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2023年12月12日火曜日

オペラ:ヨハン・シュトラウスⅡ/こうもり

2023-12-12 @新国立劇場



【指揮】パトリック・ハーン
【演出】ハインツ・ツェドニク
【美術・衣裳】オラフ・ツォンベック
【振付】マリア・ルイーズ・ヤスカ
【照明】立田雄士

合唱⇒新国立劇場合唱団
バレエ⇒東京シティ・バレエ団
管弦楽⇒東京フィルハーモニー交響楽団

ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン⇒ジョナサン・マクガヴァン*
ロザリンデ⇒エレオノーレ・マルグエッレ*
フランク⇒畠山茂(ヘンリー・ワディントンから変更)
オルロフスキー公爵⇒タマラ・グーラ*
アルフレード⇒伊藤達人
ファルケ博士⇒トーマス・タツル*
アデーレ⇒シェシュティン・アヴェモ*
ブリント博士⇒青地英幸
フロッシュ⇒ホルスト・ラムネク**
イーダ⇒伊藤晴

--------外国人新国立劇場出演履歴-------
*新登場
**15年「こうもり」フランク役


ヨハン・シュトラウスⅡ「こうもり」
全3幕〈ドイツ語上演/日本語及び英語字幕付〉

予定上演時間:約3時間05分
 第Ⅰ幕   50分
  休憩   30分
 第Ⅱ・Ⅲ幕 105分


予告篇的「序曲」の中では出色の出来ではないかと思うくらいよくできた序曲で、本篇中の主要な旋律を網羅して、音楽が心地良いだけではなく、これから始まる本篇の内容を彷彿とさせて、期待と気運を大いに盛り上げてくれる。

「こうもり」は僕の同一演目最多鑑賞作品だ。14年以降記録にあるだけで6回。13年以前の記憶でも同じくらいか。
それだけ観ていてもいまだに勉強不足で分からないところがある。この復讐劇のどこまでがファルケ博士(こうもり)の仕組んだものなのか、合理的には理解できないでいるけど、まあ、すべてはシャンパンのせいにされてしまうので、まあ、いいか。それ以上追求するのも野暮かと思ってしまう。


いつも気になるのは1幕の3重唱と3幕の看守フロッシュの独白場だ。

アイゼンシュタインとロザリンデ、アデーレの3人がうわべは悲しそうに、心中は舞踏会への期待でいっぱい。その本心がつい出てしまう場面が、面白いのだけど、ここを3人は舞台の左・中央・右に分かれて”立って”歌った。この振り付けは20年の公演からこのようになった。コロナ禍ということもあってやむを得ないと思っていたが、今回も踏襲したのが納得できない。18年以前は3人はお尻を寄せ合って座って歌っていた。座っているからこそ、曲調が陽気な舞曲に変わった時に思わず足が動いてリズムを取り出すところが爆笑ものなのに、立っていては、思わず足が動き出す表現ができない。

演出家は分かっておらん!
ここが残念だった。


看守フロッシュの独白場は、今回も愉快だった。新国立劇場では06年に現在の演出になってから以降、外国人が演じているが、それゆえにこそ時々混ざる日本語がおかしい。連発すれば嫌味だが諄くならずに切り上げているのが良い(過去、この役を森公美子やイッセー尾形でも観たが白けるばかりだった(いずれも日生劇場)。)。

いずれにせよ、次々と連射される美旋律は、既に馴染みのものばかり。なんと心地良いのだろう。
この演出版では確か美術は全然変わっていないと思うが、洒落ていて美しい。3幕刑務所の事務室の場面は暗くなるが、終盤は背景幕が上がって2幕舞踏会と渾然一体となって見事。

歌手人も魅力的。エレオノーレ・マルグエッレ(ロザリンデ)とシェシュティン・アヴェモ(アデーレ)は特に美形で眼にも良し。
本作中唯一唯一と言っていい「テノール歌手役」のテノールの伊藤達人がおかしくて巧い。
急遽代役を務めたフランク役の畠山茂も健闘。

何度観ても、満足度は高い。


2023-215/♪新国立劇場-18

2020年11月29日日曜日

オペラ「こうもり」

 2020-10-12 @新国立劇場


指揮:クリストファー・フランクリン
演出:ハインツ・ツェドニク
美術・衣裳:オラフ・ツォンベック
振付:マリア・ルイーズ・ヤスカ
照明:立田雄士

合唱⇒新国立劇場合唱団
バレエ⇒東京シティ・バレエ団
管弦楽⇒東京フィルハーモニー交響楽団

オペラ『こうもり』/ヨハン・シュトラウスⅡ世
Die Fledermaus / Johann STRAUSSⅡ
全3幕〈ドイツ語上演/日本語及び英語字幕付〉
オペラパレス

予定上演時間:約3時間
 第Ⅰ幕50分
  休憩30分
 第Ⅱ、Ⅲ幕100分

前回観賞の「夏の夜の夢」(全員日本人キャスト)と打って変わって、本作の主要キャスト(指揮者含む)は例年どおり海外勢だが、こんなに大勢が来日できるのにオケの指揮者が躓いているのはどうして?


因みに日本人は2人(村上・大久保)は常連。1人(平井)も復帰組で慣れたもの。

オペラ自体はいつもながらに傑作。大いに笑える。

長く変わっていない舞台装置や衣装も綺麗だ。

今回の発見は、今更ながらだけど、序曲が実にうまく作られているという事。

序曲というのは大抵そうだけど、本編を観ながらああ、この曲もこの節も序曲に取り込んであるぞと、逆に気付く有様。


残念なことはコロナ過剰警戒演出だ。
1幕の有名で楽しい三重唱(「ひとりになって」or「あなたのいない8日間」とも)。

3人とも口では悲しい寂しいと言いながら心は今夜の楽しい夜会。
曲調が舞曲に転ずるとその本音が出てしまうところ。

演出は基本的に過去を踏襲しているが、少なくとも18年の舞台とは異なった。

18年版では、3人が寄り添って腰掛けていたので、ポルカ風の音楽が始まると上半身とは裏腹につい足がリズムに合わせて動いてしまう。ここが巧い。それが傑作(立って歌う演出が世界的にもフツーだけに18年版の座って歌う演出が光っていた。)。

今回は3人とも距離を保ち立っていたので<つい、足が…>の滑稽さが失われて、単に音楽に合わせているという感じになってしまった。

惜しい!

全員の陰性を確認しているそうだが、ならば、どうして「密」な演出を避ける必要があるのか。

ラストのハッピーエンドも主役2人が抱き合っても良かったが。
このあたり、隔靴掻痒!

https://youtu.be/vHk4J48_hug

♪2020-087/♪新国立劇場-04

2018年1月24日水曜日

オペラ「こうもり」

2018-01-24 @新国立劇場


指揮⇒アルフレート・エシュヴェ
演出⇒ハインツ・ツェドニク
美術・衣裳⇒オラフ・ツォンベック
振付⇒マリア・ルイーズ・ヤスカ
照明⇒立田雄士

合唱⇒新国立劇場合唱団
管弦楽⇒東京交響楽団

ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン⇒アドリアン・エレート
ロザリンデ⇒エリーザベト・フレヒル
フランク⇒ハンス・ペーター・カンマーラ
オルロフスキー公爵⇒ステファニー・アタナソフ
アルフレード⇒村上公太
ファルケ博士⇒クレメンス・ザンダー
アデーレ⇒ジェニファー・オローリン
ブリント博士⇒大久保光哉
フロッシュ⇒フランツ・スラーダ
イーダ⇒鵜木絵里

J.シュトラウスⅡ:全3幕〈ドイツ語上演/字幕付〉

昨秋、日生劇場で観た二期会の「こうもり」も楽しめたけど、あれやこれや演出や舞台美術の面で不満が残った。ナマの舞台としてはその時が初めてだったので、まあ、こんなものなのかもなあ…と飲み込んでおいたのだけど、今日は、なんたって新国立での公演だ。少なくとも二期会公演を上回ることを期待して臨んだが、いやはやその違いは大きかった。

歌唱力の違いはよく分からないが、舞台のセットや衣裳、美術全般がだいぶ違う。よくできている。

なにより違いを感じたのは演出の巧さだ。オペラはやっぱり演出の比重が高い。とりわけ、「こうもり」のような作品はセリフ劇の要素が強く、ストレート・プレイとしての喜劇に近いので、演ずる役者たちも歌が巧いだけでは務まらない。また、第3幕で重要な役割を果たす看守のフロッシュには歌が無い。この為に同役は歌手ではなく喜劇役者が演ずることが多い(本公演でもこの役は俳優が、二期会の公演ではイッセー尾形が、それぞれ演じた。)そうだ。

「喜歌劇」とか「オペレッタ」とも呼ばれる分野の作品がいずれも「こうもり」のような性格なのかどうかは知らないけど、少なくとも「こうもり」は<芝居>の要素が強い。それだけに演出の巧拙がオペラとしても出来栄えを左右するのだろう。

その芝居もコントのような部分が多く、第3幕は爆笑モノだった。この辺の芝居は二期会のものとはぜんぜん異なる。手持ちのウィーン歌劇場のビデオとも異なる。まさにどんな芝居にするかは演出次第なのだ。

喜劇としてもとても楽しめるが、やはり音楽がいい。
ロザリンデの元愛人アルフレードはテノール歌手という役どころなので、劇中「星は光ぬ」を歌ったりするのも面白い。
第1幕の中ほどのロザリンデ、アイゼンシュタイン、アデーレの三重唱は悲しげで美しいメロディーだ。3人共今夜のパーティに行くことは隠して心にもない嘆きを歌うが、段々と本音が出てきて陽気な音楽に変わってゆくところも傑作だ。

ともかく、オペラでこんなに笑ったことは初めて。
この演出、この歌手・役者でもう一度観たいものだ。

♪2018-009/♪新国立劇場-01