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2017年11月13日月曜日

ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 NHK音楽祭2017

2017-11-13 @NHKホール


ヘルベルト・ブロムシュテット:指揮
ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
ウィーン楽友協会合唱団
ソプラノ:ハンナ・モリソン
バリトン:ミヒャエル・ナジ

ブラームス:ドイツ・レクイエム 作品45

これまた、随分前から楽しみにしていたコンサートだ。
先日、最高級のブラームスとシューベルトを聴いたブロムシュテットとゲヴァントハウス管弦楽団による、これまた大好きなブラームスの「ドイツ・レクイエム」。
昨年春の東響定期で聴いた「ドイツ・レクイエム」もとても良かった。まあ、音楽自体が素晴らしいので、どこが演奏したって、そこそこの及第点は取れると思う。

が、流石にこの組み合わせは響が違う。透明感と重厚さを併せ持っている。

隅々までブロムシュテットの感性が行き届いているのを感ずる。指揮者とオケは呼吸を一にして音楽を形作り、観客の呼吸もやがて同期して三者が一体となるという、稀な音楽体験を、ブロムシュテットの音楽では味わうことができるように思う。
そして、ブラームスの革新的レクイエムの美しさに浸ることができる、至福の85分。

ちょっと残念なのは、終曲してもブロムシュテットはかなり長い時間(タクトは持たないので)手を降ろさず、壮大な音楽の余韻を残した(後日の録画放映で測ったら、30秒も微動だにせず、やがて得心したように終わりの合図の印に頭を少し動かした。やはり、ブロムシュテットにとってこの音楽を締めくくるにはそれだけの時間が必要だった。)。
しかるに、慌て者がもう辛抱できないという感じでわずかに早いタイミングだがフライングの拍手をしてしまったのが残念だった。録画ではブロムシュテットの頭の動きと拍手の第一拍は重なっているように聴こえるが、これは後日の編集ではないかと思う。その場の雰囲気としては残念なフライングとしか聴こえなかった。明らかに3者一体の呼吸を乱した。


2017-179/♪NHKホール-11

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 創立275周年記念ツアー 横浜公演

2017-11-09 @みなとみらいホール


ヘルベルト・ブロムシュテット:指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
レオニダス・カヴァコス:バイオリン*

ブラームス:バイオリン協奏曲ニ長調 op.77*
シューベルト:交響曲第8番ハ長調 D.944「ザ・グレート」
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アンコール
J.S.バッハ:無伴奏バイオリン組曲第3番第3曲サラバンド*

前回、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を聴いたのは昨年の3月だから、こんな短い期間で再度聴けるとは思っていなかった。13日にもNHKホールで聴くので、今年は大当たりだ。

前回はマタイ受難曲で、これはもう至福の時間だった。

今回は別種の楽しみがある。
指揮のブロムシュテットの魅力だ。N響定期などで何度か聴いているが、昨年末の「第九」は実に素晴らしかった。彼の手にかかるとN響が普段のN響とはだいぶ違う音楽を演るのだから不思議だ。
そして、プログラムも魅力だ。今回は、オーケストラの魅力を存分に味わえるブラームスとシューベルト。独奏バイオリンのカヴァコスはTV放送を録画して聴いただけだが、かなりの売れっ子らしいからこれも楽しみ。

さて、ブラームスはカヴァコスが熱演だった。席も特等席だから、ソロ・バイオリンの音圧もオケに埋もれることなく、ビンビン響いてくる。ブラームスのギリギリ抑制した情緒・情熱に呼応して、いやその抑制を突破するが勢いで、惹きつけられる。
アンコールではJ.S.バッハの無伴奏曲の一部をサラッと弾いたが、本番でエネルギーを消耗したか、終演後に予定されていたサイン会は中止になった。まあ、そうかもな、と納得させた。

ブラームスも、シューベルトでも同様だが、ゲヴァントハウスの響は力強く、それでいて弦は繊細で透明感を保っている。昨年のN響「第九」でも感じたが、「神は細部に宿る」ごとく、フレーズの隅々までに神経が行き届いた精緻なアンサンブルだ。そして響は厚い。ブロムシュテットとゲヴァントハウスという紛れもなく世界一流の組み合わせで大好きなシューベルトの「ザ・グレート」を聴けたことのなんという幸せなことか。

また、みなとみらいホールの響が実によろしい。素晴らしい音楽が素晴らしい音楽空間にこだまして、これは得難い音楽体験だった。

♪2017-175/♪みなとみらいホール-42

2016年3月12日土曜日

J.S.バッハ「マタイ受難曲」演奏会 聖トーマス教会合唱団&ゲヴァントハウス管弦楽団

2016-03-12 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ゴットホルト・シュヴァルツ:指揮
聖トーマス教会合唱団
ゲヴァントハウス管弦楽団

ソプラノ:シビッラ・ルーベンス
アルト:マリー=クロード・シャピュイ
テノール:マルティン・ペッツォルト[福音史家とテノール]
バス:クラウス・ヘーガー[キリスト] 
バス:フローリアン・ベッシュ

J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV244


これほど正真正銘のマタイはあるまい。
バッハがカントールを務めた教会合唱団とメンデルスゾーンが約100年ぶりに「マタイ受難曲」の復活上演を行ったゲヴァントハウス管弦楽団による演奏だ。

大曲であるからオーケストラの定期演奏会では取り上げられないので、生演奏を聴けるのは平均すれば数年に一度だ。と言っても、たまたま昨年は「熱狂の日」でバッハ・コレギウム・ジャパンのマタイを聴いたが、2年連続して聴くのは珍しい。アマチュアコーラスの演奏会を探せば機会は増えるだろうけど。

バッハ・コレギウム・ジャパンの時は基本的に古楽のアプローチで、アルトは男性(カウンターテナー)だった。これがつまらなかったと、その時の鑑賞ノートに書いている。

ゲヴァントハウスはモダン楽器中心で、一部に古楽器を用いていた。聖トーマス教会合唱団は少年合唱団だ。声楽の独唱は成人の男声、女声なので、カウンターテナーは存在しない。
この方が自然だと思う。


オーケストラは左右に2組が一対をなして対置している。
これは確か、バッハの時代に教会に祭壇が2つあって、それぞれに合唱団と伴奏楽器が位置したことに始まったと、本で読んだ記憶がある。声楽のソロも左右に分かれて歌う。
過去のマタイ観賞では問題意識も知識もなかったので、そういうふうにオケやソリストが並んでいたかどうかは記憶に無いが、今回は舞台上の楽器配置もよく見えて、なるほどこういう形で歌われるべきものなのか、と得心した。


音楽については何も言うことはない。
素晴らしい音楽をこれ以上は望めないような演奏家たちによって、それもミューザの特等席で聴くのは誠に至福の3時間であった。


♪2016-027/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-05