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2023年9月1日金曜日

東京シティ・フィル第363回定期演奏会

2023-09-01 @東京オペラシティコンサートホール



高関健:指揮
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
荒井英治:バイオリン*
(特別客演コンサートマスター)


桂冠名誉指揮者 飯守泰次郎を追悼して〜
ワーグナー:歌劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲
--------------
リゲティ:ルーマニア協奏曲
リゲティ:バイオリン協奏曲
バルトーク:管弦楽のための協奏曲


学究の徒、高関健の指揮だと、たとえどう仕上がろうともまずは傾聴したい、という気になる。

最初に、誰も予定もしていなかった故飯守御大への献奏(「ローエングリン」第1幕への前奏曲)から始まったが、弦の仕事ぶりが丁寧で良い演奏だった。みんな、気持ちを込めたのだろう。

本編はリゲティとバルトークの組合せ。
今年3月の都響Bが同じだった。やはり、両者は音楽史的に継続しているということらしい。

ルーマニア組曲は初聴きだが、とてもリゲティとは思えない親しみやすい音楽だったので驚いた。
リゲティにはうんざりする作品もあるけど、「ルクス・エテルナ」のような精妙で美しいのもあるし、今日の初聴きのように好ましいものもあるから、距離の持ちようが難しい。

さて、今日はバイオリン協奏曲だ。
…と言えば、上述3月都響のコパチンスカヤの強烈なパフォーマンス(「マカーブルの秘密」に比べたらおとなしいものだったとはいえ…)が忘れられない。
今日は、Vnの名手、シティ・フィルの特別客演コンマスでもある荒井英治が独奏に回ったが…コパチンの独奏で聴いた作品と同じだったのだろうか?と思うくらいで、帰宅後都響のプログラムと照らし合わせたよ。
まあ、両者とも腕前は確かだが、だいぶ音楽の雰囲気が違った。

最後にバルトークのオケ協。シティ・フィルが堅実に収めた感じがした。

Vn協奏曲の楽器配置が特殊なのでこれに手間取り、予定外の献奏も加わり、休憩は15分で、CCもあっさり目だったものの、終演が21時15分頃で、それから、オケの人とちょいと話し込んでいたら、駅に着いたのは21時30分を回っていた。

♪2023-148/♪東京オペラシティコンサートホール-06

2023年3月27日月曜日

東京都交響楽団 第971回 定期演奏会Bシリーズ 【リゲティの秘密-生誕100 年記念-】

2023-03-27 @サントリーホール



大野和士:指揮
東京都交響楽団
合唱:栗友会合唱団**

バイオリン&声:パトリツィア・コパチンスカヤ*

リゲティ(アブラハムセン編曲):虹~ピアノのための練習曲集第1巻より[日本初演]
リゲティ:バイオリン協奏曲*
バルトーク:《中国の不思議な役人》op.19 Sz.73(全曲)**
リゲティ:マカーブルの秘密*
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リゲティ : バラードとダンス(2つのバイオリン編)*
with 四方恭子





リゲティは(「ルクス・エテルナ」を除き)嫌いだし、都響も普段あまり持ち上げることも少ないけど、このプログラムに限っては絶賛する。

明日も芸劇でやるそうだから、今日聴けなかった人は是非当日券を買って一大パフォーマンスを観に行ってほしい。値打ちものだ。

リゲティの3曲中「マカーブルの秘密」以外は初聴き。

「バイオリン協奏曲」が先ずは聴きもの。
オケの弦編成は変則調弦のバイオリン、ビオラ各1を含んで僅か11本だが、管打鍵は種類も人数も大所帯だ。
音楽は微分音を含むものらしいが、どこが?って感じ。
「ルクス・エテルナ」の管弦楽版擬。微妙な音程の重なりと変化を固唾を飲んで聴いた。

コパチンスカヤの口笛あり、奇声あり、足踏みあり。これらはオケも強要され、客席も求められ、呼応して叫ぶ勇者もあり。


「マカーブル〜」の編成も弦は15本だけだが、管打鍵は大編成。
ソリストは、編成表にも「ソプラノ」と記してある。本来は、歌手が担当するのだと思う。

僕が以前聴いた時は半田美和子の独唱と管弦楽だった。

今回は、コパチンがバイオリンを弾きながら歌った?いや、奇声を発した。
かつて経験していたものの、やはり驚かされた。

コパチンは衣装も独特で、バイオリン協奏曲の時は、以前同様虫食い穴あきのようなドレスで裸足だった。

それが、「マカーブル〜」では死神のつもりなのか極端なメイクに、ドレスには新聞紙や膨らませたレジ袋擬をいくつもぶら下げて登場し、見た目にも圧倒される。これは音楽なのか?と考えるゆとりも与えない強烈なパフォーマンスだった。

プログラムの構成としては、長尺大編成のバルトークを最後に置くのが常識的だが、「マカーブル〜」を先にやったのでは、お客にとてもバルトークを聴く心の準備ができないと考えて、「マカーブル〜」で締め括ったのだろう。正解だ。

さて、バルトーク「中国の不思議な役人」。
組曲版は過去に聴いているが今回は全曲版。
弦16型で管打鍵はこちらも大編成。オルガンに混声4部60人強のボカリーズも。

今回は、よほどリハを繰り返したのか、大野和士のリードが巧かったのか、細部まで、よく整ったアンサンブルで大編成の魅力を十分に発揮した。
大満足也。

♪2023-053/♪サントリーホール-08

2022年6月22日水曜日

音楽堂アフタヌーンコンサート2022前期 「実力派カルテットへの誘い」 ウェールズ弦楽四重奏団

2022-06-22 @県立音楽堂


ウェールズ弦楽四重奏団
 﨑谷直人:Vn1
 三原久遠:Vn2
 横溝耕一:Va
 富岡廉太郎:Vc

モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番 K.421
リゲティ:弦楽四重奏曲第1番「夜の変容」
ベートーベン:弦楽四重奏曲第10番「ハープ」op.74
----アンコール----
ベートーベン:弦楽四重奏曲第5番 op.18-5 から第2楽章




神奈川フィルのコンマスでもある﨑谷を始め、各人個別の活動に接しているが、四重奏団としては初聴き。

リゲティ以外のモーツァルト・ベートーベン作品は有名で馴染みの、聴くのが楽しみなものばかり。

が、偉く慎重な演奏で、とてもアンサンブルの調和に神経を注いでいるのが分かる。

その分、即興性というか、ドライブ感が味わえなくて、きれいだけどつまらない。

多分、四重奏団としての更なる高みを目指している過程なのだろう。
求道者のようなアプローチに、凡人はついていけなかった。

♪2022-091/♪神奈川県立音楽堂-06

2019年7月21日日曜日

東京交響楽団 川崎定期演奏会 第70回

2019-07/21 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ジョナサン・ノット:指揮
東京交響楽団
東京コーラス**

サラ・ウェゲナー:ソプラノ*
ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー:メゾ・ソプラノ*

J.シュトラウスⅡ:芸術家の生涯
リゲティ:レクイエム*/**
タリス:スペム・イン・アリウム(40声のモテット『我、汝の他に望みなし』)**
R.シュトラウス:死と変容

面白かったのはトマス・タリス(1505-1585・英)の40声のモテット「スペム・イン・アリス『我、汝の他に望みなし』」だ。
イタリアで言えばルネサンス後期に当たるようだ。
この頃に40声部の音楽が作られていたとはなんと斬新な。
尤も終始40声部で歌われたのではなく5声部合唱8組で、完全に40声部の合唱はわずかな部分だったと思うが、それでも壮大なものだ。

これは東響コーラス(総勢120名くらい)のみの無伴奏曲。テキストは聖書から取られたのだろう。短いものだが、多分手を替え品を替え繰り返されて演奏時間は10分強だった。

その対極に位置したのが現代音楽のリゲティの「レクイエム」。
1965年完成の女声独唱が2人と混声合唱とオーケストラによる作品。
これも最大20声部に分かれているそうだが当然聴き分けられるはずもなし。この作品の一部が映画「2001年宇宙の旅」に用いられたそうだが、メロディーラインなどと言うものもないので何十回観た映画であっても全然ピンとこなかった。はっきり言ってつまらない音楽だった。こんな妙ちくりんな音楽では死者もおちおち寝てはおれないだろう。

この声楽(含む)2曲の前と後ろにJ.シュトラウスとR.シュトラウスをサンドイッチのパンみたいに置いたのはどうしてか。

ともかく、今回だけではないが、ジョナサン・ノットの選曲は癖がありすぎて付いてゆけない。僕の理解力では本人だけがご満悦なのだ。

ところで、普段は暗譜で歌う東響コーラスも今日の新旧2曲を楽譜を手に歌った。そりゃやむを得ないだろう。おそらく彼らにとっても初めての作品だったはずだ。

♪2019-104/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-05

2015年11月23日月曜日

ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団名曲全集 第112回

2015-11-23 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ジョナサン・ノット:指揮

エマニュエル・アックス:ピアノ*
東京交響楽団

リゲティ:ポエム・サンフォニック ~100台のメトロノームのための

J.S.バッハ/ストコフスキー編:甘き死よ来たれ BWV478

R.シュトラウス:ブルレスケ ニ短調 ~ピアノと管弦楽のための*

ショスタコーヴィチ:交響曲 第15番 イ長調 作品141
-------------
アンコール
ブラームス:間奏曲イ長調 作品118-2*

リゲティの曲をコンサートで聴くのはこれで3回目かな。
2006年に没した現代の作曲家だ。
実験的な作品が多い…かどうか知らないが聴くのはそういう作品ばかり。

調性のない音楽はどうしても好きになれない。
なのに、今日の作品は楽音すらない。雑音の集合だ。

100台のメトロノームのテンポを舞台に並べ、すべてのテンポを異にして稼働する。この作業は開場前に行われるので、観客はガシャガシャとでたらめな変動するリズム音が鳴っている中を入場することになる。
機械式のメトロノームだからネジが切れやがて1台、また1台と止まってゆく。
開演時刻に近づくと、暗がりの中、楽団員が音を立てないようにそっと楽器を持って舞台に登場し、最後は指揮者も登場するが、まだ何台かのメトロノームがバラバラのリズムを刻んでいる。
最後の1台が息絶えた時、舞台が明るくなってバッハが始まった。

珍しい経験をしたが、アホらしさは払拭できない。
こんなものは音楽ではない。現代アートなるものはたいていそうだが、意表を突くだけにすぎない。


バッハの「甘き死よ来たれ」はシェメッリ賛美歌集の中の1曲で、ストコフスキーが管弦楽に編曲したものだ。
編曲のせいか、あまりバッハらしさは感じなかったが、同賛美歌集(全954篇)の中で確実にJ.S.バッハが作曲したと認められている3曲の中に含まれているというのだから、間違いはないのだろう。耳に優しいきれいな曲だ。リゲティのつまらないメトロノームの雑音を聴いた後だから余計に心に染みる。ま、そういう効果を狙った選曲だったのかもしれない。

「ブルレスケ」は単一楽章のピアノ協奏曲だが、ティンパニーも大いに活躍するのでピアノとティンパニーのための協奏曲と名付けても良かったかも。
チャイコのピアノ協奏曲が難しすぎて弾けないと拒否したピアニストに代わって初演を引き受けたハンス・フォン・ビューローが、R・シュトラウスからこの曲の演奏を頼まれた際には手に余るといって断ったそうだから相当な難曲らしい。
かなり喧しい音楽ではある。バッハと好対照。

ショスタコの最後の交響曲は、CDは持っていないし、ナマはもちろん放送を含め聴いたことがなかった。
第1楽章はなぜか、ウィリアム・テル(ショスタコはこの曲が子供の頃好きだった、と解説にあった。)の有名な旋律をほとんどそのままに取り入れていている。まあ、調子の良い音楽だ。
第4楽章にはワーグナー、グリンカ、ハイドンの旋律が取り込まれ、自身の作品の引用も多いそうだが、冒頭部分のワーグナーしか聴き取れなかった。
この作品は、ほとんど、ショスタコの終活作品のようである。

今日の東響は金管セクションが少し濁っていたように思う。いつもはきれいなアンサンブルを聴かせてくれるのだけど、僕の精神状態がおかしかったのかもしれない。


♪2015-115/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-23

2015年10月16日金曜日

東京都交響楽団第796回 定期演奏会Bシリーズ

2015-10-16 @サントリーホール


ペーター・ダイクストラ(スウェーデン放送合唱団首席指揮者):指揮
クリスティーナ・ハンソン:ソプラノ
クリスティーナ・ハマーストレム:アルト
コニー・ティマンダー:テノール
ヨアン・シンクラー:バス

合唱:スウェーデン放送合唱団
東京都交響楽団

リゲティ:ルクス・エテルナ (1966)(無伴奏混声合唱)
シェーンベルク:地には平和を op.13 (混声合唱と管弦楽)
モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626 (ジュスマイヤー版)
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アンコール
モーツァルト:アヴェ・ヴェルム・コルプス ニ長調 K.618(無伴奏混声合唱)


今夏、フェスタサマーミューザで十数年ぶり?に都響を聴いてあまりにもうまいのに驚いて、後期シーズンから会員になって今日が初めての定期演奏会だった。

とはいえ、この日のプログラムでは都響の管弦楽の魅力が十分発揮されるものとはいえないなあ、と内心はあまり期待せずにでかけたが、とんでもなかった。

リゲティという現代作曲家の作品は何度か聴いていて一度も面白いと思ったことはないのだけど、この日のトップバッター「ルクス・エテルナ」(永遠の光)という宗教曲は無伴奏混声合唱曲で、当然調性はなく、不協和音が主体だけど、時折協和的な和音らしきものが覗かせる。全体的にリズムを感じさせずひたすら音が流れて続けているが、最後は無音の7小節で終曲する。

「無音の7小節で締め括られる」とプログラムの解説に書いてあったが、それって何?と思うけど、確かに、最後に無音が必要な場合はある。
通常は指揮者が余韻として溜めている僅かな時間で、観客もこれを最後まで共有しようと努める。とても大切な無音の音楽とも言える。
リゲティはそれを指揮者に委ねず、自らが7小節と決めた訳だ。
そこまで演奏家を縛らなくともいいと思うけど、この不思議な音楽は嫌な感じはしなかった。

一つは、合唱団のレベルの高さもあったからだろう。
スウェーデン放送合唱団というのは、知らなかったけど、世界のトップアンサンブルなのだそうだ。
指揮者のペーター・ダイクストラはこの合唱団の首席指揮者でもあり、合唱指揮者としては相当名の売れた人らしい。

シェーンベルクの「地には平和を」は調性を持つらしいが(ニ長調の主和音で終わるらしいから、ニ長調という調性を持っているといえるのかな)、実際にはそれ(機能和声)は拡大されて、無調的な部分もある。というか、むしろ、ところどころに調性が感じられる。

この曲もリゲティの無伴奏曲と同じく明確なリズム感が全体を支えるということはなく、どちらかと言えば平板に流れてゆき、劇的緊張感には乏しかった。
作曲時は無伴奏合唱曲だったらしいが、あまりにも音取りが難しく歌手たちが歌えないこともあって、管弦楽伴奏部分が付けられたそうだ。

最後は、モーツァルトだ。
レクイエムは何度かナマで聴いているが、管弦楽も合唱団もおそらく、今回が一番小編成だった。

しかし、キビキビとしたアップテンポな指揮ぶりとボリューム感のある合唱団、そして小規模ながら透明感のある都響の管弦楽が本領を発揮して、実に聴き応えのあるレクイエムになった。

第4曲目に当たる「トゥーバ・ミルム」(驚くべきラッパ)はトロンボーンのソロで始まりその上にバス(声楽)ソロが重なるのだけど、いやこのトロンボーンの見事なこと。完璧なピッチコントロールだ。スライドトロンボーンなのにどうしてこうもツボがピタッと決まるんだろうと驚いた。こんなにきれいなトロンボーンソロを聴いたのも初めてだ。

とにかく、過去最高のレクイエムを聴くことができて、久しぶりに大満足のコンサートだった。


♪2015-103/♪サントリーホール-05

2015年2月14日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団音楽堂シリーズ第3回定期演奏会

2015-02-14 @県立音楽堂


川瀬賢太郎(常任指揮者)
半田美和子(ソプラノ)
門脇大樹(首席チェロ奏者)
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

リゲティ:ミステリー・オブ・マカブル
ハイドン:チェロ協奏曲第1番ハ長調Hob.VIIb:1
ハイドン:交響曲第60番ハ長調Hob.I:60「うかつ者」
---------------------
アンコール
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番からプレリュード


今日の3本はどういうコンセプトなのか。
プログラムには「音楽は全てお芝居だ」ということらしいが、相当無理がある。そんなことでこの3本がくっつくのならどんな3本だって組めそうだ。


ジョルジュ・リゲティ(1923-2006)という人の名前は初めて聞いた。
ハンガリーの超前衛作曲家だ(もっとすごい曲を書く人もいるとは思うけど。何しろ、ピアノの前で座ったきり音を出さないで帰る、という作品の<作曲家>もいると聞くから)。

トーン・クラスターとかミクロ・ポリフォニーといった技法の得意な人らしい。と書いたけど、説明能力はない。

「ミステリー・オブ・マカブル」はソプラノに管弦楽が伴奏?するスタイルだけど、歌う訳ではない。歌とはいえない。
呻き声、裏声、金切り声、雷声、嗄れ声、癇声、甲声、歓声、奇声、擬声、叫声、笑い声、濁声、怒声、喚き声…etc。およそあらゆる音を発してそのほとんどは意味が無い(ところどころ意味が聞き取れる場合があった。それは簡単な英語だったり日本語だったりするので。)。

不規則なリズム、というかリズムもないようなものだけど、こんな音楽を合わせるのは容易なことではないな。



でも、ソプラノも管弦楽も格別破綻もなく演奏が終わった。
面白かったか?と尋ねられたら、面白かったと答えよう。

7分程度の曲だ。
こういうとんでもない作品を、作ってみたいという気持はよく分かる。

次のURLはこの作品の一部だ。

リゲティの作品の中ではポピュラーな部類に入るらしいピアノ練習曲第13番「悪魔の階段」が以下のURLだ。
これなんかは「ミステリー~」に比べるとずっと分かりやすく面白い。

今回、NETでこの作曲家のことを調べて分かったのだが、なんと、映画「2001年宇宙の旅」でも彼の作品が使われているそうだ。
オーケストラのための「アトモスフェール」(1961)、オーケストラと声楽のための「レクイエム」(1965)、無伴奏合唱のための「ルクス・エテルナ」(1966)、3人の独唱者とアンサンブルのための「アヴァンチュール」(ノークレジット)(1962)だという。

この映画ではR・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りぬ」やJ・シュトラウスの「美しく青きドナウ」が有名だけど、リゲティの音楽が4曲も使われていたなんて大いにびっくり。

映画の公開は68年だから、監督のキューブリックは、出来たての、いわば評価の確立していない音楽を自作に使ったのだ。これも驚きだ。


ハイドンは2曲とも良かった。
チェロ協奏曲はどちらかと言えば第2番が好き(多分こちらがポピュラーだろう)で、第1番のナマは初めて聴いた。楽しめた。

交響曲第60番はハイドンのユーモアが溢れた作品だ。
元は劇伴音楽だったせいか、全6楽章構成という珍しい構成だ。
途中にも吹き出しそうな部分があるけど、とりわけ終楽章の仕掛けはおかしい。
僕は手持ちのCDで何度も聴いているから知っていたけど、初めて聴いた人は大いにびっくりして、事故が起こったと思うだろうな。
ハイドンて、ホンに憎いやつだ。


♪2015-14/♪県立音楽堂-01