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2016年3月22日火曜日

三月大歌舞伎 中村芝雀改め五代目中村雀右衛門襲名披露三月大歌舞伎<昼の部>

2016-03-22 @歌舞伎座


一 寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)
工藤祐経⇒橋之助
曽我五郎⇒松緑
曽我十郎⇒勘九郎
化粧坂少将⇒梅枝
近江小藤太⇒廣太郎
八幡三郎⇒廣松
喜瀬川亀鶴⇒児太郎
梶原平次景高⇒橘太郎
梶原平三景時⇒錦吾
大磯の虎⇒扇雀
小林朝比奈⇒鴈治郎
鬼王新左衛門⇒友右衛門

二 女戻駕(おんなもどりかご)/俄獅子(にわかじし)
〈女戻駕〉
吾妻屋おとき⇒時蔵
浪花屋おきく⇒菊之助
奴萬平⇒錦之助
〈俄獅子〉
鳶頭梅吉⇒梅玉
芸者お孝⇒孝太郎
芸者お春⇒魁春

三 鎌倉三代記(かまくらさんだいき)
絹川村閑居の場
時姫⇒芝雀改め雀右衛門
佐々木高綱⇒吉右衛門
おくる⇒東蔵
富田六郎⇒又五郎
母長門⇒秀太郎
三浦之助義村⇒菊五郎

四  団子売(だんごうり)
杵造⇒仁左衛門
お福⇒孝太郎


芝雀が雀右衛門を襲名する披露の公演だが、襲名の口上は夜の部で行われるので昼の部だとピンと来ないけど、仕方がない。
鴈治郎襲名公演の時は昼の部でも劇中襲名口上というのがあったが、今回はそれもなかった。

芝雀(=雀右衛門)と言えば、いつも女形なので、あまり印象に残っていないけど、去年の11月の「神霊矢口渡」の娘お舟の芝居は良かった。物語自体が面白いのだけど、演技力あってこそ集中できたのだと思う。

今回は「鎌倉三代記」の時姫が雀右衛門襲名披露の役だったが、歌舞伎の世界では三姫(鎌倉三代記の時姫、本朝廿四孝の八重垣姫、祇園祭礼信仰記の雪姫)の一つとして重要な役柄だそうだ。確かに、敵の武将に恋をしてその武将から実父を討てと迫られて引き受けてあの世で添い遂げましょうという話だからなかなか難しいのだろう。
甲斐甲斐しいお姫様ぶりは良しとして、父親を討つ覚悟に至る芯の強さのような気配はあまり感じられなかったのだけど、見逃したのかな。
この芝居で言えば、吉右衛門の存在感が大きかった。

ほかの芝居では、「壽曽我対面」での橋之助に貫禄が出たなあと思った。松緑はもっと本格的な芝居を見たかった。


女戻駕と俄獅子は前者が常磐津、後者が長唄による舞踊劇だ。踊りのことは分からないけど、音楽としては心地よい。特に、前者が終わって舞台暗転後に囃子連中?が大勢で舞台一面に並んで聴かせる長唄は華やかな舞台にピッタリでこれは面白かった。

団子売も竹本による舞踊劇。
団子の素になる餅つきから始まるが、その餅が柔らかそうで、あれは一体何で出来ているのだろう。最後はちぎって丸めて客席に投げ込んでくれたら面白いのに、そういう展開ではなかった。


♪2016-033/♪歌舞伎座-02

2015年11月6日金曜日

11月歌舞伎公演「通し狂言 神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」

2015-11-06 @国立劇場


平成27年度(第70回)文化庁芸術祭協賛
福内鬼外=作
通し狂言 神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)
  四幕       
  国立劇場美術係=美術
        
 序  幕  東海道焼餅坂の場
 二幕目  由良兵庫之助新邸の場
 三幕目  生麦村道念庵室の場
 大  詰  頓兵衛住家の場

 中村吉右衛門⇒由良兵庫之助信忠
 中村歌六⇒江田判官景連/渡守頓兵衛
 中村又五郎⇒南瀬六郎宗澄
 中村歌昇
 中村種之助
 中村米吉
 嵐橘三郎
 大谷桂三
 中村錦之助⇒竹澤監物秀時/新田義興の霊
 中村芝雀⇒新田の御台所筑波御前/頓兵衛娘お舟
 中村東蔵⇒兵庫之助妻湊
         ほか


こういう演目が歌舞伎にあるとは全く知らなかったが、作者は福内鬼外(ふくうちきがい)というふざけたようなペンネームを名乗った本邦のダ・ヴィンチとも言えるか?平賀源内だそうだ。

まことに才能溢れているというか、器用というか、驚くほど多方面に業績を残しているとは聞いていたが、人形浄瑠璃の作家でもあったとは驚き。

他にも8作が伝わっているというが、実際に今も上演されるのは「神霊矢口渡」だけらしい。

本作も最初は人形浄瑠璃で、そのほぼ四半世紀後に歌舞伎に移された。今回の国立劇場の通し狂言版では(解説に両者の異同については触れてなかったが)、多分、人形浄瑠璃の構成をほとんどそのままに再構成したのではないか。

歌舞伎での初演時は今回の幕でいえば二幕目(由良兵庫之助新邸の場)が中心で、大詰め(頓兵衛住家の場)は上演されなかったが、今日ではもっぱら頓兵衛住家の場が上演されるのみで、今回の二幕目の上演はなんと100年ぶりだというし、序幕は109年ぶり、三幕目は119年ぶりだという。

さすがに国立劇場ではある。
内容はともかく、温故知新も大切な仕事だ。


当然に初めて鑑賞する演目だ。
主役である?由良兵庫之助(吉右衛門)が登場するのは二幕目だけで、その後は名前すら出てこない。この幕で完全に自己完結している。

三幕目は閑話休題といったところで、大詰めの「頓兵衛住家の場」で一挙にドラマチックな展開と終幕になる。
ここでは主役は極悪非道の頓兵衛(歌六)とその娘お舟(芝雀)だ。由良之助の影も形もない。

この二幕目と四幕目を同時に演じ、観るというのは役者にもお客にもかなりエネルギーが必要だ。それでどちらかを中心に据え片方は除け者にされた。どちらがいいか、は演じた役者の持ち味にもよるだろうし、時代によって物語の好みが変わっていったとも言えるのではないか。

とはいえ、新田家の再興という筋を底辺に、一応、全幕話は繋がっているので、観ていて混乱もないし、それぞれの場がそれぞれに面白い。


初代吉右衛門以来100年ぶりに当代吉右衛門が演じた由良之助は悲愴な計画を胸に秘め、忠臣を殺し、我が子の首を刎ね、妻(東蔵)に詰られながらの高笑いがやがて慟哭に変わる芝居の迫力は胸に迫るものがあった。

もう一組の主役、歌六と芝雀の親子の悲劇も実に興味深い物語だ。両人とも入魂の芝居だったと思うが、特に芝雀が、恋してしまった父の敵方でもある若武者を無事に逃そうとして瀕死の身体で太鼓を打とうとして(打てば追手仲間に対する<若武者を捕まえた>という合図になり、深追いを食い止められるから。)、なかなか打てない緊迫感には手に汗握ってしまった。

悲劇だけではなく、喜劇的要素も随所に織り込まれ、笑いもあり、どの幕も楽しめる盛り沢山な芝居だった。

200年余の伝統に注文付けてもしかたがないけど、由良之助が大詰めにも顔を出すような脚色をすればまとまりが良かったのにと思うが、歌舞伎の筋立てって、筋が通らないのが多いものな。


♪2015-109/♪国立劇場-05

2015年9月3日木曜日

松竹創業120周年 秀山祭九月大歌舞伎 昼の部

2015-09-03 @歌舞伎座


一 双蝶々曲輪日記
(ふたつちょうちょうくるわにっき)
 新清水浮無瀬(しんきよみずうかむせ)の場

二 新歌舞伎十八番の内
   紅葉狩(もみじがり)

  紀有常生誕一二〇〇年
三 競伊勢物語(だてくらべいせものがたり)
序幕 奈良街道茶店の場
   同  玉水渕の場
大詰 春日野小由住居の場
   同  奥座敷の場

一 双蝶々曲輪日記
南与兵衛⇒梅玉
藤屋吾妻⇒芝雀
平岡郷左衛門⇒松江
太鼓持佐渡七⇒宗之助
堤藤内⇒隼人
井筒屋お松⇒歌女之丞
手代権九郎⇒松之助
三原有右衛門⇒錦吾
山崎屋与五郎⇒錦之助
藤屋都⇒魁春

二 新歌舞伎十八番の内 紅葉狩(もみじがり)
更科姫実は戸隠山の鬼女⇒染五郎
局田毎⇒高麗蔵
侍女野菊⇒米吉
山神⇒金太郎
腰元岩橋⇒吉之助
従者左源太⇒廣太郎
従者右源太⇒亀寿
平維茂⇒松緑

  紀有常生誕一二〇〇年
三 競伊勢物語(だてくらべいせものがたり)
紀有常⇒吉右衛門
絹売豆四郎/在原業平⇒染五郎
娘信夫/井筒姫⇒菊之助
絹売お崎⇒米吉
同 お谷⇒児太郎
旅人倅⇒春太郎<初お目見得井上公春(桂三長男)>
およね⇒歌女之丞
川島典膳⇒橘三郎
茶亭五作⇒桂三
銅羅の鐃八⇒又五郎
母小由⇒東蔵


「双蝶々曲輪日記」は昨年の10月の国立劇場で「通し狂言」としてみているので、予習もせずに臨んだ。

今回の「新清水浮無瀬の場」(原作浄瑠璃から三段目の「小指の身代わり」の趣向も取り入れられている、と<筋書き>に書いてある。)は、通しでは除幕に当たる部分で、物語をすっかり忘れているのには我ながら呆れた。もっとも小指を噛み切られる話は忘れているというよりそもそもそんな芝居あったっけ?という疑問が頻りだ。

ただ、南与兵衛(なんよへい・梅玉)が新清水の舞台から商売道具の傘を落下傘のようにして飛び降りる宙吊り芸は思い出した。

見どころはそこだけかな。
<ふたつちょうちょう>と言っても相撲取りは登場しない。
やはり「引窓」を含む場面構成で観たいな。


「紅葉狩」は竹本、長唄、常磐津の掛け合いによる舞踊劇。
能の「紅葉狩」を題材にしているようだが、打って変わって舞台は歌舞伎らしい派手な紅葉尽くしだ。
平維茂(たいらのこれもち。松緑。ヒゲがない方が良かったぞ)が紅葉狩りに来た戸隠山中で更科姫(その正体は戸隠山の鬼女。染五郎)とその共の一行と会い、酒を酌み交わしながら彼女たちの舞を見るうちに睡魔に襲われる。
ここで更科姫が2枚の扇を使って踊るところがひとつの見所らしい。

更科姫一行が姿を消した合間に山神(金太郎)が現れて、維茂に更科姫の本性を告げる。
後半、美しかった更科姫が世にも恐ろしい鬼女とに変貌して維茂を襲うところがものすごい。これはなかなかコワイ。

維茂は愛刀小烏丸で対抗し、鬼女はその威徳に抗せずして松の大木に逃げるように飛び移って両者が睨み合う大見得で幕。

賑やかな浄瑠璃に乗って、派手な舞台と衣装、そして舞踊が華やかでよろしい。



「競伊勢物語」がメインディッシュだったのだろうが、この話も人間関係も複雑で分かりにくくなかなか楽しめなかったが、大詰めのそれも終盤に至っての劇的展開に完全覚醒し唖然とした。

紀有常(吉右衛門)が、実の娘・信夫(しのぶ。菊之助)と彼女の許婚である豆四郎(実は磯上俊清⇒在原業平の家臣。染五郎)の生命を犠牲にして主君業平(染五郎の二役)とその恋人井筒姫(有常の幼女。菊之助の二役)を救う話で、そのような経緯になったのは、あれやこれやあるけど、つまりは、信夫は井筒姫に、豆四郎は業平にそっくりだったったために身代わりにされたということだ。
その死に方もかなり残酷だ。

事情を知らされない信夫の養母小由(東蔵)は信夫と衝立を挟んで向い合い、別れの琴を弾いてほしいと頼み、自らもそれに合わせて砧を打つ(ここでは菊之助が本当に琴を弾いているのには驚いた。なんでもやれるんだ。)。
その琴と砧の音を聴きながら、豆四郎は切腹をし、有常に首を討たれ、ついで、信夫も有経の手にかかって惨殺される。
お家大事のためにやむをえなかったとはいえ、なんという悲惨極まりない筋立てに仕上げたものか。

これは少々気色が悪い話だ。
江戸の庶民はここまでもえげつない話を望んだのだろうか。

昼の部では吉右衛門、東蔵、菊之助の出番はこの演目だけだったが、染五郎も加わって、実に緊迫の芝居を見せてくれたものの、後味の悪い話ではあった。



♪2015-82/♪歌舞伎座-05

2015年4月10日金曜日

松竹創業120周年 中村翫雀改め 四代目中村鴈治郎襲名披露 四月大歌舞伎

2015-04-10 @歌舞伎座


●玩辞楼十二曲の内 碁盤太平記(ごばんたいへいき)
山科閑居の場

大石内蔵助     扇雀
岡平
 実は高村逸平太  染五郎
大石主税      壱太郎
医者玄伯      寿治郎
空念
 実は武林唯七   亀鶴
妻およし      孝太郎
母千寿       東蔵

●六歌仙容彩(ろっかせんすがたのいろどり)
〈遍照〉
僧正遍照      左團次
小野小町      魁春

〈文屋〉
文屋康秀      仁左衛門

〈業平小町〉
在原業平      梅玉
小野小町      魁春

〈喜撰〉
喜撰法師      菊五郎
祇園のお梶     芝雀
所化        團蔵
同         萬次郎
同         権十郎
同         松江
同         歌昇
同         竹松
同         廣太郎

〈黒主〉
大伴黒主      吉右衛門
小野小町      魁春

●玩辞楼十二曲の内 廓文章(くるわぶんしょう)吉田屋
劇中にて襲名口上申し上げ候

藤屋伊左衛門   翫雀改め鴈治郎
吉田屋喜左衛門  幸四郎
若い者松吉    又五郎
藤屋番頭藤助   歌六
おきさ        秀太郎
扇屋夕霧       藤十郎


「碁盤太平記」という演目があることは知っていたけど、これが所謂「忠臣蔵」の話とは知らなかった。大筋はこれまでにさんざ、映画、テレビなどで観てきたエピソードと同じだ。

大石内蔵助(扇雀)が吉良側を欺くために、遊興放蕩し、ついには、これを諌める妻(孝太郎)を離縁し、呆れる母(東蔵)からは勘当されてまでも、腹の中を隠し通そうとする。

吉良の家来・岡平(染五郎)は下僕に身を変えて大石に仕えながら彼らの動静を窺っていたが、字の読めないはずの岡平に手紙が届いたことから主税はその正体を見破り、若さゆえの短慮から、彼に斬りつけ、トドメを刺ささんとするところを内蔵助が押しとどめた。
内蔵助はとっくに岡平の正体を知りながら放置しむしろ陽動作戦に利用していたのだ。
しかし、主税が斬りつけたとあっては是非もない。
岡平に対し、吉良の身内なら屋敷の間取りを知っているだろうから、死ぬ前に教えてくれ、と虫のいいことを頼む。
頼まれた岡平は碁盤の上で碁石を並べて教えてから事切れる。

虫の息の岡平が吉良屋敷の間取りを教えるのは、実は岡平の親が浅野家家臣だったという理由だったか、大石親子の忠臣ぶりに情が移ったからか、ま、そんな理由があってのことなのだけど、この肝心な芝居に集中できずにいたものだから今や思い出せない。

筋書きを読めば思い出せる、あるいはそのものズバリの筋書きが書いてあったかもしれないが、終演後の飲み屋のはしごのどこかでカバンごと失くすという大失態。
それはともかく、NETで検索しても、「碁盤太平記」にはいくつかのパターンがあるらしい。


主役の名前が今回は「大石内蔵助」だったが、「碁盤太平記」の過去の上演記録では「由良之助」バージョンと「内蔵助」バージョンがあるようだ(後世、幾つもの忠臣蔵ものを集大成した「仮名手本忠臣蔵」では「大星由良之助」になっている。)。
名前の違いだけではなく、岡平の素性も、登場人物も若干異なる<あらすじ>が散見されるので、内容も少しずつ変化してきているのかもしれない、あるいは演出の違いなのか。

ま、ここはしかし、実の母や妻を欺かねばならない内蔵助や主税の心中と、斬られながらも死に際に大石親子の心中に共鳴する岡平の心の様をしっかり見届けなくてはいけなかったが、叙上の如く、岡平にはすまないことをした。

扇雀、染五郎の芝居は説得力があった。


さて、昼の部のメインは「廓文章 吉田屋」だ。

これは最近、テレビ録画で藤十郎の「伊左衛門」を観ていたのが良くなかったか。
四代目を襲名した鴈治郎がどんな風に演ずるのかという興味があったが、素人目にもどうも固い。

伊左衛門という男は、アホだけどにくめない人柄がとりえだと思うけど、それがいまいち出ていないように思う。
彼が惚れ込んだ夕霧はそんじょそこらにはお目にかかれないとびきりの才色兼備だ。そんな彼女でも商売抜きで心を寄せる、というにふさわしい伊左衛門の人柄がでなくちゃ、この話はアホらしいで終わってしまう。

そこがねえ。
ちょっと不足していたように思うよ。
夕霧が藤十郎で愛嬌振りまくのだもの、こっちのほうがずっと可愛い。

劇中口上では、芝居が面白おかしく口上につながって洒落ていた。
喜左衛門を演ずる幸四郎が紹介役なのだけど、貫禄十分!

♪2015/28 @歌舞伎座-02

2015年2月5日木曜日

松竹創業120周年二月大歌舞伎

2015-02-05 @歌舞伎座


一 吉例寿曽我(きちれいことぶきそが)
 鶴ヶ岡石段の場
 大磯曲輪外の場

 近江小藤太 又五郎
 八幡三郎 錦之助
 化粧坂少将 梅枝
 曽我五郎 歌昇
 曽我十郎 萬太郎
 朝比奈三郎 巳之助
 喜瀬川亀鶴 児太郎
 秦野四郎国郷 国生
 茶道珍斎 橘三郎
 大磯の虎 芝雀
 工藤祐経 歌六

二 彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち)

 毛谷村六助 菊五郎
 お園 時蔵
 微塵弾正実は京極内匠 團蔵
 お幸 東蔵
 杣斧右衛門 左團次

三 積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)

 関守関兵衛実は大伴黒主 幸四郎
 小野小町姫/傾城墨染実は小町桜の精 菊之助
 良峯少将宗貞 錦之助


江戸歌舞伎においては、正月興行には曽我兄弟の仇討を素材にした所謂「曽我狂言」を上演するのが吉例となっているそうだ。
と言っても、仇討の端緒も仇討ちに至る艱難辛苦も肝心の仇討ちも描かれない。「伊賀越え」と比べると物語としての面白みはない。

が、ここが歌舞伎の難しいところであり面白いところで、舞台芸能の一つの洗練された型を楽しむものなのだろう。

なぜ、正月を寿ぐ演目になっているのか、劇場で買った筋書きにも説明がなかった(と思う)が、おそらく書く必要も感じないくらい吉例になっているからだろうが、素人考えでは、仇討ちを果たせたということがおめでたいということのほかに、仇討の舞台が富士の裾野であるということがその理由ではないかと思う。
仇討ちがめでたいなんて、野蛮な感じもするけど。

1幕2場で、その場面転換は鶴岡八幡宮の石段が90度持ち上がって富士山を望む大磯曲輪の外に早替わりするという「がんどう返し」だ。奇しくも1年前の1日違いの歌舞伎座で「青砥稿花紅彩画」を観た時にもこの「がんどう返し」があった。
石段に役者が乗ったまま立ち上がってゆくのだから怖いだろうな。

江戸歌舞伎の様式美を勉強するには良い作品のようだが、巻物の取りっこだけで終始するような筋に、なにか今日的な色付けはできないものかと正直なところ残念感が漂ったなあ。

「積恋雪関扉」も、芝居というより常磐津を伴奏にした舞踊劇で、「曽我」ともども頭のスイッチを切り替えて楽しむべき演目だ。

この作品で覚えたこと。
「見顕(あらわ)し」と「ぶっ返り」。
自ら本性を顕にすることと、多くの場合その際に瞬間的に衣裳を変えることをいう。
幸四郎演ずる関守関兵衛、実は大伴黒主だと正体を顕す際に衣裳を手早く赤から黒主体に変え、菊之助が演ずる傾城墨染は墨染の桜模様から明るい桜模様の衣裳に変えて小町桜の精の正体を顕した。
菊之助は立役では甘いマスクが邪魔をすることがあるけど女形はホンに似合う。



この3枚は團十郎と藤十郎の舞台。Eテレから
やはり楽しめたのは「彦山権現誓助剱」。
元は人形浄瑠璃だそうで、その中から九段目の「毛谷村(けやむら)」だけが歌舞伎として伝わっているそうだ。

百姓だが剣術の使い手でもある六助(菊五郎)は、彼が託されて育てている幼い弥三松(やそまつ)と二人暮らしだが、その日、あれこれあった挙句、訪ねてきた老婆お幸(東蔵)と弥三松の叔母であるお園(実はお幸の娘で六助の許嫁⇒時蔵)が顔を合わせることになり、お園の仇が六助にとっても憎い相手であると分かって、(別の)老婆を殺された村人たちの願いもあって、仇討ちに出かけよう、という(ところで終わる)話だ。

話自体はありふれているけど、お園が俄然面白い。よくこういうキャラクターを考えたものだ。
登場は虚無僧姿で、悪者をやっつけるが、六助はその虚無僧が本物ではないことを見抜く。実は…と正体を明かせば怪力女であった。そして話しているうちに六助が父の決めた許嫁だと分かるや途端にしおらしく恥じらいを見せたりしながらも、つい片手で臼を転がしたり、甲斐甲斐しく台所に立つも火吹き竹と間違えて尺八を吹くとか、実におかしい。

前に同じ菊五郎と時蔵のコンビで「魚屋宗五郎」を観た時も面白くて、特に時蔵がすごく巧いと思ってそれ以来楽しみにしているけど、今回も期待を裏切らなかったなあ。


今回は3つの演目というより3通りの歌舞伎を楽しんだ。
たくさんの引き出しを持っている芸能だ。

♪2015-11/♪歌舞伎座-01

2014年12月12日金曜日

12月歌舞伎公演「通し狂言伊賀越道中双六 (いがごえどうちゅうすごろく)」

2014-12-12 @国立劇場大劇場


中村吉右衛門⇒唐木政右衛門                    
中村歌六       ⇒山田幸兵衛
中村又五郎   ⇒誉田大内記/奴助平
尾上菊之助   ⇒和田志津馬
中村歌昇       ⇒捕手頭稲垣半七郎
中村種之助   ⇒石留武助
中村米吉      ⇒幸兵衛娘お袖
中村隼人      ⇒池添孫八                    
嵐橘三郎      ⇒和田行家/夜回り時六
大谷桂三      ⇒桜田林左衛門
中村錦之助  ⇒沢井股五郎
中村芝雀      ⇒政右衛門女房お谷
中村東蔵      ⇒幸兵衛女房おつや
                     ほか

近松半二ほか=作
国立劇場文芸研究会=補綴
通し狂言伊賀越道中双六 五幕六場
           国立劇場美術係=美術

序 幕 相州鎌倉 和田行家屋敷の場
二幕目 大和郡山 誉田家城中の場
三幕目 三州藤川 新関の場
     同     裏手竹藪の場
四幕目 三州岡崎 山田幸兵衛住家の場
大 詰 伊賀上野 敵討の場


「伊賀越道中双六」は、昨年の11月に同じ国立劇場で通し狂言として上演された。それが初見だったが、なかなか面白かった。
「沼津」の幕が有名で、単独でも上演されるそうだ。
仇討ちをする和田志津馬とこれを助ける唐木政右衛門が主人公と言っていいと思うが、見どころとされている「沼津」では登場しない。
「沼津」は、今は敵味方に分かれた実の親子の再会が一転して悲劇に終わる話で、なかなか味わい深い。
しかし、この話はいわば仇討ちの本道からは逸れた脇道だ。

一方で、この時の公演では悲惨極まりない「岡崎」の場面が省略された。省略されることのほうが多いらしい。

ま、普通の観客の好みで言えば「岡崎」より「沼津」を観たいだろう。


ところで、今回の「伊賀越道中双六」ではその「沼津」が省略され、「岡崎」が上演された。歌舞伎では44年ぶりだそうな。
ほかにも昨年の公演とはだいぶ構成が異なっていた。
いわゆる「饅頭娘」*と言われる「政右衛門屋敷の場」もなくなり、「沼津」が省略され、これらに代わって「藤川」と「岡崎」が置かれた。

換骨奪胎だが、それでも成り立つのが歌舞伎という演劇の面白さなんだろうな。

今回の構成で、仇討ちモノとしては、スッキリと分かりやすくなったように思う。志津馬と政右衛門を軸に話が展開するからだ。
「藤川 新関の場」では志津馬<菊之助>が、「同 竹藪の場」では政右衛門<吉右衛門>が中心となり、「岡崎」も政右衛門と元の妻の芝居が凄絶で見応えがある。

「饅頭娘」が省略されているので、「岡崎」への話のつながりが分かり難い(お谷が巡礼している理由)ところもあるけど、やむを得ないか。

「岡崎」では、幸兵衛<歌六>の屋敷に、運命の糸で手繰り寄せられるように、それぞれの身柄を偽った志津馬、政右衛門と巡礼になったお谷が出会うことになるが、とりわけ、お谷とその乳飲み子(政右衛門の子)が哀れだ。お谷を救えない、そして我が子を手にかけて刺し殺す政右衛門も哀れだ。
すべては、仇討の本懐を遂げるためである。
この凄絶な葛藤は役者にとっても浄瑠璃語りにとってもなかなか至難の芸らしく、達者が揃わなければ上演できないと言われるのも宜なるかなである。

吉右衛門も芝雀も、迫真の芝居だったと思う。
吉右衛門には政右衛門として立ち回りも何度もあるが、やはり、この悲痛この上ないお谷とのやりとりの場面が一番いい。
芝雀も哀れを誘う。

志津馬に一目惚れしてしまった幸兵衛の娘お袖を演じた米吉くんがとても色っぽく可愛らしく、最後は意外な覚悟を見せてなかなか良かった。
志津馬役について言えば、菊之助はとても似合っていた。昨年の公演では虎之介くんで、存在感はいまいちだったが、これは志津馬が引き立つような演出ではないので仕方なかったろうと思う。


筋に戻れば、「岡崎」の我が子を殺した後の場面、幸兵衛の剣術の腕が衰えていないのを見て政右衛門が「まだお手の内は狂いませぬな、ハハハ~」と持ち上げるところなどは、いやはや男どもは呆れたものだと笑えてしまう。このやりとりはない方がいいと思う。

武家社会の義理や面子が、夫婦・親子の情愛を蹴散らしてしまうバカバカしさをもっと直截に工夫できないものか、と思ったが、そこに力点を置けば古典の枠からはみ出てしまうのだろうなあ。難しいところだ。

*政右衛門は、義理の弟(厳密には内縁の妻お谷<芝雀>の弟)の(父和田行家<橘三郎>を殺した沢井股五郎<錦之助>に対する)仇討ちの助っ人になるために、お谷を離縁(?)し、お谷と志津馬の異母妹でまだ7歳のおのちと正式に結婚するのだが、その幼い花嫁は結婚の場で三三九度の代わりに饅頭を欲しがることから「饅頭娘」と言われている。
内縁関係のままでは助太刀できないという理由によるけど、ならばこの際(結婚に反対していたお谷の父は殺されたのだから)、お谷と正式に祝言を上げれば済んだのではなかったかと思うけど、それでは話が盛り上がらないか…。歌舞伎が追求するのはリアリズムじゃないものな。


♪2014-114/♪国立劇場-07

2014年10月20日月曜日

10月歌舞伎公演「通し狂言 双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」

2014-10-20 @国立劇場大劇場


松本 幸四郎
中村 東   蔵
中村 芝   雀
市川 高麗蔵
松本 錦   吾
大谷 廣太郎
大谷 廣   松
澤村 宗之助
中村 松   江
市川 染五郎
大谷 友右衛門
中村 魁   春
        ほか

竹田出雲・三好松洛・並木千柳=作
国立劇場文芸研究会=補綴
通し狂言双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき) 四幕五場       
        
   序   幕  新清水の場
   二幕目  堀江角力小屋の場
   三幕目  大宝寺町米屋の場
         難波芝居裏殺しの場        
   四幕目 八幡の里引窓の場


8月、9月に(国立劇場では)歌舞伎公演がなかったので、久しぶりの国立劇場だ。
歌舞伎座の華やかさも悪くないけど、国立劇場はロビーもホワイエも客席もゆったりとしていい。なんたって安価なのが一番いいけど、今月からプログラム代が900円に値上がりしていたなあ。
これとて歌舞伎座の筋書きに比べるとずっと安い。

今月は「通し狂言 双蝶々曲輪日記」で、幸四郎が半世紀ぶりに主人公濡髪を演じたり、染五郎が3役に扮するなどの見どころが前評判。
初めて鑑賞する演目だし、こういう話があるということも知らなかった。それならしっかり予習しておけばよかったけど、その時間もなくて、幕間に筋書きを読みながらの鑑賞だった。

この作品に限ったことではないけど、通し狂言となると、長丁場だし登場人物も多く、なかなか役柄も筋書きも頭に入らない。

プログラムには人物関係図が書いてあったが、これに加えて演じている役者も覚えようとすると並大抵ではない。
せっかくの熱演を目一杯楽しむには、せいぜい劇場に足を運んで目や耳を養わなくてはいかんなあ。


●序幕では、染五郎の(与五郎を助ける与兵衛)二役早替わりが面白く宙乗りも出たのにはびっくりした。

●2幕目の堀江角力小屋の場は面白い趣向だ。
舞台上手に掘建小屋のような角力小屋が作ってあるが、土俵は見えない。見物人が出入り口で押し合いへし合いの中、相撲見物に興じている。
その様子だけで勝負の有様を表現している。

この場面から主人公というべき関取濡髪長五郎(幸四郎)と因縁の仲となる素人力士放駒長吉(染五郎の3役目)が登場する。「双蝶々」というタイトルは、この両者がともに「長」が付く名前であることに由来しているそうだが、ちょいと無理がありゃしませぬか。

ともかく、なぜか結びの一番で二人が勝負をし、大番狂わせが起こる。それを端緒に二人は達引(意地の張り合い。それによる喧嘩)を約束することに。

●3幕目は放駒長吉の実家、米屋の場だ。
弟長吉の日頃の不行跡に業を煮やした姉おせき(魁春)が一策を案じて改心させる。達引に訪れた濡髪長五郎とも仲直りするが、その前には一波乱あり、両者の米俵を投げ合う喧嘩などがおかしくて見ものだ。

濡髪にとって贔屓筋の息子である与五郎と与五郎の恋仲である吾妻(高麗蔵)の身に危険が迫ったことを知り、救出に向かうが、誤って二人の武士を殺してしまい、落ち延びることになる。

●4幕目八幡の里引窓の場。
芝居としてはここが一番面白かった。
南与兵衛の住まいに、濡髪が忍んで来る。
実は(歌舞伎には「実は」が多い!)その家の主の継母お幸(東蔵)は濡髪の実母であった。
いずれ入牢することとなる前に一目実母に会いに来たのだ。
お幸はワケありげな様子の濡髪を2階の部屋に連れて行く。

同じ日、皮肉なことに与兵衛は、めでたく父の跡を継いで代官に取り立てられ、その初仕事が濡髪を捕らえることだった。

お幸はその話を聞いて驚愕する。
先妻の子(与兵衛)が実の子(濡髪)を捕らえるとなっては、居ても立っても居られない。
2階には濡髪が引窓を開けて下の様子を窺う。
それが手水鉢の水面に映ったのを与兵衛も見逃さない。
この緊張の三角関係の中で、母、実子、継子が互いを想う真情が交錯してとてもドラマチックだ。
時は恰も石清水八幡の放生会(魚や鳥を放す儀式)の前夜、というのが良い設定で、得心の大団円を迎えて満足。

♪2014-95/♪国立劇場-05

2014年9月3日水曜日

秀山祭九月大歌舞伎(昼の部)

2014-09-03 @歌舞伎座


一 鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)
・菊畑
   
吉岡鬼一法眼 歌 六
虎蔵実は源牛若丸 染五郎
皆鶴姫 米 吉
腰元白菊 歌女之丞
笠原湛海 歌 昇
智恵内実は吉岡鬼三太 松 緑

二 隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)
・法界坊
   
聖天町法界坊 吉右衛門
おくみ 芝 雀
手代要助 錦之助
野分姫 種之助(1日~13日)
      児太郎(14日~25日)
五百平 隼 人
丁稚長太 玉太郎
大阪屋源右衛門 橘三郎
代官牛島大蔵 由次郎
おらく 秀太郎
道具屋甚三 仁左衛門

・浄瑠璃 双面水照月(ふたおもてみずにてるつき)
   
法界坊の霊/野分姫の霊 吉右衛門
渡し守おしづ 又五郎
手代要助実は松若丸 錦之助
おくみ  芝 雀


「鬼一法眼三略巻」は平成24年の暮に国立劇場で観た(4幕構成-除幕・菊畑・檜垣・奥殿)。
吉右衛門が鬼一と一條大蔵卿だったが、話の中身は非常に複雑で、よく覚えていなかった。

今回は、「菊畑」一幕だけだが、やはり話はややこしい。
歌舞伎にありがちな、A君…実は源氏の御曹司、B君…実は主人の実の弟、という韓流ドラマもびっくりな関係がフツーに出てくるので、頭の中で、え~っと彼は、実は某…と置換え、確認しながら観ていないと取り残されてしまう。

この芝居の中心人物は、鬼一法眼の屋敷で奴(やっこ)奉公している鬼三太(きさんだ⇒松緑)と虎蔵(染五郎)で、両者は互いに「実は…」の関係を承知している。主従の間柄なのだ。

両者に絡む鬼三太の実兄鬼一と虎蔵に思いを寄せる皆鶴姫(米吉)は、「実は」の関係を知らない。
皆鶴姫に思いを寄せる湛海(歌昇)はじめその他衆も知らない。

この狂言全体の筋書きに関しては大して面白いものでもない(ように思う)が、主要な登場人物たちの間に、「実は」を知られないようにするがゆえの苦労があり、知らないがゆえの不幸があり、知ってしまったがゆえの悲劇が起こるさまが人間ドラマとして面白い。


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隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)=「法界坊」は、以前にTVで(勘三郎?)が楽しそうに演じているのをぼんやりと観ていたのだけど、全編の物語をきちんと観るのは今回が初めて。

御家再興の話が背景になって、ここでも「実は…」が含まれるけど、この作品では筋書きは大きな要素ではないと思う。
法界坊(吉右衛門)の存在があまりに大きいからだろう。
欲の塊、悪の権化のようでもあるけど間が抜けたところもあって、おかしい。

この悪党にさっそうと対抗するのは道具屋甚三(仁左衛門。この人も実は…)だ。
御家再興を願う要助(実は松若丸=錦之助)の窮地に登場し大岡裁きの如く法界坊らの悪党を懲らしめて痛快。
この後も法界坊との対決の場があって、なかなかの見応えだ。

この場面で、法界坊、というより吉右衛門がアドリブを連発して場内を大いに沸かすのだけど、仁左衛門がこれに応えられない(のは当然なのだけど)ところに吉右衛門の工夫が欠ける。つまりは、やり過ぎではないか。
まあ、満員の観客はやんやの喝采だったからここは素直に楽しむのが鑑賞の王道かもしれないけど。

ところで、この場だったかどうか記憶が定かではないけど、法界坊が少しよろけたように見えた。近くにいた後見がすぐ気がついて小走りで近づいたが、大事には至らなかった。本人も「体力的に最後かな」と言ったいたという記事が出ていたが、まだ70歳。大事にして長く続けて欲しい。





話が一段落して、幕が下り、次いで、大喜利として「浄瑠璃 双面水照月(ふたおもてみずにてるつき)」が演じられた。
この一幕は、単独でも上演されるそうだ。


セリフがないわけではないけど、全体が舞踊劇。
伴奏は、上手に竹本の太夫と三味線2人ずつ。下手に常磐津の太夫が8人と三味線7人。


この一幕の趣向には驚いた。

要助と彼を慕うおくみ、隅田川渡し守りのおしづの3人が、野分姫(要助の許嫁。法界坊に騙された挙句殺された。)の菩提を弔っているところに、もうひとりおくみが登場する。実は、法界坊と野分姫の霊が合体した怨霊なのだ。
さあ、要助とおしづにはどちらが本当のおくみか分からない…。

どうしてこの物語(本篇)に野分姫が登場するのか、イマイチ意味が合点できないでいたけど、ここに及んで、なるほどこのためか!

ともに恨みを持つ者同士が一体となり、ある時は野分姫に、ある時は法界坊の姿を見せる(吉右衛門が女形を演じている。)のも恐ろしや。

その際、野分姫のセリフは吉右衛門ではなく、後ろに付いた黒衣(くろご)だった。こういう場合は後見というのだろうか?裃後見は知っているけど、頭巾かぶりの後見もいるのか?
その黒衣が透けた顔を隠す布(なんていうのかな?)越しに口紅を指しているのが見えた。
女性が黒衣を務めるのだろうか?それとも女形の黒衣なのだろうか?

浄瑠璃は常磐津と竹本の掛け合い。
多分、野分姫と法界坊で語り分け、弾き分けていたように思ったが、怨霊の動きに気持ちを奪われて確かめるゆとりはなかった。

この一幕、舞踊劇として実に興味深い。


♪2014-82/♪歌舞伎座-05