2016年1月26日火曜日

東京都交響楽団第801回 定期演奏会Bシリーズ

2016-01-26 @サントリーホール


アラン・ギルバート:指揮
東京都交響楽団

武満徹:トゥイル・バイ・トワイライト -モートン・フェルドマンの追憶に- (1988)
シベリウス:交響詩《エン・サガ(伝説)》 op.9
ワーグナー(ギルバート編):指環の旅~楽劇『ニーベルングの指環』から

武満徹という作曲家は現代日本が産んだ世界的作曲家という評を目にする事が多いし、いろんなオケがかなりの頻度で作品を取り上げているが、僕は苦手だ。そもそも現代音楽が苦手だ。でも、定期演奏会というのはお仕着せなので聴かなくちゃいけないし、嫌々でも聴くと案外面白さを発見できる時もある。お仕着せの良いところだ。

例えば、リゲティなんてどこがいいのか、という反撥は芯に残っているけど、この都響B定期で以前に聴いた「ルクス・エテルナ」なんかは精緻な音作りに刮目(刮耳?)したものだ。

今日の武満作品も、黄昏時に見せる綾織(Twill)の色の変化を音で表したらしいけど、そう思って聴くと音の重なりが、クラシックのように純ではないけど、味わいがあって面白かった。

シベリウスの「エン・サガ」は初めて聴いた。
まるで日本人の作品かと思うほどに、郷愁を掻き立てられる。
素材にしたフィンランドの民謡と日本民謡に旋律(旋法?)に類似するところが多いからだろう。既視感ならぬ既聴感たっぷりだ。四七抜き音階など世界のあちこちに自然発生的に存在しているらしいから。尤もこの作品が四七抜きかどうかは分からないけど。

ともかく民謡調、その分土着っぽい。洗練に欠ける。が、面白い。
オーケストレーションも華やかで楽しめた。


期待のメインプログラムはワーグナーの「ニーベルングの指環」の聴きどころを選りすぐって交響詩のように管弦楽だけで(途中に休止を置かず一気呵成に)演奏するものだ。「指環」ファンには堪えられない。

元はエーリヒ・ラインスドルフという指揮者が編纂したものを今日の指揮者のアラン・ギルバートが再編集したものだそうだ。
ちょっと残念なのは、「指環」の序夜「ラインの黄金」からは1曲も採用されていなかったことだ。「ライン~」にもワクワクさせる音楽がいっぱいあるのに残念。ラインスドルフ版にも「ライン~」は含まれていなかったのだろうか。

この管弦楽だけで一つの作品として演奏する「指環」はほかにも版があって、僕はヘンク・デ・フリーヘル(現代の打楽器奏者であり、編・作曲家)が編纂した「ニーベルングの指環」-オーケストラル・アドベンチャー-というのを東響で聴いたし、これがとても良かったのでその直後にCDも購入して時々聴いている。
こちらは「ライン~」からも4曲入選していて、その分アラン・ギルバート版より演奏時間が10分強長い(66分)が、「指環」のエッセンス版としてはかくあるべきだ。

しかし、ナマで聴くならこれは甲乙つけがたい。
ギルバート版はより派手な音楽を選択しているので全篇攻撃的で面白かった。

大規模編成の都響がどのパートもガンガンと鳴りまくって爽快。
最後、「神々の黄昏」から「ブリュンヒルデの自己犠牲と終曲」のその最後の全楽器?が長~く伸ばす和音がやや乱れた。ここが瑕疵なく消え入ったら終曲の高揚感はさらに大きなものがあったろう。


♪2016-009/♪サントリーホール-01