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2022年10月19日水曜日

横浜音祭り2022 横浜18区コンサート 〜横浜シンフォニエッタメンバー〜

2022-10-19 @テアトルフォンテ



横浜シンフォニエッタメンバー
 バイオリン:加藤えりな/佐々木絵理子
 ビオラ:伴野剛
 チェロ:懸田貴嗣
 クラリネット:齋藤雄介
 ピアノ:碓井俊樹

モーツァルト:クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581
シューマン:ピアノ五重奏曲 変ホ長調 op.44
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シューマン:ピアノ五重奏曲 変ホ長調 op.44から第1楽章
横浜市歌(クラリネット+ピアノ五重奏版)


1年余にわたった今季の横浜18区コンサートの掉尾を飾ったのは、横浜シンフォニエッタ・メンバーによるモーツァルトとシューマンの五重奏曲の名曲2本立て。
前半はモーツァルト・クラリネット五重奏曲。クラリネットは齋藤雄介(神フィル首席でもある)。

彼はつい2週間ほど前に神奈川フィル室内楽@かなっくHで、演奏中にクラリネットを5つに分解されながら吹き切るという妙技を披露したばかりなので、また朝顔から抜いていったらどうなるだろうと妄想しながら聴いた。

LPを買い始めた初期に、なぜかモツ・ブラのクラリネット五重奏曲カップリングを買って、室内楽入門した思い出の曲だ。

後半がシューマン・ピアノ五重奏曲。

昨日は「みなとみらいクインテット」で第1楽章だけ聴いて欲求不満を募らせていたので、先ずは清々した。

1-Allegro brillanteとあるように元気よく始まり、2楽章は憂いを含むが(これが良い味わい)、3-4楽章と明るく疾走して、まさにこの作品はクララとの愛の結晶ではないかと思う。

全曲にわたってアンサンブルの魅力に溢れている。
ブラームスのピアノ五重奏曲と共にこのジャンルでは双璧を成していると思う。


演奏については昨日とは随分様子が異なった。
「みなとみらいクインテット」はいわばスター級ソリスト集団。
今日はアンサンブルが本職の演奏家達で、前者にはスリリングな丁々発止が。後者には予定調和の安心感が。

ただ、会場の違いは大きい。
やはり音楽堂の響きの良さを痛感することになった。(演奏スタイルの違いも相俟って)音楽堂では、各人の音が其々に際立つが、今日のホールではそれはなかった。まあ、楽器も違うんだろうね。前者はストラディやグァルネリだもんな。


♪2022-155/♪テアトルフォンテ-01

2021年9月14日火曜日

横浜18区コンサート 第Ⅰ期 萩原麻未Pf × 横浜シンフォニエッタメンバー(弦楽五重奏)

2021-09-14 @フィリアホール



横浜シンフォニエッタメンバー(弦楽五重奏)*
バイオリン:遠藤香奈子、大澤愛衣子
ビオラ:伴野剛
チェロ: 朝吹元
コントラバス:倉持敦

萩原麻未:ピアノ**

モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク(弦楽五重奏版)*
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番二短調 K466(弦楽五重奏伴奏版)**
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J.S.バッハ(グノー編):アヴェ・マリア


恒例、横浜18区コンサート(市内全区の区民文化センターや公会堂などで開催されるクラシック・室内楽演奏会)の2021年の開幕は萩原麻未のピアノと横浜シンフォニエッタ・メンバーによる弦楽五重奏団の組合せ。

僅か5人の弦楽合奏版アイネクライネ・ナハトムジークが先ずは面白い。

何しろ、室内楽はかぶり付き(で聴く)と決めているので、残響の届く前に原音がそれをかき消すという?誠にリアルな、ガリガリ叫ぶ弦の音が堪らない。

都響の第2バイオリン首席の遠藤ちゃんの隠れファンであるが、今日は第1バイオリンでグリグリと引っ張っていた。

メインディッシュがモーツァルト・ピアノ協奏曲第20番。
これを聴くとパヴロフの犬のように映画「アマデウス」を思い出す。

萩原麻未は、これまでもオケ定期等でピアノ・コンチェルトを数回経験済みだが、間近に室内楽伴奏で聴くのは初めてで、繊細な息遣いとダイナミックレンジの広さ、Pfの音の抜ける輝きが素晴らしい。

同じ場所で10日程前に聴いたピアノ・トリオは、鈴木秀美のチェロがガット弦という中途半端な古楽アプローチに不満が残ったが、今日の5人の弦は当然モダン・アプローチなのでフルコンPfの音にも埋もれることなく、両者の丁々発止のやりとりが楽しめた。

ところで、明治の先人達は、急速な西洋文明の輸入に当たって、多くの学術用語などに名日本語訳を残しているが(文化・思想・哲学・理性・感性・共和・人民〜)、中でもmusica や musikを「音を楽しむ」としたのは実に名訳だと思う。
「音楽」は「音」こそ生命なのに、アマチュアリズムの現状は余計な《高邁な解釈》で水膨れにしているのではないか。

♪2021-096/♪フィリアホール-04