2015年11月23日月曜日

ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団名曲全集 第112回

2015-11-23 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ジョナサン・ノット:指揮

エマニュエル・アックス:ピアノ*
東京交響楽団

リゲティ:ポエム・サンフォニック ~100台のメトロノームのための

J.S.バッハ/ストコフスキー編:甘き死よ来たれ BWV478

R.シュトラウス:ブルレスケ ニ短調 ~ピアノと管弦楽のための*

ショスタコーヴィチ:交響曲 第15番 イ長調 作品141
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アンコール
ブラームス:間奏曲イ長調 作品118-2*

リゲティの曲をコンサートで聴くのはこれで3回目かな。
2006年に没した現代の作曲家だ。
実験的な作品が多い…かどうか知らないが聴くのはそういう作品ばかり。

調性のない音楽はどうしても好きになれない。
なのに、今日の作品は楽音すらない。雑音の集合だ。

100台のメトロノームのテンポを舞台に並べ、すべてのテンポを異にして稼働する。この作業は開場前に行われるので、観客はガシャガシャとでたらめな変動するリズム音が鳴っている中を入場することになる。
機械式のメトロノームだからネジが切れやがて1台、また1台と止まってゆく。
開演時刻に近づくと、暗がりの中、楽団員が音を立てないようにそっと楽器を持って舞台に登場し、最後は指揮者も登場するが、まだ何台かのメトロノームがバラバラのリズムを刻んでいる。
最後の1台が息絶えた時、舞台が明るくなってバッハが始まった。

珍しい経験をしたが、アホらしさは払拭できない。
こんなものは音楽ではない。現代アートなるものはたいていそうだが、意表を突くだけにすぎない。


バッハの「甘き死よ来たれ」はシェメッリ賛美歌集の中の1曲で、ストコフスキーが管弦楽に編曲したものだ。
編曲のせいか、あまりバッハらしさは感じなかったが、同賛美歌集(全954篇)の中で確実にJ.S.バッハが作曲したと認められている3曲の中に含まれているというのだから、間違いはないのだろう。耳に優しいきれいな曲だ。リゲティのつまらないメトロノームの雑音を聴いた後だから余計に心に染みる。ま、そういう効果を狙った選曲だったのかもしれない。

「ブルレスケ」は単一楽章のピアノ協奏曲だが、ティンパニーも大いに活躍するのでピアノとティンパニーのための協奏曲と名付けても良かったかも。
チャイコのピアノ協奏曲が難しすぎて弾けないと拒否したピアニストに代わって初演を引き受けたハンス・フォン・ビューローが、R・シュトラウスからこの曲の演奏を頼まれた際には手に余るといって断ったそうだから相当な難曲らしい。
かなり喧しい音楽ではある。バッハと好対照。

ショスタコの最後の交響曲は、CDは持っていないし、ナマはもちろん放送を含め聴いたことがなかった。
第1楽章はなぜか、ウィリアム・テル(ショスタコはこの曲が子供の頃好きだった、と解説にあった。)の有名な旋律をほとんどそのままに取り入れていている。まあ、調子の良い音楽だ。
第4楽章にはワーグナー、グリンカ、ハイドンの旋律が取り込まれ、自身の作品の引用も多いそうだが、冒頭部分のワーグナーしか聴き取れなかった。
この作品は、ほとんど、ショスタコの終活作品のようである。

今日の東響は金管セクションが少し濁っていたように思う。いつもはきれいなアンサンブルを聴かせてくれるのだけど、僕の精神状態がおかしかったのかもしれない。


♪2015-115/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-23