2016年2月5日金曜日

二月大歌舞伎 新書太閤記

2016-02-05 @歌舞伎座


吉川英治 作
   今井豊茂 脚本・演出
通し狂言 「新書太閤記」(しんしょたいこうき)
  長短槍試合
  三日普請
  竹中閑居
  叡山焼討
  本能寺
  中国大返し
  清洲会議

木下藤吉郎/羽柴秀吉⇒菊五郎
織田信長⇒梅玉
寧子⇒時蔵
柴田勝家⇒又五郎
織田信孝⇒錦之助
上島主水⇒松緑
濃姫⇒菊之助
織田信忠⇒松江
小早川隆景⇒亀三郎
福島市松⇒亀寿
おゆう⇒梅枝
加藤虎之助⇒歌昇
浅野又右衛門⇒團蔵
前田利家⇒歌六
母なか/丹羽長秀⇒東蔵
竹中半兵衛⇒左團次
明智光秀⇒吉右衛門


この芝居、吉川英治の原作が新聞に連載された昭和14年に既に歌舞伎になったそうだ。その後も原作の連載が続くに連れ、続編が制作され、再演も度々行われたと歌舞伎座「筋書き」に書いてある。
しかし、今回は全く新しい脚本で上演された。素材は同じだけど、芝居としては新作だ。

と言っても、その内容は、これまでに繰り返し、映画化、舞台化、TVドラマ化されてすっかり承知のものばかりなので目新しさはないけど、それを「歌舞伎」でやるとどうなるのか、が興味の的だ。

いずれもよく知られた7つのエピソードが繰り広げられる。
細々とした部分まで承知している訳ではないけど難しい話はなんにもないのですんなり頭に入るけど、なんか物足りない。

菊五郎の一人舞台と言って良い。ほぼ出ずっぱりだ。
その分、時蔵、梅玉、菊之助、松緑、吉右衛門などの役割が霞んでしまう。
全体に一本調子で、エピソードを次々と見せる紙芝居を見ているような味気なさ。空疎なものを感じてしまった。
それらの出来事、藤吉郎=秀吉と信長、光秀、半兵衛などとのやり取りを通じて秀吉の人間性が浮かび上がるといった工夫が感じられない。
平板な構成・演出に終わった。

また、これって歌舞伎といえるのだろうか。
同じ脚本で新派の役者が演じたらそのまま「新派」公演になるのではないか。

どうにも引き込まれず、カタルシスも得られず、隔靴掻痒の思いで帰路についた。


♪2016-013/♪歌舞伎座-01