った演奏だったのだと思う。

その彼女がアンコールに弾いた「子犬のワルツ」は過去に聴いた中で最速の部類。アンコールゆえのお遊びもあったのかもしれないし、これまで聴き慣れていないだけでこういう超高速演奏が「子犬のワルツ」の本来の姿なのかもしれないが。
わあ、すごい!と思わせるには十分だった。

この曲ではピアノ以外にも第3楽章のホルンのファンファーレがとても目立つのだけど、この日はしっかり決めてホッとしたよ。

「ロメジュリ」は、これまでは「組曲」として聴くことが多かったが、今回は全曲盤からの抜粋だった。組曲には入っていない(初めて聴く)曲もあって面白い。
60分の長大作もだれることがなかった。


大井剛史という人の指揮も初めてだったが、コンマスが派手目の人だけにもう少しハッタリを利かせても良かったろう。手堅く誠実という印象を受けたもののなんだか存在感が希薄だった。

それにしても、この日の県民ホールは空席が目立った。
ここでの神奈フィルも相当の回数聴いているけど、過去に経験がないような空席ぶりだった。
地味なプログラムだからやむを得ないのかったか。
せっかく、2人の客演を招いたのに残念なことだった。

♪2016-011/♪県民ホール-01

神奈川フィル 定期演奏会県民ホールシリーズ第7回 大井剛史インタビュー

2016年1月27日水曜日

MUZAナイトコンサート1月 抱腹絶倒!?東京交響楽団 ホルンで奏でる紅白歌合戦

2016-01-27 @ミューザ川崎シンフォニーホール


白組キャプテン:上間善之(東京交響楽団首席ホルン奏者)
紅組キャプテン:大野雄太(東京交響楽団首席ホルン奏者)
ピアノ:石井理恵
パーカッション:新澤義美(東京交響楽団首席打楽器奏者)
司会:チャーリー犬和田
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ゲスト出演
ベース:吉田典正
トランペット
ビオラ:青木篤子
ファゴット
バスクラリネット

曲目は当日、来てのお楽しみ!
…ということであったが、
ほとんど昭和の歌謡曲。
白組は男声、赤組は女声のいずれも演歌・歌謡曲・ポップスの類。

プログラムの詳細は事前には発表されていなかったけどミューザとも思えない演奏会だし何よりホルンという楽器をじっくり聴いてみたいと思って出かけた。

会場に入った途端、天上にはミラーボール、舞台後方には紅白の垂れ幕やスクリーンが設けてあってお祭りの気分だ。ランチコンサートに参加して引き続き夜の部に来ている人もいるようで、手にペンライトやら紅白のリボンやら紅白の団扇などを持ったお客も少なからず。
こういう雰囲気に乗れるかなあ、と不安がよぎったが、司会者が喋り出せば会場笑いの渦で、ちょっとバカバカしいような歌合戦が始まった。

紅組と白組といっても「歌手」はひとりずつ。
いずれも東響の首席ホルン奏者だ。
これにピアノとパーカッションとエレキベースが常に伴奏する。

……つまりホルン+ピアノトリオだけど、ピアノ四重奏と言ってもいいのかなあ。広い意味ではそうなるけど、誤解を生む表現だな。さりとてホルン四重奏といえば完全に間違いで、こちらはホルン4本の四重奏を言うことになっている。
じゃあ、ピアノ四重奏はピアノ4台かというとそうじゃないのだから、こういう重奏形式の命名法はどうなっているのだろう……


脱線は切り上げて。
白組は男性歌手の歌(おふくろさんよ、望郷波止場~)を、赤組は女性歌手の歌(津軽海峡・冬景色、U.F.O.~)を、コブシも交えてホルンで吹いてくれるのだが、流石に首席クラスだ、柔らかいビロードのような音から鋭い金属音まであれこれ使い分けて巧いものだ。

ほかにも、同じ東響から弦楽、木管奏者が加わって室内楽風の演歌・歌謡曲がいずれも昭和30年代から50年代かな。ノスタルジーもくすぐって、「神田川」なんか、ビオラでイントロが始まるとしみじみしたよ。

衣装もそれぞれの歌に合わせて取り替え、小道具も用意するなど子供にも楽しめる工夫があって、およそミューザらしからぬすっかり脱力させてくれるコンサートだったが、これで千円とはありがたい。


♪2016-010/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-02

2016年1月26日火曜日

東京都交響楽団第801回 定期演奏会Bシリーズ

2016-01-26 @サントリーホール


アラン・ギルバート:指揮
東京都交響楽団

武満徹:トゥイル・バイ・トワイライト -モートン・フェルドマンの追憶に- (1988)
シベリウス:交響詩《エン・サガ(伝説)》 op.9
ワーグナー(ギルバート編):指環の旅~楽劇『ニーベルングの指環』から

武満徹という作曲家は現代日本が産んだ世界的作曲家という評を目にする事が多いし、いろんなオケがかなりの頻度で作品を取り上げているが、僕は苦手だ。そもそも現代音楽が苦手だ。でも、定期演奏会というのはお仕着せなので聴かなくちゃいけないし、嫌々でも聴くと案外面白さを発見できる時もある。お仕着せの良いところだ。

例えば、リゲティなんてどこがいいのか、という反撥は芯に残っているけど、この都響B定期で以前に聴いた「ルクス・エテルナ」なんかは精緻な音作りに刮目(刮耳?)したものだ。

今日の武満作品も、黄昏時に見せる綾織(Twill)の色の変化を音で表したらしいけど、そう思って聴くと音の重なりが、クラシックのように純ではないけど、味わいがあって面白かった。

シベリウスの「エン・サガ」は初めて聴いた。
まるで日本人の作品かと思うほどに、郷愁を掻き立てられる。
素材にしたフィンランドの民謡と日本民謡に旋律(旋法?)に類似するところが多いからだろう。既視感ならぬ既聴感たっぷりだ。四七抜き音階など世界のあちこちに自然発生的に存在しているらしいから。尤もこの作品が四七抜きかどうかは分からないけど。

ともかく民謡調、その分土着っぽい。洗練に欠ける。が、面白い。
オーケストレーションも華やかで楽しめた。


期待のメインプログラムはワーグナーの「ニーベルングの指環」の聴きどころを選りすぐって交響詩のように管弦楽だけで(途中に休止を置かず一気呵成に)演奏するものだ。「指環」ファンには堪えられない。

元はエーリヒ・ラインスドルフという指揮者が編纂したものを今日の指揮者のアラン・ギルバートが再編集したものだそうだ。
ちょっと残念なのは、「指環」の序夜「ラインの黄金」からは1曲も採用されていなかったことだ。「ライン~」にもワクワクさせる音楽がいっぱいあるのに残念。ラインスドルフ版にも「ライン~」は含まれていなかったのだろうか。

この管弦楽だけで一つの作品として演奏する「指環」はほかにも版があって、僕はヘンク・デ・フリーヘル(現代の打楽器奏者であり、編・作曲家)が編纂した「ニーベルングの指環」-オーケストラル・アドベンチャー-というのを東響で聴いたし、これがとても良かったのでその直後にCDも購入して時々聴いている。
こちらは「ライン~」からも4曲入選していて、その分アラン・ギルバート版より演奏時間が10分強長い(66分)が、「指環」のエッセンス版としてはかくあるべきだ。

しかし、ナマで聴くならこれは甲乙つけがたい。
ギルバート版はより派手な音楽を選択しているので全篇攻撃的で面白かった。

大規模編成の都響がどのパートもガンガンと鳴りまくって爽快。
最後、「神々の黄昏」から「ブリュンヒルデの自己犠牲と終曲」のその最後の全楽器?が長~く伸ばす和音がやや乱れた。ここが瑕疵なく消え入ったら終曲の高揚感はさらに大きなものがあったろう。


♪2016-009/♪サントリーホール-01

2016年1月23日土曜日

NHK交響楽団2016横浜定期演奏会

2016-01-23 @みなとみらいホール


トゥガン・ソヒエフ:指揮
ルーカス・ゲニューシャス:ピアノ*
NHK交響楽団

グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミーラ」序曲
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18
チャイコフスキー:バレエ音楽「白鳥の湖」作品20(抜粋)
  序奏
 [第1幕] 第  1曲 情景
      第  2曲 ワルツ(コール・ド・バレエ)
 [第2幕] 第10曲 情景
 [第1幕] 第  8曲 乾杯の踊り
 [第2幕] 第13曲 白鳥の踊りー
      Ⅳ 小さい白鳥の踊り
                   Ⅴ オデットと王子のパ・ダクシオン
 [第3幕] 第20曲 ハンガリーの踊り:チャールダーシュ
      第21曲 スペインの踊り
      第22曲 ナポリの踊り
      第23曲 マズルカ
 [第4幕] 第28曲 情景
      第29曲 情景・終曲
--------------
アンコール*
ショパン:ワルツ 作品34-3

トゥガン・ソヒエフ(北オセアチア(ロシア連邦構成共和国)の出身)はまだ38歳だが、トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団及びベルリン・ドイツ交響楽団の首席指揮者であり、ボリショイ劇場の音楽監督の地位にあるって、なかなかすごいことなんだろうな。

今回の曲目はオールロシア・プログラムだ(N響定期1月Bプログラムと同じ。)。ソヒエフにとっては経歴からフランスものもドイツものも得意なんだろうけど、なんといってもロシアものには当然自信も親近感も持っているのだろう。

指揮ぶりはエネルギーを消耗するような派手な身振りはなく、堂々として、なにより楽しそうなのが見ていても感じがいい。
N響もこれに応えてえらく引き締まった演奏を聴かせてくれた。
如何に素晴らしかったかは、後述しよう。

ピアノのルーカス・ゲニューシャスは更に若く25歳。
チャイコフスキー&ショパンピアノコンクールの両方に入賞というから、腕前に不満なし。
と言ってみても、実際は、N響と共演するようなクラスの腕前は僕には区別がつかないのだけど。

さて、「ルスランとリュドミーラ」序曲が始まったすぐその時点で、大げさかもしれないが、息を呑んだ。
なんて、重厚なアンサンブルだ。
それに音圧がただならぬ大きさ。
それでいて歯切れがいい。

これはどうしたことか。
この曲に限って言えば、終始賑やかななので、弦の弱音の透明感を味わう場面はなかったが、とにかくグイグイ引っ張られる。

ラフマニノフのピアノ協奏曲の冒頭はピアノから始まる。重々しい全音符の和音に2分音符の低音部が追いかけるのだけど、その音の迫力のあること。これにも驚いた。

「白鳥の湖」も同様に弦が厚い。管もよく鳴る。


おかしい!

席は舞台後方P席の最前列中央で、手を伸ばせばティンパニーに届きそうな(到底届かないけどね。)場所なので、当然迫力はあるのだけど、この席は神奈川フィルの定期、読響の定期も1列後ろなだけでほとんど変わらないのだ。両オケのコンサートではこれほどの音圧を感じたことはない。わずか1列の差でかくも異なるとは思えない。いや、違いは音圧だけの問題ではない。

やはり、N響は良く鳴る。今日のN響は良く鳴っていた。
みなとみらいホールは残響が多すぎるように思っているけど、今日に限れば原音自体の鳴りがシャキッとしているので全然気にならなかった。

「白鳥の湖」ではハープに乗せてバイオリンのソロがあるが、両者の音が実にクリアに響いてくるのもまるで狐につままれた(実体験はないけど)ようだ。

多少残念だったのは、P席の悲しさ。楽器のバランスは悪い。
特にピアノは前方客席に向かっているので、ソロの時はさほど問題ない(特に今日は鳴りが良かった)けど管弦楽が強奏で入ってくると霞んでしまう。

しかし、それらを補って余りある管弦楽の重厚な響と明瞭な音楽のラインが、これまで耳にタコができるほど聴いているラフマニノフやチャイコフスキーの音楽が、まるでクリーニングしたように見違えるような、いや聴き違えるような新鮮さをもたらした。

特に、「白鳥の湖」は、あゝ、こういう音楽だったのか、という目からうろこ(耳から耳垢?)の驚きだった。
各パートが埋もれることなくはっきりと聴こえて、かつ互いに絡みあうアンサンブルの面白さが遺憾なく発揮されたのがその原因ではないかと思う。

ほぼ同じ場所でいつも聴いている他のオケと比べて、今日はN響の格違いの巧さを感じてしまったのが、悲しい。


♪2016-008/♪みなとみらいホール-03

2016年1月20日水曜日

初春歌舞伎公演「通し狂言 小春穏沖津白浪―小狐礼三―(こはるなぎおきつしらなみ こぎつねれいざ)」再見

2016-01-20 @国立劇場


河竹黙阿弥生誕二百年
河竹黙阿弥=作
木村錦花=改修
尾上菊五郎=監修
国立劇場文芸研究会=補綴

通し狂言 小春穏沖津白浪  -小狐礼三ー 四幕
 (こはるなぎおきつしらなみ こぎつねれいざ)
         国立劇場美術係=美術

序 幕
 開幕
 上野清水観音堂の場
二 幕
 第一場(雪)矢倉沢一つ家の場
 第二場(月)足柄越山中の場
 第三場(花)同 花の山の場
三 幕
 第一場 吉原三浦屋格子先の場
 第二場 同 二階花月部屋の場
 第三場 隅田堤の場
 第四場 赤坂圃道の場
大 詰
 第一場 赤坂山王稲荷鳥居前の場
 第二場 高輪ヶ原海辺の場

尾上菊五郎⇒日本駄右衛門                  
中村時蔵⇒船玉お才(修行者経典/地蔵尊のご夢想)                  
尾上菊之助⇒人形遣い/子狐礼三(八重垣礼三郎/娘胡蝶)         
坂東亀三郎⇒奴弓平       
坂東亀寿⇒三浦屋小助/雪村三之丞         
中村梅枝⇒月本数馬之助
中村萬太郎⇒花田六之進/礼三の手下友平
市村竹松⇒所化天錦
尾上右近⇒三浦屋傾城花月
市村橘太郎⇒三上の中元早助/三浦屋遣り手お爪
片岡亀蔵⇒三上一学
河原崎権十郎⇒漁師牙蔵        
市村萬次郎⇒三浦屋傾城深雪
市川團蔵⇒月本円秋
坂東彦三郎⇒荒木左門之助          
     ほか


2回目の観賞。
初回で十分楽しめたが、セリフの聴き取れなかった部分があったり、どうでもいいようなことだけどラストの舟の仕掛けが気になったりで再見した。もちろん、面白い芝居をもう一度観たいというのが、最大の動機だけど。

2度目ではっきりしたことがある反面、初回には気が付かなかった(不思議に思うゆとりがなかった)不思議に気づいたこともある。
歌舞伎という伝統芸の約束事が十分頭に入っていないためだろうが、新劇を観る目で歌舞伎を観るという感覚が残っているからでもある。

最初に用意された筋書き(場割)を変えて冒頭に置かれた菊之助演ずる人形遣いが狐のぬいぐるみを手に舞台中央のセリから上がってくるシーンは幻想的できれいだし、人形の遣い方も上手で、最初から見せ場となっている。
このシーンはこの芝居の主人公が狐の妖術を使うことを暗示しているのだろうが、それではその人形遣いは誰なのか?
再度登場することはないので一体誰なのかは遂に分からなかった。
分からなくとも良いのだという考え方もある。全体として狐の妖術なのだと解釈できるけど、ちょっと無理があるな。

こういうことを疑問に思うようでは歌舞伎の道はまだまだ険しいか。

第2幕の所謂「だんまり」も、その場面の直前までは日本駄右衛門、礼三、お才が絡みの芝居をしていたのところ、登場していなかった数馬之助、花月、弓平までもが急遽何の脈絡もなく登場し、全員だんまりで暗闘するのも新劇的視点からは理解を超越するのだけど、ここは閑話休題、主要キャストの顔見世だということを頭に入れておかなくてはならない。

さて、最後に菊之助と時蔵を乗せた舟がどうして本舞台から狭い花道に曲がり進んでゆく事ができるのか?
昔は中に人が入って操舵していたという話を聞いたが、現代の舞台でも同様だろうか。もしそうなら舟の前方に覗き穴があるはず。

2回めはちょうど花道のすぐ上の席だったので、単眼鏡でしっかり作りを確認したが、舟の前方には舞台を見透すための小窓もなく、仕掛けが分からなかった。

そこで、国立劇場に問い合わせたら教えてくれた。
やはり舟は電動で動くが、操舵は中に入っている人間がハンドルで操作する。船の前方の底の波模様の部分に覗き窓があリます、ということであった。
いや~気が付かなかった。

そんな低い位置に覗き穴があるなら、中で操舵する人はえらく窮屈な姿勢を強いられるが、それにしても、狭い場所で上手に操舵するものだ。

♪2016-007/♪国立劇場-02

2016年1月16日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第315回

2016-01-16 @みなとみらいホール


モーシェ・アツモン:指揮
佐藤俊介:バイオリン*
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

ブラームス:バイオリン協奏曲ニ長調 作品77
ブラームス:交響曲第2番ニ長調 作品73
--------------
アンコール*
J.S.バッハ:無伴奏バイオリンソナタ第2番イ短調から第3楽章 Andante


大好きなブラームスプログラム。

せっかく好きな音楽を聴くのに、演奏のあら捜しするのは邪道だと思っているけど、やはりいつも気になってしまう。
それはホルンが失敗しないかどうかだ。

バイオリン協奏曲の出だしが良かった。中低域の弦とファゴットではじまり少し遅れてホルンが乗るのだけど、これが第一関門だったが、まずまずの出来栄え。

その後も危なっかしいところはあったけど、いや、現に吹き損じた箇所もあったが、まあ、生演奏の許容範囲だ。

交響曲も同様で、聴き耳たてなきゃ通りすぎてゆく程度の問題にとどまった。

神奈川フィルはホルンパートさえ腕を上げたら、その他のパートは相当な腕前なので、在京一流オケと遜色ないと思うのだけどナントカならないものかと思う。

そんな具合で、今回は大きな破綻もなく音楽が進んだのは同慶の至りだ。

ブラームスはすばらしい。
特に交響曲第2番は、長年その真価が分からないできたので、大いに楽しめるようになった最近はナマで聴くのが大きな喜びだ。

モーシェ・アツモンの解釈は、多分、オーソドックスなもので、初めて聴く指揮者だけど何の違和感もなく音楽に入り込めた。
的確な指揮ぶりのように見受けた。オケも十分それに応えていた。

佐藤俊介も初耳だったが、気持よく弾いていたので気持ちよく聴けた。ソリストとして登場するくらいだから当然ながら問題なし。
それにブラームスの曲作りがうまいのだろう。
先日、都響とイザベル・ファウストのメンコンを聴いたが、曲の作り方の違いや席が遠かったせいもあるだろうけど、スリリングな競演は感じられなかったが、この日の佐藤俊介の演奏は、独奏対管弦楽の緊張感ある絡み合いが音楽を盛り上げた。ここはアツモンの手際の良さも大いに寄与しているように思った。

それにしても、協奏曲といい、交響曲といい、ブラームスの作品には熱いエネルギーが隅々にまで充満していて、それでいて過剰になり過ぎない節度が知的だ。
僕が感じている以上にブラームスは偉大なのかもしれないな。


♪2016-006/♪みなとみらいホール-02

2016年1月12日火曜日

東京都交響楽団第800回 定期演奏会Aシリーズ

2016-01-12 @東京文化会館


小泉和裕:指揮
イザベル・ファウスト:バイオリン*
東京都交響楽団

メンデルスゾーン:バイオリン協奏曲 ホ短調 op.64*
R.シュトラウス:家庭交響曲 op.53
-----------------
アンコール*
クルターク:ドロローズ(無伴奏バイオリン曲)


久しぶりの文化会館大ホールだ。ホールはどんな響だったか忘れていたが、今回聴いてみると、やはり古いタイプの音作りなんだと分かった。

公的なコンサートホールとしては日本最初の神奈川県立音楽堂と同じ前川國男の設計だからだろうが音響効果も似ている。
因みに、首都圏の主要なコンサートホールを開館された順番で並べてみる(#)と、音楽堂から県民ホールまでは音響設計のコンセプトはおそらく同じではないか。
新宿文化センターについてはここで聴いた回数が少ないしそれも相当古いことなのでなんとも言えないが、少なくともサントリーホール以後のホールの音響設計は残響を長めに取るように変わってきたのではないかと思う。

ホールの響は残響時間だけで決まる訳ではないだろうから、その長短だけで音響の良し悪しを決める訳にはゆかない。
ヴィンヤードかシューボックスかといった客席の形にもよるだろうし、第一、どの席で聴くかによって大きく左右される(この左右のされ方の程度もホールによって異なる。)。

それで、どのホールの音が良い、悪いとかいう議論はさまざまな前提条件をおかなければなかなか比較はできないはずだが、素人の耳には、手っ取り早く残響の長短が「好み」に一番的確に影響するのではないか。

という次第で、いつでもどこでも残響コントロールは音響設計の核をなしているのではないかと思う。
それが、80年代の前後で好みが変わってきたのだろう。
古いホールは残響が短く響はデッドだ。
新しいホールは残響を活かした音作りをしている。
どっちが良いか、はまさに好みの問題だし、オーケストラの規模や曲の楽器編成などによって、どちらが向いているかが変わってくると思う。

少なくとも、残響の短い(音楽堂や県民ホール、そして東京文化会館などの)ホールでは、下手なオケはごまかしが効かない、ということは言える。しかし、そういう場所で、腕の良いオケが演奏する硬めの乾いた質感の響はこれまた味わいがある。


ところで、演奏。
メンデルスゾーンは、イザベル・ファウストというドイツの女流バイオリニスト。初めて聴いた。コンクール受賞歴から相当な実力者らしい。使用楽器もストラディバリウス(このクラスだと珍しくないけど、そんなにもたくさん作られたのか…。優れた現代楽器と大差はないという実験結果もあるようだが。)ということで、どんな音を出すのか、と思ったが、ホールのせいもあって、とても透明感のある繊細な音色が広い会場に届いた。

ただ、直前に聴いたバイオリン協奏曲の演奏が、刮目のインパクトを与えてくれたhr響と五嶋龍のチャイコフスキーで、これと比較すると、曲自体がチャイコの方が<協奏曲>として面白くできているのに対して、メンコンはあくまでも独奏バイオリンの名人芸を聴かせるという趣向で、管弦楽との絡みが物足らない。
これはファウストのせいではないけど。

アンコールは現代の無伴奏曲。
微弱音というか、ほとんど聴こえないような音?のフレーズがあって、こんな大ホールで演奏する曲ではないな。


家庭交響曲は、ナマで聴くのは初めてだった。放送でも長い観賞歴で数回だろうし、それも耳に入ったという程度でまともに聴いたことはなかった。案の定、最後まで馴染みのあるフレーズは出てこなかった。
都響も、冒頭部分がざわざわしてすっきりしなかったが、中盤から立てなおして怒涛のクライマックスを乗り越えた。
メンコンは標準的な2管編成であるのに対して、家庭交響曲ではホルンが8本、コントラバスも8本という大編成で変則4管編成だったのかな。

あらためてNETストリーミングで聴き直してみたが、どうにも親しみを感じられない音楽だ。どうしてこんな騒がしい曲を書いたのだろう。

#
都響50周年・800回定期記念のおみやげ
神奈川県立音楽堂⇒ 1954年
東京文化会館⇒ 1961年
NHKホール⇒ 1973年
神奈川県民ホール⇒ 1975年
新宿文化センター⇒ 1979年
サントリーホール⇒ 1986年
東京芸術劇場⇒ 1990年
すみだトリフォニーホール⇒ 1997年
東京オペラシティコンサートホール⇒1997年
みなとみらいホール⇒ 1998年
ミューザ川崎シンフォニーホール⇒ 2004年



♪2016-005/♪東京文化会館-01

2016年1月10日日曜日

N響第1826回 定期公演 Aプログラム

2016-01-10 @NHKホール


山田和樹:指揮
松嶋菜々子:語り*
NHK交響楽団

ビゼー:小組曲「こどもの遊び」作品22
ドビュッシー(カプレ編):バレエ音楽「おもちゃ箱」*
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシカ」(1911年版)

指揮の山田和樹は、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝したのが2009年。
若いと思っていたけどもうすぐ37歳だ。いよいよ中堅に入るのだろうか。

放送は別としてナマの指揮ぶりを聴くのは初めてだ。
N響とは3年半前に定期外で共演したそうだが、定期演奏会としては今回がN響デビューとなる。

それにしても面白くないプログラムだ。
コンセプトは「子どもとおもちゃ」なのかな。



「ペトルーシカ」は時々聴くけど「こどもの遊び」も「おもちゃ箱」も初めての曲だった。

「こどもの遊び」は12曲からなるピアノ連弾曲が元で、この内次の5曲をビゼー自信が管弦楽用に編曲したもの。

1 ラッパと太鼓(行進曲)
2 お人形(子守歌)
3 こま(即興曲)
4 小さな旦那様、小さな奥様(二重奏)
5 舞踏会(ギャロップ) Le Bal (Galop)

「おもちゃ箱」は子供のためのバレエ音楽。
知人の挿絵画家アンドレ・エレの絵本を元に最初はピアノ曲として、次いで管弦楽用に編曲したが未完で亡くなったためにカプレという作曲家が補筆・完成した。

1 前奏曲 おもちゃ箱の眠り
2 第1場 おもちゃ屋
3 第2場 戦場
4 第3場 売られる羊小屋
5 第4場 お金持ちになってから
6 エピローグ

今回の演奏では各場面ごとにエレが書いた絵本の筋書きが朗読された。
松嶋菜々子が担当したが、ナマで見るのは初めてで、長身でスタイルが良く、片肌脱いだ?ドレスはピアノの鍵盤をイメージしたような白と黒のデザインでしっぽりとオトナの女を漂わせていた。

「ペトルーシカ」はストラヴィンスキー3大バレエの一つ(他は「火の鳥」、「春の祭典」)だけど、一番マイナーかな。
4場で構成され、曲数は15曲位…というのは、解説には各曲の説明はなかったし、演奏によっても編成が異なることがあるらしい。僕の手持ちのCDは全15曲だ。



初めて聴く作品が2曲。
それもお子様向け。
すべていわば劇伴音楽なので、純粋な演奏会向けの音楽ではない。
すべて細切れで成り立っている。
そういう点で、不満のあるプログラムだった。

客演指揮者の思いどおりにはならないのかもしれないが、初共演ではできたらドイツ古典派~ロマン派の音楽を聴きたかった。


♪2016-004/♪NHKホール-01

2016年1月9日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第314回横浜定期演奏会

2016-01-09 @みなとみらいホール


大植英次:指揮
チェンバロ:大植英次*
バイオリン:木野雅之*
日本フィルハーモニー交響楽団

ビバルディ:バイオリン協奏曲集《四季》*
ドボルザーク:交響曲第9番《新世界から》
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アメイジング・グレイス(弦楽バージョン)

「四季」と「新世界から」って、どういうコンセプトなのだろう。なんだか、お子様ランチみたいで気恥ずかしい。
けど、「四季」って全曲聴く機会は少ないから、まあ良かったかも。

指揮は大植英次。その存在を知らなかった。
日フィルには初登場だそうだ。
経歴を読むと国際的に活躍しているようで、日本人指揮者として初めてバイロイト音楽祭で指揮をしたそうだ。現在は大阪フィルの桂冠指揮者、ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー名誉指揮者その他いろいろ。
アメリカの小さなエリー市(人口30万足らず)のエリー・フィルの音楽監督時代の功績をたたえて、その市には彼の名前の通りがあリ、彼の誕生日は市の休日になっているというから驚く。どうやら大変な情熱家らしい。

プログラムには「新世界から」は大植がこだわりの独自解釈を聴かせる、と書いてある。これは楽しみだ。

まず、「四季」は大植のチェンバロ、日フィル・ソロ・コンマスの木野のソロ・バイオリンと弦楽5部、合計40人という編成だった。
もう少し小さな規模で聴くことが多いけど、これだけ揃うと弦の透明感に厚みが加わって響がいい。

大植マジックなここでは発揮されず、ほとんど正統的な「四季」で、なかなか好感のもてる演奏だった。

次いで、問題の「新世界から」は、びっくりの連続。
これまで聴き馴染んでいて標準的なテンポが頭のなかにできあがっているのだけど、それに比べると全体にテンポが遅い。とりわけ終楽章はつんのめりそうなテンポで始まった。
終始遅いのかというとそうでもなく、当然のことだけど、部分的にアッチェレランドやリタルダンドなどで音楽に表情がつけられるけどこれがまた聴き馴染みのない形なのだ。
明らかにやり過ぎという感じがした。俗っぽいのだ。
素人ウケ狙いというか、炎のコバケンがナマコンサートで披露する極端な色付けと同じだ。

http://www.lajimotomusic.com から

しかし、妙に、嫌味はなかった。
ひょっとして、もうそんなレベルは通り越しているのかもしれない。

テンポや表情に馴染みがないというだけではなく、これまでさんざん聴いてきた「新世界から」だが、これまでに聴いたことがないような管楽器のフレーズが時々明瞭に顔を出すのにも驚いた。
いくらなんでも楽譜を書き換えている訳ではないだろうから、ドボルザークが書いたとおりに演奏しているのだと思うが(ドボルザーク自筆のファクシミリ版を使ったと後で知った。)、これまではほかのパートに埋もれて聴こえていなかったのかもしれない。いや、そうなのだろう。
本来聴こえるべき音を聴こえるように演奏するという当たり前のことに忠実なのだろうか。

解釈が正しいかどうかは分からないけど、熱のこもった指揮ぶりで、日フィルもこれに応えた熱演だった。

11月(県民ホール)、12月(サントリーホール)の定期演奏会がイマイチぴりっとしなかったが、今回の日フィルは名誉挽回。きれいなアンサンブルで聴き応えがあった。
大植英次の指揮は今後も是非とも聴いてみたい。


♪2016-003/♪みなとみらいホール-01

ミューザ川崎アフタヌーンコンサート 横山幸雄ピアノ・リサイタル

2016-01-09 @ミューザ川崎シンフォニーホール


横山幸雄:ピアノ

【オール・ショパン・プログラム】
バラード第1番 ト短調 op.23⇒23歳
ノクターン ハ短調(遺作)⇒38歳
幻想即興曲 嬰ハ短調 op.66⇒24歳
ワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」 変ホ長調 op.18⇒22歳
アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ op.22⇒25歳
4つのマズルカ op.24⇒23歳
12の練習曲 op.25 全曲⇒完成28歳
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アンコール
ノクターン第8番 op27-2⇒25歳
マズルカ op17-2⇒完成23歳
ワルツ第4番 op34-3⇒28歳


横山幸雄のショパンはCDで擦り切れるほど聴いていたからナマを聴くのが楽しみだった。

オールショパンプログラムで、いろんなスタイルの作品が集められている。見当たらないのは前奏曲とスケルツォか。

そして、横山幸雄自身の説明では、ショパン20歳台の前半の作品を集めたそうだが、一部に20歳台後半のもの(練習曲、ワルツ)やノクターンの遺作のように異説があるが一般に最晩年作と思われているものも混じっていたが、いずれにせよ39歳という短い人生の中で、比較的健康を保っていた時期の作品集ということで、音楽的には早くも脂が乗っていた頃なのかもしれない。

個人的にはいずれも馴染みの曲ばかりで、すべて楽しめた。

演奏スタイルは、CDで聴いているものより淡々とした演奏のように感じた。情緒に流れることなく激したところがない。
意外だったけど、聴き続けているとそれが落ち着くような世界ができあがっている。

ミューザの音響の良さは折り紙つきだが、とりわけ、ピアノの音が綺麗だと思っている。
ffはカーンと抜けるような吹っ切れた音で、ppはビロードの上で玉を転がしているようなソフトな軽やかさがある。

残響が長いホールでは原音が埋もれてしまいがちだが、ミューザでは、これは聴く者の好みによるだろうが、原音(直接音)と残響音の混ざり具合が絶妙な塩梅だ(音源からあまりに遠い場所だとどうか分からないけど。)。


♪2016-002/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-01

2016年1月7日木曜日

初春歌舞伎公演「通し狂言 小春穏沖津白浪―小狐礼三― (こはるなぎおきつしらなみ こぎつねれいざ)」

2016-01-07 @国立劇場


河竹黙阿弥生誕二百年
河竹黙阿弥=作
木村錦花=改修
尾上菊五郎=監修
国立劇場文芸研究会=補綴

最初に発表された場割
通し狂言 小春穏沖津白浪  -小狐礼三ー 四幕
 (こはるなぎおきつしらなみ こぎつねれいざ)
         国立劇場美術係=美術

序 幕
 開幕
 上野清水観音堂の場
二 幕
 第一場(雪)矢倉沢一つ家の場
 第二場(月)足柄越山中の場
 第三場(花)同 花の山の場
三 幕
 第一場 吉原三浦屋格子先の場
 第二場 同 二階花月部屋の場
 第三場 隅田堤の場
 第四場 赤坂圃道の場
大 詰
 第一場 赤坂山王稲荷鳥居前の場
 第二場 高輪ヶ原海辺の場


修正された場割。公演では更に修正された。
尾上菊五郎⇒日本駄右衛門                  
中村時蔵⇒船玉お才(修行者経典/地蔵尊のご夢想)                  
尾上菊之助⇒人形遣い/子狐礼三(八重垣礼三郎/娘胡蝶)         
坂東亀三郎⇒奴弓平       
坂東亀寿⇒三浦屋小助/雪村三之丞         
中村梅枝⇒月本数馬之助
中村萬太郎⇒花田六之進/礼三の手下友平
市村竹松⇒所化天錦
尾上右近⇒三浦屋傾城花月
市村橘太郎⇒三上の中元早助/三浦屋遣り手お爪
片岡亀蔵⇒三上一学
河原崎権十郎⇒漁師牙蔵        
市村萬次郎⇒三浦屋傾城深雪
市川團蔵⇒月本円秋
坂東彦三郎⇒荒木左門之助          
 ほか


いつ頃からかしらないけど、国立劇場の正月公演は菊五郎劇団と決まっているらしい。そしてこの公演では、復活上演、通し狂言が続いている…というのか、最初からそういうことで出発したのかどうか知らないけど。

古典の復活、は国立劇場として重要な使命の一つだろう。
通し狂言は、一つの物語が(一応)完結するので理解しやすい。
それに演ずる方も、各幕・場面毎に工夫(閑話休題の遊び心)を凝らすゆとりがあるから観ている方も楽しみが多い。

菊五郎劇団という仲間内の組み合わせなので、歌舞伎座で他の一門の大御所と一緒に演るよりはずっと自由な冒険もできるだろう。今回、菊五郎が監修という立場でも参加しているのは、まさにやりたいことをやりたいようにやっているのだと思う。

今年は河竹黙阿弥の生誕200年ということもあって、「子狐礼三」が取り上げられたようだ。
これも2002年に国立劇場での138年ぶりの復活上演を今年14年ぶりにブラッシュアップしたと聞く。

物語は歌舞伎の定番、お家騒動・家宝の紛失・勧善懲悪。
この安定感のある筋立てを安定感のある配役と芝居で楽しめる。
三幕十場と数えるのか、十一場なのか、とにかく細かく場を分けてた舞台美術や大道具の仕掛けも盛りだくさんで、この面でも歌舞伎の面白さが詰まっている。

プログラムに一枚紙が挟み込まれて、「演出上の都合により場割と配役を変更した」とある<最終改訂>。
プログラムでは除幕は「上野清水観音堂の場」となっているが、変更後はその前に「幕開き」が追加されている。

また、大詰めの第一場だった「赤坂山王稲荷田圃道の場」は第三幕の最後に繰り上がっている。

それよりも、事前のチラシでは、三幕目以降の場所の設定は、大磯、花水川、鎌倉、稲村ヶ崎とあったのが、すっかり江戸に場所を移し替えている(国立劇場のホームページ、チラシでは江戸版に改まっている。<一次改訂>)。
それがさらに細部を詰めてゆく過程で最終改訂の形をとったのだろう。チラシの初版しか読んでいなかった人には場面が違うということになるし、プログラムを読んだが、変更のチラシに気が付かなかった人にも違和感があったろう。

ギリギリまで最善を求めたのだろうけど、この調子では千穐楽までに小さな変更はあるのかもしれない。
そういえば、昨年の「八犬伝」でも微修正を告知する1枚紙が挟まれていたな。


さて、菊五郎は要所を締めるだけで、ほとんど最初から最後まで菊之助の大奮闘だ。
見せ所は直径20mの回り舞台を全部使った山王稲荷の千本鳥居(と言っていいのかな?)の上での大立ち回りで、これは「八犬伝」の大屋根の立ち回りを髣髴とさせる。

次いで時蔵の船玉お才も立ち回りも含めて出番が多く、これまでに何度も観ているが今回が一番大きな役のような気がした。この人の安定感のある芝居が好きだ。

傾城花月を演じた右近は、あの長い顔を感じさせない美形ぶりにちょっと驚いた。けっこう艶めかしいところがある。

舞台装置も雪月花の場の早変わりや千本鳥居も見事。
最後に菊之助と時蔵が舟に乗って花道を去るのには驚いた。
大人二人乗せた大きな舟が狭い花道に入ってゆくところは怖いくらいだったが、一体どういう仕掛けだろう。


♪2016-001/♪国立劇場-01