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2015年5月2日土曜日

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2015 No.144 受難曲の傑作~バッハ究極の「マタイ」


2015-05-02 @東京国際フォーラムC


鈴木優人:指揮
ドロテー・ミールズ:ソプラノ
澤江衣里:ソプラノⅡ
青木洋也:アルト(カウンターテナー)
藤木大地 :アルトⅡ/証人Ⅰ(カウンターテナー)
ハンス・イェルク・マンメル:テノール
谷口洋介:(テノールⅡ/証人Ⅱ)
ドミニク・ヴェルナー:バス
藤井大輔:バスⅡ

バッハ・コレギウム・ジャパン

J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV244


こういう大曲は数年に一度しか聴く機会がない。普通、オーケストラ定期では取り上げないから。

「熱狂の日」3日間を通じて、J.S.バッハの受難曲2曲の他に、カンタータ、コラール、ミサ曲、マニフィカトなどを聴いたが、2日めのアンサンブル金沢だけはピリオド楽器(いわゆる古楽器)は使っていなかったように思うけど、バッハ・コレギウム・ジャパンはもとより、ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルもリチェルカール・コンソートもピリオド楽器を含んだ編成だった。

遠目にもはっきりと区別が付く楽器もあるし、木管のように音で判断できるものもあるが、バイオリンやビオラなどはモダンなのかピリオドなのか分からなかった。
また、演奏団体によっては明らかに両者が混ざっていたり、曲によって使い分けをしていたり、と様々だった。
こういうピリオ楽器(を含む)演奏スタイルにどんなルールがあるのかさっぱり分からない。おそらく、こうでなくてはいけないというかっちりした決まりはないのだろう。

バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)といえば、古楽(の定義も難しいけど、大雑把には一部バロックを含むルネサンス、中世の音楽。)、就中バッハ作品を中心に取り上げる演奏団体としては我が国ではトップクラスだと聞いている。

これまで、TV放送などでは何度か聴く機会があり、ちょうどこの演奏会の数日前にNHKBSのクラシック倶楽部がBCJの第100回定期演奏会の様子を放映し、録画で視聴したばかりだった。

ナマで聴くのが初めてかどうかは古い記録が無いので分からないけど、聴いていたとしても思い出せないくらい昔のことだろう。
いずれにせよ、バッハをその名に冠する一流の演奏団体による「マタイ受難曲」を聴けるのは大いに楽しみだった。

が、しかし数日前のテレビで見たBCJとは様子が違う。指揮者が鈴木雅明でないことは事前に承知していたが、チェロも楽しみにしていた鈴木秀美ではない。コンマスも違ったかも。
それで(あれ、二軍編成か?と)少々残念な思いがよぎった。
もっとも、誰が出ようとこのクラスの団体となればきちんと最高水準を維持できるのだと思うが。


歌詞の字幕サービスが無かった。これは迂闊だった。
普通コンサートホールでは電光板かプロジェクタ投影で歌詞の字幕が写されるのだけど。

早く会場に入ったために気が付かなかったが、入口付近で歌詞のプリントを販売していたらしく、周囲の人の多くがそのページをめくりながら聴いていた。
まあ、受難曲はまさに福音書による「キリストの受難」を歌っているので(A・L・ウェバーの「ジーザス・クライスト・スーパースター」も同様)、筋はほとんど頭に入っているから、訳詞がなくともおよその見当はつくが、登場人物のやりとりを逐一記憶している訳ではないので、万全に楽しむことはできなかった。
せめてCDのブックレットを持参すれば良かった。


もう一つはカウンターテナーの必要性に大いに疑問を感じた。と言ってみても始まらないのだけど。世界のクラシック界(特に教会音楽の世界)では古くから、女声のアルトではなく、男声のファルセットによるアルトが使われることになっているらしい。
元々、教会が女性が舞台に上がること、歌うことを禁じたためにその代用として特に訓練をした男性がファルセットで歌うスタイルが出来上がった。

今では、女性でも立派な体格で声量のある歌手がいるのだから何も男性が裏声出して歌うことはなかろうと思ってしまう。やはり、高音部は無理があるように思う。

因みに僕が愛聴しているショルティ指揮のCDは管弦楽も現代楽器(シカゴ交響楽団)でアルトも女性が担当している。
超有名なアルトのアリア「憐れみたまえ、我が神よ」は古楽演奏の常道に反するかも知れないが本物のアルトで聴きたかった。

以前、オペラシティコンサートホールで「マタイ」を聴いた時も、当然管弦楽はモダン楽器を使う東京交響楽団で、声楽ソリストも混成だったように記憶している。
まあ、慣れの問題なのだけど、こういうスタイルでマタイを聴き慣れているので、やっぱり、現代スタイルがいい。
…と言う思いは、この翌日更に強くすることになったが。

なんやかんやで、欲求不満のうちに終わって、大いなるカタルシスは得られなくて残念。

♪2015-38/♪東京国際フォーラム-02

2014年5月9日金曜日

横浜シティ合唱団第14回定期演奏会

2014-05-09 @みなとみらいホール


青木洋也指揮:横浜シティ合唱団/神奈川フィルハーモニー管弦楽団
宮部小牧(S) 布施奈緒子(A)畑儀文(T) 谷口洋介(T) 伊藤純(B)重岡麻衣(Fp)

モーツァルト:ミサ・ソレムニス「孤児院ミサ」KV139
シューベルト:ミサ曲第6番 D950


横浜シティ合唱団については、数えきれないほどあるアマチュア合唱団の一つだろうという認識しかなかったが、曲目に惹かれてチケットを買ったが、その決断が遅かったので、前列2列目というかなり過酷な鑑賞環境だった。
舞台に近いのは、どちらかと言うと好きなのだけど、ここまで近いと<臨場感>ありすぎ!

結局は、管弦楽やソリストの歌音がしっかりと聴こえる分、大合唱団といえど、少し霞んだ感じだった。

モーツァルトの「孤児院ミサ」(孤児院教会からの委嘱を受けて作曲されたもの)はナマ・CD・放送を通じ、記憶のある限り初めて聴いた。
わずか、12歳で作曲したのだそうだ。初演は自らが指揮をしたという。今さら、驚くようなことでもないけど、何たる才能だろう。

ミサ曲なので、その定型に従って作曲したということだろうけど、なんとも高尚な雰囲気が漲って、小学6年生の作品とは到底信じ難い。
おそらく、精神性だとか思想性だとかとは無縁で、更に言えば、信仰心とも無縁だったかもしれないが、純粋に音を重ね、連ねた結果こうなったというものだろう。ミサという祈りの音楽ではあるけど、12歳のモーツァルトにとってはこれも「絶対音楽」なのだと思う。


シューベルトのミサ曲第6番は彼の最後のミサ曲で、かつ、31歳9ヶ月で亡くなる年に作曲された。
6曲のうち一番有名で演奏機会も多いらしい。
僕もベッドサイドでたまに聴くことがあるので、特徴的な旋律は耳に残っていた。
全曲は、宗教曲というより、管弦楽伴奏付きの合唱組曲風な印象を受ける。抹香臭くない。歌心に溢れているように思う。

モーツァルトの孤児院ミサも同様だが、キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイで構成される。
この順番がなかなか覚えられないが、今日は、聴きながら記憶方法を開発したので、暫くは忘れないと思う。

♪2014-50/♪みなとみらいホール20