2018-11-04 @国立劇場
河竹黙阿弥=作
国立劇場文芸研究会=補綴
国立劇場美術係=美術
通し狂言「名高大岡越前裁」(なもたかしおおおかさばき)六幕九場
序 幕 第一場 紀州平沢村お三住居の場
第二場 紀州加田の浦の場
二幕目 美濃長洞常楽院本堂の場
三幕目 第一場 大岡邸奥の間の場
第二場 同 無常門の場
第三場 小石川水戸家奥殿の場
四幕目 南町奉行屋敷内広書院の場
五幕目 大岡邸奥の間庭先の場
大 詰 大岡役宅奥殿の場
大岡越前守忠相⇒中村梅玉
大岡妻小沢⇒中村魁春
法沢後二天一坊⇒市川右團次
田口千助⇒中村松江
吉田三五郎⇒市川男女蔵
下男久助/池田大助⇒坂東彦三郎
大岡一子忠右衛門⇒市川右近
お三⇒中村歌女之丞
僧天忠/久保見杢四郎⇒嵐橘三郎
土屋六郎右衛門⇒大谷桂三
伊賀亮女房おさみ⇒市川齊入
平石治右衛門⇒坂東秀調
名主甚右衛門⇒市村家橘
山内伊賀亮⇒坂東彌十郎
徳川綱條⇒坂東楽善
下女お霜⇒中村梅丸
ほか
昨日が初日で今日は日曜日。にもかかわらず客席は閑散としていた。
梅玉、魁春、右團次、彦三郎、彌十郎など渋い役者が渋い芸を見せてくれるのだけど華には不足するなあ。
越前守(梅玉)が天一坊(右團次)一味の騙りを鮮やかに裁くよくある話とは趣向を変えてあり、尻尾を掴ませない悪党たちの為に、越前守、その妻(魁春)、嫡男(右近)が切腹の危機に陥る。
この越前守の、奉行としてあくまでも自分の直感を信じて真実を見極めたいとする業のような真摯な人柄と、それによって思いもよらぬ窮地に落ち込むさまを通して、これまでの大岡裁きモノとは異質な、人間越前守を描こうとしているのだろう。
悪事の証拠を収集すべく遠国に派遣した家来たちが中々帰参せず、切腹の刻限が迫って来る。
屋敷で待ち受ける忠臣大介(彦三郎)は、気が気でならず、越前守に「今、暫くお待ちくだされ」と必死に頼みながら同士の帰りを今か今かと焦って待っている。
ここは、恰も「忠臣蔵」四段目の如し。
時事ネタ入れて笑える場面も。
悪党、天一坊を右團次が演じているが、この人がこんな大きな役を演じるのを観たのは初めて。梅玉との掛け合いで彼のセリフの出るのが遅い場面があって、これはヒヤッとしたが、全体としてはまずまずの出来かな。
若手役者ではいつもながら梅丸がよろしい。
まるで女性にしか見えない。
https://youtu.be/Do1quJB4pa8
♪2018-140/♪国立劇場-015
2018年11月4日日曜日
2018年8月26日日曜日
歌舞伎座百三十年 八月納涼歌舞伎第三部 通し狂言 「盟三五大切」
2018-08-26 @歌舞伎座
四世鶴屋南北 作
郡司正勝 補綴・演出
織田紘二 演出
通し狂言 「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」
序幕
佃沖新地鼻の場
深川大和町の場
二幕目
二軒茶屋の場
五人切の場
大詰
四谷鬼横町の場
愛染院門前の場
薩摩源五兵衛⇒幸四郎
芸者小万⇒七之助
家主くり廻しの弥助⇒中車
ごろつき五平⇒男女蔵
内びん虎蔵⇒廣太郎
芸者菊野⇒米吉
若党六七八右衛門⇒橋之助
お先の伊之助⇒吉之丞
里親おくろ⇒歌女之丞
了心⇒松之助
廻し男幸八⇒宗之助
富森助右衛門⇒錦吾
ごろつき勘九郎⇒片岡亀蔵
笹野屋三五郎⇒獅童
初めて観る芝居で、あらすじはざっと予習していたが、本番では、歌舞伎座が販売している「筋書き」(プログラム)を手元に開いてややこしい人間関係の理解に追われながら観ることになった。手元に置くと言っても、演出で館内も暗くなる場面が多くてそうなるともうお手上げなのだが。
この作品は、先行の「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」、「仮名手本忠臣蔵」、「東海道四谷怪談」が織り込まれているそうだ。後者2作はまずまず理解しているつもりなので、どういうふうに本作に取り込まれているかは、およそ分かる。
が、「五大力恋緘」を観たことがなく内容も予習の範囲でぼんやりとしか頭に入っていなかった。
今後のために改めてブリタニカ国際大百科から関係部分を引用しておこう。
『<五大力>とは、元来は<五大力菩薩>の略で、女からの恋文の封じ目に書く文字であり、また貞操の誓いとして簪(かんざし) 、小刀、三味線の裏皮などにこの字を書いた。』
『<五大力恋緘>〜は紛失した宝刀探しに明け暮れる源五兵衛と三五兵衛に、辰巳芸者小万との愛と義理立てをからませた筋で、隣で唄う上方唄<五大力>を聞きながら三味線の裏皮に<五大力>と書く趣向が受けた。ほかに文化3 (1806) 年並木五瓶作の『略三五大切 (かきなおしてさんごたいせつ) 』、文政8 (25) 年鶴屋南北作の『盟三五大切 (かみかけてさんごたいせつ) 』の書き換え狂言が有名。』とある。
つまり、「盟三五大切」は「五大力恋緘」を再構成し、その際?に「仮名手本忠臣蔵」と「東海道四谷怪談」(東海道〜は元来が忠臣蔵の外伝である。)を盛り込んで再構成したようだ。
本作では、笹野屋三五郎がその女房小万の腕に彫った「五大力」の入れ墨に、頭に「三」を加え「力」に偏として「七」を加えて、「三五大切」に書き変える。これが終盤の悲劇の原因となる。
小万は三五郎の女房であることを隠して深川芸者として稼いでいる。それは三五郎の父に討ち入りの資金を提供することで、勘当を解いて欲しいからだ。つまり、三五郎も今は身分を隠して船頭をしているが、元は武家の出で、塩谷家(史実では浅野家)に縁の者だ。
一方、その小万にすっかり入れ込んだのが源五右衛門。彼は主人の切腹前に主家の御用金を盗まれて、その科で浪人となったが、なんとか盗まれた金を取り戻し、塩谷家に復縁したいと思っているが、今は、その素性を明らかにできない。また、そんな事情から芸者にうつつを抜かしているゆとりはないのだが、そこがだらしがないのがこの男の性なのだ。
ところが、親戚筋から、思わぬ大金百両を得ることになった。本来なら、主家に届けて復縁を願い出るべきところ、小万に未練があって逡巡している。
それを知った三五郎夫婦がその金を奪おうと計画する。三五郎も源五右衛門も本来は仲間同士なのだが、互いはその事情を知らないがゆえである。
源五右衛門は結局百両を奪われ、深夜、その恨み果たさんと三五郎の仲間が寝入っている家を襲い、5人を斬り殺す。
筋書きは、このあとも更に複雑に展開し、人殺しや腹切など凄惨な場面が続くが、最後は源五右衛門が晴れて塩冶浪士として高野家(史実では吉良家)討ち入りに向かう。
という訳で、この芝居も全体として「忠臣蔵外伝」なのだ。
幽霊の紹介は略したが、民谷伊右衛門(実は塩冶浪人)が女房のお岩を斬り殺した家が重要な舞台となり、お岩の幽霊が出る、という話が絡んでくる。
こういう筋書きの理解で、冒頭に書いた、「五大力恋緘」、「仮名手本忠臣蔵」、「東海道四谷怪談」の織り込みは納得できるが、おそらく、この作者はもっと巧緻な仕掛けを用意しているのかもしれない。
「予習」した際に、芝居の大詰で源五右衛門が三五郎の切腹を見て「こりゃかうなうては叶うまい」(こうでなくちゃおさまらなない)というセリフを言うことで、三五郎の切腹を早野勘平、塩冶判官の切腹に見立て、物語全体が「忠臣蔵」として「収まる」という見方を読んだが、今回の公演ではこのセリフ、確かに聞いたが、源五右衛門のセリフではなく、三五郎の父徳右衛門がつぶやいたように思った。なので、このセリフの意味が理解できない。浮いている感じだ。
巧緻な仕掛け、というのは、ここに引用した独自な見方が正しいかどうか判断できないが、そのような類の仕掛けが施してあるのではないか。登場人物を(源五右衛門⇒不破数右衛門だけでなく)忠臣蔵のいろんな人物に重ね合わせることができるのではないか、そんな気もしながら観ていたが、筋を追いかけるのが精一杯だった。
歌舞伎の常套手段で、登場人物の「A実はB」というびっくりぽんが多いこと。
参考までに以下に列挙しよう。これが、理解を難しくさせる原因の一つだ。
●薩摩源五兵衛⇒実は塩冶浪人(御用金を盗まれたため浪人となった)の不破数右衛門
●芸者妲妃の小万⇒実は民谷伊右衛門の召使いお六⇒実は大家の弥平の妹⇒実は三五郎の女房
●大家の弥助⇒実は民谷家中間土手平⇒実は小万の兄⇒実は塩冶家から御用金を盗み出した盗賊
●賤ケ谷伴右衛門⇒実はごろつき勘九郎
●笹野屋三五郎⇒実は塩冶家縁の徳右衛門(同心の了心)の息子千太郎
♪2018-101/♪歌舞伎座-04
四世鶴屋南北 作
郡司正勝 補綴・演出
織田紘二 演出
通し狂言 「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」
序幕
佃沖新地鼻の場
深川大和町の場
二幕目
二軒茶屋の場
五人切の場
大詰
四谷鬼横町の場
愛染院門前の場
薩摩源五兵衛⇒幸四郎
芸者小万⇒七之助
家主くり廻しの弥助⇒中車
ごろつき五平⇒男女蔵
内びん虎蔵⇒廣太郎
芸者菊野⇒米吉
若党六七八右衛門⇒橋之助
お先の伊之助⇒吉之丞
里親おくろ⇒歌女之丞
了心⇒松之助
廻し男幸八⇒宗之助
富森助右衛門⇒錦吾
ごろつき勘九郎⇒片岡亀蔵
笹野屋三五郎⇒獅童
初めて観る芝居で、あらすじはざっと予習していたが、本番では、歌舞伎座が販売している「筋書き」(プログラム)を手元に開いてややこしい人間関係の理解に追われながら観ることになった。手元に置くと言っても、演出で館内も暗くなる場面が多くてそうなるともうお手上げなのだが。
この作品は、先行の「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」、「仮名手本忠臣蔵」、「東海道四谷怪談」が織り込まれているそうだ。後者2作はまずまず理解しているつもりなので、どういうふうに本作に取り込まれているかは、およそ分かる。
が、「五大力恋緘」を観たことがなく内容も予習の範囲でぼんやりとしか頭に入っていなかった。
今後のために改めてブリタニカ国際大百科から関係部分を引用しておこう。
『<五大力>とは、元来は<五大力菩薩>の略で、女からの恋文の封じ目に書く文字であり、また貞操の誓いとして簪(かんざし) 、小刀、三味線の裏皮などにこの字を書いた。』
『<五大力恋緘>〜は紛失した宝刀探しに明け暮れる源五兵衛と三五兵衛に、辰巳芸者小万との愛と義理立てをからませた筋で、隣で唄う上方唄<五大力>を聞きながら三味線の裏皮に<五大力>と書く趣向が受けた。ほかに文化3 (1806) 年並木五瓶作の『略三五大切 (かきなおしてさんごたいせつ) 』、文政8 (25) 年鶴屋南北作の『盟三五大切 (かみかけてさんごたいせつ) 』の書き換え狂言が有名。』とある。
つまり、「盟三五大切」は「五大力恋緘」を再構成し、その際?に「仮名手本忠臣蔵」と「東海道四谷怪談」(東海道〜は元来が忠臣蔵の外伝である。)を盛り込んで再構成したようだ。
本作では、笹野屋三五郎がその女房小万の腕に彫った「五大力」の入れ墨に、頭に「三」を加え「力」に偏として「七」を加えて、「三五大切」に書き変える。これが終盤の悲劇の原因となる。
小万は三五郎の女房であることを隠して深川芸者として稼いでいる。それは三五郎の父に討ち入りの資金を提供することで、勘当を解いて欲しいからだ。つまり、三五郎も今は身分を隠して船頭をしているが、元は武家の出で、塩谷家(史実では浅野家)に縁の者だ。
一方、その小万にすっかり入れ込んだのが源五右衛門。彼は主人の切腹前に主家の御用金を盗まれて、その科で浪人となったが、なんとか盗まれた金を取り戻し、塩谷家に復縁したいと思っているが、今は、その素性を明らかにできない。また、そんな事情から芸者にうつつを抜かしているゆとりはないのだが、そこがだらしがないのがこの男の性なのだ。
ところが、親戚筋から、思わぬ大金百両を得ることになった。本来なら、主家に届けて復縁を願い出るべきところ、小万に未練があって逡巡している。
それを知った三五郎夫婦がその金を奪おうと計画する。三五郎も源五右衛門も本来は仲間同士なのだが、互いはその事情を知らないがゆえである。
源五右衛門は結局百両を奪われ、深夜、その恨み果たさんと三五郎の仲間が寝入っている家を襲い、5人を斬り殺す。
筋書きは、このあとも更に複雑に展開し、人殺しや腹切など凄惨な場面が続くが、最後は源五右衛門が晴れて塩冶浪士として高野家(史実では吉良家)討ち入りに向かう。
という訳で、この芝居も全体として「忠臣蔵外伝」なのだ。
幽霊の紹介は略したが、民谷伊右衛門(実は塩冶浪人)が女房のお岩を斬り殺した家が重要な舞台となり、お岩の幽霊が出る、という話が絡んでくる。
こういう筋書きの理解で、冒頭に書いた、「五大力恋緘」、「仮名手本忠臣蔵」、「東海道四谷怪談」の織り込みは納得できるが、おそらく、この作者はもっと巧緻な仕掛けを用意しているのかもしれない。
「予習」した際に、芝居の大詰で源五右衛門が三五郎の切腹を見て「こりゃかうなうては叶うまい」(こうでなくちゃおさまらなない)というセリフを言うことで、三五郎の切腹を早野勘平、塩冶判官の切腹に見立て、物語全体が「忠臣蔵」として「収まる」という見方を読んだが、今回の公演ではこのセリフ、確かに聞いたが、源五右衛門のセリフではなく、三五郎の父徳右衛門がつぶやいたように思った。なので、このセリフの意味が理解できない。浮いている感じだ。
巧緻な仕掛け、というのは、ここに引用した独自な見方が正しいかどうか判断できないが、そのような類の仕掛けが施してあるのではないか。登場人物を(源五右衛門⇒不破数右衛門だけでなく)忠臣蔵のいろんな人物に重ね合わせることができるのではないか、そんな気もしながら観ていたが、筋を追いかけるのが精一杯だった。
歌舞伎の常套手段で、登場人物の「A実はB」というびっくりぽんが多いこと。
参考までに以下に列挙しよう。これが、理解を難しくさせる原因の一つだ。
●薩摩源五兵衛⇒実は塩冶浪人(御用金を盗まれたため浪人となった)の不破数右衛門
●芸者妲妃の小万⇒実は民谷伊右衛門の召使いお六⇒実は大家の弥平の妹⇒実は三五郎の女房
●大家の弥助⇒実は民谷家中間土手平⇒実は小万の兄⇒実は塩冶家から御用金を盗み出した盗賊
●賤ケ谷伴右衛門⇒実はごろつき勘九郎
●笹野屋三五郎⇒実は塩冶家縁の徳右衛門(同心の了心)の息子千太郎
♪2018-101/♪歌舞伎座-04
2017年11月8日水曜日
11月歌舞伎公演「坂崎出羽守(さかざきでわのかみ)」「沓掛時次郎(くつかけときじろう)」
2017-11-08 @国立劇場
平成29年度(第72回)文化庁芸術祭協賛
山本有三生誕百三十年
山本有三=作
二世尾上松緑=演出
坂崎出羽守(さかざきでわのかみ)四幕
中嶋正留=美術
第一幕 茶臼山家康本陣
第二幕 宮の渡し船中
第三幕(一)駿府城内茶座敷
(二)同 表座敷の一室
第四幕 牛込坂崎江戸邸内成正の居間
--------------------
長谷川伸=作
大和田文雄=演出
沓掛時次郎(くつかけときじろう)三幕
釘町久磨次=装置
序幕 (一)博徒六ッ田三蔵の家の中
(二)三蔵の家の外
(三)再び家の中
(四)再び家の外
(五)三たび家の中
二幕目 中仙道熊谷宿裏通り
大詰 (一)熊谷宿安泊り
(二)喧嘩場より遠からぬ路傍
(三)元の安泊り
(四)宿外れの路傍
中村梅玉⇒徳川家康/沓掛時次郎
中村魁春⇒三蔵女房おきぬ
尾上松緑⇒坂崎出羽守成正/六ッ田の三蔵
中村松江⇒南部左門/大野木の百助
坂東亀蔵⇒本多平八郎忠刻/苫屋の半太郎
中村梅枝⇒家康の孫娘千姫
中村歌昇⇒松川源六郎
市村竹松⇒坂崎の小姓
市川男寅⇒松平の使者
中村玉太郎⇒坂崎の小姓
尾上左近⇒三蔵倅太郎吉
市村橘太郎⇒三宅惣兵衛/安宿の亭主安兵衛
中村歌女之丞⇒安兵衛女房おろく
嵐橘三郎⇒本多佐渡守正信
河原崎権十郎⇒本多上野介正純
市村萬次郎⇒刑部卿の局
坂東楽善⇒八丁徳
市川左團次⇒金地院崇伝
ほか
新歌舞伎2本立て。僕としては国立劇場では初めての経験。
竹本も三味線もなし。戦場のざわめき、風、雨、波などの自然音の録音(あるいは効果音?)が使われる。
幕は、普通は定式幕だが、今回はすべて暗転と緞帳が上ったり降りたり。
見得はない。
色々と普段の歌舞伎とは勝手が違うので、拍手のタイミングも難しく、僕は声を掛けたりしないけど、大向こうも出番に窮していたようだ。
かわった出し物であるせいか、今日の客席はせいぜい半分ほどしか埋まっていない。これじゃ役者も気合いが入らないだろう。
坂崎出羽守
無骨にして直情径行の男が、焼け落ちる大阪城天守から自らの顔面の半分を焼きながらも千姫を救い出す。家康が救いだせば嫁にやろうと言われ、急に恋心が芽生える。一旦芽生えると激しい性格ゆえに、千姫一途となるが、肝心の千姫は無骨な坂崎に振り向こうともせず、祖父の家康に縁談を断る。千姫は仏門に入るという理由で縁談を断り、その際、誰にも嫁がないという確認をとってなんとか承知したが、後日、恋敵に嫁ぐことを知ってその行列に狼藉に及ぶという話だ。
まったく、戦場でしか役に立たない男ゆえの悲劇だが、あまりに初心なので彼に感情移入できないのは残念。松緑は祖父のために書かれた芝居を父に次いで今回ようやく初役で勤めるので思い入れもあるだろうし、良い味を出しているけど、現代人が観るには芝居に無理があるなあ。
沓掛時次郎
うーむ。これはイマイチ良さが分からなかった。第一、梅玉のような品のある役者にヤクザものは似合わない。物語もピンと来ない。時次郎は一宿一飯の義理で、土地の博徒の頭を斬り捨てるが、その博徒には妻と幼い子供が居た。今際の際に「女房、子供を頼む」と言われた時次郎はそれを引き受けて以後3人で旅が始まる…。もう、この設定が理解不能だ。後は、人情噺としてそれなりに分からないでもないけど、とても共感できる話ではなかった。
演技のスタイルも、歌舞伎というより新派とか新国劇風だ。国立劇場向きとは思えない。
♪2017-173/♪国立劇場-17
平成29年度(第72回)文化庁芸術祭協賛
山本有三生誕百三十年
山本有三=作
二世尾上松緑=演出
坂崎出羽守(さかざきでわのかみ)四幕
中嶋正留=美術
第一幕 茶臼山家康本陣
第二幕 宮の渡し船中
第三幕(一)駿府城内茶座敷
(二)同 表座敷の一室
第四幕 牛込坂崎江戸邸内成正の居間
--------------------
長谷川伸=作
大和田文雄=演出
沓掛時次郎(くつかけときじろう)三幕
釘町久磨次=装置
序幕 (一)博徒六ッ田三蔵の家の中
(二)三蔵の家の外
(三)再び家の中
(四)再び家の外
(五)三たび家の中
二幕目 中仙道熊谷宿裏通り
大詰 (一)熊谷宿安泊り
(二)喧嘩場より遠からぬ路傍
(三)元の安泊り
(四)宿外れの路傍
中村梅玉⇒徳川家康/沓掛時次郎
中村魁春⇒三蔵女房おきぬ
尾上松緑⇒坂崎出羽守成正/六ッ田の三蔵
中村松江⇒南部左門/大野木の百助
坂東亀蔵⇒本多平八郎忠刻/苫屋の半太郎
中村梅枝⇒家康の孫娘千姫
中村歌昇⇒松川源六郎
市村竹松⇒坂崎の小姓
市川男寅⇒松平の使者
中村玉太郎⇒坂崎の小姓
尾上左近⇒三蔵倅太郎吉
市村橘太郎⇒三宅惣兵衛/安宿の亭主安兵衛
中村歌女之丞⇒安兵衛女房おろく
嵐橘三郎⇒本多佐渡守正信
河原崎権十郎⇒本多上野介正純
市村萬次郎⇒刑部卿の局
坂東楽善⇒八丁徳
市川左團次⇒金地院崇伝
ほか
新歌舞伎2本立て。僕としては国立劇場では初めての経験。
竹本も三味線もなし。戦場のざわめき、風、雨、波などの自然音の録音(あるいは効果音?)が使われる。
幕は、普通は定式幕だが、今回はすべて暗転と緞帳が上ったり降りたり。
見得はない。
色々と普段の歌舞伎とは勝手が違うので、拍手のタイミングも難しく、僕は声を掛けたりしないけど、大向こうも出番に窮していたようだ。
かわった出し物であるせいか、今日の客席はせいぜい半分ほどしか埋まっていない。これじゃ役者も気合いが入らないだろう。
坂崎出羽守
無骨にして直情径行の男が、焼け落ちる大阪城天守から自らの顔面の半分を焼きながらも千姫を救い出す。家康が救いだせば嫁にやろうと言われ、急に恋心が芽生える。一旦芽生えると激しい性格ゆえに、千姫一途となるが、肝心の千姫は無骨な坂崎に振り向こうともせず、祖父の家康に縁談を断る。千姫は仏門に入るという理由で縁談を断り、その際、誰にも嫁がないという確認をとってなんとか承知したが、後日、恋敵に嫁ぐことを知ってその行列に狼藉に及ぶという話だ。
まったく、戦場でしか役に立たない男ゆえの悲劇だが、あまりに初心なので彼に感情移入できないのは残念。松緑は祖父のために書かれた芝居を父に次いで今回ようやく初役で勤めるので思い入れもあるだろうし、良い味を出しているけど、現代人が観るには芝居に無理があるなあ。
沓掛時次郎
うーむ。これはイマイチ良さが分からなかった。第一、梅玉のような品のある役者にヤクザものは似合わない。物語もピンと来ない。時次郎は一宿一飯の義理で、土地の博徒の頭を斬り捨てるが、その博徒には妻と幼い子供が居た。今際の際に「女房、子供を頼む」と言われた時次郎はそれを引き受けて以後3人で旅が始まる…。もう、この設定が理解不能だ。後は、人情噺としてそれなりに分からないでもないけど、とても共感できる話ではなかった。
演技のスタイルも、歌舞伎というより新派とか新国劇風だ。国立劇場向きとは思えない。
♪2017-173/♪国立劇場-17
2016年8月16日火曜日
八月納涼歌舞伎 第一部
2016-08-16 @歌舞伎座
近松門左衛門 作
武智鉄二 補綴
一 嫗山姥(こもちやまんば)
岩倉大納言兼冬公館の場
荻野屋八重桐⇒扇雀
太田太郎⇒巳之助
局藤浪⇒歌女之丞
沢瀉姫⇒新悟
煙草屋源七実は坂田蔵人時行⇒橋之助
岡本綺堂 作
大場正昭 演出
二 権三と助十(ごんざとすけじゅう)
権三⇒獅童
助十⇒染五郎
権三女房おかん⇒七之助
助八⇒巳之助
小間物屋彦三郎⇒壱太郎
猿廻し与助⇒宗之助
左官屋勘太郎⇒亀蔵
石子伴作⇒秀調
家主六郎兵衛⇒彌十郎
2本とも初見。
「嫗山姥」は怪奇伝の類だろうか。
橋之助がその名前で出演する最後の舞台だが、それにしては甲斐性のない男の役(煙草屋源七実は坂田蔵人時行)だったな。
再会した女房八重桐(扇雀)から親の敵討ちや主家の難儀などを聞かされ、女房、妹や主君の苦労にひきかえ自分は源七と名を変え郭通いで身を持ち崩した不甲斐なさを恥じて切腹するが、その際に八重桐の胎内には時行の魂が宿り(将来坂田金時を産むことになる。)、そのため怪力の持ち主になって、悪党を蹴散らす~という話。
浄瑠璃(竹本)に合わせた長セリフが聴かせどころらしいが、あまり良く分からなかった。
元は傾城であった八重桐が神通力を得て変身するところが見どころで、これは衣装の早変わり(引き抜き?)もあっていかにも歌舞伎らしい。
「権三と助十」は江戸時代の長屋が舞台で繰り広げられる人情話であり、大岡裁きの話でもある。
まずは、この長屋の舞台装置がよく出来ていて、江戸時代の長屋はこういうものだったのか、と思わせる。猿回しや駕籠かき、小間物売りに女房たちが江戸の風情をよく表している。
染五郎(助十)と獅童(権三)もいかにもの江戸っ子ぶりで面白い。
話も良く出来ていて、セリフも現代劇風なので聴き取りやすい。
権三の女房おかんを演じた七之助が小粋な女っぷりでうまいなと思った。
♪2016-114/♪歌舞伎座-05
2016年7月27日水曜日
平成28年7月歌舞伎鑑賞教室「卅三間堂棟由来」(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい) (平成28年度神奈川県歌舞伎鑑賞教室)
2016-07-27 @県立青少年センター
●解説 歌舞伎のみかた
坂東新悟
若竹笛躬・中邑阿契=作
山田庄一=補綴
●卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)二幕三場
国立劇場美術係=美術
序 幕 紀州熊野山中鷹狩の場
二幕目 横曽根平太郎住家の場
木遣音頭の場
中村魁春⇒お柳<おりゅう>(実は柳の精)
坂東秀調⇒進ノ蔵人<しんのくらんど>
中村歌女之丞⇒平太郎母滝乃
市村橘太郎⇒伊佐坂運内<いささかうんない>
中村松江⇒太宰師季仲<だざいのそちすえなか>
坂東彌十郎⇒横曽根平太郎<よこそねへいたろう>
ほか
国立劇場で初日を観たが、7月の歌舞伎鑑賞教室は横浜でも公演があるので再度観にいった。
今回は、前方8列目、花道から7番目に席をとった。下手(しもて)に偏するけど、役者には近い。
国立の大きな舞台に比べると少し手狭だが、席が舞台に近かったことや客席全体もこじんまりとしているので没入感はむしろ大きかった。
芝居の感想は初日(7月3日)に書いたとおりだが、役者たちの熱演にはあらためて感心する。国立劇場で休み無しの22日間・42回の公演を終えて、中2日の休みを挟んで横浜での2日間・4公演だ。
少しは手抜きがあるかと思ったが、それは全く感じられなかった。おそらく、一度でも手を抜くと芸がダメになるのだろう。この日の午後の部で千秋楽だが、ゆっくり夏休みをとってほしいものだ。
子役(緑丸)が初日と同じ子供(2人交代)かどうか分からないけど、なかなかうまい。大先輩たちに混じって演じているうちに徐々に腕を上げてきたようだ。花道七三で短い足を踏ん張って見得を切る姿は堂々として可愛らしい。
地味な演目で、役者も花形とはいえない。
昨年の菊之助の公演の時のような熱気がなく、客席もおとなしくて大向うは全然かからない。拍手さえはばかられるような雰囲気で、多分、あまり歌舞伎を観慣れていないお客が多かったのではないか。それでも終盤に向かって徐々に拍手の和が広がっていったのは良かった。
尤も、歌舞伎鑑賞において拍手はするべきではないという意見もあるらしいが、これは少数異見だろう。
♪2016-104/♪県立青少年センター-1
2016年7月3日日曜日
平成28年7月歌舞伎鑑賞教室「卅三間堂棟由来」(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)
2016-07-03 @国立劇場
●解説 歌舞伎のみかた
坂東新悟
若竹笛躬・中邑阿契=作
山田庄一=補綴
●卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)二幕三場
国立劇場美術係=美術
序 幕 紀州熊野山中鷹狩の場
二幕目 横曽根平太郎住家の場
木遣音頭の場
中村魁春⇒お柳<おりゅう>(実は柳の精)
坂東秀調⇒進ノ蔵人<しんのくらんど>
中村歌女之丞⇒平太郎母滝乃
市村橘太郎⇒伊佐坂運内<いささかうんない>
中村松江⇒太宰師季仲<だざいのそちすえなか>
坂東彌十郎⇒横曽根平太郎<よこそねへいたろう>
ほか
「卅三間堂棟由来」は異類婚姻譚の一種。
柳の精・お柳は、今は落魄の武士・平太郎の弓の腕前のおかげで危ういところ一命をとりとめる。それが縁で2人が結ばれ、子(緑丸)を成すが平和な日々は長くは続かない。
およそ5年経過したある日、都から知り合いの武士が平太郎一家が住む熊野にやってくる。白河法皇の病気平癒のために都に三十三間堂を建てることになり、その棟木に使う柳の大木を伐りに来たのだ。
まさにその柳の木こそお柳そのものなのだ。
やがて、柳に斧が振るわれる。カーンという音。これは小鼓だろうか。激痛に身悶えしながら、お柳のクドキが始まる。
すべてを知った平太郎も緑丸も姑も為す術はなく、4人が互いに掻き抱きながら、無情の別れが竹本(浄瑠璃)の気合も高らかに哀切極まりない。
ああ、この話で江戸の庶民は涙を搾り取られたんだろうなと思いながら観ていたが、隣のお兄さんも鼻をグズグズ言わせ始め、つい伝播して不覚の涙。
特に切り倒された柳の大木を運ぶ木遣り音頭の場面では、大勢の曳き手にもかかわらず、駆けつけた平太郎や緑丸を前に柳は微動だにしなくなる。そこで、緑丸が「かかさま~」と縋りより、手綱を曳くとお柳の思いが晴れたか、ゆっくりと動き出す。
緑丸を演じた子役(星一輝と山田華音のダブルキャストなのでこの日=初日どちらが出ていたのか分からないが)がなかなか上手で、しっかり感情移入させてくれた。
大道具の仕掛けもいろいろあって、姿が消えたり、早変わりに宙吊りまでと、人情モノにしては凝った作りが面白かった。
平太郎の彌十郎とお柳の魁春。
これまで、余り主要な役は観る機会がなかったが、いずれも力の入った良い芝居だったと思う。
♪2016-092/♪国立劇場-04
2015年9月3日木曜日
松竹創業120周年 秀山祭九月大歌舞伎 昼の部
2015-09-03 @歌舞伎座
一 双蝶々曲輪日記
(ふたつちょうちょうくるわにっき)
新清水浮無瀬(しんきよみずうかむせ)の場
二 新歌舞伎十八番の内
紅葉狩(もみじがり)
紀有常生誕一二〇〇年
三 競伊勢物語(だてくらべいせものがたり)
序幕 奈良街道茶店の場
同 玉水渕の場
大詰 春日野小由住居の場
同 奥座敷の場
一 双蝶々曲輪日記
南与兵衛⇒梅玉
藤屋吾妻⇒芝雀
平岡郷左衛門⇒松江
太鼓持佐渡七⇒宗之助
堤藤内⇒隼人
井筒屋お松⇒歌女之丞
手代権九郎⇒松之助
三原有右衛門⇒錦吾
山崎屋与五郎⇒錦之助
藤屋都⇒魁春
二 新歌舞伎十八番の内 紅葉狩(もみじがり)
更科姫実は戸隠山の鬼女⇒染五郎
局田毎⇒高麗蔵
侍女野菊⇒米吉
山神⇒金太郎
腰元岩橋⇒吉之助
従者左源太⇒廣太郎
従者右源太⇒亀寿
平維茂⇒松緑
紀有常生誕一二〇〇年
三 競伊勢物語(だてくらべいせものがたり)
紀有常⇒吉右衛門
絹売豆四郎/在原業平⇒染五郎
娘信夫/井筒姫⇒菊之助
絹売お崎⇒米吉
同 お谷⇒児太郎
旅人倅⇒春太郎<初お目見得井上公春(桂三長男)>
およね⇒歌女之丞
川島典膳⇒橘三郎
茶亭五作⇒桂三
銅羅の鐃八⇒又五郎
母小由⇒東蔵
「双蝶々曲輪日記」は昨年の10月の国立劇場で「通し狂言」としてみているので、予習もせずに臨んだ。
今回の「新清水浮無瀬の場」(原作浄瑠璃から三段目の「小指の身代わり」の趣向も取り入れられている、と<筋書き>に書いてある。)は、通しでは除幕に当たる部分で、物語をすっかり忘れているのには我ながら呆れた。もっとも小指を噛み切られる話は忘れているというよりそもそもそんな芝居あったっけ?という疑問が頻りだ。
ただ、南与兵衛(なんよへい・梅玉)が新清水の舞台から商売道具の傘を落下傘のようにして飛び降りる宙吊り芸は思い出した。
見どころはそこだけかな。
<ふたつちょうちょう>と言っても相撲取りは登場しない。
やはり「引窓」を含む場面構成で観たいな。
「紅葉狩」は竹本、長唄、常磐津の掛け合いによる舞踊劇。
能の「紅葉狩」を題材にしているようだが、打って変わって舞台は歌舞伎らしい派手な紅葉尽くしだ。
平維茂(たいらのこれもち。松緑。ヒゲがない方が良かったぞ)が紅葉狩りに来た戸隠山中で更科姫(その正体は戸隠山の鬼女。染五郎)とその共の一行と会い、酒を酌み交わしながら彼女たちの舞を見るうちに睡魔に襲われる。
ここで更科姫が2枚の扇を使って踊るところがひとつの見所らしい。
更科姫一行が姿を消した合間に山神(金太郎)が現れて、維茂に更科姫の本性を告げる。
後半、美しかった更科姫が世にも恐ろしい鬼女とに変貌して維茂を襲うところがものすごい。これはなかなかコワイ。
維茂は愛刀小烏丸で対抗し、鬼女はその威徳に抗せずして松の大木に逃げるように飛び移って両者が睨み合う大見得で幕。
賑やかな浄瑠璃に乗って、派手な舞台と衣装、そして舞踊が華やかでよろしい。
「競伊勢物語」がメインディッシュだったのだろうが、この話も人間関係も複雑で分かりにくくなかなか楽しめなかったが、大詰めのそれも終盤に至っての劇的展開に完全覚醒し唖然とした。
紀有常(吉右衛門)が、実の娘・信夫(しのぶ。菊之助)と彼女の許婚である豆四郎(実は磯上俊清⇒在原業平の家臣。染五郎)の生命を犠牲にして主君業平(染五郎の二役)とその恋人井筒姫(有常の幼女。菊之助の二役)を救う話で、そのような経緯になったのは、あれやこれやあるけど、つまりは、信夫は井筒姫に、豆四郎は業平にそっくりだったったために身代わりにされたということだ。
その死に方もかなり残酷だ。
事情を知らされない信夫の養母小由(東蔵)は信夫と衝立を挟んで向い合い、別れの琴を弾いてほしいと頼み、自らもそれに合わせて砧を打つ(ここでは菊之助が本当に琴を弾いているのには驚いた。なんでもやれるんだ。)。
その琴と砧の音を聴きながら、豆四郎は切腹をし、有常に首を討たれ、ついで、信夫も有経の手にかかって惨殺される。
お家大事のためにやむをえなかったとはいえ、なんという悲惨極まりない筋立てに仕上げたものか。
これは少々気色が悪い話だ。
江戸の庶民はここまでもえげつない話を望んだのだろうか。
昼の部では吉右衛門、東蔵、菊之助の出番はこの演目だけだったが、染五郎も加わって、実に緊迫の芝居を見せてくれたものの、後味の悪い話ではあった。
♪2015-82/♪歌舞伎座-05
2014年7月11日金曜日
平成26年7月社会人のための歌舞伎鑑賞教室「傾城反魂香」
2014-07-11 @国立劇場大劇場
中村 梅玉(又平)
中村 魁春(又平女房おとく)
中村 東蔵(土佐将監光信)
中村 歌女之丞(将監北の方)
中村 梅丸(土佐修理之助)
中村 松江(狩野雅楽之助)
ほか
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解説 歌舞伎のみかた 澤村 宗之助
近松門左衛門=作
傾城反魂香 (けいせいはんごんこう)一幕
土佐将監閑居の場
今月の歌舞伎教室の解説は、真っ暗な回り舞台に幻想的な照明の下で、舞台が回転しながら、幾つもあるセリが徐々に上がってきて、順番に沈んでゆくという大仕掛な舞台の説明から始まった。
その後澤村宗之助が登場し、特に黒御簾音楽の効果について中心に説明が行われ、今更ながら感心した。
その上で、本篇の「傾城反魂香」を観たので、なるほど、ここであの音楽(浄瑠璃、太鼓、鼓、笛、ツケ打ち=舞台上手の端っこで板を打つ)が生かされているな、ということが分かり、歌舞伎の楽しみ方が一段深まったように思う。
近松門左衛門作「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」(土佐将監閑居の場)は、元々人形浄瑠璃のための作品で、後に歌舞伎に移されたものだそうで、それだけに浄瑠璃(義太夫)の語りがとても重要な役割をしているのが素人目にもよく分かる。
役者の動きがあたかも人形のようにさえ見えるのもそのせいだろう。
役者のセリフ回しと義太夫の語りが丁々発止のやりとりをして、実に面白い。
おまけに、今回のステージでは歌舞伎入門教室として演じられたために、義太夫部分は舞台両袖に電光字幕が用意されたので、完璧に理解できたのもありがたかった。
何しろ昔の言葉遣いであるために聴き取れても意味が分からないこともよくあるのだけど、漢字で表示されるとよく分かる。
「どもり」は差別用語であるとして今では「吃音」と言われるが、この古典作品ではそのままで表現されるのは致し方ないことだろう。主人公又平は「どもりの又平」として歌舞伎ファンでなくともその名前は知られているのではないだろうか。
才能はありながら話がうまくできない絵師又平は師匠の土佐将監から、土佐の苗字を許されないでいたが、女房おとくとともに師匠の隠居を足繁く通い、なんとか認めてもらおうと努力していたが、弟弟子修理之助に先を越され、師匠にもさじを投げられ、夫婦とももはやこれまでと自害を決心し、最後の名残に師匠宅の庭にある手水鉢に自らの絵姿を描くとそこに奇跡が生じて、思わぬ展開になるという話。
この吃音で必死に自分の気持を表現しようとする又平の演技は哀れを誘う一方で、亭主の口下手を補う女房おとくの滑舌の良さが好対象で掛け合い漫才のようでもあるが、二人して死を覚悟する場面などなかなか胸に迫るものがある。
最後は、又平おとくの仲の良い夫婦が滑稽味をだして安堵の笑いと喝采の中に心持ちの良い幕となった。
♪2014-70/♪ @国立劇場大劇場-04