ラベル 亀三郎 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 亀三郎 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年1月17日金曜日

令和7年国立劇場初春歌舞伎公演

2025-01-17 @新国立劇場



毛谷村六助⇒尾上菊之助
京極内匠⇒坂東彦三郎
一味斎姉娘お園⇒中村時蔵
若党友平/立浪家家臣十時伝五⇒中村萬太郎
立浪家家臣向山三平⇒市村竹松
立浪家家臣 捨川団八⇒市村光
真柴方の若武者⇒坂東亀三郎
真柴方の若武者⇒尾上丑之助
真柴方の若武者⇒尾上眞秀
真柴方の若武者⇒中村梅枝
真柴方の若武者⇒中村種太郎
一味斎孫弥三松⇒中村秀乃介
一味斎妹娘お菊/立浪家家臣 井村六郎⇒上村吉太朗
若党佐五平⇒市村橘太郎
一味斎妻お幸⇒上村吉弥
早川一学/杣斧右衛門⇒片岡亀蔵
衣川弥三左衛門⇒河原崎権十郎
老女福栄⇒市村萬次郎
吉岡一味斎/明智光秀の亡霊⇒中村又五郎
立浪主膳正⇒坂東楽善
真柴大領久吉⇒尾上菊五郎
 ほか


梅野下風・近松保蔵=作
国立劇場文芸研究会=補綴
通し狂言「彦山権現誓助剣」  四幕七場
    (ひこさんごんげんちかいのすけだち)
           国立劇場美術係=美術

発 端 豊前国彦山権現山中の場
序 幕 周防国太守郡家城外の場
    長門国吉岡一味斎屋敷の場
二幕目 山城国小栗栖瓢箪棚の場
三幕目 豊前国彦山杉坂墓所の場
    同  毛谷村六助住家の場
大 詰 豊前国小倉真柴大領久吉本陣の場


23年秋から漂流する国立劇場。
毎年正月公演は菊五郎劇団と決まったおり、派手なスペクタクル歌舞伎が真骨頂だったが、今年は昨年に続き新国立中劇場から。
せめて、新国の中劇場くらいでやってくれないと気分が盛り上がらないが、それでもキャパは少ないし、派手な舞台転換もなく、第一花道が短すぎるしスッポンもない。

昨年は歌舞伎公演を何回やったろう。
僕は、昨年は結局正月公演のみで、全然観にゆかなかった。東京の辺鄙な小屋での公演なんて、観にゆく気が起こらなかったよ。

全く、国立劇場はどうなるのか。

20年近く、あぜくら会員を続けて、余程のことがない限り歌舞伎と文楽の全公演を楽しんできたのに、もうすっかり、気力を失っているよ。

さて、1年ぶりの菊五郎劇団。
「彦山権現誓助剣」は何度も観ているが、いつも大抵は、「杉坂墓所の場」、「六助住家の場」が演じられることが多いが、今回は、通し狂言と銘打ったからには、発端・序幕から大詰めの敵討まで演じられて、なるほど、こういう話だったのか、と得心できたのは収穫だった。

1年ぶりで驚いたことも。なんと時蔵が代替わりしていたよ。4代目梅枝が6代目時蔵を名乗っていたが、先代の時蔵は萬寿になったんだ。この先代時蔵と共に菊五郎劇団の看板だった尾上松緑も今回出演していない。代わりにゾロゾロとちびっ子たちは勢揃い。

菊之助の子供丑之助、寺島しのぶの子供眞秀、4代目種太郎(現4代目歌昇)の子供の5代目種太郎、先代梅枝の子供の5代目梅枝、歌昇の子秀之助、彦三郎の子亀三郎など。

いずれも同年代のちびっ子たちが最終幕で勢揃いをして、まあ、みんな桃太郎みたいで可愛いこと。
正月だし、まあ、こんなふうに華やかでいいのだとは思うけど、幼稚園のお芝居に付き合わされている感も拭えないね。

♪2025-007/♪新国立劇場-02

2017年5月11日木曜日

團菊祭五月大歌舞伎 七世尾上梅幸二十三回忌 十七世市村羽左衛門十七回忌追善

2017-05-11 @歌舞伎座


初 代坂東楽善
九代目坂東彦三郎 襲名披露狂言
三代目坂東亀蔵
六代目坂東亀三郎 初舞台

一 壽曽我対面(ことぶきそがのたいめん )
  〜劇中にて襲名口上申し上げ候
工藤祐経⇒菊五郎
曽我五郎⇒亀三郎改め彦三郎
近江小藤太⇒亀寿改め坂東亀蔵
八幡三郎⇒松也
化粧坂少将⇒梅枝
秦野四郎⇒竹松
鬼王家臣亀丸⇒初舞台亀三郎
梶原平次景高⇒橘太郎
鬼王新左衛門⇒権十郎
梶原平三景時⇒家橘
大磯の虎⇒萬次郎
曽我十郎⇒時蔵
小林朝比奈⇒彦三郎改め楽善
     
二 伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)
〈御殿〉
乳人政岡⇒菊之助
八汐⇒歌六
沖の井⇒梅枝
松島⇒尾上右近
栄御前⇒魁春

〈床下〉
仁木弾正⇒海老蔵
荒獅子男之助⇒松緑

〈対決・刃傷〉
細川勝元⇒梅玉
山名宗全⇒友右衛門
大江鬼貫⇒右之助
黒沢官蔵⇒九團次
山中鹿之助⇒廣松
渡辺外記左衛門⇒市蔵
渡辺民部⇒右團次
仁木弾正⇒海老蔵
     
戸崎四郎 補綴
三 四変化 弥生の花浅草祭(やよいのはなあさくさまつり )

〈神功皇后と武内宿禰〉
〈三社祭〉
〈通人・野暮大尽〉
〈石橋〉

武内宿禰/悪玉/国侍/獅子の精⇒松緑
神功皇后/善玉/通人/獅子の精⇒亀寿改め坂東亀蔵

坂東家の襲名披露(楽善←彦三郎←亀三郎/亀蔵←亀寿/新・亀三郎初舞台)も兼ねていたせいか、どの演目も熱気があった。
特に「寿曽我対面」は初めてこの芝居の面白さが分かった気がする。血気にはやる五郎役の彦三郎の気合がいい。

十郎・五郎を彦三郎・亀蔵の実兄弟で演ずるのかと思い込んでいたが、十郎役は時蔵だった。菊五郎の祐経に対峙するには時蔵の貫禄が必要なのかも。

終盤に彦三郎(前亀三郎)の長男、新・亀三郎が登場し館内どよめく。まるで福助人形の如く可愛い。
基本的に、芸以前のちびっこには興味ないのだけど、この子に限っては、昼の部に強力ライバルの初お目見えもあって、ちょいと影が薄いが、ご本人はなかなか立派なお勤めぶり。その健気さに心打たれた。こういう子供達を応援するのも歌舞伎観客の勤めだものなあ。

「伽羅先代萩」。今回は「御殿〜刃傷」で見応えあり。
前半は政岡の菊之助、後半は勝元の梅玉と仁木弾正の海老蔵が見せる!
菊之助は、さあ、どうだったか。あまり情感が伝わってこなかったな。海老蔵は見る度に痩せてゆくような気がするが、目力は怖いほどだ。
最後、松緑と亀蔵で「石橋」の2人獅子が見事な美しさ。
<舞台写真は松竹のホームページから>


♪2017-81/♪歌舞伎座-03

2017年1月23日月曜日

国立劇場開場50周年記念 通し狂言 しらぬい譚(しらぬいものがたり)五幕九場 尾上菊之助筋交いの宙乗り相勤め申し候

2017-01-23 @国立劇場


国立劇場開場50周年記念
柳下亭種員ほか=作『白縫譚』より
尾上菊五郎=監修
国立劇場文芸研究会=脚本
通し狂言 しらぬい譚(しらぬいものがたり)五幕九場
尾上菊之助筋交いの宙乗り相勤め申し候
 詳細は1月3日参照

尾上菊五郎⇒鳥山豊後之助
中村時蔵⇒烏山家の乳母秋篠/将軍足利義輝
尾上松緑⇒鳥山秋作
尾上菊之助⇒大友若菜姫
 詳細は1月3日参照

2度め。今度は2等B席(3階最前列)だが、話が良く分かっているし、不満はなかった。強いて言えば菊之助の宙乗りの2回めのぶら下がったままの芝居が2階席に比べると少し遠かったが、それでも普段は見られない至近距離だ。

2度の筋交い宙乗りだけでなく屋台崩しや景色の一変など舞台装置の仕掛けも驚かせ、楽しませてくれるのだが、一番驚いたのは、ピコ太郎だ。

初日にも登場したが、それは謎の参詣人として片岡亀蔵が化けていたのだけど、今日は亀蔵版ピコ太郎に続いて本物のピコ太郎が登場したのにはもうびっくり。あとで聞くとこの日だけの特別な演出だったそうだ。
まあ、正月興行の華やかなお遊びということでこれもいいのではないか。

でも、よくよく考えると、話の筋書きにはかなり無理のある話だ。
元の話を換骨奪胎しているそうだから、いっそもっと刈り込んで、話を整理しても良かったのではないか。

♪2017-009/♪国立劇場-002

2017年1月3日火曜日

国立劇場開場50周年記念 通し狂言 しらぬい譚(しらぬいものがたり)五幕九場 尾上菊之助筋交いの宙乗り相勤め申し候

2017-01-03 @国立劇場


国立劇場開場50周年記念
柳下亭種員ほか=作『白縫譚』より
尾上菊五郎=監修
国立劇場文芸研究会=脚本
通し狂言 しらぬい譚(しらぬいものがたり)五幕九場
尾上菊之助筋交いの宙乗り相勤め申し候

発端 若菜姫術譲りの場
除幕 博多柳町独鈷屋の場
二幕目
 第一場 博多菊地館の場
 第二場 同 奥庭の場
三幕目 博多鳥山邸奥座敷の場
四幕目
 第一場 錦天満宮鳥居前の場
 第二場 室町御所の場
大詰め 島原の塞の場

尾上菊五郎⇒鳥山豊後之助
中村時蔵⇒烏山家の乳母秋篠/将軍足利義輝
尾上松緑⇒鳥山秋作
尾上菊之助⇒大友若菜姫
坂東亀三郎⇒菊地貞行
坂東亀寿⇒鳥山家家臣瀧川小文治
中村梅枝⇒秋作の許嫁照葉
中村萬太郎⇒雪岡家家臣鷲津六郎
市村竹松⇒足利家家臣三原要人
尾上右近⇒傾城綾機/足利狛姫/多田岳の山猫の精
尾上左近⇒菊地貞親
市村橘太郎⇒大蛇川鱗蔵
片岡亀蔵⇒大友刑部/謎の参詣人
河原崎権十郎⇒独鈷屋九郎兵衛/海賊玄海灘右衛門
坂東秀調⇒医者藪井竹庵
市村萬次郎⇒足利家老女南木
市川團蔵⇒雪岡多太夫
坂東彦三郎⇒錦が岳の土蜘蛛の精
 ほか

お家騒動、仇討ち、忠義の自己犠牲の話に、妖術、怪猫、霊力の宝物などが登場し、筋交い宙乗り(というのは珍しいのだろうな。舞台に直行するのは何度か見たが斜め横断は初めて見た。)や屋台崩しなどの大道具の仕掛けのほか、思いがけない小道具を含め全編がどっちから見ても外連味一杯の正月らしい派手な舞台だ。

「発端」で描かれる経緯が分かりにくかったが、その後の進行は見たとおりに理解できる。
まあ、乳母の献身ぶりには、それはないでしょう、と思ってしまうが、これも歌舞伎らしい。

ピコ太郎も登場するし、何でもありだ。

菊之助の宙乗りは舞台下手から3階席上手までという客席上を斜め横断だ。そのために、1階席よりむしろ2階席、3階席の方が楽しめる。
僕は2階席前から3列目中央だったので、ちょうど菊之助が止まって芝居をするのがほとんど目の前で、こんなに近くから役者を見るのは初めてだった。やはり、菊之助はなかなか妖しい魅力を振りまいていた。
松緑も「仮名手本忠臣蔵」では役不足を感じたが、今回は活躍場面が多くて楽しめた。

♪2017-001/♪国立劇場-001

2016年11月24日木曜日

国立劇場開場50周年記念 通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら) 第二部 四幕五場

2016-11-24 @国立劇場


平成28年度(第71回)文化庁芸術祭主催
竹田出雲・三好松洛・並木千柳=作
通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)第二部四幕五場
国立劇場美術係=美術


浄瑠璃道行旅路の花聟   清元連中
五段目   山崎街道鉄砲渡しの場
        同二つ玉の場
六段目   与市兵衛内勘平腹切の場
七段目   祇園一力茶屋の場

(主な配役)⇒11/03のノート参照


3日に続いて2度めの鑑賞。筋はすっかり頭に入っているつもりだったけど、やはり1度目には見落としているものがあった。

芝居として重要なのは六段目と七段目だ。
五段目の暗闇の山中で勘平が撃ち殺したのは、おかるの父与市兵衛を惨殺して50両を奪った斧定九郎なので勘平は岳父の仇を討ったことにになるのだが、勘平には誰を猪と誤って撃ったのかが分からなかったことと斧定九郎が与市兵衛から奪った財布を、これで出世の手がかりができたと自分の懐に入れたことが災いしてまことに運悪く、彼が与市兵衛を殺し50両を奪ったと自分でも思い込み、回りからも責め立てられ、ついに自ら腹を切って落とし前をつける羽目に至る。
その直後、彼の無実は明らかになり晴れて討ち入りの連判状に名を連ねてもらうことができたが、時既に遅し。
僅かな手違いが運命の糸を縺れさせ思いもかけない大事に。ここがとてもドラマチックだ。

この勘平を菊五郎(七代目)が演ずるのだが、この一連の芝居には三代目菊五郎の型を基本に五代目菊五郎が完成した「音羽屋型」が踏襲されているそうだ。尤も他の型は観たことがないのでどんなものか分からないけど、まあ、緻密に手順が定められているのだろう。観客はそれを知る必要もないのだけど知ればさらに面白いだろう。

七段目。大星由良之助(吉右衛門)はこの段にしか登場しないが、なんといっても全段を通したらこの役こそ主役だろう。
しかし、七段目だけを観ると、ここで面白いのは遊女になっているおかる(雀右衛門。なお、冒頭の道行と六段目では<おかると勘平>は<菊之助と錦之助>。)とその兄の平右衛門(又五郎)の話だ。

足軽にすぎない平右衛門だが、なんとか討ち入りの仲間に入れてほしいと願い出るものの、敵を欺くために味方も欺いている由良之助には冷たくあしらわれてしまう。
ところが、おかるが由良之助への密書を盗み見したことから由良之助はおかるを身請けしてやろうという話になった。その次第をおかるから聞いた平右衛門はすべてを察し、妹を殺してまでも連判状に加えてもらおうとする。訳が分からないおかるに平右衛門は(六段目で描かれる)父・与市兵衛の死や夫・勘平の自決を説明することで、おかるは絶望し、いっそ兄の手にかかって死のうと覚悟を決める。
このドラマがとても観応えがあり、面白い。

又五郎と雀右衛門のともに涙を絞られるような哀切の芝居は由良之助の存在を食ってしまって七段目の主役のようでさえある。

第1部は武士の世界が描かれたが、第2部では元武士を含む庶民の人情物語だ。「仮名手本忠臣蔵」という大芝居の懐の深さとでも言うか、よくできた物語だと感心する。

♪2016-162/♪国立劇場-08

2016年11月3日木曜日

国立劇場開場50周年記念 通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら) 第二部 四幕五場

2016-11-03 @国立劇場


平成28年度(第71回)文化庁芸術祭主催
竹田出雲・三好松洛・並木千柳=作
通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)第二部四幕五場
国立劇場美術係=美術


浄瑠璃道行旅路の花聟   清元連中
五段目   山崎街道鉄砲渡しの場
      同二つ玉の場
六段目   与市兵衛内勘平腹切の場
七段目   祇園一力茶屋の場

(主な配役)
【道行旅路の花聟】
早野勘平⇒中村錦之助
鷺坂伴内坂⇒東亀三郎
腰元おかる⇒尾上菊之助

【五段目】
早野勘平⇒尾上菊五郎
千崎弥五郎⇒河原崎権十郎
斧定九郎⇒尾上松緑

【六段目】
早野勘平⇒尾上菊五郎
原郷右衛門⇒中村歌六
勘平女房おかる⇒尾上菊之助
千崎弥五郎⇒河原崎権十郎
判人源六⇒市川團蔵
与市兵衛女房おかや⇒中村東蔵
一文字屋お才⇒中村魁春

【七段目】
大星由良之助⇒中村吉右衛門
寺岡平右衛門⇒中村又五郎
赤垣源蔵⇒坂東亀三郎
矢間重太郎⇒坂東亀寿
竹森喜多八⇒中村隼人
鷺坂伴内⇒中村吉之丞
斧九太夫⇒嵐橘三郎
大星力弥⇒中村種之助
遊女おかる⇒中村雀右衛門
ほか

3ヶ月とも初日を取りたかったが、11月の第2部は2日目に観劇することになった。

今回はおかる・勘平の道行に始まって7段目の一力茶屋まで。

忠臣蔵を描いた歌舞伎は、これまでに観た記憶・記録にあるものを並べると「主税と右衛門七」、「弥作の鎌腹」、「忠臣蔵形容画合」、「碁盤太平記」、「東海道四谷怪談」などがあるが、このうち「忠臣蔵形容画合」が「仮名手本忠臣蔵」の大序から7段目までを抜粋してまとめたものなので、少なくとも7段目までの筋は覚えていても良さそうなものなのに全然頭に入っていなかった。

今回は、気合を入れて予習・復習しているから話の展開は非常によく分かった。
芝居の前半は早野勘平の悲劇物語。不自然なほどに作り込まれた筋だが見せ場は多い。

落語の「中村仲蔵」は5段目に登場する斧定九郎を演ずる役者の工夫の物語で、実話だそうだ。今回の舞台では松緑が扮するのだけど、中村仲蔵の工夫によって斧定九郎の役が大きくなったので今や松緑クラスにも配役されるのだろうが、それにしても松緑には役不足ではなかったか。

落語では「4段目」というのもあって、今回通し公演を観ているからこそ、この落語のおかしさが良く分かった。

7段目が第2部の芝居の後半といえる。
「忠臣蔵」には欠かせない一番良く知られた話だ。第1部では由良之助(幸四郎)は4段目のみの登場だったが、第2部も最後の段だけ。しかしこの場だけで1時間50分とかなりの長丁場。
お茶屋遊びに呆けている由良之助(吉右衛門)の真意は何処に在りやと敵も味方も疑いが晴れない。
吉右衛門は国立劇場開場の年(昭和41年)に襲名したそうで、今年は吉右衛門にとっても襲名50年という節目の年だ。
芸については感想を言えるほど通じていないけど、やはりこの人が出てくると大きな舞台に中心ができ緊張感が生まれるのはなるほどなあと思う。

複雑な人間関係と絡み合った人情がやがてほぐれて束になり怒涛の第3部に突入する訳だが、今回の第2部も楽日近い日程で再見する予定なので細部までよく頭に入れて第3部に突入したい。

♪2016-149/♪国立劇場-07

2016年5月13日金曜日

團菊祭五月大歌舞伎 昼の部

2016-05-13 @歌舞伎座


福地桜痴 作
今井豊茂 補綴
一 鵺退治(ぬえたいじ)
源頼政⇒梅玉
猪の早太⇒又五郎
巫女梓⇒歌女之丞
九条関白⇒錦之助
菖蒲の前⇒魁春

菅原伝授手習鑑
二 寺子屋(てらこや)
松王丸⇒海老蔵
千代⇒菊之助
戸浪⇒梅枝
涎くり与太郎⇒廣松
春藤玄蕃⇒市蔵
百姓吾作⇒家橘
園生の前⇒右之助
武部源蔵⇒松緑

河竹黙阿弥 作
花街模様薊色縫
三 十六夜清心(いざよいせいしん)
浄瑠璃「梅柳中宵月」
清心⇒菊之助
十六夜⇒時蔵
恋塚求女⇒松也
船頭三次⇒亀三郎
俳諧師白蓮実は大寺正兵衛⇒左團次

四 楼門五三桐(さんもんごさんのきり)
石川五右衛門⇒吉右衛門
右忠太⇒又五郎
左忠太⇒錦之助
真柴久吉⇒菊五郎


体調がイマイチだった。
「鵺退治」も「寺子屋」もぼんやりと過ごしてしまった。

「十六夜清心」(いざよいせいしん)でようやくシャキッとした。
この芝居を観るのは初めて。
菊之助が初役で清心を演じたそうだ。

本来は「花街模様薊色縫」(さともようあざみのいろぬい)という題名で、「十六夜清心」は通称。
今回上演されたのは「稲瀬川百本杭の場」から「百本杭川下の場」までだけ。本来はこの先に思わぬドラマが展開するようだが、この2場だけでも十分楽しめる話になっている。

ヤサ男の清心(せいしん)と遊女十六夜(いざよい=中村時蔵)が道ならぬ恋をした挙句心中したものの2人とも生き残ってしまうが、2人は互いに相手は死んだと思っている。そういう設定がまず面白い。
水練が達者な清心はその気はなかったけど自力で生き返ってしまった。ここまでは清心はどこにでもいそうな気弱な善人。
しかり、通りがかりに癪を起こして苦しんでいる寺小姓求女(もとめ。女性のような名前だけど男。尾上松也)を助けた際に、彼が預かりの50両を持っていることを知ってしまう。
そこから運命の歯車が狂いだす。
これが清心にとっての逢魔時(おおまがとき)。

金を奪うために求女を殺してしまった清心が自分の行いを後悔し、再び自分も死のうと試みるが、折から雲が晴れて月が見える。ここで、清心の迷いが吹っ切れて「一人殺すも千人殺すも、取られる首はたった一つ」と呟き、求女の死体を川に捨ててしまう。
すると再び月は雲間に隠れてしまう。
別人に助けられた十六夜も実は、同じ時に同じ場所を舟に乗って行き過ぎるど、お互いは気がつかない。
そういう心憎い幕切れ。

ホンに、魔がさすというか、誰の心にも宿っていそうな「悪心」を目の当たりにしてとても怖い、しかし面白い芝居だ。

最後の「桜門五三桐」は、吉右衛門(石川五右衛門)と菊五郎(真柴久吉)が様式美と舞台の豪華さを見せるだけで、中身はないけど歌舞伎らしい華やかさだ。
尤も、桜門がせり上がって3階席からは山門の階上で見得を切る五右衛門は脚しか見えない。


♪2016-065/♪歌舞伎座-04

2016年2月5日金曜日

二月大歌舞伎 新書太閤記

2016-02-05 @歌舞伎座


吉川英治 作
   今井豊茂 脚本・演出
通し狂言 「新書太閤記」(しんしょたいこうき)
  長短槍試合
  三日普請
  竹中閑居
  叡山焼討
  本能寺
  中国大返し
  清洲会議

木下藤吉郎/羽柴秀吉⇒菊五郎
織田信長⇒梅玉
寧子⇒時蔵
柴田勝家⇒又五郎
織田信孝⇒錦之助
上島主水⇒松緑
濃姫⇒菊之助
織田信忠⇒松江
小早川隆景⇒亀三郎
福島市松⇒亀寿
おゆう⇒梅枝
加藤虎之助⇒歌昇
浅野又右衛門⇒團蔵
前田利家⇒歌六
母なか/丹羽長秀⇒東蔵
竹中半兵衛⇒左團次
明智光秀⇒吉右衛門


この芝居、吉川英治の原作が新聞に連載された昭和14年に既に歌舞伎になったそうだ。その後も原作の連載が続くに連れ、続編が制作され、再演も度々行われたと歌舞伎座「筋書き」に書いてある。
しかし、今回は全く新しい脚本で上演された。素材は同じだけど、芝居としては新作だ。

と言っても、その内容は、これまでに繰り返し、映画化、舞台化、TVドラマ化されてすっかり承知のものばかりなので目新しさはないけど、それを「歌舞伎」でやるとどうなるのか、が興味の的だ。

いずれもよく知られた7つのエピソードが繰り広げられる。
細々とした部分まで承知している訳ではないけど難しい話はなんにもないのですんなり頭に入るけど、なんか物足りない。

菊五郎の一人舞台と言って良い。ほぼ出ずっぱりだ。
その分、時蔵、梅玉、菊之助、松緑、吉右衛門などの役割が霞んでしまう。
全体に一本調子で、エピソードを次々と見せる紙芝居を見ているような味気なさ。空疎なものを感じてしまった。
それらの出来事、藤吉郎=秀吉と信長、光秀、半兵衛などとのやり取りを通じて秀吉の人間性が浮かび上がるといった工夫が感じられない。
平板な構成・演出に終わった。

また、これって歌舞伎といえるのだろうか。
同じ脚本で新派の役者が演じたらそのまま「新派」公演になるのではないか。

どうにも引き込まれず、カタルシスも得られず、隔靴掻痒の思いで帰路についた。


♪2016-013/♪歌舞伎座-01

2016年1月20日水曜日

初春歌舞伎公演「通し狂言 小春穏沖津白浪―小狐礼三―(こはるなぎおきつしらなみ こぎつねれいざ)」再見

2016-01-20 @国立劇場


河竹黙阿弥生誕二百年
河竹黙阿弥=作
木村錦花=改修
尾上菊五郎=監修
国立劇場文芸研究会=補綴

通し狂言 小春穏沖津白浪  -小狐礼三ー 四幕
 (こはるなぎおきつしらなみ こぎつねれいざ)
         国立劇場美術係=美術

序 幕
 開幕
 上野清水観音堂の場
二 幕
 第一場(雪)矢倉沢一つ家の場
 第二場(月)足柄越山中の場
 第三場(花)同 花の山の場
三 幕
 第一場 吉原三浦屋格子先の場
 第二場 同 二階花月部屋の場
 第三場 隅田堤の場
 第四場 赤坂圃道の場
大 詰
 第一場 赤坂山王稲荷鳥居前の場
 第二場 高輪ヶ原海辺の場

尾上菊五郎⇒日本駄右衛門                  
中村時蔵⇒船玉お才(修行者経典/地蔵尊のご夢想)                  
尾上菊之助⇒人形遣い/子狐礼三(八重垣礼三郎/娘胡蝶)         
坂東亀三郎⇒奴弓平       
坂東亀寿⇒三浦屋小助/雪村三之丞         
中村梅枝⇒月本数馬之助
中村萬太郎⇒花田六之進/礼三の手下友平
市村竹松⇒所化天錦
尾上右近⇒三浦屋傾城花月
市村橘太郎⇒三上の中元早助/三浦屋遣り手お爪
片岡亀蔵⇒三上一学
河原崎権十郎⇒漁師牙蔵        
市村萬次郎⇒三浦屋傾城深雪
市川團蔵⇒月本円秋
坂東彦三郎⇒荒木左門之助          
     ほか


2回目の観賞。
初回で十分楽しめたが、セリフの聴き取れなかった部分があったり、どうでもいいようなことだけどラストの舟の仕掛けが気になったりで再見した。もちろん、面白い芝居をもう一度観たいというのが、最大の動機だけど。

2度目ではっきりしたことがある反面、初回には気が付かなかった(不思議に思うゆとりがなかった)不思議に気づいたこともある。
歌舞伎という伝統芸の約束事が十分頭に入っていないためだろうが、新劇を観る目で歌舞伎を観るという感覚が残っているからでもある。

最初に用意された筋書き(場割)を変えて冒頭に置かれた菊之助演ずる人形遣いが狐のぬいぐるみを手に舞台中央のセリから上がってくるシーンは幻想的できれいだし、人形の遣い方も上手で、最初から見せ場となっている。
このシーンはこの芝居の主人公が狐の妖術を使うことを暗示しているのだろうが、それではその人形遣いは誰なのか?
再度登場することはないので一体誰なのかは遂に分からなかった。
分からなくとも良いのだという考え方もある。全体として狐の妖術なのだと解釈できるけど、ちょっと無理があるな。

こういうことを疑問に思うようでは歌舞伎の道はまだまだ険しいか。

第2幕の所謂「だんまり」も、その場面の直前までは日本駄右衛門、礼三、お才が絡みの芝居をしていたのところ、登場していなかった数馬之助、花月、弓平までもが急遽何の脈絡もなく登場し、全員だんまりで暗闘するのも新劇的視点からは理解を超越するのだけど、ここは閑話休題、主要キャストの顔見世だということを頭に入れておかなくてはならない。

さて、最後に菊之助と時蔵を乗せた舟がどうして本舞台から狭い花道に曲がり進んでゆく事ができるのか?
昔は中に人が入って操舵していたという話を聞いたが、現代の舞台でも同様だろうか。もしそうなら舟の前方に覗き穴があるはず。

2回めはちょうど花道のすぐ上の席だったので、単眼鏡でしっかり作りを確認したが、舟の前方には舞台を見透すための小窓もなく、仕掛けが分からなかった。

そこで、国立劇場に問い合わせたら教えてくれた。
やはり舟は電動で動くが、操舵は中に入っている人間がハンドルで操作する。船の前方の底の波模様の部分に覗き窓があリます、ということであった。
いや~気が付かなかった。

そんな低い位置に覗き穴があるなら、中で操舵する人はえらく窮屈な姿勢を強いられるが、それにしても、狭い場所で上手に操舵するものだ。

♪2016-007/♪国立劇場-02

2016年1月7日木曜日

初春歌舞伎公演「通し狂言 小春穏沖津白浪―小狐礼三― (こはるなぎおきつしらなみ こぎつねれいざ)」

2016-01-07 @国立劇場


河竹黙阿弥生誕二百年
河竹黙阿弥=作
木村錦花=改修
尾上菊五郎=監修
国立劇場文芸研究会=補綴

最初に発表された場割
通し狂言 小春穏沖津白浪  -小狐礼三ー 四幕
 (こはるなぎおきつしらなみ こぎつねれいざ)
         国立劇場美術係=美術

序 幕
 開幕
 上野清水観音堂の場
二 幕
 第一場(雪)矢倉沢一つ家の場
 第二場(月)足柄越山中の場
 第三場(花)同 花の山の場
三 幕
 第一場 吉原三浦屋格子先の場
 第二場 同 二階花月部屋の場
 第三場 隅田堤の場
 第四場 赤坂圃道の場
大 詰
 第一場 赤坂山王稲荷鳥居前の場
 第二場 高輪ヶ原海辺の場


修正された場割。公演では更に修正された。
尾上菊五郎⇒日本駄右衛門                  
中村時蔵⇒船玉お才(修行者経典/地蔵尊のご夢想)                  
尾上菊之助⇒人形遣い/子狐礼三(八重垣礼三郎/娘胡蝶)         
坂東亀三郎⇒奴弓平       
坂東亀寿⇒三浦屋小助/雪村三之丞         
中村梅枝⇒月本数馬之助
中村萬太郎⇒花田六之進/礼三の手下友平
市村竹松⇒所化天錦
尾上右近⇒三浦屋傾城花月
市村橘太郎⇒三上の中元早助/三浦屋遣り手お爪
片岡亀蔵⇒三上一学
河原崎権十郎⇒漁師牙蔵        
市村萬次郎⇒三浦屋傾城深雪
市川團蔵⇒月本円秋
坂東彦三郎⇒荒木左門之助          
 ほか


いつ頃からかしらないけど、国立劇場の正月公演は菊五郎劇団と決まっているらしい。そしてこの公演では、復活上演、通し狂言が続いている…というのか、最初からそういうことで出発したのかどうか知らないけど。

古典の復活、は国立劇場として重要な使命の一つだろう。
通し狂言は、一つの物語が(一応)完結するので理解しやすい。
それに演ずる方も、各幕・場面毎に工夫(閑話休題の遊び心)を凝らすゆとりがあるから観ている方も楽しみが多い。

菊五郎劇団という仲間内の組み合わせなので、歌舞伎座で他の一門の大御所と一緒に演るよりはずっと自由な冒険もできるだろう。今回、菊五郎が監修という立場でも参加しているのは、まさにやりたいことをやりたいようにやっているのだと思う。

今年は河竹黙阿弥の生誕200年ということもあって、「子狐礼三」が取り上げられたようだ。
これも2002年に国立劇場での138年ぶりの復活上演を今年14年ぶりにブラッシュアップしたと聞く。

物語は歌舞伎の定番、お家騒動・家宝の紛失・勧善懲悪。
この安定感のある筋立てを安定感のある配役と芝居で楽しめる。
三幕十場と数えるのか、十一場なのか、とにかく細かく場を分けてた舞台美術や大道具の仕掛けも盛りだくさんで、この面でも歌舞伎の面白さが詰まっている。

プログラムに一枚紙が挟み込まれて、「演出上の都合により場割と配役を変更した」とある<最終改訂>。
プログラムでは除幕は「上野清水観音堂の場」となっているが、変更後はその前に「幕開き」が追加されている。

また、大詰めの第一場だった「赤坂山王稲荷田圃道の場」は第三幕の最後に繰り上がっている。

それよりも、事前のチラシでは、三幕目以降の場所の設定は、大磯、花水川、鎌倉、稲村ヶ崎とあったのが、すっかり江戸に場所を移し替えている(国立劇場のホームページ、チラシでは江戸版に改まっている。<一次改訂>)。
それがさらに細部を詰めてゆく過程で最終改訂の形をとったのだろう。チラシの初版しか読んでいなかった人には場面が違うということになるし、プログラムを読んだが、変更のチラシに気が付かなかった人にも違和感があったろう。

ギリギリまで最善を求めたのだろうけど、この調子では千穐楽までに小さな変更はあるのかもしれない。
そういえば、昨年の「八犬伝」でも微修正を告知する1枚紙が挟まれていたな。


さて、菊五郎は要所を締めるだけで、ほとんど最初から最後まで菊之助の大奮闘だ。
見せ所は直径20mの回り舞台を全部使った山王稲荷の千本鳥居(と言っていいのかな?)の上での大立ち回りで、これは「八犬伝」の大屋根の立ち回りを髣髴とさせる。

次いで時蔵の船玉お才も立ち回りも含めて出番が多く、これまでに何度も観ているが今回が一番大きな役のような気がした。この人の安定感のある芝居が好きだ。

傾城花月を演じた右近は、あの長い顔を感じさせない美形ぶりにちょっと驚いた。けっこう艶めかしいところがある。

舞台装置も雪月花の場の早変わりや千本鳥居も見事。
最後に菊之助と時蔵が舟に乗って花道を去るのには驚いた。
大人二人乗せた大きな舟が狭い花道に入ってゆくところは怖いくらいだったが、一体どういう仕掛けだろう。


♪2016-001/♪国立劇場-01

2015年10月7日水曜日

松竹創業120周年 芸術祭十月大歌舞伎 壇浦兜軍記 阿古屋〜梅雨小袖昔八丈 髪結新三

2015-10-07 @歌舞伎座


一 壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)
 阿古屋

 遊君阿古屋⇒玉三郎
 岩永左衛門⇒亀三郎
 榛沢六郎⇒功一
 秩父庄司重忠⇒菊之助

 Ⅱ世尾上松緑二十七回忌追善狂言
二 梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)
 髪結新三

 序 幕 白子屋見世先の場 
     永代橋川端の場
 二幕目 富吉町新三内の場
     家主長兵衛内の場
     元の新三内の場
 大 詰 深川閻魔堂橋の場

 髪結新三⇒松緑
 白子屋手代忠七⇒時蔵
 下剃勝奴⇒亀寿
 お熊⇒梅枝
 丁稚長松⇒左近
 家主女房おかく⇒右之助
 車力善八⇒秀調
 弥太五郎源七⇒團蔵
 後家お常⇒秀太郎
 家主長兵衛⇒左團次
 加賀屋藤兵衛⇒仁左衛門
 肴売新吉⇒菊五郎


歌舞伎鑑賞は月1回と決めていたけど、今月は一昨日の国立劇場に続いて歌舞伎座の夜の部を観た。

なぜか、と言えば、玉三郎の舞台は過去に観たことがなかったし、それも「阿古屋」をやるという。この作品も初めてだけど、何が見どころか、ぐらいは本で読んで知っていたので、一度は観ておきたいと思ったのが一つ。

それと、髪結新三を松緑が演るというのに大いに惹かれた。
「髪結新三」は3月に国立劇場で橋之助の髪結新三を観たばかりだ。これはこれで悪くはなかったが、橋之助は品が良すぎて新三のワルぶりが僕にはピタッとこなかった。今回は、松緑が演るという。これはお似合いだと思う。是非観たい。


「阿古屋」
今も頼朝の命を狙う平家の武将平の悪七兵衛景清(あくしちひょうえかげきよ)の行方が分からない源氏方は、景清の愛人・傾城阿古屋(玉三郎)を堀川御所に引きたてその所在を問う。
取り調べに当たるのが秩父庄司重忠(菊之助)とその助役岩永左衛門致連(亀三郎。<致連⇒むねつら>)だが、彼女は知らないという。
そこで致連は阿古屋を厳しく拷問にかけて白状させようとするが、重忠はそれを制して理と情に訴えて諭す。
それでも本当に知らない阿古屋は私の言葉が信じられないならいっそ殺してくれという。
そこで、重忠も意を決してあらためて阿古屋を拷問にかけようと責め道具を準備させる。
その道具というのが、琴、三味線、胡弓である。

これじゃ、拷問にならないじゃないの…。

と、フツーは不審に思うはずだけど、事情を知ったる観客には、むしろ、「よ、待ってました」という感じだ。

物語の合理性には頓着しない。
面白ければ何でも取り込む。
こうやって、歌舞伎は発展してきたのだろう。西洋の合理主義では捉えきれない飛躍・跳躍の芸だと思う。

玉三郎が、相当重いと思われる鬘や衣装を身に纏い、3種類の楽器を順番に実際に弾いてみせる。
もっとも完全な独奏ではなく、三味線の伴奏・掛け合いも入るので、この呼吸を合わせるのも容易ではないだろう。

琴、三味線には下座音楽の三味線がある程度代わりができるが、胡弓の音楽は三味線では代用できないので、気が抜けない。いや、全部気を抜いたりしていないだろうが。
それだけでもう感心してしまうのだけど、終始、その姿形が美しい(楽器を操るにはかなり無理があるにもかかわらず。)。

演奏の合間には取り調べの重忠と阿古屋の間に問答があり、問われて景清との関係を阿古屋が音楽に託して説明する段取りだ。
彼女の演奏を聴き終えて重忠は景清の行方を知らないという阿古屋の言葉に偽りがないと判断する。

異を唱える致連に、重忠は、もし阿古屋の心に偽りがあれば、演奏に心の乱れが表れるはずだが、一糸の狂いもなかった、と応え、阿古屋を釈放する。

この芝居は圧倒的に阿古屋の芸を見せるためのものだ。それだけでもう十分とも言えるが、他にも観客を楽しませる仕掛けがある。
元は人形浄瑠璃であったことからその芸を取り込もうとしたのか、遊び心からなのかは知らないけど、致連役が人形振りで演じられる。劇中はもちろん代官の助役という役だが、彼だけは人形のカタチで演じられる。
人形であるので、セリフは浄瑠璃(竹本)が語るので演じている役者は言葉を発しない。
人形であるので黒子が2人付く(ここで黒子はフツーの黒子ではなく、黒子の<役>を演じているのだ。歌舞伎座の「筋書き」にも登場人物として扱われている。)。
黒子によって操縦される人形になりきるので、動きもそのようなぎこちなさをわざと見せる。
顔も手も真っ赤に塗られており(<赤っ面>というそうだ。)、眉は人形のように上下する。
重忠が白塗りであるので2人は好対照になっている。

この動きや無・表情がおかしい。致連の一人芸だけでも一幕が成り立ちそうだ。

亀三郎の芝居はだいぶ見ているけど大きな役としては国立劇場での「壺坂霊験記」の沢市くらいしか覚えていなかったが、致連のおかしさで、強くインプットされた。

菊之助の重忠も、声もよく通るし、これまでにない力強さを感じた。


で、竹田奴って何?
致連が阿古屋を責めさせようとして呼び出すが、重忠の「鎮まれ、鎮まれ!」の言葉で、キャッキャと言ってすぐ引き下がる。
文楽人形の端役を模しているらしいが、何でもありの歌舞伎だとはいえ、これは何を意味しているのかさっぱりわからない。
人間国宝玉三郎の重厚な演技とは全く溶け合わない演出だが、昔からの決まり事なのだろうけど出てこない方がいいのに。




髪結新三
主要な登場人物が全員悪党というのがおかしい。
中でも一番悪党は新三(松緑)からまんまと15両と滞納家賃2両をゆすり取り、さらに初鰹の半身まで貰い受けて帰る家主の長兵衛(左團次)かもしれないが、その長兵衛も盗人に入られて元も子もない。因果応報というか、これでお客もすっきりする。

やはり、松緑(の新三)は粋な小悪党がよく似あって面白かった。
初役だそうだが、すっかり新三が身についているという感じだ。

配役をよく見てゆかなかったので、肴売りという小さな役で大御所菊五郎が登場したのには驚いた。ファンサービスだ。鰹の捌きにしてもセリフ回しにしても板についてなかったが、これはご愛嬌だろう。


♪2015-98/♪歌舞伎座-01

2015年7月27日月曜日

平成27年7月第88回歌舞伎鑑賞教室「義経千本桜」 (平成27年度神奈川県歌舞伎鑑賞教室)

2015-07-27 @県立青少年センター



渡海屋銀平・新中納言知盛⇒ 尾上菊之助
銀平女房お柳・典侍の局⇒ 中村梅枝
九郎判官義経⇒ 中村萬太郎
入江丹蔵⇒ 尾上右近
亀井六郎(尾上菊市郎)⇒ 尾上菊史郎
片岡八郎(尾上菊史郎)⇒
伊勢三郎(市川荒五郎)⇒ 尾上音之助
駿河次郎(尾上音之助)⇒ 市川荒五郎
相模五郎⇒ 坂東亀三郎
武蔵坊弁慶(市川團蔵)⇒ 尾上菊市郎

( )は当初予定された配役。團蔵丈故障のため配役変更

解説 歌舞伎のみかた     
 中村萬太郎                                                    
竹田出雲・三好松洛・並木千柳=作
中村吉右衛門=監修
国立劇場美術係=美術

義経千本桜 (よしつねせんぼんざくら)一幕二場 
  渡海屋の場
  大物浦の場



菊之助が鑑賞教室に出演するのが初めてかどうか知らないけどとにかく人気がある。その菊之助が知盛役を初めて演ずるということも今回の鑑賞教室の人気を煽ったようで前人気が高い。おそらく普段は「鑑賞教室」なんて見向きもしなかったコアな歌舞伎ファンも引き寄せたのだろう。
競争率が高い上に予約開始日を間違えて出遅れ、国立劇場でのチケットは入手できなかった。

しかし、7月の鑑賞教室は毎年2日間の神奈川公演があることを今回初めて知って、すぐNET予約にアクセスしてそこそこ良い席を確保できた。

それにしても灯台下暗し。
地元でも歌舞伎鑑賞教室をやっているなんて知らなかったよ(40年ほど前からと聞いてなおびっくり!)。
青少年センターなんて40年前だってもう用はなかったものなあ。

僕が出かけたのは27日の午後の部。つまりこれにて打ち上げという最後の舞台だ。
国立劇場で3日から24日まで、休みなしの1日2公演で44公演。中1日を休んで青少年センターで4公演。計48公演の48番目の芝居を観た訳だ。いまさらでもないけど、演ずる方は大変な重労働だなあ。

しかし、慣れない舞台で演技の間隔も感覚も異なるだろうに、疲れを見せずに熱演してくれたのはまことにありがたい。


さて、知盛を演じた菊之助のセリフ、衣装、立ち居振る舞いが見ものだ。
前半は仮の姿、渡海屋銀平として。後半は幽霊に化けた白装束の~やがて血染めに変わるその変化がまことに歌舞伎らしく、とりわけ、碇を持ち上げ(作り物でもあれほど大きいと重いだろう。)、客席を向いたまま、反っくり返るように海中に没する場面こそクライマックスだが、まことに見事な絵になる。

これまで観てきた菊之助とは別人のような印象を持ったが、良かったのか悪かったのか。
知盛の妻を梅枝が演じてこれもずいぶん評判が高かったが、まあ、そうなのかもしれない。実は、あまり興味を持ってみていなかったので…。

義経は、衣装のせいもあって桃太郎に見えてしようがなかった。
弁慶については後述するように團蔵欠場で拍子抜けの感あり。

ま、歌舞伎の華々しさが見どころの舞台だっただけに、やはり国立劇場の大舞台で観たかった。

弁慶役の團蔵さんが怪我で欠場、これに伴う役者変更は国立劇場での公演が始まる前にアナウンスされていたように思う。
解説本などは刷り上がっているから訂正できず、青少年センターでも会場にその事情が掲示されていた。
手元の解説本に誰がどの役に変わったかというのを書き込んだが、どうも腑に落ちないのは義経の四天王の一人、片岡八郎の役を演ずる役者が埋まらない。

翌日、国立劇場に問い合わせたら、今回は片岡八郎の役をなくして、それに伴い関係する役者のセリフも書き直したのだそうだ。
こんなことってあるのか、とびっくり!
ある意味、貴重な鑑賞経験をさせてもらった。

義経千本桜第二段、三段、四段相関図


♪2015-71/♪県立青少年センター-1